CHARITY FOR

「こどものしんどさは、親のしんどさ」。生活困窮世帯のこどもとその親を、「自分ごと」として支えていく〜NPO法人西成チャイルド・ケア・センター

大阪市西成区の北西部で、こども食堂を定期開催しながら、こどもだけでなく家族も一緒に見守り、支援する団体があります。

「本音でこどもと向き合いたい。こちらが『やってあげる』のではなく『おかえり』『ご飯やで』『気ぃつけて帰りや…』、日常の何気ない、家族のような会話や関係性の中で支えたい」

そう話すのは、団体代表の川辺康子(かわべ・やすこ)さん(55)。
9年前にこども食堂を始めた当初は、荒れるこどもたちから「しばくぞ!」「死ね!」と罵られ、ひっくり返されたお皿や料理を1人で泣きながら拾うこともあったといいます。

「こどもたちは怒って罵声を浴びせては、それでも毎回、食堂にやって来ました。私にはこどもたちのその声が『助けて!』と言っているように聞こえました。
思いが伝わらないもどかしさを抱えながら思ったこと、それは『私が関わっていかなあかん、他人ごとではなく、自分ごととして関わっていかなあかん』ということでした」と川辺さん。

西成にあるNPO事務所にお伺いし、お話を聞きました。

(お話をお伺いした川辺さん。西成の事務所にて)

今週のチャリティー

NPO法人西成チャイルド・ケア・センター

家庭環境に問題を抱えるこどもが安心して過ごすことができる「居場所づくり」から活動をスタート。ひとりぼっちのこどもや孤立した家庭のない地域をつくることを目指して、地域に根付いて活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2021/2/15

お腹をすかせたこどもたちのために、
「こども食堂」を運営

(ある日の献立。「こどもたちの大好きな肉じゃが、寄付でいただいたデザートのリンゴも大人気です。変わったメニューを作るよりも、定番のメニューの方が皆、安心して食べてくれます」(川辺さん))

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体さまのご活動について教えてください。

川辺:
はい。2012年から「にしなり☆こども食堂」をやっています。対象者を幅広く開放している日もあれば、どうしても家で食事をとることが難しいご家族のためだけに開催する日もあります。こどももおとなも関係なく、無料で食べることができます。

活動を続ける中で、企業さんなどから食材をいただくことや、こども食堂の運営についてお問い合わせをいただくことが増えてきました。そこで、2017年から関西各地のこども食堂と連携した「こども食堂ネットワーク関西」を作り、その拠点として交流やフードバンク的な活動も行っています。また、2020年10月からは、こどもだけでなくご家族全体を見守る支援がしたいと、滞在型の親子支援もスタートしました。

(とある日の食堂の風景。おとなもこどもも関係なく、無料で食べることができる)

──始められたきっかけを教えてください。

川辺:
もともと市民交流センターの職員としてこどもと携わっていたのですが、学校の先生方の話を聞くと、こどもたちがものすごく荒れていると。ひとり親世帯も多く、放課後、家に帰ってもひとりだったり居場所がなかったりする子も少なくない中で、学校でも家庭でもない「第3の居場所」があればこどもたちが自分の気持ちを出せるのではないかと思い、2010年に「こどもの居場所あびの広場事業」を開始したのが最初でした。

──そうだったんですね。

川辺:
そうすると、集まって来たのが強者ばかりでね(笑)。
こどもたちはいつもイライラしていて、肩がぶつかっただけで掴み合いのケンカがはじまり、止めに入ったら「くそババア!」と言われるし、朝会った時に「おはよう」と声をかけたら「死ね!」と言われるしで。

「なんでこんなにイライラしてるんやろう」と考えて、「もしかしてお腹空かしてるんちゃうかな」と思い、こどもの料理教室を始めました。参加費は払えないこどもたちが大半だったので無料でした。
また、こどもたちにエプロンと三角巾を配ったのですが、すぐに持ってこなくなる子が出てきました。
「なんで忘れたん?」と聞くと「そんなん知るか!」と返事がかえってくる。通ってくるこどもたちの家庭の中には、いわゆるネグレクト(育児放棄)の状態で、親御さんがなかなかこどもの身の回りのお世話ができない事情があったんです。

(皆で手を合わせて「いただきます」。おいしい食卓を共に囲むひととき)

