フィリピンのある島で、旧日本軍戦没者の慰霊碑を守りながら「現地の人たちとの協働によって、よりよい社会をつくりたい」と、1997年より活動するNPO法人があります。
今週JAMMINが1週間限定でコラボするのは、NPO法人「イカオ・アコ」。
「イカオ・アコ」は、フィリピンの言葉で「あなたと私」という意味。その言葉通り、これまでイカオ・アコは、現地の人たちと協力しながら、破壊されたフィリピンのマングローブ林の再生をはじめとする様々な活動を行ってきました。過去23年間で植えたマングローブは、175万本になるといいます。
「第二次世界大戦では、フィリピンで50万人の日本人戦没者が出ました。フィリピン各地に戦没者慰霊碑がありますが、戦後75年が経とうとしている今、慰霊碑を訪れる日本人はほとんどいません。他方、現地の方たちからすると、戦没者慰霊碑に特別な思い入れがあるわけでもありません。
私たちが一方的に思いを寄せるのではなく、現地の方たちと一緒に、現地の方たちの生活を改善するための活動を通じて友情を育むことができたら。これまで植えた175万本のマングローブは、フィリピンと日本の友情の証でもあります」
そう話すのは、イカオ・アコ代表の後藤順久(ごとう・よりひさ)さん(66)。活動について、お話を聞きました。
(お話をお伺いした後藤さん)
NPO法人イカオ・アコ
フィリピンを拠点に、主に森林破壊に関する環境問題について実態を調査し、住民と協働しながら課題解決のために取り組むNPO法人。持続可能な支援と生活を目指し、現地の人たちへの教育や職業訓練、収入向上のための支援なども行っています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2020/6/8
(活動拠点の一つである「バラリン村」にて、小学校の環境教育の一環としてマングローブの植林を実施した時の一枚)
──今日はよろしくお願いします。まずは、貴団体のご活動について教えてください。
後藤:
フィリピンにある「ネグロス島」と「ボホール島」という二つの島で活動しています。活動内容は多岐に渡りますが、メインのプロジェクトとしてマングローブ林の再生を行っています。団体立ち上げ当時より23年間ずっと活動を続けており、植林したマングローブは累計175万本にもなりました。
──すごい数ですね!
(再生した15ヘクタールものマングローブ林が広がる、「バラリン村」にあるエコパーク。建設した高さ13メートルのタワーからは、再生したマングローブ林を見渡すことができる)
後藤:
私たちの活動の特徴として、ただ我々が行って植林するのではなく、現地の方たち、住民や子どもたちと一緒に植えるということを大切にしています。植えるだけ植えて「ハイ、さよなら」ではなく、日本人のスタッフが現地に駐在し、現地の方たちと一緒にメンテナンスを行ってきました。
スタッフが駐在するようになると、現地の課題が他にもいろいろと見えてくるようになりました。そこでマングローブ植林の他にも、森林伐採によって荒れてしまった山にコーヒーやマンゴーの木を植林したり、そのために水道を引いたり、化学肥料をつかわない有機農業で現地の人たちの生活の向上にも取り組んでいます。
いずれにしても、日本人が一方的な支援を行うのではなく、「現地の方たちと一緒に取り組むこと」、「交流して友情を育むこと」を大切にしています。これまでの活動の甲斐あってか、活動をスタートしたネグロス島では、街中で歩いている方に声をかければ、半数ぐらいの方が私たちのことを知ってくれているのではないかなと思います。
(現地の住民団体と一緒に活動しているイカオ・アコ。こちらの写真は、日本から訪れたボランティアさんたちに、現地の住民団体のスタッフが植林の方法をデモンストレーションしているところ)
(日本人戦没者の慰霊碑前の鳥居にて、スタディツアーに参加した高校生のワンショット。この慰霊碑は、イカオ・アコ立ち上げのきっかけを作った土居潤一郎さんたちが建設したもの。戦争を知らない若い世代にとって、ここを訪れることが平和について考える一つのきっかけになる)
──活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか。
後藤:
第二次世界大戦中、日本軍の通信部隊の小隊長としてネグロス島に駐在していた土居潤一郎(どい・じゅんいちろう)さんという方の呼びかけがきっかけです。
戦後日本に帰国した土居さんは、1960年代にネグロス島を再び訪問し、フィリピンに取り残された日本人や日系2世3世の方たちの困窮した生活を目の当たりにして「なんとか力になりたい」と私財を投じて支援にあたられました。土居さんの支援は日系人だけに留まらず、「戦時中、フィリピンの方たちに大変迷惑をかけた」と、地域への支援も積極的に行っておられました。
