CHARITY FOR

5周年を迎え、次のステップへ…。JAMMINは2019年春の開所を目指して、障害のある人が働く施設をOPENの予定です…!

この1年も、JAMMINを応援してくださいまして誠にありがとうございました。
今週は、毎週のTHIS WEEK CHARTYコラボは一旦おやすみして、JAMMINから皆さまにひとつ重大なご報告と、そのためのチャリティーを集めたいと思っています…!

来年春を予定しているのですが、JAMMINのオフィスのある建物の1階で、障害のある人が働く施設(就労継続支援B型事業)をはじめます!

「障害のある人が社会と携わり、障害のある人もない人も一緒に楽しめる場所を作りたい!」

かれこれずっと前から少しずつ温めていた思いを、一歩ずつ、少しずつかたちにしてきました。この秋からはより具体的な作業を始め、多目的トイレを作ったり相談室を作ったりと、プロの方にも指示を仰ぎながらトントンカンカン、壁を張ったりペンキを塗ったり施設の内装を進めながら、同時に必要書類の申請の準備も進めてきました。

あれやこれやと準備に追われる日々でしたが、オープンできる目処が立ったら皆さまにお伝えしたいと思っていました…!
今週、満を持して皆さまにお伝えさせていただきます…!

(「地域に根ざした施設」を目指し、2018年7月より月に1回、「意見交換会」を実施。地域にどんな施設が必要か、障害がある人にとって住みやすい街とはどんな街か等、毎月テーマを変えながら話し合ってきました。写真は記念すべき第1回の開催後、参加してくださった皆さんとの1枚!)

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO

きっかけは、JAMMINのものづくりを通じた出会い

(8月に開催した2回目の意見交換会にて。前列右側から堀川さん、想ちゃん、堀川さんの奥さんのさっちゃんです。実は堀川さん、日本ダウン症協会さんとの2015年のコラボの際にはインタビューさせていただき、記事も書かせてもらいました。 その時の記事はこちらから

そもそも、なぜ障害のある人が働く場をつくりたいと思ったのか。
きっかけは、JAMMINのアイテムの縫製をお願いしている堀川さんでした。

アパレル業界の大先輩であり、人生の大先輩でもある堀川さん。仲間と呼ぶには大先輩ですが、これまで5年にわたってJAMMINの服づくりに携わってくださり、仕事はもちろん、飲みに連れていってもらったり、一緒にバーベキューやキャンプをしたり…、全力投球で思いを共有できる熱い熱い仲間です。

仕事を超えて付き合ううちに、堀川さんの長女・想(こころ)ちゃん(18)への思いを聞きました。想ちゃんは、ダウン症です。「どうしたって俺が先に逝ってまうやんか。そしたら、この子はどうなるんやろうって思うねん」。

(意見交換会での一コマ。地域の方をはじめとする新しい方たちとの出会いは新鮮で、刺激になっています!)

話を聞いた時は、まだまだアパレルのお仕事で精一杯だったJAMMIN。
「いつか少しでも余裕ができたら、障害のある人が働く場を用意することはできないか」。その時から、そんな思いを抱くようになりました。

(第1回目の意見交換会には、張り切ってチラシを用意!(画像をクリックすると拡大版をご覧いただけます)

JAMMINを運営しながら培った
「楽しさを共有する」を生かしたい

(オープンする予定なのは、就労継続支援B型事業所。まずは農業に取り組む予定です。2018年10月には畑となる予定地で、たくさんの人に集まってもらい草刈りをしました。背丈まであった雑草を、二日間(+α)かけて刈りました!)

JAMMINはこれといったモットーや経営理念を掲げているわけではないのですが、ひとつ挙げるとするならば「チャリティーをもっと身近に!」という合言葉のもと、これまで活動してきました。

難しいことは抜きにして、”楽しいことやカッコいいこと”を通じて「なんか良いな」と思ってもらえたら、また次も、きっと楽しんでもらえると思うのです。なので、デザインは街着にできるおしゃれなものを、コンテンツは毎週のテーマに興味がない人でも読みやすい、わかりやすいものを、そして何より「私たちが楽しいと思うこと」にこだわってきました。

そうしてたくさんの素晴らしい方たちと出会い、今このページを読んでくださっている皆さんお一人おひとりとも出会うことができました。

障害のある人が働く施設をオープンするにあたって、同じように「私たちが楽しいと思うこと」で、障害のある人もない人も、たくさんの人を巻き込んでいくことが私たちの使命だと思っていて、これまでの5年間で皆さんに助けられながら培ってきたことを、きっと新しい場でも生かせるはずだと信じています。

