「ボノボ」をご存知ですか?
チンパンジーによく似た、アフリカのコンゴ民主共和国にのみ生息する大型類人猿です。
1970年代、野生動物保全において「共存」という考え方がまだまだ希薄だった時代に、日本人の研究者が生息地の一つである奥地の村「ワンバ村」を訪れ、現地の村人との協力や信頼関係を大切に、ボノボの研究を始めました。その時から約50年、住民とともに野生動物との共存の在り方を模索してきました。
今週、JAMMINがコラボするのは、NPO法人ビーリア(ボノボ)保護支援会。ワンバ村で調査研究を行う研究者が中心となり、ボノボの保全のために、地域住民の暮らしの支援や環境教育活動を行っています。
ボノボについて、また活動について、京都大学霊長類研究所助教の徳山奈帆子(とくやま・なほこ)さん(33)、静岡県立大学国際関係学部助教の松浦直毅(まつうら・なおき)さん(42)、東京大学農学生命科学研究科 日本学術振興会特別研究員PDの寺田佐恵子(てらだ・さえこ)さん(38)にお話を聞きました。
(お話をお伺いした、上段左が松浦さん、右が徳山さん、下段が寺田さん)
NPO法人ビーリア(ボノボ)保護支援会
絶滅の危機に瀕するボノボの保全に取り組むために、コンゴ民主共和国の奥地にある「ワンバ村」周辺地域で活動する研究者と、活動に賛同する会員によって構成された団体。
「ビーリア」はボノボが現地で呼ばれる時の名称。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/9/27
(集まって毛づくろいを行うボノボたち。「ボノボにとって毛づくろいは、お互いの体についた汚れや寄生虫を取り除くだけでなく、触れ合って親和関係を深めるための大切な社会行動です」)
──今日はよろしくお願いします。ボノボ保全のために活動されているとのことですが、ボノボってどんな動物なのですか。
徳山:
オランウータンやゴリラ、チンパンジーに並ぶ大型類人猿の一種です。チンパンジーと同じくヒトに最も近い動物です。日本の動物園にはいないので、多くの方にとって馴染みのない動物かもしれません。
アフリカのコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)にのみ生息する生き物で、絶滅が危惧されています。生息数は2万頭を下回り、現在も減少を続けていると考えられています。
外見や基本的な生態はチンパンジーに似ていますが、社会性はチンパンジーとは大きく異なっています。
(「ボノボの特徴の一つは真ん中分けの髪型!毛は長めで、耳が隠れるほどです(ただし、飼育下では禿げてしまう個体も多い)。また、チンパンジーの子どもは顔の肌の色が薄いのですが、ボノボは生まれたときから顔が黒いのも特徴です」)
──どのように異なるのですか。
徳山:
どちらも群れで行動しますが、チンパンジーは群れの中での激しい争いや群れ同士の関係性が敵対的であることが知られているのに対し、ボノボは群れ内も群れ間も寛容で平和的で、「平和と愛の類人猿」と呼ばれることもあります。
チンパンジーはオスの関係が強く、順位を巡って激しく争うオス社会ですが、ボノボはメスの社会的地位が高く、採食行動や群れが移動するタイミング、交尾などさまざまなシーンで主導権を握ります。体はオスの方が大きいのですが、メス同士が協力しあうことでオスに勝ることができます。
メス中心な社会であることが、平和的な社会の一つの背景です。
(一つの木に、3つの異なる群れのボノボたちが集まっている写真。「ボノボの群れ同士は”ご近所付き合い”があります。群れ同士が出会うと、一緒になって数時間から数日共に過ごし、毛づくろいをしたり遊んだり、食べものを分け合うこともあります。写真は3つの群れのボノボが集まっている場面ですが、個体の識別ができなければどれがどの群れのボノボか分からないほど入り混じっています」)
──おもしろいですね。
徳山:
私のようなボノボの研究者は、ボノボの生態や社会への理解を深めるための研究を行っています。ボノボと他の類人猿、ヒトとの共通点や相違点を見出していくことは、ヒトの理解、「ヒトとは何か」を知ることにもつながっていくのです。また、私たちのメンバーには、地域住民の文化や生活を研究する人類学者もいます。「進化の隣人」であり、さらにワンバの森で実際に「隣人」同士として暮らしているボノボとヒトの双方を研究しているのが私たちのチームとしての強みです。
(「ボノボ(左)とチンパンジー(右)では体長には大きな差はありませんが、ボノボの体つきはチンパンジーより華奢で、腕や足はボノボの方が長く、スラッとしています。ボノボの方がより樹上での移動が得意だと言われています」)
(「ボリンゴ」と呼ばれる大きな果物を分け合って食べるボノボたち。「周りに同じ食べものが豊富にあっても、あえて分け合って食べるということが知られています」)
──ボノボはなぜ日本であまり知られていないのですか?
