CHARITY FOR

「18トリソミー」の子どもとその家族のさまざまなあり方を発信、「命の尊さ」を伝えたい〜Team18

「18トリソミー症候群」をご存知でしょうか。
ヒトは男女共通の常染色体(1〜22番が1対2本ずつ44本)と、男女で異なる性染色体(男性は通常XY、女性は通常XXの2本)、合わせて46本の染色体を持っています。染色体は全ての細胞の核の中に入っており、細胞が集まって臓器になり、そして個体であるヒトができます。

18トリソミー症候群は、そのほとんどが、全ての細胞における18番染色体全体の重複(3本あること、フルトリソミー)に基づく先天異常症候群で、この染色体異常を発見したジョン・ヒルトン・エドワーズ医師の名前から「エドワーズ症候群」とも呼ばれています。

18トリソミーであることによって自然流産や子宮内胎児死亡、出生後間もなく亡くなることも少なくありません。
出生後は症状に個別差があるものの心臓疾患で生まれる頻度が高く、病院で過ごす期間が長くなるケースが多く見られます。1歳を迎えられるのが30%程度と言われていますが、近年は積極治療をする病院も増えており、長期生存できる子も増えています。

2019年にコラボしていただいた「Team18」さん。18トリソミーの子を持つ家族によって構成されている団体です。

「世界はやさしさで溢れている」。前回のコラボでは、Team18代表の岸本太一(きしもと・たいち)さん(36)に18トリソミーで生まれた長女・心咲(みさき)ちゃんについてお伺いしました。

「どれだけ長く生きたかよりも、我が子とどのような時間を過ごしたかを大切にしたい。そして、そこにある幸せを知ってほしい。たとえ一緒に過ごす時間が短くても、命の尊さ、『出会えた奇跡をありがとう』を発信したい」。

今回は岸本さんの他に、3家族にお話を聞きました。

(2014年7月に千葉・舞浜で行われた日本周産期・新生児医学会学術集会内での写真展の様子。「たくさんの18トリソミー児の家族が集まって、準備・運営を行いました」)

今週のチャリティー

Team(チーム)18

「18トリソミーのことをたくさんの人に知ってもらいたい。短命といわれても、こんなにがんばっている子どもたちがいることや、家族にとってかけがえのない存在であることを知ってほしい」、そんな思いから2008年より活動を開始した任意団体。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/8/16

「どれだけ生きたかではなく、どんな時間を過ごしたか」

最初に、前回もお話を聞かせていただいた岸本さんにお話を聞きました。
現在、東京パラリンピック水泳の日本代表コーチを務めている岸本さん。パラリンピック開催を目前に控えている中、お話を聞きました。

(岸本さんご家族。心咲ちゃんは四人姉妹の長女。「2019年3月、地元の公園で撮った写真です。週末は家族でよく近くの公園に出かけます」)

──前回のコラボではお世話になりありがとうございました。長女の心咲ちゃんについて教えてください。

岸本:
心咲は今年の12月に10歳になる特別支援学校に通う4年生です。学校には毎日スクールバスで通っています。普段の生活では、人工呼吸器や痰の吸引、胃ろう(胃に穴を開けて直接栄養を送り込む)から食事を注入するなどの医療的ケアが必要です。

一人で立って歩いたり言葉を発したりすることはありませんが、好きな人に会った時や、好きな人の声を聞いた時、好きな遊びをする時などは、笑顔を見せてくれたり、手足をバタバタ動かして気持ちを表現してくれます。

──視覚や聴覚などはいかがですか。

岸本:
検査をしても、はっきりしたことは分かりません。一緒に過ごしていて、物が動いたら目線を変えたり首を動かしたりするし、声や音がした時には表情が変わったりするので、なんとなく見えていて、なんとなく聞こえているのだろうと思っています。

外出時は、なるべく眼に負担がかからないようにサングラスをつけたり、なるべく声が聞こえるように補聴器をつけたりと、その時々の環境に合わせて良い時間を過ごせるようサポートしています。すべてのことにおいて「なんとなく」とか「たぶん」と思っているので、心咲が大きな声を出したり、ニコニコしたりした時はめちゃくちゃ嬉しいです。

(2016年4月、カナダ・モントリオールにて。「心咲とカナダに行った時の写真です。街中を散歩する中で、たくさんの優しさに触れました。一日一日、ひとつひとつ、良い時間を過ごせることが幸せです」)

