3月21日は、国連が定めた「世界ダウン症の日」!
今年も、この日に向けて日本ダウン症協会さんとコラボします。
国際ダウン症連合(DSi)が発表した今年のキーワードは「Connect(つながる)」。
昨年からの新型コロナウイルスの流行により、リアルな場で人と会ったり、おしゃべりしたり、一緒にご飯を食べに行ったりすることは難しくなりました。
世界中がロックダウンするという前代未聞の出来事の中、先の見えない不安や孤独を感じることもあったのではないでしょうか。
大変なこと、不安なこともたくさんあるけれど。
その中で見えてきた、「つながる」ことの大切さ。
日本ダウン症協会が「世界ダウン症の日」に合わせて毎年発行している啓発ポスターの写真も、今年度はコロナの影響により、「とっておきの1カット」を公募するかたちとなりました。
今回は選考に選ばれたメンバーの中から、地域で働く成之坊晃生(なりのぼう・あきお)さん(20)とお母様の靖子(やすこ)さんに、そして先日開催された「世界ダウン症の日キックオフイベント」で、がんを克服して司会に復帰された、フリーアナウンサーの笠井信輔(かさい・しんすけ)さん(57)にもお話を聞きました!
(「世界ダウン症の日キックオフイベント2021」での一コマ。コロナのためほとんどの出演者はリモートでの参加となり、司会者もソーシャルディスタンスを保っての開催となりました)
公益財団法人日本ダウン症協会(JDS)
1995年に発足した、ダウン症のある人たちとその家族、支援者で作る会員組織。ダウン症の啓発や情報提供を行い、ダウン症のある人たちとその家族のより良い暮らしを目指して活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/2/22
(こちらが今年のコラボデザインです!スペシャルな「3つ」を探してくださいね!)
今年で6回目となる日本ダウン症協会さんとのコラボ。毎年、23対のなかにひとつだけ「三つある」アイテムを描き、「21トリソミー」、ダウン症が23対ある染色体のうち1つだけ2つではなく3つあることから発症することを、明るくポジティブに表現してきました。
今年のコラボデザインのモチーフは、会員の皆さまから公募していただいた中から「グラス」に決定!
(「グラス」のアイデアを寄せてくださった、北海道在住の一関真奈美(いちのせき・まなみ)さん。お兄さんの敏彦さん(48)にはダウン症があります。今回のコラボデザインTシャツを着て)
マグカップ、湯呑み、ビールジョッキ…、日常や成長のワンシーンが思い浮かぶようなさまざまなグラスで「カンパイ!」。その中に、ひとつだけスペシャルな「クリームソーダ」。まるで楽しい声が聞こえてきそうなデザインが完成しました。
ダウン症のある方たちが、幼少期から青年期、そして年老いてからも、暮らしの中で地域に溶け込み、また訪れる先々でグラスを重ね、共に楽しさを分かち合う仲間に恵まれる、つながりあふれた社会になるように。そんな思いも込められています。
(2月11日に開催された「世界ダウン症の日キックオフイベント2021」のバッグステージ。司会を務めた笠井さん(写真左)、タレントのあべけん太さん(写真中央)、フジテレビアナウンサー上中勇樹(写真右)さん。今回のコラボTシャツを早速着てくださいました)
今回のポスターのモデルの一人に選ばれた、成之坊晃生(なりのぼう・あきお)さん。石川県白山市にある社会福祉法人「佛子園(ぶっしえん)」の中にあるお蕎麦屋さん「行善寺 やぶそば」で働いています。
(「行善寺 やぶそば」で働く晃生さん。地域の方たちがおいしいお蕎麦を食べに訪れます)
──晃生さんはどのようなお仕事をしているのですか?
晃生さん:
お風呂のコップ洗いとか食器の洗いもの、5時の鐘つき、床の掃除、あとはなんだろうかな…そのぐらいかな。時々配膳もします。
靖子さん:
補足すると、「お風呂のコップ」というのは、働いているお蕎麦屋さんの向かいに温泉があって、そこに置いてある水を飲むためのお茶碗を持ってきて洗うことです。
この施設にはお蕎麦屋さん、温泉のほかにもジムや花屋さん、小規模保育園、クリニックなどがあり、地域の中で障がいのある人とそうではない人の交流がごく当たり前のように行われています。
──素敵ですね。
靖子さん:
「5時の鐘つき」は、佛子園さんの母体が「行善寺」というお寺なので、このお寺の鐘を、毎日夕方5時につくというお仕事を任せていただいています。
──わあ!責任重大ですね。
靖子さん:
それが…、近くに住んでいるので時々風にのって彼がつく鐘の音が聞こえてくるのですが、5時5分のこともあれば、10分のこともあります(笑)。地方ならではの良いところで、17時ピッタリでなくても、ゆるゆるとした時間が流れています(笑)
(夕方の鐘をつく晃生さん。足元には鐘を数えるキャップが!)