(1999年の写真。白い帽子をかぶっているのが土居さん。良質の苗を選択して植林サイトに運ぶため、現地の子どもたちもお手伝い)
後藤:
土居さんの人柄が伝わるこんなエピソードがあります。
ネグロス島の「シライ市」の中心に、古くて歴史のある立派な教会があります。戦争中、小隊長をしていた土居さんは、上司から「山に逃げ込む前に、その教会を爆破しろ」と命じられました。教会の中には現地の方がたくさん避難しています。それを知った土居さんは「爆破は無理や」と、投下すべきはずの爆弾を海の中に投げ捨て、軍上層部に「爆破してきました」と報告したといいます。もし教会に爆弾が落とされていたら、そこで多くの命が失われたでしょう。そして現地の方たちの日本へのイメージは、今に至るまでずっと悪いものになっていたでしょう。
──正義感あふれる方だったのですね。
(植林に参加した、現地シライ市の高校生たち。「学校に帰ってから、お友達やご家族に、楽しかった経験談を共有してくれると信じています」(後藤さん))
後藤:
戦後50年になる1995年、現地の人たちの生活が安定してきたことを受けて「現地の人も含め皆のためになることをやりたい」と土居さんより私に声がかかり、共に現地を訪れてマングローブを植えました。相談を進めながら1997年には団体を立ち上げ、現在に至っています。土居さんは活動をスタートしてから10年ほどで亡くなられました。
──後藤さんは、もともと環境問題などに携わられていらっしゃったのですか?
後藤:
はい。大学院を修了した後、シンクタンクの研究員として環境問題に関わる調査研究を行っていました。その後は大学教員として環境問題に貢献する人材の育成をしていました。
──そうだったんですね。
後藤:
土居さんの意志を引き継ぎ、慰霊碑を守りながら、現地の人たちと手を取り合って、彼らにとっても意味のある活動をしていくこと。それが私たちの活動の根底にある思いです。
(イカオ・アコが主催しているスタディツアーでは、日本から参加した高校生と、現地の高校生が二人一組でバディを組んで1週間を過ごす。「お別れの時はみんな大泣きです。日本に帰ってもSNSでつながり、一生の友達ができます」(後藤さん))
(「マングローブ林は多様で一言では説明しきれませんが、『塩分のある汽水域で育つ植物群』です。写真のようにヒルギ科は支柱根が多く生えてきて、今にも動き出しそうな格好をしています」(後藤さん))
──23年間で175万本のマングローブを植林されたということですが、マングローブ林は破壊されていたのでしょうか。フィリピンのマングローブの状況や歴史について教えてください。
後藤:
まずはマングローブについて、一つの名称だと思われていることも多いのですが、海水と淡水が混ざり合う「汽水域」に生える植物の総称が「マングローブ」です。世界には80種類以上のマングローブがあり、日本では沖縄に7〜8種類があるといわれています。フィリピンでは全土にわたって46種類が観察されています。
(写真手前に生えているのは4年前に植えたマングローブ、奥に植っているのが10年前に植えたマングローブ。「マングローブは1年間に約1m成長し、二酸化炭素をよく吸収します」(後藤さん))
後藤:
フィリピンでは1970年代より、魚やエビの養殖のためにマングローブ林が伐採され、養殖池がつくられました。もともとあった林の3/4が伐採されたといいます。この問題はフィリピンに限らず、インドネシアやタイでも同様に、養殖のために多くのマングローブ林が犠牲になりました。
マングローブ林を伐採するとどうなるか。海岸線がどんどん波によって侵食され、陸地が削られていきます。フィリピンでは今のところ津波による被害はありませんが、たとえばインドネシアでは2004年のスマトラ島沖大地震の際、マングローブ林があった場所は、マングローブが防災林として役割を果たし、その地域一体は津波から守られたことがわかっています。
人為的に林を切ったことが、結果として命を縮めることにつながってしまったのです。
──日本でも東日本大震災の津波被害によって、防災という面からの古くからある森の役割が注目されました。どこも同じような問題が起きているのですね。
(マングローブ林には、さまざまな生き物が生息している。マングローブ林の泥の中に生息するカニ「マッドクラブ」。甲羅が15㎝以上あり濃厚な味わいは、カニを思う存分堪能することができるのだそう)
後藤:
マングローブ林の伐採による問題のもう一つは、生態系への影響です。
