CHARITY FOR

夢の実現が、次のステップに。「夢は、ずっと続いていく」〜公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン

今週のコラボ先は、難病の子どもたちの夢をかなえるお手伝いをされている公益財団法人「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン(Make-A-Wish Japan)」さん。
JAMMINとは過去に2度、コラボをしていただきました。

「『夢をかなえる=ゴール』ではありません。ゴールはまだ迎えていなくて、夢を応援し続ける道は、今も、そしてこれからも、ずっと続いています」と話すのは、事務局長の鈴木朋子(すずき・ともこ)さん。

今回は鈴木さんと、2024年に「洋服のデザインをしたい。自分の身体にぴったり合ったセットアップを作りたい」という夢をかなえた藤井大輝(ふじい・たいき)さん(享年18)のお母様の藤井由美(ふじい・ゆみ)さんにお話をお伺いしました。

2024年4月、完成したセットアップを着た大輝さんと、お母様の由美さん

今週のチャリティー

公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン

3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ、生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立された団体です。日本だけでなく他にも40の国に支部を置いて活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/04/14

「オリジナルのセットアップを作りたい」

2度目のがんを発症する前、野球に打ち込む大輝さん。「幼少期は器械体操とサッカー、小学校1年生から中学3年生までは野球、高校では陸上と、体を動かすことが大好きでした」

──今日はよろしくお願いします。大輝さんは2024年に夢をかなえられたそうですが、どのような夢だったのですか。

藤井:
「洋服のデザインをしたい。自分の身体にぴったり合ったセットアップを作りたい」という夢をかなえていただきました。

──ファッションに興味があられたんですね。

藤井:
いえ、もともとは、そこまでファッションに興味があったわけではないんです。

息子は2度、稀少がんに罹患しています。1度目は生後5ヶ月の時で、若年性骨髄単球性白血病と診断され、生後10ヶ月の時に造血幹細胞移植を受け、2年後に寛解しました。

造血幹細胞移植の合併症でGVHD(移植片対宿主病)を発症し、皮膚のダメージがあったり髪の毛が薄かったりして、小さい時から容姿にコンプレックスを抱いていました。しかし高校1年生で再びがんを発症するまでは、部活で野球や陸上に打ち込み、ごく普通に過ごしていました。

生後8ヶ月の頃の大輝さん。造血幹細胞移植前の一時退院中の一枚

藤井:
2度目の治療でまた脱毛が始まった時、息子は同級生たちとのギャップに苦しみ、通院以外はほぼ自宅に引きこもるようになりました。

そんな時に気に入ったウィッグに出会い、それをきっかけに、ファッションの世界に興味を持つようになったんです。
通院治療だったので、治療の合間を見つけては、梅田(大阪のファッション中心地)に買い物に行くようになりました。でも息子は背もそんなに高くなく、かなり細身だったので、自分にぴったり合う洋服がなかなか見つからなかったんです。

気に入った服を見つけても、ウエストを絞ると、せっかくのシルエットがどうしてもきれいにならない。無理難題を承知で「メイク・ア・ウィッシュさんにお願いしてみよう」となったのが最初でした。

とはいえ、「イメージした通りのものができないんだったら、俺はやらないから」のような、独特の気持ちもあって。
応募したのは18歳になる直前で、申し込めるギリギリの年齢だったこともあり、最初の打ち合わせの時は、希望を全てぶつける感じで熱弁していました。

──そうだったんですね。

藤井:
オンラインでの初回の打ち合わせの時、関西支部のスタッフの方に「お話をお伺いするのは2度目なんですよ」と言われました。実は1度目にがんを発症した時に、「家族でディズニーランドに行きたい」という夢を聞いていただいていたんです。

この時は事情があって辞退させていただいたのですが、もしあの時、夢をかなえていただいていたら…、今回の夢の実現はありませんでした。

鈴木:
関西のスタッフから「大輝くんから、こんなウィッシュをお申し出くださったけど、できるかしら」と私のところに相談があった時、「お約束はできないけれど、すごくうまくいきそうだ」という直感が働きました。
「協力してくださる方が、きっと見つかる」という予感がしたのです。

そこからは、まるでレールが敷かれていたように、すべてがうまくいきました。

打ち合わせ時に、「こんなセットアップがいいんだ!」とイメージを見せる大輝さん

藤井:
凝り性なのもあって、打ち合わせの時に希望を言い過ぎていたので(笑)、「きっとダメなんだろうな」と思っていました。なので、ご連絡をいただいた時は本当にびっくりしました。

鈴木:
お母さまは「言い過ぎ」とおっしゃるけれど、私たちはむしろ、ご本人からたくさんご要望をいただけるのが嬉しいんです。「なんとかしてかなえたい!」という力が湧いてくるし、やりがいを感じます。

