CHARITY FOR

カンボジアで「やりたいことが自由に選択できる」生き方を発信。国を超えて「挑戦の連鎖」を生むために〜Kumae

かつて4年にわたって続いた内戦によって300万人が虐殺され、学校や病院、工場などが破壊され、それまでの暮らしや文化、伝統が奪われたカンボジア。

世界遺産「アンコールワット」があるシェムリアップ市内から25kmほど離れた村で、「村の人たちが生きる選択肢を増やしたい」とさまざまな挑戦を続けてきた「Kumae(クマエ)」が今週のチャリティー先。

代表の山勢拓弥(やませ・たくや)さん(28)が初めてカンボジアを訪れたのは大学一年生の時。
華やかな観光地の裏で大量に出るごみの山で働く人たちがいることや、自分と歳のあまり変わらない子たちがタイへと売春へ行っているとなどを知り、社会課題を身近に感じたといいます。

翌年には大学を中退し、カンボジアへ移住。
「現地の人たちの選択肢を増やせるように」と活動を始めました。

「Kumaeは僕の挑戦そのもの」。そう話す山勢さん。
活動について、カンボジアからお話を聞きました。

(お話をお伺いした山勢さん)

今週のチャリティー

任意団体Kumae(クマエ)

挑戦の、その先へ。
カンボジア王国シェムリアップ州での活動を通して、「やりたいことが実現できる環境づくり」を目的に活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/01/24

「やりたいことが実現できる環境づくり」のために活動

(ゴミ山で働いている人たちを村の中で雇用する目的で始めた「バナナペーパープロジェクト」。「支援に頼らず生きていくことを目指しているので、紙のクオリティや寸法など細部にこだわり、世界のブランドにも通用するくらいのきめ細かいルールを自分たちで決めて商品づくりを行っています」)

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

山勢:
カンボジアの村で、「やりたいことが実現できる環境づくり」を目的に、選択肢や雇用を増やすためのさまざまな活動をしています。

一つが、バナナの木で一からつくった「バナナペーパー」を使ったアイテムの製作・販売です。村に自生しているバナナの茎から繊維を取り出して2〜3日間煮込み、叩いて繊維を細かくして紙をつくっています。
工房では現在12名の現地の方を雇用しており、製作のすべての工程は、機械を使わず手作業で行っています。

(オリジナルブランド「Ashi」のプロダクト。「写真のシリーズでは『折る』というテーマで商品づくりを行いました。紙であることの特長を活かし、今後も商品開発をしていきます」)

山勢:
バナナペーパーは独自に加工して水にも強く、カンボジアのお土産としてだけでなく、日本人向けに日常使いできるようなアイテムも増やしており、「Ashi(アシ)」というブランドとして販路を広げています。

ほかにも学生や企業の方を対象に、スタディツアーやインターン受け入れなども行っていましたが、コロナで少し難しくなりました。昨年から力を入れているのが「NFC KUMAE」というプロジェクトです。自分たちの「こんなことをやってみたい」という挑戦を応援し、具現化する場所です。

(カンボジアを訪れる人たちにツアーも開催。「Kumaeのツアーでは、一般の観光では知り得ないゴミ山を案内したり、村の中を散策したりします。有名な観光地・アンコールワットの裏側に実はさまざまな社会課題があることを紹介し、それを知った一人ひとりが行動に移してもらえるような内容を意識しています」)

軽い気持ちで参加した学校建設のボランティアで
人生が大きく変わった

(村のごみ山。「インフラの整っていないシェムリアップ。きらびやかな観光地の裏で、そこで出た大量のゴミが郊外の土地に捨てられ、山のように積み上がっています」)

──活動を始められたきっかけを教えてください。

山勢:
僕が最初にカンボジアを訪れたのは2013年、大学生になったばかりのゴールデンウィークでした。古着を配るボランティアに参加し1週間ほど滞在しました。次に訪れたのが夏休みで、学校建設のボランティアで1ヶ月半滞在しました。

──カンボジアや現地の課題に対して何か特別な思いがあられたのですか?

