CHARITY FOR

重度障がいのある我が子が、親なき後も「いつもの街で いつもの暮らし」を送れるように〜NPO法人障がい者より良い暮らしネット

日本には約503万人の身体障がい者・知的障がい者がいて、そのうち約485万人が在宅(身体障がい者419万人・うち在宅412万人、知的障がい者84万人・うち在宅73万人)で暮らしています(内閣府「平成30年度 障害者白書」より)。
医療の進歩によって重度の障がいがあっても長く生きられる命が増えた一方で、介護者である親や家族が老いた時、あるいは亡くなった時に彼らの生活がどうなってしまうのか、考えたことがあるでしょうか。

「親亡き後も、いつもの街でいつもの暮らしを」。
そう訴えて活動するのが、今週JAMMINが1週間限定でコラボするNPO法人「障がい者より良い暮らしネット」です。

代表の服部美江子(はっとり・みえこ)さん(67)はじめ重度障がいのある子どもを持つ親たちが中心となり、障がいのある人たちの幸せを願ってこれまで12年にわたり啓発活動を行ってきました。今回は「重度障がい者の地域の暮らし」の実現を中心に、活動についてお話を聞きました。

(お話をお伺いした服部さん(左)と長男の剛典さん。剛典さんは福岡ソフトバンクホークスの大ファン。「ペイペイドーム球場」に応援に行った時の一枚)

今週のチャリティー

NPO法人障がい者より良い暮らしネット

福岡市を拠点に、親亡き後の障がい者の生涯にわたる安心、安全、尊厳が守られた自立した暮らしと、地域社会との共生が可能な社会の実現を目指して活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2020/8/24

「親亡き後も、暮らしてきた地域で
同じように暮らし続けられる社会を」

(団体副代表の並松富美代さんと長男の健輔さん。「食事は一さじずつ口に運んであげます。43年間、一日も休むことなく続けてきました」(並松さん))

──今日はよろしくお願いします。まずは団体さまのご活動について教えてください。

服部:
重度障がい者が親亡き後もそれまで暮らしてきた地域でそれまでと同じように暮らし続けられる社会を作りたいと、重度障がいのある子の親たちが集まり、12年前の2008年に活動をスタートしました。

活動を始めたきっかけは、息子が通っている施設の仲間のお母さんが急死したことでした。ひとり親のご家庭だったため、遺された弟たちには障がいのあるお姉さんのお世話をすることが難しく、彼女はこれまで暮らしてきた地域を離れ、家族からも仲間たちからも離れ、遠くの入所施設に入ることになったのです。

地域に受け皿がないために、これまでの生活から切り離され、縁のない遠い場所で暮らさなければならない。そのことが悔しいと感じた一方で、そのことは彼女に限ったことではなく、どの障がい者も同じ運命にあるのだと自分の子どもたちの置かれている現実を突きつけられる出来事でした。どうにかできないかと周囲に声をかけて勉強会を始めたのが、活動のきっかけです。

現状をなんとか変えたいと講演会や勉強会をしたり、議員さんたちに働きかけたりと啓発活動に力を入れてきました。この12年で制度も少しずつよくなった部分もありますが、「地域に重度障害者の暮らしの場がない」という問題はほとんど改善されておらず、一昨年より「重度障がい者の地域の暮らしの実現」に焦点を絞って活動することにしました。

(2019年は地域の主だった家族団体や事業者等と協働して実行委員会を立ち上げ、フォーラムを開催。「7月には、北海道伊達市から重度者グループホームを運営している社会福祉法人伊達コスモス21統括事業管理者(現理事長)の大垣勲男氏をお迎えして基調講演をいただきました。その後シンポジストとして福岡市保健福祉局障がい企画課長、市議会議員などにご登壇いただき、課題の整理と展望などを話し合いました。福岡市市民福祉プラザのホール約250席はほぼ満席で、危機感を強く持つ方たちが多いことを改めて思いました」(服部さん))

在宅以外の障がい者の「暮らしの場」とは

(「息子の生活介護のお迎えに来てくださった国光力さんと」(服部さん))

服部:
息子の剛典は41歳の今でも、両親の家で暮らしています。平成30年に当会が独自に行った「地域の暮らしの場に関するアンケート」では、身体障害者手帳1級の方は98人あり、その中で家族と暮らしているのは95人という結果でした。つまり「97%の人が家族介護を受けながら家族と生活している」という実態が明らかになりました。