──日々のケアは大変ではありませんか。

岸本:
ケアがあるのが心咲の生活なので何が大変かというのもよく分かりませんが、これまでの歩みの中で「病気と向き合う」から「ケアのある子育て」に変わっています。もちろん心咲に合わせた行動時間というのはありますが、それは妹たちにも同じ。子育ての中で一人ひとりに必要なことをやっていると思います。子育ては親の想いを子に伝えながらやるものでしょうから、障害の有無に関係なくどの家庭も大変だったり苦労したりしているんだろうなって…。ほとんどのことを妻がやっているのに、偉そうに語ってすみません(笑)。

とはいえ、18トリソミーは短命といわれており、1歳を迎えることができるのは約30%といわれています。1歳を迎えても2歳3歳で亡くなる子もおり、もう会えなくなってしまったお友達も多くいます。

今は元気でも、この先長くは生きられない命かもしれない。だけど、大切なのはその長さだけじゃない。短くてもどんな時間を過ごしたか。たった一日かもしれない、数ヶ月かもしれない、1年かもしれない。これからも一日一日を大切に積み重ねていけたらと思っています。

(2017年2月に大阪で開催した写真展にて、集まった18っ子とその家族と記念撮影!)

「生まれるよりもずっと前から、
共に過ごす時間は始まっている」

(「出産から約1年半後の2013年8月27日、我が子が18トリソミーで生まれてきたことを初めてFacebookで紹介した時の写真です。心咲の存在を隠し殻に閉じこもっていた私にとって、この日はとても大切な日です」)

──新型出生前診断(NIPT)により、生まれる前にダウン症や18トリソミーといった染色体異常について、妊婦さんが気軽に調べられるようになりました。そのような中で、岸本さんが伝えたいことはありますか。

岸本:
僕たちの団体が発信している「出会えた奇跡をありがとう」という言葉に、すべてが込められています。お母さんのお腹の中から外の世界に生まれ出る時、それももちろん出会いの瞬間ですが、新しい命はお母さんとお腹の中で出会い、共に過ごす時間は出産日よりもずーっと前に始まっているんですよね。
その子が持って生まれたかけがえのない命は、誰かと比べたり、選んだりする必要がない尊さを持っています。だから、Team18では、「出会えた奇跡をありがとう」を伝え続けたいです。

(2021年7月に開催された大分での写真展に合わせ、制作された18っ子たちの集合写真。「皆輝いています」)

「このままお腹の中で、ずっと一緒に暮らせたら…」。
出産前に抱いた複雑な思い

次にお話を聞いたのは、竹田優樹(たけだ・ゆうき)くん(5)のお母さんの小都奈(ことな)さん(31)。妊娠8ヶ月の時、優樹くんが18トリソミーであることが判明しました。入院や手術を繰り返しながらも、二人の弟と家族5人、元気に暮らしています。

(竹田さんご家族。2020年春、自宅近所の桜を見に行った際の一枚。「3月生まれの優樹にとって、毎年桜を見ることが一つの節目でもあります」)

──優樹くんの症状を教えてください。

竹田:
生まれる前の検診で心臓の異常や指が6本ある、小脳が小さい、耳の位置が低いといったことがあったため、「染色体異常が考えられる」ということで羊水検査を受け、18トリソミーであることがわかりました。出産後、心臓に二つの穴があること(動脈管開存症、心室中隔欠損)や鎖肛(肛門に穴が空いていないこと)もわかり、生まれた翌日には肛門の穴を広げる手術を受けました。その後もNICU(新生児集中治療室)に入り、しばらく一緒に寝たりすることはできませんでした。

生後2ヶ月で退院できましたが、その後も2〜3ヶ月に一度は入院する生活が続きました。2歳ごろからはさまざまな感染症にかかり、お医者さんからも「(もしもの時に)どこまで措置しますか」と尋ねられ、私たちも覚悟を決めたこともありました。体調としてすごく良くなったというわけではないけれど、悪くなったということでもなく、現状維持で来たような感じです。

(「外泊許可が降り、優樹が生まれて初めて外へ出た日です。桜はもうなかったけれど、優樹を抱くことで今までと同じ外がどれだけ気持ちいいものかも感じた瞬間でした」)

──お腹の中の赤ちゃんが18トリソミーであることがわかった時のことを教えてください。

竹田:
「18トリソミーかもしれない」とお医者さんから告げられた時は、何がなんだか全く訳がわからず、涙が勝手に溢れ出ました。隣にいた主人が手をぎゅっと握ってくれて、そこで我にかえったことを覚えています。

