CHARITY FOR

「解決困難な苦しみの中でも、人は穏やかになれる」。限られたいのちとの関わりからの学びが、地域のつながりを強くする〜一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会

65歳以上の高齢者は1950年以降一貫して増加し、総人口に占める割合は29.1%(2021年)となっています(総務省統計局のホームページより)。少子化の今、この割合は今後も上昇を続け、2040年には35%にまで上がると言われています。

少ない生産年齢人口で多くの高齢者を支える時代に直面している今、そしてまた地域の関わりや個人のつながりが希薄になっている今、人知れず苦しみを抱えた人はますます増えていくと予想されます。

今週、JAMMINがコラボするのは、「一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会」。2018年1月以降2度目のコラボです。

代表理事の小澤竹俊(おざわ・たけとし)先生は、ホスピス医としてたくさんの患者の死と向き合ってきました。
看取りの現場で培ったさまざまな経験は、医療や介護の現場に限らず、超高齢化社会において、地域が抱えるさまざまな課題に応える力、あるいは失われつつある地域のコミュニティを再びつなぐ力になると話します。

小澤先生と、業務執行理事の千田恵子(ちだ・けいこ)さんに、エンドオブライフ・ケア協会が目指す社会についてお話を聞きました。

(お話をお伺いした小澤先生(写真右)と千田さん(写真左))

今週のチャリティー

一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会

限られたいのちに関わる現場で培ってきた対人援助のアプローチをもとに、人生の最期まで「私」にとっての豊かさ(Well-being)を実感できる社会を目指して活動しています。
地域福祉・教育に関わる多様な関係者と連携しながら、子どもから高齢者まで、苦しむ人と関わることができる担い手とコミュニティの育成を行っています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/10/18

「死」という解決困難な苦しみとの関わりを通じて学んだ
 対人援助のアプローチを、さまざまな課題に取り組む人へ

(団体としての活動の出発点である、2日間の講座「エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座」の様子。「人生の最終段階を迎える人やその家族との関わりをロールプレイや事例検討などで学びます。6年間で7,000名が受講、自然発生的に生まれた継続学習コミュニティは全国52か所に広がっています」)

──前回のコラボではお世話になりましてありがとうございました。最初に、団体のご活動について教えてください。

小澤:
一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会は、2025年問題、つまり、団塊の世代が75歳を迎えて後期高齢者となり、超高齢化社会に訪れるさまざまな影響への対応として、特に人生の最終段階に誠実に関われる人材の育成が必要と考えて、活動を開始しました。

それぞれの現場で、解決困難な苦しみを抱えた人と関わり学び続けるための全国的な仕組みづくりを第一の目標として、2015年に法人化しています。活動開始から6年経過し、社会情勢が大きく揺れ動くなか、これからの課題は、社会的孤立にあると考え、活動の幅を広げようとしています。

私は医師として、たくさんの看取りに携わってきました。
そこで余命が限られ、解決が困難な「死」という苦しみがある中でも、たった一人でも自分の苦しみをわかってくれる人がいて、また自分の「支え」に気づいた時、苦しみは残り続けたとしても、人は穏やかさを取り戻す可能性があるということを学びました。

今の時代、人生の最終段階に限らず、さまざまな格差や社会からの孤立…多くの方たちが解決困難な苦しみを抱えています。看取りの現場で培った経験、それは、解決困難な苦しみへの関わり方そのものです。そこで得た関わり方を、医学的な専門用語を使わずに、医療や介護の専門職の方だけに限らず、地域で苦しむ人の力になりたいと願う人たち、さまざまな課題解決に取り組む方たちと共有していきたいと考えています。

(協会理事で、奈良在住の久保田千代美さん(写真左)と鹿児島県在住の濵田努さん(写真右)。「お二人も養成講座に参加した後、認定ELCファシリテーターとして、地域を越えて学びの場を広げて来られました」)

