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「病気と人間性は別物。難病でも強い人に」。難病「表皮水疱症」の子どもたちへ、エールを届けるパッケージ〜NPO法人表皮水疱症友の会 DebRA Japan

「表皮水疱症」をご存知でしょうか。ものをつかむ、ぶつかる、擦れるといったちょっとした刺激で皮膚が剥がれ、そこに水疱ができてただれる難病で、現在根治のための治療法はありません。
日本にはおよそ2,000人の患者がいるとされますが、知名度が低く、適切な治療をうけられないまま深刻な合併症を招く可能性もあるといいます。

この病気の啓発のために2007年から活動するNPO法人「表皮水疱症友の会 DebRA Japan」が今週のチャリティー先。代表の宮本恵子(みやもと・けいこ)さん(65)は、表皮水疱症の当事者として、精力的に活動を行ってきました。

JAMMINでは2018年12月にコラボしていただき、今回、2回目のコラボとなります。
団体立ち上げ当時から、DebRA Japanでは表皮水疱症の子どもとその家族に対し、肌にやさしかったり、あったら便利なアイテムを集めた「ハッピーパッケージ」をプレゼントしてきました。

「この病気を持って生まれてくると、なかなか周囲から『おめでとう』と言ってもらえない。だけど病気を除いたら、他の人と何もかわらない。日々のケアも病気と付き合っていくことも、決して楽ではないけれど、強く生きられる人に育ってほしい。このパッケージは、『仲間がいるよ』というメッセージ」と宮本さん。

「強く生きてほしい」と願う背景には、ご本人の歩んできた人生がありました。

(お話をお伺いした宮本さん。2020年8月、自粛生活の中、大好きな農園ファームレストランにて)

今週のチャリティー

NPO法人表皮水疱症友の会 DebRA Japan(デブラジャパン)

10万人に一人の稀少難治性疾患である「表皮水疱症」の理解を広める活動と、全国の患者とその家族や支援者との交流を行うNPO法人。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2020/11/16

カバンを持つ、寝返りを打つ…。
ちょっとした肌への刺激で皮膚が剥がれる難病

(表皮水疱症の子どもの手足。水疱は少しの刺激や摩擦で全身のどこにでも発症し、びらん(皮膚が剥がれた状態)になる。水疱とびらんの状態を繰り返すことで、手や足の指が癒着するのもこの病気の特徴的な症状だ)

──前回のコラボではお世話になりました。宮本さんは当事者として患者会を立ち上げてご活動されていますが、表皮水疱症という病気について教えてください。

宮本:
表皮水疱症は、ものをつかむとか擦れるとか寝返りを打つとか、日常のちょっとした刺激で皮膚に水疱(水ぶくれ)ができて剥がれてしまう難治性の皮膚疾患です。日常生活の中で、皮膚に何も触れずに生きるというのはほぼ不可能に近いです。刺激を受けた部分に水疱ができてめくれ、びらんになった状態が死ぬまで続くというのがこの病気の基本的な症状です。

日本には診断されている患者が1,000人、確定診断を受けていない方もあわせると2,000人ほどの患者がいるとされていますが、根治のための治療法は見つかっておらず、対処療法がメインになります。水疱は放置するとどんどん大きくなってしまうので、小さいうちに、見つけたらすぐ潰しては、毎日ガーゼ交換をして清潔にします。

(毎日入浴し、手早く処置ができるように事前に必要な材料を準備しておく。写真はケアに必要なガーゼや包帯、ハサミや注射針、テープや保湿剤、軟膏剤、アルコール綿、そしてドレッシング材いろいろ。「傷口にくっつく痛みを軽減するため、ガーゼに代わる材料として「ドレッシング材」という創傷被覆材を使用します。傷のある箇所や大きさなどに合わせ、形を変えたり切り込みをいれたり、固定しやすいように工夫する必要があります。さらにドレッシング材の固定と皮膚の保護、余計な刺激や摩擦を防ぐために、チューブ型の包帯や指用のグローブなどを使用します」(宮本さん))