晃生さん:
鐘は、7回鳴らします。鳴らしながら数を数えるのが難しいので、空き瓶のキャップを7つ用意して、一つ鳴らしたら移動して、もう一つ鳴らしたら移動して…、それで7つ数えて、手をあわせてお参りしたらおわりです。
キャップがなくなって「どうしたらいいですか」と聞いたら「石を使ってください」と言われたので、自分で石を拾ってきて、今は石でやっています。
靖子さん:
彼が就職した時に、最初にいただいた仕事です。初めの1ヶ月はスタッフの方が一緒についてくださって練習しましたが、今はもう、晃生さん一人でやっています。
(現在は裏方メインで働く晃生さんですが、卒業した学校の先生やご家族が来られた際は接客対応をするのだそう。注文をとって伝票に書くのは難しいけれど、機械の導入でここの課題が解決すれば、「話好きな性格を生かしてもっと人と接することができたらいいな、と期待しています」と靖子さん)
──晃生さん、お仕事は楽しいですか。
晃生さん:
楽しいです。時々注意されることもあるけど、その時は「ハイ」と聞いています。しゃべっている時が一番楽しいです。
──どんなことをおしゃべりしますか?
晃生さん:
「いつも家で何をするの?」とか「今日のまかないは何?」とか。
夜ごはんはまかないです。ラッピングに自分の名前が書いておいてあるので、レンジで温めて食べます。
(常連のお客さんと。「お酌をしながらおしゃべりするのが楽しいそうです」(靖子さん))
(今年二十歳になった晃生さん。成人式にスーツを着て、職場の皆さんと記念撮影!)
──昨年4月にはコロナの緊急事態宣言が出ましたが、その時はお仕事はどうされたのですか。
靖子さん:
晃生さんは心疾患があるので、緊急事態宣言が出てから1ヶ月ほど、自主的に休ませました。宣言が明けてからはお蕎麦屋さんも通常営業していたので、少しずつ復帰しました。
──晃生さん、お仕事をお休みされている間、おうちで何をされていましたか?
晃生さん:
家でYouTubeを見たり、嵐のライブを見たり、歌ったり踊ったりしました。お母さんのお手伝いもして、お風呂掃除とか洗濯物たたみをしました。
──お仕事が大好きとおっしゃっていたので、家にいる間は寂しくなかったですか?
晃生さん:
寂しくなかったけど、寂しかったです。
(ステイホーム中、大好きな嵐の歌をカラオケで楽しむ晃生さん)
靖子さん:
誰か家にいたので、そこまで寂しいという環境ではなかったと思います。ダウン症の特徴かわかりませんが、空想の世界にエアのお友達がいるので、そのお友達と話したり遊んだりもしていました。
──エアお友達ですか?
靖子さん:
はい。「おびお君」と「みこちゃん」という名前もあって、そのお友達と一人でぶつぶつよくしゃべっています。
──在宅期間が増えたことによる健康管理などはいかがでしたか。
靖子さん:
外出しなくなった分、体重は2kgほど増えました。でも、歌と踊りが大好きで、大好きな嵐の曲を完コピでキレッキレで激しく1時間ほど踊るので(笑)、それで体力を使っているし、見ているこちらも楽しく、元気にしてもらっていました。
(嵐の曲に合わせ、軽快なステップを踏む晃生さん)
──嵐が好きなんですね!
靖子さん:
「ここまで毎日DVDを見るファンがいるのかな?」というぐらい、毎日必ず1回はDVDを観ています(笑)。私には絶対にできないようなステップを踏んでいて、ダウン症のある人は視覚的な情報をすごく良くとると聞きますが、本当に尊敬します。
──外出できないために楽しみが減ったこともあるのではないですか。
靖子さん:
コロナの前は、ヘルパーさんと時々カラオケや映画に行くのが楽しみでした。コロナが始まってからはそれもストップしていて、家でカラオケいています。
──状況に柔軟に対応しながら過ごされていたんですね。
靖子さん:
ただ、最初の頃は「コロナこわい」と言っていました。
家族写真をパネルにして目の届くところに飾っているのですが、家族で岐阜に行った時の写真を観て「ああ〜、この日に戻りたい〜」というんです。今はステイホームで我慢しているけれど、彼だって外に行きたいんだよな、と感じます。
私たち家族も晃生さんに救われています。先が見えない不安の中で、彼の純粋無垢な言葉や態度に、どれだけ笑顔にしてもらったかわかりません。
(2020年末、活動停止を発表した嵐のラストコンサートにて。感動のあまり、涙をおさえられない晃生さん)
(佛子園の成人式にて。振袖を着たご友人と)
──晃生さんは1月に成人式を迎えられたそうですね。おめでとうございます!