「楽しいことを通じて、みんなでより良い社会をつくりたい」という思いは、何も変わりません。これまでの皆さまからの応援を携えて、新たなステップへと踏み出します。

そんな私たちの、新たな一歩を応援いただけたら幸いです。

(草刈りの合間に、ホットドッグで一息(笑))

地元・京田辺の現状を知り、この地域でのオープンを決意

ここからは、代表の西田にバトンタッチして、施設オープンへの思いを聞きました。

(西田(右)と、一緒に施設をオープンする世古口敦嗣(せこぐち・あつし)さん(左)。よろしくお願いします!世古口さんは、記事の後半でご紹介します)

──このタイミングで、新しい事業に取り組む理由は?

西田:
このタイミングでというよりは、この2年ぐらいずっと「障害のある人の働く場を作りたい」という思いがありました。当初はJAMMINとしてではなく、大阪の方で縫製工場をやれないかという話があったのですが、すぐには難しいということになりました。

それでどうしようかな…と思っていたタイミングで、「MEGU’s BAR」(※JAMMINのブログで公開している不定期企画)で「障害のある人が働く場を作りたい」という思いを発信した際に(その時のブログはこちらから)、以前コラボしたNPOさんの関西の支部長をしていた世古口(せこぐち)くんから「興味あります」と連絡をもらって。それで、すぐに会って話をしたのが2017年の秋。

(内装工事をしているところ。経費削減、壁作りからペンキ塗り、クロス貼りまで、できることはすべてDIY!)

西田:
世古口くんは、その時ちょうど就労支援施設を運営するために必要なサビ管(サービス管理責任者)という資格を取得している最中で、「どうしても障害福祉に携わりたい」と話していて。縫製工場がすぐに無理なのであればJAMMINで何かできないかと思っていたので、そこで意気投合して、少しずつ時間を作って話し合うようになりました。

同時に、JAMMINのオフィスのある京田辺市の市役所や、障害者の支援センター、就労施設などを訪問し、まずは地域のリサーチから始めました。

──なるほど。

西田:
そうすると、京田辺市で「働きたい」と就労の登録をしている障害のある人は500人以上いるにもかかわらず、市全体の就労支援施設の定員は140人ほどしかないということがわかりました。ほとんどの人が、生まれ育ったこの街ではなく、市外に働きに出ているか、あるいは行き場もなく家の中に引きこもっているという現実を知ったんです。
それを知った時に、「ここ、京田辺市でやろう」と決意しました。

(草刈りでの1枚。黙々と作業をしつつも、リラックスした笑いの絶えない時間でした!)

経営者として、障害のある人が輝ける場所と仕事を用意したい

(意見交換会では、毎回いろんな意見やアイデアが。施設をオープンする上で参考になる視点やアイデアがたくさん!)

──障害のある人の働く場を作りたいと思ったのはなぜ?

西田:
堀川さんと出会って、娘の想ちゃんの話を聞いてから「障害のある人の働く場を作りたい」という思いはずっとあって。JAMMINのものづくり、縫製や商品の発送など、ゆくゆくは障害のある人にお願いできたらなと漠然とは思っていましたが、ただ、まだまだお願いできるようなたくさんの作業量はなくて。アパレルのお仕事を手伝ってもらうのは、もう少し先の話だと思っています。

後は、JAMMINでこれまでいろんな障害者支援の団体さんとコラボをする中で、彼らの現状や生きづらさを知り、次第に「経営者として、自分にも何かできるのではないか」と思ったのもあります。

──新しいことへの不安は?

西田:
不安はあります(笑)。
JAMMINを始めた時も、全く畑違いのところから会社を立ち上げて、「素人が簡単にできるような業界じゃないで」「そんな甘くないよ」と散々言われてきましたが、本当に支えられて、なんとか5年目を迎えることができたので、何とかなるし、何とかします。
立ち上げて3年間は自分の給料もなかったし…あ、社員にはきちんと払ってましたけど(笑)、仕入れたTシャツの支払いにも困るような状況でしたけど…。

これから始める福祉に関しても全くの未経験なので、特に当事者とのやりとりや接し方についてはまだまだ不安があります。僕らが始めようとしているのは「就労継続支援B型事業所」で、普段の生活の介護ではなく「就労を支援する場所」。その意味では、経営者として仕事は用意できると思っています。

施設を始めると決めて、いろんな施設に見学に行かせてもらいました。
そこでたくさんの人に出会って、障害のある人たちの可能性を感じたし、彼らができることはもっとたくさんあると思いました。一人ひとりが自分らしく、楽しく輝ける場を用意したいと思っています。

(畑では、草刈り機を運んだり荷台で調理したり、軽トラックが大活躍!「農業にぴったりやし、一台欲しい」by西田)

見えてきた農業の可能性

(「自然農法」という農薬等を一切使わない方法で野菜を育てている農家さんから、土作りのレクチャーを受けているところ。どんな野菜を育てるのか、どんな方法で育てるのか。これから可能性を探っていきます)

──何をやるの?