通常は妊娠40週ほどで出産しますが、優樹はまだ生まれてくる準備が整っておらず、初産でもありましたし、出産を誘発するのもよくないとお医者さんの判断で、普通より1ヶ月長い44週をお腹の中で過ごしました。
普通より1ヶ月ほど長く妊婦をしたのですが、この間は精神的にかなり参っていました。「本当にお腹の中に赤ちゃんはいるのかな?」「いつ出てくるの?」「病気だからこんなに苦しいのかな」と‥。

それでもエコーで見ると、元気に動く優樹の姿があって。嬉しかったですね。
「生まれて来ないでお腹の中にいたら、ずっとこうやって元気でいてくれるのかな。ずっと一緒にいられるのかな。お腹の中にいる方が幸せなのかな」と思ったりもしました。

(「抱っこが大好きな優樹!ママ抱っこの手遊び歌が1番喜んでくれます。最近入院生活が続いていたので、お家でこの笑顔を見られることがなによりの幸せです」)

人は皆個性があり、それぞれ違う。
そこに障害は関係ないと息子が気付かせてくれた

(「体調によっては酸素を使うこともありますし、側弯もあるため、コルセットなしでは座位も難しいです。小さな変化に注意しながら日々細かいケアを心がけています」)

──日々の生活について教えてください。

竹田:
優樹は基本的には寝たきりですが、全体的に元気で、笑ったり泣いたりと表情豊かです。療育園やデイサービスで歩行器を使って歩く訓練もしていますし、支えれば座ることもできます。5歳ですが、精神や身体的には、現在も1歳にも満たない月齢だと言われています。

──医療的なケアも日々の生活では必要ですか。

1歳ぐらいまでは哺乳瓶からミルクが飲めたのですが、入退院を繰り返す中で飲む力が弱くなってしまい、鼻からチューブを通して食事していました。ちょうどこの6月に胃ろうの手術を受けました。ただ胃や腸にも異常があり、栄養は一度に入れるのではなく、タイマーで時間を測って何回かにわけて少しずつ注入する必要があります。

──大変に感じられたことはないですか。

竹田:
優樹が初めての子だったので、育児と障害が同時にインプットされているというか。とりわけ大変と感じたことはないですね。今、二人の弟も育てながら振り返って言えることは、子どもは一人ひとり皆違って、だから育児もそれぞれに違うということです。
そういう意味での違いはあっても、それは障害だから病気だからということではないんですよね。一人ひとりの生活スタイルを尊重するということは、優樹が気づかせてくれました。母親として成長させてもらっています。

「優樹の生命力や成長が、
私たちを前に向かせてくれた」

(「盛大ではなくても、ささやかなイベントを通じて家族5人で四季を感じながら過ごすことを大事にしています。家族が増えて楽しさも可愛さも倍増しました」)

竹田:
二人の弟を育てていると、むしろ普通の子育てを大変に感じる部分もあるというか。自立のために教えなければならないことがたくさんあってイライラしたり悩んだりする時も、優樹が笑っている姿を見ると、すべて吹っ飛んで幸せになるというか。私のバロメーターのような存在です。

二人の弟も優樹が大好きです。特に次男は優樹と双子のように育ってきて、ハイハイを始めた頃から私のしぐさを真似て優樹のよだれを拭いてくれていました。何でもお手伝いしてくれます。入院でいなくなると「どこに行ったの?」「いつ帰ってくるの?」「さみしい」と言って心配しています。

今は家族5人、とにかく楽しく過ごしたくて。家族でただ楽しく笑って過ごせる瞬間は何よりもかけがえのないもので、家族で盛り上がったり弟たちがはしゃいでいる隣で優樹が声を出して笑っている姿を見たりすると、本当に嬉しいですね。
いつまで一緒にいられるのか、それはわかりません。でもこの瞬間、優樹の人生の一瞬を家族で共に生きることを何より大切にしたい。二人の弟たちにも、優樹と過ごすかけがえのない、温かな日々を感じ取って欲しいと思っています。

お腹の中にいる時から現在に至るまで、波はありました。落ち込むこともあったけれど、それを感じさせないほどの優樹の生命力や成長が、私たちを前に向かせてくれて、強くしてくれました。優樹が笑ってくれるから、私たちも前を向くことができます。

(竹田さんお気に入りの一枚。「優樹が愛用しているスイマーバを初めて使った時の写真です。とっても楽しそう!これをきっかけにお風呂がさらに楽しくなったのか、今でも毎日使っています」)

