ALS(エー・エル・エス)、筋萎縮性側索硬化症。発症すると身体のあらゆる箇所の筋肉が萎縮して徐々に身体が動かなくなり、手足だけでなく、話したり笑ったり、最後には呼吸することすらできなくなってしまう原因不明、治療法未確立の難病です。
2010年11月末、一人の男性がALSと診断されました。
外資系広告会社「マッキャンエリクソン」のプランニングディレクターとして働いていた、藤田正裕(ふじた・まさひろ、通称「ヒロ」)さん(41)。10年前の2010年11月、31歳の誕生日を目前にALSの宣告を受けました。
「広告代理店で働く自分がALSになったのには、何か意味がある」と、次第に自由を奪われていく体と闘いながら、ALSを一人でも多くの人に知ってもらいたい、そしてALSを終わらせるための治療薬開発へとつなげたい、と一般社団法人「END ALS」を立ち上げ、活動してきたヒロさん。
ALSによって体の自由が徐々に奪われると、最終的には目を使ってのコミュニケーションしか残されていませんが、ヒロさんは今、最後のコミュニケーションの手段である目さえ動かなくなってしまう「TLS(TOTALLY LOCKED-IN STATE、完全な閉じ込め状態)の恐怖と闘っています。
発症から10年。今、ヒロさんは何を思うのか。
ヘルパーとして、ALSを発症後9年(ヒロさんはALSと診断された最初の1年間は、一人暮らしにこだわり、ヘルパーさんなどを依頼せずにお友達の方たちのサポートを受けて生活していらっしゃいました)にわたり、ヒロさんを日々支えてきた中野千秋(なかの・ちあき)さんにお話を聞くと同時に、ヒロさんにも今の思いを聞きました。
(ヒロさんと中野さん。2019年12月、「Merry & Bright 脳波で灯すクリスマス」にて)
一般社団法人END ALS
日本だけでなく世界中にALSの認知・関心を高めるとともに、厚生労働省や医療研究機関などに対し、迅速な治療法の確立と、ALS患者が可能な限り普通の生活、あるいは生活の向上ができるように働きかけることを目的に2012年9月に設立されました。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2020/11/30
(2020年9月頃。会話するヒロさんと中野さん)
──ヘルパーさんとして、ヒロさんをどのようにサポートしていらっしゃるのでしょうか。
中野:
毎日ヒロと会っていますが、日々の生活をよりヒロが望んだものに近づけるために、彼がどんな生活スタイルを望んでいるのか、どんなものが好みなのかを知り、現実化していくのが私の一番の役割だと思っています。当然ヒロと私はそれぞれ異なる一人の人間で、解釈には私のフィルターが入ってしまうんだけど、ヒロが望んだものをキャッチして彼の代わりに言葉にしたり動いたりすることで、ヒロが思うことを実現しています。
一分一秒休むことなく死と向き合っているわけなので、ヒロといるときは常にONの状態です。何かあった時に対処できる能力や知識は当然必要ですが、まずはヒロという人間を知っていくことが第一で、その上でALSという病気を知り、対応しています。
──ヒロさんの望んでいることを、どうやって言葉にしたり行動にしたりするのですか。
中野:
ヒロとよく会話すること、よく観察することです。
(2018年1月。雪の降った日、雪をつかみ思いがこみ上げてきたヒロさん)
──ヒロさんは現在、唯一動く眼球を使ってコミュニケーションをとっていると聞いています。「会話する」とはどういうことなのでしょうか?
