皆さんが「居場所」だと感じられるのはどんな空間でしょうか。
家族との団らんでしょうか。大切な人に会っている時や愛するペットと過ごす時でしょうか。あるいは趣味や仕事に打ち込んでいる時でしょうか…。
今週、JAMMINがコラボするのは、福島県で「みんなの居場所」を発信する「KAKECOMI(カケコミ)」。
「KAKECOMI」の名前の由来は、「かけこみ寺」と「コミュニティ」。何かあった時にかけこめる、何もない時でも居心地がいい、安全でありながら閉ざされていない「ソーシャルなお茶の間」を運営しています。
代表でありソーシャルワーカーの鴻巣麻里香(こうのす・まりか)さん(42)はこどもの頃、母親が外国籍であることを理由にいじめに遭いました。「親にも話せず、存在を消して、毎日ただ息だけをしていた。つらかった」と当時を振り返る鴻巣さん。
「さまざまな人との出会いが、新たな視野や世界、また自分自身を知るきっかけになることがある。好きも嫌いも、まずは経験してみないとわからない。その場を用意したい」と話します。
活動について、お話を聞きました。
(お話をお伺いした鴻巣さん)
KAKECOMI(カケコミ)
福島県白河市にて、こどもたちが集まるソーシャルなお茶の間・まかないこども食堂「たべまな」を毎週開催。また女性と子どもを対象としたシェルターを運営し、こどもや親子が安心して過ごすことができる場を提供しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/11/22
(とある日の「たべまな」のメニュー。無水ポトフと鱈のグラタンとひよこ豆のサラダ)
──今日はよろしくお願いします。活動について教えてください。
鴻巣:
「社会的な孤立を予防しよう」というミッションを掲げ、大きく二つの柱で活動しています。
ひとつは、こどもや親子が集まり、おいしいごはんが食べられるソーシャルなお茶の間「たべまな」です。週に一度開催しています。
もうひとつが、暴力や貧困に苦しみ、自立したいけれどさまざまな理由からそれが難しい、家を出たいけれどアパートが借りられないといった女性が安心して暮らせるシェアハウスの運営です。
また私がソーシャルワーカーなので、生活についてのさまざまな相談をうける「かけこみ相談室」も運営しています。
(「たべまな」は「こどもはまかない・おとなはカンパ」がルール)
──「ソーシャルなお茶の間」、おもしろい表現ですね。
鴻巣:
こどもは無料でごはんを食べることができる、いわゆるこども食堂ですが、週1の開催が貧困へのアプローチになっているとは考えていません。食べることはすごく大事ですが、食の支援を通じて、困っている時に相談できる人がいること、身を寄せられる居場所があるということに重きを置いています。
(「たべまな」の風景。一回平均で20〜25人ほどが集まるという)
──コロナ期間中はどうされたのですか。
鴻巣:
私たちの健康やいのちを脅かすリスクは、感染症だけではありません。家や学校で居場所を感じられなかったり、暴力や虐待による疾患を抱えていたりする人もいます。なので私たちは休むことなく継続して開催していました。
コロナによって人と会ったり話したり、それまで当たり前にやっていたことがいとも簡単に絶たれ、団体としても事業の価値を再認識する期間でしたが、一方でコロナによって困窮する家庭が増えたり、感染不安から不登校になる子がいたりします。
場を続ける以外の選択肢はなかったし、「コロナでも続けてほしい」という声は、通ってくるこどもたちからも親御さんたちからもありました。なぜ私たちが開催を続けるのか、定期的に明言しその必要性を理解していただきながら続けてきました。
(ごはんができるまで、勉強を教えたり教えてもらったり。世代を超えた交流が生まれる)
(お誕生日月を、ケーキでお祝い。名前とメッセージが書かれたクッキーに、嬉しそうな表情)
──「たべまな」ではごはんを「まかない」というんですね。「まかない」って、その輪の中の一員感や自分がコミットしている感があってすごく良い表現ですね。
鴻巣:
配膳や調理、誰かの宿題を助けてくれたり…それぞれできることをしてくれたこどもたちが、その対価として、当然の権利として食べてほしいと思っていて。こどももおとなもそうだと思うのですが、助けてもらうと最初は嬉しいかもしれないけれど、してもらうことばかりが続くと、だんだん惨めな気持ちになりませんか。
