CHARITY FOR

シリア内戦から11年。悲しみを乗り越えて、これから先の10年を考える〜NPO法人Piece of Syria

かつて高い食料自給率や教育水準を誇り、人々の穏やかで豊かな暮らしがあったシリア。2011年3月に始まった戦争によって、多くのものが失われました。

「戦争によってバラバラになってしまったシリアを、再び平和な場所にしたい」。
シリアの子どもたちへの教育支援と日本での平和教育を行うNPO法人「Piece of Syria(ピース・オブ・シリア)」が今週のチャリティー先。

代表理事の中野貴行(なかの・たかゆき)さん(40)は2008年、青年海外協力隊としてシリアに派遣されました。そこで見たシリアは豊かで美しく、出会った人々はやさしさにあふれていたと言います。

2010年に任期を終えて日本に帰国、その後戦争が勃発し、よく見知った馴染み深いシリアの街並みが破壊され、多くの人たちが難民として避難する様子を目の当たりにした中野さん。

「シリアをまた行きたい国にする」という目標を掲げて取り組んでいるご活動について、話を聞きました。

(お話をお伺いした中野さん)

今週のチャリティー

NPO法人Piece of Syria(ピース・オブ・シリア)

シリア復興の主体である子どもたちに基礎教育を届け、自らの力で未来の平和をつくるための支援をしています。
団体名の「Piece of Syria」には、「ひとかけらを、ひとつなぎに」のコンセプトのもと、一人ひとりの力を合わせてパズルのピースのようにバラバラになってしまったシリアを一つにし、平和にしたいという想いがこめられています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/3/7

かつて99.6%の高い就学率を誇ったシリア。
難民として逃れた先で、学校に通えない子どもたちも

(「僕がいつも遊びに行っていた村の家族です。そこにはごくありふれた、しかしかけがえのない家族の幸せがありました。2015年、イスラム国がこの村を襲いました」)

──最初に、団体のご活動について教えてください。

中野:
大きく二つの活動を行っています。ひとつはシリアの子どもたちへの教育支援、もうひとつはシリアの魅力を広くたくさんの方に伝えるという活動です。

僕がいた頃のシリアには、昼の2時には仕事が終わり、大きな家で家族みんなでご飯を食べ、友達や親戚と時間を過ごし、誰もが無料で医療と教育を受けられる、経済的にも人間的にも豊かに生きる人たちの暮らしが確かにそこにありました。
しかし戦争によって家族は散り散りになり、子どもたちはそれまでのように受けてきた教育が受けられなくなってしまいました。

(トルコの補習校で学ぶシリアの子どもたち)

中野:
活動地の一つは、シリアの隣の国トルコです。
難民として逃れてきたシリアの人たちは、戦争が始まって最初の頃は、母国語のアラビア語で学校に通うことができていました。しかし、戦争が長引くにつれて「シリアに帰らずにトルコで生活するのなら、トルコ語で学びなさい」とアラビア語での授業を廃止するようになったのです。

そうすると何が起こるか。アラビア語を母語とするシリアの子どもたちは、トルコの学校に通うことはできても、トルコ語の授業にはついていけません。またトルコ語の授業を受けているうちにやがてアラビア語を忘れ、いつかいざシリアに帰ろうという時に自分の国の言葉がわからない、ということが起きてしまいます。

いま、トルコに住むシリアの子ども達の35%が学校に通えていないと言います。そうした状況を受けて、シリアの子ども達にトルコ語とアラビア語を学ぶための補習校を運営するのが僕たちの活動の一つです。

(「子どもたちには戦争のトラウマもあります。『学校は楽しい場所だよ』と伝えることも大切で、遊びながら学べる場所を届けています」)

中野:
教育支援をするには理由があります。
戦争前のシリアは、99.6%の就学率、高い教育レベルを誇る国でした。シリアの人たちに何が必要かを尋ねると、多くの人が「復興のために、子どもたちの教育を支援してほしい」と話します。「子どもたちは未来だから」と。シリアの人たちは、教育を本当に大切にしてきていたのです。

そうした声に応える形で、僕たちは2016年に活動を始め、現地のパートナー団体と、これまでに2000人を超えるシリアの子どもたちの教育を支援してきました。

(「政治的な複雑さからどこからも支援が届いていなかったシリア国内の地域に教育支援を届け、現地から『ありがとう』という声が届きました」)

内戦前、シリアはとても豊かな国だった

(シリアの商業都市・アレッポ。「世界で最も古くから人が住み続けている街の一つとして世界遺産になっています」)

