
視線入力などの技術を用いて、難病や重い障害のために寝たきりの子でも野球選手として活躍できる「ウルトラ・ユニバーサル野球大会」。
この野球大会を主催・運営する一般社団法人「ソーシャルアクションジャパン」が今週のチャリティー先!
団体を立ち上げた、代表理事の内多勝康(うちだ・かつやす)さん(63)は、元NHKアナウンサー。「何かの役に立てているという実感がほしい」と、50歳で社会福祉士の資格を取得し、障害福祉の世界に飛び込みました。
元々ディレクター希望だった30年間のNHK人生で、「何か気になるネタがあると、当事者や関係者にすぐに連絡をとり、取材する習慣ができていた」と内多さん。
障害福祉の世界で目の当たりにした現実、そして運命的な出会いが、内多さんを動かし、現在の活動へとつながっていったといいます。
ご活動について、お話を伺いました。

お話をお伺いした内多さん
一般社団法人ソーシャルアクションジャパン
重い障害や病気があっても全ての人が選手として活躍できる新時代の野球「ウルトラ・ユニバーサル野球」の主催・大会運営のほか、難病や重度障害の人たちの意思疎通やコミュニケーションのための技術的支援、インクルーシブな社会作りに資する活動を行っています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/06/15

第2回大会(2024年)に出場した、脳性麻痺の小学6年生(当時)の選手。不随意運動があるが、バッターボックスに入ると、必死でスイッチに手を伸ばした
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
内多:
「ウルトラ・ユニバーサル野球大会」という、難病や重い障害があっても選手として活躍できる野球大会の開催を、活動の柱としています。
2023年、有志で第1回大会を開催、そこから毎年度開催し、今年の11月の開催で第4回となります。団体としては、昨年(2025年)5月に法人化し、ちょうど1年を迎えました。
──難病や重度障害があっても活躍できる野球って、どんな野球なのでしょうか。
内多:
「ユニバーサル野球Ⓡ」という、両翼が5m、実物の20分の1の野球場があります。
ある脳性麻痺の男の子の「野球をやりたい」という夢をかなえるために、中村哲郎さんというか方が発明したものです。

両翼が5メートルある「ユニバーサル野球」は、実際の球場の20分の1の広さ
内多:
脳性麻痺があるので、実際にバットを振ることは難しい。バッターボックスに入る選手が、紐を引く動作でバットを振ることができるという仕掛けがされています。
──体を動かすことが難しくても、ボールを飛ばすことができるんですね!
内多:
そうなんです。僕は2022年、この「ユニバーサル野球」の大会が、各地の特別支援学校などで開催されているというニュースを偶然、テレビで目にしました。
当時、僕は国立成育医療研究センターの医療型短期入所施設「もみじの家」で、医療的ケア児支援の仕事をしていました。
王貞治・長嶋茂雄の時代に育っていますから、野球が大好きで、このニュースを見た瞬間に血が騒いで、すぐに中村さんに連絡をとったんです。会っていただけて、これが最初の一歩となりました。

「ユニバーサル野球」を発明した中村哲郎さん(写真左)と内多さん
内多:
ユニバーサル野球大会は、選手が球場に集まって紐を引く必要があります。
ただ、難病や重度障害があり、医療的ケアが必要な子どもたちの中には、寝たきりでそれができない子も少なくありません。ユニバーサル野球大会をそのまま開催するのは難しいのかなというのが、最初の印象でした。
──確かに。
内多:
一方で、楽しみながら視線入力の訓練ができる「EyeMoT(アイモット)」というアプリを開発されている、島根大学の伊藤史人さん(現在は岩手県立大学講師)を以前から知っていました。

