2017.2.22 | CATEGORY : MAGAZINE
京都に住む武田さんは、6歳になるダウン症のある男の子、「いっちゃん」のお母さんです。
いっちゃんが生まれたとき、ダウン症の可能性があることがわかり、「もしかしたらこの子を心の底から愛する事は、一生できないかもしれない」と絶望を覚えたという武田さん。
しかし、障がいのある子どものいる家族を知るにつれ、いっちゃんと共に時間を過ごすにつれ、その思いはなくなっていきました。
「今は、心から愛おしく、自分のところに生まれてきてくれて本当にありがとうと思う」。
笑顔でそう話す武田さんに、インタビューをさせていただきました。
−−いっちゃんが生まれた当時のこと、ダウン症と知ったときのことを教えてください。
いっちゃんは、予定よりも1ヶ月早く産まれました。
保育器に入っていた彼を初めてだっこしたときの感触と薄っすら開いた虚ろな瞳を見たとき「ちょっと違うな、大丈夫かな」という感じはあって。でも、予定よりも1カ月はやく生まれてきたからなのかもと、そんなに深刻には捉えてなかったんです。
ふわふわやわらか、産まれたてのいっちゃん。「もう一度めいっぱい抱っこしたい」と武田さん。
出産後5日目頃に「小児科の先生からお話しがあるので、パパとママ揃って聞いて欲しい」と言われました。
その時は出産後に、心臓にまだふさがっていない穴があると聞いていたので、その話の続きかな?ならばわざわざパパを呼ぶほどではないなと軽く考えていました。
初めて危機感を抱いたのは、その後の院長先生の退院前の診察の時です。
「小児科の先生からこれからお話があると思うけれど、赤ちゃんの状態から見て染色体異常のある可能性が高い。でも、お母ちゃんやったら大丈夫や。」と肩を優しくぽんぽんしながら伝えてくださったその一言に、一瞬にして身体が冷たくなりました。
慌ててパパに電話を掛けました。「やばいかもしれない」って。
旦那さんに病院に来てもらって、「生まれてきた赤ちゃんはダウン症の可能性が高い」と説明を受けました。
当時のことをあまり覚えてないんやけど…(笑)ワーッ!てなりましたね。嗚咽(おえつ)が込み上げたというか。
でも、すぐに落ち着いて「大丈夫、私に任せて」とパパに言ったことを覚えています。
−−その後、どのように状況を受け入れていったんでしょうか?
何度も流産を経験していたので、ただ生きて産まれてきてほしい。出産までずっとそう願ってました。
生きるか死ぬかの不安はずーっと抱えていたのに、障がいを持って産まれてくる可能性は1ミリも考えてはいなかった自分の浅はかさをまず悔やみました。
ダウン症に関して考えたことも無かったし知識も無かった。本当に想定外でした。
−−つらかったし、大変だったんじゃないんでしょうか。
「もしかしたら、一生愛せないかもしれない。愛情を注げないかもしれない」。今思うとそんなこと全然ないんですが、あの時は絶望を感じました。
初めて笑った日のいっちゃん。嬉しくて何度も何度も笑わせました。
いっちゃんの上にはお姉ちゃんとお兄ちゃんがいるんですが、絶望のままだと、2人の子どもと、近くに住んでいた両親が心配する。とにかく気持ちは立て直そうと思いました。
「悲観するんじゃなくて、今できることをしよう」と。
絶望してたんですが、でも、次に沸いた疑問が、「この状況って、ほんまに絶望的なんやろうか?」って。
−−本当に絶望しているのか、しているなら、何が絶望的なのか。絶望と向かい合われたんですね。
ダウン症のある子どもを持って、明るく生活している家族はいるの?障がいある子どもがいる家族は不幸っていうのはほんまなんやろうか?って、インターネットでブログを漁るところから始めたんです。
そしたら、ダウン症のある子どもも普通の子どもと同じ、楽しく笑顔で子育てされている家族がたくさんいて。自分がイメージしていたような「絶望」なんて無いやん!って思いました。
「ああ、これなら大丈夫、何も変わらない」って思えて。そこで、気持ちを切り替えることができましたね。
弟が産まれ、お兄ちゃんになり4人きょうだいになったいっちゃん。
私の中に「障がいのある子どもの親は大変」「かわいそう」「不幸だ」っていうイメージがずっとありました。でも、本当にそうかというと、違ったんです。
