今週JAMMINがコラボするのは、重い病気と闘う子どもたち一人ひとりの夢をかなえる手伝いをしてきた公益財団法人「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」。1980年にアメリカで発足し、1992年から始まった日本での活動は、今年30周年を迎えました。JAMMINとは25周年の2017年にコラボしていただいて以来、2度目のコラボです。
「子どもたちが日々の生活の中に、それがたとえどんなに小さなことでも、ワクワクしたりドキドキしたり願う気持ちを持ってほしい。その願いがかなった時、また次の願いを持つきっかけになる。一人ひとりの、未来に向かっていく願いを引き出すお手伝いができたら」
そう話すのは、団体事務局長の鈴木朋子(すずき・ともこ)さん。
今回は鈴木さんと、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンで願いをかなえた二人のお子さんのお母様にお話を聞きました。
公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン
3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ、生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立された団体です。日本だけでなく他にも39の国に支部を置いて活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/4/25
(「『ランドセルを背負って家族写真が撮りたい』。羽華ちゃんは賑やか大家族、5人きょうだいの4番目の女の子。お姉ちゃん、お兄ちゃんたちと一緒に小学校へ通う日を心待ちにしています。この日は入学式のお洋服を着て、少しだけ小学生気分を味わってもらいました」)
──団体のご活動について、教えてください。
鈴木:
重い病気を持つ子どもたち、一人ひとりのウィッシュ(願い)をかなえるお手伝いをしています。「病気だから」とか「治療中だから」とたくさん我慢してがんばっている子どもたち。日々の願いが、「病気だから」という理由で断たれてしまうのは残念なので、「病気だからできない」ではない関わりをしたいと活動しています。
子どもたちは皆、願う気持ちを持って、ワクワクしたりドキドキしたり、夢をみてほしい。小さな願いを持つことが、今日や明日を生きる力につながるからです。
闘病中はどうしても病気が中心の生活になりがちです。本人もご家族も不安がたくさんある中で、私たちも当然医療的な面での細心の注意をはらいながらも、「楽しいことを一緒に考える」ことをお手伝いしたい。世界に39の支部があり、日本で活動をスタートして30年になりますが、「病気のことには触れない」というのが、私たちのルールです。
「何がしたい?」「どんなことが好き?」…、病気とはまったく関係のない、子どもとしての当たり前の会話ができるというのも一つ、私たちの存在価値なのかもしれません。
(メイク・ア・ウィッシュは、1980年4月29日、白血病と闘うクリスくん(当時7歳)の「警察官になりたい」という夢をかなえたことがきっかけでアメリカで設立された。「夢をかなえた5日後にクリスくんは亡くなりましたが、クリスくんの夢の実現に関わった人々は『ほかにも大きな夢を持ちながら、難病のため夢をかなえることができない子どもたちがいるに違いない』と団体を設立しました」)
(「『本物の打ち上げ花火が観たい』。一稀くんが毎年とても楽しみにしていた花火大会。台風やコロナの影響で、観ることができないまま4年も経ってしまいました。団体にご連絡いただき、病院のベッドの窓から家族みんなで手をつないで鑑賞。一稀くんの夢は、同じ病院で闘病中の子どもたちや近隣の皆さまにも、たくさんの希望と笑顔を届けてくれました」)
鈴木:
世界中のメイク・ア・ウィッシュは皆、「思い出づくりではなく、願う気持ちを応援しよう。夢に向かう過程を大事にしよう」という同じ思いで活動しています。
たくさんの子どもたちの願いをかなえるお手伝いをしてきた中で、中にはその後に亡くなるお子さんもいらっしゃいます。結果として思い出づくりだったという点は否めないかもしれません。でも、子どもたちは決してそうではないんですね。「最後の願い」などと思っていないんです。一人ひとりと話していると「もっとこうしたい」「次はこれがしたい」と、どんどん新しい願いがキラキラと生まれてくるんです。