徳山:
世界的にもボノボを飼育している動物園は少なく、日本にはそのような動物園はありません。現在はワシントン条約(※)によって、ボノボやチンパンジーなどの大型類人猿の輸出入は厳しく制限されていますが、規制前には生息地からの輸出入がありました。しかし、ボノボが流出した頭数は少なく、日本にも入ってこなかったと考えられます。
これには、生息している場所が関係していると思います。チンパンジーは沿岸部にも生息していたことから港を経由して世界各地へと輸送された歴史がありますが、ボノボが生息するコンゴは広大なアフリカ大陸のほぼ中央に位置し、生息地の近くには海がありません。おそらくこれが、海外にボノボが流出しなかった理由の一つだと考えられます。
またボノボはストレスに弱く、輸送に耐えられず途中で亡くなってしまった個体も多いと思います。
(※)ワシントン条約…絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約。1973年にワシントンで採択された。
(「尻付け」をするオスたち。「緊張緩和のための行動と考えられていて、ケンカが起こったときや起こりそうなときなどに見られます。片方がもう片方に覆いかぶさるマウンティングも同様に緊張状態にあるときに行われますが、尻付けは特に、上下の区別がないので優劣を決めずにケンカを収めることができると考えられています」)
──ボノボ自体はずっと昔から存在したのですか。
徳山:
実は、ボノボが「発見」されたこと自体が、1920年代と比較的最近です。地元の人は森にボノボがいることは認識していたはずですが、アクセスの悪さから西洋の研究者たちがボノボを目にする機会はありませんでした。
1910年代に数頭のボノボが動物園や研究所にいたということが後になって分かりましたが、外見の類似からチンパンジーとの区別がついていませんでした。「どうやらチンパンジーとは異なる生き物だ」という論文が出版されたのは1929年です。つまり、ボノボは「種」として認識されてから100年も経っていないのです。
(「お母さんと子どもの写真に見えるかもしれませんが、実はこの2頭は血のつながらないオスと子どもです。しかも、このオスと子どもはそれぞれ違う群れに属しています。子どもが違う群れのオスを恐れることなく、その上に乗ってくつろぐことができる、というボノボの寛容な性質がよく示された写真です」)
徳山:
私たちが活動するコンゴ(旧ザイール)奥地のワンバ村とその周辺地域は、世界初の野生ボノボ調査が始まった場所でもあります。
霊長類学者で京都大学霊長類研究所名誉教授の加納隆至さんが1973年にスタートしました。
加納先生は、広大なコンゴ盆地を自転車で駆け回って調査地になりそうな場所を探し、過酷な旅の末にたどり着いたのがワンバだったそうです。
今でもボノボ研究はチンパンジー研究から大きく遅れていて、謎が多い生き物です。
(1980年代のワンバ村の様子。「子どもたちが手に持っているのは『ソウ』という果実です。脂質が豊富で、ボノボたちの大好物です。村人は茹でて塩を付けて食べます。慣れるとクセになる味です」)
(コンゴ民主共和国の首都・キンシャサから調査地へ向かうセスナ機から撮影した、ワンバ周辺の上空写真。地平線の彼方まで森が広がっています)
松浦:
調査が始まって以来、ワンバ村では日本人が主導する研究と保全活動が続けられてきました。ボノボとヒトが共存する稀有な地域であることから、ボノボ研究だけでなく、ボノボと環境の関係性に着目する生態学の研究や、地域住民とボノボの関係を解き明かす文化人類学的な研究なども行われています。
──そうなんですね。
(「ワンバの人々にとって歌とダンスは大切です。男性の叩く太鼓の伴奏に合わせ、女性たちが輪になって踊ります。写真では伝統的な衣装を着て踊っていますが、普段は気取ることなく、日常的に集まって踊ります」)
松浦:
