2020年4月にコラボしていただいたNPO法人「Umiのいえ」さん。
昔ながらのお産が減り、ネットに情報だけがあふれかえっている今、「出産や子育ての孤立化は加速しているのではないか」と指摘するのは、代表の齋藤麻紀子(さいとう・まきこ)さん(53)と、スタッフの上村聡美(うえむら・さとみ)さん(43)。
今回、再びJAMMINとコラボしていただくことになりました!
「子育てを通じて『根を持つ』ことにもどる。しなやかに立ち、根を張るためにつながり支え合うことが、平和を産み出すことにもつながっていく」。
そう話すお二人に、活動について、改めてお話を聞きました。
(お話をお伺いした齋藤麻紀子さん(右)と上村聡美さん(左))
NPO法人Umiのいえ
神奈川県横浜市を拠点に、いのち・こころ・からだ・暮らしの学び合いの場として、出産や子育て、食、健康、住まい、親子、遊び、文化、支援など、いのちにつながるあらゆる講座やワークショップ、語り合いの場を企画・開催しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/5/30
(いろんな大人とこども、初対面同士でも「一緒にご飯」がUmiのいえの定番の風景。食育講座の調理実習後、みんなでランチタイム)
──前回のコラボでは大変お世話になりました。最初に、団体のご活動について教えてください。
上村:
Umiのいえの理念は「産む・育つを応援する」。ビジョンは「産んでよかった・生まれてよかった・生きててよかったと思える社会をつくる」。これらを実現するために、語り合いやワークショップを通じてこころやからだと向き合う時間を持ったり、環境に負荷をかけない暮らしを学びあう場を運営しています。
お産や子育てが活動のベースではありますが、出産や子育ての有無に関わらず、多様な人たちが混ざり合い、関わり合う場です。
(2021年夏から半年をかけて横浜市旭区鶴ヶ峰にある古民家をリフォーム、帷子川のせせらぎと木々に包まれた新生Umiのいえが誕生。「つるのいえ」として親しまれている)
齋藤:
Umiのいえのスタッフに、改めて「Umiのいえはどういうところ?」と尋ねてみました。「サードプレイス(自宅や職場などとは別の、居心地の良い場所)」「もうひとつの実家」という声をいただきました。
「実家」というと、ひとつには素になれる場所、気を使わずにありのままでいられて、だらけたり甘えたり、原点に戻れる場所だということ。何か話せる、何でも話せる母さんがいたり、姉さんがいたり、兄さんがいたりするのが「Umiのいえ」なのだと思います。
(「Umiのいえでは、子どもたちのケンカを止めません。おもちゃの取り合いがはじまったら、大人たちは見守り、泣いたら抱っこしてなぐさめます。子どもたちは、また自然に遊び始めます」)
上村:
以前は対面で講座やワークショップを多く開催していましたが、コロナになってそれが難しくなり、オンラインでの開催が増えました。遠くて参加したくてもできなかった人たちが参加できて、そこでつながりが生まれことはよかった点ですが、やはりリアルで会うことの大切さを改めて感じています。
齋藤:
直接会うことができて、話すことができて、感じることができる。それが長く続いて、互いの悩みや喜び、成長を分かち合える場所があるということがいかにありがたく素晴らしいことか。
だからこそ、私たちは度々「生きるとは、触れ合うこと」というフレーズを口にしてきました。深いところで関わり交わること、五感で感じること…、そういう世界を失くしたくはない。そう思いながら活動を続けています。
(カラダオーケストラワークショップにて。「コロナ前は、このくらいたくさんの人数で集まっていました」)
(「赤ちゃんだった日々を超え大きくなると、無条件に愛することが、難しくなってくる。子どもを通して自分の心に向き合わされる。家の中もぐちゃぐちゃ。泣いて怒って笑う。その繰り返しで母は強くなる」)
──お産について、産科医療のあり方についても発信されていますね。
齋藤:
少子高齢化が進む中、出産や子育てに関しても、人々はどこか効率化を求めているように思います。
私たち一人ひとりがそうであるように、赤ちゃんにも、その子なりに魂のありようがあって、生まれてくるタイミングひとつにしても、スピードの早い子もいれば時間をかけたい子もいます。
しかし、「医療の安全」のもと、平日の日中の分娩が多くなりました。潮の満ち引きや気圧、満月にいざなわれるような自然体で痛みと共にある「待つお産」は、今や貴重かつ希少になってきました。