──シリアがそのように豊かな国だとは知りませんでした。確かに、考えてみると戦争のイメージが強いかもしれないです。

中野:
そうですよね。とても美しく豊かな国だったということがあまり知られていません。緑もたくさんあって、食糧自給率も100%を超えていて、野菜や果物もすごく安くて、豊かな文化と暮らしがあり、治安がよくて、皆やさしい。それが僕のシリアに対するイメージでした。

(世界で一番古い商店街と言われるアレッポのスーク(2009年撮影))

中野:
僕が初めてシリアを訪れたのは2005年です。
道を歩いていると「どこから来たんや?!」と呼び止める人がいたり、アラビア語がわからなくて困っていると、通りすがりで通訳してくれる小学生がいたり。夜外を出歩いていても危険を感じることがなかったし、携帯電話や財布もなくしたことがあったんですけど(笑)、全て僕の手元に戻ってきました。

──そうなんですね。

(シリアの首都・ダマスカスの夜景。「夜でも治安がよく、危険を感じませんでした。ダマスカスも世界遺産になっています」)

中野:
一度、泊まっていた宿に腕時計を忘れたことがあります。
宿に電話してみると、宿主さんが「今、どこにいるんや?今からその町に行くやつがおるから、彼に持っていってもらうわ」といって、全然知り合いでもなんでもない、通りすがりでたまたま僕のいる町に来る予定のあった若者に腕時計を渡して、ちゃんと届けてくれましたし(笑)。

──ええ、すごいですね。

(自然も豊かなシリア。「メソポタミア文明の生まれたユーフラテス川。川の水はそのまま飲めるほど綺麗でした」)

中野:
シリアは歴史のある国でたくさんの世界遺産がありますが、遺跡よりもっと感動したものは、シリアの人たちのもてなしの心でした。

喉が渇いた時、日本だったらカフェに入ったりお店で飲み物を買ったりしますよね。
ところがシリアでは、近くにある家をノックしたら水を出してくれます。「時間があるか?」と聞かれ、「ある」と答えると応接室に通されて、お茶が出てきて、世間話をしてる間に作ってくれたご飯が出てきて、食後のお茶が出てきて、パジャマが出てきます(笑)。

バスで隣に座った人がいつの間にかバス代を払ってくれていて、びっくりして理由を聞いたら「遠くからシリアに来てくれたんだから」と言われたことが何度かありました。
こういうおもてなしのエピソードをシリアに行ったことのある人に聞くと、ほとんどの人が「あるある」と頷いてくれます。

(「シリアの家は、日本と同じように靴を脱いで家の中に入ります。広い応接室があるのが一般的です」)

「あなたのおかげで夢が持てた」と言ってくれた
少女との出会い

(「緑いっぱいのシリアの春です。シリアに対してこのような豊かなイメージを持っている方は多くはないのではないでしょうか」)

中野:
滞在中、シリアの人々の心の豊かさにたくさん触れました。プロジェクトをやっていた村で、仕事を終えて夜遅くに何の連絡もせず突然訪れても「泊まっていくやろ?」といつも泊めてくれる人がいたり。本当によくしてもらったんです。
シリアの街中を歩いていると「こっちにおいで!お茶でも飲んでいきなさい」と声をかけられることがよくありました。

(「シリアのもうひとつの遺産といっても過言ではないのがシリア料理。野菜をふんだんに使い、時間をかけて調理します。スパイスは使いますが辛くなく、日本の人たちにも食べやすいです。特に家庭料理は絶品です」)

中野:
そんな素敵な人たちが住むシリアで特に印象的だったのが、当時12才のブトゥーレちゃんという女の子です。

僕が村へ行くと、いつも覚えた日本語で「おかえり」とか「お茶、飲む?」と声をかけてくれました。「なぜ日本語を覚えるの?」と尋ねると、「この村の人は皆アラビア語しか話せないでしょ?だから、私が日本語を話せたら、あなたがリラックスできると思って」と言ってくれて。その言葉にすごく感動しました。

(ブトゥーレちゃんと中野さん。「彼女から、村での日常生活のことやアラビア語を教わっていました」)

中野:
ある時、彼女に夢を尋ねたことがあるんです。
彼女は「子どもたちが夢をかなえる学校をつくりたい」と言いました。
「子どもたちが夢を持ち、その夢をかなえて、また誰かの夢を応援する循環を作りたい。だから私はまず、学校をつくるためにはお金が要るから、お医者さん目指しているんだ。」

(ブトゥーレちゃんの家族と)

中野:
「すごいね!応援するよ!」と僕が言うと、「この夢を持てたのは、あなたのおかげなのよ」と言うので、驚いて理由を尋ねました。
「大人たちは皆『夢なんてかなわない』というけれど、あなたは夢を決してばかにしないでしょ。応援するよといってくれるでしょ。だから私は夢を持つことができたの」と教えてくれたんです。