ワンバの人々は「ボンガンド」と呼ばれる民族で、ボノボと同じ森を使って生活しています。人々も食を豊かな森に頼り、伝統的な狩猟採集や焼畑農業などを営んで生活をしてきました。ボンガンドには「ボノボとヒトはきょうだいである」ことを示すような民話があり、人々はボノボを殺すことなく共に生きてきたのです。
しかし今、少しずつ村に変化が訪れています。人口が増加して森が減少しつつあり、密猟も問題となっていて、ボノボは絶滅の危機に瀕しているのです。
(「ワンバの森の中には網の目のように川が流れており、網、竿、仕掛けなどさまざまな方法で魚をとります。得られた魚は、毎日のおかずになるほかに、乾燥させて販売することで現金収入源にもなっています」)
──人間活動によって、生息が脅かされているのですね。
松浦:
都市部から遠く離れていることは、ボノボにとっては生息地が守られて良いことかもしれません。しかし、ここで暮らす人たちにとっては、医療や教育、インフラなどが行き届かず、不便な生活を強いられて困難があるとも捉えられます。
一方で、豊かな森の恵みによってどちらも命をつないできたとも言えます。
森では、果実、ハチミツ、山菜、キノコなどが採れます。多種多様な動物がいて、川には魚もいます。村人たちの主食は畑で栽培する「キャッサバ」というイモですが、タンパク源となる副食は森に頼ってきました。
(「ある日の研究者たちの食卓。畑で収穫された米(陸稲)やキャッサバの餅、キャッサバの葉の煮込み、数時間前まで村を歩いていたニワトリ、森で集めたキノコやクズウコン科草本の新芽と、完全な『地産地消』メニューです」)
徳山:
ボノボも美味しい食べ物をよく知っています。ボノボが森で食べているものは、人間が食べても基本的においしいものばかりです。なので時折、森の中で同じものを採ろうとしたボノボと人間が鉢合わせする、なんてこともあります。
──本当に身近なのですね。
寺田:
特別な存在ではなく、そこにいるのが当たり前というか生活の一部なんでしょうね。もちろん野生動物ですので、時に脅威となることもあります。しかし、生息地から排除するのではなく、ただ「そこに生きているもの」として存在しているのかなと思います。
ワンバのボノボは空が開けた明るい二次林や畑も日常的に利用しているんです。日本でも農村部では、家の近くでひょっこりシカやサルに出会ったりしますよね。そういう感じに近いのかなと思います。
(ワンバの人たちの生活の中心は、森をひらいておこなう焼畑農耕。「さまざまな作物が栽培されていますが、写真は最も重要な作物のひとつであるキャッサバです」)
徳山:
ワンバ村の子どもたちは鳴き声をまねてボノボに呼びかけることがあります。声真似がとてもうまいので、ボノボも鳴き返してくるのが子どもたちにとって楽しいようです。
ボノボには研究のためにそれぞれ名前をつけているのですが、村人たちも名前を覚えていて、森でボノボに行き会うと親しみを込めて呼びかけることもあります。ボノボたちは自分の名前を認識しているわけではないので、反応はしませんが…(笑)。
私たちが村人に名前を教えたわけではないので、村の中で自然にボノボについての話題が交わされているということが分かります。
(笑顔を見せるワンバ村の子どもたち。「ワンバの人々、特に子どもたちは写真が大好きで、道を歩いていると『写真を撮って!』といつも声をかけられます」)
(森の中でボノボ(左上)と遭遇した子どもたち(右下)。「ボノボとヒト、お互いを観察し合っています」)
──「保全」と聞くと、ヒトと動物との生活スペースをガッチリ区切って保護するような、そんなイメージがあるのですが…ワンバ地域は全く異なり、共に存在しているというのがすごく面白いですね。
寺田:
そうですね。住民と近い立場で協力関係を築きながら研究を進めるというのが、日本人研究者の傾向としてあるように思います。ボノボの長期調査地は数えるほどしかないのですが、村から離れた森の中にキャンプサイトがあり、ボノボや自然だけを研究している海外の研究チームもあります。