娘を通じて生まれる温かな交流

もう一人は、地元の小学校に通う尾﨑咲良(おざき・さくら)ちゃん(10)とお母さんの真紀(まき)さん(43)。
咲良ちゃんは生まれてから18トリソミーであることがわかりました。

(三姉妹の長女の咲良ちゃん。二人の妹と、真紀さんと)

尾崎:
生まれて間もなく、ミルクの飲みが悪くて活気がなく、大きな病院で検査を受けて18トリソミーであることがわかりました。結果を知るまでにも毎日病院に通いましたが、自宅で色々考えたり調べてたりしている時には不安を募らせ、面会に行き一生懸命息をして顔を真っ赤にして泣いてチュパチュパ口を動かしている様子を見ては希望を持って…という繰り返しだったように思います。

治らない予後の悪い病気だという診断に衝撃は受けましたが、先生や看護師さんとの普段からのコミュニケーションや搾乳や注入手技の習得など、母としてできる目の前のことをしているうちに、少しずつ覚悟ができていたのかもしれません。生まれてきてくれたこと、少しずつ成長して喜びを与えてくれること、家族の絆を強くしてくれたこと…、冷静に診断結果を受け入れ、いつの間にか娘に対しては感謝の思いの方が強くなっていました。

初めは検査をするたび、鼻のチューブを交換するたびに、痛い思いをさせて申し訳ない、かわいそうと、いちいち涙を流していましたが、今ではすっかり母も強くなりました。咲良は18トリソミーの中でも症状は軽度な部分トリソミーで、現在は内科的には大きな問題もなく元気に過ごしていますが、小さい頃には肺炎や胃腸炎で長期入院したこともあります。この子の抱えている病気の重さや怖さを痛いほど感じた時でした。

ありがたいことに、周りには咲良を「かわいそう」と特別視する人がいませんでした。病院の先生や看護師さんをはじめ、家族、親戚、姉妹もみんな咲良を見て「かわいいね」「頑張ってるね」と言ってくれました。周囲の温かさがあって私たちは、療育園、施設、こども園など、どんどん外の世界にかかわっていくことが出来るようになりました。

(家族で、季節ごとの風景を楽しむ)

尾崎:
前例のない中、あきらめかけていた地元の小学校に通うことができて、毎日楽しく過ごしています。学校も先生も大好きで、毎日嬉しさを体全体で表現しています。
学校のお友達はみんな障害への垣根が低くて、同級生や下級生の子たちが咲良のところに寄ってきて、声をかけたり頭を撫でてくれたりしてくれます。特別扱いするわけではなく、自分たちの世界や遊びもあるんだけど、その合間にふと咲良の部屋に来て、遊んだり手をにぎったり、手紙をくれたり。

鼻のチューブを止めるためのシールを「貸して」と自宅に持って帰って、たくさんかわいい絵を描いて渡してくれたお友達もいました。心温まる交流を見ていると、地域で生きることを選んでよかったと思います。

(学校が大好きな咲良ちゃん。「学校探検をしているところです。ガイコツの模型に興味津々」)

「咲良が、私の生きる軸」

(重度心身障害児とその家族、兵庫県たつの市を中心とした社会人吹奏楽団「ルバート」と手話歌サークル、その他一般市民が共創し「にじ」を、それぞれの表現で合奏する演奏会が開催された。咲良ちゃんも奏でられるユニバーサルデザインの楽器を制作し、共に音を奏でた)

尾崎:
咲良を通じて知り合う人は本当に優しい人が多くて。この子が引き寄せてくれているのかなと思ったり、そこで出会う人がまたさらに新たな出会いをつないでくれたり。この子がいなければ知り得なかった世界や出会わなかった人たちがたくさんいます。

生まれてから心配することもありましたが、それ以上に与えてもらう喜びのほうが大きくて。自分のことだとなかなか自信がなかったり人間関係に悩んだりすることもありますが、咲良に関することだけは、自信を持って思いを伝えられる自分がいるというか。咲良が私の生きる軸になっていると感じます。

──それはなぜでしょうか?