千田:
私たちは誰しも日常的に大小さまざまな”苦しみ”を抱えていると考えますが、その苦しみに、そもそも気づいていないことがあります。仮に気づいたとして、何とかしたいと考えた時、どうしても「解決しよう」というところにしか目が向きません。

しかし私たちが経験してきたのは、迫りくる「死」という、自分たちではどうすることもできない、解決が困難な苦しみです。

もちろん、それぞれの役割や専門性を持って解決できることは解決する。しかし「なぜ自分だけ」「私の気持ちは誰にもわからない」と、自分の生き方さえも否定されたような苦しみを抱えている方を前にした時、どのように声をかけたらよいのかわからず、足がすくむこともあります。
それでもなお、苦しみを抱えた人や自分自身とも向き合える対人援助のアプローチを、研修を通じてお伝えしています。

(全国各地で、継続的な学びの場を作る役割「認定ELCファシリテーター」の皆さん。「コロナ禍で養成講座がオンライン化するなか、地域を越えて活躍の場が広がっています」)

苦しみと向き合うためには、
「支え」を感じられることが大切

(2021年4月17日(土)、協会設立6周年を機にオンラインシンポジウム「課題解決先進国として、未来の夢をデザインする~人口減少時代に、あなたは何ができますか?~」を開催、日本全国から幅広い職種や年齢層の300名の参加があった。「4時間半という長丁場でしたが、ゲストからの話題提供に続く問いをもとにそれぞれの立場で考えていただき、自分ごととして多くのコメントをお寄せいただきました」)

小澤:
「解決の困難な苦しみを抱えた人と向き合う」ということは、決して美しい言葉では語れません。日々患者さんと接していると、怒りの矛先がこちらに向かってくることもあれば、罵声を浴びたり、私自身心折れることも何度もあります。それでも苦しみと向き合うためには、援助者自身も「支え」を感じられることが大切です。

──「支え」ですか?

小澤:
どんなに苦しいことやつらいこと、思い通りにならないことや無力感に苛まれることがあっても「自分にはこれがある」「これがあるからがんばれる」という、誰かや何かとの「つながり」です。支えは人とは限りません。手で触れられるものとも限りません。「目に見えない伴走者」という表現をしますが、先に逝っている誰かということもあります。

千田:
「自分を信じる力」や「自分自身とのつながり」とも言えるかもしれません。役に立たない自分、無力な自分、それでもなお「自分はここにいてもいいんだ」と、そこに留まることができる「何か」です。
問題が起きた時、人は解決しようと動きます。厳しい競争社会の中で、結果を出すことができなければ、役に立たなければ使い捨てられてしまう社会の風潮があります。
では問題を解決できなければ、結果を出すことができなければ、その人には価値がないのでしょうか。

そうではありません。苦しみを目の前にして、それを解決できない自分を認識し、なおそこにいても良いと感じられること。問題が解決できて「よくできました」、「Very good」ではなくても「Good enough」、「これでよい」と感じられるヒントをお伝えしたいと思っています。

──なるほど。

(小学6年生への「折れない心を育てる いのちの授業」の様子。「『いのちは大事』子どもたちも頭ではわかっているのに、なぜ自分や他者を大切にできないことがあるのか。コロナ禍でのモヤモヤにも、大人が子どもに『教える』のではなく、対話を通して一緒に考えていきます」)

苦しみとは
「希望と現実の開き」

(オンラインイベント「コロナ禍のいま、子どもも大人もエネルギーをためるには?〜どんな感情も大切に〜」での一幕。「大人が解を与えるのでもなく、子どもが真ん中でもなく、大人の苦しみをともに考えるチームの一員として、それぞれの想いを話し合いました」)

千田:
「援助」とは、特定の立場や役割の人が一方的に提供するものではありません。
誰もが苦しみを抱えながら、互いに支え合って生きています。他人の苦しみに気づき、関われる人を育てるためには、援助者自身もまた自分の苦しみに向き合い、「支え」を感じられることが大切です。

自分の望み通りに物事がすすまなかったりうまくできなかったりした時、「苦しい」とまでは認識しなかったとしても、モヤモヤしたりイライラしたりすることがありますよね。よくないとわかっているのに、つい大切な人やものを傷つけてしまうこともあります。
それはなぜか。私は「苦しい」からだと思うのです。なぜ苦しいのか、苦しみとは何なのか…。ここを紐解いていくと、それは「希望と現実の開き」なんですよね。

──「希望と現実の開き」ですか?