昨年9月の市議会では、福岡市に20歳以上の重症心身障害者は推計500人いると答弁されました。そのほとんどが在宅なのです。

──在宅以外ではどのような生活の場があるのですか。

服部:
障がい者の暮らしの場には「施設入所支援」「療養介護」「共同生活援助(グループホーム)」の制度があります。

「入所施設」とは、主に夜間において入浴や排泄、食事等の支援を行う場所、「療養介護」は、医療と常時介護を必要とする人に、医療機関での機能訓練や療養上の管理・看護、日常生活上の援護などを行う施設です。こちらは入院を伴います。「共同生活援助(グループホーム)」は1989年に制度化された新しい暮らし方で、「地域での暮らしを望む知的障害者に対し、日常生活における援助等を行うことにより、知的障害者の自立生活を助長することを目的とする」として始まりました。

入所施設は資料でみると定員が約30人~400人を超えるところもあります。それに対してグループホームは数人〜最大で10人の2ユニットと比較的小規模で、かつ地域の中にあるアパートやマンション、一戸建てなどで、より家庭に近い環境で生活できると考えます。

入所施設は多数の職員さんがいて、たくさんの入所者全体を見ながら個別に介助や生活支援を行います。グループホームはその規模に応じた職員で少人数の入居者の介助や生活支援を行います。一人ひとりに対する「まなざし」というか、そんなことに違いが出るような気がします。

(「国光さんとは、生活介護での餅つき大会で餅も一緒につきました」(服部さん))

重度障がい者がグループホームに受け入れられない現実

(2011年7月、日本理化学工業株式会社会長の大山泰弘氏を迎え、初の講演会を開催。「活動を応援してくださるご家族、事業者、大学の先生方のご協力のおかげで600席を埋めることができました。写真はボランティアで働いてくださった皆さんです」(服部さん))

──「重度障がい者の地域の暮らしの実現」のために、重度障がい者のグループホームの実現に向けて動かれていますが、重度障がいのある方たちがグループホームで生活することは難しいのですか。

服部:
障がい者は、「障害支援区分」によって多様な特性や心身の状態に応じて必要とされる支援の度合いが決められます。1〜6の6段階の区分があり、区分1〜2は比較的軽度の障がい、一番重いのが区分6になります。

下のグラフは、厚生労働省の調査研究事業の報告書から引用したもので、青い線は障害認定調査を受けた全障害者数、赤い線はグループホーム入居者数です。

服部:
区分2~4は両方の数はほぼ一致していますが、区分5と6は乖離しています。全入居者のうち、重度障がいになってくる区分5の人は10.6%、区分6の人はたった7.7%しかいない、つまり重度者がグループホームで暮らしているのは限定的だということがわかります。福岡市でも、グループホームに入居している方の平均は「区分3.3」であることが2019年9月の市議会で答弁されました。

──なぜ、受け入れてもらえないのですか?グループホームが障がいの重さによって入居者を限定しているのですか?

服部:
いいえ。グループホームが障がい者の区分を限定するということはありません。ただ、たとえば区分5〜6の重度障がい者の場合24時間の介護が必要にケースが多くなりますが、今の介護の制度では24時間介助のための財政的な支援がありません。

つまり重度障がい者を受け入れるとなると、介助に必要なヘルパーさんを雇う資金などをグループホームがカバーしなければならず、経済的に大きな負担になるという現実があるのです。であれば24時間の介護は必要としない、比較的軽度な障がい者を受け入れる方が、事業として安定するのです。

今、初めて向き合う
「親亡き後の障がい者が、地域でどう暮らしていくか」という課題

(並松さんと長男の健輔さんは現在でも週に1回、リハビリのために通院し、筋の緊張をほぐしたり体幹維持などを行う)

服部:
日本の制度は、介護が必要な障がい者に対し「家族が介護すること」を前提とした成り立ちになっていると感じています。当事者が何歳だろうとどういう障がいであろうと「家族が介護すること」がまず大前提にあって、その不足分はヘルパーなどを派遣して補いますよ、というのが日本の制度なのです。

私も他のメンバーも、あと数年で70歳になろうとしているのですが、皆、自宅で我が子の介護をしています。逆に言えば、そうするより他にありません。しかし介護する親の高齢化も進み、また親亡き後という課題について考えた時、「たとえ障がいがあったとしても、青年になれば親元から自立して暮らすことができるような社会の整備が必要だ」と長きにわたって訴えてきましたが、それはかなわないままに今日まで来ています。

──なぜ、整備は行われてこなかったのでしょうか。

服部:
医療の発達によって、以前は長く生きられなかったような障がいでも長く生きられるようになったということが一つあります。「親亡き後の障がい者が地域でどう暮らしていくか」という問題は今、私たちの世代が初めて向き合う問題かもしれません。

もう一つは、私たちが子育てしてきた時代は療育は母子共に通園し、養護学校でも学校内待機などで母子が分離する機会は多くありませんでした。放課後等デイサービスやホームヘルパーも最近できた制度なので、それまでは母親は我が子にかかりきり、日々介護に明け暮れる日々を送ってきました。
そのため、自分の困りごとや将来の不安に向き合う余裕もなく、社会に対し声を上げることもできにくかった。だから要求などの声が政治に届きにくかったということがあると思います。

