
日本人の二人に一人がなるといわれている「がん」。
最近では、治療しながら仕事をしたり、学校へ通ったり、家族との時間を過ごしたり…、がんと共に生きる人も増えていますが、どこかまだ、がんのことを気軽に、オープンに話せないような雰囲気があるように思います。
「がんになった時、医療のことに関しては専門の医療者に聞くことができても、医療以外のこと、たとえば家族、仕事、学校、お金、育児、友人、恋愛、後遺症との付き合い方…、生活の分野に関することについては、なかなか気軽に聞ける場所が少ないのが現状です」。
そう話すのは、今週JAMMINがコラボするNPO法人「がんノート」代表理事の岸田徹(きしだ・とおる)さん(38)。
25歳の時、がんを発症した岸田さん。
自身の経験をきっかけに、12年前、インターネット上でがん経験者のリアルな経験談を発信する「がんノート」をスタート。これまでに配信した回数は500回を超えました。
活動について、お話をお伺いしました。

お話をお伺いした岸田さん
NPO法人がんノート
がんになった時、生活やお金、仕事や学校、家族などとどう向き合うか。
がん経験者の日常にフォーカスし、リアルな経験談をインタビュー動画で発信しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/05/25

ネット配信の様子。「大腸がん経験者の横山真さんをゲストに、今までの闘病経過をペイシェントジャーニー(感情グラフ)形式で伺っている場面です」
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
岸田:
がん経験者とのトークを、”笑い”を交えながら、ネットで配信している団体です。
家族のこと、友達のこと、仕事やお金、恋愛や結婚…。日常にフォーカスし、インタビュー形式で、リアルな経験談を語ってもらっています。
毎週木曜日の夜8時に配信している患者さんへのインタビュー番組「がんノートorigin」以外にも、テーマを決めてライブ配信を行う「がんノートnight」、originより短いインタビュー「がんノートmini」配信など、必要な情報を、必要な方に届けられるようにさまざまなかたちで発信しています。
──今でこそブログやSNSによる当事者の発信がごく当たり前になりましたが、活動を始められた12年前は、そういったことはまだなかったのではないですか。
岸田:
そうですね。芸能人など著名な方が、がんを公表されることも増えましたが、活動を始めた2014年は、ちょうどその流れが始まったぐらいの頃でした。
「がんノート」は、僕自身のがんの闘病経験がきっかけになっています。
僕は25歳の時に、胚細胞腫瘍(胎児性がん)になり、2度の手術と抗がん剤治療、再発も経験しました。
周りに同じような状況の人がいるわけでもなく、「今後どうなっていくんだろう」と、不透明な未来に戸惑い、とても不安で孤独でした。
がんになった時、医療のことに関しては専門の医療者に聞くことができても、医療以外のこと、たとえば家族、仕事、学校、お金、育児、友人、恋愛、後遺症との付き合い方…、生活の分野に関することについて、率直に知る方法がなかったんです。

1回目のがん治療。写真は手術後の様子。「体を動かすと傷口がつっぱったような感じになり、思うように動けずにいました」
──そうだったんですね。
岸田:
インターネットであれこれ調べてみても、個人の方が闘病や入院生活を綴ったブログが、ちらほらとあったのはあったのですが、社会復帰したのかどうなったのか、「その後」がほとんどわからない。
同じようにがんを経験した人が、どんなふうに病と向き合い、その後どうなっているかを知りたいのに、ロールモデルとなるような情報が、ほとんどありませんでした。
一方で、患者会に足を運ぶと、同じようにがんを経験した人たちからいろんな経験談を聞くことができたし、自分が困っていることに対して、「私はこうしたよ」とか「こんな方法があるよ」と具体的なアドバイスをもらうことができました。
患者会を通じて、がんの種類は違っても、仕事、生活、家族…、皆それぞれに同じような課題を持ちながらも日々を生きていることを知りましたし、ステージ4でも活動的な患者さんがいたり、若くしてがんと闘病している自分のような人がいたり…、さまざまな人と出会い、その価値観に触れ、僕自身、前を向くことができたんです。
闘病している場所は違っても、一緒に孤独を解消していけるような共通の空間を、インターネット上で作れないか。そんな思いで始めたのが「がんノート」です。

がんノート10周年記念イベントにて、参加者の皆さんとの集合写真。「10周年記念として福岡、大阪、名古屋、東京でイベントを実施しました。この写真は東京での集合写真です」