──確かに。
(度々いたずらを仕掛けてくるこどもたち。右端は鴻巣さん。「小学生の時から高校に上がるまで通ってきてくれています」)
鴻巣:
だから、それぞれに得意なことやできることで良い影響を与え合い、支え合う場を意識しています。
「たべまな」も、最初はボランティアさんたちとごはんをつくり、それを来てくれた人たちに振る舞うというしくみだったのですが、こどもたちが積極的に参加できるスタイルにシフトしていきました。
──そうだったんですね。
鴻巣:
おとながこどもを「支援する」のではなく、また「尊重しましょう」とか「対等にしましょう」という気持ちから入るのでもなく、枠としてイコールになる場があったら、こどもは、おとなは、それぞれどう振舞うのか。それぞれが対等に関わることができる空間づくり、特別な子やかわいそうな子だけに食べ物や役割を与えるのではなく、来たい人は誰でも来ることができて、それぞれが無理なくやりたい分だけやれるような空間を意識しています。
──なるほど。
(ある日の「たべまな」にて。おとなとこどもが一緒に餃子を包む。「親子という縦軸からも同級生という横軸からも自由な関係が生まれています」)
鴻巣:
ただ、空間は設けることはできても、それを本人が「居場所」にするかどうかはそれぞれが決めること。なので「居場所作り」という言い方も、本当はあまり好きではありません。
空間に人が入り、そこに有機的なつながりや気づきが生まれていく。知らない人と食卓を囲む経験をどう感じるか、どういう意味づけをするかは、こどもたちそれぞれが決めること。楽しいと思ってくれたらいいし、楽しくない、合わないと思ってもそれはそれでいいんです。自分がどう感じるのか、好きか嫌いか、楽しいか楽しくないか、それも経験をしてみないことにはわかりませんよね。その機会を用意したいと思っています。
(部屋の隅っこのソファは、こどもたちにも人気のスペース。ちょこんと座ってくつろいでいるのは、3匹いる看板ねこのうちの一匹「撫子(なでしこ)」ちゃん)
(「KAKECOMIの食堂兼事務所は、古民家とは名ばかりの古い住宅を改装した2階建て。1階にキッチンやお茶の間、2階には漫画が揃った和室などがあります。階段は走っちゃダメといっても、こどもたちは聞きません(笑)」)
鴻巣:
「たべまな」は、午後3時〜8時までオープンしていますが、ごはんはだいたい6時すぎぐらいから。出入りの時間も自由です。
こどもたちは学校で「みんなで一緒にこれをしましょう」を散々経験しているので、ここでは特に何をしようとかはないのですが、なんとなく皆で遊んだり、ゲームしたりしていますね。
──毎回のメニューはどうやって決めているのですか。
鴻巣:
運営スタッフとして高校生にアルバイトで来てもらっていて、毎回最後に「来週は何食べよっか?」と話して、食べたいものを作っています。なので唐揚げの頻度は高いし、ハンバーグが2週続いたこともありました(笑)。
(キッチンに立って作業中。「こどももおとなも入れ替わりで作業をし、おしゃべりが絶えません」)
──どちらもこどもの好物ですね(笑)
鴻巣:
野菜中心とか栄養にこだわってとかは特にないのですが、ただ「これが食べたい」という小さな願いをかなえるのは大事だと思っています。調理についても、コロナ前は高校生のスタッフが責任者としてこどもたちみんなでやってくれていましたが、コロナが流行してからはスタッフだけで調理するようになりました。落ち着いたらもとのかたちに戻したいと思っています。
──場として意識されていることはありますか?
鴻巣:
そうですね…。「こんな場であってほしい」と思うことがあるとすれば、こどもがおとなに対してもしっかりNOといえたり意見できる場でありたいと思っています。
あとは、やはり学校や家庭、生活の場でつくられるさまざまな価値観から自由になれる場でありたいという思いもあります。ジェンダーロール(性別によって社会から期待される役割)が押しつけられないよう留意しています。
(地域のラーメン屋さんが「たべまな」で出張ラーメン食堂を開催)
──たとえば?
