CHARITY FOR

「人工呼吸器はパートナー。呼吸器ではなく、今を生きる一人ひとりを見て」〜バクバクの会 人工呼吸器とともに生きる~

人工呼吸器をつけて生活している人は日本に2万人ほどいるとされています。

今週JAMMINがコラボするのは、1989年に立ち上がった、「バクバクの会~人工呼吸器とともに生きる~(旧:人工呼吸器をつけた子の親の会)」。団体立ち上げ当初は、「(病院に備え付けの)人工呼吸器をつける=一生病院から出られない」といっても過言ではなかった状況の中で、ポータブルの人工呼吸器が登場し、在宅の取り組みが少しずつスタートしました。

そして現在、人工呼吸器をつけた人たちも学校に通ったり旅行にでかけたりと、地域の一員として暮らし、生活の範囲が拡大しています。しかし社会的な理解が得られず、さまざまなシーンで困難を強いられることがあるといいます。

「人工呼吸器ではなく、その人個人を見てほしい」。
活動について、会事務局の折田(おりた)みどりさん(60)と、平本美代子(ひらもと・みよこ)さん(70)にお話を聞きました。

(お話をお伺いした折田さん(写真下段右)と平本さん(上段右))

今週のチャリティー

バクバクの会 ~人工呼吸器とともに生きる~

人工呼吸器をつけて生きる人、その人とともに生きる人たちの会。長期に渡り人工呼吸器をつけている子どもたちの安全で快適な入院生活と生きる喜びを願い、淀川キリスト教病院の院内家族の会として発足。以来30年以上にわたり、現在は、大人から子どもまで人工呼吸器とともに生きる人たちのより良い暮らしのために活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/11/15

当事者やその家族への情報交換・発信だけでなく
人工呼吸器への理解を広げるために活動

(2019年5月、徳島大学で開催された「自立生活センターとくしま」主宰のイベントにて。ドキュメンタリーDVD『風よ吹け!未来はここに!!』上映会&座談会後の一枚。「左から、マスク型の人工呼吸器をつけた内田由佳さん、常時気管部分から人工呼吸器を装着している正木篤さん、夜間のみ呼吸器をつけている中島環さん、細川彩姫さんとなかなかバラエティーにとんだ4人組です」)

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

折田:
人工呼吸器をつけた子どもたちの親の会として、人工呼吸器をつけていても子どもらしい暮らしをさせてあげたいと1989年にスタートしました。現在の具体的な活動は、年4回の会報誌や冊子の発行、情報の収集・提供や、人工呼吸器への社会的な理解を広げるための活動、国や自治体への働きかけ、また全国に15ある支部のサポートなどです。

(2014年12月、栃木県支部のクリスマス会にて。「毎年サンタさんからプレゼントをもらうのが楽しみな子どもたちです」)

──「子どもらしい暮らし」ですか?

折田:
団体を立ち上げた30年以上前は、人工呼吸器といえば病院の備え付けもので、それをつけることはすなわち「外には出られない」ということを意味しました。
アメリカ製のポータブル人工呼吸器が入ってきて、外に出たり自宅に帰れるようになった時、天井を見ているだけの生活ではなく、学校へ通ったり楽しいことをしたり、子どもとして当たり前の生活を送らせてあげたいと制度もまだ何もなかった時代に、実践ありきで活動してきました。

(当事者の声を発信。2016年4月、障害者差別解消法制定パレード広島では、広島カープのユニフォームを着て行進)

平本:
今のように訪問看護などの制度もなく、ボランティアさんに助けてもらいながら家族がつきっきりでケアをして、なんとか生活している状況でした。
今は自宅や学校でも介護や看護のサービスがうけられるようになり、国の制度も大きく変わりました。2021年9月には、医療的ケア児(※)とその家族に対して、国や自治体が支援にかかわる施策を実施する責務を負うことを定めた「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法(医療的ケア児支援法)」が施行されました。

こういった社会の変化も、会の地道な活動があったからこそだと思いますが、一方で、全国どこでも同じレベルで支援が行き届いているわけではなく、地方によって格差があるといった課題や、制度ができたから安心かというとそういうわけでもなくて、逆に制度に縛られ、ケアの内容や範囲が限定されてしまうといった課題も出てきます。生きやすい社会の実現のために、当事者や家族の声を発信し、提起していかなければならないと感じています。

(※)医療的ケア児…日常の生活や社会生活を送るにあたり、人工呼吸器やたんの吸引、その他の医療的ケアが日常的に必要な子どもたちのこと

(平本さんの娘の歩さん。「1987年、当時1歳。まだ病院の天井だけを見て過ごしていた頃です」)