山勢:
当時の僕に何か課題感があったかというと、そうではありません。賛否はありますが当時は学校建設が流行っていて、知人に誘われて軽い気持ちで参加しました。

すると、そこで知り合った15、6歳の現地の子たちが、ある日いきなり現場に来なくなるということがあったんです。話を聞くと「タイに売春しに行った」と。自分とたいして歳の変わらない子たちがそのような現実に直面していることを知り、衝撃を受けました。それが社会課題に目を向けるようになったきっかけです。

──そうだったんですね。

(大学生の頃、カンボジアを訪問した時の一枚。「高校時代に勉強したカンボジアは、ポルポト政権や内戦による地雷や物乞い、孤児たちという印象でした。農村部でその名残を感じた一方で、中心地ではきらびやかなレストランやホテル群、グローバルな観光客が集まったバーなど、想像とかけ離れた世界が広がっていました」)

山勢:
現地のことを知れば知るほど「問題があるな」と思い、もう少し知りたい、掘り下げたいといろんな人に話を聞くようになってから、きらびやかな観光地の裏で、大量のごみが郊外の村に1箇所に集められてごみ山になっており、そこで働く人たちがいることを知りました。

その後、帰国して大学生活に戻るのですが、問題を目の当たりにしたまま大学生活を送ることができなくて。
「自分は何がしたいのか」を問うた時、僕の中で答えは日本ではなく、カンボジアにありました。大学2年の春には大学を中退してカンボジアへ渡り、現在まで活動を続けています。

(ごみ山で働く人たち。「近くの村に住む人たちがごみ山で働いています。大人に混じり、子どもたちも働いています」)

社会の光と影。
きらびやかな観光地の裏で、ごみが廃棄される村

(近くの山から見た、村の田園風景。ごみ山のすぐ近くに、昔からの変わらない風景と人々の暮らしがある)

──活動拠点である村について教えてください。

山勢:
シェムリアップ市内から25kmほどの場所にある、ごみ山があることで有名な「アンルンピー村」「プノムダイ村」が僕たちの活動拠点です。

シェムリアップ市にある世界遺産「アンコールワット」は、年間500万人以上が訪れる観光地です。
多くの人が訪れ昼夜を問わず賑わうこの街で、当然日々多くのごみが出ます。しかしインフラが整っていないためにごみの処理が追いつかず、2000年以降、市街地から離れ自然豊かだったこの村に、まるで隠すかのようにさまざまなごみが運ばれて廃棄されています。

村の景色は一変し、村の人たちは、「お金になるから」とごみの山からリサイクルできるものを拾って生計の足しにしていました。社会の光と闇を感じました。

(ごみの山の中から、リサイクルできるものやお金になるものを探す人たち)

山勢:
村に入った時、独りよがりな考えやエゴではなく、「現地の人たちにとって何が起きているのか」をきちんと知りたいと思い、3〜4ヶ月をかけて村の一家族一家族、訪れては話を聞かせてもらいました。当時は現地の言葉もままならなかったので、ゼスチャーや指差しを交えての会話でした。

その時に僕の中で一番印象的だったのが、現地の人たちが「ごみ山は稼げる」と思っていることでした。

ごみ山のすぐ近くには豊かな田園風景が広がっていて、ごみ山で働く以外の選択肢があることは明らかです。
なのになぜ、あえてごみ山で働くのか。もし村の中にごみ山と同じぐらい稼げる仕事があれば、皆はごみ山ではなくそこで働けるのではないか。

そこで現地で生きる選択肢の一つとして、ものづくりをスタートしたんです。それがバナナペーパープロジェクトです。

(バナナペーパー工房で働くスタッフの子どもたち。カメラを前に、無邪気な笑顔)

子どもたちの将来の夢はたった4つ。
未来への選択肢がないことを知った

(「村での仕事の選択肢を増やして、村の人たちが村で生活できるようにしたい」と思った家族との出会い。「ごみ山で出会い、ご飯に誘ってくれたりカンボジア語を教えてくれたり、とても親身になってお世話をしてくれた家族です」)

──大学を辞めてカンボジアに渡られる際、不安はなかったですか?