鴻巣:
「男の子はやっぱり背が伸びるのがはやくていいね」とか「女の子はやっぱり気が利くね」という声がけは、もしかしたら本人を苦しめるかもしれません。何よりもこどものための場なので、場を運営する責任者としてもしそのような発言があった場合は、「それは地雷だよ」と伝えます。一人ひとりの属性は別として、「こんにちは」とここに来たこどもたちが「居心地がよくないな」と感じる場にはしたくないと思っています。
(「毎週おいしい野菜を届けてくださる、地域の八百屋さんです。野菜やお米は八百屋さんの他、地域の農家さんからも規格外で販売できないものを提供いただき、フードロス問題にも取り組んでいます」)
(夜道に浮かび上がる「たべまな」の看板)
──シェルターも運営されていますが、背景にはどのような課題があるのですか。
鴻巣:
社会的な孤立に陥った時、孤立しているからこそ苦しみが周りからは見えないという問題があります。孤立しきってしまうと、つながることさえ難しくなる。なので週に一度であっても、つながり続けることが大事だと思っています。
家庭が経済的に困窮すると、生活の幅が狭まり、経験や人と出会う機会も減ります。不登校はこどもの社会的な孤立の入り口の一つですが、学校に行かなくなると生活の範囲はさらに狭まります。
それでも経済力があれば、フリースクールに通ったり塾に通って学力が下がるのを防いだり、習い事を続けて特技を磨いたりすることができます。しかし困窮と不登校が組み合わさった時、親子揃って社会から見えなくなり、こどもにとっての機会やチャンスが大きく損なわれてしまうのです。
──確かに。
鴻巣:
こどもが家にいることで食費や水光熱費がかさんだり、あるいは中学生ぐらいまでだと、家にいるこどもを見守るために親が仕事をセーブしたり辞めたりすることもあり、こどもの不登校が原因で家庭がより困窮するケースもあります。
私たちはまず、つながり続けられる「開かれた場」を提供したいと思っています。
(コロナ禍ではフードパントリーも実施。「八百屋さんや農家さんから提供された野菜、企業から寄付された食料品や衛生用品を無償で配布しました」)
(シェルター「森のたべまな」外観)
鴻巣:
運営しているシェルターは、制度の隙間に陥り、支援が受けられない人たちのための家です。たとえば入居していたAさんはひとり親で、出産後、幼い我が子と二人で実家に身を寄せていましたが、同居する親ときょうだいから、いわゆる虐待を受けていました。
このような状況に対して、18歳未満であれば児童福祉法で保護できるし、配偶者からの暴力であれば配偶者暴力防止法で保護できて、それぞれ避難できる先があります。しかしAさんは「成人しており、家族からの被害であり、配偶者からの暴力ではない」ということでDVシェルターには難色を示され、児童相談所からは「お子さんだけなら預かることができる。仕事を見つけて、生活が安定したらお子さんを引き取りにきてはどうか」ということで困り果てていました。被害を受けているのはAさんなのに、どこもAさん個人を守ってくれなかったのです。
また、18歳や19歳で家族から虐待を受けている子たちからの相談も多くあります。18歳を超えると児童ではなくなるので、虐待を受けても児童相談所は助けてくれません。しかし未成年のためアパートや携帯電話も契約できず、住む場所がなければ当然仕事も探すこともできず、親権があるため避難しても家で扱いになり捜索されてしまいます。そういった子たちを警察や弁護士と連携しながら受け入れることもあります。
──まさに隙間ですね…。
(「eat well laugh often. よく食べ、よく笑って。美味しく食べる、楽しく過ごす。誰が来ても何があっても、そこが着地点です」)
鴻巣:
ソーシャルワーカーとして働いてきた中で、制度の不備は多々感じます。
本人がどれだけ苦しんでいても、はっきりとわかりやすい暴力がないと「暴言ぐらいでは我慢して」と対応が二の次三の次にされるようなところもあります。
制度の不完全さを、ただ単に私たちは食堂やシェルターで埋めましたいうことだけではなくて、この問題を提起していく重要性も感じていて、そこも含めて私たちの活動だと考えています。
これだけ制度に隙間があって、穴に落ちてしまった人がいる。この人をどうするのか、どうしたらいいのかを一緒に考えていきませんかということを発信し続けることで、関心を持つ方も少しずつ増えていくからです。
(高校生と、彼を「あんちゃん」と慕う小学生が並んでゲームをしているところ)
(子どもの頃の鴻巣さん(写真手前))
──鴻巣さんは、なぜこの活動を始められたのですか。
鴻巣:
私自身の原体験にあります。
こどもの時に、母親が外国籍であることを理由にいじめに遭いました。
いじめが始まった時、「私は一体何をしてしまったんだろう」と思いました。ミスをしたのであれば非を詫びてやり直したいと思いましたが、なぜいじめられるのか、思い当たる節がありませんでした。つまり結果的に相手からすると、半分外国の血が入っていて異質な存在だったから排除したというだけなんです。
原因が行動なのであれば変えられるけれど、外見や私の血は変えられない。ならば存在を消すしかない。何もしていないのにその場にいられないことがとてもつらかったです。
親もショックを受けるだろうといじめの原因は親には言えませんでした。心配をかけたくないというのもあるけど、面倒だしみじめで。学校でいじめられているだけでもつらいのに、家に帰ってまでもわざわざその話題も持ち出したくなかった。学校は嫌でしたが、行かないとなるとそれはそれで面倒なので、毎日とりあえず行くだけ行って、息をして帰ってくる、みたいな。家に帰ってきてからも秘密を抱えて。そう、ただ息をしていました。
──そうだったんですね。
(「たべまな」にて、キッチンに立つ鴻巣さん。今回のコラボパーカー&エプロンを身につけてくださってます!)
