CHARITY FOR

壊れつつある「遊びの生態系」。大人を巻き込みながら、子どもたちの「いのちのしくみ」である「遊ぶこと」を守る〜一般社団法人TOKYO PLAY

今、子どもたちが自由に、思う存分遊べる空間や時間が減っているといいます。
塾や習い事に忙しく遊べる時間がない、そもそも遊べる場所がない、場所があっても自由に遊ぶことが許されない…、子どもが思いのままに自分の「やりたい」を追求したり表現したりする世界が、大人たちの都合によって壊されつつあります。

今週JAMMINが1週間限定でコラボするのは、一般社団法人「TOKYO PLAY」。
子どもが遊ぶことがずっとずっと守られていくように、遊ぶことの大切さを理解し、受け止める大人を増やしていきたいと活動しています。

「遊ぶことは生まれた時から人間に備わっている本能であり、『いのちのしくみ』。今、失われつつある『遊びの生態系』を、皆で守っていきたい」

そう話すのは、TOKYO PLAY代表理事の嶋村仁志(しまむら・ひとし)さん(54)。

活動について、お話を聞きました。

(お話をお伺いした嶋村さん)

今週のチャリティー

一般社団法人TOKYO PLAY(とうきょうプレイ)

「Play Friendly Tokyo〜子どもの遊びにやさしい東京を〜」をビジョンに、子どもが遊ぶことを保障するための活動をしています。遊べる環境や空間をつくり、遊ぶことの重要性を伝えています。

INTERVIEW & TEXT BY MINA TANAKA/ MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/8/22

今、子どもたちの「遊び」が脅かされている

(2019年、ベトナムにて、現地の団体と共に遊び場づくり。「顔見知りでもそうでなくても、そこにいる子どもたちが自然と一緒に遊べるような場になっています」)

──TOKYOPLAYさんは、遊ぶことの大切さを伝えるため、遊べる空間づくりやワークショップなどを開催されていますが、子どもたちを取り巻く遊びの環境は今、どのような状況なのでしょうか。

嶋村:
子どもたちがたっぷり時間を使って、日が暮れるまで思う存分遊ぶことが、今どんどん難しくなっており、子どもが遊べない社会になってきています。

──というと?

嶋村:
いろんな面で、子どもたちの遊びが脅かされています。ひとつは、子どもの遊びに対する大人の眼差しです。子どもたちが興味を持って始めた遊びが、大人によって「ダメ」と止められてしまうことが増えています。

(市民がボランティアで運営する遊び場にあるのは、手作りのハンモック。「いろんな工夫で、ふつうの公園を面白くしていくことができます」)

嶋村:
例えば、子どもが水道の水を出して遊んでいたら、「もったいない」とか、ノコギリとか刃物を持つと「危ない」といって止めてしまう。「何時になったから、これをしなさい」と止めてしまうことも。大人がよかれと思って子どもに介入してしまいます。

また、遊び場自体も減ってきています。かつては空き地があちこちにあって、そこで子どもたちはめいっぱい遊べました。ところが今は空き地も減っているし、今のような季節は外で遊ぶにも熱中症が心配だったり、あるいは騒音を出してはいけない、ボール遊びはしてはいけない、この柵を超えてはいけない…、大人が責任逃れをしたいがために、至るところに禁止・禁止の張り紙で、遊べる場所が減っています。

(「思い切り遊んだ後、デッキブラシを使ってお掃除する子を見て感動したお花屋さんが『うちの水を使っていいよ』と声をかけてくれました。遊ぶ子どもの姿が、大人のまなざしを変えていく瞬間です」)

「やりたい」から、子どもたちは自由に遊びをつくりだしていく

(「自分たちの遊びの世界は、大人からちょっと離れた場所でつくられます」)

嶋村:
習い事で忙しく、遊べない子どもも増えました。
習い事の中で「遊ぶ」こともありますが、遊びが何かの力を身につけるための手段になってしまっていて、それ自体が大人によってコントロールされているような印象を受けます。

コロナ禍も子どもの遊びに少なからず影響を与えています。学校でも外でも皆マスクをつけていて、子どもたちは相手の表情が見えない中で毎日を過ごしています。本来、遊びの中で育まれてきたはずの人間関係を築くことが難しくなっていると感じます。

──ゲームで遊ぶ子どもは多い印象を受けます。

嶋村:
ゲームが一概に悪いとは思いませんが、その中で受動的に楽しむことはできても、主体的で創造的な経験は失われてしまいがちではないでしょうか。

段ボールを組み立てたら、そこが秘密の基地になる。廃材にちょっと手を加えれば、正義のために闘う剣になる。きれいな色の布や紙で、アイドルに変身してみる…子どもたちの遊びの世界は無限です。大人から何かをしてもらわなくても、子どもたちは自分の「やりたい」から始まって、思うままに遊びをつくりだしていくんです。

(子どもたちが作り上げた泥団子。「日かけてひたすら磨く。もちろん、みんな大事にお持ち帰り(笑)」)

──そもそも「遊び」とは?