──そうだったんですね。

((協力隊の活動で大切にしていたのは現地の文化を知り、現地の人たちの力を借りることです。現地の保健センターや文化センター、学校、モスクなどを訪れ、課題を話し、協力を仰ぎました」)

中野:
シリアの人たちに大切なことをたくさん教えてもらいましたが、ブトゥーレちゃんのおじいさんもその一人でした。

羊飼いだったおじいさんは、僕がシリアにいる間に、残念ながら彼は老衰で亡くなりました。宇宙船を作ったわけでも社長だったわけでもなく、いわゆる成功者とは言えないかもしれません。ですが彼が亡くなる前、そして亡くなった後も、本当にたくさんの人たちが村や遠くの街から、彼に会いに集まってきました。そして汗をかきながら彼のためのお墓を代わる代わる掘り、おじいさんはそこに埋葬されました。その後1週間、多くの人たちが参列に来ていました。

家族や村の人たちと穏やかに幸せに過ごした日々の先に、これだけたくさんの人に愛され、見送られる最期がある。なんてかっこいい、素敵な生き様だと感じました。

(おじいさんのお葬式に集まった人たち)

戦争が起きた後も変わらなかった、
シリアの人たちのもてなしの心

(「民族や宗教が対立なく融和していたシリア。キリスト教とイスラム教のものが一緒に売られていました」(2008年撮影))

──日本に戻られた後、中野さんを再びシリアに向かせたものはなんだったのですか。

中野:
2010年3月に協力隊の任期を終えて僕は帰国したのですが、その一年後の2011年3月に戦争が始まりました。

「戦争はすぐに終わる。それから、またシリアに行こう」と思っていたので、戦争を終わるのをただ待っているだけで、行動することなく、日常を過ごしていました。
しかし、戦争は終わることなく続き、ある日、なにげなく僕が住んでいた町をネットで検索してみると、小学校の校庭が処刑場の写真が出てきました。僕が仲良くしていた村の人たちは無事なんだろうか、と不安な気持ちで胸がいっぱいになりました。

(2010年、ブトゥーレちゃんが住む村の小学校にて。「この学校の校庭が処刑場になるなんて、この時は想像すらしませんでした」)

中野:
滞在した2年間で僕はシリアのことが大好きになっていましたし、ブトゥーレちゃんのおじいさんのお葬式を見て「身近な人を大切にしよう」と思っていました。なのにシリアが大変なときに何もしないって、自分が言ってることとやっていることが違いすぎるんじゃないかって思ったんです。

とは言っても、何をすればいいか分かりません。だから、まずは自分の目で確かめようと決めました。当時シリアには危なくて入れなかったので、シリアの人たちが住んでいる中東からヨーロッパの10か国を合計半年ほどかけて周りました。2015年のことです。

(2015年、各国に逃れたシリアの人たちを尋ねて。写真はヨルダン、シリア国境近くの街にて)

中野:
当たり前だったはずのことが、かなわない夢になるのが戦争です。
かつて隣国のヨルダンで出会ったシリアの19歳の青年は、「家族皆でご飯を食べるのが夢だけど、僕が生きている間にその夢はかなわない」と話してくれました。

当たり前の日常があることは、実はとても幸せなんだなと気づかされました。

──本当ですね。

中野:
一方で、変わらないものがありました。それがシリアの人たちのもてなしの心です。

難民キャンプを歩いているとあちこちで「お茶を飲んでいきな」「ご飯を食べていきな」と声をかけられました。
トルコで仲良くなったシリアの人と一緒にレストランで食事をした時は、「このままではおごられてしまう」と思い、その人がトイレに行っている隙にこっそりとお会計を済ませてたら、「なんてことをするんだ!君はゲストなんだよ」とお金を返されました。

自分が同じ立場になった時、果たしてそうできるかなと想像しましたが、とてもできないと思いました。だから僕は、シリアの人たちを「かわいそうな人たち」と伝えたくなかった。「とっても素敵な人たちなんだよ」とまず伝えて、そんな素敵な人たちが一時的に大変な状況になっていることに対して、一緒に応援する人を集めたいと思ったんです。

(ギリシャ・レスボス島にて。「海の向こうにうっすら見えるのがトルコです。シリアの人たちは命がけでトルコからギリシャの島まで来て、ドイツやスウェーデンに向かいます)

「あなたのおかげで夢が持てたよ」。
いつか彼女に伝えたい

(2009年、シリアの小学校にて。この子たちは今、どのような人生を歩んでいるのだろうか)