──今やっと、この課題が発信されてくるようになってきたのですね。

服部:
「地域に受け皿がない」という点では、長期的な暮らしの場もそうですが、「ショートステイ(短期入所)」も少しずつ数は増えてきたものの、まだまだ足りていないと感じています。

親御さんたちにもレスパイト(一時的な休息)が必要です。同時に、ショートステイで外泊を体験することは、障がい者本人の自立にとっても必要な経験です。しかしショートステイも、資金面からなかなか運営が難しく、数が増えないという現実があります。
たとえば夜間の泊りの施設には、重度の場合では火災が起きた時などに備えてスプリンクラーの設置が必須になりますが、何百万円というお金がかかってしまうため、事業として参入するにはハードルが高い。自治体が費用を保証するなどというかたちにしていけば、もっと数が増えていくのではないかと思いますね。

(仲間たちとの1泊旅行。「ボランティアさんが協力してくれました。船にも乗りました。外付けスロープが車いすに合わなかったため、ボランティアさんが抱えて乗船しました。秋のキラキラとした日差しの中、皆で楽しめたのはサイコーの出来事でした」(服部さん))

「尊厳の守られた暮らし」とは

(「我が家は3人きょうだいです。いつも障がいのある長男を中心にして遊んでいました」(服部さん))

──障がい者が地域で暮らしていく、暮らせるような社会を築いていくためには、何が必要でしょうか。

服部:
国が重度者の地域移行を積極的に進めるだけの施策が必要です。それを大前提にした上で、地域の理解や寛容さも必要だと思います。

グループホームをつくるとなった時、その地域で住民による反対運動がよく起こります。それは障がいのことを知らないことからくる偏見、差別、無理解や不寛容だと思っています。「ダイバーシティ」という言葉が各所で聞かれるようになりましたが、この世の中には障がい者に限らずさまざまな方たちが生きています。健康な人でも高齢になると誰もが何らかの障がいを持つようになります。偏見を捨てて、寛容な心を持って受け入れてほしいと思います。

(赤ちゃんを抱く剛典さん。「成人した今でもきょうだいはとても仲良しで、剛典は甥や姪の誕生を心から喜びました」(服部さん))

そこには、教育が大きく影響すると考えています。
私の子どもたちが幼稚園や小学校に通っていた頃、障がい児が幼稚園や保育園、小学校で受け入れてもらえることは稀でした。障がいのある幼児は療育施設へ、小学校の入学は養護学校(今の特別支援学校)へ振り分けられました。普通小学校に養護学級を併設している学校もありましたが、多くはありませんでした。そんな時代は長く続き、障がい児者は地域社会から分断され見えにくい存在となりました。だから障がい児者を見る機会、障がい者と触れ合う機会を体験することなく、障がいを知らない大人たちが圧倒的多数になり、障がい者は不気味な存在になってしまったのです。

(年に1回の総会にて、メンバー全員が揃う。「頼もしい仲間たちです」(服部さん))

服部:
障がいのない子どもたちが幼児期に障がい児と共に時間を過ごす、という体験は、「肌感覚」で障がいを理解できるようになり、その後、障がいを受容できる大人になっていくのだと思います。
たとえばきょうだい児は、生まれたときから自分に都合の良いことも悪いことも含めて障がいと共に育ちます。歩けない、見えない、聞こえない、うまくミルクを飲めない、うまくしゃべれない、音に敏感すぎる、光が目に痛い…など、一人ひとり違った育ち方をすることを共に暮らす中で理解し、受け入れ、時には抵抗や反発もしながら、普通に一緒に暮らします。そこには恐れや不気味は一切ありません。

──「尊厳」とは何でしょうか。

服部:
命が守られる、人としての誇りが傷つけられない、人として大切にされる、自由を奪われない、というようなことだと考えます。
グループホームも一定の集団生活なので、もちろん合わせなければいけない部分や制約はあるでしょう。でも、命の安心と安全が保証され、それが大前提としてあって、その中で最大限に自由が尊重される尊厳ある暮らし、を守ってやりたい。親としてそう思います。

ALS患者の嘱託殺人の事件がありました。さまざまな意見が飛び交う中で、ALSで国会議員の船後靖彦さんが「『死ぬ権利』よりも、『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切」とブログの中で書かれていました。
介護する親御さんたちも、それぞれ大変な思いをしています。我が子の面倒を見るのは当たり前だけど、子どもが成人した後、30歳40歳になってもずっと介護が続いた時に、親にも人生があって、親も救われたいという思いが私自身ありました。そのためにも、障がいのある人が尊厳を持って生きられるシステムが必要ではないでしょうか。