マングローブ林は生態系のるつぼです。木の上にはたくさんの昆虫や鳥、水面下には小魚やえび、カニが住んでいます。近年フィリピンでは漁業の不振が続いていますが、そこにはマングローブ林を伐採してしまったことによって生態系が失われ、魚が育つ環境が減ってしまったという事実が関係しています。
(マングローブの苗を植える。「キュウリのようなヒルギ科の苗を泥の中にさし込んでいきます。このヒルギ科は植林は楽ですが、品種によっては、根に土がついた重たいものもあります。その海岸に合う在来種を植えるようにします」(後藤さん))
後藤:
事態を重く見たフィリピン政府は、1998年にマングローブに属する樹木の一切の伐採禁止を定めましたが、硬く炭に適した木材であるために切って収入にしている人がいたり、電気やガスなどのライフラインが整っていない地域も多く伐採して薪として使われていたり、禁止でありながら、養殖池を再開拓している人がいたりするのが現状です。
──言葉にすると「違法伐採」ですが、現地が抱える課題が見えてきますね。
後藤:
ベースには共通して「貧困」という問題があります。私たちが少し背中を押してあげるだけで、状況が好転することも少なからずあるのではないかと思っています。
(フィリピンには水道設備の無い学校が数多くあるという。イカオ・アコでは、電気やエンジンを使用しないポンプを活用し、川から安全な水を引いて学校に水道設備を設置するプロジェクトも進めている)
(後藤さんお気に入りの一枚。「長い間活動をしてきましたが、空と海が金色に輝いたのはこの時だけです。写真の中央でかがんでいるのは、国立フィリピン工業大学の学長です。彼は我々の2泊3日の植林ツアーに参加してくれました。この写真は、2010年に名古屋で開催されたCOP10のNGO活動写真コンテストでグランプリを受賞しました」(後藤さん))
──そんな背景の中、これまで植林活動をされてきたんですね。
後藤:
はい。最初の頃は「日本人が行きそうにもない村で植林?」と皆に不思議がられました(笑)。2002年に駐在スタッフを置くようになってから、「イカオ・アコは本気なんだ」と現地の方たちの見方も変わってきたと感じています。
──なぜ、駐在員を置くことにされたのですか。
後藤:
それまでは日本から行って苗を植えて、次に確認するのは何ヶ月か後でした。「ああ、育っているね」「良いね」という感じではあったのですが、ある時大きな台風が来て、植えた苗が全部流されてしまったのです。「これは何とかしないと」と、日本から駐在スタッフを派遣して、常にメンテナンスをすることにしました。
(「植林計画を練ってくれた駐在員のよしみさん(写真中央)です。現地の小学生と仲良く植林をしているところです」(後藤さん))
後藤:
現地で生活していると、当然ですが地域の方たちと接する機会が増えます。その中でその他の課題もいろいろと見え、解決のために動いてきた中で、少しずつ現地の方たちの信頼を得ることができたと感じています。
マングローブの植林については最初こそ不思議がられましたが、ひたすらそれを続け、目の前に再び緑が広がるまでの過程を目にしたことは、現地の方たちにとっても「やればできる」というひとつの成功体験と自信になったと感じています。現在職業訓練として有機農業にも取り組んでいますが、他の課題についても「やれば結果が出る」と前向きにとらえて動いてくれています。
(住民の健康と有機農業従事者の所得向上を目指し、イカオ・アコがネグロス島「ビクトリアス市」のダウンタウンにオープンしたオーガニックカフェ「ミドリ」。今後は有機農業にも力を入れていく予定だという)
(再生したマングローブ林が広がるバラリン村のエコパーク。エコパーク内には、現地の人たちが制作した1300メートルに及ぶ竹橋が設置されており、マングローブ林の中を巡回できるようになっている。「タワーやテラスなどのアクセントを設けることによって憩いの場となっています」(後藤さん))
後藤:
植林にあたって、マングローブの苗の採取や育成、運搬、植林に至るまで、現地の住民団体と行います。労働力を提供することで、現地の人たちは収入を得られます。これまでに9つの住民団体・約500世帯の貧困の解消・生活の向上に貢献してきました。
「バラリン村」という村には、15ヘクタールに及ぶ、活動によって植林したマングローブ林のエコパークがあります。今や年間10万人もの人が訪れる観光スポットになりました。エコパークは村の住民団体が運営していて、観光収入だけでなく施設内のタワーや橋の制作も自分たちで行うことで現地の方たちは収入を得ています。
(村での文化交流会の様子。「木、林、森…、毛筆の練習の後、みんなで集合写真を撮りました。漢字を上下さかさまにして持っている子も(笑)」(後藤さん))
──マングローブが育ち、地域の方たちにとっては収入を得られる。「双方よし」ですね!
