CHARITY FOR

「忘れないをカタチに」。東日本大震災から10年、「いのち」を灯し続ける〜ともしびプロジェクト

2011年3月11日午後2時46分頃、三陸沖で地震が発生しました。
東日本大震災。あの日から10年が経とうとしています。

震災発生から8ヶ月後の2011年11月から、毎月11日の月命日に、キャンドルを灯し続けてきた「ともしびプロジェクト」が、今週のチャリティー先。

「失われたいのちを思う時にこそ、当たり前の日常の大切さや、自分の『いのち』が見えてくる」。そう話すのは、代表の杉浦恵一(すぎうら・けいいち)さん(34)。杉浦さん自身、高校の時に交通事故に遭遇、「生きる意味」を探し続けてきました。

あれから10年。
暗闇の中で灯されたともしびは今、希望の明かりとして、全国、そして世界中に広がろうとしています。

(お話をお伺いした杉浦さん)

今週のチャリティー

ともしびプロジェクト(一般社団法人Nr.12)

東日本大震災の被災地への想い「忘れないをカタチに」をコンセプトに、東北から日本、そして世界をつなぐプロジェクト。毎月11日にキャンドルに火を灯し、震災で亡くなった方への鎮魂と復興を願いながら、希望の火を灯しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/3/1

「忘れないをカタチに」。
毎月11日にキャンドルを灯す

(2013年3月、地元高校生たちと一緒に、南気仙沼地区の被災した線路の続きをキャンドルで灯した)

──今日はよろしくお願いします。まずは、このプロジェクトについて教えてください。

杉浦:
2011年3月11日に起きた東日本大震災をきっかけに、毎月11日に火を灯し続けることで、震災のことを後世へと伝え続けていくプロジェクトです。毎月かかさず灯し続け、これまでで112回開催してきました。

事務所の隣にはキャンドル工房を併設していて、ここでキャンドルの制作・販売もしています。各々好きなキャンドルを灯してくださったらと思いますが、買っていただくと、気仙沼の雇用や工房の維持にもつながります。

(「私たちは元気です、と全国に伝えたい」。2013年10月、気仙沼の条南中学校のボランティア部の生徒たちと、生徒たちが考えた”SMILE”の文字と虹のモチーフをキャンドルで灯した)

──なぜ、被災地で「灯す」活動を始められたのですか?

杉浦:
僕は高校生の時に交通事故に遭い、「生きる意味」「生かされた意味」を病院のベッドの上で考えました。その後日本中を旅していて、東北の方たちにも大変お世話になりました。24歳の時に東日本大震災が起こり、「お世話になった恩を今こそ返したい」と思い、一週間後には被災地に行って支援活動をしていました。

少しずつ仮設住宅が建ち、生活が一旦落ち着いてきてはいましたが、まだまだ瓦礫だらけで支援が必要だと思い活動を続ける中、被災した方たちに必要なものを尋ねると、多くの方が「忘れないでほしい」「忘れられるのがこわい」といったことを口にされました。
最初から明確なビジョンがあったわけではありませんが、「忘れないでほしい」という思いをSNSでつなぐことができるのではないかと思い、その年の11月に、毎月11日の月命日にキャンドルを灯す「ともしびプロジェクト」をスタートしました。

さらにもう少し踏み込んで活動できないかということで、2014年にはキャンドル工房を作り、そこでキャンドルを作りながら活動しています。

(気仙沼の海の景色をキャンドルで表現した「The Sea」シリーズ。作品のモデルとなっている大谷(おおや)海岸にて。震災前は多くの観光客で賑わったこの海岸は震災によって大きな津波に襲われ、砂浜の多くが失われた)

「灯す」行為の真ん中に、
「私」がいる

(「仮設住宅から公営住宅ができ、南気仙沼の住民の皆さまと命灯会を開催した時の一枚です。ここで灯させてもらえること、一緒に手を合わせることができることを本当にありがたいと感じました」(杉浦さん))

──「灯す」行為を通じて「忘れないでほしい」という想いに応える、ということなんですね。

杉浦:
はい。最初はその意図でスタートしました。しかし一方で、灯し続けてきた中で出会った世界観がありました。「誰かのために」、何かをしたいという思いから始まったプロジェクトでしたが、毎月灯していく中で、「誰かのために」でありながら、実は「僕たち自身のために」灯しているのではないか、と感じるようになったのです。

──というのは?