それも研究の一つの形ではありますが、ヒトと野生動物が共存する面白い地域だからこそさまざまな研究ができるし、現地の村人たちと一緒にやっていくことで、この森自体と人々の暮らしの両方が守られていくのではないでしょうか。
徳山:
他の地域では、野生動物が生息するところを区切って、住民が立ち入れない、または利用できない保護区にしているところが多いです。私はチンパンジーの研究でウガンダの保護区にも訪れますが、そこでは村人が森に入ってくるとことはありません。このような保全方法は「要塞型保全」といいますが、「ここは動物のための保護区で、人間は使ってはいけない」というかたちで棲み分けがはっきりしているのです。
──ワンバ地域がいかに貴重な場所かということですね。
徳山:
1970年代、「人と野生動物のゾーニングをちゃんとしよう」という欧米主体の要塞型保全の発想が主流であった中、このように共存を目指したのはかなり先駆的な試みであったと思います。
実は1980年代に入ってから、国内外の要請を受けてこの地域を保護区にしようという動きが出てきた際、日本人研究者たち国立公園化には反対しました。住民を森から追い出すのではなく、ヒトもボノボも一緒に住める森が守られていくことを目指すために、学術目的に焦点を絞った保護区として「ルオー学術保護区」を設立し、ボノボの保護と村人の暮らしの支援の両方に努めてきました。
(ボノボの好物である森の果実は、子どもたちにとっても大切なおやつ。「子どもたちが集まって、ボリンゴを夢中になってほおばっています」)
松浦:
今は各地に国立公園があって、公園内では人間の活動は禁止されていますが、それがなかったころには同じ場所で人間が動物と共存し、それぞれに根付いた暮らしや文化があったわけです。
それを後からやってきた外部の者が「動物が絶滅しそうだから、あなたたちは出ていきなさい」と排除するというのは果たして正当といえるでしょうか。
深刻な絶滅の危機にある動物を守るために、人間から隔離して厳重に保護せざるを得ないという場合もあるかもしれませんが、地域住民の存在はやはり無視すべきではないでしょう。そういう意味で、ワンバは「ボノボとヒトとが共存してきた」ことを強調し尊重して、今でも両者が共に存在する、非常に珍しい地域なのです。
(焼畑のために開墾された場所でくつろぐボノボたち。「密猟さえ生じなければ、このように樹木がない村に近い場所も、ボノボにとって草本を食べたり休息したりする生活空間の一部になります」)
(持続可能な森林利用について村人同士で話し合うワークショップを開催したときの様子。「村人の一人が、伝統的な薬草利用について話しています。参加者からは『身近な森の恵みが、実は貴重なものであることが分かった』という感想もありました」)
──ボノボを守るためには、地域住民も含めて森を守っていかなければならないということなんですね。
松浦:
「森を守る」ことが私たちの目的ですが、そのためには村人たちの生活も豊かにすることが重要であり、森の価値を高めるような活動を行っています。ボノボ研究と地域住民の生活は分かち難く、「ボノボのおかげで学校ができた」とか「ボノボのおかげで橋が直った」という評判が、広く「ボノボを大切にしよう」という村の人々の気持ちにつながります。
──なるほど。
(2012年に団体の支援によって完成した病院。「簡単な診療と薬の処方ができる薬剤師と看護師が常駐していて、医師を呼べば簡単な手術もできる設備があります。それまでワンバ村には病院がなく、隣村まで病人を運ぶ必要がありました」)
松浦:
国が困難な政治経済状況にある中で、なかなか行き届かない教育や医療の面での支援として、これまでに団体として学校や病院の建設、学用品や奨学金の支給、薬の援助なども行ってきました。
一方で、経済開発やインフラ整備を望む声もあります。「ボノボや森を守るために、これまでどおり伝統的な暮らしを続けてください」というのは私たちの押し付けです。ワンバの村人たちにとってもバイクがあれば移動は楽だし、鍋やコンロがあれば調理も楽になるわけです。