鴻巣:
あの時の私がどうして生きてこられたのかと振り返ってみると、親が社交的で、週末になると様々な国籍の知人友人を呼んでホームパーティをしたりすることが多く、親でもないし先生でもない、いろんなおとなに会う機会があったんです。そうすると「学校なんて行かなくてもいいんだよ」というおとながいたり、さまざま意見や考えに触れることができて。振り返ってみると良い経験でした。
自分の中にある空虚さや不完全さを埋めるように勉強に打ち込み大学院まで進学しましたが、こどもの時に経験した孤立はずっと続きます。自分が何者なのかわからなくなり、大学院の時に休学し、実家に戻って鬱々としていました。その時に精神障害のある人が共同生活を送る施設でボランティアをしないかと誘われて、そこでたくさんの人たちがさまざまな色眼鏡で苦しむ姿を見て。なぜなんだろう、どうすればいいんだろうと思いながら福祉の世界に入りました。その後、めぐりめぐって「たべまな」をスタートしたんです。
──今、こどもの頃の鴻巣さんが「たべまな」に来たらどう感じるでしょうか。
鴻巣:
「たべまな」の活動自体が、「あの時、たった一人で悩みを抱え、孤独だった自分に何をしてあげられるだろう」という思いはあります。でも、きっかけはそこかもしれないけれど、動き出したらもはや私の願望からは手を離れて、今はここに来ているこどもたちのものなので。こどもの時の自分がどう感じるかは、想像もつかないですね。でも、入り浸っていたと思います(笑)。
(夏、皆で外に出てスイカ割り。「みんな親でも子どもでも先生でも生徒でもない『歳の離れた友だち』として遊び、笑顔がこぼれます」)
(魚屋さんが差し入れてくれた秋刀魚)
──最後に、読者の方にメッセージをお願いできませんか。
鴻巣:
誰かのせいにしなくても、こどもたちの幸せは実現できますよ、とお伝えしたいです。
虐待などのニュースがあるたびに「親が悪い」という批判があります。確かにそう見えるかもしれないし、もしかしたら実際にそうなのかもしれません。でも、それをそうだと言って責任を押し付けなくても、他にこどもたちを幸せにする手立てはたくさんあると思うのです。
ごはんをつくらないお父さんお母さんを責めるなら、ごはんを美味しく食べられる場所をつくればいい。暴力を振るうお父さんお母さんを責め、そこに怒りを表すのなら、隣の家にそういう子がいた時に守る行動をとればいい。
虐待のニュースに怒りを覚えるのは自然なことです。その怒りがシステムへの批判につながれば、それはめぐりめぐってこどもを救うことになります。でも怒りを誰か個人にぶつけるのであれば、目の前の子をどうやって幸せにできるかということにエネルギーを向けられたらいいなと思います。
そしてその時に、ぜひこどもたちの声を聞いてほしい。私たちも皆こどもの時代があったので、つい「自分がこどもの時はこうだった」とわかっているような気になってしまうのですが、私たちはもうこどもではありません。今を生きるこどもたちはまた別の存在です。だから、こどもとたくさん会話をしてほしいし、そういった場が増えるといいなと思います。
(夏の夜、BBQを開催)
(ソファでくつろぐかんばんねこの「蔵馬(くらま)」ちゃん。蔵馬ちゃんとこのソファは、今回のデザインのモチーフにもなりました!)
──今回のチャリティーの使途を教えてください。
鴻巣:
チャリティーは、冬休み期間中のこどもたちの食事支援の強化のための「たべまな」開催のために活用させていただきます。1回の開催あたり2万円の経費がかかり、今回のコラボで5回分・10万円を集めたいと思います。
──貴重なお話をありがとうございました!
(「たべまな」運営スタッフの皆さんと!)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「こどもたちの人生、一人ひとりの人生はそれぞれのものだし、周りがコントロールできるものでも、するものでもない。居場所と感じてくれたらそれでいいし、そうでなくても気づきがあればそれでいい」。そう話してくださった鴻巣さん。なかなか一筋縄ではいかないこともあるでしょうし、私だったらついつい無意識に「やってあげた」という気持ちになったり「こうしたら?」などと口を挟みたくもなりそうです。
しかしお話を伺いながら、相手がおとなであれこどもであれ、同じ一対一の人として対等なんだ、みんないろんな思いや考えを持って、一緒に生きているんだということを改めて感じました。
笑顔で「もっとシンプルに、弱みも見せ合う中で当たり前のように支え合えたら」と話される姿が印象的でした。本当に、実はもっとシンプルなことなのかもしれません。…それはもしかしたら、ただ豊かに空間にくつろぐねこのように…!鴻巣さん、ありがとうございました。
KAKECOMIの看板ねこ・ハチワレの蔵馬ちゃんをモチーフに、強いられたり無理をしたりすることなく、ありのまま、心地の良い空間で等身大で過ごすKAKECOMIさんの雰囲気を表現したデザインです。
“Be my guest!”、「どうぞご自由に!」というメッセージには、相手に空間を委ねられる信頼や尊重がありながら、それでいて飾らない、アットホームで豊かな関係性を表しています。