抗がん剤治療中の岸田さん。「薬の影響で、髪の毛も全て抜けてしまいました」
──岸田さんのがん経験について、もう少し詳しく教えてください。
岸田:
社会人2年目だった25歳の春、鎖骨あたりに小さな腫れ(しこり)ができていることに気づきました。
同じ時期に、寝汗をかいたり微熱が続いたりして体調もすぐれず、最初は近所のクリニックを受診したのですが、特に原因はわかりませんでした。
会社の健康診断でも特に悪いところは見当たらず、「大丈夫だろう」と思ってそのまま放置していたのですが、秋には、腫れがこぶし大にまで大きくなりました。
大きな病院で診てもらい、生検(生体組織診断)した結果、がんがわかりました。
──がんと告げられた時は、どのような気持ちでしたか。
岸田:
まさか自分ががんになるなんて夢にも思わなかったので、衝撃でしたし、まるで他人ごとのように感じました。
実は、最初「リンパ腫の疑いがある」と言われていたので「リンパが腫れる病気なんだ」と思っていたんです。しかし検査を受ける中で、先生たちのただごとでない雰囲気を何となく察し、「何か良くないものであろう」と薄々感じてはいました。そこでがんを告げられて「やっぱり、そうなんだ」と。
その後、抗がん剤治療に入っていくわけですが、自分ががんなのだという実感は、告知された時よりも、むしろその時の方が湧いたかもしれません。

「お見舞いに来てくれた家族や親戚、友人たちにメッセージノートにメッセージを記載してもらっていました。夜、1人でつらかった時は、このノートを見て治療を頑張っていました」
──そうだったんですね。
岸田:
告知を受けた時点で、がんは首だけでなく、胸とお腹にも転移していました。
「これだけ転移してたら、きっと死んでしまうんや」と思って、先生に「余命はどのぐらいですか」と尋ねると「5年生存率は50パーセントです」と。
「これだけ転移していて五分五分なら、まだ可能性はあるかもしれない」、そう思い、治療に挑みました。
──社会人2年目、仕事もこれからという時だったのではないですか。
岸田:
まさに、その通りです。
当時、僕はITベンチャー企業で広告営業をしていました。
2年目に入って自分でできることが増え、クライアントさんも抱えていたので、がんになって「これからの仕事はどうなってしまうのか」ということが何よりも不安でした。
がん告知を受けた時、誰よりも先に、相談していた上司に連絡したぐらいです。
勤めていた会社は、社員の平均年齢が28歳ぐらいの若い会社で、周りも若い人たちばかりでした。その分、病気のことにもフランクに接してもらえたのはありがたかったですが、「この職場にまた戻って来られるのか。社会復帰できるのか」という不安が、当時は一番大きかったかもしれません。
1年半近く休職して治療に専念し、その後、復職しました。
その時も会社が親身に相談に乗ってくれて、体力面などを考え、外に出なくても良いマーケティングの仕事に配置転換をしてもらったり、さまざまなサポートをしていただいたのですが、なかなか体調がついていかず、辞める選択をしました。
最初のがん治療から約2年半後に再発がわかり、再び治療することになったのですが、その時は、現在の職場である国立がん研究センターの広報企画室で働いており、そこでの入院・職場復帰だったので、比較的スムーズでした。

