CHARITY FOR

福島第一原発事故の事実を検証、発信するサイト「Level7」を運営。「原発事故は終わっていない」〜Level7(一般社団法人原発報道・検証室)

(出典:東京電力ホールディングス)

2011年3月11日の東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所事故。
あれから、この3月で9年の月日が経とうとしています。

この9年、メディアでは徐々に「復興」というポジティブな面にスポットが当てられ、人々から少しずつネガティブな記憶が薄れていく一方で、目に見えず、においもない放射能と、原発事故による課題は確実に存在しています。

今週、JAMMINがコラボするのは、東京電力福島第一原発事故の事実を検証し、伝えるサイト「Level7(レベルセブン)」を運営する一般社団法人「原発報道・検証室 Level7」。

「インターネット、SNSによってデマが簡単に広がる時代です。センセーショナルなタイトルがついていたり皆が知らない内容だったりすると瞬時に情報が拡散されますが、嘘は嘘。原発事故に関する不正確な情報、歪められた情報が頻出する中で、原発賛成/反対という立場を越え、根拠も含め事実を発信し、正しい情報を提供したい」

そう話すのは、Level7代表の明石昇二郎(あかし・しょうじろう)さん(57)。明石さんは1987年に青森県六ヶ所村の核燃料サイクル基地計画を取材し、以降、ルポライターとして原発問題をライフワークとしてきました。

「時が経てば、次第に人々の興味や関心が薄れていくのは当たり前のことです。しかし、福島第一原発事故は終わっていません。放射能汚染によって故郷を追われ、未だ帰る目途が全く立たない方もいますし、被曝によって健康を害した可能性が高い方もいます。しかし国や電力会社は『一般市民の間では、健康被害は何も発生していない』として、現実を過小評価しようと躍起になっています。そんな今だからこそ、一人ひとりの市民が、冷静で的確な判断をするために役立つ情報を提供していきたい」

そう話す明石さんに、活動についてお話を聞きました。

(お話をお伺いした「Level7」代表の明石さん)

今週のチャリティー

Level7(レベルセブン)一般社団法人原発報道・検証室

福島第一原発事故を検証し、原発事故の実態をできる限り事実に即して伝えるメディア「Level7」を運営。行政文書や統計データ、文献等複数の物証の分析などを通じ情報の事実確認を行い、問題の可視化を目指している。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2020/3/2

福島第一原発事故の国際評価レベルは
最悪の「レベル7」

(ニュースサイト「Level」トップページ)

──今日はよろしくお願いします。最初に、貴団体のご活動について教えてください。

明石:
私たちは、2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所の事故を検証し、事実を伝えるニュースサイト「Level7」を運営しています。

大事故の発生から9年が経った今もなお、原発に関しては相変わらず嘘の情報が蔓延しています。しかし原子力の世界を理解するためにはある程度、専門的な知識も必要で、その嘘を見破り、騙されないようにするのは容易ではありません。

事故で漏れ出した放射性物質や放射線による健康への影響や、自然環境への影響に関する情報をはじめ、原発事故発生当初の状況や避難を強いられた方々の現状など、事故による被害を過小評価させるために流される嘘情報は、それこそ多岐にわたって流されています。政府や東京電力が率先して過小評価し、あるいはひた隠しにして、メディアも報じていない事実が山ほどあるのです。

(2011年3月16日時点の福島第一原発(出典:東京電力ホールディングス))

明石:
「Level7」は、福島第一原発事故が、原子力施設事故の深刻度を示す国際原子力事故評価尺度(INES)で最も深刻な事故であることを示す「7」に認定されたことから名付けました。評価レベルは軽いものから順に0〜7の8段階で、その中で「7」は最悪のものです。レベル7に認定されたのは、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故に次いで世界で2例目です。