後藤:
そうですね。もう一つ、草の根の国際協力活動を実施できる日本人育成のために、主に若者を対象に研修生の受け入れも行っています。
研修生をいつでも受け入れられるよう、ネグロス島には私たちが運営する「国際協力支援センター」があります。研修期間中はマングローブの植林を現地の方と行うだけでなく、地域に密着した生活を通じてその土地の生活や文化、習慣を直に感じながら、国際感覚を身につけてほしいと思っています。
ここで現地の方と一緒にマングローブを植え、旧日本軍の戦没者慰霊碑を訪れると「平和の大切さ」を皆さん改めて感じられるようです。
日本人と現地の住民と、二人で植える一本の苗木と共に友情が育まれ、それは断ち切られることなく育ち続けるでしょう。これまで植林活動に参加してくださった多くの日本人の方が、自分たちが植えた苗木と友情を訪ねて、再びここに足を運んでくださっています。
──素敵ですね!青々と広がるマングローブ林は、まさに「友情の証」でもあるのですね。
(2019年6月、2013年にインターンとして活動に参加した女性がエコパークで結婚式を挙げた時の一枚。なんと、日本人カップル4組目の挙式なのだそう!「マングローブ・ウエディングは、神父さんのもと神聖な雰囲気で執り行われました。村人たちが祝福してくれます」(後藤さん))
(マングローブの再生を祝い、イカオ・アコが主導で毎年開催している「マングローブ祭り」。「テーマが面白い」と毎年マスコミが取材に訪れるという)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
後藤:
今回のチャリティーは、マングローブの苗木を植林するための資金として使わせていただきたいと思っています。苗木1本あたりの植林コスト100円ほど。苗木を購入し、植林することは現地の人たちの収入になりますし、マングローブの持つ豊かな生態系と、日本とフィリピンの友情を広げていくことができます。
ぜひ、チャリティーアイテムで活動を応援していただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
(2020年5月、COVID-19の影響でロックダウンされた山間部「パタグ村」で食糧支援を実施。「支援先は、イカオ・アコの植林事業に協力してくれる住民団体です。27家族で構成されています。緊張した状況の中、地域の皆さんの笑顔が見ることができて少しほっとしました」(後藤さん))
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「戦争」という悲しい過去、下手すると憎しみや怒りを生み得た過去を、そこで時を留めず、愛でもって前へと進めた土居さん。マングローブを植えることは、日本の土を再び踏むことなくフィリピンで命を失った仲間たちへの哀悼や深い愛情も込められていたのではないでしょうか。
過去の記憶は時と共に次第に薄れていきますが、マングローブの植林を通じ、今も現地に足を運ぶ若者たちがいて、住民と一緒に汗を流し、キラキラと笑顔を見せる瞬間が今まさに存在していることを、きっと仲間たちも喜んでくれるだろう──。そんな未来を想像されていたのかもしれない。ふと、そんなことを思いました。
多様な生き物が生息するマングローブ。イカオ・アコさんの活動によって再生されたマングローブ林は、多様な過去、思いを受け入れ、認め合った人々の、愛の証でもあるのかもしれません。
マングローブを住処として生を育む生き物を描きました。
マングローブを植えることでつながる多様な生命と、ひろがる豊かな友情や生活を表現しています。
“Family; like branches on a tree, we all grow in different directions yet our roots remain as one”、「家族、それは木の枝のようなもの。それぞれ別々の方向に育つけれど、根っこはひとつ」というメッセージを添えました。
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