(「1987年、初めての外出はドクター、看護師さん同行で実現しました」)

(「当時は人工呼吸器が搭載できる車いすがなく、手作りした車椅子で外出練習を行いました」)

(1989年、外泊練習中の一枚。左の机に置かれているのが、当時の人工呼吸器)

人工呼吸器とは

(おじいちゃんちの田植えを手伝いに。林京香さん)

──そもそも、人工呼吸器とはどのようなものなのでしょうか。

折田:
病気や障害によって自力での呼吸の力が弱い時に、それを助ける機械です。
目が見えにくい人は、メガネをかけますよね。それと同じです。呼吸しにくいから、人工呼吸器をつけて暮らしています。

先天的な症状だけでなく、事故や病気など後天的なもので自発呼吸が難しくなり人工呼吸器をつけている方もいらっしゃいます。状況にもよりますが、気管を切開して直接喉に管を入れる方法のほかに、口元にマスクのように人工呼吸器をつけることもあります。

(自宅でゲームを楽しむ。中島環さん。奥にあるのが人工呼吸器)

折田:
意思疎通ができて昼間は元気に走り回っているけれど、就寝時だけ呼吸が止まる恐れがあって人工呼吸器をつけているという人や、脳障害があって意思疎通も難しい方もいます。つけている方の年齢層も、私たちの会の会員さんは0歳から60歳までと幅広いです。

(人工呼吸器とともにお出かけ。正木篤さんとご家族)

──そうなんですね。どのような役割をしているのですか。

折田:
私たちの体は呼吸によって酸素を取り込み、二酸化炭素を排出しています。酸素を取り込む時、横隔膜が下がることで空気が肺に流れ込むしくみになっていますが、何らかの事情で空気が肺に流れ込む力が弱い時に、人工呼吸器の助けを借りて空気を送り、その力で肺を膨らませています。

──重たいのですか?

平本:
昔は、電子レンジぐらい、重さも20キロほどあったでしょうか。この30年で在宅でも使える人工呼吸器の開発が進み、今は症状や呼吸の状態にあわせて人工呼吸器を選べるようになりました。今はノートパソコンほど、4〜5キロのコンパクトなものも出ています。

(近所の公園に、家族でピクニックへ。廣田琉花さんとご家族)

「人工呼吸器は、生活のためのパートナー」

(2019年1月、成人式に友人と。西留光波さん)

──小型化・軽量化によってより外出しやすくなったのではないですか。

折田:
そうですね。ただ今度、人工呼吸器をつけた方が一歩外に出た時に、社会の理解が進んでいないためにさまざまな壁に苦しんでいます。

人工呼吸器と聞くと、手術の際に呼吸を助ける生命維持装置としてのイメージが強い方も少なくありません。生命維持装置としてのイメージばかりが先行すると、人工呼吸器に対し、何か触ってはいけないような、こわいもの、大変なものをつけているような印象を抱かれがちです。

(サンフレッチェ広島 & 広島カープの試合を観戦!正木篤さんとお父さま)

平本:
しかし私たちは、人工呼吸器を生活していくための「補装具」として用いています。
私たちは「医療的ケアは生活支援行為」と言っているのですが、ただ「生活を送るために必要なパートナー」だということを知っていただきたいと思っています。

今年亡くなった娘は、生まれて間もなく人工呼吸器をつけ、生涯人工呼吸器とともに暮らしました。周りから「かわいそう」とか、寝たきりなので「走れたらいいね」「歩けたらいいね」と声をかけていただくこともありましたが、本人からすれば人工呼吸器は自分のもう一つの手足のようなもので、走ったこともないから「何を言っているの?」という感じでした。
体の一部としてずっとつけているものだから、本人は呼吸がしんどくなったりするとすぐわかるし、人工呼吸器自体がそんなに大変なものではないんです。

(高校の時の科学部の仲間とカラオケを楽しむ。新居優太郎さん)

(旅行先で食事を楽しむ。会報誌『バクバクの会』編集長の安平有希さん)

(安平有希さんは、2020東京パラリンピックの聖火ランナーに選ばれた)

課題の多い、公共交通機関の利用

(外部バッテリーの充電。「外出には機器を動かす電源が必要なため、外部バッテリーも持ち歩きます。災害時にも役立つように、いつも満充電にしておきます」)

──移動の際はどうされるのですか。

折田:
車椅子の下に載せている方が多いです。内臓バッテリーだけで20時間ほど持ちますが、外付けバッテリーを一緒に携帯し、何かあった時のために備えている方が多いです。バッテリーについては、災害時の備えも必要です。皆さん日々の点検を怠らず、かなりたくさん備蓄していらっしゃいます。

