CHARITY FOR

「人生は自分次第。僕は寝たきりになるけれど、今が一番幸せです」。難病PLSと戦いながら、生きるメッセージを発信し続ける〜TEAM PLS

PLS(原発性側索硬化症、Primary Lateral Sclerosis)をご存知ですか。
大脳から脊髄に至る神経に障害が起こり、意識ははっきりありながら、徐々に体の自由が奪われ、最後には寝たきりになる難病です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と比べて進行は緩やかですが、ALSと同じく、発症の原因や治療法は未だ見つかっていません。

落水洋介(おちみず・ようすけ)さん(38)は31歳の時、体に異変を感じました。

「明らかにおかしいのはわかっていたけれど、自分が病気になるはずがない、病気になんてなりたくない、と向き合うことを避けていた」と当時を振り返ります。

次第に歩くことが難しくなっていく中、二人の子どもの父親でもある彼は、家族を養っていくためにと職を探します。しかし壁にぶつかり落ち込んでいた時、声をかけてくれた仲間の存在が「俺は俺でいいんだ、俺にも居場所があるんだ」と思えるきっかけをくれたと言います。

「PLSはP(ピース)、L(ラブ)、S(スマイル)。この病気になって初めて僕は自分と向き合い、心の平和を得ることができた。僕はいずれ寝たきりになるけれど、つらいことや苦しいことがあっても『自分の考え方一つで人生は楽しく幸せになるかもしれないよ』ということを、こんな僕だからこそ伝えたい」。

葛藤を乗り越え、PLSと生きる落水さんにお話を聞きました。

(お話をお伺いした落水さん)

今週のチャリティー

TEAM PLS

難病PLSと闘う落水洋介(通称「おっちー」)と、その仲間の集まり。合言葉は「PLS」の頭文字をとった「ピース、ラブ、スマイル」。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/5/24

「何かおかしい」。
足に感じた違和感

(落水さんと私たちが最初にお会いしたのは2019年6月、JAMMINの建物の1階にある就労継続支援B型事業所・三休に講演に来てくださったことがきっかけでした。その際に落水さんを囲んで撮った写真です。落水さんと西田はおそろいのJAMMIN Tシャツ)

──2年前にお会いして以来ですね!お元気でしたか。

落水:
おかげさまで、元気にしています。症状は少しずつですが進行しています。

──今回コラボの機会をいただき、とても嬉しいです。最初に、PLSという病気について教えてください。

落水:
PLS(原発性側索硬化症)は、運動ニューロンという神経が障害される原因不明の難病で、100万人に一人の確率で発症するといわれています。足や手が徐々に動かなくなり、やがて言葉も話せなくなり、寝たきりになります。同じように神経の難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)とよく似ていますが、ALSと比べて進行は緩やかだとされています。

──今でこそ様々な活動をされていますが、PLSを発症した頃のことを教えてください。

落水:
症状が出始めたのは2013年です。歩きづらくなり、何かおかしいと感じました。気のせいだろう、自分が病気なんかになるはずがない、と半年ぐらい放置していましたが、つまずいたり転んだりすることが増え、「あれ、本当におかしいんじゃないかな」と。周りからも「一度診てもらった方が良い」と言われて、病院を受診しました。

(自覚症状がまだほとんどなかった頃の落水さん。2013年、福岡県糸島市にある白糸の滝へ家族で遊びに行った際の一枚)

──周りから見ても明らかにわかるほどの症状が出ていたのですか?

落水:
今振り返ると、「気のせいだ」と言い聞かせつつ「絶対おかしい」とわかっていたので、「周囲にはバレないように」と、周囲に気づかれないように逆にかなり意識していましたね。でも、明らかに転ぶことが増え、階段や坂道で足が上がらない、電車に乗る時に一歩が踏み出せないといったことも頻発するようになっていきました。

──その時は、どんな病気だと思われましたか。

落水:
当時、『僕のいた時間』(フジテレビ)というALSのドラマをやっていました。三浦春馬さんが演じる主人公がALSに立ち向かうストーリーなのですが、そこで描写される症状がまるで僕と同じだったんです。「多分ALSなんだな」「いや、そんなわけはない。気のせいだ」…。両方の感情が入り混じって整理がつかない状況でしたが、多分そうだろうというのがあったので最初から大きな病院を受診しました。