願う気持ちがもたらす力を、子どもたちやご家族から教えてもらいました。
──そうなんですね。
(「『私もウェディングドレスを着たい!』。大好きな学校の先生の花嫁姿に心を奪われた明里さん。ドレスを着られる日を楽しみに、リハビリもたくさんがんばりました。初めてのお化粧やヘアセットで綺麗に変身していく自分の姿に、瞳をキラキラと輝かせました」)
鈴木:
私たちは、願いを実現するまでの過程を「Wish Journey(ウィッシュ・ジャーニー、願いの旅)」と呼んでいます。団体に申し込んでくださって、「どんな願いごとがある?」と話すところから、ウィッシュ・ジャーニーがはじまります。
一緒に楽しい時間を過ごしたい、楽しい旅にしてほしい。なぜなら、願う気持ちを持つことが、日々の喜びや豊かさにつながっていくからです。この旅が終わった後も、また次の新しい願いに向かって、自らの意志で未来を歩んでくれたらと願っています。
(「『パパと結婚式をしたい』という夢をかなえたちひろさん。『家族みんなで一日一日を楽しく笑顔で心豊かに生きていくことを誓いますか?』『はい、誓います』。たくさんの温かな拍手に包まれました。『我が家に新しい記念日ができました。これからこの日をもう一つの結婚記念日として、皆様からいただいた感動を思い出していきたいです』(お父様からのメッセージ)」)
最初にお話をお伺いしたのは、松尾夢華(まつお・ゆめか)さん(享年18)のお母様の南美江(なみえ)さん。
夢華さんは2019年、18歳の時にメイク・ア・ウィッシュで「ミッキーマウスと、赤いドレスを着て写真を撮りたい」という夢をかなえました。
(夢をかなえた際の1枚。シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルのチャペルでの家族写真。青いドレスを着ているのが夢華さん、その左がお話を聞かせてくださった南美江さん)
松尾:
夢華が18歳になる誕生日の前の日、2月の頭に、メイク・ア・ウィッシュさんにお電話して。その後、とんとん拍子で話が進んで、5月には家族そろってディズニーランドへ行き、夢をかなえていただきました。
その時に夢華には内緒でもう一つ、宿泊してお世話になったシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルさんのご好意で、サプライズ企画もご用意してくださったんです。「ホテルのチャペルでドレスを着て写真を撮りませんか」と。東京滞在の2日目に、本当にサプライズで、夢華は朝からドレスを選び、プロの方にヘアメイクもしてもらって、家族皆で撮影しました。
夢華は5人きょうだいの3番目なのですが、きょうだいたちは夢華と一緒にドレスを選んで、私たち夫婦は彼女が来るのをチャペルでドキドキしながら待ちました。本当に花嫁さんみたいに綺麗でした。
この時の笑顔は、彼女の最高の笑顔だったと思います。
夢華は2020年1月、家族が見守る中で亡くなりましたが、今でもこの写真やこの時の思い出が、家族の中心にあります。告別式には、何の迷いもなくこの時に撮った写真を使わせてもらいました。本当に良い笑顔で、お参りに来てくださった皆さんが写真を見て、「これ、どうやって撮ったと?」と聞いてくださるんです。
(夢をかなえるために東京に向かう飛行機の中で。「夢華も家族も、みんな笑顔です」)
(闘病中の夢華さん。「2015年4月に発症、2020年1月11日に逝去。闘病生活は約5年にわたりました」)
──ご家族の中で、今でも生きてらっしゃるんですね。
松尾:
今でも、夢華に支えられていると感じます。
中学3年生、15歳で骨肉腫(骨のガン)がわかり、それを告げられた帰り道で、彼女は「お母さん、泣いてはダメね。前向きに、ポジティブにいかんばね」と言いました。
その言葉の通り、約5年間の闘病生活の間、彼女は常に笑顔をたやさず前向きでした。夢華が遺していってくれたものが今も家族といつも一緒にあって、支えられていると感じています。
夢が実現できただけでも大喜びだったのに、亡くなって丸2年が経つ今でも、こうやって夢華のことを話す機会をいただいたり応援の声をたくさんいただけたりするのは、彼女が持っている力だと思います。「夢華はすごか!」と思いますね。
2019年のメイク・ア・ウィッシュさんの事業報告書の表紙には、夢華の写真を使っていただきました。送っていただいてそれを見た時に、まるで夢華が私たちのところに帰ってきたように感じました。
──夢華さんは、今でも活躍されているんですね!