──外に出られるようになったのはよかったですね。

平本:
そうなのですが、その次に出てくるのがバリアフリーの問題です。
電車やバスなど公共交通機関では、これまでに何度も人工呼吸器をつけた人への乗車拒否がありました。

少しずつ理解は進んでいますが、人工呼吸器が医療機器として扱われ、「吸引等は医療行為なので乗車できない」、「医療従事者がいないと乗車できない」とか、「新幹線は電圧が不安定なので何かあっても責任はとれません」といった誓約書にサインを求められたこともあります。鉄道会社やその管轄によっても対応にバラつきがあります。

(新幹線に乗る平本歩さん)

──そうなんですね。

折田:
鉄道はそれでも、一人分の料金(乗車券は障害者割引あり)で乗車できます。しかし飛行機はそうはいきません。
座位が取れる人は座席に座れるので良いですが、そうではない人は、座席を倒してストレッチャー席を設置する必要があり、その際、その分の料金が何倍もかかってしまうのです。
昔は9倍かかりました。航空会社と交渉して減ったものの、今でも3.5倍程度の料金がかかります。

(飛行機でハワイへ。折田さんの息子さんの折田涼さん)

──ええ!そんなに!

折田:
さらに介助者も同乗するとなると非常に高額になるため、飛行機は高いハードルです。
好きで人工呼吸器をつけているわけでも、望んで寝たきりになったわけでもありません。どうしてもそういうふうにしか乗れない人に対して、「あなたは普通に座れる人の倍以上の席を使ってるんだから、お金を払うのが当然でしょ」なのか「あなたにとってはそれが一席なのだから、一席の料金でいいよ」なのか、どう捉えるかが企業や社会に問われています。

自力での呼吸が困難だから人工呼吸器をつけて補助しているだけで、それ自体が病気なわけではありません。でも搭乗にあたっては、2週間以内の診断書も必要になります。

(バスで通学する折田涼さん)

──いろいろとハードルがあるのですね。

折田:
2000年に、障害者や高齢者の公共交通機関を利用した移動の円滑化を促進する「交通バリアフリー法」が施行されました。しかし実際に利用してみて、どんなことに困ったりつまずいたりするのか、一つひとつの具体的な課題に関しては当事者が声をあげて訴えていく必要があります。

(友人のバクバクっ子のお墓参りへ。離島を皆と訪れた三原健太郎さん)

頑張っても、地域の学校に受け入れてもらえない現実も

(地域の小学校の卒業式にて。正木篤さん)

──他にどのような課題がありますか。

平本:
学校の問題は大きいです。地域の学校に通いたくても、人工呼吸器を理由に断られるケースが少なくありません。学校側は「命に関わるから、介助はできない。親につきそってもらえないと通えない」という姿勢がほとんどで、そうなると親御さんが働いている場合、仕事を辞めなければなりません。看護師等の配置も進んできましたが、まだまだ足りなかったり、様々な問題を抱えている状況です。

(小学校の遠足にて。山本雨依さん)

平本:
娘は、保育園、小中高と普通学級で学びました。小中高は、父親が毎日学校に付き添いました。学校にいる間は呼ばれたらいつでもかけつられるよう、一歩たりとも外に出られないような状況でした。

折田:
うちの息子も希望して普通学級で学びましたが、ギリギリまで市の教育委員会に支援学校や院内学級を勧められました。交渉を続け、当時の市長さんが看護師派遣の事業をやりますといってくださり、小学4年以降は親の付き添いも外れました。

(平本歩さん、小学校のお友達と)

──学校問題は、地域によっても違いがあるのですね。

折田:
はい。中にはすんなり入学できる地域もあります。名古屋や広島の学校では普通に入れたという報告も受けていますが、一方で、たとえば神奈川の相模原では、普通学級で学ぶことを希望されているお子さんが、「支援学校に籍を置きながら、地域の普通学級と一年間行き来して様子を見て、特に問題がなければ転校しても大丈夫」という市の教育委員会との約束が頓挫してしまい、結局今、どちらにも通えていないという話も聞いています。

──なぜ、そのような地域格差があるのでしょうか。

折田:
受け入れが進んでいる地域は、当事者の仲間が集まり、粘り強く交渉を続けて行政を動かし、権利を勝ちとってきた運動体があったことが大きいと思います。

普通は、何もがんばらなくても小学校に上がる年齢になったら、教育委員会から「この小学校にきてくださいね」と通知が届きます。でも人工呼吸器をつけている子たちには、がんばらないと届きません。闘っても闘っても、希望通りにならないこともあります。