しかし人口増加が進む中で、これまで以上に森林を伐採したり、禁止されている銃器での狩猟に手を出したりするケースも出てきてしまっており、保全とのバランスを保つことがますます大切になっています。
──確かに。
(現在建設中の中学校の校舎。「屋根用のトタン板は、2017年の『水上輸送プロジェクト』の際に都市で購入し、船でワンバに運びました。壁はまだ積み上げの途中ですが、中ではすでに授業が行われています。柱や壁には沢山の落書きが(笑)」)
松浦:
私たちは研究者として、人間とボノボの両者が豊かに暮らしてきたワンバの森という貴重な調査地で、これからも研究を続けていきたいと思っています。そのためにできることとして、持続可能なかたちで開発が進むように留意しながら、道路や橋の修繕や、生活向上を目指した経済活動のサポートも行っています。同時に、森の価値や大切さを知ってもらう環境教育活動も続けています。
寺田:
ヒトと自然、ヒトとボノボは、どちらか片方が勝つとか、無理やりどうにかすれば何とかなるというものではありません。長い視点でものごとを捉え、WIN-WINの関係を維持することが必要です。そのためには、ボノボや生態系のことを調べると同時に、そこに暮らす人々の声に耳を傾けて、時には経済的な視点も入れながら、彼らと一緒に長期的な共存の道を見出していくような活動が大切だと思っています。
(「ワンバの住民たちは生活向上を目指して住民組織を立ち上げ、農業や家畜飼育を広げようとしています。現地に行くたびに住民組織の活動状況の報告を聞き、住民組織をどのように発展させていくかについて話し合っています」)
(こちらを見つめるボノボの子ども。「ボノボの寿命は平均40年ほどで、60歳まで生きることもあります。この子がこれからの一生を幸せに暮らすことができる豊かな森を守っていくためには、息の長い保全活動が必要です」)
寺田:
ボノボだけでなく、ボノボが暮らす森、そこから得られる資源、生態系と社会のつながり、さらにそれらへの経済的な影響、また動物がそこにいることによる住民の心理や考え方への影響、文化的意義…、すべてはつながり、生き物同士も、ヒトと自然も密接に影響し合っています。
…と、私たちは科学者として科学的、論理的に考え説明したくなりますが、住民たちはこういったことを、身をもって日々感じているわけですよね。彼らが持っている経験や知識と自分たちが持つものを重ね合い、学び合っていけたらと思っています。
(ワンバ村の小学校の授業の様子。「村にいくつかある小学校のうち、この一番小さな学校はほぼ青空教室の状態ではありますが、2018年には屋根の葺き替えの支援を行いました。また、チョークや黒板を作るためのタール、ノートやペンを毎年支援しています」)
──「共存」ってどのようなものなのでしょうか。
松浦:
私たちはふわっとしたイメージで「共存」という言葉を使いがちですが、現地で暮らす人々からすると決して簡単なことではありません。恵みを受けることもあれば、たとえば農作物を野生動物に全部食べられてしまったとか、身に染みる被害を受けることもあります。そういう酸いも甘いもある中で、野生動物と対峙する姿勢を持ち続け、ただ排除するのではなく関わり合い続けていくことが、彼らにとっての共存であると思います。
ワンバの村人たちがどう思っているかはわかりませんが、少なくとも私たちは「ワンバの森は、ワンバの人たちのもの」だということを大前提としなければならなりません。共に学ぶ、彼らから学ぶ。私たちは彼らの村で研究をさせてもらっているという、謙虚な姿勢を持ち続けることが大切だと思っています。
寺田:
人は自然と完全に切り離された状態では生きていけません。これはワンバでも、私たちの暮らしでも同じです。共存のためには、まずは今起こっている問題を認識し、そこに住む人々にとって望ましい自然や野生動物の在り方を考えること。
そしてそのために、なくしてはいけない「今あるもの」を守り、次世代に残していくためのアクションを起こすことが大切なのではないでしょうか。