(「毎年1回『感謝の集い』を開催します。 地域の方、お世話になった方などにお声をかけてお礼の気持ちをお伝えします。会話や食事を皆で楽しみ、最後はゲームもして楽しい時間を過ごします」(服部さん))

「我が子の幸せを見届けたい」

(グループホーム実現に向けて、福岡市社会福祉協議会の皆さんとの打合せ)

服部:
2020年4月、5人の親たちが重度者グループホームを、現在の制度の中で、親たちと事業者が協働する形で実現する試みを始めました。

現制度では事業者のみで重度者グループホームはほぼ作られないという中で、親たちが発揮できる力は発揮し、地域にある社会資源を活用しながら、知恵と力を出しあって課題解決につなげたいという思いからです。まず手始めに福岡市社会福祉協議会の「社会貢献型空家バンク事業」に相談し、第1回目の話し合いを持ちました。その後、一般社団法人「古屋空家調査連絡会」の皆さんからもご協力をいただけることになりました。

──服部さんのモチベーションを教えてください。

服部:
「我が子の幸せ」もありますし、障がいのある人たちが地域で幸せに暮らせる場の実現も見届けたいです。ただ、活動のエネルギーは「怒り」です(笑)。
これまで「本当に困っている」と声をあげてきたのに耳を傾けなかったり、理解されなかったり、何の手立ても講じられなかったりといったことも多くあり、そのようなことに対する「怒り」です。

そんな中でも、私たちの困りごとに真摯に向き合い、新規事業を立ち上げたり、行政に働きかけたり、知恵や力を貸してくれたりして力になってくださった方々も大勢いて、そんな人たちに囲まれながら一緒に活動できることはこの上なく幸せで幸いなことだと感じています。我が子の幸せを見届けたら年齢的に力尽きるだろうなあと思いますが、今後は同じ志を持つ若い方たちがあきらめずに問題に立ち向かっていけるよう、成果とその記録を残したいと思っています。

(一般社団法人「古屋空家調査連絡会」との面談。左から中川理事、川上建築士、長谷川代表理事)

チャリティー使途

(「昨年、クラウドファンディングで絵本『すぺしゃるなどんぐり』を作りました。私たちが想いを込めて広報活動をすればするほど専門的かつ内側に向かった発信になってしまい、一般の方との距離が遠ざかっていくとプロの広報マンが危惧し、自発的に企画を立てて制作に乗り出してくれました。一般に知っていただいてこそ新しい波が生まれると楽しい絵本に仕立て、保育園、幼稚園や病院など約800冊を配布しました。両親を亡くしたどんぐりくんが木から落っこちた先は…。動画もアップしているのでぜひご覧ください」(服部さん)動画はこちらからご覧いただけます

──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。

服部:
グループホームが完成するまでの工程を、冊子としてまとめたいと考えていて、今回のチャリティーは、そのための資金として使わせていただきたいと考えています。私たちはこれまですごく苦労してきたので、どういう風にして開所にこぎつけたのか、一冊の冊子にまとめることで、同じように希望を抱いて活動されている方たちに伝えられたらと思っています。

──グループホームを開所するだけでなく、そのノウハウや思いを、次の世代へとつないでいくバトンになるものなのですね。貴重なお話をありがとうございました!

(事務所が入居している「福岡市市民福祉プラザ」で毎年行われる「ふくふくまつり」で手作りおでんを販売。副代表の樗木律子さん(左)と並松富美代さん(右)。「地域の人たちに喜ばれている、と信じています(笑)」(服部さん))

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

昨年の4月からスタートした就労継続支援B型事業所「三休」でも、家庭のご事情によって地元を離れ、馴染みのない場所で新たな生活することになった利用者さんがいました。
あまり感情を表にするタイプの方ではなかったのですが、最後の通所日に「さみしいね」というと、目に手を当てて「かなしい」という素振りを見せた姿が今でも目に焼き付いています。「家族と暮らせなくなった時、障がいのある人たちはそれまでの自由が奪われてしまうのか」という壁を、私たちも感じていました。

今回、服部さんにインタビューさせていただく中で、「生きるとは」「尊厳とは」ということについて改めて考えさせられました。誰も他人の自由を奪うことはできません。ただその時に、一人ひとりにとって「自由とは何なのか」を今一度、見つめ直す必要があるのではないかと感じました。

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風船や気球に吊られて空飛ぶベッドと車椅子を描きました。
一人ひとりが生きたい場所で、生きたいように生活できる地域社会をつくっていこう、という願いが込められています。

“We all have a bright future”、「私たちは皆、同じように明るい未来を持っている」というメッセージを添えました。

Design by DLOP

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▼【朗読絵本】すぺしゃるなどんぐり/障がい者より良い暮らしネット【自主制作アニメーション】

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