中野:
シリアの人たちを訪ねる旅の最中、トルコでシリアの子どもたちのための教育支援活動をしている26歳のシリア人の青年ウサマと出会い、夢を語ってくれました。「子どもたちが夢をかなえる学校をつくりたい」と…。そう、僕がシリアにいた頃、ブトゥーレちゃんが語った夢と同じ夢だったんです。

──すごい、つながりましたね。

中野:
そうなんです。驚いたし、その瞬間に、僕に夢ができたんです。「シリアの子どもたちの夢をかなえる学校を作って、彼女の夢の続きを僕がかなえよう」と。
ブトゥーレちゃんに再会した時、今度は僕が彼女に言いたいんです。「僕もあなたのおかげで、夢を持てたよ」って。「あなたのおかげで夢を持てて、それをやっているよ」ってブトゥーレちゃんに胸を張れる人になりたい。僕の活動への大きなモチベーションです。

(現地パートナーのウサマさんと中野さん)

「平和とは何か」を一人ひとり考えることが、
平和への道

(「戦争で破壊されてしまったシリアの学校の前で、私たちに支援を求める子どもたちの姿です」)

中野:
シリアの戦争は、政治的にさまざまな要素が複雑に絡み合っています。
だから僕は、団体のイベントとしては戦争を単純化しないように気をつけています。単純化したほうがメッセージとして強いし拡散しやすいかもしれません。だけど「正義vs悪」などと単純化されたものを無批判に受け入れるのではなく、複雑な部分を理解しようとしたり考えたりする姿勢を持つことが、平和への一歩だと信じています。

──確かに。

(2022年1月 プロボノスタッフが「自分の目で確かめたい」とシリアの人たちの生の声を聞くためにトルコの補習校を訪問)

中野:
シリアの戦争が始まって11年が経ちました。
この10年で戦争によって失われてしまったものは大きく、そこを強調することもできなくはありませんが、私たちは課題ではなく魅力を伝えることを大切にしてきました。

11年という節目に、「次の10年をどんな未来を描いていきたいか」というシリアの人たちの想いに耳を傾けることから始めていきます。
その想いに寄り添って、楽しくワクワクする、ポジティブな未来を一緒に作る仲間作りをしながら活動を進めていきたいと思っています。

(大阪で開催した「夢の絵でつながる交流イベント」。シリアの子どもたちが描く将来の夢を、真剣に見つめる日本の子ども)

チャリティーは、平和構築の土台となる教育支援のために活用されます!

(「2008年、遺跡を歩いていると、遠足で来ていた学生たちに囲まれました。その時に撮影した一枚です」)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

中野:
シリアの未来を担う子どもたちに、平和を築く土台としての教育を届けるために活用させていただきます。
元々100%近い就学率、高い教育レベルを誇ったシリアでしたが、半数のシリアの子どもたちが学校に通えていない状況にあります。一人でも多くのシリアの子ども達が教育を受けられるよう学校の運営費として、具体的には先生たちへのお給料や水道光熱費、子どもたちの筆記用具購入のために使わせていただきたいと考えています。

シリアの未来を、そして世界の未来を一緒に作る仲間になっていただくことで応援いただけたら嬉しいです!

──貴重なお話をありがとうございました!

(団体を支えるスタッフの皆さんと。「2021年、コロナ禍で会議は全てオンラインに。日本全国だけでなく、トルコ、ケニア、エルサレムと世界中でつながり、活動を進めています」)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

ウクライナ情勢が緊迫しています。離れ離れになる家族の姿をテレビで見て、改めて「平和とは何か」「戦争とは何か」を考えさせられます。
人々のかけがえのない暮らし、ましてやいのちまでをも奪って、かなえられるものや得られるものは、果たして一体何なのでしょうか。それ以上に価値があるものなのでしょうか。争いによる深い傷つき、悲しみや憎しみを、私たちはどう癒していくことができるのでしょうか。

今回中野さんのお話をお伺いするまで、恥ずかしながらシリアがこんなにも魅力的な国であることを知りませんでした。…私も、シリアを訪れてみたいです!その日を楽しみに、今日、私なりの平和を考え、意識し、築いていきたい(気付いていきたい)と思いました。

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シリアに古くからあるダマスク柄を用い、シリアの豊かな土壌や文化、人々の暮らしを噴水から湧き出る水で表現しました。
よく見ると、噴水や水の中にパズルのピースのかたちが。団体の活動への思いを表すものとして描いています。

“You are the piece of peace”、「あなたこそ、平和の1ピース(あなたの思いや行動で、世界は平和な場所になる)」というメッセージを添えました。

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