杉浦:
「誰か」を想って灯すのだけれど、灯しているのは「私」である。灯している「私」側にも何かしら大きな作用がある、そういう世界観があるのではないかと感じるようになったのです。

僕自身、灯すことを「誰のためにやっているのか」という問いがずっとありました。被災した方たちの「忘れないでほしい」という声、その願いをカタチにするために始めたけれど、「一体、何のために?」という疑問がずっと抜けなかったんです。それはターゲットが誰か?ということではなくて、私と誰かとの境目はどこなんだろうという感じの疑問でした。

そんな時、佐藤良規さんというお坊さんに出会いました。佐藤さんは東日本大震災の時、津波に遭遇し、トラックの屋根の上で九死に一生を得る経験をしています。
佐藤さんと親しくなって宗教の世界に触れるうちに、灯すことで亡き人を想うこと、それは亡き人を想いながら「私」自身の生き方や「いのち」を問うことであり、これは仏教の「法要」の世界観と非常に似ていると感じたのです。

(岩手県一関市にある藤源寺の住職、佐藤良規さん(写真右)と)

杉浦:
亡くなった人にとって、私たちが想ったり祈ったりすることに何か効果があるわけではありません。でも、想い、祈り、灯す、その行為の真ん中に「私」がいるということ、それは「私」にとって、亡き人を想いながら「生きるとは何か?」を自らに問う行為であり、「いのち」と向き合うこと、「いのち」とは何かを認識しなおすことであるのではないかと。
この行為は、生死を超え、時代を超えて「いのち」をつないでいくものだと感じました。

「誰かのために」スタートしたプロジェクトでしたが、「どうやらこれは誰のためでもない、自分自身のためにやっているのではないか」と腑に落ちる体験、そのプロセスを僕自身が踏んだのです。

──そうだったんですね。

(2014年3月、気仙沼女子高校の生徒たちと手作りしたキャンドルで、取り壊しになる校舎で最後のイベントを開催。気仙沼のシンボル的な存在だった校舎も取り壊され、跡地には災害公営住宅が建設された)

「今、どう生きるか」を問う

(「命灯会に特別に作法はありませんが、それぞれのやり方で明かりを灯し、手を合わせる姿になんとも言えない美しさがあります」(杉浦さん))

杉浦:
このプロセスを経て、「ともしびプロジェクト」からさらに派生した「命灯会(みょうとうえ)」という表現が生まれました。

参加した人たちそれぞれに2本ずつ、青いロウソクを灯してもらいます。1本は今ここには無いいのちのため、1本は今を生かされている私たちのいのちのため。そうして灯した時に生まれる観念や感覚をシェアする場であり、自分自身が「今、どう生きるか」という問いが生まれるような場。そういうことをやっています。

──より広義な表現ということですね。

杉浦:
3月11日、あの日、1万5千人を超える死者・行方不明者が生まれました。生かされている私たちが「いのち」と向き合うことによって、初めて報われる魂があるのではないでしょうか。

自然災害は止められません。生きている限り、死ぬことも止められません。だからこそ、自分の「いのち」と向き合い、この瞬間を最大限に生きられたら。その時に、「灯す」行為が、その人に何か直感的に訴え、その人の「いのち」自体をも灯すのではないかと思っています。

(2017年8月に開催した「命灯会」にて。気仙沼市民会館にて、被災地を描いた巨大絵画の前でロウソクを灯し、宗派を超え法要を行った)

──本当の自分と向き合うということですね。

杉浦:
だから僕は「命灯会」を通じ、たくさんの人と「灯す」機会を日本中、世界中に作っていきたいと思っています。

震災の直後、混沌の中で被災した方たちから「忘れないでほしい」と口々に言われた時、何を忘れないでほしいのだろう?なぜ忘れないでほしいのだろう…それが具体的にどういうことなのか、正直あまりよくわかりませんでした。
しかし今になって、それはもしかしたら生かされた人として「本当のいのちを生きる」ということや「どう豊かに生きていくか」と問い続ける、そのことを「忘れないでほしい」ということでもあったのではないかと感じています。

(震災の起きた2011年、福島県いわき市での炊き出しに参加する杉浦さん。「一生分のありがとうという言葉をかけてもらいました」(杉浦さん))