千田:
はい。私たちは苦しみの本質を「希望と現実の開き」と捉えています。「こうだったらいいな」という希望と、「でも実際には…」という現実。本人にとってこの開きがある状態です。

苦しみ、つまり「希望と現実の開き」に気づいた時、何ができるかを考え、行動に移せることであれば、そうすることができます。
ただ、苦しみには解決できることと解決できないことがある。たとえそれが解決できない苦しみだったとしても、それまで気づかなかった「支え」に気づいた時、穏やかさを取り戻す──その人は自分自身の存在を認め、肯定し、苦しみと向き合う可能性さえも開けてくるのです。

(「折れない心を育てる いのちの授業」に参加した関口さん親子。「希望と現実の開きを苦しみと捉えた時、母娘の間に共通言語が生まれ、小学2年生の眞央さんが母の苦しみを聴くようになり、母もまた娘の話の聴き方が変わり、対話する関係性に変化しつつあるといいます」)

小澤:
一つずつ丁寧に気持ちと向き合い「希望と現実の開き」を紐解いていくと、見失っていたかもしれない本質の部分に触れられる可能性があります。
たとえば、「病気だから苦しい」「死を前にして自分は不幸」というのは、もしかしたら関わる人の思い込みなのかもしれません。思い込みは、ともするとその人(当事者)の本当の感情に気がつく感性を奪っているかもしれません。

たとえ病気で命が限られていたとしても、「役に立つ」「よくできました」と言える自分でなかったとしても、心穏やかに「自分は幸せだ」と感じられる人がいます。苦しみは残り続けたとしても、穏やかになることができる人がいます。そこにあるのは「自分の苦しみをわかってくれる」と感じられる相手や「支え」の存在です。

(友達との日常的な関わりに活かしていきたいと、最年少で「折れない心を育てる いのちの授業」認定講師となった中学2年生の小野和奏さん)

「相手の全てをわかることはできなくても、
相手の『わかってくれる人』にはなれる」

(小澤先生の訪問診療の様子。「同じ日は一度もなく、いつも新鮮な思いで患者さんやご家族と向き合う毎日です」)

小澤:
穏やかさを感じられる「支え」は、人によって異なります。
家族がそばにいるということや肉体的な痛みが少ないこと、あるいは大切なペットと一緒にいることかもしれません。好きな音楽を聞くこと、大好きなお酒の話をすること、地元の応援している野球チームが試合で勝つこと、好きだった庭が見えること…、本当にさまざまです。

いずれにしても言えることは、そこに「自分の苦しみをわかってくれる」と感じられる相手がいることです。わかってくれる人がいるとうれしい。それがすべての始まりなのです。

──なるほど。

小澤:
ここで援助者として気をつけたいのは、「私が」、「相手をわかる」のではありません。「相手が」、「自分のことをわかってくれた」と感じることは、「私が」、「相手をわかる」のとは全く別の感覚なのです。

「私が」、「相手をわかろうとする」と、「痛みはありますか?」「ご飯は食べていますか?」「何を考えていますか?」という、自分の理解のため聞き方になります。もちろん医師として、適切な診断は必要です。でも、ここでは目的が違います。相手の立場からすると、気を遣われている感じはしても、わかってくれる感じはしないのでないでしょうか。

──確かに。

(小澤先生の「支え」。「誰かの支えになろうとする人こそ、一番、支えを必要としていることを教えてくれた高校1年生の感想文からの一節を、座右の銘として心に留めております。クリニックのある地元の駅の広告として用いています」)