尾崎:
咲良の感情表現は、素直で嘘偽りがないので、仕事を終えて家に帰ってきた時などに、私を見て体全体で喜びを表してくれると、「ほんまに私のこと好きなんやなぁ」と思えるし、私が泣いていようが怒っていようが、いつも好きという感情を表してくれるので、私をまるごと受け入れてくれていると感じます。落ち込むことがあっても、その度に「大丈夫やで」「母ちゃんがいてくれて嬉しいで」と彼女に言ってもらってきたような気がします。

(「淡路島の公園に行った時の写真です。二人の妹の咲良への愛があふれています」)

尾崎:
母である私に、娘の咲良の存在意義はめちゃくちゃあるけれど、たくさんの人と出会ってきた中で、それはきっと私にだけではないと感じています。この子なりに人を幸せにする何かを発信しているんじゃないかなと思います。嬉しいし、すごいなと思いますね。

私はこの子の広報部長だと思っていて。できるだけ多くの人に咲良のことを知ってもらって、咲良の生きた軌跡を残していきたい。できるだけ多くの人の記憶の中に、咲良の存在が残ればいいなと思うし、この子の特別な力を、多くの人に感じてもらいたい。「私が癒されてきたように、皆も癒されるで!」という思いがあるかもしれないですね。…ただの娘自慢ですね(笑)。

(尾崎さんのお気に入りの一枚。「とにかくこの笑顔があれば、皆幸せになれます」)

帝王切開の前夜、「不安しかなかった」

最後にお話を聞かせていただいたのは、村山心音(むらやま・ここね)ちゃん(9)のお母さんの真由美(まゆみ)さん(43)。誤嚥性肺炎で昨年の10月から入院中の心音ちゃん。現在、真由美さんは病院と自宅を行ったり来たりの生活を送っています。

(心音ちゃんと村山さん。2021年2月、入院中の病院にて)

村山:
心音は生後半年で気管切開の手術を受け、普段の生活では人工呼吸器を使用しています。
食事は鼻からチューブで腸まで通していますが、誤嚥を繰り返して何度か入院しました。特に今回は体調が改善せず、現在も入院中ですが一時は危ないという話もありました。

普段の生活では、体の向きを変えたり、鼻水の吸引や導尿なども介助が必要です。
自分の意思で動くということは少ないですが、おしゃべりが大好きで、いつも声を出しておしゃべりしています。言葉を話すわけではないのですが、周りの話は結構しっかり聞いているし理解もしていて、豊かに感情を表現します。

──心音ちゃんが18トリソミーであることがわかったのはいつですか。

村山:
妊娠33週と1日で出産したのですが、その前日に18トリソミーであることがわかりました。もともと妊娠中にお腹のハリが強く、ギリギリなんとかがんばろうと経過観察をしていましたが、赤ちゃんの心臓が悪いという話になり、そのまま「大きな病院で診てもらった方が良い」と大学病院に緊急搬送されて、その日のうちに18トリソミーであることがわかりました。生育状態もよくなかったため、その翌日には急遽、帝王切開することになりました。

(生後1ヶ月過ぎた頃の心音ちゃん。「この頃には動きが活発になり、表情も豊かになってきていました。お風呂も大好きで、暴れる事なくお利口にベビーバスに入っていました」)

──いろいろと急だったんですね。

村山:
搬送された日の夜、つまり出産の前夜は、いろいろと気持ちが着いていけずに眠れませんでした。
泣きながらネットであれこれ検索すると、18トリソミーは予後不良とか、悪いことしか書いていない。出産を翌日に控えながら、「この先どうなるのだろう」という不安しかありませんでした。

──出産時はどんなことを思われましたか。

村山:
とにかくなんとか無事に生まれてきてほしい、と思いました。状態も良くなかったことから産声を聞くのは難しいだろうと医師の先生は思っていたそうですが、声を出して生まれてきてくれて、それを聞いてほっとしたことを覚えています。ただ安心も束の間、心臓や肺の状況が悪く、そのままNICUに入りました。

このままどのように治療が進んでいくのか。何もわからずに不安でしたが、娘と同じように心臓に穴があって手術を受けた方の親御さんがブログでいろいろ発信されていて、治療や生活のイメージが湧き、「うちの子もこんなふうになれたらいいな」と大きな希望になりました。

1歳半で心臓手術を受け、その後は顔色もよくなり体重も増加して、今日まで元気に成長してくれました。

(2018年10月、受診終わりの一枚。「お出かけやドライブ、温泉が大好きで、温泉旅行に行った事もあります」)

「娘は、私の宝物」

(2019年5月、GLAYのライブツアーに参戦。「『令和最初のGLAYとHEAVY GAUGE』に受診終わりに参戦!車椅子席は花道に近く、TAKUROさんが目の前に来てくれたりTERUさんがハイタッチしてくれたりしましたが、当の本人はライブを子守唄に眠っていました(笑)」)