授乳ですら時間を決められていて、かつてあった「授乳はその子のリズム。赤ちゃんがほしがるときに好きなだけ」という教えも、薄らいでいるように感じます。
(「ダウン症があろうがなかろうが、病気だろうが何であろうとも、我が子はとても大切で、母親になれた幸せは全世界共通」)
齋藤:
「自分の出産なのに、自分で決められない」という課題は変わらずあります。決めたとしても、腑に落ちているわけではない。流行や「これが普通」と言われることに乗るしかない。出産に限らず介護などでも言えることですが、対応や治療になんとなく違和感を持ちつつ、かといってどうして良いのかわからないまま、やがて管理下に置かれコントロールされていってしまうような脆弱さを感じています。
──初めてとなるとわからないことばかりで、何かあった時には違和感がありつつも委ねざるを得ない、自分の体であるはずなのに、知らず知らずのうちに決定者不在で状況が進められてしまうということは、確かにあるように思います。
(「赤ちゃんは、この世界に来たり来なかったり、来ても途中でお空にかえることもあります。でも今この瞬間、ここにいる。妊娠初期の妊婦さんとも、『今、ここにいる』ことを、皆で喜び祝福します」 )
齋藤:
出産する本人と医療者の間に、十分なコミュニケーションが取れていない。よって信頼関係が築かれていない。産前教育も今やビデオ視聴になった産院が多いです。医療者との関係性が薄いまま、自分の意志と裏腹にお産が進行する、そんな危険性をはらんでいるのです。
それは医療者だけの問題ではなく、双方の問題です。自分はどうしたいのか、なにがわからないのか、話を聴いてほしい、そばにいてほしい、説明してほしい、そういうことに遠慮している場合ではないし、「産むのは自分なんだ」と主役にならないといけないです。
自分のいのち、自分の人生なのに、自分で決められない。本当にそれでいいのでしょうか?それは、人間の力を奪うことではないか?
…ちゃんと教え導く寄り添いがあれば、女性はどうしたいのかを選択する力をもっているはずです。
(子ども3人背負う。「毎日しっちゃかめっちゃか、今日も生き抜いたことに花まる!工夫できることも、どうにもならないことも、部活のように先輩から学び、後輩に伝える文化が、ここにはあります」)
齋藤:
そして出産は、頭ではなく身体のお仕事。つまりアスリートと同じ。毎日の身体づくりと心構えの鍛錬をして臨むべきものです。
この修行を誰が教えてくれますか? 出産子育ての教習所はどこにありますか?
残念ながら、なかなかないのが現状です。このままではまずい。医療消費者である市民の意識と、医療現場とのギャップを埋める場が必要です。
(「背守り刺しゅうや、小さなつくろいものから浴衣づくりまで、手仕事の会はUmiのいえ定番。子育てや夫婦の悩みもぶつぶつと、つぶやきながら手を動かす」)
上村:
医療だけでない、保育園や学校教育においても「あれ?おかしくないか?」と不安や疑問を感じることがあっても、それを口にすることは勇気がいる。訴えたり闘ったりする方がしんどいと感じる。だから皆、なるべく感覚を無視して不感症になって、それを見ないようにしてきたようなところがあると思います。
だけど本当に、それで良いのでしょうか。
違和感を口にしなければ、医療も教育も、社会の価値観は変わっていきません。子どもたちの世代に、どんな未来を繋いでいきたいか。大人たちが声をあげていくほかにないんです。「それは本当に必要?」と感じることを声に出すことが「普通」な時代をつくりたい。
(家庭料理を習う。「見る、聴く、やってみる、食べてみる。実際にみんなでやるから身に付くことがたくさんあります」)
(外にいたって自由自在。軽やかに授乳しながら、上の子の遊びを見守るお母さん。トートバックは、2020年コラボの際のコラボデザイン)
齋藤:
前回のJAMMINさんとのコラボで、“It is the mothers, not the warriors, who create a people and guide their destiny”、「人を創りいのちを導くのは、戦士でなく母である」という、素晴らしい言葉をチョイスしていただきました。
ウクライナの戦争を見ていて、しみじみとこの言葉をかみしめています。改めて母の役割、いのちを産み育てることの大きさを感じています。
母親の役割って地味なんです。抱っこしておんぶして、ご飯を食べさせ、遊ばせ、泣けば走っていって抱き上げ慰め、抱いてゆれて、時間をかけて子どもを眠らせる。予定通りにいかず非効率的で、逆らいようもなく訳も分からず、ただただ、小さな子を守る日々。