──まさに、生きる本質の部分ですね。

杉浦:
文明が発展し、社会は便利で豊かになりました。しかし一方で、失われてしまったものも数多くあるのではないでしょうか。言葉にすると「精神性」や「スピリチュアリティ」と分類されるものかもしれませんが、「いのち」を感じること、そのつながりを体感すること…、こういった部分がポッカリと抜け落ちてしまったと感じます。そして生きる力を見失い、焦り、孤独に陥る人がいるのもまた事実です。「灯す」ことで、もう一度「いのち」のともしびを灯し直す。震災は、そんなメッセージをくれたのではないでしょうか。

東日本大震災は「千年に一度の大災害」と言われています。であれば僕たちもまた、千年先まで灯していく必要がある。同じ過ちを繰り返さないためにも、千年先まで灯し続けることで伝えていく必要があると考えています。

(「いのちからはじまる話をしよう」がコンセプトの対話の場「TEMPLE(テンプル)」と「命灯会」を共同開催。「灯した後にその場で対話を開催したはじめてのイベントでした。分かり合えなさを超えて、『いのち』のつながりを感じました」(杉浦さん))

「『灯す』ことは、この時代を生きる僕ができること」

(2011年4月、福島県いわき市にて。「海岸沿いを走っている時に見つけた桜、この桜に勇気をもらった気がしました」(杉浦さん))

──杉浦さんのご活動の背景には、ご自身の体験があるのですか。

杉浦:
高校生の時、大きな交通事故に遭いました。信号無視の車に横から突っ込まれ、フロントガラスを突き破ったらしく、そこから7m吹っ飛びました。一時意識を失いましたが、一命は取り止めました。

事故に遭ったけれど、自分は死なずに生きている。「なぜ生かされたのか」、その意味や答えを探して、高校卒業後は日本各地を旅するようになりました。

旅の途中でいろんな人に出会いました。みんな優しくて、「君が生きているのにも意味があるよ」と言ってくれました。だけど、納得できませんでした。僕の同級生も交通事故に遭い、亡くなっています。「じゃあ、彼らには生きる意味はなかったのか?」と。この疑問が胸につっかえて、ずっと腑に落ちなかったんです。

──そうだったんですね。

(「生きる意味」を求めて、全国各地を旅していた頃の杉浦さん。ヒッチハイクで乗せてもらったトラックの運転手と)

杉浦:
22歳の時、四国八十八箇所を回る歩き遍路の旅に出ました。あるお寺で「さぁ寝よう」という時に突然、本当に突然に「人が考える『生きる意味』なんて無い」という感覚が降りてきました。

「自分が生かされた意味なんて存在しない。だからこそ、『生きる意味』は自分で付けたい放題なんだ!」と思ったんです。意味なんてない、そこにあるのはただ「ある」ということだけ、どう意味づけるかは、僕自身が決めていけば良いのだと。「すべての主導権が実は自分にある」と気づいた瞬間でした。
その時に「うわー!俺の人生とうとう始まったな!」という感じがありましたね(笑)。

今この時代に生まれたということ、それをどう味わっていくか。この時代に生を受けた自分ができることは何か。「杉浦恵一」というひとつのストーリーの中で、何を残していくのか。

気仙沼に関わらせてもらう中で、本当にすばらしい、そして不思議なたくさんの出会いと学びがありました。それを独り占めしたい気持ちもないし、表現として「灯す」ことは僕の中でもう決まっているから、あとはもう、やるだけなんです(笑)。

(四国八十八箇所を回り終え、最後のお寺である88番札所・大窪寺での1枚)

──道が拓けているのですね。

杉浦:
考えてみたら、周囲の人たちと「同じ時代に生きている」こと自体、実はものすごいことですよね。…そのすごさを実感していたら、困った人が目の前にいた時に助けられるはずだと思うんです。だって、相手と出会えること自体、ものすごいことですから。

だけど体はひとつしかなくて、やれることは物理的に限界がある。その中でも表現は続けられるし、広げていくことはできる。「灯す」ことは、この時代に僕ができることだと思っています。

(ともしびプロジェクトは海外にも広がっている。東日本大震災の起きた3月11日にスペイン・バルセロナの海岸に集まった方たち)

千年先までも、灯していくために

(名古屋にある「瑞因寺」で開催した命灯会での一枚。ともしびに手を合わせる子ども。「手を合わせる姿に美しさを感じました」(杉浦さん))