若年性がん患者団体「STAND UP!!(39歳までにがんに罹患した、がん経験者による団体)」が発行しているフリーペーパー
──患者会には、いつ出会われたのですか。
岸田:
比較的早い段階で、患者会とはつながっていました。
最初の入院をしていた時、同じ病院に通院治療に来られていた方が、患者会の冊子を手渡してくれたんです。「なにかの勧誘かな」と思って放置していましたが(笑)、数ヶ月経ってから中身を見て、患者会があることを知りました。目前に手術を控えている中で、「他のがん患者の人たちはどうしているんだろう」と、交流会に足を運んだのが最初です。
僕自身、関西人ですし、がんをできるだけポジティブに捉えようとはしていました。
家族や周りの人たちに心配をかけたくなくて、苦しくてつらくても、出さないようにしていたというのもあるかもしれません。
でも、自分一人になると、あれこれ思い悩み、悶々することが少なくありませんでした。
患者会に足を運んでみると、皆、同じようにがんと闘っているのに、未来を見ているというか。前向きというと語弊があるかもしれませんが、明るく先を見ている姿やそれぞれの形で日々を生きている姿が、すごく眩しかったんです。
一人で悩んでいた僕にとって、同じように治療中の人、治療を終えて数年経った人…いろんな人のがんとの向き合い方や考え方と出会えたことは、とても大きなことでした。
──闘病中の仲間や、治療を乗り越えてきた先輩を身近に感じられると、すごく励みになりますね。
岸田:
そうなんです。
実は手術の後、容態が悪くなり、呼吸が苦しくなって「自分はこのまま死んでしまうのかもしれない」ということがあったんです。その時、朦朧としながらも、ある思いが走馬灯のように駆け巡りました。
──どんな思いですか。
岸田:
三つあって、一つは、「親孝行をしておけばよかった」ということ。
もう一つは「友人や会社の人たち、いろんな人に支えられたのに、何も恩返しができなかった」ということ。もう一つは「自分のこれまでの25年間の人生は、何のためやったんやろう」ということでした。
「もし、この苦境を乗り越えて、生きることができたら…、自分と同じように苦しんでいる患者さんたちに向けて、一緒に闘病をがんばっていけるような発信をしよう」と決意し、その後、活動の最初の一歩となるブログを立ち上げました。
ブログで発信をしていた中で、2014年1月、別の団体の企画に呼んでいただき、動画の生放送(ニコニコ生放送)に出演する機会がありました。その配信で、視聴者の質問に答えたりコメントを読んだり、双方がリアルタイムに交流する様子を見て、自分のやりたいことに近いと思いました。
同年の6月には「がんノート」としてテスト配信をスタートし、今日に至っています。

記念すべき初回の配信の様子。「初めて配信をする際は、廃校になった小学校の図工室を借りるところからスタートしました。第0回として配信をしている様子です」

福岡でのイベントの様子。「仕事の仲間に、がんのことや治療のことをどこまで言うかの難しさ、家族の存在が大きな支えになったことなどが語られました」
岸田:
今、女性の二人に一人、男性の約6割はがんになる時代だと言われています。
普段の生活を送りながら、通院して治療する方も増えていて、「入院治療して終わり」ではなく「がんと一緒に生きる」時代にもなっています。
病室にいる時だけ、抗がん剤治療をしている時だけでなく、がんと関わりながら生きていく、そのさまざまなタイミングで、つらかったり、乗り越えていかないといけない壁があります。
当事者にとっては、治療中がつらいのはもちろんそうだけど、社会に復帰してからの体力面、お金の工面や恋愛、結婚、子育て…、生活や人生の不安に加え、再発の不安はずっと付きまといます。
その時に、いろんな人の「私はこうしたよ」「私はこうだったよ」という情報があれば、その中から、自分に合ったものや、参考にしたいと思うものを見つけられる。がんと一緒に生きていく上で、何かヒントにしてもらえたらと思っています。

名古屋でのイベント配信の様子。「乳がん経験者の髙木玲香さんと、悪性リンパ腫(MALTリンパ腫)経験者の豊田敏希さんと、がん治療や仕事との両立についてなど、明るくお話をしました」
──「”笑い”を交えながら、」という点が、良いなと思いました。
岸田:
つらくて苦しい話をずっと聞いていると、苦しくなってしまうので…、動画を見た際にクスッとなるというか、ちょっとでも心が軽くなってもらえたらと思っています。
もう一つ、これは動画の良さなのですが、たとえば文字で「つらい」と書いてあると「つらい」んだけど、動画の場合は、同じ「つらい」でも、たとえば笑いながらだったりすると、伝わるニュアンスもまた変わってきます。
見てくださった方の心が、ふっと軽くなってもらえるような動画になればいいなと思っています。