大輝くんの夢の実現に関わってくださった皆さんも、大輝くんの「最高のものを作りたい」というこだわりと強い思いが嬉しくて、それをかなえるために「あんなのはどうか、こんなのはどうか」と、次から次へとアイデアを出してくださいました。

自分の思い描くセットアップのイメージに合わせて、生地やボタンを真剣に選ぶ大輝さん

「セットアップを着ることで、
心の鎧を脱ぐことができた」

大輝さんにぴったりのサイズにするために、ミリ単位で細かく採寸しているところ

──夢の実現はどのように進んだのですか。

鈴木:
ご協力いただいた会社の東京・青山のオフィスで、デザイナーさんはじめ最前線で働かれている方々が集まって、大輝くんの要望を聞いてくださいました。

藤井:
自分の好きな服を何個も持って言って、生地選びから始まって、上着はこれで、ここはもっとこういうふうにしたいといいながら、プロの方たちとやりとりをさせてもらい、本人はとても喜んでいました。夢のような時間でした。

──そして、セットアップが完成したんですね。

藤井:
初めてセットアップを着た時は、とにかく喜んでいましたね。何よりぴったりなことに驚いて、すごく嬉しそうでした。

「セットアップに合わせて、オリジナルのアクセサリーも作っていただきました」

藤井:
私たちがさらに驚いたのは、セットアップに、息子用にデザインしてくださったオリジナルのブランドタグをつけていただいていたことです。

打ち合わせの際、息子が「百合の花が好き」と話したみたいで、皆さんがそれを覚えていてくださって、百合の花をモチーフにしたロゴを作ってくださったんです。
セットアップが入ったケースやハンガーにもそのロゴを入れてくださっていて、そのこだわりが、本人はとても嬉しかったみたいです。ものすごく喜んでいました。

──かっこいいですね、嬉しいですね!

大輝さんが一番好きな花、ユリをモチーフに、大輝さんのために作られたオリジナルロゴ。「イメージ通り!と喜んでいました」

藤井:
私たち親子はセットアップを作っていただいて終わりと思っていたのですが、「せっかくだから、撮影もしようよ」というご提案をいただきました。

息子も最初は「えっ」と思ったと思います。
というのは、最初にお話ししたように、0歳の時の骨髄移植の影響でずっと容姿にコンプレックスがあり、小さい時からカメラを向けると逃げてしまう子だったんです。

でもこの時、皆さんの思いに乗せられて、しかも撮影場所が渋谷と聞いて、「ちょっと行ってみたい」という気持ちもあって(笑)、喜んで行きました。

──撮影はいかがでしたか。

藤井:
メイクさんに「メイクはどうする?しなくてもいいよ」と聞かれた際に、「お願いします」と答えていたので、「おっ、やる気になってきたな」と思いました(笑)。

初めてのメイク。「眉毛を描くことに抵抗があったのですが、あまりにも自然な出来栄えで大満足のようでした」

藤井:
メイクをして、セットアップを着て、さらに用意してくださっていたアクセサリーも身につけて、撮影が始まりました。アクセサリーは、最初は「ちょっと‥」という感じだったんですが、いろいろ試させてもらったらすごく素敵で、つけたいと思ったみたいです。

たくさんの方の視線を浴びながら撮影する息子の姿に、私も驚きました。19年生きてきた中で、こんなことは一度もなかったんです。

撮影の中で、本人がこれまで抱えてきたコンプレックスから解き放たれていくのを感じました。世界にたった一つのセットアップを作っていただき、それを着ることで、心の鎧を脱ぐことができたんじゃないかなと思っています。

約1時間の撮影で、撮った写真は300枚以上!撮影は、大輝さんの体調に配慮しながら進められた

セットアップに込められた、
大輝さんのもう一つの夢

「最初は恥ずかしそうにポーズをとって写真チェックをしていましたが、撮影がすすむにつれ表情もチェックも真剣になっていきました」

藤井:
息子の夢には「作ってもらったセットアップを着て、積極的にAYA世代(15歳〜39歳)のがんの啓蒙活動をしたい」というもう一つの思いがありました。

治療の副作用から容姿に自信が持てず、家に引きこもりがちだった時期に「同じように困っている人たちの力になれたら」と、自身の経験を発信するようになり、いろいろな場所で話をする機会をいただいていたんです。

メイク・ア・ウィッシュに申し込んだ頃から、海外に向けても活動をしようとしていて、登壇が決まっていました。そこでも身につけて、よりしっかりした姿勢で活動に挑みたいという、息子にとって、まさに戦闘服だったのだと思います。