さまざまな変化の中で、共に生きていく、そのためのバランスや仕組みを考え続けていく必要があります。
(「森の持続可能な利用についてのワークショップには、多くの子どもたちも参加してくれました。大人たちの議論の内容はちょっと難しかったかもしれませんが、それでも一生懸命聞いてくれていました」)
徳山:
今の50代の人々が子どもだったころ、ワンバ村にはゾウが生息していました。村人は時に落とし穴罠を用いてゾウを狩り、皆でお腹いっぱい食べたそうです。リスクの高いゾウ猟は滅多に成功するものではなく、村人とゾウは長いこと共存してきました。
しかし60年代、象牙狙いの密猟者がライフルをもってワンバにやってきて、ゾウを全滅させてしまいました。
そうすると、ゾウを狩猟し皆で分け合って食べるという村の文化が消えました。ゾウだけがその果実を食べ、フンとして排出されるまでに種を遠くに運ぶことができる木がありますが、この樹種は今後消えていくでしょう。ゾウが消えたことで、文化も生態系も変わってしまったのです。
今あるものが消えてしまわないように。共存のためには、守ることと「使う」こと、そのバランスを保ちながら、持続的な利用と発展について考え続ける姿勢が大事だと思います。
(経済活動支援のひとつで、松浦さんが所属する他のNPOとも連携して行っている「水上輸送プロジェクト」。「森の資源を都市で販売して収入を得ることをサポートするために、村人と一緒に船で河川輸送を行いました。森の資源の経済価値を知り、どうやってそれを持続的に利用するかを考えるためのものでもあります」。詳しくは→https://afric-africa.org/africa/waiwai)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
徳山:
チャリティーは、保護区内のパトロールのための資金だけでなく、村内にある小中学校の子どもたちの授業に必要な学用品や机、椅子などを届けるための資金、また村人たちが手に職を得られるよう、裁縫の講習やミシン購入のための資金して活用させていただきたいと考えています。
村人の暮らしを守っていくことが、ヒトとボノボが共存する森を守り、ボノボを守っていくことにもつながります。ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけたら幸いです!
──貴重なお話をありがとうございました!
(2014年の調査基地での集合写真。「現地の調査アシスタント、コックや守衛さんたちは、私たちの研究や保全活動を支えてくれる仲間です」)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
初めて聞くボノボの話。資料を見たりお話を聞いたりするたびに愛着が湧いてくる、不思議な動物だなと思いました。ボノボの純粋な表情を見ていると、ただ同じように地球に生きているだけなのに、同じように生きていて当然なのに、人間の身勝手に翻弄されていることや「共存」という言葉に胸がちくりと痛みます。そんな痛みすら、便利で快適な暮らしをしている自分の身勝手だろうなとつい諦めにも似た気持ちになります。
だけど、ワンバ村のように人と野生動物が共存する村があるということ、そして共存のために多くの人たちが力を合わせているということ、何より今日も同じ空の下、ワンバの森でボノボや人が共に生きていることを知って、この暮らし、文化、続いてきた伝統、灯火を絶やしてはならないと思いました。私たちが生きるということは、自然があるということ。他の生き物たちも存在するということ。そのことを忘れてはならない。改めてそう感じました。
ボノボが暮らすワンバの森、そこに生きる植物や動物、そしてヒトを環状に描きました。
森の生態系の調和、そしてそれを守ることが、人々の暮らしや生命にもつながっていることを表現しています。
“We all live under the same sky”、「私たちは皆、同じ空の下を生きている」というメッセージを添えました。