CHARITY FOR

小児がんや重い病気を持つ子どもたちと家族が、退院後も笑顔で、安心して暮らせる地域のために〜NPO法人チャイルド・ケモ・ハウス

神戸・ポートアイランドにある滞在施設「チャイルド・ケモ・ハウス」。
「がんになっても笑顔で育つ」をモットーに、小児がんをはじめとした医療的ケアが必要な子どもとその家族が、病院での治療中もまるで我が家で過ごすように、それぞれの居室ですごしたりきょうだいさんと遊んだりしながら滞在・宿泊できる施設です。

施設が開設して9年。NPO法人「チャイルド・ケモ・ハウス」は、施設滞在中だけでなく、「退院後の生活」へのサポートにも力を入れています。

「退院後、子どもや家族は地域へと帰り、そこで暮らし、成長していきます。『病気の○○ちゃん・○○くん』ではなく、その子自身を見てくれて、病気に関する悩みや不安も気兼ねなく話せる人や受け止めてもらえる場所が地域にあれば、本人はもちろん、家族もずっと過ごしやすくなるのではないでしょうか」

そう話すのは、団体副理事長で自立支援員の田村亜紀子(たむら・あきこ)さん(48)。田村さんご自身も息子が小児がんと診断された時、地域の人たちの存在が力になったといいます。8歳で息子さんが亡くなってからも、つながりのあった仲間たちの存在が彼女に前を向かせてくれました。

活動について、ポートアイランドにある施設にお伺いしてお話を聞きました。

(お話をお伺いした田村さん(写真右)。スタッフの本庄さん(写真左)と)

今週のチャリティー

NPO法人チャイルド・ケモ・ハウス

病気の子どもたちや家族のそばに、安心してわかりあえる人の輪を広げたい。
兵庫県神戸市にある滞在施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を利用する重い病気をもつ子どもとその家族、また退院後に地域に戻り暮らしていく子どもとその家族を支援しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/02/07

退院後に戻っていく地域での
より安心な暮らしを目指して

(写真左:コロナ禍で外出できなくても、重い病気をもつお子さんとその家族が楽しめるコンテンツとして始めた「チャイチューブ」。写真右:ハウスの利用者だけでなく、地域の人やスタッフなど誰でもふらっと立ち寄り、気軽に交流できる場所を目指した「ふらりカフェ」)

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

田村:
NPOの活動としては、滞在施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を利用される小児がんをはじめとする重い病気をもつお子さんとそのご家族の支援をしながら、地域で暮らす当事者とそのご家族を支援しています。
以前から施設を利用される方への相談支援は行っていましたが、2020年10月には新たな拠点として西宮市内に事務所を借り、より生活に密着した支援を届けています。

(西宮の事務所にて、オンラインイベントの様子)

──どのようなご支援ですか。

田村:
入院中であれば、病気のことはお医者さんや看護師さん、制度のことはソーシャルワーカーさん、子どもの発達のことは保育士さんに尋ねられます。
しかし退院後に地域に戻ってから、学校生活のこと、日々の生活のこと、きょうだいさんとの関係…、それぞれの家族が抱える「漠然とした悩みや不安」については、相談できる場所もなく、困っている方が少なくありませんでした。

退院後に関しては、治療そのものよりも世間がどう思うか、世間にどう受け入れてもらえるかで悩むことが少なくありません。私自身、息子が退院して地域に戻った時に大変さを感じました。

こういった課題をサポートするために、神戸市・西宮市・尼崎市を拠点に、重い病気をもつ子どもとそのご家族のための相談窓口や居場所づくりを行いながら、地域の中にサポーターを増やす活動にも力を入れています。

(自立支援イベントでの親子ワークショップ。写真は、思春期世代の重い病気をもつ方たちとのワークショップにて、皆でクッキー作り)

小児がんや重い病気が
「特別なこと」と思われ、地域と切り離されている

(神戸・ポートアイランドにある滞在型療養施設「チャイルド・ケモ・ハウス」外観。「保護者の方が夜に病院から帰ってきても、ハウス(家)には暖かい光が灯っていることが日常になるように」)

──小児がんをはじめとする重い病気をもつ当事者の方やご家族が地域で暮らしていく時に、どのような壁があるのでしょうか。

田村:
医療技術が発展し、ひと昔前は救えなかった命が救えるようになりました。小児がんの生存率も上がっていますし、医療的ケアが必要な子どもの数も増えています。

子どもたちは病院を退院した後、地域に戻り、そこで暮らしています。しかし「小児がんや医療的ケアが必要な子どもを知らない、会ったこともない」という声を聞くことが少なくありませんでした。