松尾:
そうですね。写真を見てくださった方が「この子はどうしたの?」とか「この笑顔は素敵ね」と言ってくださるだけで、「夢華は今も生きている」と感じます。
(夢華さんの遺影を囲んで、友人や知人の皆さんと。「今もお誕生日には、友人や知人がたくさん集まってお祝いをしてくれます」)
(スポーツ万能だった夢華さん。「走ることが大好きで、バスケを小学校、中学校と頑張っていました。中学では駅伝の選手にも選ばれていました」)
──夢華さんのご闘病の経緯を教えていただけますか。
松尾:
元気で活発で、風邪すら引かないような子でした。スポーツが好きで、女子バスケ部のキャプテンをしていた中学3年生の2015年4月、「足が痛い」と。中総体を控えていたこともあって、「ストレスかな?」と近くの病院へいくと、大きな病院を紹介され、骨肉腫であることがわかりました。
中学最後の体育祭に出た後、5月に入院し、治療に専念しました。3ヶ月にわたる抗がん剤治療で腫瘍が小さくならず、9月には左足を切断しました。
病気を告げられた時に「泣いたらダメね。前を向いてポジティブにいかんばね」と言った言葉の通り、決して病気や境遇を責めることなく、芯強く前を向いてがんばっていた姿が記憶に残っています。
左足の切断後には、15時間にも及ぶ、切断したひざに足首をつける左膝回転形成術を受けました。
義足を作り、リハビリに励みました。明るかったですね。切った足を見て「かわいいでしょう!」と。高校受験も控えていたので、病室で受験勉強しながら「みんなと一緒に卒業する。みんなと一緒に、自分の足で歩いてステージに上がり、卒業証書をもらう」ことを目標にがんばりました。
(写真は高校の卒業式にて、卒業証書を受け取る夢華さん)
松尾:
高校入学後、転移がわかり入退院が続きました。
抗癌剤治療で髪も抜けましたが、本人は「大丈夫」と。「お母さん、学校へ行っていいと?」と聞くんですね。「いいとよ。入学しとっとやけん」と答えると、まっすぐに前を向いて、玄関で見送る私に振り向くことなく力強く学校へ向かっていきましたね。
高3の時が一番元気で、私たちも「このまま元気になるんじゃないか」と思っていました。ボート部の先生が声をかけてくださって、高校総体に選手として出場したんですよ。
──すごいですね!
松尾:
友達とおしゃべりしたり、映画を観に行ったり、部活に打ち込んだり…ごくごく当たり前の高校生活を楽しむために、「そのためには自分の足で歩けないといけない」と本当にがんばっていました。
しかし進路を決める頃には、肺への転移が見つかりました。夢華には「外国に留学して外国語を勉強したい」という夢がありましたが、担当医の先生からは「年を越せないかもしれない」と。さすがにそれは本人には伝えられませんでした。「今のうちに何かできることを」と、メイク・ア・ウィッシュさんに応募しました。
(ディズニーランドでの一枚。ご家族の皆さんと。「夢華が遺したメッセージには、『家族と旅行ができたということ、夢をかなえる時に家族がいるということは、とても心強かったし、時を一緒に過ごせたこと、本当に幸せでした』とありました」)
(笑顔を絶やさなかった夢華さん。「病室にて、姉と弟と一緒に。『前向きに、ポジティブにいかんばね』、その言葉のとおり、夢華は常に笑顔をたやさず前向きでした」)
──夢華さんの闘病やがんばりをずっと身近に見てこられた中で、南美江さんは「夢」とはどんなものだと感じていらっしゃいますか。
松尾:
今振り返ってみると、夢華が今も、皆の夢を輝かせてくれているように思います。
うまくいえないけど、夢は見るものじゃないというか、かなえてこそはじめてあるものというか。「明日が来る」こと、「明日も生きている」ことは決して当たり前ではないんですよね。
朝起きて、「おはよう」といえて、一緒にご飯をたべたりおしゃべりしたり、そんな小さなことが奇跡で。明日が来ることが信じられて、「明日はこれがしたいな」とか「明日はこうしてみよう」と前向きに思えることが、夢の第一歩なのかなって。
当たり前の普通のことが、実はすごく幸せなのだということを、夢華が教えてくれました。