嶋村:
遊びは、自分で「今」を決められる時間。それは子どもの暮らしの中で、とても大切な時間です。何をするのか、どちらの方向に向かっていくのかを自分で決められるのが遊び。いつ辞めてもいいし、自分だけがやっていてもいいし、とにかく自分がやりたいようにやらせてくれる時間です。
だから、ずっと地面をほじくりまわして虫探しをしてもいいし、算数ドリルで問題を解き続けてもいいし。「遊び」というとどうしてもワイルドなイメージが浮かびがちですが、それはどっちでもよくて、大切なのは、時間の流れ方なんです。

一人ひとり、その子の心が赴くまま、「おもしろそう」「やってみたい」という本能にひたすら従い、没頭できること。それが「遊び」です。

──確かに。

嶋村:
ところが、今の日本の子どもたちが置かれた現状を考えると、「あれ?子どもたちが遊べないぞ」と気づいて。
今、日本全国で「遊びの生態系」が壊されつつあります。遊びや遊べる空間が守られていないと、子どもたちは健全に育っていくことは難しいと考えています。

(東京中の、子どもに関わる大人と一緒につくるキャンペーン「とうきょうプレイデー」。写真は渋谷駅にて●● )

壊れつつある「遊びの生態系」とは

(「とうきょうプレイデー」の一コマ。「大人も子どもも、初心者も上級者も関係ない。皆が交わるベーゴマ大会」)

──「遊びの生態系」とは?

嶋村:
イメージするに、街があって自然があって、街中や路地に木の枝だったり石ころだったり葉っぱだったり、落ちているものもたくさんあって、それを遊びに使えるということです。近所の大人たちがそれを見守り、時々怒るおじいちゃんがいたり、おやつをくれるおばちゃんがいたり。

「田舎にいけば自然もいっぱいあるし、それは東京だけの問題では?」と言われることもあるんですけど、僕は最近も仕事で地方を訪れましたが、どうやらそうでもないんです。
確かに、地方に行けば自然も遊べる場所もたくさんあるかもしれない。だけど「自然豊かなのに、遊べない」という声を多く聞きます。

──なぜですか?!

嶋村:
森にはマムシがいる、マダニがいる、スズメバチがいるから危ない、稲刈りした後の田んぼや畑は他の人の土地なのでトラブルになるかもしれないとか‥。
北海道へ行った時、現地の方に「子どもたちは雪で遊ぶんですか?」と尋ねると、「2割ほどですね」と。「残りの8割は?」と尋ねると、「親が風邪を引くからと外で遊ばせない」と。雪で遊ぶ2割も、東京など都会から引っ越してきたファミリーが多いそうなんです。

(講演やワークショップで、日本各地を訪れる嶋村さん。「『なぜ、子どもが遊ぶことが大切なの?』『大人の関わりはどうしらいいの?』そんな疑問に応えられるような学びの場を」)

嶋村:
ここにも「遊びの生態系」が壊れつつあることを感じます。
ひと昔前は、山や森、川や海に行っても、そこに異年齢の子どもの集団があり、大人の目がごく当たり前にありました。そこで仕事している大人がいたから、子どもたちにも自然に目が届いたんです。
それが今、そのような大人がいなくなってしまった。

──自然と共に生きてきた人のくらしが失われつつあることが、遊びの生態系にも影響を与えているんですね…。

嶋村:
遊べる場が減っていることは、全国的な問題です。週末に家族で近所のショッピングモールに出かけてお茶を濁す、なんてことが全国的に起きてきます。

(講座「環境問題として考える子どもの遊び」シリーズでは、子どもの遊び環境を様々な視点から考える。写真はNPO法人ハンズオン埼玉の西川正さん、NPO法人せたがや子育てネットの松田妙子さんをゲストに迎えた回「人がつながる場所の作り方〜制度やサービスの限界を超えるために必要なこと〜」(2018年) )