こども食堂立ち上げのきっかけとなった
A君との出会い

(取材中、近くに住む、いつもこども食堂に来ているという男の子がふらっと遊びに来ました(「遊びに来た」というよりは「家に帰って来た」という感じ)。この日はこども食堂の開催日ではありませんでしたが、学校が終わって宿題をするために来たのだそうです。川辺さんに音読を聞いてもらっています)

川辺:
料理教室は勤めていた市民交流センターの事業の一つとして実施しましたが、参加できる年齢制限がありました。

そんな時、当時保育所の年中(5歳)だったA君に出会いました。自分で団体を立ち上げるきっかけとなった男の子です。A君は年中だったので、「小学生から高校生まで」という参加条件に合いませんでした。さらに彼は血のつながっていない17歳の女性と二人で暮らしており、「未就学児の場合、親と一緒なら参加可」という条件も満たすことができなかったのです。

──血のつながっていない女性と暮らしているというのは、どういうことなのでしょうか?

川辺:
最初はお母さんとその彼氏、お母さんの知り合いの17歳の女性と彼の4人で暮らしていたようです。しかし新しい彼氏ができたお母さんが家を出、その後に住んでいた彼も家を出て、血のつながらない17歳の女性と二人きりで暮らすようになりました。17歳の彼女は親御さんとの関係がわるく家に帰れない事情があり、かといって一人で家を借りられる年齢でもなかったので、その家に住まわしてもらうかわりに、A君と二人で暮らしていました。

──そんなことがあるんですね。

川辺:
出会ってから、私は彼のことが気になって仕方ありませんでした。こどもの成長と食とは、切り離しては考えられません。しかし年齢制限があるせいで、彼は料理教室に参加できない。「このままのかたちだと、支援の網の目から漏れてしまい、支援できない子が出てしまう」と思い、気軽にご飯が食べられる場所を作りたい、と2012年にこども食堂を始めたんです。それが「にしなり☆こども食堂」の始まりです。

(男の子の宿題の算数のプリントに一緒に取り組む川辺さん。「手ェで数えてるやん!」というツッコミも忘れません(笑))

「俺はお前に恵んでもらうほど困ってないんや」。
A君に言われた一言

(こども食堂での一コマ。「食事が始まるまでの時間、こどもたちはボランティアの学生さんたちとゲームをしたりおしゃべりしたり、思い思いに過ごします」(川辺さん))

川辺:
A君は今、中学2年生です。関係はずっと続いていますが、最初に心を通わせるまでには本当に時間がかかりました。

──なかなか心を開いてもらえなかったのですか?

川辺:
こども食堂を始めた時、「食堂始めるから食べにおいでや」と声をかけると、「何しにお前のところ行くのや」、「なんでお前はいちいち俺にそんなこと言うてくるねん」と。「俺とお前の関係は何やねん。俺はお前に恵んでもらうほど困ってないんや」と言われました。

確かにそうやな、と思ったんです。同居する女性が、全く会話は無いながらも夜、仕事に行く前に彼のためにコンビニのおにぎりと唐揚げを置いて行くのだそうで、だから彼は食べるのに困っているわけではないんですね。
憎まれ口を叩きながら、それでも彼は毎回食堂にやって来ました。声をかけようかな、と思うとヒュッとどこかに消えてしまう。なかなか関わりを持てずにいました。

(大学生のボランティアさんがこどもの勉強に付き添い、わからないところは一緒に考える)

──そうだったんですね。

川辺:
「何しにお前のところに行くのや」という投げかけ、私に与えられた宿題をなんとかしようと思い、翌年2013年にはこども食堂だけでなく学習支援や太鼓教室も始めました。この地域に二つある小学校のこどもたちの学力は、全国平均が低い大阪でもさらに低い状態です。家庭の中がしんどい状態にあり、落ち着いて家庭学習できる環境がないということが背景にあります。

学習支援を始めた時、A君にも「こんなんやるからおいでや」と声をかけたかったんですが、私が下手に声をかけて「勉強なんて嫌じゃ」と一蹴されたらまた振り出しに戻るなと思ったので、彼の担任の先生にお願いして声をかけていただき、初日は先生が一緒に来てくれました。週2回、勉強や太鼓の練習の後ご飯を食べる。毎週それを繰り返すうちに、次第に落ち着いてきました。

(地域の小中高とも連携し、密に連絡を取りながらこどもとその家庭を見守っている。「新たに赴任された教職員の方に、地域のこどもたちや家庭の現状のお話をさせてもらった時の一枚です」(川辺さん))