(「私が一番好きな写真です。シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルさんでの撮影の際、花束を渡したときにふと振り返った表情がとても気に入っています」)
松尾:
病気というくくりがあると、どうしても「悲しい、寂しい、かわいそう」という力が大きく感じますが、「大丈夫、前を向こう」という信じる力の小さな積み重ねが、やがて大きな力になるし、夢につながっていくのかな。
…そういう意味で、夢華は夢を見る力がすごく強かった。どの写真も本当に笑っているから、亡くなってしまったけれど、私たちも前を向いて、笑っていようと思います。
今でも彼女は「夢はかなうんだよ」と教えてくれていると感じますね。
(「夢華は今も家族の中心です。彼女と過ごした時間や彼女の存在が、いつも家族の中にあります」)
もう一人、お話を聞いたのは陣内一愛(じんのうち・ちなり)さんのお母様のちぐささん。
一愛さんは、2020年11月に「絵本作家になりたい」という夢をかなえました。
(完成した絵本を手にする一愛さん。「本棚に置いたときに目立つようにと、キラキラの表紙を選びました」)
陣内:
どこかに出かけたいという夢もあったのですが、コロナ禍で難しく、もともと絵を書くのが好きだったので「絵本を作る」という夢をかなえていただきました。
本人が描いた絵とストーリーをもとにアニメーターの吉田大輔さん、編集者の村上かおりさんと、自宅からメールやオンラインの打ち合わせを通じて何度もやりとりをして完成した絵本です。
最初にメイク・ア・ウィッシュさんにコンタクトをとったのは、2020年の5月でした。病院で治療を続けていましたが、本人と家族みんなの希望で、自宅で一緒に過ごすことを決めました。その時に、主治医の先生から紹介してもらったのが最初です。
(闘病中の一愛さん。妹の一花さんと、大好きな「なにわ男子」のお揃いのパーカーでパチリ)
(一愛さんの原画(写真左)と、一愛さんの原画をもとに完成した絵本の原稿(写真右))
陣内:
治療が始まった当初、一愛はまた学校に戻ること、社会復帰を目標に前向きにがんばっていましたが、心臓の副作用が出てからは「あれもできない、これもできない」と選択肢が狭まっていく感じがあり、非常につらかったと思います。私たち家族も大変な時期がありました。さらにコロナ禍で、きょうだいが下に二人いるのですが、会えなかったり、外出したりすることもできなかったので…、本人も「早く家に帰りたい」というふうに言っていました。
自宅に戻ってからは、できるだけやりたいことをやらせてあげようと思って。「好きなものを食べたい」と言っていたので、本人が食べたいものを作ったり買ってきたり、外食にも、1度ですが行くことができました。
なかなか表に出ることもできず、人にも会えない時期だったので、そんな中で絵本の制作に取り組めたことは、本人の体調がよくない時も多かった中で、その瞬間瞬間の生きがいというか、やりとりを楽しみながら時間をかけて夢をかなえられたことは、本当によかったと思っています。
闘病生活が続く中、本来であれば高校生で、学校で勉強したり友達と遊んだりする年齢だったので、本人の中では社会から置いていかれているような感覚もあったのではないかと思います。そんな中で絵本の制作に取り組み、「何日までにこれしよう」という、やらなければならない日々の目標ができたことは、私としてもありがたかったです。
(「絵本を読んだ小児科の方からの、お礼の寄せ書きです。絵本を見たとたくさんの方から手紙をいただきました」)
(完成した絵本を初めて手にした時の一枚。「妹の一花と一緒に読みました」)
──絵本が完成した時の一愛さんはいかがでしたか。
陣内:
大喜びしていましたね。お世話になったいろんな方に配って、サインしたりして自慢していました。体調の良い時に少しずつ絵本を送って、届いたら感想をもらって。絵本が完成して終わりではなく、その後、感想をいただけたりとやりとりができたのはよかったです。
──確かに。読んでくださった方からの感想も、醍醐味ですね!