靖子さん:
佛子園さんが開催してくださった成人式に参列しました。おはらいをして、皆でついたお餅を地域の方たちと食べました。
晃生さんは嚥下が得意ではないので喉につまらせたらいけないとこれまでお餅を食べたことがなかったのですが、はんごろしのもち米を初めて食べて餅デビューしました。おいしいと喜んでいましたね。
──今回、日本ダウン症協会さんのポスターに選ばれましたが、どうですか?
晃生さん:
すごいなと思って。うれしい。かっこいいと言われました!おうちの中にも貼っています。
(通っていた特別支援学校の先生たちがおそばを食べに来てくれるそう。この日晃生さんは、機械でオーダーを取ることに挑戦!)
──お母さまにお伺いしたいと思います。「生まれ育った地域で生きる」ことには、どんな思いがありますか。
靖子さん:
生まれ育った地域になじみ、つながりを築いていってほしいと思うのは、行く末を思うからです。私たちが亡くなった後を考えると、彼が生きていくためには地域とのつながりが非常に大切ということが頭の中にありました。
私たちが年老いた後、または亡くなった後、晃生さんが彼らしく生きていく、そのためのつながりを築いてほしいと思います。今の職場が、ありがたいことに晃生さんの良さをたくさん引き出してくれました。おしゃべりが好きなので、チャンスがあれば、接客にもどんどん挑戦してほしいですね。
(お話を聞かせていただいた晃生さんと靖子さんと、パソコン越しに記念撮影!上段中央は、日本ダウン症協会の水戸川さん)
さて、ここからは2021年の「世界ダウン症の日キックオフイベント」で司会を務めた、フリーアナウンサーの笠井信輔(かさい・しんすけ)さん(57)にバトンタッチして、お話をお伺いしました!
(「世界ダウン症の日キックオフイベント2021」にて。イベント終了後、名コンビのあべけん太さんから復帰を祝い贈られた色紙を手にする笠井さん)
笠井さんは、2012年に日本ダウン症協会が「世界ダウン症の日」記念イベントを開催するようになって以来、司会者として携わってこられました。しかしフリーアナウンサーに転向された2019年10月、「ステージ4」の悪性リンパ腫であることが判明、2019年12月から、4ヶ月にわたる闘病生活を送られました。昨年2月のキックオフイベントは、病室から一観客としてイベントをご覧になられたそうです。
闘病の末、悪性リンパ腫は「完全寛解」。
今年もまた、司会者として戻ってきました!
2020年11月に発売されたご著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』(笠井信輔著、KADOKAWA、2020/11)の中では、困難の中でもプラスを見つけ、逆境を乗り越えていく「足し算の縁」について語られている笠井さん。この「足し算の縁」について、また今年の世界ダウン症の日のテーマである「つながり」について、お話を聞きました!