(「何度も一緒に遊んで過ごせば、大人と子どもも友達になる。自分の子だけでなく、みんなでみんなの子を見守りあう。我が子ではないけど、くっついてきた子に、自然と触れてたくなったひととき」)
齋藤:
誰に褒められるわけでもない、生産性のない自分を寂しく思う事だってある。でも、人ひとり守り育てるということは、そういうことなんですよね。誰かに手助けしてもらったとしても、昼間、誰かに保育してもらったとしても、夜こどもは母をほしがる。
眠るというのは、母。癒えるというのは、母。安心というものは、母なんです。
(Umiのいえにある、画家・宮下昌也さん絵の前で。「山は母、豊かな恵みを里に川に、やがて海にもたらす。妊婦さんはよく、この絵を記念撮影していかれます」)
齋藤:
もちろん、お父さんや周りの人の協力も重要です。でもお母さんは格別です。
なぜ格別なのか?それは十月十日、いのちを包んでいたからですね。私たちは皆、お母さんの子宮の中で細胞分裂して身体を作りました。平らなところではなく、包まれた中で育ちました。
なので、お母さんの声やにおいを感じながら抱かれることは、赤ちゃんにとっては「ふるさと」そのものです。大きくなってもそれは変わりません。
人は抱っこされたりハグされたり、布団に包まれたり、お風呂の湯に包まれると、ほっとして緊張がほぐれます。無条件に優しく温かく包まれること、それが「安心」であり「原点」であり、人としての「基礎」なのです。
安心という基礎があれば、子どもは遠くに飛びたつことができます。つまり、自立。自分で立てる、その力の根っこは「安心」。これ以上の最強なアイテムはありません!
(もうすぐ3人目の赤ちゃんが生まれる家族。「『お~い、元気にうまれておいで~』。お兄ちゃんお姉ちゃんとお父さんが声をかけています」)
(「抱いて抱いて大きくなった。育児は『抱っこ』の仕方で変わることを実感。抱っこやおんぶが快適にできるようにお伝えしたいと思っています」)
齋藤:
親から安心をもらった子は、それを礎に本能で外の世界への信頼感を得て、その先、いのちを信じて生きていくことができるのです。
こういう話は、男女の平等が謳われる今の時代、なかなか声を大きくして言いづらいところがあります。ただ、母性の役割、母性がいのちに与えていく影響はかならずある。そして母性が社会を産み出していくといっても過言ではないと思うんです。
(「篠先生の子育て講座では、『遊び方』を教えてくださる。布・ひも・段ボールや新聞、いろいろなもので遊べます」)
──確かに、全ての人はお母さんから生まれますものね。
齋藤:
母性は、性別や年齢も超えて存在するものです。男性にもあるし、出産をしていない女性にももちろんありますね。
母性も父性も、その才能は本来、誰にでも備わっているのではないでしょうか。自分の子にも他人の子にも、継続的に関わっていくことで、その才能は開花していくものと思います。子どもによって、大人が磨かれていくんです。
(2020年、Umiのいえで講座やワークショップを担当する講師とスタッフが大集合。「次世代に何を残していきたいのか、それぞれの魅力と役割が響き合いました」)
(お父さんにも先輩が必要だ。仕事、家庭、子育て、夢…、お酒もくみかわして、語らった夜)
上村:
最近、子育てに関する情報やブームに「あれ?」と思うことが増えました。
ネットの情報を批判や否定したいわけではありませんが、「簡単、安い、早い、楽」そんな言葉が乱立しています。確かに楽かもしれません。そのような情報がもてはやされるのもよく理解できます。だけど、出産や子育ては、そんなに簡単にはいきません。「楽」の次は「苦」もきます。
だけど妊婦さんも産後のお母さんも、自分の「担任」がいない。だから専門職に頼るより、SNSで調べて、検索上位にひっかかってくる情報を信じてしまう。
(誰でものんびり過ごせる「なごみ場」の日。初対面同士でもつぶやき合って、頷き合う)
上村:
時短や手抜きは私も大好きです。ただ根っことして、「いのちそのものを受け入れる」というところがあった上での手段の一つでしかないのではないでしょうか。
子どもの相手にできるだけ時間をかけたくない、スムーズに職場復帰したい…、いろいろあるけど、それって果たして、いのちより大切にしたいことなのかな?そんな疑問を感じてしまいます。
今の情報のあり方を見ていると、自分本来の感覚や子どもの個性、いのちのありようを置き去りにして、皆、自分に合うかどうかもわからない「箱」に、一生懸命自分や子どもを押し込もうとしているような印象を受けます。