「EyeMoT」開発者の伊藤史人さん(写真左)と
内多:
そこに中村さんとの出会いを重ねてみると、突然、魅力的なアイデアが閃きました。もしかしたら実現のために何かアドバイスをもらえるかもしれないと思い、伊藤さんにもコンタクトをとって、東京に来られるタイミングでお会いしました。
「寝たきりで体が動かず、球場に足を運んだり紐を引っ張ったりすることができなくても、視線入力で試合に参加できないか」と相談すると、あっさり「できますね」とおっしゃっていただいて。
こうして、中村さんの発明した「ユニバーサル野球」と、伊藤さんの視線入力の技術を組み合わせ、球場に行かなくても、パソコンとネット環境さえあれば遠隔操作でボールを打つことができる「ウルトラ・ユニバーサル野球」が誕生しました。

第2回大会の決勝の様子。「決勝戦は、19対18の壮絶な打撃戦!家族や支援者も、全力で応援しました」

2023年、記念すべき第1回大会の様子。「第1回大会には、難病や重度障害のある13名の選手が出場。東西戦の1試合だけが行われました」
──翌年の2023年には早速、第1回大会を開催されていますから、すごい速さですね!
内多:
…2022年の秋というのは、中村さんと伊藤さんにお会いし、翌年に「第1回ウルトラ・ユニバーサル野球大会」が誕生する、何か運命的なタイミングだったのかもしれません。
視線入力で野球ができるようになったからといって、資金的な問題がありますから、すぐに大会ができるとは思っていませんでした。でもちょうど同じ頃、あるロータリークラブさんから「難病児の支援をしたいから、寄付を受けてもらえないか」という申し出をいただいたんです。
そこで「ぜひこの大会の開催のために」とお願いして、ある意味とんとん拍子で、開催が決まっていきました。

視線入力でバットを振る選手。「選手は、目の動きやスイッチによる入力でパソコンを操作し、遠くの球場に、バットスイングに必要な信号を送信します」
内多:
重い病気や障害のある子どもたちが野球大会に参加する、その技術も、資金も揃った。あとは選手をどうやって集めるか。しかしこれも、「もみじの家」の呼びかけで全国47都道府県の医療的ケア家族のネットワークができていたので、「遠隔で参加できるから、ぜひエントリーしてください」と声をかけると、第1回大会には13人の選手が参加してくれました。
──選手も揃ったのですね!
内多:
記念すべき第1回大会は、高田馬場に借りたスタジオで開催し、YouTubeでライブ配信しました。
僕はNHKで長年働いた経験から、テレビの本格的な野球中継にできるだけ近づけたいと思い、放送席を作って実況や場内アナウンスをつけました。映像にもこだわって、複数のカメラで撮影して臨場感を高める演出も考えました。

東西で戦った第1回大会では、9回裏に西軍が同点に追いつき、延長戦に。延長10回、東軍が決勝3ランホームランで勝利を収める大熱戦となった
内多:
撮影やライブ配信は、こちらも「もみじの家」でお付き合いのあった、コンサートなどのイベントを手掛けられている「シミズオクト」という会社さんが協力してくださいました。
「重い障害のある子たちの野球大会を立ち上げたい」と話すと、スタッフの方たちが共感してくださって、二つ返事で「僕らは野球中継のプロじゃないけど、やりましょう」って言ってくださって。本当に、すべてがとんとん拍子で進んでいったんですよね。
アナウンサー時代からの経験、蓄積、もみじの家に行ってからのさまざまなつながり…。
…振り返ってみると、この大会は、僕のそれまでの人生の集大成のようにも感じます。

第1回大会が大成功に終わり、中村さん、伊藤さんと笑顔の1枚。「選手家族からは『子供の夢がかないました』『また参加したい!』という声が寄せられました」

ウルトラ・ユニバーサル野球大会は、難病や重度障害のある当事者と、18歳未満のきょうだい児も選手として参加できる
──ユニバーサル野球大会のニュースを目にした時に、「重い障害がある子どもたちも参加できるようにしたい」と思われたのですか。
内多:
もし、支援者として環境を整えられるのなら、難病の子どもたちにも野球ができるようにしてあげたいという思いはありました。
でも、ユニバーサル野球とEyeMoTに出会わなければ、諦めていたと思います。この二つに出会えたことで、僕の中で熱意が高まっていきました。