検査入院の後、その時はPLSという病名の診断はつかず、「痙性対麻痺(けいせいついまひ、下肢筋肉が緊張して麻痺した状態)」という症状名のみつきました。「ALSではない別の進行性の病気」ということでした。

(ご家族との記念撮影。2016年5月)

──そうだったんですね。症状名がついた時はどんな気持ちでしたか。

落水:
「ALSじゃなかった」と安堵した一方で、当時子どもは2歳と5歳だったのですが、「ALSで死んだら子どもたちに保険金を残せる」と思っていたので、症状名だけがついて宙ぶらりんな状態だと感じました。症状は確実に進行していて、同じ環境で働き続けることが難しいのは明らかでしたが、症状名だけだと国や自治体の支援制度を受けることも難しい。「家族を養っていくためにどうしよう」と思いましたね。

そこから1年半ほどかけて症状が進行し、左足から右足、左手、右手と徐々に動かすことが難しくなり、気づいたらしゃべることにも違和感が出るようになっていました。

(「働く場所も、収入も限られてしまう障がいのある人たちの選択肢を広げたい」と北九州市にある「おもやいファーム」の協力を得て、脳梗塞のために一般企業では働くことができなくなってしまった友人の大場崇生さんと水耕栽培のにんにく事業をスタートした。写真は屋外での販売の様子)

「家族を養うために」。
症状が出ても、必死に仕事にしがみついた

(車椅子の後ろのバッグには、スポンサー企業の名前がずらり。「応援していただいてる企業名をプリントさせていただいています」(落水さん))

──その間、お仕事はどうされたのですか。

落水:
症状が出だした頃、実は転職をしたばかりでした。大学卒業後、長く営業マンとして働いていたのですが、その会社で、営業成績ナンバー1の先輩に「会社を立ち上げるからついてこないか」と言っていただいて、意気揚々とついていきました。しかし軌道に乗らず、徐々に給料の支払いが遅れたり支払われなかったりするような状況が続き…、いろんなことがあって最終的に彼は亡くなってしまうのですが、「とにかく給料がきちんともらえる会社に」と転職したばかりだったんです。

そんな中で症状が出始めました。家族を養っていくためにクビになるまいと必死でしたが、一方で会社のある人は僕を辞めさせるのに必死でした。当初の営業の仕事を外されて事務の仕事をしていましたが、営業を外されて辞めるまでの残り一年ぐらいは、呼び出されては毎日、いろんなことを言われましたね。

──どんなことを?

落水:
「成績を買われて入団したピッチャーが、肩を壊したらどうなると思う?」とか、そういうことです。つまり暗に辞めろと。でも、僕には養っていかなければならない家族がいる。何が何でもしがみついて、どうにかして自分の居場所を作ろうと思いました。自分にしかできないことを見つけて、車椅子になっても働ける環境を作ろうと。

だけど、難しかった。入社から2年経った頃に辞職しました。その頃には症状が進行していて、普通の人が5分で歩ける距離を、杖をついて30分かかるようになっていました。

(2016年8月、12時間耐久マラソンに同級生と参加)

未来が見えない、どん底の無職からのスタート

(サッカー少年だった落水さんは、小学生の時には北九州の選抜チームに選ばれてプレーしていた。写真下段左から2番目が落水さん、その2人右に写っているのは、現在Jリーグ・セレッソ大阪でプレーする大久保嘉人選手。同い年の二人は、同じチームで共にプレーした仲間)

落水:
仕事を辞めた時と同じくして、「もうそろそろ、きちんと病名がついてもいいんじゃないか」と担当の先生にもかけあい、そこで初めて、PLSと診断されました。

──その時はどう思われましたか。

落水:
正直、安心しました。PLSは「指定難病」に認定されていて、医療費の助成を受けることができます。収入のない中医療費について心配する必要がなくなり、また障害年金の申請ができるようなってほっとしましたね。だけど、申請にはどうしたらいいのか、誰に聞いていいかもわからないし調べても意味がわからないしで苦労しました。

いずれにしても働かないことには家族を養っていけません。車椅子でも働ける仕事を探しましたが、全然見つかりませんでした。「デザインやプログラミングを学べば、可能性があるかもしれない」と思ったりしたけど、かといって専門学校に通うお金も、それが自分に合っているかどうかの自信もなかった。であれば、と職業訓練校に見学に行って、案内してくれた担当の方に「ここを卒業してプロとして働いている人はいますか」と尋ねると「ほぼいない」と。じゃあダメじゃん!ってなりましたね(笑)。

才能もない、道もない、未来が想像もできない。
無職のスタートはどん底でした。

(2017年8月、キャリア教育研究会のメンバーと川遊び。難病だからって容赦ナシ!)