大阪でのイベントの交流会の様子。「参加者の患者さんが今の心配事などを共有し、それについて皆で話し合っています」

がん教育として、全国の小学校や中学校、高校などに赴いて、がんや命に関する出張授業も行っている
岸田:
がんが本人に告知されない時代もありましたが、今はそうではありません。
ただ未だに、たとえば「近所の人には、がんのことを言わないように」というふうに、がんがどこかタブー視され、隠されることもあります。
二人に一人ががんになる時代なのに、です。
命がかかっている病気なので、もちろん状況にもよりますが、「つらい、苦しい」だけでなく、笑って話せることもたくさんあればいいなと思うし、がんの治療やその経験が、ごく普通に、日常に溶け込むものになっていけばと思っていて、世の中が、がんに対してもっとオープンになれば、その部分も変わっていくんじゃないかと思っています。
その点でも、「がんノート」の発信が、患者さんだけでなく、友人やご家族、一般の方たちもがんのことを知ってもらったり、考えてもらうきっかけや、ヒントになればと思っています。
僕たちの発信の共通事項は「がん」ですが、その方が人生の転機をどう受け止め、向き合い、乗り越えてきたのかを発信することは、がんに限らず、他の方たちが人生を生きていく上で参考にしてもらえたり、希望にしてもらえたりすることもあると思います。

「2018年12月、目標としていた100回の配信を記念した公開生放送・記念パーティでの一枚です。ゲストには、同じがんを経験した兄を迎えました」
──ご自身の闘病経験をきっかけに「がんノート」を立ち上げられて12年、岸田さんにとって「がん」、「がん闘病」とは、振り返ってどのようなものだと感じておられますか。
岸田:
「今後の人生を考えるきっかけをくれた(パズルの)1ピース」でしょうか。
僕は学生時代、世界一周をしながら、旅先で出会う人たちにインタビューをしていたことがあるんです。
その後大学を卒業し、IT企業に就職するのですが、この時はまだ、自分が本当にやりたいこと、「自分はこのために生きているんだ」ということが見つかっていませんでした。
25歳でがんと告げられた時、「これが自分に与えられたことだ」と思えた。
学生時代のインタビュー経験、社会人時代にIT業界で身につけた知見、そこに「がん」というテーマを組み合わせて発信することが、僕のやること、僕の使命だと思えたんです。
がんになったことは、決して良かったとは言えません。だけどがんになったことが、自分の人生を生きるきっかけになったように思います。

より多くの人に、がんを身近に考えてもらいたいと開発したボードゲーム「がんノートJOURNEY」。2025年には、グッドデザイン賞を受賞した
──そうだったんですね。
読者の方にメッセージをお願いします。
岸田:
「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せ」。
これは、高校生の時にがんを発症し、20代で亡くなった原澤つぐみちゃんが遺してくれた言葉です。この言葉を、メッセージとしてお伝えしたいです。
…すごく深い言葉だと思っていて、もちろん、闘病の中で、つらいことや涙することもたくさんあるけど、限りある人生の中で、少しでも笑える時間、楽しい時間があるようにというのは、僕自身、常に意識しています。
…と言いつつ、このインタビューで笑えることを全く言えていなくて恐縮ですが(笑)、動画を見てくださった患者さんやご家族が、苦しいこともたくさんある中で、ふっと笑えるような時間を作ってもらえたら嬉しいし、そういう時間を少しでも増やしてもらえるように、これからも発信していきたいと思っています。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
岸田:
チャリティーは、「がんノート」の配信・運営費や、リアルイベントの開催費、また子どもたちにがんに関する知識を伝える「がん教育」の出張授業等、がん患者のリアルな情報の発信や、啓発のための活動費として活用させていただく予定です。
ぜひ応援いただけたら嬉しいです!
──貴重なお話をありがとうございました!

100回記念の様子。「これまでの活動を通して、多くの方にイベントの参加や、YouTubeを視聴していただけました」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
病気を告げられ、家族や友人、会社の仲間…、周りの人たちは普段と変わらない(ように見える)のに、自分だけがまるで別の世界に身を置かれたように感じる。そんな時に、同じがんと闘う人たちの生きる姿、その経験談や笑顔は、ものすごく力になると思いました。
がんになっても、その人らしい時間、何気ない時間を生きる。
そのためには、がんになった本人だけでなく、周りの人たちの理解も不可欠なように思います。この機会にぜひ、考えてみませんか。
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【2026/5/25-31の1週間限定販売】
鳥(ハチドリ)のかたちをした星座を描きました。
星の一つひとつは、がんを経験した一人ひとりの命の輝きを表しています。小さな星が連なることで、それがまた誰かのみちしるべや希望となることを表現しました。
また、一つひとつの星は、治療の間のさまざまな出来事を表現するものとしても描きました。つらいことやしんどいこともありながら、時に笑い、時に楽しみ、力強く、人生を謳歌する姿を表現しています。
“Every story shapes you(一つひとつの物語が、あなたをかたちどる)”というメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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