(「産む?産まない?どうしよう…。心の中では答えは決まっている。それでも揺れる想いを告げにきてくれた彼女。今は双子の子育ての姿をみせてくれることで、皆にもその愛をシェアしてくれます」)
齋藤:
妊娠・出産・子育ては、誰にとっても初めての経験です。最初は皆一年生で、わからないことばかり、手探りで当然です。それなのに、産前産後、お母さん自身や子どもの成長の過程を承知して、見守ってアドバイスをする人が周りに誰もいないような状況があります。
なんでも「継続」って大事ですよね。
何回も会って相手のことを良く知ると、相手が何を求めているのか、何がどんなことがその人の助けになるのかが自然と見えてきますよね。
──確かに。
(「子育てはくたびれる。とにかくくたびれる。たまには、お手当てされて横になろう。身体を整えよう」)
齋藤:
いのちに関わる専門職はたくさんいます。
医師、看護師、助産師、保健師、母子保健コーディネーター、育児支援者、ほかにもたくさんの職業人が周産期にはいます。でも残念ながら、その関わりは「点」です。分断され、連携は密ではありません。一人の人を継続してケアするしくみは、今や助産院以外には無いように思います。
──確かに…。
(「平成生まれの人たちが続々と親になる。いのちはめぐり、父となる」)
上村:
私自身の経験からしても、子どもは、大人の「こうあるべき」とか「こうしなければならない」という概念をぶっ壊してくれる存在です。
社会人として生きる中で、フタをして見ないようにしてきた自分自身のさまざまな感覚や感情。社会から提示されるままの「こうあるべき」という箱に、自分自身を詰めるのがうまくなっていたところに出産・子育てを経験して、その箱がぐっちゃぐちゃにぶっ壊される。
しっちゃかめっちゃかになって、「なんでこうなの!」とか「うまくいかない!」ということがたくさんあるんです。
でもそれを経験していくなかで、その時はうまくいっていないように感じても「自分とは」とか「この子とは」とか「我が家とは」みたいな本質的なところと向き合って、根っこの部分を肯定的に体得し、強く育てていけるような気がするんです。
──「向き合う」ということなんですね。
(篠先生の子育て講座にて、工作ワークショップ。「まずは大人がクリエイティブに。表現力を磨こう!」)
上村:
いつまでも「こうあるべき」という「箱」に押し込めていたら、当然子育てはしんどくなって、息苦しさを感じるようになります。そうすると「出産や子育てをするメリットがない」みたいになってきてしまう。
でも、そうではないんです。そうではないことを知るために、子育てがある。自分の存在をもう一度受け入れ直すためにも、子どものカオスがあるんだと思うんです。だから私たちは、子育てのしっちゃかめっちゃかを肯定して、受け止められるような活動をしていきたいと思っています。
(「子どもたちは、ケンカをしてもすぐ仲直り。障がいが有る無し関係なく、一緒に過ごす。言葉はいらない。お互いの顔をみて、笑い転げ合います」)
(「これから山登りにいくところ。おんぶは高い位置で背負うと、親も子も体が安定します」)
上村:
人間の心と体は時間がかかって当たり前。てこずって当たり前だし、手がかかって当然なんです。「子育てがうまくいかない」という声を聞きますが、その時には「うまくいかないから順調ですね」という話をします(笑)。
Umiのいえではさまざまなイベントで、多様な人たちが集まって、それぞれの悩みや感情、過去、失敗…いろんなことを共有しますが、それは自分を相対的に見つめることにもつながります。皆でシェアしたことが、またその人の養分となって、その人自身が自分と向き合うきっかけになっていきます。
しんどい、つらい、その思いを、面と向かって共有して、共感してもらうことは、インターネットで得られる情報と比べものにならないほど厚みがあります。
──根っこになっていくんですね。
(季節に一度、親子で体験できる茶道会はいつも賑やか。「小さな子もお抹茶を味わいます」)
上村:
そうですね。うまくやっている人の、さらにうまくやれている面だけを切り取って目にしてしまうと、どんどん本質から外れていってしまうというか。そこを否定するわけではありませんが、いのちや自分自身から向き合うことと離れていってしまうようなところがあるように感じます。
齋藤:
生の声、生の言葉、「こういう人が、この沈黙の後に、この言葉を放った」ということ、空間含めすべてを受け取れる場所の重要性を私たちはとても感じていて、これからもそんな場所をつくっていきたい。
