皆さん、成人式にはどんな思い出がありますか?
振袖や袴を着て撮影をしたり、同級生と久しぶりに再会したり…、華やかで楽しい思い出がある方も少なくないのではないでしょうか。
成人式の前撮りの相場は20〜30万円。児童養護施設を卒業した子どもたちは、頼れる親や家族もなく、生活費や学費を自力で稼ぐ中、この金額を負担するのは高いハードルです。
「児童養護施設を出た子どもたちに、成人式の前撮りをプレゼントとして『あなたは大切な存在だよ』と伝えたい」。
そう話すのは、今週JAMMINがコラボする「ACHAプロジェクト」代表の山本昌子(やまもと・まさこ)さん(28)。山本さんは生後4ヶ月から児童養護施設で育ち、18歳で施設を退所した後は学費を稼ぐためにアルバイト生活を送り、振袖を諦めた過去がありました。
実家のように帰れる場所もなく、「なぜ私だけ」「死んでしまいたい」と苦しんでいた時、振袖を着ていないと知って、全額負担で振袖を着せてくれた先輩の「あちゃ」さん。
「振袖を着せてもらった時、自分は大事にされてきたんだ、大事にされてもいいんだということを感じた」と山本さん。この時の経験を、同じように施設を出てがんばる人たちに届けたいと活動しています。活動について、お話を聞きました。
(お話をお伺いした山本さん)
ACHA プロジェクト
児童養護施設を巣立ち頑張っている人たちに、振袖や袴を着ての写真撮影と未来への一歩をプレゼントし、一生に一度の大人になる記念の節目に「生まれてきてくれてありがとう」を伝えたいと活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/12/13
(ACHAプロジェクトで写真撮影をした姉妹の二人。「6年前に振袖の撮影をさせてもらったお姉さんと、6年越しに成人した妹さんの振袖写真です。毎回おじいさまがお祝いに駆けつけてくださり、世代を紡いで撮影ができたことは、スタッフ一同にとって活動を続けてきた喜びを実感した瞬間でした」)
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
山本:
児童養護施設を出て成人を迎える方に、振袖を通して「生まれてきてくれてありがとう」を伝えるボランティアのプロジェクトです。受けていただく成人式の前撮りはもちろん、年齢関係なく後撮りもさせていただいています。ヘアメイク、着付け、撮影まで心を込めて対応しています。2016年3月に設立し、これまでに130人の方たちを撮影しました。
振袖を着た成人式の写真撮影がメインの事業ですが、ここから派生して、児童養護施設を出てがんばって子育てしているお母さんのお子さんの七五三の撮影やウェディング撮影などもしています。また、成人式に振袖を着て参加したいという方のために、安い価格でレンタルも行っています。
(撮影のための着付けやヘアメイクは、すべてボランティアが担う。東京の撮影にて、着付けの様子)
──団体の方で振袖を持っていらっしゃるのですか?
山本:
はい。最初は個人の方からお借りして撮影していましたが、プロジェクトをスタートして間もない2016年6月に全国紙で取り上げてもらい、そこから多くのメディアに掲載していただいたことがきっかけで、全国各地100名ぐらいの方から振袖やドレスを送っていただきました。今は振袖が130着、パーティドレスは75着ほどあります。
──すごい数ですね!柄や色がたくさんある中から選べますね。
山本:
最終的に台紙に写真を入れてお渡しするだけでなく、思い出としても残してもらえたらなと思っていて、着付けやヘアメイクの段階から写真を撮っている400枚ほどのデータもすべてお渡ししています。とても喜んでもらっています。
(全国から届いたドレスの一部)
(幼い頃の山本さん。「施設での生活の、何気ない1日の写真です」)
──山本さんはなぜこの活動を始められたんですか?
山本:
私自身も児童養護施設の出身者です。振袖の前撮りは大体20〜30万、抑えられたとしても10〜15万かかります。普通のご家庭であれば親御さんがプレゼントしてくれることが多いと思いますが、援助してくれる親や家族がいない児童養護施設出身者にとって、まだ10代や20代前半の子がこれだけのお金を集めるのはすごく大変です。
振袖が着たいのに着られない、本当は成人式に参加したくても振袖が着られないから行きづらい…。18歳で施設を出た後、頼れる人もおらずただでさえ孤立している子たちが、さらに孤立を深めてしまうようなところがあります。
──山本さん自身は、成人式はどうされたのですか?