──村山さんにとって、心音ちゃんはどんな存在ですか。

村山:
宝物でしかないですね。全部が大好きです。
心音は結構やんちゃで(笑)、よだれを吸う管を口に入れているのですが、どうもこれが気に入らないのか知らない間に吐き出しているんですね(笑)。自我が目覚めていて、名前を呼ぶと返事をしたりじっと顔を見つめてくれたり、意思表示をちゃんとしてくれて、親として日々新たな発見があります。

つい先日も、私だけ大学病院に行くことがあり、「○○先生に会ってくるね」というと、泣いて「私も行きたい!」と。先生のことをちゃんとわかっているし、覚えているんですよね。

娘が生まれてから、いろんなことを学ばせてもらっています。
それまでは当たり前と思っていたことが、本当に感謝なんだなあと。健康もそうですし、いろんな人との出会いや、たくさんの人に助けてもらったり支えてもらったりしてやさしさを感じられること…、本当にありがたいし嬉しいです。

(2020年7月、自宅にて。「ご機嫌に過ごしている心音です。私が寝ている時、『ママ、疲れているんでしょ?』と気づかってくれて、静かにじっと私の顔を見つめて待っていてくれる優しい娘です」)

──出産時に感じられたという不安に、今、変化はありますか。

村山:
当時感じていた不安は、今はほとんどありません。今回の入院中も、体調が急変するかもしれない、覚悟を決めないといけないということがありましたが、なんとか持ち直してくれて、退院が見えつつあります。

今は目の前に娘がいてくれるのだから、とにかく毎日を楽しもうという気持ちしかありません。娘と一緒にいろんなことにチャレンジしよう、一日一日楽しいことを続けていこうと思っています。その様子が、かつて私自身がそうだったように、不安を抱えているご家族やお母さんにとって、何かのきっかけになれたら嬉しいです。

お腹の中にいるお子さんに障害があることがわかった時、生む・生まないの決断はどちらにしてもすごく勇気の要ることです。それぞれのご家庭や考えがあってのことだから、周りが意見したり責めたりできるものではありません。ただ、もしかしたら実際に育てている家族を知ることで、何か変わることがあるのではないでしょうか。

(「入退院が増えていた中、1年遅れの8歳の時に七五三の写真を撮りました。当日は寝ている時間が多かったですが、それでも記念撮影ができたことが本当に嬉しかったです」)

チャリティーは、これまで開催したことのない地域で写真展を開催する資金として活用されます!

(前回のコラボでは、18トリソミーをコーヒーとドーナツで表現。上から見ると「18」の数字、そして「心を癒す」という花言葉を持つクランベリーの実を3つ描きました。家族と一緒にホッと一息をつく何気ない時間の大切さを表現したデザインでもあります。コラボTシャツを着て、岸本さんがデザインを再現してくださいました)

今回のコラボアイテム購入ごとのチャリティーは、これまでに開催されていない地域での18トリソミーの子どもたち写真展開催のための資金として活用されます。

「これまでに全国各地28都道府県で18トリソミーの子どもたち写真展を開催してきましたが、まだ19県での開催がかなっていません。全国各地にいる18トリソミー児やそのご家族をつなぎ、『出会えた奇跡をありがとう』を伝える活動を広げていきたいと思います」(岸本さん)

ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけたら幸いです!

(2019年の1回目のコラボの際、関西に来られていた岸本さんと大阪でお会いしました。西田と同じ、名前は「太一」、年齢は私と同い年。初めて会った気がしない夜でした。今回、再コラボしていただき本当にありがとうございます!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

4つのご家族にお話を聞かせていただきましたが、皆さん本当に生き生きと、あふれんばかりの愛情で嬉しそうにお子さんのことを話してくださる姿が本当に印象的でした。尊い命が、家族を照らし、周りを照らし、皆に笑顔や元気を与えているのだなあということも、改めて感じました。
お話を聞かせていただいた岸本さん、竹田さん、尾崎さん、村山さん、ありがとうございました!

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前回のコラボに続き、「18トリソミー」を表現したデザイン第2段です。
宝の地図とコンパス、懐中時計を描きました。デザイン全体が18の数字、そして懐中時計が指すのは、18番目の染色体が3つあることを示す「3時18分」。家族や仲間と出会い、共に過ごす時間はかけがえのない宝物であり、冒険である。そんなストーリーを表現しています。

18っ子とそのご家族の想いをのせて、”The world is full of happiness”、「世界は幸せで溢れている」というメッセージを添えました。

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