──大変ですね。

宮本:
「水疱を潰してガーゼ交換をする」と聞くとそんなに難しくないように聞こえるかもしれませんが、皮膚はやけどでいうとかなり重症の状態(2度〜3度)です。さらに表皮水疱症患者の皮膚は治りも遅く、通常なら1週間ぐらいで治る傷口でもずっと膿んだような状態が続き、潰瘍になってしまいます。傷口から感染症にかかり、最悪のケースでは皮膚ガンになる恐れもあるため、1日の多くの時間をケアに費やす必要があります。

皮膚だけでなく、食道や口腔内の皮膚と同様に弱いのがこの病気の特徴です。目の粘膜、これも皮膚の一部なので、まぶたが開かなくなる方がいたり、食道もちょっとした刺激で破けてしまいます。食べ物が喉を通らず、栄養状態が悪化して食道狭窄になっててしまうと口からの栄養摂取が困難となり、体力が衰弱する方も少なくありません。

(ドレッシング材の固定と皮膚の保護、余計な刺激や摩擦を防ぐために、チューブ型の包帯や指用のグローブなどを使用する)

宮本:
患者会を立ち上げて13年になりますが、当事者として、この病気と共に生きていくことや予後についてしっかりと啓発し、患者さんの生活の質の向上を目指したいと思っています。傷口の対処はできても、日常生活の中でどんなことに気をつければ良いか、どんな可能性があるかまでは予測できません。生活や予後を含め、トータルでこの病気と向き合っていく必要があります。

──そうなんですね。

(皮膚の体温調整が難しいため、こまめな水分補給や携帯扇風機、保冷剤などが必須)

宮本:
日本の医療現場では在宅における創傷ケア支援の認知や理解が進んでおらず、傷口を清潔に保つためには毎日のガーゼ交換が必要ですが、当事者やご家族はそのために年に50万も60万もガーゼや包帯代に費やしているという現実がありました。

2009年に、在宅でのケアのために必要なガーゼや包帯の保険適応と、当時まだ無認可だった「ドレッシング材(創傷被覆材)」と呼ばれる特殊なシリコン製ガーゼの認可を求めて署名活動を行い、どちらも国からの保険適用許可を得ることができました。これが私たち患者会の活動の原点でもあります。
患者さんへの啓発活動の傍ら、新薬の早期認可などを求め、研究者の先生たちとも協力しながら国への働きかけも行っています。

(2009年6月から、全国各地で医療助成を訴えて署名活動を開始。わずか1年たたずに総数およそ44万筆が集まり、2010年2月には5家族11名で国会および厚生労働省に陳情を行った。同年12月にも、署名と意見書を提出した)

合併症で皮膚ガンに。
そこで直面した「生き方」

(確定診断を受けた頃の宮本さん。「同時に皮膚ガンの告知もあり、数少ない専門医の先生との巡り合わせから即入院、手術となり、退院まで4ヶ月近くかかりました。写真は、1999年12月21日、院内のクリスマス会でポラロイドで撮ってもらったものです」(宮本さん))

宮本:
私は44歳の時に皮膚ガンと診断され、その時に初めて表皮水疱症の確定診断を受けました。

──わりと遅めだったんですね。

宮本:
そうなんです。生まれてからずっとこの病気を抱えていましたが、入院するようなことはなかったし、元気でね。バリバリ働いていました。だけどこの時に皮膚ガンと診断されて、医師の先生から「宮本さん、ガンがリンパに転移していたら、足を切断するからね」と言われました。幸い足の切断は免れましたが、ちょうどそんな時、兄と親友の予期せぬ死に直面し、生きることについて考えさせられたんです。

──そうだったんですね。前回お伺いしませんでしたが、宮本さんは何のお仕事をされていたのですか。

宮本:
写真と書くことが好きで、短大を出た後、雑誌社や広告業界でライターやカメラマンをしていました。最初は経験も全然無かったんだけど、この性格だから(笑)、できないことも「できます!」とやる気と強気でゴリ押しして会社に入りました。
良い先輩に恵まれて、本当に一から教えてもらいましたし、あとは行く先々でやり方を盗んで、フリーとして頑張っていました。

いろんな雑誌社を渡り歩いた後、大手の制作会社で商業広告に携わっていました。やりがいもあったし、バブルの余韻で勢いもありました。しかし皮膚ガンが分かり、仕事の契約もすべて解消したんです。