「第2回大会は一般公開され、選手の全力プレーに、観客席から大きな拍手が沸き上がりました」
内多:
難病や障害のある子どもたちとその家族は、社会の側に受け入れる体制が整っておらず、さまざまな困難を抱えています。
常に痰の吸引が必要だと、周囲の目が気になって外出することもままならなかったり、人工呼吸器をつけた子どもたちが、地域の学校に入ることを望んでも断られたり…。社会の中に居場所を見つけたいと願っても、壁を感じることの連続なのです。
そんな状況で、それでも何かをやろう、何かに挑戦しようという前向きなモチベーションが、果たして生まれてくるでしょうか。
「もみじの家」のハウスマネージャーとして8年間現場に身を置き、さまざまなご家族と接する中で、そう感じました。

「もみじの家」のハウスマネージャーとして働いていた頃の内多さん。「もみじの家では、医療的ケアだけでなく、子どもたちが子どもらしい時間を過ごせる日中活動にも力を注いでいます」
──そうだったんですね。
内多:
野球が好きで、野球をやりたいと思う。それは障害の有無に関わらず、抱いて当然の思いです。
でも一方で、僕は現場で、当事者が抱える厳しい状況をよく知っていました。
そんな中で偶然、ユニバーサル野球に出会い、視線入力で参加できることがわかり、資金面の支援をしてくださる方が現れて、選手を募る全国ネットワークもあって…。大会を開催するための、すべてが揃ってしまったんです。
僕は運命論者ではないけれど、逆算すると何か目に見えない、必然的な流れがあったのだと思います。周りのみんなが「やろうやろう!」って盛り上げてくれたことも、とても心強かったです。

第2回大会の様子。「実際に選手としてスポーツをするのは難しくても、この大会なら自宅や病院から、心配なく試合に参加できます」

NHKアナウンサー時代の内多さん。「『クローズアップ現代』のキャスターを務めた際、自らの提案で、医療的ケア児と家族が孤立を深めている現状を発信する番組を制作しました」
──内多さんが常にアンテナを張っておられたからこそ、生まれた大会でもあると思いました。
内多:
「面白そうな人がいたら、すぐにコンタクトをとって会いに行く」という習慣は、NHK時代に培われたものです。「もみじの家」にいる時も同じように行動していました。
僕は48歳で通信制の専門学校に入学し、50歳で社会福祉士の資格を取った後にNHKを早期退職して障害福祉の世界に飛び込んだので、現場で通用するスキルも専門性もなく、それは自分の弱点だと思っていました。
でも、それまでの取材経験で培ってきた感性や行動力を強みとして、この世界で「自分ならできるかもしれない」というところで力になりたい、勝負したいと思っていました。企画をプロデュースしたり、人を巻き込んだり、自分の得意なことで、自分の役割を果たしたいと思っていたんです。
──内多さんの役割とは?
内多:
当事者の声を社会に届けること。そのためのさまざまなサポートをすることが、自分の役割だと思っていました。
というのは、NHK時代の経験、また障害福祉に携わってきた中で、僕一人が訴えても社会は変わらなくて、「当事者の声こそ、社会を変える大きな力になる」という、ある種「思い込み」のようなものがあったからなんです。
「当事者の声こそ伝わる」というのは、NHKにいた時から、取材者として肌で感じていました。行政にとって、当事者の声は「住民の声」です。声がちゃんと届くことで問題が認識され、社会を動かすきっかけになっていくんですよね。