山勢:
最初はNPOではなく、学校建設で知り合った仲間がカンボジアで旅行会社を始めるということで、立ち上げボランティアとして僕もカンボジアへ行ったんです。

大学の授業でもNGO論をとっていましたが、実際に僕が見たカンボジアの景色と、先生の話に温度差があるというか。講義を聞いて「そんなもんじゃねえよ」って思っていました。今思うと先生は政府と仕事をしたりしていたので、僕が見た景色とはまた違う景色を語っていたんだと思うんですけど、当時は現地感が伝わってこなかった。

大学が楽しくない、面白くないと感じていたところに、つい少し前まで高校生だった自分が、カンボジアを訪れてもっともっと広い世界を知って。今考えると安易ではあるのですが、不安よりも「楽しいカンボジアへ行くんだ!」という心持ちでしたね。

(バナナペーパープロジェクトのスタッフの女性の結婚式)

──なるほど。そしてカンボジアでのお仕事がスタートしたんですね。

山勢:
はい。当時、シェムリアップでは遺跡や観光地のツアーがほとんどでした。現地を訪れる人たちにもう少しローカルな、観光地の光の部分だけでなく闇の部分も知ってもらいたいと思い、ごみ山の村のツアーを企画したんです。

そのための情報収集していた時、村の子ども60人ほどに将来の夢のアンケートをとったんです。すると子どもたちの答えは「学校の先生」「お医者さん」「大工さん」「ごみ拾い」のいずれか。
60人もいるのに、4つしか答えがなかったんですね。ここでも「この村には選択肢がない」ということを感じさせられました。

旅行会社のスタッフとしてツアーを運営しつつ、一方でお客さんが来る時期は限られているので、それ以外の時期、最初は「選択肢を増やす」ために「日本語学校を立ち上げる」というコンセプトでKumaeとして活動をスタートしました。

(Kumaeで最初に設立した日本語学校。「日本語ガイドの資格や先生の資格を自分で勉強をして取得したキム先生が日本語を教え、子どもたちは真剣に授業を聞いています」)

バナナペーパーづくりで得た、挑戦の手応え

(「バナナペーパープロジェクトを始める前は一般的な紙が何からつくれているかさえも知らなかったごみ山の生活者が、事業を通して立派な職人となり、こだわりを持って商品をつくっている姿。僕にとっても希望を感じ、ワクワクする姿です」)

山勢:
日本語学校の運営費を集めるために写真展などを各地で開催していたのですが、その際「何か現地の物を販売できないか」という思いと「さらにそれが現地の雇用につながれば」という思いから、ものづくりへの挑戦がスタートしました。

──最初からバナナペーパーに目をつけていらっしゃったのですか。

山勢:
他にもいろいろ試しました。他の地域で現地の人たちの雇用につながるものづくりをされている方にも話を聞いて、真似してミサンガをつくったり、ごみ山のガラスを生かしてガラス玉ができないかと試作してみたり‥。

どれも目的は「ごみ山で働く人たちの雇用のため」ではあったのですが、僕自身が面白くなかった。続けていけないなと思いました。

(遺跡の大自然の中、バナナペーパープロジェクトのスタッフたちとフリートーク。「大自然の中、心を許したみんなと語り合っているときが一番幸せです」)

山勢:
誰でもやれることをやっても仕方ない。現地の人のためにもなり、僕も楽しくて、観光客の人たちにも手にとってもらえるようなものがつくれないかと思っていた時に、当時の彼女、今の奥さんから「カンボジアのお土産屋さんに並んでいる商品は、ほとんどがカンボジア製ではなくタイや中国製なんだよ」と教えてもらったんです。

「だったらカンボジアにあるものを使って、カンボジアならではのお土産をつくりたい」と思い、たくさん生えているバナナの木をどうにか生かせないか、紙にできるのではないかとバナナペーパーづくりの挑戦を始めました。

試行錯誤の繰り返しでしたが、一つひとつ仮説を立てながら実践していくのが楽しかった。そして思い通りのものができた時の達成感はすごかったし、さらにそれがほしいと思う人の手に渡るのもすごく嬉しかった。
何もないゼロから1をつくること、未知への挑戦に大きなやりがいを感じました。

(共にサッカーを楽しむ仲間たちと。「週に一度、大好きなサッカーができること。そしてその後にスーパー銭湯に通えること。自分が好きだと思えることができることが、僕にとって大きなモチベーションになっています」)

挑戦の連鎖を生む、
「NFC KUMAE」プロジェクト

(新たなプロジェクト「NFC KUMAE」を実施しているKUMAEスタジアム)

山勢:
新たに2020年10月から、新たなプロジェクト「NFC KUMAE」をスタートしました。「挑戦の連鎖」を目的に設立したコミュニティで、75m×90mのサッカーコートほどの広さの土地(スタジアム)で、新たな挑戦を始めました。

──どのような挑戦ですか?