──そうだったんですね。

「打ち合わせの時に着ていた黒いインナーが好評で、撮影時にも使用することになり、白いシャツのバージョンと、2パターン撮影しました」

藤井:
実は、セットアップとあわせて、帽子も一緒に作っていただいているんです。
息子は梅田に行く時はウィッグをつけていましたが、啓蒙活動の時は、素の自分を知ってもらうためにウィッグではなく、帽子をかぶると決めていました。

彼の思いと覚悟を詰めこんだ、トータルコーディネートを作っていただいたんです。

──闘病しながら、啓蒙活動に力を入れておられたのはなぜですか。

藤井:
「完治は難しい」と言われていましたが、塞ぎ込んでも仕方ないから前を向こうと思った時に、他にも立ち止まっている人がいたら、一緒に前を向いて行こうよという思いがあったようです。

希少がんを2度経験しているので「治療薬を開発してほしい」という思いもあり、当事者である自分が声を上げなければと活動していました。

また、患者が治療の外側にいるのではなく、患者と医療者が尊重し合い、患者自身が選択し治療をすすめていくというかたちがスタンダードになればという思いや、自分が発信することで、自身が経験した治療と学業の両立の難しさを解消する環境が整備されればという思いもあったようです。

由美さんのお気に入りの一枚。「息子が、自分を応援してくださる方々を間近に感じ、笑顔を見せた時の一枚です」

闘病の中でも大学受験を目指し
常に前向きだった大輝さん

2023年12月、東京国際フォーラムで開催された、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)が主催する「AMED社会共創EXPO」にパネリストとして参加。一緒に登壇した方たちと

──大輝さんが前向きに病気と闘っておられたことが伝わってきますが、闘病はどのようだったのですか。

藤井:
2021年11月、15歳11ヶ月で2度目のがんがわかった時、1度目のがんで骨髄移植をしているので、医師からは「治療に耐えうる体かどうか責任が持てない。どこまで治療ができるかわからない」という話がありました。

さらに半年ほど経った時、「手術は難しい」という話があったのですが、その意味を本人がどこまで理解していたのか…、今となってはわかりません。

ただこの時、大輝から「自分のことは自分で決めたい」と言われて、そこからは主治医の先生の話やセカンドオピニオン…、つらいことも含めてすべて、同席して一緒に聞くようにしていました。

余命をはっきり告げられる時もありましたが、現実を突きつけられながら、あえてお互い、何も言いませんでした。二人して変に能天気という言い方も変ですが、「前を向いていこうか」という感じだったと思います。あえて触れないようにしていたかもしれません。

ただ、思ったよりも体が元気で治療を続けることができて、「このまま良くなっていくんじゃないか」という思いもあったと思います。良くも悪くも、前向きでした。

──そうだったんですね。

病室で、オンライン院内学級「KAYOUプロジェクト」のマンツーマン授業を受ける大輝さん。「自分のやりたい研究と治療中心の高校生活だったため、大学生になって青春を取り戻したい!と頑張っていました」

藤井:
2022年の春に始めた陽子線治療が効き、一度、症状が良くなったタイミングがありました。
その時、本人から「治療を休みたい」という申し出がありました。主治医も私たちも反対しましたが、「どうしても休みたい」と。
治療もメンタルもかなりしんどかったようですが、当時高校2年生で、いちばんは「大学進学のために、受験勉強がしたい」と。治療を休み、塾に通って勉強していました。

翌年2月、肺への転移がわかった時は落ち込みました。
本人にとっては「治療の副作用で勉強ができなくなる。受験に間に合わない」という思いが大きかったようです。

2023年9月、分子標的薬の臨床試験に入ることが決まり、それは抗がん剤と違って大きな副作用も出ず、わりと元気に過ごしていました。そんな中でウィッシュに申し込み、夢をかなえていただきました。

2024年の頭から制作を始めて、完成したセットアップを着て撮影をしたのが2024年4月。
6月には話すことができなくなり、8月に亡くなりました。

──大輝さんの闘病生活を振り返って、どんなことを思われますか。

藤井:
すごくいろんなことを頑張っていました。
…つらいことやしんどいことがたくさんあったけど、泣いたり喚いたりすることはほとんどありませんでした。

息子は「普通」にこだわり続けていました。幼い頃から、自分が他の人とは違うことを感じていたからかもしれません。息子は最後まで、私が仕事を続けて「普通の生活」を送ることを望んでいました。

生前、息子がいろいろと啓発活動をする際に私もついていったのですが、その時によく言われたのは、「俺は俺、ママはママだからね」という言葉でした。
今思えば…、息子が亡くなって、私が共倒れすることを心配していたのかもしれません。