西田:
縫製や梱包など、アパレルの仕事も今後少しずつ担ってもらいたいと思っていますが、農業に可能性を感じています。

京田辺という場所自体は田園風景の残るのどかな場所ですが、京都市内・大阪市内へも車で30分の距離。朝採れた新鮮な野菜をそのまま都会へ届けられる立地です。
オフィスの周りも田畑で囲まれたのどかな地域ですが、一方で高齢化が進み、耕作放棄地が増えているのも事実です。また、ベッドタウンで子育て世代が多く、安心・安全な野菜を求めている方たちも多いです。農業に取り組むにはベストな立地だと思いました。

いろいろと調べていくと、近くに「さんさん山城」さんという、農林水産省と厚生労働省が進めている「農福連携プロジェクト」というプロジェクトで「農業・障害者福祉・地域連携」を先駆的に行っている事業所として選出された全国の9の事業所のうちの一つである就労支援施設もあったりして、ますます農福連携の可能性を強く感じるようになりました。

(畑の予定地は、周りも畑に囲まれていて、空が近く、風が通る場所。自然をより身近に感じられる場所です)

「出会ってよかった」と言ってもらえる場所に

──JAMMINの経験として、活かせると思うことは?

西田:
僕は福祉畑の出身ではないので、「福祉の人間がやるわけではない福祉の施設」というところで、ガチガチ福祉にはまりきらず、障害のある人もない人も楽しめる場を作っていけたらと思っています。

障害のある人に向けて何かをしたいというスタンスというよりは、地域の人や関わってくれる人から「JAMMINと出会ってよかった」という場所にできたらいいなと思いますね。障害のある人だけが集まって作業するのではなく、地域の人がふらっと立ち寄っておしゃべりに来られるような気軽さや、一緒にイベントやライブをしたり、開放的な場所にしたいと思っています。

(2018年11月には、施設の予定地でマルシェが開催されました。地元の新鮮なお野菜やパンやクッキー、アクセサリーなどが並び、たくさんの方が訪れてくださいました。今後JAMMIN企画として、この場所で定期的にマルシェを開催していくのが一つの夢です)

障害のある人の「生きづらさ」を解決していきたい

さて、ここからは一緒に施設を作っていく世古口敦嗣(せこぐち・あつし)さん(31)を紹介します!

(はじめまして!施設を一緒に運営していく世古口さんです)

世古口さんと最初に出会ったのは、2017年4月。世古口さんがオフィスに遊びにきてくれたのが始まりでした。

そこからイベントに呼んでいただいたりとゆるーいお付き合いが始まり、その後、「障害のある人が働く場を作りたい」という発信に興味を持ってくれて、話し合いを重ねながら、少しずつ土台ができていったのです。

(初めてオフィスに遊びに来てくださった時の1枚。右から世古口さん、DLOP、西田、世古口さんと一緒に遊びに来てくださった小澤さん。その時のブログはこちらから

──福祉の世界に入ったきっかけは?

世古口:
大学では外国語(中国語)を専攻していて、福祉とは全くの無関係でした(笑)。
新卒で入ったNPOで、10年近く重度の障害者の訪問介護やデイサービスなど、生活支援をしていました。

最初から福祉に深く携わりたいと思っていたわけではなくて、「とりあえず3年働こう」という気持ちだったんですが、たくさんの障害のある人と関わる中でその人の生活に入り込む楽しさを感じたのと同時に、生活をする上での困難さや生きづらさを知ることになり「なんとか解決できないか」と思うようになったんです。

(「目が見えない彼女は自転車に乗ったことがありません。そんな彼女にタンデム自転車(座席が前後に2つ以上ある自転車)デートをお誘いしたときの写真。『風ってこんなに気持ちいいんだね』と彼女が僕に嬉しそうに伝えてくれました」(世古口さん))

──どんな生きづらさがある?

