
「尾道」と聞くと、多くの方が、海と山のある風景、そこに文化的でどこかレトロな、懐かしくて新しい町並みをイメージされるのではないでしょうか。
今でこそ移住者が増え、観光客も少しずつ増えている尾道ですが、平安末期、船による移動が盛んだった時代につくられた港町であるがゆえに、近代の車中心の社会になってからは、不便さを理由に離れる人が増え、空き家問題が目立ってきていたといいます。
18年前、空洞化した町を目前に「尾道の歴史的な建物と、景観を残したい」と活動をスタートしたNPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」が今週のチャリティー先!
「今、社会全体が、『使い捨て』の時代にあります。
便利ではない部分もありつつ、尾道には『豊かさ』があります。自然や歴史と、また人間同士がどう共存していくかということについて、尾道がひとつの見本になれたら」。
そう話すのは、代表の豊田雅子(とよた・まさこ)さん(52)。
活動について、お話をお伺いしました。

お話をお伺いした豊田さん
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト
広島・尾道固有の町並みや、営まれてきた暮らしの歴史を守るために、尾道の空き家を再生し、新たな活用を模索。「尾道らしいまちづくり」を発信・展開しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/06/22

昭和初期に建てられた別荘建築「尾道ガウディハウス」。「25年空き家になっていて、荷物はたくさんそのまま残っており、雨漏りやシロアリなど半分壊れかけた状態でした。当時の良質な材料と匠の技を極力残しながら、10年かけて泊まれる登録文化財として丁寧に再生し、現在は1棟貸しの宿として活用しています」
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
豊田:
空き家の再生活用や、空き家を活用した移住・定住支援、また、尾道の建物を活用したさまざまな企画やイベントなど、尾道の空き家の再生につながるさまざまな活動を行っている団体です。
移住・定住支援に関しては、尾道市の空き家バンク事業を20年近くやっており、空き家の大家さんと、住みたい人とをマッチングし、移住が決まる前、決まった後もさまざまなフォローを行います。
尾道に移住する多くの方が、住まいだけでなく、文化やコミュニティも含めて気に入って来てくださいます。せっかく移住したのだから、都会の暮らしでは得られないようなものを体験しながら暮らしてもらえたらなと思っています。
──良いですね。

港町として発展し、戦災を免れた尾道。「寺社仏閣や古民家が、斜面地にへばりつくように残る坂のまちです」
豊田:
素敵な趣味や特技を持っている方がたくさんいるので、人をつないだりイベントを企画したり、コミュニティ作りを積極的に行っています。
移住した人たちも一緒になって、尾道を盛り上げる当事者になっていってほしいとおもっています。
一時期は閑散としていた商店街も、移住してきた方がカフェやパン屋をオープンしたり、音楽やアートのイベントが開催したり…、少しずつ活気が戻ってきています。
私もですが、長く尾道に住んでいる人にとっても、移住してきた方たちのおかげで楽しい日常が増えていると感じます。

活気が戻ってきた商店街。「土曜夜店やお祭りが盛り上がりを見せています。写真に写っているのは、明治時代の町屋を再生し、ゲストハウスとカフェ、本屋さんを併設する『あなごのねどこ』です」
──盛り上がってきているんですね!
豊田:
もし、移住者がいなければ、ここも地方のシャッター街になっていたと思います。
商店街には、先祖代々営業されている老舗もありますが、時代に合わない商売だったり、後継ぎが尾道に帰ってこないなどといった理由で閉められるお店もあって、空き店舗がたくさんありました。でも少しずつ、移住してきた若い世代の方々の面白いお店ができてきています。毎月、商店街のどこかしらで工事をしていて、「次は何のお店ができるのかな」って、私もワクワクします。
地域に密着した八百屋さんとか魚屋さんのようなお店は、ある程度人口がないと、なかなか営業が難しいところがあります。今はネットでも食品が買えるし、郊外にいけば大きな商業施設がありますが、この先、尾道に定住する人がもっと増えれば、必要に応じて、そういったお店も復活してくれたらいいなと思います。

解体されて更地となった空き地を再生し、地域の親子の憩いの場「あちきこうえん」として活用。「毎月『空き地再生ピクニック』というイベント形式の集まりを開き、皆さんと炊き出しやプール遊び、ワークショップなどをして楽しみながら、菜園や花壇の整備などを行い、維持しています」