遊ぶことが、生きていく糧になる。
小さなうちに、遊ぶことを通じてさまざまな経験を

(「指先」「足先」にしっかり力を込めて。「やりたい」に挑戦するまなざしがまぶしい)

嶋村:
できれば小さなうちに、失敗をたくさん経験してほしいんです。大人になってからの失敗は、取り返しがつかないことがあるからです。

たとえば仕事がうまくいかない、人間関係がうまくかないという時に、その人の中に、本当は育まれていたらよかったはずのものがなかったら、その生きづらさは、一体どこに向いていくのか。自分に向かっていく子もいれば、うまくいっている他人に対して向かっていくこともあるのです。

「特に理由はないけれど、人を殺してみたかった」という若い世代の事件も起きています。
因果関係は証明できないけれど、もしかしたら小さい頃に十分に遊べる環境がなかったのかもしれないと思うことがあります。棒や刃物を持った子どもに、大人は「危ないから、離しなさい!」といいます。だけど、危なくない状況であれば、そこでやめさせないでほしい。なぜ、何がどう危ないのか、まだ力がない幼いうちに、それを経験していてほしいのです。

(「何気ないところにもある挑戦。よろけたり、転んだりしながらも挑み続けるそのまなざしは真剣そのもの」)

嶋村:
そしてまた、遊ぶことを通じて、周囲との心の通わせ方やストレスを発散する経験も得られたかもしれません。経験するからこそ、「これがこうで、こうなるってことなんだ!」と納得できるし、「じゃあ、いいこと思いついた!」と、その後の人生が楽しい方に向かっていく、何か指標のようなものにもなっていくと思うんです。

社会の中で、周りの人たちと仲良く楽しく力を合わせながら、困っている人に優しくできる人になる。僕はそれは、子どもの頃のさまざまな、名前もつかないような遊びの世界から得られるところが大きいと思っているんです。

──確かに。

嶋村:
自然の生態系もそうだよね。例えば海には、一種類だけじゃなくて、大きい魚も小さい魚も、プランクトンもいて、皆が存在するからそれぞれが生きている。陸も同じで、「何かの役に立っているのかな?」という虫もいるんだけど、必ず生態系の一部を担って、いろんないのちが生きている。そのごちゃっとした豊かさというのかな、それが生きるということを守ってくれていると思うんです。

(宮城県石巻市でのみちあそび。「子どもたちが来る前に、ますはスタッフ皆でごろん。気持ちいい(笑)」)

場所という物理的な面だけでなく、マインドとしても
「遊べる」空間を増やしていく

(「『とうきょうご近所みちあそびプロジェクト』は、行き交う人がつい足を止め、遊び、言葉を交わしたくなる場を街の中につくっています」)

──そのような課題があるなかで、どのようなご活動をされているのですか。

嶋村:
「遊びの生態系」を取り戻すこと、子どもたちがめいっぱい遊べる社会をつくることを目指して活動しています。そのためには大人が遊びの重要性を理解して、子どもたちが遊べる空間や余白を、それこそ心の中や街の中につくっていく必要があります。

大人を巻き込みながら、子どもたちの遊びが保証される場所をつくっていくこと。そのために、遊びを「つくる」「学ぶ」「伝える」「つながる」の4つを軸にしています。

──子どもというよりは、大人をメインの対象にされているんですね。

嶋村:
そうですね。子どもたちが思いっきり遊べる冒険遊び場のような場所、サービスとしての遊び場は全国にいくつかあるけど、でも子どもたちはずっとその中で遊んでいられるわけではなくて、そこを一歩出たら地域や家に帰っていきますよね。

僕はこの団体を立ち上げる前、冒険遊び場のスタッフとして働いていましたが、子どもたちが家の近所でも同じように遊んでやらかしていたら、「そんな遊びをしたいなら、冒険遊び場に行きなさい!」と言われてしまうということがありました。

子どもが思いっきり自由に遊べる場所は大切です。ただ、「わざわざそこへ出かけなければ思いっきり遊べない」という状況は、もしかしたら地域の中から「ここで遊んでいいよ」という場所や「子どもたちが遊んでいる」という風景をどんどん切り離していくことにもつながりかねないのではないかと。

(「『みち』を活かして、長ーい綱引き。『だれかたすけてー!』と声をかけられると思わず参加してしまう。遊びをキーワードに、暮らしの中で、大人と子どもがつながるきっかけづくりサポートします」)

嶋村:
場所にとらわれず、どこでも自由に伸び伸びと遊びの世界に没頭できる場所を増やしていくためには、子どもの遊びの本質を理解し、受け止めてくれる大人、そういうマインドを持った人を増やしていくことが必要だと感じました。