小澤:
大切な人を失った苦しみ、余命いくばくもない中で家族を遺し先に逝く苦しみ…、本人の苦しみは他人にはわかりません。「なぜ自分が」という苦しみは、本人にしかわからないのです。「あなたの苦しみがわかります」と心から感じて言ったとしても、相手からすれば「あなたに一体何がわかるのだ」と思うでしょう。

でも、逆の発想があります。
相手のことを全部理解する、全部わかることはできなくても、相手の「わかってくれる人」にはなれるかもしれません。大事なことは私が相手をわかることではなく、相手が「自分のことをわかってくれた」と感じられることなんです。

──なるほど。

(「研修で伝えている内容をイラストにしたものです。もし誰かが苦しんでいた時、私たちが関わるために、第1の課題は、『苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい』という視点を大切に話を聴くこと、第2の課題は、相手の苦しみ(希望と現実の開き)をキャッチすること、第3の課題として、相手の支えをキャッチすること、第4の課題として、その支えを強める方策を具体的に実践できること、そして、第5の課題として、援助者自身の支えを知ることとしています」)

たとえ「私」が理解できなくても、相手の言葉を返すことで
「わかってくれた」が生まれる

(千田さんの「支え」。「活動を始める少し前に他界した父母と参加したホノルルマラソン。ゴール直前の最も苦しい時、伴走してくれている気がしています」)

小澤:
相手から見て「わかってくれる人」になろうとする時、ここには方法があります。まずは相手の伝えたいメッセージをそのまま反復するのです。

事実と違っていいんです。相手が「カラスは黄色だ」というのならば「カラスは黄色いんですね」、「太陽が西から出る」というのならば「太陽は西から出るんですね」と。
「病気になって家族に迷惑をかけるぐらいなら死にたい」「早くお迎えがきて欲しい」というのならば「家族に迷惑をかけるぐらいなら死にたい、と思っていらっしゃるんですね」、「早くお迎えがきて欲しい、そう思うのですね」と。

多くの場合、それがなかなかできません。言葉をそのまま返すとあたかも自分が同意しているように感じる気まずさがあったり、元気になって欲しい気持ちから、励ましたり、何か良いことを言おうとしたり、そんなことはないと相手の言葉を打ち消したりする。「死にたい」とか「生きていてもしょうがない」という人に「死にたいと思うのですね。」「生きていてもしょうがないと思っているんですね」とは、とても言えないのです。

(『折れない心を育てる いのちの授業』は、コロナ禍でも、授業のニーズや、講師希望者が後を絶ちません。子どもへの標準プログラムパッケージを2018年に開発、講師トレーニングと認定のしくみを2019年8月に開始し、講師は全国で130名となりました」。写真は、伴走支援したSVP東京の皆さんと)

──大切な人であるほど、たとえば「死にたい」と言われたら「何でそんなことをいうの」となってしまいそうですね。

小澤:
相手を理解しようとする気持ちは大切です。そこを諦める必要はありません。ただ、どれだけ相手の立場になっても、すべてを理解することは不可能です。相手の話を聞く時に、「私」を主語にするのではなく「相手」を主語にすること。そして相手の世界観の中で「わかってくれた」と思えることこそ大切なのです。

反復したとして、何も自分もそう思う必要はありません。「カラスは黄色だ」という方がいたら「『あなたは』、カラスは黄色だと思うんですね」の「あなたは」の部分を心に留める。病に伏せている人が「はやくお迎えが来ないかなあ」という。「『あなたは』、そう思うんですね」であって、「私が」、そこをすべて理解する必要はないのです。

(「『折れない心を育てる いのちの授業』標準プログラムの開発でお世話になった二枚目の名刺サポートプロジェクトの皆さんと一緒に撮った写真です」)