(コロナ前、ハウスで行ったクリスマスイベントでの一枚)

田村:
入院や治療は「特別なこと」として周囲の目も向きやすい面がある一方で、こういった子どもたちやご家族が実際に地域で暮らしているんだよということについては、まだまだ問題意識をもってとらえられていないところがあると感じています。

「子どもたちはずっと病院にいるわけじゃないんですよ。治療を終えた後は、皆さんの暮らす地域に帰っていくんですよ」とお伝えしても、なかなか伝わりにくいところがあると感じてきました。

──なるほど。

田村:
小児がんや重い病気が、何か遠くで起きているすごく特別なことではなくて、地域で、もしかしたら自分のすぐそばで当事者の方が暮らしているかもしれないという意識が広がっていけば。そうすれば、当事者やそのご家族がもっともっと生きやすい社会にもつながっていくのではないでしょうか。

(毎年1000人以上が参加する一大イベントに成長した、「チャイルド・ケモ・ハウス チャリティーウォーク」)

「行ってはいけない場所がある」。
生きづらさを感じている当事者と、地域の人たちをつなぐ

(写真中央、マスクをしているのが、8歳で亡くなった田村さんの息子の結人くん。「お友達に車いすを押してもらい、遠足に参加した時の一枚です」)

──当事者の方は、具体的にどんな生きづらさを感じているのでしょうか。

田村:
ハード・ソフト、両面での生きづらさがあると思います。
ハード面については、たとえば車椅子や人工呼吸器をつけている方が移動しづらいとか、外出できる場所が限られてしまうということがありますよね。しかし同時に、ハード面の壁と同じくらい大きく立ちはだかるのがソフト面の壁で、「他の人がいる場所に私たちが行ってもよいのだろうか」という当事者やそのご家族の思いです。

親御さんに話を聞くと、「あっちの世界とこっちの世界」ではないですが、病気や障がいが特別扱いされて、地域の中にいけない場所があまりにも多いと。私たちは、そこをなんとかできないかと活動しています。

(滞在型療養施設「チャイルド・ケモ・ハウス」にて、滞在者と話すスタッフ)

田村:
誰でも利用して良いはずの子育てサロンの利用を断られたとか、車椅子に乗った子どもを連れてお店に入りづらいといった声も多く聞きます。病気や障がいに関係なく、地域の中で子どもの成長を温かく見守り、子育てを応援できる場所を増やしていきたいと思っています。

逆に、地域の方やお店さんから「うちのお店だったらいつでも来てくれていいのに」とか「ゆっくりできる場所を確保するから、いつでも声をかけて」というありがたい声もあります。でもそれが当事者に伝わっていないことが多いです。

生きづらさを感じている当事者の方と、「いつでもウェルカムだよ」という地域の方とをつないでいくことも、私たちのひとつの役割だと思っています。

(2010年、ハウス設立を目指し、大阪の彩都で開催した「かえっこバザール」にて。「『かえっこバザール』は、日本だけでなく世界でも開催されている子どもたちのためのイベントです。使わなくなったおもちゃを持ち寄って別の好きなおもちゃと交換できたりるすのですが、私たちは病気をもつ子どもと地域の子どもとが一緒に楽しんだり、病気を知ったり考えてもらうきっかけにしたいとさまざまな工夫を凝らしながら開催を続けてきました。地域で暮らすお友達もたくさん遊びに来てくれます」)

心のバリアフリーを可視化する
「みえてくPROJECT」

(「2020年夏、ポートアイランドにある神戸空港で働くANAの方がひまわりの種をお持ちくださり、ご自宅に戻られるご家族やチャイチューブに参加してくれた子どもたち、支援者の方などにお配りしました。2021年の2月には、ANAの皆さまと子どもたちをつないだオンラインイベントも開催、関東で暮らすお子さんも含め、50名近い方が参加してくださいました」)

──どちらも嬉しいですね。

田村:
私たちがこれからスタートするプロジェクトの一つに「みえてくPROJECT」があります。見えないバリアを取っ払い、心のバリアフリーを可視化するプロジェクトです。

