CHARITY FOR

「死にたい」の奥にある思いや苦しさ、つらさにそっと耳を傾け、そばにいる〜NPO法人京都自死・自殺相談センターSotto

2020年の自殺者の数は21,081人(警察庁「令和3年中における自殺の状況」より)。前年に比べ912人(約4.5%)増だといいます。
2021年の速報値では、今年に入ってから4月末までの自殺者は7,133人(うち男性4,761人、女性2,372人)です。

今週JAMMINがコラボするのは、自死の苦悩を抱える人たちの「そっとそばにいる」、NPO法人「京都自死・自殺相談センターSotto」。

「死にたいぐらい思い詰めた時の心の支え、居場所を提供したい」と、電話やメールによる相談や対人支援を行っています。

「たとえ死を選んだとしても、相手のつらさが少しでも和らぐように。心が触れ合い、近づくような時間、誰かが自分の思いと真剣に向き合ってくれていると感じられる時間を共に過ごしたい」。

そう話すのは、理事であり相談委員長の金子宗孝(かねこ・むねたか)さん(39)。金子さんと、発信委員長であり相談員の中川結幾(なかがわ・ゆい)さん(34)にお話を聞きました。

(お話をお伺いした金子さん(左)と中川さん(右))

今週のチャリティー

NPO法人京都自死・自殺相談センターSotto

「生きづらさや死にたいほどの悩みを抱える方の声に耳を傾けたい」と願う人たちによって、2010年に設立された民間団体です。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/6/14

「自死にまつわるつらい思いを抱えた人のそばにいる」

(死にたい思いを抱える人が集う、ある日の「おでんの会」。「死にたいほどの悩みを抱えた方がほっとできる時間を過ごせる温かな居場所になっていくことを願い、毎月開催しています」(金子さん))

──今日はよろしくお願いします。まずは団体のご活動について教えてください。

中川:
私たちは、「自死にまつわる苦悩を抱えた方々のそっとそばにいる」団体として、心の居場所をつくりたいという思いで活動しています。今まさに自殺を思い詰める方に向けた「相談」、大切な人を自死で亡くした方に向けた「グリーフサポート」、社会や世間に向けた「啓発」を三本の柱としています。

自死の苦悩を抱える人の電話やメール相談を受け付けているほか、実際に集まることのできる居場所づくりもしています。私たちが担おうとしている役割は、相手の気持ちや思いを大切に受け取ることによって、精一杯の温もりを伝え、ほかの誰にもわかってもらえない絶望的な孤独感を和らげることです。死にたい気持ちを持った方の気持ちを大切に受け取り、そばにいたいと思っています。

(京都市内にあるSottoさんの事務所のお伺いしてお話を聞きました。事務所は浄土真宗本願寺派のご好意で、浄土真宗本願寺派総合研究所内にあります。こちらの質問に、一つひとつ本当に丁寧に答えてくださったお二人。研修で実際に使っているという相談のロールプレイも体験させていただき、より深くSottoさんの理念を理解することができました)

金子:
「死ぬ」ということ、あるいは「自ら命を断つ」ということは理解できない、そんなこと許せないという方もいらっしゃると思います。でも角度を変えてみたら、たとえば冗談で「だる過ぎて死にそう」とか「死んだほうがまし」みたいに、日常生活の中でそこまで深く考えずに「死」を口にするシーンはあると思うんですね。その延長線、地続きに存在するようなもので、特別おかしなものではないと思うんです。

「死にたい」というのは、まさにその言葉通り「I want to die」ではなく、そのぐらい深刻でしんどい気持ちがあるんだということ。最初は本気じゃなかったとしても、いろいろ手を尽くしてあれこれやってみたけれどダメだった、あの人もこの人も敵や…みたいに追い詰められて行った時に、「こんな思いにはもう耐えられない」とだんだん死ぬことに気持ちが傾いてしまうところがあるのだと思っています。