山勢:
カンボジアに文化としてもともとあったものやかたちを生かしながら、「これをやりたい」「やってみたい」という挑戦を具現化できる場所として、カンボジア人に限らず、日本人も含め挑戦者たちの挑戦を連鎖させるコミュニティです。

バナナペーパープロジェクトからは少し立ち位置を変えたものになりますが、kumaeが大切にしている「選択肢を増やす」というところでは目的は同じです。

(NFC KUMAEで新しく始めた挑戦。「肥沃な土地でしか栽培できないとされていた胡椒(こしょう)。田んぼの土をゼロから開発し、村の人たちと協力しながらシェムリアップで栽培する挑戦をしています」)

山勢:
養鶏や農業など昔からこの地域にあった暮らし、今風にいうと「持続可能な暮らし」ともいえるかもしれませんが、生活がどんどん豊かになる中で失われてしまった、人間や地球にとってごく当たり前だった環境づくりに挑んでいます。

カンボジアに来ると、多くの方が「自然が豊かですね」とか「SDGsの暮らしですね」というようなことをおっしゃるんですが、じゃあ果たしてごみ山を目の前にして、明らかに日本から持ってきただろうというごみもたくさんあるのに、それでも「自分の暮らしと関係ない、ここは自然が豊かですね」とは思わせないぞというか。

流行りや時代にとらわれない、生きることの本質をもっと簡単に、わかりやすく体感できる場所をつくりたい。そういう意味では、NFCは日本人に向けたコミュニティでもあるんです。

──というと?

山勢:
カンボジアの人たちは、日本人からすると豊かでもないし、僕が挑戦している通り、少ない選択肢の中で生きる人たちが多くいます。だけど僕が知っている限り、彼らは本質を知っています。数少ない選択肢の中で自分の心の声を聞き、軽やかに選び取り、行動する力を持っています。

日本人はどうでしょうか?逆に選択肢がありすぎて、自分の心の声を見失い、挑戦することや決断する力が失われているように僕は感じています。

少ない選択肢の中で軽やかに動くカンボジアの人たちと、選択肢が多すぎて重くなり、真面目にがんばりすぎてしまう日本の人たち。両者が出会うことで、お互いに刺激し合い、学び合えることがすごくたくさんあるのではないかと考えていて。

カンボジアの人たちの自立を応援しながら、日本の人たちに対しても「もっと自由に選択できる社会」を発信していくことができるのではないかと思っています。

(Kumaeのスタッフの皆さんと)

「Kumaeはまさに僕自身であり、
僕が生きてきた人生、僕の挑戦そのもの」

(サッカー選手を目指していた山勢さん、2年前にはカンボジアプロリーグのトライアウト(入団テスト)にも挑戦。「自らの挑戦を見せることで、たくさんの方が共感してくださいました。僕の挑戦を応援してくれるだけでなく『自分もやりたかったことに挑戦しました』というメッセージもいただき、自分の挑戦が、また別の誰かの挑戦の後押しになるんだということを強く感じました。トライアウトには、また挑戦するかもしれません」)

──山勢さんにとって、カンボジアはどんな国ですか。

山勢:
自由に選択させてくれる国、間違いや失敗を許してくれる国です。もちろん人道外れたことは許されませんし、自由であるための責任は問われます。やりたいことをやるために、やりたくないこともたくさんやります。
この自由の意味は履き違えてはならないですが、それでも何よりカンボジアは自分の選択をリスペクトしてくれて、懐深く受け入れてくれる国です。何か特別な理由があったわけではなく、初めて訪れた時から、自然に好きになっていった国ですね。

団体名である「Kumae」は、カンボジアの言葉で「カンボジア語」とか「カンボジアの」といった意味です。Kumaeはまさに僕自身であり、僕が生きてきた人生、僕の挑戦そのものです。