寝たきりでも輝いている人を見ると
逆に「自分にはできない」と追い詰められた

(落水さんたちが育てるにんにく。「ひと粒ひと粒、丁寧に手作業で栽培しています。根も葉もまるっと食べられるにんにくは、皆さんが気にされるにおいが驚くほど残りません。胃もたれもしづらく、栄養価は一般のにんにくをとは比べ物にならないほど高いんです。ドラゴンボールで言う『仙豆』(笑)。通信販売もやっておりますので、ぜひお試しください!」(落水さん))

落水:
健康な体があって元気でバリバリ全力で働いている時に、それがなくなった時のビジョンなんてあるわけないんですよね。「寝たきりになってもバリバリ働く」なんてビジョン、あるわけがないんです。そうすると病気になった時、誰しもが「絶対不幸になるんだ」と暗いイメージで調べ物をすると思うんです。

自分にどんな仕事があるんだろう。何ができるんだろう──。
寝たきりやALSで活躍している人を調べると、皆「俺にできるわけない」という才能を持つ方ばかり。「もしかしたら明るい未来があるんじゃないか」とちょっとの勇気を振り絞って調べてみるんですが、逆に「俺にはこんな才能はない」と、どんどん自分を追い詰めていきました。

──そこから、いかにして今の落水さんに変わっていったのですか?

落水:
僕には双子の兄がいます。ある時、彼が「素人からプログラミングのプロになれる」というセミナーに誘ってくれたんですね。全然気乗りしなくて、でも「主催者に伝えてある」というから、渋々参加したんです。そしたら開始10分で「あ、無理」と思って。

専門用語ばっかりでちっとも理解できない。「どこが素人なんだよ」と席を立ったら、主催の方に呼び止められて。僕の話を聞いてくれて、「今度、障害者の就労支援のフォーラムがあるから一緒に行こう」と誘ってくれたんです。

後日、わざわざ自宅まで来てくれて、片道2時間かけてフォーラムにいきました。その道中、病気になって以来初めて、自分が抱えてきた思いや葛藤を吐き出せたんです。

──そうだったんですね。

(七五三の記念撮影にて、双子のお兄さんと。右が落水洋介さん、左がお兄さんの恒介さん)

「困った時は、僕がいるよ」。
その一言に背中を押されて

(狭く急な階段を、周りの人たちに協力してもらい、担がれて降りる落水さん。「できないことは、できる人に助けを求め、やってもらえばいいんです」(落水さん))

落水:
さらにそのフォーラムで、「自立とは、相互依存関係が高い人のこと」という言葉と出会いました。つまり支え合う仲間がたくさんいれば、なんでもできるんだということです。その言葉を聞いた時に、妙にしっくりきたんです。

それまでは、病気になる前も病気になってからも、なんでも全部自分でやろうとしていました。人間はなんでも一人でできなきゃいけない、人に頼るのはかっこわるいと思っていたし、大丈夫じゃなくても「大丈夫」と言っていました。

でも考えてみたら、自分が「コンビニで弁当を買って、家に帰って一人で食べた」って思っていたとしても、それって全然違うんですよね。お弁当ひとつ作るのにも、農家さんや加工したり調理してくれたりする人がいて、パックに詰めたり販売してくれる人がいる。割り箸一本とったって、すごくたくさんの人が関わっているんです。人は一人では生きられない。はじめてそのことに気付かされて、「相互依存できたら、もしかしたらなんでもできるんじゃないか」と思えたんです。

──すごい!よかった!