2019年、要望書を提出するために東京都庁を訪問。「都の教育長を前に、人工呼吸器を付けた小学生が『私を学校に行かせてください』と訴えました。この後、親の付添いなく通学できるようガイドラインが改正されました」
内多:
2021年9月に施行された「医療的ケア児支援法」では、目的の一つに「家族の離職の防止」が刻まれました。そのためには、医療的ケアが必要な子どもが親の付き添いなしで通学できるよう、学校のガイドラインを変える必要があります。
実は、法律施行の2年前に、僕も賛助会員になっている「東京都医療的ケア児者親の会」が東京都庁に要望書を提出したことがありました。その際、人工呼吸器をつけた小学5年生の女の子が、都の教育長の前で「皆と同じように勉強したり遊んだりしたい。私を学校に行かせてください」という手紙を読み、その後、人工呼吸器が必要でも親の付き添いなく通学できるよう、ガイドラインが改正されるという出来事がありました。社会が変わるその流れを僕も間近で見ていて、とても感動しました。
もちろん、一つの声だけで社会が変わるわけではありませんが、当事者の声こそ、最も大きな力を持つということ。この時の経験も後押しして「東京でできたなら、他の道府県でもできる」と、全国47都道府県に家族会とそのネットワークを作るために尽力しました。

2022年3月、47都道府県の家族会が揃い、全国ネットワーク発足の記念式典が開催された

「社会福祉士資格取得のために19科目を学び、180時間の現場実習を経て、国家試験にパスしました」
──内多さんのことはNHKのニュースでよく拝見していましたので、今日もこうしてお話をさせていただくのが不思議な感じでもあるのですが、そもそもなぜ、福祉の世界に転職されたのですか。
内多:
変な言い方だけど、僕は「何かの役に立っている」という実感がないと、不安になってしまうんです。アナウンサーをしていた時、日々の放送、ニュース一つとっても「これを伝える意味って何だろう」といちいち考えがちでした。
僕は入局した時は、アナウンサーではなく、裏方のディレクター志望でした。
僕自身、テレビからいろんな刺激やエネルギーをもらったから、今度は作り手に回って、見る人に何か良い影響を与える仕事がしたいと思っていたんです。
──そうだったんですね。
内多:
アナウンサーをやりながら、時々ディレクターとして自分の提案した企画が通り、放送を通して思い描くメッセージを発信できるというサイクルがあれば、納得いかない仕事も、頑張れたんだと思う。
だけど50歳を過ぎて、自分が伝えたいメッセージを発信できる番組を担当する可能性がほとんどなくなっていくということが見えてきた時に「自分が提案し、何かを生み出して、役に立つ」という、僕の希望が、限りなくゼロになると悟りました。
「何のためにやっているのか、役に立っているのか」という疑問を持ったまま仕事を続けることは、僕にはしんどかった。そんな時にちょうど「もみじの家」で、ハウスマネージャーを募集しているという話を耳にしたんです。
支援に直結する現場で、自分が役に立てているという実感を持てる仕事であることは間違いない。…自分の考えや理想を曲げないために、自分が心を安定させたくて、新しい世界に飛び込んだんです。
──そうだったんですね。

第2回大会の様子。「東北チームがそれぞれの自宅から試合に参加し、家族一丸となって優勝を勝ち取りました」
内多:
「マスコミから福祉の世界に!劇的な転職!」というふうに取り上げていただくこともあるのですが、僕自身の考え方や軸は、NHKの時からブレていないし、逆にいえば、軸をぶらさないための転職だった、ということになると思います。
──そもそも、福祉の分野とは接点があられたんですか。
内多:
僕は東京生まれ・東京育ちでしたが、身の回りに障害のある人はいませんでした。
1986年、NHKに入局して最初に配属されたのが、香川の高松放送局でした。
そこで与えられた最初の仕事が「高松ボランティア協会」主催のお祭りの司会で、そこで初めて、障害のある方と関わりました。
お伝えしたようにずっとディレクター志望だったので、縁もゆかりもない香川で、その後も「何か取材のネタはないか」と、ことあるごとにボランティア協会の事務所に通う日々が始まりました(笑)。
そうこうしている時に、「福祉タクシーが廃止される」という情報を目にしたんです。