同じ地域で生きているのだから、「どうぞ、うちの学校に来てください」と大手を広げて迎え入れていただきたいと願っています。

(運動会の組み立て体操では、子どもたちで考えて重要なポジションに!折田涼さん)

平本:
人工呼吸器をつけているという理由だけで、まったく違う人間のように扱われているように感じます。「一人ひとりに合わせた教育を」というと聞こえは良いけれど、自分たちの望む教育の場を選択できる環境が整っていません。

現在の日本の教育は、はみ出る子が切り捨てられてしまうようなあり方です。
一斉授業の中、ついていくことができない子は置き去りにされます。そうすると切り分けられて障害児学級や支援学校に入れられてしまいます。そんな子がどんどん増え、建物が間に合わず仮設の教室で授業をしているという話も聞きます。

そこにお金や労力をかけるのであれば、少人数のクラスや、複数の先生で数人の子どもたちを見守るような、他にやり方があるように思います。思い切った改革が必要なのではないでしょうか。

──確かに。

(プールも皆と入れるよ!折田涼さん)

「自分は病児ではない、一人の人間だ」

(生きる力にあふれていた。生前の歩さん)

──平本さんの娘の歩さんについて教えてください。

平本:
本人ではないので正確には代弁できませんが、「自分は病児ではない、一人の人間だ」という思いはずっと持っていたと思います。それが歩さんの生きる原動力だったと思います。

生まれてからずっと4年間入院していましたが、外泊の取り組みを何回か繰り返すうちに「何かおかしい。私がいるべき所は病院ではなくて家なのじゃないか」ということを表現するようになり、本人の希望で自宅に戻りました。

25歳の時に一人暮らしをして、自分らしい生活をして人生を楽しんでいたと思います。ヘルパーさんたちとも介護する・されるという関係を超え、一人の人間、対等な人同士としての関係を築いていました。
親の世話にはなりたくないというオーラがいつも出ていて、私が彼女のもとを訪れると、その度に「自分のことは自分でやるから、来るな来るな!」ということをすごく言われましたね(笑)。自立したい、という本人の意志はものすごく感じました。

──折田さんはいかがですか。

(歩さんの自立生活の家を訪ねて。趣味のパソコンで会話中)

折田:
歩さんは他人の目を気にしない、我が道をいく人で、「野生児」と呼ばれていました(笑)。頑固でいらちで、自分勝手でわがままで、私のことを「みどり」と呼び捨てで呼ぶ人でした(笑)。
小さい頃から知っていますが、まさに「いのちのかたまり」のような人でした。晩年は体調を崩すことが増えて自信がなさそうにしていることもあったけれど、人を惹きつける魅力にあふれた人でした。

歩さんは旅行が好きで、いろんな場所へ足を運んでいました。講演や研修会でも全国を訪れるのですが、そんな時は終わると速攻帰ってしまう(笑)。そうではなく、彼女にとっては自分で貯めたお金で、自分で計画を立て、ホテルや飛行機も自分で手配していくことに意味があったし、楽しかったのだと思います。

結構惚れやすいタイプで結婚願望もあったのですが、結婚しているヘルパーさんからいろんな話を聞くうちに「やっぱりやめておこう」とそこはしだいに薄れていったみたいですね(笑)

──そうなんですね(笑)

(医療的ケアが必要な人の災害への備えについて講演を行った際の一枚。歩さんと折田さん)

平本:
人工呼吸器をつけてあちこちに出向く姿はインパクトがあり、活動家のように紹介していただくこともありましたが、彼女としてはそういうつもりはなく、そういう風に思われることもあまり好きではなかったようです。

人工呼吸器をつけていることで乗り物に乗れなかったり、差別的なことを言われたり、生きづらさは感じていたのは事実で、そういう話もしていましたが、ただ普通に、本当に普通の人として暮らしていただけで、進んでそこを伝えたかったわけではありませんでした。

ただ、働くことに対してはものすごく意欲的でした。体が動かなかったとしても働ける社会であってほしい、待っていてもダメだからいろんな挑戦をしたいと積極的でした。
趣味のため、生活のため、将来のため…、働く理由はいろいろあるけれど、「自分ができることで、自分の力でお金を稼ぎたい」という気持ちは強かったです。その中でいろいろと難しさは感じていたようでした。

(2014年、DVD制作のために出かけた大阪万博公園にて、太陽の塔をバックに記念撮影!)