地域で美容院やなどの店舗をしている方に、病気のことや「ご本人やご家族はこんな気持ちなんだよ」を知っていただく講義を受けてもらって、「うちには遠慮なく来てね」「ウェルカムですよ」という意志表示をしていただくもので、店舗に貼っていただけるようなステッカーや、レジなどの横にちょこんと置いていただけるようなミニカードを製作中です。

お店の方が「うちはウェルカムですよ」と思っていても、接点もないし入ったこともないお店だったら、それを伝えることはなかなか難しいですよね。かたちがあって見ることができたら、お互いに安心できます。

(2022年春ごろより本格始動する「みえてくPROJECT」。写真は「みえてくPROJECT」に賛同した店舗がお店に張れるステッカーと、プロジェクトの紹介カード)

地域の中に、安心感を増やしていく

(結人くんが入院中、通っていた小学校の運動会の応援に、久々に学校へ。「仲の良い友達がかけつけてくれました」)

田村:
本人がつらくて大変なのはもちろんそうなのですが、病気と付き合いながら生きていく中で、親もまた、アイデンティティをどのように保ちながら我が子と、あるいは社会と関わっていくのか悩みます。家族はそれぞれに悩みます。

その時に、家の中だけでなく外にもたくさんつながりがあって、悩みや不安を話せるような温かい場所や雰囲気があることが大きな力になるのではないでしょうか。

自分や家族の病気や障がいのこと、悩みや不安を話してもいいんだ、話しても引かれないんだ、受け止めてもらえた、という安心感を増やしていきたい。重い病気をもつ子どもと親御さんは、閉鎖的な環境下だと互いに依存関係になりがちです。だけど、お互いいつかどこかで自立していかなければならない。地域が受け皿となって、それぞれが自立して生きていくサポートやヒントになれたらと思っています。

(田村さんと結人くん。2008年、遠方の病院でしかできない治療を受けに行った際、病院の駐車場で)

──心強いですね。

田村:
地域の中にサポートの輪を広げるために、地域の中で安心して「あのね…」と話せる「あのねサポーター」の育成にも取り組んでいます。

──どのようなものですか?

田村:
子育てサロンや幼稚園、学校など地域で何か活動をされている方を対象に実施していて、「みえてくPROJECT」よりも少し詳しい講座を受けてもらい、受講後に「あのねバッジ」をお渡ししています。

(「あのねサポーター」であることを証明するバッジ。「講座を受けて、あのねサポーター(あのサポ)に認定をされるとテキストなどのほかに、『あのねバッジ』を進呈しています」)

田村:
このバッジをつけている方がいたら、その方は重い病気をもつ子どもやそのご家族が何か困ったことがあった時に「あのね…」と話しかけてもらって良いですよ、という目印です。

専門職ではありませんし、何か特別なことができるわけではないかもしれません。
だけど、地域の中に「あのね」と話しかけられる人がいるという安心感、思いを持つ方がいるという安心感が家族を支え、誰もが暮らしやすい社会へとつながっていきます。
今後も、地域を一緒につくっていく仲間を増やしていきたいと思っています。

(2021年夏に第1回「あのねサポーター養成講座」を開催。「皆さん、あのねサポーター認定です!」)

皆とは違う子がいた時に
「がんばっている子なんだろうね」と話してほしい

(「『あのねサポーター』の講座を受けてくださったalal myhome cafeさん(大阪府大東市)。お店の前にあのサポのポスターを掲示してくださっています」)

田村:
重い病気をもつ子どもたちは、長い入院で友達の輪に入りにくかったり、体力が十分に戻っていなかったりと、学校でもしんどい思いをすることがあります。
息子もそうでした。お友達には恵まれていたのですが、体力面がついていかず、学校の中で最も楽しいはずの休み時間を一人寂しくポツンと過ごしている姿を見た時は切なかったです。

また小児がんの場合は、抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ちます。
ある時、小学2年だった息子を学校に迎えに行くと、1年生の男の子が「ハゲ、ハゲ」といいながら前を通り過ぎました。息子の友達が息子に「放っとき」と言ってくれて、息子はその場を離れたのですが、迎えに行って思いがけずその場に遭遇した私は、相手の子はまだ小さいし、気になって彼の背中をトントンとたたいて言ったんです。

(剣道をがんばっていた結人くん。「治療中でも許可が出たときは剣道の道場に行き、お稽古に励んでいました」)

田村:
「ハゲはね、病院で大変なことをいっぱいして、がんばった証拠なんだよ」と。そうすると次に迎えに行った時には、彼は「ハゲはがんばった証拠、ハゲはがんばった証拠」と言いながら私たちの前を通り過ぎていきました(笑)。