山本:
当時は専門学校に通うために、居酒屋でアルバイトしてお金を貯めていました。それが最優先だったので振袖を借りる余裕はなかったし、成人式にも出席しませんでした。
──出席したい気持ちはあったのですか?
山本:
行きたかったし、振袖を着たいとも思っていました。アルバイト先の上司が「成人式に行っておいでよ。シフトも休みにするよ」と言ってくれて、その時は「いや、別に成人式に興味ないし」と強がっていましたが、本音は行きたかったです。
(「今は亡きお母さまの振袖を着て、『一緒にお酒を飲もうね』という約束を果たすために、お母さまのお誕生日に撮影させていただきました。彼女の願いをかなえることができ、スタッフ一同、心と目頭が熱くなる撮影でした」)
(先輩の「あちゃさん」から振袖撮影をプレゼントしてもらった山本さん。ここで得た経験が、プロジェクトをスタートするきっかけになった)
──その後に振袖を着て撮影をしたのは、どういう経緯があったのですか。
山本:
お金も貯まり夜間の専門学校に通っていた時、たまたま廊下で先輩と「振袖を着ていない」という話になって。そうしたら先輩が、「着てないの?じゃあ、着る?!」みたいな感じで言ってくださったんです。
自分が児童養護施設の出身であることは当時からオープンにしていたので周りは皆知っていましたが、SNSで「死にたい」といった発言をしていた私に対して、「何かしたい」と思ってくださったようです。
──「着る?」と言われた時は、どんな気持ちでしたか。
山本:
「本当に?!着せてくれるの?!本当かなあ?!」みたいな、不思議な感覚でした。嬉しかったですね。振袖を着せてくださったのが「あちゃさん」という先輩で、「ACHAプロジェクト」という名前の由来はそこからです。
(愛知での撮影にて、ヘアメイクの様子)
──撮影の時はどんな感じでしたか。
山本:
撮影中は実感が湧かず淡々としている感じだったんですが、後日、完成した写真と台紙を見た時に感動して、「ああ、自分を育ててくれた職員さんや感謝している人に見せたい!」と思いました。振袖を着せてくださったあちゃさん含め「みんなに会いたい!」と思ったんです。
その時に、自分は不幸なんだとばかり思っていたけれど、いろんな人に支えられ愛されてここまで大きくなれたんだということにハッと気づいたんです。
私は児童養護施設が大好きでした。しかし18歳になると退所しなければならず、その現実を受け入れることができずにいました。
施設にいた頃は、帰ったら家に明かりがついていて「おかえり」と言ってくれる人がいました。でも施設を出た後、自分には帰る場所も居場所もなくて、喪失感や孤独感で苦しくてたまりませんでした。
でも振袖姿の写真を見た時、「私のためにこれだけいろいろやってくれる人たちがいるのに、私はいつまで言い訳をして生きていくんだろう」って。それまでの葛藤が吹っ切れて、「感謝を伝えにいかないと」と思ったんです。
──写真を見た皆さんの反応はいかがでしたか。
山本:
施設の職員さんは「ああ、大きくなったんだね」って喜んでくれました。そして「小さい頃はこうだったよね」って子どもの頃のいろんな思い出話をしてくれました。すべてを失ったと感じていたけれど、ああ、目には見えていなくてもずっとつながり続けていたし、これは無くなって消えるものじゃないんだって。一番大切なものは、なくならずにちゃんと目の前にあったんだということに気付くことができたんです。
(「私が2歳の時からお世話になっている児童養護施設の職員さんが、振袖を着ての講演を見に来てくださいました。その際に一緒に撮った写真です」)
(大阪の撮影にて、撮影した女性に台紙を贈呈した際の一枚)
──振袖姿の写真が、苦しみを乗り越えるきっかけになったんですね。
山本:
はい。私は家庭的で温かい、本当に幸せな施設と育て親に育ててもらいました。親がいないとか、なんで施設で育ったんだろうとか、そういうことに疑問を感じることすらなかったほどです。
しかし18歳で施設を出なければならないとなった時、自分にとって確固たる大切な居場所が、実は国の制度やいろんなもので与えられてきたものだったのかと。「みんなが言っていた『親がいなくてかわいそう』って、こういうことだったのか」とこの時初めて思いました。そして、初めて世の中を恨みました。
「なぜ」という疑問、悲しみ、怒り…。すごく苦しくてつらくて、ただ歩いたり電車に乗ったりしていても涙が溢れました。
(血の繋がりはありませんが、施設で一緒に育ったお姉ちゃんと、児童養護施設のスキー旅行に行った際の一枚です」)
山本:
どうして良いかわからず、この先何十年もこうやって苦しみながら生きていくぐらいなら、これまで生きてきたこの十何年の思い出だけを抱えて死んだ方が幸せなんじゃないか、人生に終止符を打った方が楽なのではないか思うようになりました。
「死にたい」と思う毎日の中で、「どうやったら死なないでいられるか」と日々戦っていました。
──死にたいという気持ちを、どう思いとどまったのですか。
山本:
施設を出たことで自分にとって大好きな場所を失った感覚はありましたが、「愛されて生きてきた」という感覚は失われずにそこにありました。もし私が命を絶てば、私を育ててくれた育て親が悲しんだり、「育て方が悪かったんじゃないか」と自分たちを責めたりするかもしれない。そうやって勘違いはされたくない。