「普通」を望んでいた大輝さん。「写真は、『運動できない自分は俺じゃない』と、大阪国際がんセンターに併設されている、がん特化型運動施設で、がん運動専門指導士とマンツーマントレーニングをしているところです」

「夢の実現は、最高に楽しい時間だった」

スタジオ撮影時、とびきりの笑顔を見せる大輝さん

──メイク・ア・ウィッシュさんで夢を実現されたことには、どのような思いがありますか。

藤井:
感謝しかありません。
息子を応援してくださるのがすごく嬉しかったし、息子が亡くなった今でも、こうしてつながっていられることがすごく嬉しいです。

夢の実現をサポートしてくださった皆さんもまた、このプロジェクトを心から楽しんでくださっているのが伝わりました。一人の人間として認めてくださり、対等に、真剣なやりとりをしてもらえたこと。それが息子にはすごく嬉しかったし、最高に楽しい時間だったと思います。

──夢の実現のために尽力された鈴木さんはいかがですか。

鈴木:
私からすると、本当にすばらしい夢の実現のお手伝いをさせていただけたと思っています。
現場はいつも和気あいあいとしながら、「大輝くんという大切なクライアントから発される要望を、いかに間違いなくくみとってかたちにするか」という思いで、皆が真剣でした。
服づくりに携わるプロの方たちにとっても、本当にやりがいのあるお仕事だったと思います。

大輝くんの思いはピュアで、ブレることがありませんでした。
大輝くんはいつも礼儀正しく、言葉づかいも丁寧で、その言葉一つひとつが控えめでありながら、でもしっかりした芯があって、耳を傾ける私たちに「さあ、大輝くんのために頑張ろう!」と思わせてくれる力を持っていました。

わがままや欲望でなく、心からの願いを、言葉として明確に伝える能力が非常に長けていた方なのだと改めて感じます。

撮影の後、今回のプロジェクトに携わった皆さんから申し出があり、大輝さんのために作られたルックブックがプレゼントされました。「ここまでブランドとして扱ったもらったことに満足していました。照れながら、自慢げに医療従事者の方にも見せていました」

「夢を応援し続ける道は、ずっと続いていく」

ご自宅のダイニングテーブル横にある大輝さんの写真。「今も変わらず、一緒にいます」

鈴木:
今でも、関わってくださった方たちから「大輝くんの願いを、僕らは本当に全部くみとれたんだろうか」とおっしゃっていただくんです。「もっとできたかもしれない」という思いを、今でも持ち続けてくださっていて、大輝くんの夢が間違いなく、今も続いていると感じます。

今回の夢の実現をきっかけに、「AYA世代のがんのことを広めたい」という大輝くんの思いがこれからもひろがっていくことを、関わってくださったすべての皆さんが、望んでくださっています。

いろんな方の夢をかなえるお手伝いをさせていただいていますが、大輝くんに限らず「夢をかなえる=ゴール」ではありません。ゴールはまだ迎えていなくて、夢を応援し続ける道は、今も、そしてこれからも、ずっと続いているんですよね。
そして、私たちがお手伝いできるのは1回ですが、夢の実現が次のステップとなって、本人やご家族がそれぞれにまた新たな夢を描き、それに向かっていかれる姿は、私たちにとって大きな喜びであり、原動力です。

もっと多くの方にメイク・ア・ウィッシュを知ってもらいたいし、皆さんと一緒に、素敵な夢をかなえたいと心から思います。

──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。

鈴木:
チャリティーは、子どもたちの夢をかなえるための資金として活用させていただきます。ぜひ、夢をかなえる仲間に加わっていただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

「願いをかなえた大輝さんから、素敵なメッセージをいただきました。今でも大輝さんの夢は、輝き続けています」

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

実は大輝さんには以前、AYA Weekさんとコラボしていただいた時の記事ページに、お写真で登場していただいています。インタビュー前に鈴木さんから大輝さんの資料を送っていただいた時、「あれっ!」と驚き、とても嬉しくなりました。

お名前の通り、大輝さんの夢は今も大きく輝き続け、今日という日に夢や希望を抱いて立ち向かう素晴らしさを、教えてくれているのではないでしょうか。

・メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン ホームページはこちらから

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【2025/4/14~20の1週間限定販売】
メリーゴーラウンドとそれに乗るクマを描きました。
星が散りばめられたメリーゴーラウンドで夢のひとときを、クマが行き違いざまに目を合わせて微笑む姿は、ひとつの夢の実現が、また次の夢へとつながっていく様子を表現しています。

“Every wish starts with you”、「すべての願いは、あなたから始まる」というメッセージを添えました。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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