物理的に「遊ぶ場所がある」ということももちろんですが、心理的に子どもたちの遊びを「まあいいか」と許容してくれる大人を増やすことで、「playable(遊べる)」な空間づくりをしていきたいと思っています。

僕たちが取り組んでいるプロジェクトの一つ「とうきょうご近所みちあそび」は、まさにそこを目的にした事業です。地域の商店街などに遊びの空間を設け、多世代がつながりながら遊びを融合していくような空間を設けています。

さらに、今年も10月に開催する「とうきょうプレイデー」は、世代や職業を超え、さまざまな人と一緒に、遊びに触れ、その大切さを考えるきっかけを作りたいと思っています。
SNSを使ったフォトフェスや「遊ぶことの大切さ」をテーマにした読み物の企画などを予定しています。

(「遊ぶ」について学ぶ書籍も出版している。『〜バスカーズ・ガイド〜 プレイワーク きほんの「き」』(Shelly Newstead著・嶋村仁志訳/2019年)

プレイワークの本場、イギリスで感じた
「遊び」が子どもたちにもたらす可能性

(とうきょうプレイデーの一コマ。「職業、地域、年齢などの垣根を越えて『子どもに関わる全ての人』と遊ぶことの大切さを考えたいと思っています」)

──「プレイデー」は、ロンドンでも開催されているそうですね。

嶋村:
イギリスでは8月の第1水曜日が「プレイデー」として定められており、全国で50万人が参加する一大キャンペーンになっています。テレビのニュースなどでもプレイデーについて大きく報道され、子どもの遊べる環境が減っているという課題と、大人たちがそれを守っていこうと意志を国民が再認識する、啓発的な行事になっています。これに倣い、2013年から「とうきょうプレイデー」を開催しています。

(イギリスのスタディーツアーにて。プレイストリートや冒険遊び場など、遊び場づくりの最前線をめぐる。「『ロンドン-東京 遊びの姉妹都市提携』のセレモニーを開催しました」)

──嶋村さんはイギリスで「遊び」を学ばれたそうですね。

嶋村:
大学を卒業後、就職はどうするんだと周りに言われたりしながらも、子どもが主体的に遊べる環境をつくる「プレイワーク」を専門的に学ぶため、通訳になりたいと思っていたのもあって、修行もかねてイギリスに留学しました。

ただ、僕の行った地域はすごくなまりが強いところで、最初は会話に全くついていけず…グループディスカッションでは話すことを頭で考えている間にもう次の話題になっていたりして、当時スマホもありませんから、公衆電話で泣きながら友達に電話していました(笑)。

3ヶ月ほど経った頃、2階建てバスを改造した「プレイバス」で、さまざまな課題のある地域に出かけ、子どもたちに遊びを提供するという実習が始まりました。それこそ貧困の中、ドラッグや窃盗が生活の中にごく普通にある子どもたちに会うと、虐待の痕があったり、工具を持たせると危険を感じたりすることもありました。

(ロンドンのプレイストリート(みちあそび)。「家の前で子どもも大人も出会うことで、地域がつながっていきます」)

嶋村:
どうすれば子どもたちの抱えているものを発散できるか。マットレスを用意して建物の2階から飛び降りたり、ワイルドにグルングルン回れるターザンブランコを用意したり、状況に応じていろんな遊び方ができる空間が用意されていました。

子どもたちの反応を見ながら、普段の生活と少しでも違う時間が流れるような遊びを用意することで、子どもたちは嫌なことを忘れ、遊びを通じて「自分は大丈夫だ」って思えて、自分のことをちょっと好きになって、人にもやさしくなれる気持ちが自然と生まれていくということを実感していったんです。

(イギリスのスタディーツアーにて、現地の冒険遊び場を見学した時の一枚)

子どもたちと同じ、「遊びのレンズ」で世界を見てみよう

(「日常にも『やってみたい』はあふれている。それが大切にされる空間や時間、そんな豊かな環境をすべての子どもたちに」)

──嶋村さんが一番伝えたいことは?