「人工呼吸器ではなく、その人個人を見て」

(折田涼さんは、医療的ケアが必要な人たちが地域で当たり前に暮らすための支援活動をしているNPO法人「ポムハウス」理事長として喀痰吸引等研修も行っている。写真は研修会にて、実際に吸引しているところを受講生に見てもらっているところ)

──最後に、お二人が実現したい社会、あるいはメッセージをお願いできませんか。

平本:
人工呼吸器をつけている人は、それだけで「医療の分野」「医療の世界」と区切られ、何か別物として捉えられてきたように思います。いろんな生きづらさや課題がある中で、変な話、そこにさえ入れてもらうこともなかったように思います。今でもそれはあるかもしれません。

極端に違ったとしても、全ての人をとりこぼさない社会であってほしいなと思います。そのためには、人工呼吸器とともに、一生懸命生きる姿を見てもらうしかないのかなと思います。

(バクバクの会の出版物。『バクバクっ子の為の生活便利帳』は、在宅だけでなく入院も含めた人工呼吸器をつけたすべての子どもたちの日常生活に役立つ便利帳。『バクバクっ子の為の退院支援ハンドブック』は、20数年前から人工呼吸器をつけて人生をエンジョイする頼もしいバクバクっ子たちが、安心安全に生活をうーんと楽しむためのコツや工夫やノウハウを伝授。『人工呼吸器使用者のための防災ハンドブック・改訂版』は書き込んで活用できる別冊も。DVD『風よ吹け!未来はここに!!』は、人工呼吸器をつけた人たちの日常を追ったドキュメンタリー)

折田:
「地域で生きていく」と言葉でいうのは簡単ですが、同じいのちを持って、同じ人間として、あなたの隣で生きているということが当たり前の社会を目指したいです。
人工呼吸器ではなく、その人個人を見てほしい。「人工呼吸器をつけている○○ちゃん」ではなくて、「○○ちゃんは人工呼吸器をつけている」という見方が広がっていってほしいと願っています。

平本:
最初は不安もあると思います。でも、慣れたら怖くありません。一人の人間として接してもらえたら、そしてよく知ってもらえたらと思いますし、人工呼吸器をつけていても普通の人と何らかわらず、電車に乗ったり学校に行ったり、精いっぱい生きているんだということを知っていただけたら嬉しいです。

(1995年7月、総勢94名で立山登山。「印象に残っている出来事の一つです」)

チャリティーは、人工呼吸器とともに生きる人の日常を追った
DVD上映のために活用されます!

(2017年2月、ドキュメンタリーDVD『風よ吹け!未来はここに!!』の5都市上映会 in大阪に集まった皆さんと)

──今回のチャリティーの使途を教えてください。

折田:
教育の場において入学を拒否される事例が後を絶たなかったので、人工呼吸器は怖いとか、すごく大変なものだと感じている方たちのハードルを下げる一歩になれたらと、地域の学校に通う人工呼吸器をつけた子どもたちと、自立生活をしている青年の日常を追ったドキュメンタリーDVD『風よ吹け!未来はここに!!』を2016年に制作しました。
今回のチャリティーは、このDVDのオンライン上映会開催のため、カメラやマイク、スピーカーといった機材を購入するための資金として活用させていただけたらと思います。

──貴重なお話をありがとうございました!

(2021年度の定期総会後、事務局のスタッフショット。「初オンライン総会でスタッフ皆緊張していましたが、トラブルなく開催できて安堵しているところです」)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

皆さんはもし、目の前に人工呼吸器をつけた人がいて、たとえば何かに困っていたらどうするでしょうか。
知らないと大変なものやこわいもののように感じたり、ひるんでしまったりすることもあるかもしれません。でもひとたび相手を知り、また人工呼吸器を知れば、一歩進んで、これまでに見えてこなかった世界が見えてくることがあるように思います。いろんな人と、もっともっと出会うことができたり、相手を知ることができる場所があると良いなと思いました。

・バクバクの会 〜人工呼吸器とともに生きる~ ホームページはこちらから

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メガネをかけていたり傘をさしていたり、風船で空を飛んでいたりする動物たちと一緒に、人工呼吸器をつけたクマを描きました。人工呼吸器とともに生きる人も、同じように社会の一員として、私たちのすぐ隣で楽しく暮らしているということを表現しています。

“Feel the wind blow”、誰もが同じように平等に感じられる風のように、人工呼吸器をつけている人を特別扱いせず、自然なこととして受け入れ、同じように楽しく生きられる社会が広がってほしいという言葉を添えました。

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