──最後に、メッセージをお願いします。

山勢:
「行動はメッセージ」ということをお伝えしたいです。

情報があふれる社会で、知識としては皆いろんなことを知っているし、その中であれがやりたい、これをしてみたいと言っている方たちがたくさんいるのも知っています。でもその時に、それを素直に行動に移すことができる人は本当にごくわずかです。

結果が失敗や成功かではなく、行動を起こすこと、起こしたことこそが力であり、メッセージなんです。挑戦は連鎖します。僕自身、自分の挑戦が誰かの挑戦の後押しになるということを実感してきました。

(「誰かの挑戦が、別の人の挑戦を後押しする。僕たちが挑戦する姿をたくさんの人に見てもらいたい」。バナナペーパーのバナナにちなんだ87kmを、日本の仲間たちとバトンをつなぎ完走。写真はシェムリアップ市内からアンルンピー村までを走る山勢さん)

山勢:
思い通りにならないことを環境や周りのせいにするのではなく、自分がワクワクして「やりたい!」と感じたのならば、その世界に一歩足を踏み出してほしい。

僕らの世代が、手放しで誰かの挑戦を応援できる大人になれたらと思っていて、活動を通して、これからもそこを伝えていきたいと思っています。
NFCはまだスタートしたばかりですが、お伝えしたような「挑戦の連鎖」が生まれる場所になっていけばと思います。

僕たちが主に支援しているのはカンボジアの人たちですが、「やる意味あるの?」ではなく「やってみよう!」というポジティブなパワーが、極論をいえばカンボジア人や日本人という枠を超えて、このプロジェクト内かどうかという枠も超えて、その人の人生の中である時、きっかけとなって挑戦につながってくれたら、僕は嬉しいです。

チャリティーは、NFC KUMAEにて「挑戦の連鎖」を生んでいくために活用されます!

(KUMAEスタジアムにある養鶏場。「ごみ山を見て、ものはやがてごみになるのだということを痛感してきました。人が手を加えなくても、それぞれの生き物が持つ特性や性質を最大限に活かし合えるパーマカルチャーに倣い、自然な循環を意識した養鶏や農業をゼロから行っています」)

──チャリティーの使途を教えてください。

山勢:
今回のチャリティーは、NFC KUMAEのスタジアムで挑戦中の養鶏の、鶏小屋の増築のために活用させていただく予定です。

ここから「挑戦の連鎖」が生まれ、一人ひとりが人生をワクワクで満たし、さらに誰かの挑戦も応援できるような場として成長させていきたいと思っています。ぜひ応援いただけたら幸いです!

──貴重なお話をありがとうございました!

(バナナペーパー工房の近くにて。自然をバックに、スタッフの皆さんと!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

自分を信じて生きること、生きていくことの難しさ。…いや、きっと本当は難しくなくてごくシンプルなのでしょうが、そうやって生きるんだと決めた、最初の一歩はめちゃくちゃ勇気が要りました。私がそうでした。
「やったって仕方ない」「どうせ結果は同じ」「いい年なんだから」…、挑戦しない言い訳を重ねるのではなく、「自分はこうしたい」「これをやってみたい」、直感のまま、ワクワクを感じる方へと突き進んでいくこと。挑戦とはすなわち「自分らしくある」ことの本質、根本なのかもしれません。

まっすぐに話してくださる山勢さんはとても頼もしくカッコよく、自分の感覚に素直に、夢や挑戦を本気本音でぶつけられたり受け止められる仲間や場所、そんな社会の雰囲気が、もっともっと広がっていくといいなと思いました。

・Kumae ホームページはこちらから
・Ashi バナナーペーパーブランド ホームページはこちらから

09design

窓やはしご、階段を抽象的なデザインに落とし込みました。
今、自分がとるアクションが、未来の自分をより良い場所へ、より高みへと連れていってくれる。自分の「こうしたい」「これが好き」を信じ、恐れず挑戦への一歩を踏み出そうという思いを込めました。

“Go beyond yourself”、「あなた自身を超えていけ」というメッセージには、「自分で思う以上に、あなたには力があるよ!」という温かなエールも込めています。

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