成績や効率や見た目や他人の評価ではなく、背景にある「見えない部分」を信じる度胸、腹を括って、自分自身と向き合っていく度胸をつけていく。
(「次世代を担う看護学生・助産師学生さんの実習も受け入れています。若い彼女たちと、お母さんたちの会話も楽しそう」)
齋藤:
「とはいえ、このしんどさは一体どうしたらいいの」という時に、共に空間を共有すること、語り合う中で、共感が生まれて、厚みが出ていく。
悩んで悩んで試行錯誤して、あきらめたり、あきらめなかったり、ぼろぼろになりながら自分のスタイルを見出していく。同じことを繰り返し繰り返し、来る日も来る日も、誰かの世話をして、季節とともに生活をしていく。そういう地道な積み重ねが、ぎゅるぎゅると根をのばし水脈(気づきや喜び)にぶち当たる。水脈は横にもつながって、同じように苦労を重ねてきた人と、言葉なくとも共感でつながる。それがゆるぎない支えとなるんです。地味であり地道なこと、バンザイ!なのです。
(「コートジボワールの産科医の先生たちが来日された際、NPOによる育児支援とお手当て講習をお伝えしました。ランチには、重ね煮味噌汁とおむすびを味わっていただきました」)
上村:
子どもはいつだって親の相似形。「良い親であろう」という意識は、転じて子どもにとって「良い子であろう」という圧にもつながりかねません。ダメな自分も「ダメでごめん!」といいながら、長い目で、顔が見える関わりをしていくことが何より大切。
「どうしてうまくいかないんだろう」と悩むんだけど、いろんな人の話を聞く中で、それぞれできないことに対する許容が生まれていく。見えないところで根を張って、風の日も雨の日も倒れずにそこにある、しなやかさが育つことを願っています。
(Umiのいえが発行している「Umiのいえつうしん」の、記念すべき第1号の裏表紙。「”登る しがみつく /かくれる 寄りかかる /疲れたら休みにくるあなたに /木漏れ日と /清らかな空気をつくるよ /まずは私が日を浴びて、 /豊かな水をいただこう /しっかりと根をはって /まずは私が満たされる /しあわせのはじまり”。このときから、目指すは大きな木でした」)
(「スタッフはもう一つのファミリー。互いの日々の出来事に共鳴し、喜びあったり応援しあったり。年に一度の親子で子どもの成長を楽しんでいます」)
──チャリティーの使途を教えてください。
上村:
2021年夏から半年かけて皆でリフォームして完成した「つるのいえ」。
ここを拠点に、名実ともに地に足をつけて「根を持つことに戻る場」を運営しながら、母たちの声を社会に発信していく活動も今後も続けていきたいと思っています。
コロナ禍で大変なこともたくさんありますが、お産に大事なこと、子育てに大事なことの本質をこれからも発信していきたい。根っこを育て、社会をより良くしていくための活動資金として使わせていただければと思います。ぜひ、アイテムで応援していただけたら嬉しいです!
──貴重なお話をありがとうございました!
(Umiのいえ、スタッフの皆さんの集合写真!)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
前回もそうですが、今回も大事なことにハッと立ち返らせてくれる、まきこさんとさとみさんのインタビューでした。
「根っこ」は目にみえないから、意識することも難しいです。でも、「なんでだ?」とか「どうすればいいんだ?」みたいな、その時はチクリとしたり重くて苦しんだりストレスだったりするような自問自答の中に、繊細にやさしく1ミリ伸びる根っこがあるのかなと改めて思いました。
それがあるから、今ここで立つことができている。根っこを信じることは自分を信じることであり、自分を信じることは根っこを成長させることにつながるのだと改めて感じました。
深く根を張り、動じず真っ直ぐに伸びる一本の木。晴れの日も風の日も、雨の日も雪の日も、時のうつろいを全身で感じながら、そこにしなやかに存在し続けます。
一人の経験や感情、過ごしてきた時間が養分となり、根っことなって大きく伸びていくという意味合いと、愛おしい人たちとのつながりもまた、根っことなってその人を大きく強く成長させる象徴として木を描きました。
“It is the mothers, not the warriors, who create a people and guide their destiny”、「人を創りいのちを導くのは、戦士でなく母である」。前回と同じメッセージを今回も採用しました。