(女性だけの企画制作会社で商業コピーやプロジェクトの立案、雑誌編集となんでもこなしていた30代の頃の宮本さん。「仕事もかねて、主に北海道内各地に取材旅行に出かけていました」)

──バリバリ働いて来られたなら、つらい選択だったのではないですか。

宮本:
その都度全力で取り組んでいたので、後悔は全くないです。

仕事といえば、30代後半の頃の出来事が印象に残っています。あるプロジェクトで、私が企画書を作りました。なので当然、クライアントの前でも私がプレゼンするのですが、上司が「宮本は外す」と。表皮水疱症のために、両手の皮膚がただれ、癒着して両手の指はくっついて「グー」の状態になっていました。それで私は外されたんだと。
なんとなくそういう雰囲気は感じていましたが、その時に「そんな目で見られていたんだな」と感じました。

でもその時に、一緒に働いてきた同僚が、上司に対して怒ってくれたんです。「宮本は力があるのに、見た目で人を分けるようなやり方は許せない」と。嬉しかった。
プロジェクトから外されたことよりも、私の実力をみて、それはおかしいと怒ってくれた、その気持ちが嬉しくて、その時に「やることさえきちんとやっていれば、見てくれている人が必ずいる」と強く感じたのを覚えています。

──そうだったんですね。

(大きな悩みの種が、最も刺激の大きい「靴」の選び方。「着脱しやすく硬すぎない素材、紐結びもしなくて済むような工夫も」(宮本さん)。洋服の縫い目や襟のタグなども刺激になるため、裏返して着ることもあるという)

宮本:
私は、特にこれから未来がある子どもたちに対して、「自分の力で、腕一本でやっていける方法を身につけた方が良い」とアドバイスしています。そこには、社会の一員としてバリバリ働かせてもらってきた、私の経験があるからかもしれません。

両足の皮膚ガンを切除し、その際、せめて鉛筆を持てるようになりたいと、手の指を開く手術を同時に受け、4ヶ月ほど入院しました。それまでのハードな仕事がポツンと終わり、先が見えず、体力も気力も衰えていました。だけど1年ぐらいした頃かな、「このままではダメだ」と思って。
「自分は何が好きかな」と考えて、美術館でボランティア募集をしていたのでそこに応募し、学芸員の補助のボランティアをしました。そこでも本当にいろんなことを学ばせてもらって。2007年に団体を立ち上げるまで約7年、そのボランティアをしていましたね。

(宮本さんに表皮水疱症の確定診断をした清水宏先生(中央)と。「清水先生との出会いがなかったら、難病を知らないまま、患者会を作ろうということもなかったはず。 清水先生は私の人生になくてならない存在です」(宮本さん))

「病気と人間性は別物だよ」。
同じ当事者に言われた一言

(2019年7月、大阪で開催した学習会にて。「小児科の先生や訪問看護師さんも一緒に参加してくれました」(宮本さん))

──宮本さんとは2018年のコラボ以来、SNSで近況をいつも拝見させていただいていますが、パワフルに本当に精力的にご活動されていますよね。今回お話を聞くことも大変楽しみにしていました。お話にもあった通り病気をものともせず活躍されてこられたわけですが、宮本さんご自身は、普通の学校に通われたそうですね。

宮本:
母が看護師だったので、日々のケアは慣れたものでしたし、家庭の中でこの病気に対する深刻さはそこまでありませんでした。
ただ、特殊なケースだとは思いますが、母は私のことを親戚や友達にことごとく隠していました。子ども時代の私は、常に母親からの庇護のもと、隠されて生きていたのです。毎日皮膚のケアをしてくれて私自身が母の支配下にあったし、物申すこともできませんでした。

中学受験で私立の女子校に入学し、そこからエスカレーター式に短大まで進みました。
カトリック系の学校だったこともあってか、皮膚のことを周囲から何か言われることもありませんでした。ただ、誰も何も聞かないし言わないけど、遠くからは見ているんですね。
「何、この子」という眼です。当時はわかりませんでしたが、きっとそれが、友達ができなかった原因なんでしょうね。中学高校時代を振り返っても、あまり良い記憶はありません。