世古口:
例えば、ここで出会った男性の利用者のAさん(60代)は、重度の脳性麻痺がありました。
動くのは目線と首だけ。地域で一人暮らしをされているんですが、手足は動かないので24時間ヘルパーが必要な状態なんですね。でも、市から認められているのは15時間まで。残りの9時間は彼が自己負担していました。一人暮らしをするために、障害が理由で毎月10万円程度を払わなければならない。違和感を感じました。

Bさん(40代)も脳性麻痺でした。体は少し動きますが、車椅子の生活を送っています。彼女は音楽が大好きで、「楽器やギターが触りたい」とずっと思ってきたのですが、周囲から「あんたには無理」と、一度も触らせてもらうことがなかったそうです。

彼女と出会ってその話を聞いて、僕もギターが大好きなのである時ギターをプレゼントしたら、とても喜んでくれました。人間は欲深くて(笑)、彼女が「次はスタジオに入りたい!」というので、二人でスタジオに入って、彼女が歌を歌って、僕がギターを弾いて、ドラムやキーボード、ベースのメンバーを呼んで、バンドを組んでライブをしたんです。

──すごい!

(150名が集まったクリスマス会での音楽ライブ。Mr.BIGが大好きなボーカルの彼女の要望で、名曲「to be with you」のアコースティックバージョンを披露)

世古口:
ライブの後、泣きながら「ありがとう」と言ってくれた姿を見てめっちゃうれしかったんですけど、同時にすごい違和感があったんです。
僕は「これをしよう」と言われたことに乗っかっただけ。彼女のためとか、やってあげようとか、そんな気持ちでやったわけではなかったから…。

彼女が30年間、ずっと「やりたいのにできない」というモヤモヤを抱えていたように、同じようなことが他の人たちにもあるのではないか、と思うようになりました。自分が携わることで、一つでもそのモヤモヤをゼロにできるんじゃないか。そのためのアプローチができるんじゃないか。そう思った時に、ただの仕事だと思っていた障害福祉が「自分の人生を捧げて良い!」と思えるものになったんです。

(世古口さんが運営に携わるイベント「ミーツ・ザ・福祉」。「障害のある人もない人も楽しめる」をコンセプトに、兵庫県尼崎市内の福祉施設や作業所を含むフード、クラフト、ワークショップなど60ほどの店舗が出店する大きなイベント。ミーツ・ザ・福祉→ http://meetsthefukushi.strikingly.com/#1

「役割」を持つことで、生きがいを感じられる

──障害のある人の「生活支援」から「就労支援」に意識がシフトした理由は?

世古口:
生活支援をしていた時に出会った一人の方が、大きなきっかけです。
アスペルガーの彼女は、一般就労で清掃の仕事についていたんですが、コミュニケーションが上手にとれず、パニックになって会社と揉め、仕事を辞めることになってしまいました。

その後就労移行支援の施設で働き始めましたが、月給は1万円足らずほど。以前の給料の15分の1しかありません。

以前は働いたお金で親にプレゼントを買ってあげたり趣味にも時間を費やしたりしていた彼女が、収入が減ることで自信をなくし、自己肯定感を失って行動を制限してしまっている姿を見た時に、初めて「生活支援」ではなく「就労支援」を考えるようになったんです。

──なるほど。

(「好きなものを好きなように楽しむことに、障害のあるなしなんて関係ないと思います。ぼくたちは楽しめる機会を提供していきたいですね」(世古口さん))

世古口:
生活も大切ですが、一人ひとりの「役割」が明確に出て、生きがいを感じられるのが仕事だと思ったんです。「役割を持つ」ということをもっと増やしていきたいと思ったときに、その一つが就労だと感じました。

僕自身が30歳までに独立したいと考えていたのですが、そのタイミングで就労支援に興味を持ち、一度別の場所で「障害のある人の就労の場づくりを一緒にやろう」という話をもらいました。
そこで頑張るつもりで10年近く働いた生活支援のNPOを辞めたんですが、この話が途中で頓挫してしまって…。NPOを辞める時に、いろんな人に「僕はこんなことがやりたい」と言って理解してもらった上で辞めたので、皆の期待に応えられていないという不甲斐なさや申し訳なさを感じていました。

「何らかのかたちでもう一回チャレンジできないかな」と思っていた時に、ちょうど西田さんとそんな話題が出たんです。

──すごいタイミングですね!