(昨年(2020年)のキックオフイベントでの1シーン。この年、病室からライブ配信を観ていた笠井さん。笠井さん不在で司会を務めたあべけん太さん&上中勇樹さんのお二人、「しんちゃん(笠井さん)に叱られる!」ということがないようにと、この年のコラボデザインTシャツを着て節分の鬼に扮する笠井さんの写真が、二人から一番よく見えるところに飾ってあったのだそう)
──昨年は病室からイベントをご覧になったそうですが、今年またこの場に戻ってこられること、どのように感じていらっしゃいますか。
笠井さん:
この一年で戻ることができたことが、まずは本当に幸せです。昨年は病室に居て、「ああ、参加できなかったな」と本当に悔しい思いをしました。「来年は絶対戻るんだ!」と奮起しましたよね。そして戻ってくることができた。困難を克服することができたんだなと感じています。
──今年のテーマ「つながる」にちなんだ質問です。ご闘病中、あるいは退院後、「人とのつながり」をどんなふうに感じられましたか。
笠井さん:
コロナ禍の入院患者は本当に孤独です。
2019年12月に入院した当初はコロナのコの字もなくて、最初の1ヶ月は家族や友人、知人や同僚…、本当にたくさんの人がお見舞いに訪れてくれて、つらいながらも賑やかに支えてもらいました。それが年が明け、緊急事態宣言が出ると家族でさえも面会しない方が良いということになりました。
病院の看護師さんや先生にもたくさん支えてもらったけれど、「つながる」ということがどれだけ大切かを実感しましたね。
だけど一方で、オンラインでつながり続けることができたんです。
大学時代の友人が「zoomお見舞い」を企画してくれて、皆でワイワイ話したり、LINEやメールで知人家族ともつながって、本当に力になったし、助けてもらいました。
「会えない」、それは確かにそうなんだけど、だからこそオンラインでつながれた。これはとても大きなことだと思います。
(「大学のスキークラブの仲間たちが、ズームでお見舞いをしてくれました。コロナで誰も見舞いに来てくれなかった時期だったので、楽しくて本当に救われました」(笠井さん))
(退院後、自宅療養中もコロナの感染リスクを考え、セルフロックダウンしていた笠井さん。写真は2020年5月、息子さんの17歳の誕生日の1枚。「1階では家族で誕生日会。2階では私が自宅内セルフロックダウン中。しかしLINEテレビ電話をつなぎっぱなしにしておくと、まるで自分が1階の食卓にいるように、映像を見ながら会話して食事ができるのです」(笠井さん))
笠井さん:
自分もがんになり、弱者の立場になってわかりました。仲間同士でつながり、手を取り合って外に出ていこうとすること、それがこんなにも力になるのだと。その時にIT(情報技術)が役に立った。どんどん活用したら良いと思います。
中にはITに苦手意識を持っている方もいるかもしれません。あるいは病気や障がいの度合いによっては、「人様の迷惑になるのでは」とつながること自体を避けている方もいるかもしれません。でも僕はね、オンラインはリアルな場よりもずっと参加しやすいと感じているんです。
たとえばダウン症の家族会や仲間のオンラインセッションに、まず参加してみる。カメラもマイクもオフにして話を聞いているだけでもいいんです。それでもし会話に加わりたくなったら、オンにして加わればいいんです。逆に「合わないな」と感じたら退出すればいい。
苦手意識を持たずに「まずはやってみる」という姿勢が大事だと思いますね。
──確かに、リアルな場よりも全然参加しやすいかもしれませんね。
笠井さん:
そうなんです。だけどだからこそ、意思を持って「自らつながっていく」ということを、より意識しなくちゃいけない。人とリアルに会えない今は、「偶然会った」とか「声をかけられた」みたいなことがなかなか少ないですから。勇気を持って「自らつながっていく、つないでいく」という姿勢が必要だと思います。
(笠井さんはSNSを通じ、闘病のありのままを発信し続けた。抗がん剤治療による倦怠感に苦しむ姿)
──笠井さんご自身が「つながる」ことで得られたものは何でしょうか。
笠井さん:
一言でいうなら「共感」でしょうか。
我々が生きていく上で大事なのは、すべて「共感」です。それは感情の共有であり、出来事の共有でもあります。つながりは「生きる力」になるものであり、それがなければ、人は孤立していきます。
ITが発達しているからこそ、人がつながりやすくなって共感しやすい環境が生まれ、孤立も防ぎやすくなっています。またコロナの時代で人と接触できないからこそ、マイノリティの方や表に出ていくのが難しい人たちともつながりやすくなっています。
インターネットの世界は良くも悪くも共感が生まれやすいですが、履き違えることなく上手に使いながら、感謝と謙虚さを失わず、良い方向で共感を生み、仲間を増やしていきたいですね。
─笠井さんが発信を続ける、そのモチベーションはどこから来ているのですか。
笠井さん:
伝えることが僕の仕事であり、それを生業としてきました。
報道情報番組で現場を取材しいろんな人の声を聞いて、間接的にさまざまな事件や事故、ニュースを伝えてきました。
ずっと「どうやって伝えれば、この人たちの思っていることを伝えられるか」と思ってきましたが、今、自分の件に関しては、自分自身を取材すれば良いんです。こんな直接的なことはないですよね(笑)。だからストレートに伝えていきたいと思っています。