「育ててくれた人たちのためにも、何があっても生きるんだ」というのが心の支えでした。
(「振袖の前撮り写真を見せに、私が最も尊敬する育て親(児童養護施設の職員さん)の家に行った際、一緒に育ったお姉ちゃんと3人で撮った写真です」)
──そうだったんですね。
山本:
施設を出て初めての大晦日、苦しくてつらくて、育て親に電話したことがあります。「私がんばってるよ」って聞いてもらいたくて。向こうも「昌子は頑張ってるよ」って言ってくれて、電話口で号泣しました。
児童養護施設は18歳で出た後、基本的には帰れる場所ではありません。一人出たら、また新しい人が入ってきます。今は少しずつ改善されているようですが、遊びに行きたい、会いに行きたいと思っても「忙しい」とか「決まりだから無理」と冷たく対応されることもあって、なかなか帰れる場所ではないんだという思いがありました。
──苦しい状況から、どうやって完全に抜け出せたのですか?
山本:
18歳から22歳ぐらいまではずっとそんな感じでしたが、21歳であちゃさんに振袖を着せていただいたこともとても大きかったし、周りのいろんな人に支えられながら少しずつ元気になっていきました。22歳の時は、すごく落ち込んでいたというよりは元気になる準備をしていた感じですね。そして、22歳の終わりに団体を立ち上げました。
(東京での撮影の際、スタッフの集合写真。「全国の支部を合わせると150名のスタッフが一緒にボランティア活動してくださっています」)
(「2歳からお世話になり子どもの頃から大好きだった先生に会いに行き、『ありがとう』のプレゼントを渡しました」)
山本:
私、21歳から22歳にかけて「生い立ちの整理」をしたんです。
──「生い立ちの整理」ですか?
山本:
はい。自分の過去を遡り、人生を振り返る作業です。保育士の専門学校で習っていたし、児童養護施設でも「生い立ちの整理が大事です」という冊子を配られていて、「自分が前向きに今後生きていくためには、これが必要かもしれない」と思って。
一年ほどかけて、過去の私を知っている人たちに会いに行きました。そして自分がどういう子ども時代を過ごして、皆にとってどんな存在だったのかを、改めて知る作業をしました。
その一つが「父親との対話」でした。ファミレスで4時間半ぐらい、「なんで施設に預けたの」という話から始まって、いろんな話をして。
──お父さまとは連絡が取れたのですね。
(「父親に振袖姿を見せた際の一枚です。『きものやまと』さんの写真コンテストにて最優秀賞をいただきました」)
山本:
父とは、幼い頃からずっと交流がありました。しばらく来ないこともあったけれど、施設に頻繁に面会に来てくれる人でした。一緒に遊園地や動物園に行ったり、夏休みや冬休みは旅行へ行ったりしていました。
もともと父とこういう会話をしなかったわけではないですし、なぜ施設に預けることになったのかをなんとなくは理解していましたが、ここで改めて整理したというか。父は毎回言うことが変わるので、「(施設に預けたのは)お母さんがお前を育てなかったからだ」と言うこともあれば「お母さんとお姉さんの仲が悪かったからだ」と言うこともあって。
いろんな角度から何が本当かを見極めるような作業でしたが、知らなかったことを知れたのは嬉しかったし、「父はこういう人なんだな」と理解が深められたのも大きな収穫でした。
──過去と向き合われたんですね。なかなかできることじゃないと思います。
(「児童養護施設、里親出身、虐待された経験のある仲間たちが自由に集える居場所『まこHOUSE』も運営しています。毎月15日には約20人ほどが集まり、ご飯を食べたり共にひとときを過ごします。お泊りも可能な居場所であることが特徴です」)
山本:
「私が全てをマイナスに変換していただけで、真実はそうではなかったんだ」って気づくことがたくさんありました。勝手に思い込んでいたことがたくさんあって、相手がいるなら、きちんと対話することの大切さを実感する時間にもなりました。
それまでずっと、自分が世界で一番不幸な悲劇のヒロインのように思っていたけれど、生い立ちの整理をして「そうじゃないじゃん!もう、こんなのやめよう。前に進もう!」という気持ちになりましたね。いろんなことをネガティブに、どんどんマイナスに捉えていたけれど、そんなこともしても何も生まれない。苦しいだけだし、ポジティブな気持ちで前に進もう!と思いました。
──そうだったんですね。
(「東京での撮影の際、児童養護施設の職員さんたちとのお写真です」)
山本:
プロジェクトを通じて「振袖を着る」ことを届けたいのももちろんそうですが、大人として認められるという人生の節目に「あなたは愛されているんだよ」ということも伝えたいと思っていて。
撮影の際に「振袖姿を見せたい人がいたら、現場にもぜひ呼んでくださいね」とお伝えすると、児童相談所や児童養護施設の職員さんが来てくれて、一緒になってその方の振袖姿を喜んでいるんです。
晴れ姿を見せたい人がいること。見に来てくれる人がいること。撮影を通して「自分はこんなにも愛されているんだ」と実感してもらえたら嬉しいです。
──振袖から始まる、愛の物語ですね!