(2018年4月、リハビリ入院中の落水さん。足首が硬くなり歪曲するのを予防するためのリハビリ中)

落水:
その帰り道、連れていってくだった方が「落水君はこれからできないことがどんどん増えるけれど、できないことはできる人にやってもらえばいいんだよ」と言ってくれて。「テクノロジーで困ることがあれば、僕がいるよ」と。「僕がいるよ」、その一言で、僕の心の扉が開きました。

僕には才能もないし何もできないけれど、そんな僕にも、できることがきっとあるんじゃないか。「よし、仲間を探そう!」。そう思いました。後になって、母親から「家に帰ってきたら別人になっていた」と言われましたね(笑)

──そんなに変わったんですね(笑)

勇気を出して踏み出した小さな一歩が、
やがて大きなうねりとなった

(2016年4月、在崎していた川崎フロンターレでJ1最多得点を決めた試合の後に「負けるな 落水洋介」と書いたTシャツを掲げる大久保選手)

落水:
そこから、とにかく行動しました。何も起こらないかもしれないけど、何か起こるかもしれない。「行動を起こすと、可能性は無限に広がる」というのは、この病気を通してマジで教わったことです。とにかく行動してみる。そうすると奇跡のような出会いや出来事が次々に起きて、どんどんつながっていきました。

その一つがブログです。書くのも苦手だし恥ずかしいし、書いては消し、書いては消しを繰り返しながら勇気を出して始めたブログ。誰一人見ていなかったのですが(笑)、兄弟が勝手に拡散して、そしたら小中高の同級生や大学の友人が見てくれるようになりました。

当時、僕は外に出ていくために「WHILL」というオシャレな電動車椅子が欲しいと思っていました。病院や自治体にかけあっても、まだ手が動くから電動車椅子はダメ、手漕ぎの車椅子しかダメ、と。
そのことをブログに綴っていると、「それっておかしいよね」と応援してくれる仲間がどんどん増えてきました。その一人が、小学校の時にサッカーで一緒にプレーしていた元日本代表の大久保嘉人(当時川崎フロンターレ、現在はセレッソ大阪)です。

(2016年6月、対アビスパ福岡との福岡での試合後に大久保選手と再会)

落水:
「困ってるなら、俺が車椅子を買っちゃる」と言ってくれたんですけど、僕の中ではきちんと制度の中で手に入れることに意味があったので、「いや、いい。買わなくていい」というやりとりを100回ぐらいして(笑)。

そしたら、2016年4月、彼がJ1最多得点となる159ゴールを決めた試合の直後、「負けるな落水洋介」というTシャツを掲げてくれたんです。するとそれまで毎日100とか200とかだったブログのアクセスが、一気に3万4万になって。全国から応援のメッセージと共に、たくさんのその道のプロの方たちが、電動車椅子を手に入れるにはどうしたらいいかアドバイスをくれました。

(大久保選手、兄の恒介さんと)

──わあ。すごいですね。

落水:
いつしか皆が僕を応援してくれるようになって、「俺、超幸せなんですけど」と思いました。小中高の同級生や先輩後輩、バイトや社会人時代の仲間、友人、皆会いに来てくれて。「なんだ俺、めちゃくちゃ幸せだ」とその時、すべてのことに感謝ができたんです。

その後、本当に一つひとつ話すと長くなってしまうのですが、運命的な出会いが重なり、僕が求めていたかたちで車椅子を手に入れることができました。

(試合観戦後、仲間の皆さんと記念撮影)

「体が、すべての幸せの絶対条件ではない」

(電動車椅子「WHILL」に乗る落水さん。「WHILLは、皆がオシャレしたりかっこいい自転車やバイクや車に乗るのと同じように、僕にとってはテンションを上げてくれて、前向きに自信を持って街に出ることができるアイテムです。『車椅子でかわいそう』ではなく、『おっ!あれ何?カッコいい!』と思えるアイテムの一つ。機能性も凄いんです!」(落水さん))

落水:
車椅子のストーリーは、僕が体験した一つに過ぎません。数えきれないくらい、素晴らしい出会いをたくさんさせてもらって、「自分はいてもいいんだ」「自分にも役割があるんだ」「このままでいいんだ」と居場所を感じられるようになりました。しかも仲間がいる。そしてこれから、仲間がもっと増えていく。できることがめちゃくちゃいっぱいあるんですよね。