子どもの場合は好奇心からつい強い言葉になってしまうところがあります。でも「なぜそうなったのか」を伝えるとちゃんと理解してくれる。だからこそ、周りの大人たちがきちんと伝えなければいけません。

(小学校でのがん教育講演会にて話をする田村さん。「小児がんについての正しい認識と、患児家族から見た学校のお友達や周囲の人との関わりの大切さなどについて語りました」)

田村:
「見たらダメ」とか「その話題に触れたらダメ」と大人が腫れ物のように扱ってしまうと、幼い子どもは知るチャンスを失い、病気や障がいは何かいけないこと、触れてはいけないことなのだと認識してしまいます。

皆とちょっと違う人がいた時に、気になって凝視したり口にしたりすることは悪いことでありません。その時に近くにいる大人の方が、事情を知らなくても「きっと頑張ってる子なんだろうね」という話をしてもらえたら嬉しいなと思います。

小児がんに限らず、車椅子に乗っていたり人工呼吸器をつけていたり、肌の色が違ったり日本語が話せなかったり、ワーっと叫んでいたり…いろんな人がいます。「違うからおかしい」「違うから見ちゃダメ」ではなく、人と違うことで大変な思いをしていることが本人にはきっとたくさんあるので、「ちょっとがんばってる子なんだな」と温かく見守ってもらえたらと思います。

(「以前からチャイケモを応援してくれている、1992年バルセロナ五輪メダリストの奥野史子さん。2019年に、奥野さんのサポートのもと、小児がんを経験した子どもたちとそのきょうだいと一緒に本格的なアーティスティックスイミングを体験しました。地域の水泳部の中学生も、子どもたちのサポート役として協力してくれました」)

「がんではない息子を知ってくれていた、
そのつながりが、力になった」

(最初の入院をした時の結人くん。「初めの入院では何が何だか分からず、すべてを怖がっていました。仮面ライダーが大好きで、好きなものをベッド周りにたくさん置いていました」)

田村:
息子の結人(ゆうと)は、2歳9ヶ月でがんを発症しました。最初は夏風邪かなと思っていたのですが熱が下がらず、採血して小児がんであることがわかりました。

1年間の抗がん剤治療と手術で寛解(病気の症状や徴候の一部またはすべてが警戒した状態、あるいは見かけ上、消滅して正常な機能に戻った状態)し、元気に幼稚園と小学校に3年間、通いました。小学校1年生の夏に再発が分かり、その後2年、病院と家を行き来する生活が続き、小学校3年生で亡くなりました。

──そうだったんですね。

田村:
最初の入院中、ずっと退院を目指して頑張ってきたけれど、退院後にも様々なしんどさがあることを知りました。
結人は治療の影響で白血球の数が少なく、免疫力が低下しているので人がたくさんいる場所にはいけないし、血小板の数も少なく、転んだりぶつかったりすると内出血が止まらなくなってしまうので、同世代の友達と遊ぶこともなく、朝から晩まで二人きりでした。

(「病院に来てくれたクリニクラウンと、大はしゃぎの結人です。入院中も、体がすごくしんどい時以外はとても明るく過ごしていました」)

田村:
ある時彼が、ぽつりと「母ちゃん、結人にはお友達がいないなあ」と呟いたんです。「そうだよな、病院の先生からぶつかったらあかんと言われているけど、頑張ってみるか」と思って。家の周りで遊んでいた子どもたちのところへ行って、本人が頑張って「結人のおうちに来てよ」と声をかけて、はじめてお友達ができました。

でも最初は、つらかった時もありました。一度、数段しかない緩い階段の上から、お友達が結人にぶつかったことがあったんです。
元気いっぱいの子ども同士ではよくあることですが、私がすごくびっくりして、そのお友達に「気をつけて!」と大声で言ってしまったんです。

大声が怒ったように過剰に反応しているように聞こえたのかもしれません。他のお母さんからも「わざとしたわけじゃないよ」と言われました。「わざとじゃなくても、息子にとっては命に関わることなんだ…」ということを言えないまま、その時は別の部屋で泣いてしまいました。
落ち着いてから、お母さんたちにちゃんと事情を話そうと思い、「実は息子はこうこうで、ぶつけると出血が止まらなくなるんです」と伝えると「そうやったんや、ごめんね」と言ってくれました。

(2006年、チャイルド・ケモ・ハウスの普及イベント前に募金箱を手作りする結人くん)