(「同じ当事者として勇気をもらった、ニュージーランドのハンフリー君(左から4人目)、台湾のペイチンさん(左から3人目)、当時鹿児島県に住んでいた雄太くん(左から5人目)とレオ君(左端)。みんな病気に前向きで、また自分自身の世界観を持つ強さと輝きがありました」(宮本さん)。2012年7月、5周年記念アジア交流大会にて)

──そこからどんなふうにして、今のようにアクティブな宮本さんが築かれていったのでしょうか。

宮本:
転機は短大に入ってからです。外部から入学してきた人たちと仲良くなり、面と向かって心の中まで踏み込んで話せる友に恵まれました。病気とは関係ない、私の良さを認めてくれて、病気のことをあまりに気にしなくて良いんだと思えるようになったし、外へ外へと意識が向いていきました。

(2014年9月、フランスで開催された「デブラ・インターナショナル」パリ大会。「オランダ、ローマ大会に続き3回目の参加でした。仲良くなったスペイン、コロンビアのみなさんとコーヒーブレイク中の一枚です」(宮本さん))

宮本:
卒業後、親元を離れ東京に働きに出ると決めた時、母親は大反対しました。「あなたは結婚もできないし、一人では生きていけない」「ずっと面倒を見てあげるから、家にいなさい」と。母のことを反面教師に、そこからは母親から精神的に離れるためにも、なんでもチャレンジしてきました。

正直、いじめはあります。だけど、この病気のせいで自信を失ったり、後ろめたさを感じたりしてほしくないです。「ずっと私が側にいて、ケアをしてあげる」と思う親御さんもいらっしゃるでしょう。その気持ちもとてもよく分かります。

でも人はいつか、自らの力で立って生きなければならない時がきます。だから、そのためにこの病気のことをしっかり理解して、ケアも自分できるようになって、周りから何かを言われてもめげずに、正々堂々と生きられる人になってほしいと思っています。

(今年ネット販売がスタートした完全栄養チョコレート『andew』。「栄養摂取の困難さがあっても美味しく食べて周りと分かちあえるものを、という私たちの願いを、なんと北海道大学の医学生・中村恒星さんと管理栄養士の齋藤さんがかなえてくれました。今や社会現象を起こすほどの完売が続いています」(宮本さん))

宮本:
この病気は、痛いし痒いし、皮膚のことでしんどい思いをする上に、ケアにも多くの手間と時間が必要で毎日が平穏ではいられません。だけどそこを除けば、それ以外のことは、他の人たちと何も変わらず、自由に楽しく過ごすことができます。夢と生きる気力を持って、自分の人生を謳歌してほしい。心からそう願っています。

──「病気である」以前に、「その人である」ということなんですね。

宮本:
「デブラ・インターナショナル」は表皮水疱症の当事者家族はもちろん、医療者や研究者、支援者、スポンサー、医薬品メーカーなどが集まる世界的ネットワークで、その世界大会にも何度か足を運んでいるのですが、ある時、ニュージーランドの患者さんから言われたのは「病気のことはわかった。それで、あなたは何がしたいの?」ということでした。「病気と人間性は別物だよ」と。

──心強い言葉ですね。

(新型コロナウィルスの影響により、毎年開催している全国交流会を、今年は初めてオンラインで開催。「体調不良や外出が難しい状態でも、専門の先生に直接相談できたり、仲間との情報交流が楽しめることで新たな活動のスタイルとなると思いました。専門医の先生の講演では、患者家族ばかりではなく医薬メーカーや訪問看護師、他職種の関係者の方など60名を超える参加がありました」(宮本さん))

「正々堂々と、おめでとうを伝えたい」

(こちらが「ハッピーパッケージ」。「表皮水疱症の赤ちゃんのためのガイドブック等資料をはじめ、皮膚ケア用品、身にやさしい生活用品、身の回りの便利なグッズ、治療時の笑顔を創る知育玩具などおおよそ30品目をお届けします。 2020年度バージョンは、災害・感染対策用に、非接触型温度計、ウエットティッシュ、人にやさしい除菌・消毒スプレー、肌にやさしい国産マスクなどを追加しました」(宮本さん))