「死んで楽になりたい」とか「死んで思い知らせたい」とか、手段や解決策が、もうそれ(死)しか思い当たらないという状況・心情なのです。

(電話相談の様子。相談員は皆、Sottoの研修を受けたボランティア。窓口は金曜日・土曜日の19:00~25:00の間でオープンしている)

中川:
死にたい気持ちが生じた時、「いのちの大切さをわかっていない」と周囲の人から言われたり、あるいはそのことによって本人が「こんな風に考える自分はおかしいのだろうか」と思い詰めてしまうことがあるかもしれません。しかしどんな人でも、置かれた環境や縁次第では死にたいほどの気持ちが生まれる可能性があるのではないでしょうか。

心の支えにしている人やペット、趣味や健康的な身体…。今は存在していたとしても、それは永遠を約束するものではありません。生きる支えを失い、さらにその苦悩を誰もわかってもらえなかった時、死にたいと思ったり生きることがつらいと感じたりすることは誰しもにあることではないでしょうか。

──「死」に対し、何か日々暮らしとはかけ離れた印象やタブーなイメージを抱きがちですが、まずはそうではない、実は身近にあるものだということですね。確かに、そうかもしれません。

中川:
そうですね。相談を受けたり接したりする際、「私は元気な人で、あなたは死にたい人」という線引きをするような関わり方はしません。「私も相談者さんも何もかわらない、今の時代を生き、この瞬間をともにする同じ人間」であることを前提に関わっています。

(「どうしようもなく心が張り裂けそうな時、その気持ちを大切に受けとってくれる温かな存在は、何物にも代えがたい心の居場所となり得ます」(中川さん))

「死にたい」を受け取り、
ただ、共に同じ時を過ごす

(毎年、電話相談対応・グリーフサポートなどの専門的なボランティア養成講座を実施。「どうすればきちんと相手の気持ちを受け取ることができるか、ロールプレイなどの体験学習を通じて感覚を養います」(金子さん)。写真は、臨済宗妙心寺派 長慶院で開催された研修の様子)

──「死にたい」という相談に対して、重たく感じたり、腫れ物に触るように接したり、あるいは「早まらないでください」などと言ってしまいそうですが、その辺はいかがですか。

金子:
泣いている人には「泣かないで」、元気のない人には「元気を出して」と声をかけがちです。しかし落ち込んでいる本人にとっては、泣かざるをえない気持ちだから涙を流していて、元気が出ないから明るく振る舞えないわけです。

その気持ちを否定したり封じ込めたりするような関わり方は、もしかすると本人を余計にしんどくさせてしまうかもしれません。「死にたい」というのも同じで、ひとりで抱えきれないくらいしんどくてつらい気持ちがあるのだということをそのままに受け取るよう、覚悟して臨んでいます。

また電話の場合、相手も「どんな人が出るんやろう。説教されたりわかってもらえなかったらどうしよう」と不安な気持ちで電話をかけてきています。だから第一声で「もしもし」と電話を出るところから、相手が安心して話しやすいよう、精一杯の優しさが伝わるようにと意識しています。

(ボランティア養成講座の一コマ。「『実践的な学びによって、今まで知り得なかった知識を得ることができる』『本当に学びが多かったです。みなさん朗らかな人が多く、Sottoの研修に行くだけで心が温かくなるような感じがしました』などの感想が寄せられています」(中川さん))

──相談者が途中で無言になったり黙り込んでしまった場合はどうされるのですか。

金子:
何か考えてるんかな、言葉にならへん気持ちがあるんやろうなと察したら「考えてたり迷ってたりしますか」と尋ねることもあるし、「話したいことありますか」と話しかけることもありますが、ただ待つこともあります。
こうしなければならないというのはありませんが、「思ってることをいわないとわからないでしょ」という態度は意地悪だと思っています。相手のひとつの打ち明け話から、複雑な十の気持ちを感じられるように、自分本位の尺度や価値観で決めつけてしまわないように、相手の立場で発想し続けます。