超高齢化時代の今、
さまざまな課題の根っこや志を共有する一助に

(エンドオブライフ・ケアの学習会や「折れない心を育てるいのちの授業」の開催など、暮らしを支えるさまざまな関係者への広がりを見せる佐賀県唐津市。「防災や子どもの貧困は関係者の共通の課題と捉え、情報交換の場を設けています」)

小澤:
看取りの現場からスタートした私たちの活動ですが、対象を再定義すれば「解決困難な苦しみを抱えた人と、その人を援助しようという方たち」です。

看取りに限らず、地域が抱えるさまざまな課題、たとえば生活困窮世帯への支援、子ども食堂や自死相談、防災や防犯、まちづくり…。私たちが取り組んできた活動が、こういった課題を支援する方たちの共通言語として働くことで、より効果を発揮できるのではないかと感じています。

この先、日本の人口はますます減少します。高齢者の割合が増え、国民一人ひとりが潤沢な社会保障を受けることは難しくなり、きれいごとでは解決できない問題が多く出てくるでしょう。その時、地域の力、地域のコミュニティが今以上に問われてくるようになると考えています。

(唐津市のほかにも、米子市、沖縄市など、人生の最期まで生涯豊かに暮らせる地域づくりに向けて、さまざまな活動との連携が進みつつあります。写真は全国に52か所あるELC(エンドオブライフ・ケア)コミュニティの一つ、ELC沖縄の長野さん(医師)と親泊さん(看護師)。「医療従事者として地域住民と関わる立場を越えて、地域福祉や教育に関わる様々な方と共通言語をもとに学び続けています」)

千田:
人生を豊かにするために活動しているさまざまな団体、行政や企業、地域の方たちが、それぞれの異なる課題の根っこにある部分や志を共有し、つながりを感じながら、また実際に連携しながら、豊かな社会を築いていくことができるのではないか。
その時に、この根っこをつなぐものとして、私たちの活動がもしかするとお役に立てるのではないかと感じています。

活動の分野や団体の垣根を超え、より豊かな人生の実現のために、地域コミュニティのつながりをもっと強固でしなやかなものにしていく。地域のコミュニティに本来あった、地域で困難を抱えた人を見守るような温かな関係性を再びつなぎ、無い部分は補いながら、関わりの根っこの部分、幹や枝葉を強めていく栄養源としてお力になれたらと思っています。

(千田さんが研修に参加したJWLI (日本女性リーダー育成支援事業) の同期の皆さん。「社会課題に関わるリーダーがお互い学び合う場で出会った方々は、思いがけない妊娠、発達障害、高齢者の住まい、虐待、親の介護、難民問題、生きづらさなど取り組む課題はさまざまですが、課題の根っこにあるものに共通点を感じることが度々ありました」)

千田:
苦しみを抱えた人は、誰にでも心を開くわけではありません。まずはその場にいることを許してもらえなければ、関わることもできません。

たとえば虐待や思いがけない妊娠、引きこもりや犯罪からの回復、あるいは防災…、さまざまな課題において、専門的な知識やスキルももちろん必要です。その上でその人が次に進むために、苦しんでいる本人が『この人は私の苦しみをわかってくれる』と感じられる関係性を築くという世界観を大切にしたいと思います。

あれがダメ、これがダメといった批判ではなく、指導や慰めでもなく、相手の苦しみを丁寧に聴き、一緒に考えていくこと。相手のどんな気持ちや選択もジャッジせず、「あなたはそう思ったんだね」「あなたはそれを選ぶんだね」と耳を傾けてくれる人がいることが、その人自身が自分の気持ちに気づき、自分を大切にすることにつながります。

そして「自分には苦しい時、支えがあった」と気づいた時、その人もまた、苦しむ誰かの力になれる。その可能性を信じています。

(エンドオブライフ・ケア協会のToC (Theory of Change)。「実現したい社会への道筋を示す地図として大切にしています」)