尾道ならではの風景。「山と海が近く、本当に猫の額ほどの平地しかない古い港町で、人と人がすれ違うのも難しいほどの細い路地が張り巡らされています。線路をくぐった山手の斜面地も車両が乗り入れできず、昔ながらの人が近い生活が残っています」
──尾道にはどのぐらいの人が暮らしているのですか。
豊田:
尾道市の人口は12万人ほどです。
高校卒業後、進学や就職で転出する若者が多く、高齢化率も高く、人口は減少傾向にあります。私も、進学・就職で20代は尾道を出て大阪で暮らし、その後、Uターンしました。
若い世代に「尾道から出ないで」というのではなく、都会での暮らしや仕事を経験した上で、「地元がいいな」って帰ってきてくれたら嬉しいなと思っていて、私たちの活動は、その時に、尾道での生活が成り立つような地域社会・経済状況を作っておいてあげたいという思いもあります。

「豪商がこぞって建てた別荘を、尾道では【茶園(さえん)】と呼びますが、絶景の千光寺のすぐ下に大正時代に建てられた茶園『みはらし亭』も、泊まれる登録文化財として再生活用し、世界からのゲストを受け入れています」
──「空き家の再生」ということですが、尾道が抱えている課題について教えてください。
豊田:
尾道の歴史を紐解くと、850年ほど前、平安末期に、内陸部で収穫された年貢米を京都に運ぶ積み出し港としてスタートした港町です。瀬戸内海にあって波や台風の影響が少なく、「天然の良港」として発展していきました。
江戸時代には、大阪と北海道を結ぶ西回り航路の物流船「北前船」の定期寄港地となり、その影響でさまざまな商売が繁栄しました。この時、海岸を埋め立てて広くしたり護岸工事を行ったりして、今の尾道の地形の原型ができました。
この時代、商いの町として黄金期を迎えましたが、船の時代は長く続かず、明治24年には、尾道にも鉄道が開通し、その後、自動車産業の発展もあり、海での輸送や移動が減っていく中で、徐々に衰退していきました。
船の時代に町が形成されているので、商店街の脇路地、斜面の石段…、鉄道駅からすぐの中心街でさえ、車が入れない道がたくさんあるのが尾道の特徴です。そうであるがゆえに、尾道でも他の都市と同様に車中心の社会が浸透していく中で、「車が入れないのは不便だから」と空き家が増えていくことになりました。

木造三階建の元産婦人科の建物を、シェアハウスとギャラリー、古本屋が入る複合施設として再生。「商店街も海も徒歩1分で行ける好立地で、車がなくても歩きや自転車で楽しめるコンパクトなまちなか暮らしが体験できます」
豊田:
港町として発展した時代に、斜面地にも家が多く建てられましたが、第2次世界大戦後にできた現在の「建築基準法」により、「幅4メートル以上の道路に、敷地が2メートル以上接していなければ」、新しい建物が建てられなくなりました。そうすると、尾道の道幅1mほどの狭い道路の脇に建てられた建物は、どこも基本的に建て替えができないということになります。
──確かに。
豊田:
「老朽化が進んでいるから」と空き家を取り壊すにしても、車も重機も入らない斜面地で、人の手作業で建物を一つずつ解体し、廃材を運び出すのは、多くの時間と手間、また費用がかかります。
また、建築基準法により再び建築ができないという点では、そこにあった建物がなくなって更地になることは、「尾道の景観がどんどん変わっていく」ことを意味します。今ある建物、空き家を大切に、人々が「直しながら、住み続ける」ことは、尾道の景観・尾道らしさを守ることにつながっているのです。