中野:
基本はこちらが質問を投げかけて、それに対してヒロが「YES/ NO」の二択で目の動きで答え、そこをどんどん突き詰めて探っていくというのが基本的な方法です。ただ、「コミュニケーション」と一言で言っても幅が広く奥も深くて、それだけでは会話は成り立たないんですよね。
「YES」というひとつの返事にしても、ヒロにとって「本当に100パーセントぴったり!」の「YES」なのか、「まあまあそうかな」の「YES」なのか、「ほとんど違うけど、ちょっとそうかな」の「YES」なのか、いろんなバージョンがあります。その度合い、奥行きの見分け方としては、ヒロの目を動かすスピード、幅、反応までの時間もあるし、動物的な本能のところまで戻っていくと、ヒロの体温や脈拍、顔色、湿気の具合でも読みとることができます。
これまでの9年間を一緒に過ごしてきた中で、私が知っている限りの9年間のヒロのすべてと、今、目の前で感じとれるヒロのすべてを総合的に合わせて「何を感じているのか」を読みとります。私は9年間、ヒロという人間をそのために知ってきたと思っています。
(2020年10月、開発中の機械を将来的に商品化するために、定期的に脳波のデータを取る)
──そうだったんですね。もっと一方的なイメージでした。
中野:
言葉にするとすごく変な言い方になるかもしれないけれど…、あえて表現するならば、今でもヒロの声が「聞こえる」んです。人間が本来持っている本能的な感覚や感情、痛いとか、かゆいとか、うれしい、悲しい、気づいてほしい…目の前にいなくても、同じ空間にいるだけで、本当に聞こえてくるんです。
(2016年3月、中野さんのお孫さんと対面、赤ちゃん目線で会話するヒロさん)
(2015年に入院した時の一枚。「まるでヒロの闘病生活を表しているような写真です。薄暗い部屋がALSで、その中にとじ込められています。少しの灯りは未来への希望。大好きなパソコンと大好きなテレビを見ているヒロの、自分を見失わないように自分らしく懸命に生きる姿。そして部屋に1人きりでいる孤独の空間。誰も入れないこの部屋で、常にヒロは闘い生きています。これがヒロが伝えたい生き地獄のALSだと感じています」(中野さん))
中野:
物理的には動かないし、声も出さないし、表情もないよう見える、表面上ではそうなんだけど、感情豊かなヒロは昔と何も変わらなくて、その時々で、内心すごく笑ってるのもわかるし、怒ってるのも、拗ねているのもわかるんですよ(笑)。本人は認めないけど、すごくやきもち焼きだから、やきもち焼いてるのもね(笑)。そういうのがわかるから、笑えてくるというか。
変な話なのですが、健常者といる感覚と何ら変わりないんです。
ただ、体が動かないなりの対応や配慮は必要だし、ALSという病気がどれだけ過酷で残酷なものなのか、「注意事項」という一言では済まされない、壮絶な病と闘いながら生活する本人への理解も併せ持たなければいけません。
ALSになったことで、いろんなものを失っていく。その苦悩、葛藤、絶望、悲しみ…心で感じる苦痛と、だるさや痛みなど身体的な苦痛もあります。ヒロは毎日毎日、そこと闘っている。すごく苦しい時のヒロもいれば、楽しい出来事があったり友達と過ごしたりして、すごくやる気になっている時のヒロもいます。多面的にヒロを理解し、寄り添いたいと心がけています。
(2018年10月、幼馴染が集まったパーティで、乾杯の瞬間。「いつまでも変わらないファミリーはヒロの人柄そのものです」(中野さん))
中野:
すごく楽しくてすごく魅力的で、前向きな時もあれば、絶望の淵にあってどうしようもない時もある。それは本当にセットなんですよね。一緒に泣いたことも何度もあるし、一緒にいるのが苦しくて、ヒロが寝ている時や帰り道で泣いたことも何度もありました。
──「寄り添い」の例を教えていただけませんか。
中野:
ある時、それまで動いていた左の人差し指が動かなくなった瞬間がありました。それまでも動きづらさはあったんだけど、完全に動かなくなった時、ヒロが「動かない」と言って、すごく悔しそうな顔をして泣いたんです。その時、同情ではなく「それは悔しいよ。悔しくて泣くのは当たり前だよ」という言葉を返しました。ALSという病気は、体中の筋肉が萎縮し、動かなくなる病気です。だから指も動かなくなるよね、と。悔しいね、と二人して泣きました。
そしたらヒロが、ちょっと納得した感じで悔しい顔をやめて。それ以来、そのことで泣くことはありませんでした。
(2012年9月、腕にいたずら書きをされて、「まいったな〜」と照れるヒロさん)