初めて本音を漏らした時に、
関係性が変化した

(食堂の開催日以外でも、こどもたちが訪れる。「ママが買い物に行っている間に保育をしてる時の一コマです」(川辺さん))

川辺:
ご飯を食べ終わると夜8時ぐらいになるので、一人ひとり家まで送り届けるのですが、A君の家は一番遠くて、だから最後なんですね。こどもたちを順番に送って二人きりになると、彼はいつも自転車のスピードを遅め、毎回最初は「お前のとこ、おもろないねん。俺もう行くんやめるわ」という話から始まって「お前、俺のことどう思てんねん」と聞いてきました。

毎回、二人きりになるたびに彼はそう問うのです。その度に私は「そりゃ好きやし大事に思てるよ」とか「会えてよかったし、つながってくれて嬉しいよ」とか、今思うと教科書通りの答えを返していたんです。
彼が自転車のスピードを遅めたのは、家に帰っても待つ人が誰もいない寂しさ、誰かといたい、自分の話を聞いてほしい、そんな気持ちがあったからやと思います。

──寂しいですね。

川辺:
半年が経ったある時、私が用事で早く戻らないといけない日がありました。しかし彼は相変わらずゆっくり歩き、私がつい「はよ帰らんと、おうちの人が心配するしな」と失言してしまったんです。
そうしたら彼が「お前、俺の気持ちがわかるんか!」とものすごく怒って。「あの部屋で、一人で寝てる俺の気持ちがわかるんか!」と。その時に私は「ごめん」ではなく「わかれへんわ!」と返したんです。初めて、彼に自分の正直な気持ちを伝えた瞬間でした。

彼は小学校に上がる前からずっと、自分の出す音とテレビの音以外は何も音がない部屋で、たった一人で夜を過ごしていました。その時彼は小学校3年生になっていましたが、幼い子が一人で夜を過ごすのはどれだけ不安で寂しいだろうというのは十分想像できます。けど、私はそれを経験していません。彼に対して、簡単に「気持ちわかるで」なんて言えなかったんです。

「あんたの気持ちはわからん!わからんけど、これから先何かあった時に、一緒に考えるためにあんたの隣におるんや!」と叫んでいました。

──…そうだったんですね。

川辺:
そうしたら、その次から彼が「お前のところ行くのやめるわ」と言うのをピタッとやめました。小学1年生の時には、学校に金属バッドを持ってやって来て「ここにおる全員、殺したる」というような子でしたが、私の失言がきっかけで、彼の心の中で何かが変化して、私という一人の人間を信用してくれたんやと思います。

半年間、教科書通りのどんなきれいごとを言ってもそれは彼の心には届かなかった。このことは、「相手と本音でつながっていかんとあかん」ということに気づくきっかけになりました。

(餃子を包むこどもたち。「学習支援が終わった後のこども食堂では、みんなが一緒に食事を作るお手伝いをしてくれていました」(川辺さん))

西成という地域について

(識字教室の教師として、地域の方たちに読み書きも教えている川辺さん。「写真は識字よみかき教室の交流会での一コマです。地域の小中高の校長先生方も積極的に参加してくださり、課題が決して少なくはない地域ですが、一方で地域の方たちの強いつながりとご支援を感じています」(川辺さん))

──活動されている西成という地域ならではの課題もあるのでしょうか。

川辺:
特に私たちが活動する西成区の北西部は、ひとり親世帯が3割、生活保護世帯が4割、就学援助を受けている世帯が7割と、しんどさを抱えている家庭が少なくありません。

この地域は、被差別部落の地域で、かって同和対策として国の事業で区画整理などが進められましたが、2002年に事業が終了しました。まだまだ支援が必要ですが支援が途絶えた時、自力で立ち上がることが難しい状況にある方が少なくないと感じます。一方で、ひとり親の家庭や独居の方、外国籍の方…、さまざまな背景を持つ人が集まり、共に過ごすことでいろんな人を寛容に受け入れる、この土地ならではの文化が築かれてきたところがあります。

学校の先生から「あの子が心配やから、様子を見てくれへんか」とご連絡いただいたり、その逆もあります。しんどいのはこどもだけでなく、その背景にある家庭も含めてしんどさを抱えています。学校、家庭、地域…、連携した支援が非常に大切で、その時にこういったつながりがあることはとてもありがたいです。