いっちゃんが私たちのところに生まれてきてくれて、それがわかった。
怖かったのは、苦しかったのは、ダウン症のある子どもを持ったことでも、障がいのある子どもを持ったことでもなかった。
「障がい者」や「障がい者のいる家族」に対する、私自身のイメージだったんです。
いっちゃんは1 歳から療育園に通ったのですが、そこで他の障がいのある子どもやその家族と出会いました。
やっかいなことや大変なこともあるけれど、みんな明るくて、子どもたちは本当に可愛い、どんな障がいがあろうと、こんなにも家族が愛してるんやなあ、って。
いつもゲラゲラ陽気に笑い、ふざけたり喧嘩したり揉みくちゃになったり。いっちゃんは家族みんなの笑いと癒しの源。
いっちゃんを通じて、新しい世界を知ることができた。
いっちゃんがいてくれて、新しい人に出会い、新しい経験をさせてもらったと思っています。いっちゃんと過ごすうちに、「人と比べなくていい」ということも学びました。
それまでは、無意識のうちに人と比べて、知らない間に自分がしんどくなってることがありました。
でも、いろんなこども達の姿に出会えたこと、それぞれの魅力を知ったことで、そもそもこの世の中には誰一人として同じ人はいなくて、違っていて当たり前で、それが大事なことなんだと気づきました。
6歳の誕生日。消えない花火を必死にフーフーして皆を笑わせてくれました。
自分自身も含め、こども達も、みんなみんな「誰とも比べようもない、みんな一人ひとり違う、かけがえのない一人」なんだと。
ありきたりの日常のなかで「これでいいやん!幸せやん!」って思える事がすごく増えました。
−−これまで大変だったことや、今後のことで不安があったりはしますか。
将来の心配がないわけではないですが、未来のことは変えられると思っているので、心配しなくてもいいような環境に変えていけばよい、今の積み重ねが未来になるのなら、先のことを心配するよりも、今のことに目を向けたい、そう思うんです。
子どもたちと今出来ること、今に精一杯こだわろうと。
それは、子どもに障がいがあろうとなかろうと、同じだと思うんですよね。
大好きな友達と笑い合う姿。友達って最高!
いっちゃんは、春から小学校に上がります。
生まれたばかりのとき、「もしかしたら愛せないかもしれない」と感じた子が、今では心から愛おしい存在ですし、これまでを振り返ってみると、いっちゃんを産んだ当初に感じたような絶望や不安はありませんでした。
「かわいい」と声をかけてくれる女子高生や、困っていたら助けてくれる人たち。
世の中は私が思っていたよりも、ずっと優しい場所だということも、いっちゃんが教えてくれました。
そして私自身、この子がいてくれるおかげで、以前よりもちょっとだけ、世の中に対して優しくなれたように思うんです。
生きている事のしあわせを誰よりも知っている。そんないっちゃんの笑顔。
いっちゃんを産んでいなかったら、「障がいのある人はかわいそう」というイメージから抜けられなかったかもしれない。そして、それを子どもにも教えていたかもしれません。
経験したことがないことって、誰しも怖いし、勇気が要ります。
でも、勇気を出して一歩を踏み出してみたら、意外と大変じゃないかもしれない。
慣れてくれば、新しい価値観も身につきます。今では、「いっちゃんがおらんかったら、私間違いだらけの世の中に生きてたわ、よう助けてくれた」って、いっちゃんに感謝しています。
−−武田さん家族に幸せを運んできてくれたいっちゃん。今日も、家族みんなで笑顔あふれる1日を過ごしています。
今週のチャリテイー先は、公益財団法人日本ダウン症協会(紹介記事はこちら!)。
23台の自転車のなかに、1台だけ三輪車が混ざっています。
ダウン症のある人たちの21番目の染色体が3本ある「21トリソミー」を表現しました。
自転車・三輪車という車輪モチーフには「前を向いて進んで行こう」というメッセージを込めています。
“you make me happy”、「あなたは私を幸せにしてくれる」。ダウン症のある人たちの持つピュアな感性と、澄んだ存在感を表す一言と共に。
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