──そうだったんですね…。
中野:
2013年に気管切開をして人工呼吸器を装着(※)する時、その前にヒロと話し合ったことがあります。生きるか死ぬかの話をしながら、お互いに覚悟を決めた瞬間がありました。先に寿命がくるのか、あるいは病気が治るかまでの間、この病気と一緒に闘っていこう、と。それから本当に、過酷すぎるぐらい過酷なことがいっぱいあったけれど、最初にお互い覚悟を決めたことだから、意見が食い違うことがあっても、その都度納得できる地点を見つけては歩んできました。私も、人生をかけてそこに向き合っています。
(※…ALSが進行すると自力での呼吸が困難になるため、呼吸補助装置をつけて生きるか、そのまま死ぬかの選択を迫られる。ALS患者の7割以上が、呼吸器装着という選択肢を選ばないという)
(2014年8月、アイスバケツチャレンジの動画を撮影。ヒロさんのお腹には「END ALS」の文字、頭には水たっぷりのバケツ!「前日から台本を何時間もかけて作り制作、演出、主演した作品です」(中野さん))
中野:
ただ生きるだけではなく、ヒロがヒロらしいスタイルやこだわり、「クソくらえだ」というALSへの姿勢を貫き通すために、可能な限り彼のイメージを実現できるよう努力してきましたが、私がどれだけがんばってもかなえられない、埋められない溝が一つあります。
それは、「自分はALSで、周りの人たちは皆ALSではない」というヒロの孤独です。
昔、「俺の孤独は誰にもわからない」と言ったヒロに、その時はまだ「そんなことないよ!」と応えたんですね。そうしたらヒロが「君はALSじゃないでしょ」と。超えられない壁、現実を思い知らされた瞬間でした。
(2020年8月。週に2日、お気に入りの車椅子に乗って過ごす)
──9年を振り返り、中野さんが最も印象に残っている出来事を教えてください。
中野:
うーん。いっぱいありすぎるし、どれも印象に残っているんだけど…。
最初にヘルパーとしてヒロのところに行くことになった時、その時はまだヒロは元気で、体も動いていたし話せていましたが、まだヒロのことを全然知らなくて、緊張もしていたし、会話も業務的なものだけでした。
ヒロが海が好きと聞いていたのですが、私が海に行った時に大きな貝殻を見つけて、「ヒロに見せてあげよう」と思って持って帰ってきたんです。だけど当時はまだ雑談できる関係でもなくて。
ヒロがベッドでテレビを見ていた時、その時はまだ指が動いたので、自分でリモコンのチャンネルを回していました。その時に「お話ししても大丈夫ですか」と話しかけたら「いいよ」と言ってくれて。「海とか好きですか?これ拾ってきたんです」と貝殻を渡したら、ヒロが「見せて」と言って、かざして見せた時に「すごいキレイだね」と言ってくれたシーンがありました。
これが、初めてヒロとプライベートのことを話した瞬間でした。
そこから始まったんだなと。そう思います。
(2012年、気管切開する前に、酸素マスクをつけたヒロさん)
中野:
もう一つ、印象に残っていることがあります。
先ほど「ALSである彼の孤独はどうやっても埋められない」という話をしましたが、ある時、私自身がALSになる夢を見たことがありました。すごくリアルで、生きるか死ぬか、何を準備しないといけないか、どうしようかと考えた時、少しだけヒロの気持ちがわかった気がしたんです。そのことをヒロに話したら、黙って頷いてくれた姿も印象に残っています。
(ヒロさんの部屋。「今年7月のイベントで描いていただいた絵をお部屋に飾り、いつも眺めています」(中野さん))
──ずっとヒロさんを見てこられましたが、9年間でヒロさんのALSに対する姿勢や気持ちの変化などは感じていらっしゃいますか。
中野:
ヒロがALSに感じている怒りや絶望、悔しさ、情けなさは何も変わっていません。だけど、姿勢に変化は感じています。
(2020年6月21日の「世界ALSデー」には、エアロゾル・アート・イノベーターP.H.A.S.E.2とコラボした新しいEND ALSチャリティーTシャツを発売。前の年の2019年12月に、P.H.A.S.E.2自身がALSによって命を落としている。ずっとヒロさんを応援し続け、END ALSとのコラボーレションを望んいたP.H.A.S.E.2の想いとTシャツの発売を祝し、2020年7月5日「SpeakeasyTYO(スピークイージー)」と共同で、渋谷CÉ LA VI Tokyoにて、音楽とライブアートのイベントを開催)
中野:
気管切開を受けてからの数年間、ヒロには「ふざけるな!ALSなんかに負けてたまるか!こんなのは俺じゃないんだ」という感情、「病気の自分を認めたくない」という気持ちが強く残っていて、精神のコントロールが難しくなり、うつ状態になったり感情の起伏も激しくなったりした時期がありました。そのくらいから、「自分はALSなんだ、俺は病気なんだ、病気の俺で生きていくんだ」というふうに受け入れるようになりました。
「俺が病気だということを、一緒に受け入れて欲しい」とヒロが言ってきた時、それまでは私もヒロと同じようにどこかALSを受け入れていなかったけれど、共に「患者なんだ、病気なんだ」という気持ちでの生活が再スタートしたのが、その時期でしたね。
──ALSを「受け入れた」ということなんですね。
中野:
「ALSを受け入れる」とはちょっと違うかもしれません。ALSのことは認めていないし大嫌いだし殺してやりたい、絶対に嫌だし許しても認めてもいないけど、今はここにいるんだ、それは変えられないんだ、ここにいるなりにやっていくしかないんだと、「ALSを受け入れた」というよりは「自分の立ち位置を受け入れた」という感じでしょうか。
(「SpeakeasyTYO(スピークイージー)」と共同のイベントにて、ライブペイントで描かれた絵と)
──ヒロさんがALSによって本当に想像もできない壮絶な闘いを強いられていること、命の脅威であり、この瞬間も過酷な選択を強いられていること、その苦悩は間違いないし変えられないことです。しかし中野さんのお話をお伺いして、一方でALSでさえも侵すことができなかった、藤田正裕という人間、体のすべての自由を奪っても奪えない、ヒロさんという生き方や人間性、ALSはすべては奪えない、ヒロさんは今も、ヒロさんとして生きているんだということを再認識したというか…改めて感じました。
中野:
「かっこいい」「ヒロは強い」と言っていただくことも多いのですが、でもヒロに言わせたら、「俺は大人なのに、ケツひとつ自分で拭けない。何一つできないんだよ」と。ALSになったことも闘病も、決してかっこよくないし、気持ちが折れることも、諦めたい時も、絶望を感じることも、不安で不安で先が見えないこともたくさんたくさんあるんです。一人だと決して強くないんだけど、共に苦しんだり悩んだり、思いをかたちにしてくれたり応援してくれる仲間がいるから、その度に「これじゃダメだ」と奮い立ってきたのだと思います。
この病気と向き合うしかない、逃げられないと覚悟を決めた上で、それでも彼のプライド、センスやスタイルを、あくまで自然体で実現させてきたのがヒロです。そういう魂の持ち主なのだと思います。
ヒロは、自分にとって本当に大切な人たち、家族や友人、仲間たちが自分のことでつらい思いをしていることもわかっていて、そんな姿を見ても自分でどうしてあげることもできないということに、耐えがたい思いを抱いています。
本人が一番ALSで苦しんでいること、つらい思いをしていることは間違いないけれど、一方で「それだけじゃないんだ、物理的には動かなくても、今これだけできているんだ」ということを伝えることで、周りの人たちが何か救われてくれたら、というのがヒロの優しさであり、大きな愛情です。
ヒロはきっと、そのこともずっと前からわかっていたんだと思います。周囲の人たちを悲しませないためにも、「ALSになっても自分らしくいられる環境」にこだわってきた部分があるのだと思います。
(2014年頃の写真。「字を書けなくても、話すことができなくても、顔で表情を作り、カンペを作ってお友達に想いを伝えていました」(中野さん))
(2019年12月、ヒロさんの部屋で開催された「Merry & Bright 脳波で灯すクリスマス」。「強く生きるヒロを慕う友人はたくさんいますが、声も表情もなくなってしまった今、ヒロの元を訪れる友人は減ってしまいました。友人たちと再び心を交わすため、自身の脳波とクリスマスイルミネーションを連動させて心の反応を光の色で表しました。脳波をクリスマスイルミネーションという親しみやすいもので表現することにより、『クリスマスは大切な人と心を交わしたい』という誰もが共感できる思いを心温まる形で実現しました」と話すのは、企画したTeam END ALSの尾崎さん)
今回、ヒロさんにいくつか質問をさせていただきました。
中野さんを通じて、ヒロさんからいただいたメッセージをご紹介します。
──ヒロさんがALSと診断されて10年になります。この10年を振り返って、どう感じていますか?