(こども食堂、識字教室、(外国人向けの)日本語教室、地域の学校の先生たち、地域の方たちが参加したクリスマス会。マグロの解体ショーにこどもたちも興味津々)

「こどもだけでなく、
家族の暮らしをまるごと支える必要がある」

(「川辺さんお仕事あるから、一回おうちに帰りぃな。また後でおいで」。そう言って、近くの家に一旦帰ることになった彼。靴ひもが絡まってしまい、「結べへん!」と寝転がってしまった男の子のとなりで「見してみ」と靴ひもをほどく川辺さん。まるで家庭での一コマのような、ほほえましい光景でした)

川辺:
食堂に来ている2、3時間関わっても、ここを出て家に帰ると、その子にとっては何も変わらない、しんどい日常がある。そこを変えていきたいと思っていて、そのためにはこどもだけでなく家族全体、親御さんも含めた支援が重要やと感じてきました。

──本当ですね。

川辺:
親御さんたちも、生まれ育った環境の中でしっかり子育てをされて育っていないいろんなことを経験していないのです。そんな状況で親になったら子育てできるかといわれたら、できないですよね?
しかし一方で、周囲からは「こどもの面倒を見ない親やな」と色眼鏡で見られ、孤立し、「助けて」といえないままさらにしんどくなっていく家庭も少なくありません。

こどもだけでなく、家族の暮らしをまるごと支える必要がある。そこで現在は、滞在型の親子支援にも力を入れています。

──どのようなものですか。

川辺:
親子と一緒に生活して、「当たり前の生活」を経験してもらいます。ご飯を作って一緒に食べる、朝、台所から包丁の音が聞こえてくる、起きる時間になったら起こしてもらえる…、そういうごく当たり前の生活を、経験してもらいたいのです。

(滞在型親子支援にて、朝食の風景)

「こどもも親御さんも、
安心して依存できる居場所になりたい」

(キッチンに立つ川辺さん。「他人ごとではなく自分ごととして何ができるのか、自分自身に問い続けてきました」(川辺さん))

川辺:
私自身、二人の子を育てながら活動を続けてきました。家族の理解があったからこそです。帰宅は深夜を過ぎることも多く、クタクタの状態でたまに実家に帰ると、母親が「おつかれさま」と晩ご飯を出してくれる。座っていたらご飯が出てきて、何なら「いつも大変やから、あんたは動かんくていいよ」と労ってくれる。本当にありがたいです。

私には全力で頼れる人がいます。けど、しんどい家庭の親御さんたちには頼れる人がいない。それはどうなんでしょうか。

──確かに。

川辺:
こども食堂を始めた頃、「こどもからお金もらわんのはわかるけど、親からはお金もらいや」とか「親も(食事を)無料にしたら、親のためにならへんで。甘やかしたらあかん、依存するで」と言われることがありました。

でも、甘えることの何があかんのでしょうか。依存することの何があかんのでしょうか。私も実家の母に頼りきりです。私は「よかったね」とか「がんばってるね」と言ってもらえるのに、一体何が違うんでしょうか。

(余暇活動の夏のキャンプでの一コマ。「たくさんの学生ボランティアとの2泊3日の最終日の朝食後に撮った1枚。みんなとてもリラックスしています」)

川辺:
安心して依存できる相手や場所があって初めて、その人は力を発揮していくことができるんやと私は思います。「甘やかしたら依存する」とか「自己責任やろ」とか、本当にそんな冷たい世の中でいいんでしょうか。
ある親御さんと一緒に区役所に行った時、担当の方に「親の代弁者はいりません」と言われたこともあります。おとなやから、全部自己責任なんでしょうか。でも、そうやって批判する方にも必ず、その人を支えてくれた人がいたはずなんです。

だから私は逆に、こどもも親御さんも安心して依存できる居場所になりたいと思っています。私は私のできることを、言った限りは全力で、寝食を共にしながら、つないだ手を離さず責任を持って支えたい。そういう覚悟で向き合っています。

(調理ボランティアさんと話すこども。「やりとりを通じて、関係が育まれます」(川辺さん))

周りの「関わり」が変わった時、
人は、変われる

(以前に団体が部屋を借り、支援していた母子。団体が借りていた一室に里帰り、リラックスした様子を見せた)