僕の夢は、寝たきりになってもできる仕事をつくること。そして笑顔で幸せに生きること。今はその実現に向けて、仲間たちと動いています。

(「2017年4月、『困った時は僕がいるよ』と言ってくださった、恩人のSUNABACO代表取締役・中村まことさんと小倉駅でばったり再会!その時の一枚です」(落水さん))

──そうは言っても、先を思うとこわくないですか。自分に置き換えて考えてみた時に、落水さんみたいに明るくいられるかな、と思いました。

落水:
こわいです。こわいですよ。今でさえうまく話せなくて伝えたいことが伝わらないと、家族でも「わーっ、なんでしゃべれないんだ!なぜわかってくれないんだ」ってなるし。症状がもっと進行したらどうなるんだろうって思います。ただPLSは進行がゆっくりな分、慣れもするし対策を考えることもできると思っています。

佐賀に住む、ALS歴20年以上の中野玄三さんという方がいます。玄三さんは足の先が数センチ動くのですが、靴下にパソコンマウスをくっつけて日々ブログを書き、電子書籍も10冊以上出されているすごくパワフルな方です。

玄三さんに会いに行った時、動かせる一部の目(眼球)を使ってヘルパーさんと会話されるのですが、まあ、そのスピードの速いこと!驚きました。そして玄三さんはいつも冗談ばっかり言っていて、周りにいる家族もヘルパーさんもずっと笑っているんです(笑)。気管切開されていますが(※ALSが進行すると自力での呼吸が困難になるため、気管切開を受け人工呼吸器を装着することで延命が可能になる)、それでも胃ろう(食べ物を直接胃に流し込むこと)ではなくご飯を食べることにこだわって、自分で食べられる方法も編み出されて。めちゃくちゃ楽しそうで、めちゃくちゃ幸せそうなんです。

(ALSと生きる中野玄三さん(右)と)

落水:
そんな人を、僕はもう知ってしまったんですよね。だから僕も、明るい未来を見ると決めました。

「難病=不幸」、「寝たきり=不幸」と思っていました。でも、体はすべての幸せの絶対条件とはいえないんだとわかりました。悩みもするし落ち込むこともあるけれど、僕の上には必ず明るい未来がある。それを信じて、「なんとなく」ではなく「具体的に」、未来を作っていく。明るい未来のために、一歩一歩、小さな解決を積み上げていく。だって、そうやって幸せに暮らしている人が、もう既にいるんですから。

(一歩一歩、一つずつ、少しずつ。落水さんの描く未来は明るい)

「日々を楽しく、大切に」。
考え方次第で、人生は輝く

(講演会で話す落水さん。「僕は寝たきりになる病気になってしまったけれど、今が心から人生で一番幸せと思えていて、こんな状況でなんで幸せと思えるのかを、誰にでもできる具体的な例を踏まえてお伝えしています。学校や各種団体、企業も含めて、場所を選ばず至る所でお話をさせていただいています。2019年は170回以上講演しました」(落水さん))

──前回お会いした時もですが、今回もパワーをもらいました。読者の方にメッセージをいただけませんか。

落水:
「感情と論理を切り離して考える」ことは、僕はこの病気のおかげでできるようになりました。目の前で起きていること、そこにそもそも意味なんてないんです。

たとえば今、画面に僕が写っていますよね。100人が同時にこの画面を見たとしたら、100人とも違うことを思うんです。「あら、おっちー目が開いてないわ」「なんか幸せそう」「タイプだわ」「かわいそう」「寝たきり?人生終わっちゃうわ」「ヒゲが汚いわ」…(笑)。

何が言いたいかというと、「結局目の前のことに意味をつけられるのは、自分しかいない」ということ。じゃあどう意味づけるのか。落ち込んでも悩んでも苦しむだけなのであれば、笑顔になれる意味を、幸せになれる意味をつけられたら、僕はいいなと思います。

(落水さんが「ライフワーク」と語る「夢授業」の様子。「これは初めて参加した夢授業の写真です。『夢授業』とは、一般社会で楽しく、熱心に働く様々な職業に就く大人(職業人)たちが学校に集まり、仕事のやりがいや働く喜びについて対話するプログラムです。キラキラした大人と沢山出会い、話すことで未来に希望を持ってもらう時間です。多い時には70業種以上の大人が一気に集まり、子どもたちは15分ずついろんな大人と対話をしていきます。僕は参加される皆さんに向けて、夢の話をさせてもらっています。これは僕のライフワークです」(落水さん))