陣内:
離れて暮らす私の母が喜んで、たくさん買って、仲間に配ってくれたんです。
母は看護師をしているのですが、それが巡り巡って大きな病院の小児科に置いていただけることになり、読み聞かせもしてくださったんですね。
その病院の方からお手紙をもらったり、幼稚園で目にしてくださった方にお手紙をいたただいたりしたこともありました。こういったことがしばらく続き、手紙は何度も読み返せるので、見るたびに喜んでいましたね。
(友人知人から届いた、絵本の感想の手紙)
陣内:
絵本としてひとつ、本人の生きた証をかたちとして遺せたことは、すごくよかったです。
絵本の表紙はキラキラのホログラム仕様なのですが、表紙の色を選ぶ際、彼女と「いちばん目立つといいね。いちばん皆さんの目につく絵本であってほしいね」と話して、候補の中から一番派手な表紙を選んだんです。
だから、今でも誰かのもとにかたちとして届けてもらえることはとても嬉しいし、絵本を見る度に一愛のことを思ってもらえたらなと思っています。
──絵本が完成してから、何か印象に残っていることはありますか。
陣内:
妹と妹の友人に、オンラインで絵本の読み聞かせをしていた姿が印象に残っています。
一愛の体調は決して良いとはいえませんでしたが、出てくる登場人物に合わせて声色を変え、感情を込めて読み聞かせをしていました。病気になる前、中学の時に演劇部に入っていたんです。そんなイメージでやっていたのかなと思いますね。
(妹の一花さんと、絵本完成記念の一枚)
(大好きなハムスターの「ペパロニ」と日なたぼっこする一愛さん)
──一愛さんの闘病や夢をかなえる経験を身近に見てこられてきた中で、「夢」について、また読者の方にメッセージがあればお願いできないでしょうか。
陣内:
それまで当たり前だったこと、普通だったことが普通にできなくなる困難の中で、せめて何か、特別な願いをかなえてくれる場所があることは本当にありがたかったです。
一愛は、自分が何かをしてもらうよりも、人に何かをすることの方が好きな子でした。病気になってからは、周りに気を使いながら、みんなが楽しく過ごせるように一生懸命だったと思います。絵本を通じて、自分の願いだけではなく、人の願いもかなえてあげたいという優しい気持ちを伝えたかったのではないかと思います。
我が子が病気になってはじめて、病気で苦しむ子どもがいて、その家族も周りからは見えない苦労をたくさんしているということに初めて目を向けました。これからもそのようなお子さんやご家族に、少しでもたくさん、楽しいことが届くといいなと思います。それが、私たちの願いです。
(「絵本の販売を記念して、パティシエのお友だちに作っていただいたクッキーです。お世話になった方に配りました」)
(「メジャーリーグの試合を観戦したい」という夢をかなえた祐樹さん。「『誰かの役に立つ仕事がしたい』。最初に病気が見つかった時も転移がわかった時も、祐樹さんの治療に切っても切り離せなかったのが、レントゲンやCT、MRIなどの放射線による画像診断でした。『ぼくは放射線技師になりたい。一人でも多くの患者さんの手助けがしたい』。祐樹さんはその夢をかなえ、今、診療放射線技師として働いています」。2017年のコラボ時には、祐樹さんにもお話を聞かせていただきました。2017年にコラボしていただいた際の記事ページは→こちらから)
最後に、チャリティーの使途を鈴木さんにお伺いしました。
鈴木:
チャリティーは、子どもたちの願いをかなえるための資金として活用させていただく予定です。ぜひチャリティーアイテムで応援いただけたら幸いです。
(「『歌のおにいさん、おねえさんと一緒にステージに立って歌いたい』という夢をかなえた悠生くん。会場にはたくさんの『応援団』が駆けつけてくださいました。メイク・ア・ウィッシュの活動を支えてくださっているのは、多くのボランティア=『夢の応援団』の皆さんです。30年間のご支援に心から感謝いたします」)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
今日や明日に小さな希望を持てること。それこそが生きる原動力であり、生活を豊かにしてくれるものなのだということを強く感じるインタビューでした。
当たり前のように命や健康や平和な暮らしがあって、当たり前のように明日がやってくるわけではないんですよね。「明日はこうしたいな」とか「今度これをしてみよう」と思えるのだとしたら、そんなにありがたい奇跡は他にないのではないでしょうか。
お話を聞かせてくださった鈴木さん、松尾さん、陣内さん、ありがとうございました!
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まるで本のページをめくるように、新しくやってくる今日という1日。
つらく悲しいことがあっても、夢と希望に満ちた願いが、今日を豊かにしてくれる。本から飛び出すたくさんの願い事は、そんな思いを表現しています。
“A wish begins with hope, hope begins with you”、「願いは希望と共に始まり、希望はあなたと共に始まる(あなたがいてくれるからこそ、そこに願いと希望がある!)」というメッセージを添えています。
絵の中には、活動30周年を祝う”30th”の文字も入っています!ぜひ探してみてくださいね。