田村:
その時に「ケガさせたら大変やから、もう結人くんと遊ぶんはやめなさい」と言われたらつらかったのですが、その後も変わらず同じように遊ばせてくれて、ありがたかったし恵まれていたなと思います。

幼稚園の時に周囲の方たちの理解があって友達関係もできていたので、1年生の時の再発はものすごくつらかったですが、それも伝えやすかったし、結人が外泊できる時は連絡をとって遊んでもらったりもしました。「小児がんになった結人」ではない結人を知ってくれている人たちがいたこと、そのつながりが、本当に力になりました。

結人が亡くなった後も、このつながりが私の支えになりました。お友達とは今でもつながりがあって、成人式に会いに来てくれたり、チャイケモのイベントにも足を運んでくれたりしています。

(写真左上:「歩く筋力がなく車いすで参加した遠足。皆がのぼっているはしごに本人ものぼりたいと言って、親友に下から支えてもらってのぼりました」。写真右上:「はしごをのぼり切った時の写真です。親友のお友達は下から支えていたので、汗びっしょりな様子です(笑)」。写真下:「亡くなる1か月前に結人が書いた字です。最後に書いた文字となりました」)

──ご活動の原動力を教えてください。

田村:
活動が過去の自分の経験にとらわれてしまっていないかとふと思う時もありますが、今の当事者の方たちの声を聞きながら、自分も悩んでいたな、困っていたなということを一緒に解決していくための活動ができるのは大きなモチベーションです。

もう一つは、自分のことになってしまいますが、私が人生を終える時が来たら、結人には「よくやったね」と迎えにきてほしい(笑)。「ごめん、中途半端で」と彼に言うのは嫌かなと思っていますね。

息子はチャイルド・ケモ・ハウスの施設完成前に亡くなってしまいましたが、生前、私がチャイケモの普及活動をしていることを知っていました。闘病中、息子の状態が良くなくて私の方が落ち込んでいた時に、彼が私に「いいやん。俺を産んだし、チャイケモの活動できてるし」と言ってくれたんです。

「確かに、私はそれで十分」と思って。私がここで病気のお子さんやご家族の支援に取り組めていることに対して、彼が「いいやん」と言ってくれたこと、認めて応援してくれたことは、今でも私の中で大きな力になっています。

(広がる支援の輪。フルーティスト奥野由紀子氏によるチャリティーコンサート(写真左上)。「つながる7レモネード」によるグッズリターンで集まった寄付(写真左下)。大阪府にある「alal myhome cafe」による常設募金箱などで集まった寄付(写真右上)。「おおさかチルドレンズ クワイアカラフル」によるイベント参加支援(写真右下))

チャリティーは、サポーターを増やすための資金として活用されます!

(パワーアップした「チャイケモのかえっこバザール」ではチャイケモの登録ボランティアさんたちがたくさんお手伝いに来てくれました(写真は2019年時)。皆、忍者のポーズでパチリ!)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

田村:
チャリティーは、「みえてくPROJECT」や「あのねサポーター」をはじめとして、地域の中にサポーターを増やしていくため、研修会などを開催するための資金として活用させていただく予定です。地域の中に分かり合える仲間を増やしていくために、ぜひチャリティーアイテムで応援いただけたら幸いです!

──貴重なお話をありがとうございました!

(インタビュー後、チャイルド・ケモ・ハウスの前で田村さん、本庄さんと。寒い中温かく迎えてくださり、心も温まる時間でした。ありがとうございました!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

「皆とはちょっと違う人がいたら、『ちょっとがんばってる子なんだな』と温かく見守ってほしい」という田村さんの言葉がとても印象的でした。

生きていたら大変なこともしんどいこともあります。いろんな人がいて、また同時にいろんな気持ちの日があって、それらを拒まれたり否定されることなく受け入れ合うことができたら、それは病気や障がいのある人に限らず、誰もが自分らしく、のびのびと生きやすい社会につながるのではないでしょうか。

・NPO法人チャイルド・ケモ・ハウス ホームページはこちらから

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ハウスを形どった手を描きました。地域の中に暮らす人たちが手を取り合い、誰もが我が家のように安心できる地域を増やしていこうというメッセージが込められています。

“Home is the starting place of hope”、「ホームは、希望が始まる場所」という言葉にもまた、誰もが日々の生活の中で希望を抱くことができる、温かいホームのような地域を築いていこうという想いを込めています。

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