落水:
僕はこんな病気になってしまったんだから、日々を楽しく、大切に生きたい。明日人生が終わるかもしれないなら、今日という日を、今しかできないことを、この身体で精一杯味わいたい。そしてこんな体でも楽しく幸せに生きられるということを伝えられたら、大体の人は明るい未来を描けると思うんですよね。僕は才能もないし、寝たきりになるただの凡人です。でも、周りの人たちのおかげで今がある。「どんな状態でも考え方次第でなんとかなるんだよ」っていうこと、つらかったりしんどい時に「なんとかなる」と思ってもらえたら嬉しいです。

そしていろんな生き方があるけれど、「勇気を持って一歩踏み出してみよう」ということは、この病気を通じて、僕が言えることです。

──最後に、落水さんにとってPLSとは?

落水:
PLSはクソッタレだけど、この病気にならなければ、僕はきっとこんな幸せを感じることはありませんでした。PLSは僕に生きがいをくれた。PLSが心の平和を与えてくれたし、愛を教えてくれたし、笑顔をくれました。まさに「ピース、ラブ、スマイル」ですね。

(おっちーが来てくれた翌日、JAMMINの前にて、さよならのシーン。「次は福岡に会いにいくね!」と約束したまま2年が過ぎようとしていますが、落ち着いたら会いに行きたいです!)

チャリティーの使い道

(2016年6月、大久保選手からプレゼントされた「負けるな落水洋介」Tシャツを着て試合観戦する落水さん。「冷静に見ると、『負けるな落水洋介』Tシャツを本人が着て、Tシャツを掲げた嘉人の写真を本人が掲げて叫んでる!完全に自分しか応援してないやん!っていう(笑)。でも応援することは応援されること、応援されることは応援することと同じであるような感覚がこの頃からしていました。僕は皆から応援されて勇気をもらうけれど、応援してくれる人からは『勇気をもらっているよ、ありがとう』と言ってもらうのです」(落水さん)

──今回のチャリティーの使途を教えてください。

落水:
コロナで自粛続きの昨今ですが、僕に与えられた時間は限られています。来年動ける保証もないし、再来年といわれたら…ほぼ無理かなあ。

まだある程度身体が動いて声が出る今、一人でもたくさんの人に会って、僕の身体、僕の声、僕の生き様を通して何かを感じてもらいたい。そして一人ひとりが夢や希望を持ち、キラキラと輝いてほしい。今回のチャリティーは、全国を講演して回る旅の資金として使わせていただけたらと思っています。

いろんな人に会い、そこで僕もまたいろんなものを吸収したい。僕は寝たきりになるけれど、つながりは寝たきりにならないから。ここで生まれるつながりが、また新たな可能性、夢や希望を生むと思っています。だって本当に、今がまさにそうだから。

──貴重なお話をありがとうございました!

(2019年2月、福岡市で仲間と主催したSDGsのイベントにて)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

2年前にお会いして以来、「次はおっちー(落水さんの通称)に会いに行こう!その時にコラボの話をしよう」と思いつつも時が経ち、コロナもあって見通しがつかず、それでも「コラボしたい!」と今回、願いをかなえていただきました。Zoom越しでしたが2年ぶりの嬉しい再会、改めておっちーの優しさや強さに触れ、自分自身強くいよう、と感じさせてもらうインタビューでした。
この瞬間を、今日を生き切る先に、私はそこには大きな喜びや幸せしかないように感じています。だからこそ、今日を生き抜く努力や楽しむ努力や知恵が、きっと必要なのだと思います。
おっちーに話を聞かせていただいて、改めてそう感じました。

・障害を持っても生き生きと働く場をつくる事業者「PLS」公式サイト

・落水洋介 ホームページはこちらから

09design

“Peace, Love, Smile”の文字に添えたのは、大きく咲いた一輪の花。そこにミツバチと蝶がとまっています。花は昆虫に蜜を与え、代わりに昆虫が花粉を運ぶことで、互いの生命が維持されていく。互いに支え合いながら、いのちや思いがつながり広がっていく様子を表現しました。

Design by DLOP

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