「何をどうする」ということではなく、ただ共に同じ時を共有することで、それがお互いにとって少し通じ合うというか、居心地の良い時間になれば。そういった関わりが大事だと考えています。

「傷つけんとこう」とか「当たり障りのないように」ではなく、「しんどかったんやろうな。つらかったんやろうな」というところに思いを巡らせて、相手の言葉にならない気持ちや感情を汲み、感覚として受け取っていく。

穴に落ちた仲間のところに駆けつけて、そこからぐいっとひっぱり出すのが私たちの役割ではありません。相手が穴の中にいるんやったら、同じように横に穴を掘って入るくらいのつもりで一緒に感じて、そこから一緒に考えようとする。「そっとそばにいる」ことをイメージしています。

──団体名の「Sotto」はそこからきているんですね。

(「『死にたい気持ちをもった方や自死遺族の方に対して、どのような対応を心がけたら良いのでしょう』と対人支援職の方や団体の相談を受けることもあります。半日講座や1日講座、連続5回講座など、全国で出前研修も行っています」(中川さん))

大事なのは「わかってもらえたか」よりも
「わからないなりに、わかろうとしてくれたか」

(Sottoでは、自死・自殺にまつわるシンポジウムを年1回開催している。写真は2019年、リメンバー名古屋自死遺族の会共同代表幹事の野村清治さん、NPO法人コンボ職員・作家の小林エリコさん、精神科医の松本俊彦さんを登壇者に招いて開催したシンポジウム「続比較社会漂流記」の様子。「当事者の体験談を聞けてわかりやすい」「リアルタイムで発せられる質問に答えてくれるのがとても良かった」などの声が寄せられているという)

金子:
一般的に、「死にたい」と言った途端、それまでは何気ない愚痴を言えた相手から「そんなこというたらあかん」と否定されたり、距離をとられたりしてしまうことが多いように思います。

周囲から自分の存在や価値観を否定され死にたいとまで思い詰め、どうにもならないその気持ちを発信した時、その気持ちまでもさらに否定されてしまう。そうすると「この人にもわかってもらえへんかった」「やっぱり自分はひとりぼっちなんや」と、その人はどうしようもなく孤独になってしまいます。
たとえ死にたいという気持ちであっても、そこに向き合い、受け取って関わることが大事だと思います。

中川:
たとえば、目の前で子どもがズサッとこけて足をケガしたとしましょう。山本さんはどうしますか?「大丈夫?」って駆け寄って、傷口血が出てたら、布を当てたり消毒したりして「痛いよね」というところで関わりますよね。

──はい。確かに。

中川:
その時に、「年いくつ?」「なんで走ってたの?」とか「そんぐらいで泣いたらあかんで」「今のは、左足を抜くタイミングが悪かったからこけたんやで」とか、そんな関わりにはならないですよね。本人はこけて、痛かったりショックで泣いている。その気持ちに関わる時に、その子がどんな経緯でこけたのかとか、その子の素性は本来、関係ないはずなんです。

(週末に開催したボランティア研修にて、昼休憩の一コマ。「それぞれが自由に縁側でぼーっとしたり、談笑したり、別室で昼寝したりといたいようにいられて、それでいてみんな居心地が良いと思える。Sottoらしいゆるいつながりを、相談相手にも何か届けられるのではないかと思っています」(金子さん))

──確かに、そうですね。

金子:
同じことやと思います。
今まさに死にたいという気持ちを持つ人に、「死んだらあかん」とか「生きてたらいいことある」では、つらいことがあって、耐えて耐えて耐えて、でももう耐えられないというところまで来ているのに、さらにそんなことを言われたら、ますます「自分のことは誰にもわかってもらえない」という思いを強くするのではないでしょうか。

中川:
どんな気持ちも、大切に受け取ること。死ぬほどつらい、苦しい、耐えられない、それを誰かにわかってほしいということを、100パーセントわかることはできなくても、わかろうと努めること。相談者のしんどさを察し、受け取ること。「わかってもらえたかどうか」ではなく、「わかろうとしてくれた」というところに、人の温もりを感じ、まだ捨てたものじゃないと思えることがあるのではないかと思います。