杉浦:
プロジェクトを通じて「これをしてほしい」とか「これをわかって欲しい」というよりも、一緒に灯してみて、「何を感じるか」を体験してほしい。

大きな火というよりは、小さなたくさんの火。集まること、つながること、それによってきっと見えてくるもの、生まれるものがあると思っていて、日本だけでなく、世界中で灯したいと思っています。国や文化、宗教や宗派の違いも超え、ともに灯す。その時に生まれる、そこにしかない空間や概念を共有した先に、想像もつかない、また新たな世界観が生まれるのではないかと思っているんです。

──なるほど。

(ハワイにて、毎月11日に集まって灯してくれているメンバーの皆さんとzoomでのやりとり)

杉浦:
困難にある時、人は「自分だけが苦しい」と思いがちですし、そのことがさらにその人を孤独に陥らせることがあります。でももし、誰かと「灯す」こと、その経験があれば、もしかしたら「何一つ、つながりあっていないものはない」という「いのち」そのものの存在に、思いを馳せることができるのではないでしょうか。

──自分の中にある「いのち」を感じた時、「私は一人ではない」というつながりも同時に感じられる。本当にそうですね。

杉浦:
「伝統」という言葉がありますよね。これはその昔、「伝燈」、つまり「燈(ともし)伝える」と書いたそうです。人の手によって油が注がれ新しく継ぎ足されながら、途絶えることなく続いていく。それはやがて語り継がれるものになり、すべてを超えて千年先をも照らしていく。
東日本大震災という一つの天災を機に生まれたこの明かりを通して、あの出来事から復興したという事実を伝えていく、それは人類の一つの希望の光となっていくのではないでしょうか。

状況が落ち着いたら、前から計画していた命灯会のワールドツアーを実施したいと思っています。

(北海道にある「開運寺」での命灯会。「毎月灯してお経をあげてくださっています」(杉浦さん))

「あの日を忘れない」。
チャリティーは、311のともしびを灯すための資金となります!

(2018年11月に開催された「コンポジウム気仙沼2018」にて。津波で気仙沼の市街地に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」の巨大絵画を前に、キャンドルで海を表現した。「第18共徳丸」は、全長約60メートル、総トン数約330トンの巻き網漁船。気仙沼漁港に停泊していたところ、津波によって港から北へ約500メートルに位置するJR鹿折唐桑駅前まで流された)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

杉浦:
「ともしびプロジェクト」では、東日本大震災の月命日である毎月11日、各地でキャンドルを灯しています。今回のチャリティーで、3月11日にちなみ、311のキャンドルを灯したいと考えています。

東日本大震災は、前代未聞の大きな困難の中で、しかしいのちの大切さ、生きることの大切さを教えてくれた出来事だったのではないでしょうか。
暗闇の中で、それでも身を寄せ合って火を灯し、希望を見い出して歩んできたその姿は、まさに生きる力、「いのち」そのものを私たちに教えてくれたのではないでしょうか。

だからこそ、この日を忘れてはならない。今日を生きたかった人たちの分まで、今を生きる僕たちが生き抜いて、託されたともしびを未来へとつないでいく。それが、僕たちにできることなのかもしれません。

──貴重なお話をありがとうございました。

(気仙沼のキャンドル工房の前にて、スタッフの皆さんとご家族と)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

終わりを意識した瞬間、たとえ物理的には朽ち果てても決して消えたり変わったりすることのない、無限で普遍な世界の存在にも気づかされます。私も26歳の時にがんの診断を受けたことがきっかけで「いのちとは何か?」という問いを突きつけられました。杉浦さんのお話を聞きながら、なんとも同志のような、温かい気持ちになりました。まさに「ともしび」を分けていただいたのかもしれません。

当たり前のように存在する今この瞬間、この世界が、二度と戻らない、かけがえのないものだとしたら。
あなたは今を、どう生きるでしょうか。

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灯された2本のキャンドルと、それを包み込む手。
2本のキャンドルは「大切な人」と「自分自身」の「いのち」、包み込む二つの手は「いのち」を見つめる自分自身の手でもあり、過去から未来へ、また人から人へと、時代や生死を超えてつながれ、紡がれていく「いのち」の象徴としても描かれています。

“Light your life”、「あなたの、今ここにしかないいのちを照らせ」というメッセージを添えました。

Design by DLOP

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