ダウン症のある方のご家族の中には、障がいをオープンにしていない方もいらっしゃるかもしれません。でももしかしたら、つながることによって何かが変わる可能性もあります。
世の中にバーンと出ていこう!ということではないんです。まずは同じ境遇にある仲間たちの世界に出て行ってみませんか。
「迷惑がられるかもしれない」とか「うちの子は意思疎通できない」とか、そんなのは関係ないです。仲間は皆、そんなの百も承知です。優しいです。だから勇気を出して、まずは仲間の中でつながってみませんか。
(「入院中はまさに外に出られません。コロナの緊急事態宣言が出た際は、そのことを逆手に『#うちで過ごそう』を発信しました」)
(2019年のキックオフイベントにて、あべけん太さんと司会を務める笠井さん)
──笠井さんはご著書の中で、困難の中でもプラスを捉えていく、「足し算の縁」について語っていらっしゃいます。もう少し教えてください。
笠井さん:
コロナ禍の今は特にそうですが、「何でこうなのかな」って思うことが多かったり、良いことがあまりなかったりしますよね。
だけど、自分に困難が降りかかってどん底に落ちた時こそが捉えどころだと思います。自分もだけど、「人間、どん底だっていいことあるじゃないか」という瞬間があります。悪性リンパ腫のステージ4、しかもフリーランスになったばかりというタイミング、どうしようもなくなったけど、だけどやっぱり「がんになったからこそこうなれた」という自分を探してみる。
「なんで自分ががんなんだ、なんで入院しなきゃいけないんだ」と思うんだけど、病室で点けたテレビが面白かったり、食事が美味しかったり、ペヤング食べたら褒められたりね(笑)、最悪の時にもプラスのことは起きているし、ほんの少しずつでいいから、それを捉えていく。貯金は何も千円や1万円じゃなくても、1円からできるんですよね。
僕はこの姿勢を、アナウンサーとして報道に携わる中で、東日本大震災の被災地の皆さんから学びました。「皆さんから学ばせてもらったことを今度は自分が生かしていこう」。がんが発覚した早い段階で、意識をそう切り替えられたのは大きかったです。
「つながる」ことで意識や考えが変わることもあれば、「このままでいいんだ」と自信を持てることもある。やっぱりつながりは、「生きる力」になっていくんだと思います。
(インタビューでの一枚。皆で笠井さんのご著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』を手に、記念撮影!)
(2016年、初コラボ時のモチーフは「葉っぱ」。毎年たくさんの方がコラボTシャツを着て応援してくださり、温かなつながりを感じさせていただいています!感謝です)
「つながると、嬉しい。誰だって。誰とだって」2021年の「世界ダウン症の日」啓発ポスターのテーマです。
前代未聞の状況の中、だからこそ見えた「つながる」ことの大切さ。どんな人も、どんな場所にいても、誰も取り残されることなく「つながり」があるように。そんな願いを込めて、今回のチャリティーは、今年の「世界ダウン症の日」啓発ポスターを日本各地に発送するために必要な資金、そしてまた、オンラインにて開催されたキックオフイベントを、引き続き多くの方に楽しんでもらうための資金として使われます。
ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけたら幸いです!
(2017年のキックオフイベントにて、ダウン症のある書家・金澤翔子さんの書「絆」の載った日本ダウン症協会のパンフレットを持って記念撮影。「大勢で一緒に撮った一枚。また集える日を、気長に待ちたいですね」(日本ダウン症協会理事・水戸川さん))
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
成之坊さん、笠井さん、それぞれのインタビューを終えて、心がポカポカと温まり本当に元気をもらいました。「つながり」というテーマでスタートした今回のコラボ、その中でそれぞれに皆さまがこれまでに紡いでこられた確固たる「つながり」、そこにある信頼、そこから得られた揺るぎない自信を見せていただきました。
改めて人の強さ、人の美しさを感じ、涙が出るほど感動しました。私も、つながりがあったから生きてこられたんだな。
最後に。毎年ながら、企画にあたり諸々とご手配いただきました理事の水戸川さん、本当にありがとうございました!
・日本ダウン症協会 ホームページはこちらから
・「世界ダウン症の日」キックオフイベント2021(YouTube)はこちらからご視聴いただけます!
「一つだけ三つあるシリーズ」、今回は「乾杯!」のグラス。
ダウン症のある人もそうでない人も、生まれてから年老いるまで、孤立することなく、いつも一緒に「カンパイ!」できる仲間のいる、幸せな人生を送ってほしいという願いが込められています。スペシャルな3つは「クリームソーダ」。デザイン越しに、満面の笑顔が見えてきそうです。
“Connect with each other”、「お互いにつながろう」というメッセージを添えました。
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