「幅1メートルほどしかない細い路地が残る尾道。家と家も、人と人も近い生活です」

海から眺めた尾道。「30ほどの立派な古社寺に加え、重厚な土蔵や長細い町屋、眺め重視の別荘建築やハイカラな洋館など、いろいろな時代のさまざまな様式の建物が、3キロ圏内ほどの町中に点在しています」
──尾道の魅力を教えてください。
豊田:
海と山と島に囲まれた地形に、狭い路地、坂と石段がひしめき合う旧市街が広がっている。それこそが尾道の魅力です。
「旧市街」と呼ばれるエリアは、広くても3キロ圏内、尾道市の中でも本当に小さなエリアですが、震災や戦災に遭うことなく、数々のお寺やレトロな建造物が、そのまま遺されています。
室町時代からの寺社が多くある港までの平地には、長屋などの古い民家がひしめき合っていて、江戸時代には財を成した商人が、山の斜面の高台に、眺めの良い茶室付きの別荘や、ハイカラな洋館住宅などを建てました。
小さなエリアに、まるで博物館のようにいろんな時代を反映する建物があって、ただ散策するだけで、楽しい場所です。例えるなら、神戸の10分の1ぐらいの地形に、京都のような町がぎゅっと詰まったようなイメージでしょうか。
──楽しそうですね。
豊田:
尾道が積み重ねてきた歴史が、景観としてそのまま残されています。
もし、この景観がリセットされてしまうと「何をどんなふうにしよう」って、ただ都会を真似たような町の姿になってしまうけれど、尾道の歴史と景観、アイデンティティがそのまま残されているので、それが今の指標になっているというか。
「海が見えなくなるのはやめよう」「お寺の景色とそぐわないのはやめよう」などというふうに、尾道に暮らす人たちの共通の認識として、基準になるものがあるんですよね。
──本当ですね。
豊田:
尾道の景観は多くの文化人を魅了し、さまざまな絵や写真、映画などでも表現されてきました。そしてそれは、地元民である私たちにも「尾道の姿」として刷り込まれてきました。
尾道の人たちが、共通して「これが尾道らしいよね」というビジュアルイメージを持っていて、皆が何かしら守ろうとしているというのは、あると思います。
2005年、JR尾道駅近くに13階建ての高層マンションの建設計画が持ち上がった際には、署名運動が起こり、最終的には市が建設予定地を買い取りました。
2007年には「尾道市景観条例」が施行され、尾道特有の景観や町並みを守るために、建物の高さやデザインなどに関する規制が設けられました。
尾道を愛する先人がたくさんいたことで、景観が守られてきたという部分も大きいと思います。

「南斜面は、海の方に向けて開口部を大きく開いた建物が並びます」

風呂なし・トイレは共同の昭和の古いアパート(旧楽山荘)を、ものづくりの発信地として再生した「三軒家アパートメント」。写真は、中庭でイベントを開催した時の様子
──豊田さんが、この活動を始められたきっかけを教えてください。
豊田:
1980年代に、尾道出身の映画監督・大林宣彦さんが、尾道を舞台に『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)を制作し(尾道三部作)、私が中高生だったその当時は、ロケ地巡りで賑わっていました。そのブームが過ぎ去った後、団塊の世代の多くが尾道を出たきり帰って来ず、町は空洞化し、30年ほど前から空き家が目立ってきていました。
尾道を離れて大阪の大学に通っていた頃、母が「空き家が増え、坂のまちがピンチ」という新聞記事を送ってくれて、ショックを受けました。
「いつかお金を貯めて、実家とは別に、尾道に友達を泊めたり趣味をやったりする家を持てたらいいな」という思いがあって、旅行会社の添乗員として働き出してからも、時々帰省しては、あちこちを歩き回り、良い物件がないか探していたんです。
そうやって歩き回っているうちに、空き家研究ではないですが、点在する空き家がどうしてそうなったのか、大家さんはどうしているのかなどに詳しくなり、市役所や町内会の人とも知り合いになっていきました。
当時は本当に空き家だらけで、旧市街だけで500軒はあったでしょうか。更地にしてしまうと再び建てられないところがほとんどで、「坂のまちとしての景観が失われてしまう」と危機感を抱きました。
──「尾道に戻る」という意志は、最初からお持ちだったんですね。
豊田:
はい。最初は「大学を卒業したら戻ろう」と思っていました。
しかし、ちょうど関西国際空港ができて、ヨーロッパが好きだったこともあり「若くて体力があるうちに、ヨーロッパに行ける仕事がしたい」と、大阪に残って、20代は添乗員としてバリバリ働きました。実はこの時の経験が、今の活動に大きく生きているんです。
ヨーロッパには、修道院や教会など、古い時代の建造物や歴史を生かしてつくられている町がたくさんありました。私は、新しい町や大自然へ行くよりも、古くて歴史を感じる文化的な町並み、そこで暮らす人々の営みを見ることが好きだったんです。