──川辺さんをそこまで駆り立てる思い、モチベーションは何でしょうか。

川辺:
「後悔したくない」というのが大きいです。活動を始めるずっと前の2003年の出来事が、根底にあります。

当時、私は西成の児童館で働いていました。夏休みになると毎日こどもたちが来るのですが、お昼の休憩で児童館を閉めても家に帰らない子がいたんです。
「なんで帰らへんの?」と尋ねたら、鍵をもたせてもらっていない、帰ってもご飯がない、ご飯を買うお金もないというので「こどもを一人置いて、なんてひどい親もおるもんや」と思いました。時々持参したご飯を一緒に食べながら、「今は大変やと思うけど、きっといいことがあるからがんばりや」と声をかけていました。

(こども食堂にて、隣に座った小さなこどもにご飯を食べさせる小学六年生の女の子。支援する・支援されるという垣根を超えて、地域の「つながり」が生まれる場所でもある)

川辺:
その後、こどもや親のことを専門的に学ぶ中で、親は親なりにそうならざるをえなかった事情があると知りました。でも当時の私は、自分の中で問題を解決するために、ただ親のせいにして、自分は応援している風でいい人ぶっていたんです。「他人ごと」やったんですね。

今でも「あの子はどうしてるやろう」と思います。そしてその度に「あの時、こうすればよかった」という後悔の念が湧きます。そんな後悔を、もう二度としたくないんです。

──そうだったんですね。

(「乳児がいれば、離乳食も作ります」と川辺さん。食を通じて、愛情で人がつながり、豊かな心が育まれるように)

川辺:
私自身、寂しくしんどい思いを経験したのもあります。こどもの頃は「この世から大人なんていなくなったらいいのにな」と思っていました。だからこどもたちのしんどさは想像がつくし、大人になってシングルで子育てしていた頃、財布に200円しかなくて、区役所に相談に行っても「若いんやから、もっと努力をして…」と軽くあしらわれて、塩を舐めながらご飯を食べたこともありました。あの時の自分に「大丈夫やで。先は明るいねんで」って言いたい気持ちもあるかもしれないですね。

過去に起きたことと人は変えることはできませんが、周りの「関わり」が変わった時に、人は変われるんだと思っています。変われないのではなく、変われる環境にないだけなんやと思っています。考え方ひとつで、もしかしたら「あの時はしんどかったけど、今そのおかげでこれができるな」といったように、過去の捉え方も変えられると思っています。

(「地域で困っている人をサポートし、助け合える場を作りたい。いつ、誰が来ても、誰かがいてくれる場所をつくりたい」。そんな思いから、滞在型親子支援とこども食堂、識字教室…、川辺さんが取り組む活動がひとつになった施設「にしなり☆つながりの家」の建設に向け、支援を呼びかけています。設計図を手に)

チャリティー使途

(「家でご飯を食べたり持参したりするのが難しい環境にあるこどもたちのために、月に1度、おにぎりを作って地域の中学校に朝食や昼食として提供しています」(川辺さん))

──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。

川辺:
今回のチャリティーは、滞在型の親子支援のために使わせていただきたいと考えています。こども食堂の食材はありますが、食パンとか牛乳とか、一つの世帯が日々の暮らしの中で必要になる食材については、団体の持ち出しで購入しています。今回は、こういった日々の生活に必要な資金として使わせていただきたいと思っています。

──貴重なお話をありがとうございました!

(2020年のクリスマス会終了後、支援してくださった皆さんとの写真です。たくさんの方に支えられて活動を続けてくることができました。こどもや親御さんたちが孤立しない、支え合える場を今後もつつくっていきたいと思っています」(川辺さん))

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

西成の事務所にお伺いしてお話を聞きました。こども食堂を開催されているというスペースは、初めて訪れる場所なのに何かほっとする、実家のような安心感がありました。
インタビュー中にも宿題をしに来る子がいたり、学校の先生や別の子から電話があったりと、川辺さんは終始お忙しそうにされながら、それでいてはつらつと楽しそうに、エネルギッシュに動かれる姿が印象的でした。分け隔てなく、どんと構えているようなやさしさ。まさに「地域のお母さん」というパワーを感じました。

・西成チャイルド・ケア・センター ホームページはこちらから

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パンや目玉焼き、トマトやベーコンなどの食材が、仲良く一つのお皿に収まっています。
おいしいご飯を一緒に食べ、空間を共に過ごすことで育まれる温かな心、やさしさやつながりを「ワンプレート」で表現しました。

“House+Love=Home”、「”家(という物理的なもの)”だけでなく、そこに愛があって初めて、温かい”居場所”が生まれる」というメッセージを添えています。

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