──団体として、表皮水疱症で生まれた赤ちゃんとそのご家族に「ハッピーパッケージ」を贈られています。ここにはどんな思いが込められているのでしょうか。

宮本:
患者会を立ち上げた当初から、入会してくださった方に、ケアに関する資料や肌に優しいアイテム、便利グッズを集めてギフトボックスにしたものを贈ってきました。「難病を持って生まれてきたことで、周囲から素直におめでとうと声をかけてもらえなかった」というお母さんの話を聞いたことがきっかけで、正々堂々と「おめでとう」と伝えられるものを贈りたいと思ったんです。

(2019年の全国交流会にて、この年に生まれた地元のご家族にハッピーパッケージの寄贈式を行った)

宮本:
表皮水疱症を正しく理解して日々のケアに生かしてほしいということ、当事者としてあると便利なものを贈るということ以外にも、このパッケージには「孤独や不安を打ち消したい」という思いが込められています。「一人じゃないよ。みんなは元気に生きているから、あなたも安心してね」、そうやって声をかけられるのは同じ患者同士だからこそ。生まれたことを心から祝福し、「一緒にがんばろう!」とエールを届けるものです。

(「ハッピーパッケージは豪華すぎてびっくり、大切に使いますと、赤ちゃんと一緒の写真を送ってくれました。『自分の知らないものが盛り沢山の宝箱、本当に嬉しかった』と、ご家族で喜んでもらっています」(宮本さん))

──もらったら、嬉しいですね。

宮本:
表皮水疱症だからといって何も特別なものは入っていません。
肌に優しい、素材にこだわったタオルや100円ショップに売っているグッズなど、ケアするうえであると便利なものをチョイスして贈っています。あとはちょっとしたサンプル品ですね。「こういうのもあるよ」というお試し的な感じで贈っています。

私たちにとって良いものは、普通の方たちにとっても良いもの。病気や年齢にかかわらず、ご家族で喜んで使っていただけるような「良いもの」選びにこだわっています。

(「皮膚のケアに毎日使う衛生材料や生活用品は白いものが多いですが、それだと『病人』に見られやすくなります。札幌市内の藍染師の方と出会い、どんな物も染めてくれることから、抗菌や消臭効果も高くなる今治タオル(写真左)やチューブ型包帯(写真右)など藍染していただきました」(宮本さん))

チャリティー使途

(今現在、世界的に表皮水疱症の治療研究や治験が推進されている折、日本でも新薬の早期承認を訴えるために表皮水疱症当事者と家族の声をまとめ請願書を作成。「確実に届けるべく、北海道選出の佐藤英道代議士に託しました。年内にも厚生労働大臣のもとへ陳情に出向く予定です」(宮本さん))

──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。

宮本:
表皮水疱症の患者さんとそのご家族へ、ハッピーパッケージを届けるための資金として活用させていただきたいと考えています。
この事業を団体のひとつの柱に、ゆくゆくは表皮水疱症の方がDebRA Japanで働けるようなしくみを作っていけたらという夢も抱いています。ぜひ、応援していただけたら嬉しいです。

──宮本さん、今回も貴重なお話をありがとうございました!

(友の会に入会当初は小さかった子どもたちが、今は中学生、高校生、大学生、社会人として成長。「2019年12月、全国交流会2日目の一枚です。友の会の活動にも積極的に協力してくれる貴重なメンバーたちと」(宮本さん)))

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

北海道にお住まいの宮本さん。今回はテレビ会議にてインタビューをお願いしたのですが、バイタリティーはご健在で、なんと3時間(!)も話してくださいました。
幼い頃から就職、そして団体を立ち上げるまでのお話をお伺いし、宮本さんの信念、お話するたびにいただくパワーの源がどこから来ているのかを垣間見た気がしました。
たとえ病気があっても、誰しもが豊かな人間性を育み、夢を持ち、それをかなえるために努力したり試行錯誤したり、時には失敗も経験しながら、いきいきと輝き、自分らしく生きられることを願って。

・表皮水疱症友の会 DebRA Japan ホームページはこちらから

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その繊細さから、表皮水泡症のモチーフとして描かれることも多い蝶。繊細な羽を持ちながらも、美しく舞う姿を描きました。

“Never hide your wings”、「あなたの羽を、隠さないで」というメッセージを添えました。

Design by DLOP

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