添乗員としてヨーロッパ各地を訪れた豊田さん。「この写真は、フランスのゴルドの町の前で撮った一枚です。歴史と自然を大切にしながらのまちづくりに感動しました」
豊田:
尾道に生まれ育ったらそうなのか、そういった町並みが好きだから尾道に戻りたいと思ったのか、どちらが先かはわかりません。
ただ、尾道と同じぐらいの規模の、あるいはもっと小さい町や村が、車が通れない不便さや田舎具合を、逆にその地域の良さとして、住んでいる人たちが誇りにし、さらに磨きをかけているような姿を、各地でたくさん目にしたんです。
──そうだったんですね。
豊田:
その一方で、日本は海に囲まれた歴史のある島国で、地域ごとにもっと豊かな個性や特徴があったはずなのに、スクラップ&ビルドでどんどん町の個性が失われ、チェーン店、マンション、ビル…、画一的な風景が各地に広がっている時代でした。
ヨーロッパから戻る度に「なんで日本はこうなんだろう。どこの景色も同じようになってしまっては、魅力を感じてもらえない」と思いましたし、ヨーロッパでいろんな町並みと、そこでの人々の営みを目の当たりにして、「尾道独特の地形や景観を大切にしていけば、きっとその良さを感じてもらえるはずだ」という確信を抱いていました。

「イタリア・アマルフィ海岸のポジターノという小さな海辺の町。車の入らない坂や路地の不便な町ですが、世界中から愛されています」

ガウディハウスの改修の様子。「車が入らないので、資材の搬入もバケツリレーで行いました」
──尾道に戻られてから、団体立ち上げまではどういう経緯だったのですか。
豊田:
先に話したように、当初は個人的に空き家を探していました。そこで最初に再生を手がけることになる「ガウディハウス」と出会ったんです。
1933年に建てられたこの家は、映画のロケ地にもなっており、私も以前から存在自体は知っていました。ただ、10坪ほどの小さな家で、海も見えないし、観光客も来ないような場にあって、自分としては選択肢になかったんです。
しかしある時、友人の紹介で、中を見せてもらう機会がありました。
25年間空き家だったガウディハウスは、2階から1階まで壁の半分が崩れ落ち、雨漏りも酷い状態でしたが、元々がすごく凝った造りで、すぐに惹かれました。
大家のおばあさんに「この家はどうするんですか」と尋ねると、「跡取りもいないし、修理して住むのも大変だし、更地にするにも問題があるし、どうしようか困っている」と言われて、直感で「壊しちゃダメだ」と思い、買い取ることを決めました。
そこから、大工をしている夫と一緒にガウディハウス再生プロジェクトを始めました。当時、2歳の双子の男の子を抱えて子育ても忙しく、お金もなかったので、本当に少しずつコツコツ改修し、気づいたら完成までに10年ほどかかりました(笑)。

改修に入る前のガウディハウス。「25年空き家だったので、荷物もそのまま、長年の雨漏りで半壊していました」
豊田:
ガウディハウスの再生プロジェクトのこと、尾道の他の空き家のこと、ヨーロッパで見てきた風景のこと、子育てのこと…、そういったことを日々ブログで発信していると、「自分も尾道に移住したい」「他に空き家はありませんか」という問い合わせが100件ほどあり、びっくりしたんです。
車は入らないし、家は古くて、トイレも汲み取り式。それでも「尾道の空き家に住みたい」という人たちがいて、「そんなニーズがあるんだ」と思いました。インターネットがあって、ニッチなテーマであっても同じような価値観の人たちとつながれたということも大きかったと思います。
探せば探すほど「もし自分たちにお金があったら、あっちも、こっちも直してあげたい」と思うようなもったいない空き家に出会い、でも私たち夫婦だけでは、宝くじで大金でも当たらない限り、再生は難しく…。

築100年を超える大林宣彦監督生家の前の石段で、子どもたちと撮った一枚
豊田:
とはいえ空き家の問題は、放置すればするほど深刻化していくことがわかっていたので、時間の問題だと感じていました。そんな中で「住みたい」という人たちの声は、大きな希望になりました。
ヨーロッパの古い町並みのように、もとの地形や歴史、建物を活かしながら新しいエッセンスを加え、町を次世代へとバトンタッチしていく。それがまちづくりのひとつのムーブメントとして日本で定着していくまで活動しようと思い、2007年、仲間たちと一緒に団体を立ち上げました。