(「2021年7月、田村厚生労働大臣に社会的養護経験者のメンタルケアの拡充を求める署名4万7403筆を届けさせていただきました」)
(「児童養護施設広報活動として、埼玉県の着物ショー『WABISABI大祭典』に大野知事と出演させていただきました」。写真は「WABISABI大祭典2021」での一枚)
──今後のご活動への思いを聞かせてください。
山本:
今は関東と関西をメインに活動していますが、どこに住んでいても支援を届けられるよう、地域の支援の格差を埋めていきたいと思っています。
児童養護施設の子どもたちはまとまっているので支援しやすいところがありますが、退所した後、個々でばらばらに暮らしている子たちに対しても支援を届けていきたい。今は皆がどんなことに困っていて、どんな支援が必要かを探している段階です。その時々で現場や真実にきちんと目を向けて、必要なアクションをとることができる団体でありたいと思っています。
(「児童養護施設出身の3人の視点から社会を考え、新しい未来を作るための”声”を発信する番組「THREEFLAGS-希望の狼煙(きぼうののろし)-」をYouTubeにて配信しています。ぜひチャンネル登録お願いします!」→ THREE FLAGS -希望の狼煙-)
──読者の方へメッセージをお願いします。
山本:
最近思っていることがあります。何か大きいことをしてたくさんの方に役に立つことだけが素晴らしいわけではなくて、皆さんの身近にいる家族や友人、隣の人を笑顔にすることができたら、大きな支援活動は必要なくなるのではないでしょうか。
「大切な人を大切にできる」社会がもっともっと広がったらと思っていて、「ぜひあなたの大切な人を笑顔にしてあげてください」とお伝えしたいです。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
山本:
振袖の撮影は、ヘアメイクや着付けも含めすべて無償で行っていますが、成人式に振袖のレンタルを希望される方には、一回1万円で貸し出しをしています。
今回のチャリティーは、振袖で成人式に参加したい施設出所者の方に、無償で振袖を貸し出すための資金として活用させていただけたらと思っています。一生に一度の晴れ舞台、「生まれてきてくれてありがとう」を伝えるために、ぜひ応援いただけたら嬉しいです!
──貴重なお話をありがとうございました!
(「児童養護施設出身の仲間達が、ACHAプロジェクト3周年をお祝いしてくれた際の写真です。現在は6年目、2022年3月で6周年を迎えます!」)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
理不尽さや苦しさや見たくない過去と向き合うことは、決して容易くありません。できれば見ないほうが傷つかずに済むように思うからです。明るく前向きに話してくださった山本さん、見習うところがたくさんあるなあと感じたインタビューでした。
無いものに目を向けるのではなく、あるものに目を向けて、感謝しながら生きていけたらいいなと思います。
一生に一度の晴れ舞台を写す手を描きました。写真を撮る人と撮られる人、あるいは写真を見せたい人…、人から人へと紡がれていく優しさを表現しています。
周囲に描いた花は、人の心を和ませ華やかな気持ちにさせてくれる桜の花と、「あなたに愛されて幸せ」という花言葉を持つアザレア。
“Thank you for being born”、「生まれてきてくれてありがとう」というメッセージを添えました。