「認めてくれる誰かの存在に気づけたら、
その人は幸せ」

(「人生の最終段階を迎えた方へのケアとして、その人が大切にすることを大切な人に宛てたメッセージとしてお話を伺う『ディグニティセラピー(尊厳療法)』を、小澤のめぐみ在宅クリニックでは大切にしてきました。人生の最終段階というと縁起でもない話として、大事なことを話すタイミングが難しいことがありますが、アプローチを工夫して、これからの生き方として、お寺などと連携しながら考える機会を作っています」)

──読者の方に向けてメッセージをお願いします。

小澤:
人工知能(AI)とビッグデータによるSociety5.0社会が到来し、便利な社会が実現できたとしても、人は幸せを実感できるとは限りません。人が機械(AI)よりも誇れることは、弱さにあると思います。弱いからこそ、誰かを思いやり、弱いからこそ、互いに助け合い、弱いからこそ真の幸せ(Well-being)を実感できることを、限られたいのちの現場で学び続けてきました。

エンドオブライフ・ケア協会は、これからの社会課題である社会的孤立に対して、弱いからこそ支え合う人間としての基本的な心を大切に、必要とされる人に届く活動を行っていきたいと思います。是非、関心のある人たちとつながりながら、夢を追いかけたいと思います。

千田:
長く続いているコロナの影響で、自分自身の存在意義が見えづらくなり、より生きづらさを抱えている人が増えていると感じます。でも「自分にもできることがあるんだ」という気づき、あるいは、たとえ役に立てなかったとしても、自分のことを認めてくれる存在に気づくことにより自分を大切に思える可能性はあることを、伝えるというよりは、気づくきっかけをつくっていきたいですね。その時に大切にしたいのは、問いと対話です。

何を選んでも選ばなくても、何ができてもできなくても、あなたがあなたであることには変わりはなくて、それを否定せず、時に必要な資源ともつながりながら、応援できる私でありたいと思います。

(「今回のコラボに合わせて、10月18日からの1週間、毎日イベントを開催します。20日(水)19時からのイベントでは、JAMMINさんと対談させていただき、300以上の団体さんとのつながりからの気づきなど伺う予定です」)

チャリティーは、講座のショートムービー制作資金となります!

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

千田:
チャリティーは、苦しみを抱えた人や自分自身と向き合うための対人援助のアプローチの講座にて、地域のさまざまな分野で活動する担い手の方たちが学びを深めるためのショートムービー制作費として使わせていただけたらと思います。

──貴重なお話をありがとうございました!

(「養成講座は公開講座として主催する分だけで第100回目を迎えました。いつか会える日を楽しみに、オンラインでも活動を続けて参ります」)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

日々生活をしていると、行き詰まりや閉塞感を覚えたり、落ち込んだりすることも少なくありません。お二人のおっしゃる苦しみの本質の捉え方や「支え」に気づいていくということは、自分らしく生きるための大きな力になると感じました。
「解決する」ことはできなくても、それが常にゴールや答えなのではなく、「見つめる」「認める」ことで、見えてくる大切な世界もあるのではないでしょうか。

・エンドオブライフ・ケア協会 ホームページはこちらから

09design

前回のコラボデザインと連続したシリーズとしてタッチを揃え、一つの根から団体のシンボルマークであるタンポポ、アラセイトウ(花言葉は「思いやり・見つめる未来」)、スイートピー(花言葉は「やさしい思い出・門出」、サンザシの花(花言葉は「希望・新しい光」)が伸びる様子を描きました。さまざまな課題に向き合う人たち一人ひとりが共通の志を持ち、つながりを感じながら活動する様子を表現しています。

“Shared words, shared growth”、「言葉を、成長を共に」という言葉を添えました。

チャリティーアイテム一覧はこちら!

・過去のチャリティー一覧はこちらから

logo-pckk                

SNSでシェアするだけで、10円が今週のチャリティー先団体へ届けられます!
Let’s 拡散でチャリティーを盛り上げよう!
(広告宣伝費として支援し、予算に達し次第終了となります。)