(2018年の秋には、脳性麻痺の村上昌憲(むらかみ・まさのり)さん(写真前列左)の生き様を歌にした「生き様ソング」を、村上さんやシンガー・ソングライターのyu-kaさん(写真中央)たちと共に作成した。「障害は特別なことではない。障害が理由ではなく、本人の個性や好みで関係性がつくられていくのが自然なこと」と世古口さん)

「悩むんやったら、一緒に考えて失敗しよう」

(「ミーツ・ザ・福祉」の完成した生き様ソング。「時代は遡り50年前/ 生きているだけで石を投げつけられたこともあった」と村上さんの衝撃的な経験を元に作られた歌詞から始まる)

世古口:
先ほど出た重度の脳性麻痺のAさんは、一人暮らしをするまでずっと施設で暮らしていました。「施設にいたら、失敗できない。地域で一人暮らしをして一番よかったのは、失敗ができたこと」とある時僕に話してくれました。

──失敗することさえ、できないんですね…。

世古口:
失敗が施設の責任になってしまうし、リスクも大きいですしね。
でも、僕はそれは違うのではないかと思っていて「悩むんやったら、一緒に考えて一緒に失敗しよう」と常に伝えるようにしています。

「障害がある」という理由で、その人自身や周りの人たちが可能性をせばめていることがある。それはおそらく子どもの頃からのいろんなことが少しずつ積み重なったものだろうと思います。僕はそれをゼロにしていきたい。

(一児のパパでもある世古口さん。息子の萠生(もい)くん(2)は、愛らしさ故にどこへ行っても大人気!)

世古口:
「自分にはできない」と思っていた人が、僕や周りの人たちと関わることで「一回やってみようかな」っていう気持ちになってアクションまで結びついたら、失敗するかもしれないけど、それってすごく大きなことやと思うんです。

アクションを起こすことでそこに付随する世界が広がっていく。
行動を一人で起こすことは難しいので、どうアシストできるか考えて動いていくことが僕にできることだと思っています。
本人の世界が広がって、友達ができて、僕抜きでも「したいことにチャレンジする」ところまで持っていけたら、そんなに嬉しいことはないですね。

自分要因で「やらんとこう」はアリやけど、「したいけど、できへん」は減らしていきたいですね…!

いろんな人が素で関わり、交わり合う
「銭湯のような場所」を目指して

──施設への思いは?

世古口:
これまでいっぱい一緒に失敗もしたし、一緒にやり遂げてもきました。
自分の役割を見つけて「こんなんできるねんで!」っていうキラキラした自慢気な笑顔をいくつも見てきたし、たくさん体験してきたので、新しく始める施設もそんな場にしていきたいと思っています。

農業に取り組んでいきますが、「百姓」という言葉は「百の仕事がある」っていう意味らしいんです。
一概に農業と言っても作業はたくさんあって、それをもっともっと細分化して千の仕事にした時に、その人ができることが一つでも二つでもあるはずです。一人ひとりと丁寧に向き合いながら、それを見つけていきたいですね。

──どんな場所にしたい?

世古口:
「銭湯みたいな場所」ですかね。
子どもの頃、よく伊勢の「常盤湯」という銭湯に通いました。
考え方や価値観、背景も年齢も違う知らない人同士、裸になって同じ湯に浸かりながら、他愛もない話をする。
たくさんの人が素で関わり、交わり合いながら、楽しいこともかなしいことも、心地よい空間が淡く、柔らかく包んでくれるような、そんな場を作っていきたいですね。

(世古口さんが主催した、「さようなら、わたしのバリア」がコンセプトのクラブイベント「BYEMYBARRIER(バイマイバリア)」。京都では誰もが知る老舗クラブ「京都クラブメトロ」で過去2回開催。「車椅子に乗っている友達の『クラブに行きたい!』を実現するために開催したイベントです。彼は来てくれました!嬉しかった。違いを理解しなくてもいい。違いを違いのまま認め合い、同じ目線で向き合うこと。そして同じ瞬間を楽しむ空間を目指したかった」(世古口さん))

施設名は「三休(Thank You)」に決定!

…さて、新事業の鍵を握る二人のインタビューを紹介させていただきました。
溢れ出んばかりの思いを詰め込んで、何を目指していくかが定まったら、次は施設のネーミング!

地元と密接に関わる場所を作っていきたいという思いを込めて、何か京田辺の名産だったり有名なものからヒントを得られないか…?!と思っていた時にひらめいたのが「三休(さんきゅう)」という名前。

ここ京田辺は一休宗純の寺「一休寺(いっきゅうじ)」が有名なのですが、この「一休」を文字って「二休」はどう?という案が最初に出て、次に「二」を「三」にしてみたら…響きが「サンキュー」!