高松放送局時代の内多さん。「高松ボランティア協会主催の『サンサン祭り』での写真です。このお祭りがその後の人生に大きな影響を及ぼすことになるとは、当時は全く思っていませんでした」
内多:
ボランティア協会の事務局長に話すと「福祉タクシーが走らなくなったら、外出できなくなる人が増える。深刻な問題だ」というので、実際に福祉タクシーを利用している人を紹介してもらい、取材に行きました。
「(福祉タクシーが)なくなったら大変」「なんとかしてほしい」という現場の声をもとに、局内で提案したところ採用され、ローカルニュースの中で、僕のリポートが放送されたんです。その後、福祉タクシーの存続が決まりました。
──存続になったんですね!
内多:
僕の放送が決定打になったとは思わないけれど、福祉タクシーの存続が決まり、誰かの役に立てた、そのプロセスにコミットできたという実感を得ました。それはすごい充実感で、「こういう仕事をベースに、今後のNHK人生を歩めたら」と思っていました。
障害福祉の現場には、社会のいろいろな矛盾があります。
その後も高松ボランティア協会の事務局長とは親しくしていただいて、いくつかドキュメンタリーを作ったりしているうちに、局内でも「福祉の分野は、内多に情報を集めよう」というふうになっていきました。
その延長で医療的ケア児をめぐる社会問題と出会い、やがて転職することになるのですが…。

第2回大会の様子。「各選手の周りには家族や支援者が集まり、熱狂的な声援が飛び交います」

「周囲からの歓声を受けると、選手の顔にもとびきりの笑顔が弾けます」
──ここまでのお話をお伺いして、内多さんの生き方として「より良い社会のために、アクションを起こし続けること」がとても大切なことで、それを追求してこられた先に、今のご活動があるのだなと感じました。…団体名にも「アクション」が入っていますね!
内多:
48歳で社会福祉士の勉強を始めた時、初めて「ソーシャルアクション」という言葉を知りました。
先生が「困りごとを抱えている人から相談を受けて、必要な制度やサービスとマッチングし、困りごとを解決するのが社会福祉士の仕事。でも、都合よくサービスや制度が揃っているわけではない。その時に『諦めましょう』と言うのではなく、無いのであれば、自分で行政や世論に働きかけて作ること。それが社会福祉士の仕事であり、ソーシャルアクションと言います」って教えてくれて。
それを聞いた時、「それを仕事にできたら、幸せだ」って思ったんです。
勉強したり議論したり、人の話を聞いたりというのもすごく大切で、僕もそういうことを一生懸命やっていた時期もありました。だけど、アクションが伴っていないとだめだと思った。
どれだけ口が達者で、人を論破しても、社会は変わらない。実際に誰かの、何かの役に立っているのか。今はSNSも盛んです。発信したり情報をキャッチしたりすることも大切だけど、そこだけで満足しちゃいけないんだろうなというのは、僕自身の戒めとしてあります。

「重度障害のあるお兄さんとお揃いのユニフォームで試合に参加した選手。家族が一つのチームとなって試合に挑みます」
──確かに。
内多:
僕はね、王貞治さんへの思い入れが強いんです。
選手時代の王貞治さんはファンの期待に応えて、毎年50本もホームランを打ってくれたんです。
子どもの頃、ナイター中継で王さんがホームランを打つと、半狂乱になるぐらい大騒ぎしました。6世帯ほどが住んでいるボロいアパートだったんですが、壁が薄くて声が筒抜けで、王さんがホームランを打つたびに僕が大絶叫するから、周りの住民たちはテレビを見ていなくても「あぁ、また王さんが一発打ったな」とわかるっていうぐらい(笑)。それぐらい心酔していたんです。
子どもの頃は貧乏で、日々、嫌なこともいっぱいありました。でもね、ホームランを打つ王さんの姿を見ると、次の日も頑張ろう!ってエネルギーが湧いて、「今日も、王さんのホームランが見られるんじゃないか」って毎日、すごく楽しみだったんです。
…振り返ると今の活動には何か、子どもの頃のそんな体験も、関係しているのかもしれません。いずれにしても、野球をやりたいっていう気持ち、大谷翔平選手に熱狂する気持ち…、それは障害があろうがなかろうが皆、同じようにあるんです。僕は、それを応援したい。
そして「野球ができる!」という可能性が見つかった時に、もう目が離せなくなってしまったんですよね。今、この活動をしながら、誰より僕が、ワクワクしています。