「ゲストハウス『あなごのねどこ』完成の際に、スタッフや関係者と撮った記念写真です。まだ看板がついていませんが…」

朝焼けの尾道水道と町並み。「この眺めに、昔から多くの人々が魅了されてきました」
豊田:
団体設立から18年が経ち、おかげさまで移住希望者も毎月10組ほどあり、当初空き家だった家の多くは、今は空き家ではなくなっています。ただ、新たに空き家になる家もあって、空き家が完全になくなるということはありません。
それでも少しずつ、空き家を活用する良いサイクルが生まれています。
──豊田さんが残したい「尾道の風景」って、どんなものでしょうか。
豊田:
尾道ならではの景観と、そこに人がいる風景でしょうか。
一昔前はどこにでもあった、人間味のある、庶民的な暮らしが、尾道特有の町並みと一緒に残っていけばいいなと思います。

「空き家を再生して開店した、世界一小さなパン工場『ネコノテパン工場』。写真は、再生を手伝っている途中の休憩の風景です。お互いさま、助け合いは当たり前」
──豊田さんにとって、尾道はどんな場所ですか。
豊田:
私にとってはルーツであり、生きていく場そのものですが、そこに暮らす人たちの顔が見えて、「何かあった時に助け合える」という安心感がある場所です。
尾道での暮らしは、決して便利でありません。でも、たとえば普段ほとんど車にも乗らないので、ガソリン代が上がってもそんなに困りません。車が入らないので騒音もなく、静けさと安全があります。

「空き家の再生は、いつも家の片付けと運搬リレーの繰り返し。このマンパワーこそが、尾道空き家再生プロジェクトです!」
豊田:
今、社会全体が、「使い捨て」の時代にあります。
しかし、世の中が便利になっていく一方で、失われていくものがあります。私は、家さえも買い替えるような、今の社会の仕組み自体、おかしいと感じています。昔に建てられた建物は、きちんとメンテナンスをすれば、ずっと使えます。
…少し話が逸れますが、空き家問題が発生しているのは、世界でも日本と韓国ぐらいだと聞いたことあります。空き家問題には、社会のさまざまな歪みが反映されています。
これだけ空き家があり、かつ人口は減っていく一方なのに、いまだに新しいマンションを建設していますよね。
使い捨て、核家族化、少子化、待機児童の問題…空き家に関わっていると、そのほかのさまざまな社会問題もセットで見えてきて、すべてがつながっていることをまざまざと感じます。

最新の再生事例「VILLA WASAKU(小林和作旧居)。尾道市の名誉市民でもある洋画家・小林和作さんが亡くなるまで40年ほど暮らしたアトリエ兼住居で、解体の危機にあったものの、3年ほどの再生期間を経て、現在は文化施設としてアーティストや研究者の滞在制作、文化交流の場として活用されている。「写真は、施設に滞在中のアーティストさんとのバーベキュー交流会をした時の一枚です」
豊田:
最近は、空き家ならぬ「空きマンション」問題も出てきています。
マンションは、木造の家のようには解体できません。…目先の利益だけで動いたことのしっぺ返しが、少しずつ、確実に出てきています。
便利ではない部分もありつつ、ここには「豊かさ」があります。人間にとっては便利でも、自然や環境にとっては悪いということもあります。自然や歴史と、また人間同士が、どう共存していくかということについて、尾道は、それがうまい具合にできているように感じていて、そういう町と暮らしがここにあるという、ひとつの見本になれたらいいなと思っています。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
豊田:
尾道の空き家の再生には、たくさんのボランティアさんが携わってくださっています。
チャリティーは、ボランティアで関わってくださっている皆さんのドリンクやボランティア保険など、日々の空き家再生の活動資金として活用させていただきたいと思っています。
ぜひ、応援よろしくお願いいたします!
──貴重なお話をありがとうございました!

「現在、絶賛再生中の映画監督・大林宣彦さんの生家の前で。今年も暑い熱い夏になりそうです」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
建物や空間、まちというものは、それ単体では存在せず、そこに「人(人の動きや人の思い)」があって初めて息づいたり、色づいたりするものなのだということを、豊田さんのお話を聞きながら、改めて感じました。ハード面で空き家が「再生」されたとしても、ソフト面でそこに愛情をかけ、気にかけて集まる人がいなければ、それは本当の意味での「再生」とは言えないのだと思いました。
人が喜び、建物が喜び、まちが喜ぶ。そんな好循環が、尾道にあるのだなと思いました!

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尾道空き家再生プロジェクトさんが最初に手がけた「ガウディハウス」をモチーフに、尾道の文化的な景観や歴史などの背景を表現しました。
あえて無骨なタッチで描き、素朴なぬくもりを表現しています。
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