(話すのが苦手な人も気楽に参加できるようにと開催している、落ち着いた温かい空間で皆で一緒に映画を観る会「ごろごろシネマ」。「死にたい気持ちを抱える人がごろごろくつろげて、ほっとできる場にしたいという思いから『ごろごろシネマ』と名付けました」(金子さん))

最後の最後の手段まで、
その人から取り上げるのか

(「おでんの会」にて、話し合う参加者の皆さん。「どんな気持ちも否定されることなく話せる場所や、自分がいても良いと感じることが出来る場所があれば、それは安心して過ごせる居場所になるのではと考えます」(金子さん))

金子:
借金や失恋、挫折、病気…、悩みの原因があって、それで即ち「死にたい」と思うわけではないんだと思います。不幸なことが起きたからではなく、苦しい中で試行錯誤を重ねても報われず、しんどさが積み重なった時に「もう死ぬしかない」と感じる。

人間関係や理不尽さに苦しみ耐え続けてきた人にとって、死ぬことは「死んで楽になりたい」とか「死んで思い知らせたい」「死んで詫びたい」という手段です。あれもこれも試したけど、もう死ぬしか手段がない。その時にその最後の手段さえ「死んだらあかん」と取り上げてしまったら、その人はどうしたら良いのでしょうか。
ずっと苦しみ続けた結果、「死んだらあかん」という価値観のところでまた責められてしまう。一人ひとりの気持ちや感情を押しつぶすような社会のあり方自体に、どこか救われない、不幸なすれ違いがあるように思います。

「死んだらあかん」、では、生きてさえいればいいのでしょうか。今味わっている地獄の苦しみを延長させてでも生きなければいけない、あるいは死んではいけない、その理由や根拠は、実は誰にも説明がつかないことだと思います。

(「月に一度、Sottoの相談員として学びを深める研修の日の一コマです。終わった後は、なんだか心地の良い疲労感!」(金子さん))

「死ぬ・死なないにとらわれないからこそ、
その人が心地よくいることができる」

(「私たちは死ぬほど思いつめるようなときに、気持ちの支えを感じられる場所・時間であろうと考えています。それをすべての活動に通じる信念として、心の居場所づくりと称しています」(中川さん))

金子:
自死がこの世からなくなることはないでしょう。
僕たちは、相手を死なせないために相談を受けているのではなく、どこまでも、誰にもわかってもらえない孤独をやわらげたいという思いでやっています。「死ぬ・死なない」にとらわれないからこそ、相手がわかってほしいことに本当の意味で向き合うことができて、その瞬間瞬間で相談者さんが求めていることに近づけるのではないかと思っています。

そこが満たされた時、「死ななくても良いか」と思う方もいるし、たとえ死ぬ選択をしたとしても、「最期の瞬間に向き合ってくれる人がいた」「最期に話せてよかった」と何か温かいものを感じてもらえたら。それが僕たちの役割やと思っています。

(「それぞれがしんどい時、つらくてがんばれない時をやり過ごす方法があるなら、そしてそれを共有できるきっかけになれば」と、2021年4月〜5月にかけてtwitterにて「#がんばれないときにそっと抱いていたい私だけの抱き枕Song」を募集。集まったエピソードと楽曲を「#そっとごと」として配信した。「これまでにラジオ番組を収録して公開するようなことには取り組んできましたが、SNSと連動しての生配信は初の試みでした。裏目標として掲げたフォロワー300人増には届きませんでしたが、『毎日楽しみにしています』というコメントにスタッフも勇気づけられました」(金子さん))

中川:
Sottoは「自死が良いか悪いか」ということを棚上げにしています。私たちの活動は、死にたいほどの気持ちを抱えた方の孤独感が和らぐことを目的としていますが、自死の善悪を問うことにより孤独が和らぐことはありませんので、あえて議論しません。