嶋村:
うーん、何だろうね…。
遊ぶことはね、誰にも備わっている、神さまがいるかどうかはわからないけれど、すべての子どもに神さまが「大丈夫なように」って与えてくれている「いのちのしくみ」です。人間に本能として、生まれた時から備わっているものなんです。

その「いのちのしくみ」だけは、大人たちで力を合わせて守ろうよ、皆で守ろうよ、そう伝えたいかな。

何かをして遊ぶために、たとえば申し込み制で締め切りがあって定員があって参加費がかかるというのは、もちろんそういう人たちがいるのは否定しないけれど、根本的には僕たちが目指しているものとは違うかな。

遊ぶことは皆のもの、誰のいのちにも備わっているものだから、親の意識次第で子どもが遊べるか遊べないかが決まってほしくないと思っているし、一番近くにいる大人が「みんな!まずは遊んでいいんだよ」と子どもたちに言えるかどうか。何はなくとも遊べるじゃん、というところでの「遊び心」が、大人にも求められているのかなと思います。

──「遊び心」、大切ですね。

(とうきょうプレイデーの一コマ。「子どもは遊ぶ。大人も遊ぶ」)

嶋村:
僕らが実施しているプレイワーク研修で、「遊びのレンズ」の話をします。
一人の子を見る時、学校の先生は「教育」というレンズで見るし、お医者さんは「医学」というレンズで見るし、親は「生活」というレンズでその子を見ると思うんですね。同じ子でも、レンズが変わると見え方はまた変わってきます。そうすると、その子への声のかけ方も変わります。

子どもが何かをしでかした時、「ダメでしょ」とか「人様に迷惑がかかるでしょ」という大人がいる一方で、「遊びのレンズ」でその子を見て、「やっべー!おもしろいな、それ!」と言ってくれる大人が増えていったら…、また変わってくると思うんです。

子どもは常に、濁りのない遊びのレンズで世界を見つめています。だって遊びは「いのちのしくみ」であって、子どもは「いのちのかたまり」だから。

だから大人の皆さんにも、皆さんも幼い時にきっと持っていた「遊びのレンズ」を、時には懐から取り出して、同じレンズで世界を見ていただけたら嬉しいですし、きっと楽しいのではないかと思います。

(香港での遊び場づくり。「遊び場の名前は『1/2 Playground』。遊び場の残りの半分を完成させるのは子どもたち!という思いが込められています」)

チャリティーは、「遊びの生態系」を取り戻していくための活動費として活用されます!

──今回のチャリティーの使途を教えてください。

嶋村:
チャリティーは、失われつつある「遊びの生態系」を取り戻していくための活動費、10月に開催する「とうきょうプレイデー」の運営費として活用させていただく予定です。

一人でも多くの大人の方を巻き込んで「遊び」の大切さや楽しさを思い出してほしい。
これは東京だけでなく全国的な課題です。まずは東京から、発信していけたらと思っています!ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけると幸いです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(イギリスから来日中のケイ・オブライエンさんを講師に、プレイワークを教えるトレーナーを養成するための「トレーナー・トレーニング」講座を実施した際の集合写真。参加者の皆さんと!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜編集後記〜

嶋村さんから教わったのは、遊びには力があるということ。そして同時に知ったのは、そんな遊びが今脅かされていること。子どもたちの中にある「おもしろそう」「やってみたい」を私たち大人が何気ない一言で奪ってしまっていること。子どもたちの遊びを止めてしまっていないか、普段どんな言葉をかけているかを振り返るインタビューでした。遊びのレンズを使ったら、どんな世界が見えてくるのでしょうか。みなさんのもとにも遊びのレンズが届きますように。(田中)

子どもの頃、遊び半分で祖母の鼻の穴にボタンを入れたら取れなくなってしまい、最初は笑っていた祖母がだんだん真顔になってガチギレしたことがありました(そりゃそうだ)。
農家さんごっこで隣の畑に成っていたなすびを全部もいでしまい、親が謝りに行ったこともありました。遊びの苦い思い出は数知れず、しかしその時の経験が、なんでしょう、今も当時の心もちのまま、自由な自分を築いてくれたように思います。
遊びは最初は「経験」でも、やがて「自分の一部」になるもの。嶋村さんへのインタビューを通じて遊びがきちんと遊びである大切さを改めて感じると同時に、好き勝手に遊ばせてくれた周りの大人たちに対して、改めて感謝の念を抱きました。(山本)

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「遊びのレンズ」から広がる無限の世界。
何もなくとも創造の世界で遊びがどんどん広がる、ワクワクドキドキ、楽しい社会を描きました。

遊びのレンズを持つのは、何も子どもだけではありません。
“Every day is a play day”、「毎日がプレイデー」。大人のあなたも、今日、その懐に隠し持っているレンズで、実は広い、楽しくて愉快な世界をのぞいてみてください!

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