これまでの5年間、支えてくださったたくさんの人たちへの感謝の思い(「サンキュー」)を携えて新たな場を創っていく、そんな私たちにぴったりな名前だ!と思っています。

ここにはもう一つの思いも込められていて、アニメの一休さんでは「ひと休み、ひと休み」という彼の口癖があまりに有名ですが、「ひと休みでもふた休みでも三休みでも良い。それぞれのペースで、自分らしく心地良い空間を見出してほしい」という思いも込められています…!

(いらっしゃいませ!ここが施設の予定地です)

チャリティーは、施設オープンにあたって必要な資金になります!

2019年4月のオープンを目指し、建物内に多目的トイレを作ったり、火災報知器をつけたり、玄関にスロープをつけたりと少しずつ準備を進めてきました。先日、おかげさまで建物の検査(バリアフリー&消防)を通過し、施設のオープンへと大きく一歩近づいたのですが、まだまだ必要なものはたくさんあります。

施設から畑となる場所までは、車で10分ほどの距離。毎朝みんなで一緒に畑に行くのに、送迎車が必要です(10人乗り、トヨタ「ハイエース」は高いので日産「キャラバン」が良いなあと思っています。価格は80万円ほどで手に入ればなあ…と思っています)。また、畑で使う鍬(くわ)などの農機具もこれから揃えていかなければなりません。

今回は全額がJAMMINへとチャリティーされ、送迎車と農機具購入のための資金として使わせていただきます。

感謝の気持ちを込めた5周年のデザインをご用意しました!
さらに、今回特別にクラウドファンディング的なスタイルでJAMMINのいつものチャリティーアイテム以外のチャリティー方法もご用意しています。
是非SHOPページよりご覧ください。

・チャリティーアイテム一覧はこちらから

THANK YOU! JAMMIN5周年限定デザインについて

5年間の感謝の気持ちと、これからの覚悟の気持ちを込めて。
JAMMIN創業5周年を記念したアニバーサリーデザインを、3パターンご用意しました!

レアなアニバーサリーアイテム、是非お気に入りを見つけてください!

ANIMAL

こちらは、 WEB販売ではかなりレアなバックプリントデザイン!
ハチドリのクリキンディからスタートし、シーズン毎にひとつずつ登場したJAMMINのオリジナルキャラクターである動物たちを描いています。彼らが力をあわせることによって、火事で焼けてしまったはずの森が復活し草花や実が生い茂っている様子を、DLOPの得意とする神秘的な中にどっしりとしたストリート感溢れるタッチで表現しました。

バックには”Thank you for all you do”のメッセージ。ここの”Thank you”にはもちろん、「ありがとう」という思いと、施設名「三休」をかけています!(笑)

前側には、胸元にJAMMINのロゴに加えて「5th ANNIVERSARY」というワンポイントを。クラシックな雰囲気が漂うフォントで、大人っぽい印象に仕上げています。

チャリティーアイテム一覧はこちら!

KURIKINDI

JAMMINのメインキャラクターであるハチドリのクリキンディを繊細に描き、カジュアルなタイポグラフィと合わせたJAMMINらしい一枚です!男女共に着やすいデザインで、スタッフにも大人気。

このデザインは「前面プリント」あるいは「バックプリント」いずれかをお選びいただけます。

「バックプリント」を選んでいただいた場合は、前側の胸元の中央にJAMMINらしい遊び心溢れるフォントで”I am only doing what I can do”、「私は、私にできることをしているだけ」というクリキンディの名言が刻まれます!

チャリティーアイテム一覧はこちら!

OLIVE

JAMMINの初期からのデザイン&モチーフをアップデートさせたのが、こちらの「OLIVE」。
オリーブとハチドリというJAMMINらしいモチーフに、”I am only doing what I can do”、「私は、私にできることをしているだけ」というメッセージをヴィンテージタッチで添えました。
オリーブの花言葉は「平和・知恵」。少しずつ社会を良くしたい、愛と平和を増やしていきたいという私たちの願いが込められています。

チャリティーアイテム一覧はこちら!

…お好きなデザインはありましたでしょうか?!
是非、5周年アイテムで私たちの新たな一歩を応援いただけたら幸いです!

5周年アイテムのお買い物&応援はこちらから↓

https://jammin.co.jp/c/charityfor

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(広告宣伝費として支援し、予算に達し次第終了となります。)