私たちの団体にとって「相談者が自死を選んだから失敗」ではありません。相談者の気持ちを受け取れないまま、そのしんどさを置き去りにしてしまった時に、相手が「ああ、やっぱりここでも自分はわかってもらえなかった。受け入れてもらえなかった」と孤独感を強めさせてしまう様な関わりをしてしまったならば、それは失敗といえるかもしれません。

「こうあるべき」とか「こうなったらあなたは幸せ」というのは、自分本意の尺度です。相手に「生きてください」「死なないでください」と押し付けたり期待したりしないから、相手も「心地よくいられる」のだと思います。

──なるほど。

(Sottoさんの視点、これまであまり接してきたことがなかった「死にたいという気持ちがあってもいい」という価値観に対し、次々と湧き出るどんな疑問や思いも真摯に受け止めて聞いてくださり、いつの間にかインタビュアーである私自身が、絶大な安心と居心地の良さを感じていました(そして、3時間半に渡ってお邪魔してしまいました…))

金子:
こういう話をすると「ここは死に方の相談をするところか!」という批判をいただくこともあります。でも、それもいいんです。たとえ死に方の相談であっても、相談してくださったらいいんです。その方の周りの誰一人取り合ってくれないようなことを、私たちが丁寧に受け取ることで、「一緒に考えてくれた」と孤独感が少しでも和らぐのであれば、それが自分たちの役割なのです。

中川:
「話を聞く」という言葉にするとちょっとしたことのようですが、そこに大きな力があるということを相談に携わる中で強く感じてきました。

「今日死のうと思っている」と、行き場のない切実な思いと自死の決意を話される中、最後の瞬間まで味方で居続けようとお話を聞き、ただただ気持ちを受け取る中で、しばらくして、「やっぱりもう1日、がんばってみます」とおっしゃる方がいます。

「話聞くだけなんて意味ないやん」と言われることもあるのですが、ここでたくさんの方と関わる中で「誰にもわかってもらえなかったのに、生まれて初めてわかってもらえた。死ぬのはもう少しやめておこう」と言われることが実際にあるので、絶望的な孤独の只中にあればあるほど、人との気持ちの触れ合いにより温もりを感じる体験は、ほかの何物にも代え難いことなのだと思います。「相手の思いを大切に受け取る」という私たちの大切にしている行為には、とても大きな力があるのだと実感しています。

(京都府や京都市と共催で行ったキャンドルイベントにて。「街のにぎやかな雑踏の中にいると、華やかさに心躍るような時もあれば、逆にどこか寂しく感じる時もあるかと思います。研修では常に相手の気持ち、そして自分の気持ちの動きに目を向け、言葉にならないような気持ちすら大切に表現していくようにしています」(中川さん))

「私たちのような相談機関があることも、
選択肢の一つとして知ってもらえたら」

(YouTubeにてLive配信にも挑戦。「視聴者からの反応も意外と良く、第2段の構想を練っているところです」(中川さん))

──団体として、ご活動への思いや読者の方へのメッセージをお願いします。

金子:
人間生きていれば悩みの尽きることはありません。なかなか他人に相談しづらいこともたくさんあるかと思います。ときに見栄を張ったり世間体を気にしてしまうこともあれば、心配をかけまいと自分の胸に留めてしまうことも少なくないことでしょう。どんな些細な悩みであっても重なってくれば一人で抱えられなくなってきます。それがたとえ倫理的に問題があるような内容であっても、ただ受け取って聞いてもらえる場所が、今の社会に必要なのかなと思っていて。

「死にたい」という、どうしようもなく他にやり場のない気持ちを安心して話すことのできる、究極的な最後の砦を担っているという自負とともに、相手の方が「世の中はまだ捨てたものじゃない」と感じられるような、信じられるものを届けられたらと思います。

読者の方には、「こういう相談場所もあるんやな」と知っておいてもらえたら。そして自分がしんどくなった時、「いざという時はここを頼ろう」と思ってもらえるだけでも、それが非常口や避難経路の確認になるかもしれません。