「一球入魂で、最後まで諦めない選手たちの姿。その姿はまさにアスリート魂を感じさせ、周りを熱狂させていきました」
──団体として、今後の展望を教えてください。
内多:
ウルトラ・ユニバーサル野球は、パソコンとネット環境さえあれば、世界中どこからでも参加できます。
日本に限らず、世界中の難病や重い障害のある子どもたちの「野球選手になりたい」という夢をかなえるお手伝いがしたいです。その第1弾として、2027年には台湾との国際交流試合が実現する見通しになりました。
そしてその先で、いろんな国の、障害のある人に対する気持ちが変わっていけばと願っています。必要な支援と環境さえ整えば、難病や重い障害があって寝たきりでも活躍できるという認識が広がり、社会が変わっていってくれたら嬉しい。
まだまだ差別的な待遇を受ける国もあると聞きます。野球という世界を熱狂させるエンターテインメントを通して、楽しみながら、そういう意識が広がっていくといいなと思います。

この秋、11月には第4回大会が開催されます!「第4回大会には、全国27チームから200名を超える選手がエントリー。近日中に、選手名鑑を公開予定です」
──読者の方に向けて、メッセージをお願いします。
内多:
僕はたまたま、障害福祉のフィールドに自分のやりたいことを見つけました。だからどこか「人のため、社会のためにやっている」っていうふうに見えているかもしれません。だけど、皆がこの類の取り組みをしないといけないなどとは思っていません。
皆さんそれぞれが、自分の人生を豊かに過ごせる、ワクワクできる「現場」を見つけられたらなによりですし、もし「自分のための現場」が見つからないのであれば、ぜひ「他の誰かのための現場」に飛び込んでいってほしいと思います。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
内多:
チャリティーは、難病や重い障害があっても選手として活躍できる「ウルトラ・ユニバーサル野球大会」を開催し、世界各地で「野球選手になりたい」と願う障害のある子どもたちの夢をかなえるための活動資金として活用させていただきます。
多くの方々に、応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!

第3回大会終了後、会場となった国立成育医療研究センター講堂にて、大会運営の裏方の皆さんとの集合写真。「大会は、50名を超えるボランティアやスタッフによって支えられています。ぜひ、応援よろしくお願いいたします!」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
笑顔で話してくださる内多さんの姿がとても印象的で、心からウルトラ・ユニバーサル野球を愛し、楽しんでおられることが伝わってくるインタビューでした。
自身の経験を、自分のためだけでなく、誰かのため、社会のためにも生かしていく。颯爽としたその姿がとてもカッコよくて素敵で、まさにスター選手のようでしたし、自分も「現場」に身を置いて、内多さんのように生きられたら、動けたらと思いました。
小さなアクションが、今日の自分や未来の社会を作っていく。人は皆、一人ひとり誰しもに、その力が宿っているんだということを改めて感じ、暗いニュースも多い昨今ですが、キラキラ輝く希望と、何か頼もしさ、心強さのようなものを感じる時間でもありました。
11月からは第4回大会、さらに来年には台湾との親善試合も予定されるとのこと。皆さまもぜひチェックしてみてくださいね!
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▼第2回ウルトラ・ユニバーサル野球大会ダイジェスト動画

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