【THIS WEEK CHARITY】自治区が二分、故郷を追われて海外へ逃れる人も。
パレスチナという地域が抱える背景

2018.3.26 | CATEGORY : THIS WEEK COLUMN

今週のパレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)さんとのコラボ(団体紹介ページはこちらから)

パレスチナという地域が抱える歴史的な背景について、CCP Japanの中村哲也さん(なかむら・てつや)さんにお話を聞きました。

──パレスチナの紛争や爆撃のニュースを目にしている人は多いと思いますが、なぜこんなに戦争が多発しているのか、その背景を知らない人も多いと思います。パレスチナという土地が抱える背景について教えてください。

中村:
まず「パレスチナ」という名称ですが、これは国家として独立はしていないものの、国際社会に認められた存在です。

パレスチナは「パレスチナ自治区」として「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」の二つに分かれおり、イスラエルの軍事占領下にあります。「ヨルダン川西岸地区」が三重県とほぼ同じぐらいの大きさ、「ガザ地区」が琵琶湖の半分ほどの大きさです。

(パレスチナは、エジプトやヨルダンに面している。画像下のオレンジ色で囲われた場所が「パレスチナ自治区」。出典:CCP Japan HP)

──どうして、自治区が二つに分かれているのですか?

中村:
「自治区」と呼ばれようになったのは1993年以降ですが、パレスチナがヨルダン川西岸地区とガザ地区は分断されたのは、1948年の「第一次中東戦争」の結果です。パレスチナ問題というと、政治や宗教が複雑に絡んだ長い歴史の問題という印象があるかもしれませんが、近年のパレスチナ問題を考える時に一つカギとなる年は、この戦争が勃発し、パレスチナ難民が発生した1948年です。

歴史を辿ると、もともとこの地域には、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教を信仰し、アラビア語を話す人々が共存していました。最近ニュースによく登場するエルサレムには、これらの宗教のそれぞれの聖地があります。

19世紀、西欧帝国主義諸国が中東に進出し、「オスマン帝国」が崩壊の危機を迎えます。オスマン帝国の一部であったパレスチナでは、独立を目指すアラブ人の民族主義の動きが活発化しました。
また、ヨーロッパで差別や迫害を受けていたユダヤ人の間では、パレスチナに民族国家建設をめざす動きが生まれました。そして、イギリスがアラブとユダヤ双方に対し相反する約束をしたことが、長期にわたって二つの民族が衝突する芽を作ったのです。

(パレスチナの領土の変遷を表した図。左から右へ向かって、年月が進むにつれてパレスチナの領土が小さくなっていることがわかる。出典:PASSIA)

中村:
1947年、国連はパレスチナ分割を決議しますが、不公平な分割であったためにアラブ人は猛反発。緊張状態の中、1948年にユダヤ側がイスラエル建国を宣言したことを受け、第一次中東戦争が起こりました。

この戦争によって70万人のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ系住民)が居住地を追われ、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、そしてヨルダン、シリア、レバノンなど近隣諸国に逃れ、現在に至るまで、故郷に帰ることができていません。ちょうど70年経った現在、その数500万人となっているパレスチナ難民です。

現在、世界の難民の5人に1人がパレスチナ難民であり、世界で最も大きな難民グループとなっています。

これが、パレスチナという土地が抱える背景です。

(何世代にもわたり、難民生活をしている子どもたち)

CCP Japanの活動紹介は、こちらのページよりご覧ください。

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パレスチナに生息するラクダと、平和の象徴である「オリーブの樹」「鳩」を描き、困難の中にある子どもたちが人間らしく生きられる世界の実現と、平和な未来への願いを込めています。

“A beautiful world starts with you”、「美しい世界は、あなたから始まる」。
決して他人事ではなく、私たち一人ひとりがこの問題を考えることで世界は変わっていくんだよ、というメッセージを添えています。

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