中川:
家族や友人、大切な相手だからこそ力になりたいと思う、それは当然のことだと思います。大切だからこそ、失いたくないし、いつも元気でいてほしいと願うものですが、空回りやすれ違いがお互いを苦しめてしまうこともあります。

私たちのような相談機関があるということを選択肢の一つとして知ってもらって「何かあった時には頼ってみよう」と思ってもらえたら。お互いに利害のない相手だからこそ話せることもあるでしょうし、研修を受けた相談員だからこそ、真剣に、悩みを聞けるところがあると思います。

(「今ではもう別の方にバトンタッチしましたが、設立からずっとデザイン担当として携わり、育ててきたトリのキャラクターは会報やパンフレットなど、いろいろな印刷物に登場させました。『このトリのLINEスタンプがあれば買いたい』といってもらえるくらい、Sottoではおなじみのマスコットになりました。このトリの表情のなさが、見る人によっては笑っているようにも悲しんでいるようにも見え、かわいさだけではない、そばにいていいと思える親しみやすさがあるのかなと思っています。そしてSottoも、しんどいときに、そう感じてもらえる存在になれたらと思っています」(金子さん))

チャリティーの使い道

(「2015年12月、私が初めて参加したSottoのシンポジウムの写真です。会場全体を巻き込み、笑いがあり温かく、ブレないSottoの姿勢が印象的でした。いまではシンポジウムの企画作りからガッツリ携わっています」(中川さん))

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

中川:
私たちは電話相談のほかに、対面の居場所も定期的に設けています。
ひとつは「おでんの会」で、毎月一回のペースで、集まって食事をしたり、心と体を緩めるヨガなどのイベントや、日頃のつらさを話し合えるような場を設けています。
もうひとつ、「話すのはちょっと苦手」という方も気楽に参加できるように「ごろごろシネマ」も開催しています。落ち着いた温かい空間で、話さなくても誰かと心地よくその場を過ごせるように、皆でただ映画を一緒に観る場です。 

──どんな映画を観るんですか?

金子:
相談員のお勧め映画ですが、意外と自殺や死を題材にした映画も取り上げています。がっつり暗い映画をチョイスすることもあればハートフルな映画もチョイスすることもあっていろいろですね。ただ「死にたいほどつらい時に、こういうのを皆で一緒に観たいな」というところは大事にしています。

──テーマ次第では、映画を観てしんどくなったりしませんか。

中川:
過去や現在の気持ちと照らし合わせてしんどくなることもあるかもしれません。でもそれはまだ折り合いのつかないしんどさがそれだけあるということで、自然な心の動きです。私たちには、それを受け取る準備があります。

今回のチャリティーは、こういった対面の居場所の開催のための資金として使わせていただきたいと思います。チャリティーアイテムでぜひ応援していただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(2021年5月、総会にてメンバーの皆さんと。「オンライン開催なので、遠隔地のメンバーも参加できました」(中川さん))

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

「自殺」「自死」と聞くと、どうしても非現実、タブー、触れてはならないといった否定的なイメージを抱きがちです。でもそんな社会の風潮が、死を意識するほどの苦しさを抱える人にとってはなおさら苦しい状況を生んでいるのだということを、お二人のお話から感じました。「まずはその気持ちをそっと受け止める」という話はある意味目から鱗でもあり、ただ一方で話を聞くうちに、深く納得できるものでした。人はつい状況の良し悪しや善悪を判断しがちですが、マインドのジャッジなしに、まずそこにあるものを「受け入れる」ことの大切さを、改めて考えさせられたインタビューでした。

・京都自死・自殺相談センターSotto ホームページはこちらから

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さまざまなかたちと柄をしたキャラクター描きました。人それぞれに、あるいは一人の人であっても日々変化するさまざまな感情を抱きながら、そのありのままを受け止めて生きる様子を表現しています。
ジャッジメントせず、ありのまま、感じるままに。あえてメッセージは載せず、シンプルなデザインに仕上げました。

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