ヒロ:
元気な頃には想像も出来なかった。普通に生きてたら経験できない。凄まじい生き地獄の10年。すげーなオレ、よくやったなー!
──今、この病気をどう思っていますか。今でも強い怒りや憤り、負けないという気持ちですか?それとも何か違う思いを抱いていたり、感情が湧いていたりしますか。
ヒロ:
ALSを絶滅させる、絶対に勝つ!
でも、病気になったおかげで気づけた事があったし、いろんな人達に出逢えたのは良かった。
──この10年間で、気持ちとして変わった部分があれば教えてください。
ヒロ:
数年前まで怒り、憎しみ、絶望しかなかったけど、今少しずつ病気になった事で得られたというポジティブな気持ちも出できた。
──今一番大きい感情は何ですか?
ヒロ:
この苦痛から早く解放されたい、自分で息したい、水飲みたい、動きたい。
──ヒロさんが今、声を大にして訴えたいことや伝えたいことはありますか。
ヒロ:
早く治療法を見つけてほしい。
──END ALSとして今後挑戦したいこと、やってみたいプロジェクトを教えてください。
ヒロ:
SNS上でチャリティーに関わるイベントを企画していきたい。
──ヒロさんを応援している方たちに向けて、メッセージをお願いします。
ヒロ:
応援してくださっているみなさん、いつもありがとうございます。
今後も多くの方にALSを知ってもらい、1日でも早い治療法確立の為の活動をがんばっていきますので、これからも応援よろしくお願いします。
(毎年開催しているALS患者を描くデッサン会「Still Life」にて、ヒロさんを囲んでの記念撮影!)
11/30〜12/6の1週間、JAMMINのホームページからアイテムをご購入いただくと、1アイテム購入につき700円がEND ALSさんへとチャリティーされ、1日でも早くALSの治療法を確立するため、ALSの治療に関する研究を進める大学や医療機関への研究資金となります。
END ALS、ALSを終わらせるために。
チャリティーアイテムで一緒に応援してください!
(今回のコラボデザインのアイテムを早速着てくださいました!ヒロさん、中野さん、Team END ALSの皆さん、ありがとうございます)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
皆さんの過去の10年を振り返ってみてください。
その10年がもし、体の自由が奪われゆく10年だったとしたら、体を動かすことができず、食べることができず、話すことができない10年だったら、一体どんなことを思うでしょうか?
今回、4度目のコラボをさせていただきましたが、「この10年を振り返ってどう思いますか」という問いに「すげーな俺、よくやったなー!」と答えてくださったヒロさん。私だったら、どう思うだろう。どう答えるだろう。改めてヒロさんユーモアややさしさ、何よりも揺るがない「ヒロさん」を見せてもらった気がして、私はこの答えを見た瞬間、泣きそうになりました。
お会いしたことはないのですが、いつも心に触れて、元気をもらう気がします。いつかALSがなくなるその日まで、そして実際にお会いした時にいっぱい話できるように、私も負けずにブレずにやさしく強くありたいと思いました。
ヒロさんありがとう。
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目の中に広がる宇宙を描きました。
ALS患者のコミュニケーションのツールである目であり、ALSが終わる未来や希望の光を見つめる目でもあると同時に、ALSであっても失われない、その人の強さや可能性を表現しています。
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