──そんなに悪かったのですか。知りませんでした。

明石:
ここにきて新聞やテレビ、インターネットには、事故を過小評価する論評や主張が溢れかえるようになりました。原発事故について報じられることも少なくなってきました。もう終わったことにしたい人もいるのでしょうが、残念なことに原発事故は終わっていません。「Level7」は、事故現場をはじめとしたさまざまな現場で今、何が起きているのかを多角的に検証し、発信するサイトです。事実を正確に知ることこそが、事故の風化と再発を防ぐことにつながると確信しています。

(2011年5月15日、高濃度の放射能汚染に晒された福島県飯舘村の酪農家・長谷川健一さん夫妻(左から3番目、5番目)と、酪農仲間の田中さん(左端)と。その隣が被害の実態調査に来た有田芳生参議院議員、右から3番目が、長谷川夫妻を支援する保田行雄弁護士。右端は明石さん)

メディアでは報じられない「タブー」

──嘘の情報が蔓延しているということですが、それはすなわち「本来であれば事実を報道するべきメディアが歪められている」ということになりますよね。

明石:
「Level7」では現在、7人のメンバーと記事を執筆しています。メンバー皆、それぞれテレビや新聞、雑誌などの分野で活動していますが、原発に関する報道には、大事故が起きた後もタブーがあります。

──そうなんですね。

明石:
私自身も、福島第一原発事故を受け、ある新聞社からの依頼で書いた原稿について「この表現は削除したい」と言われたことがありました。あくまで事実を書いた記事でしたので、「それでは原稿を引き上げます」と伝えたら、そのまま載せてくれたのですが…。

どこまでやるかは人それぞれですが、ジャーナリズムの現場では、事実を伝えるために譲れない一線は「譲れない」と主張し、闘わないといけないところがあると思います。

(2011年5月7日、東日本大震災後に明石さんが訪れた東北電力女川原発。壊れた壁などを直すため、足場が組まれていた)

──なぜ、メディアは事実を事実として報道したがらないのでしょうか?

明石:
大事故が起きる前のテレビでは、電力会社のCMがバンバン流れていましたよね。今でこそ少なくなりましたが、マスメディアにとって電力会社は今も巨大なスポンサーです。だから、電力会社を真正面から批判するような報道はタブーになりがちです。

そんな事実も踏まえ、どこまでならばマスの媒体で情報を発信することができるのかを、私たちも散々試してきました。「Level7」のメンバーは皆それぞれ、原発に対して批判的な視点を持っている方々です。

私たちは、福島第一原発事故が起こる前から原発の問題を取材し、事実に基づき、原発への警告を発信してきましたが、福島第一原発での大事故を食い止めることはできませんでした。原発事故後、若干タブーが薄れた部分もあると感じてはいますが、自分たちがもっと上手に、そして効果的に原発の危険性を伝えることができていれば、福島での事故を防げたのではないかという忸怩たる思いもあります。

──そうだったんですね。

明石:
皆さんの役に立つ仕事でなければ、それは「ジャーナリズム」とは言えないと思います。しかし、ことにこの原発の問題についてはそれができていなかった。事故が起きてしまった事実は変えることはできませんが、事故の事実を検証し、伝えていく活動は、今後も大事だと感じています。

(2018年10月31日、東京・神保町で開催された「Level7」設立記念イベント)

3月11日、福島第一原発で何が起きたのか

(事故から1週間後も煙を出し続けていた福島第一原発(2011年3月21日。出典:東京電力ホールディングス))

──そもそも、事故発生時に福島第一原発で一体何が起きたのでしょうか。

明石:
事故の原因ははっきりとは解明されていませんが、地震と津波によって発電所の電源が途絶え、原子炉がコントロールできなくなったことが原因だといわれています。

地震発生時、最初に地震の揺れによって、発電所に電源を送る鉄塔が倒れ、電源が絶たれました。非常用のディーゼル発電機が立ち上がるはずが、津波が押し寄せたことで、すべての電源が途絶えてしまったのです。「ステーション・ブラックアウト(全電源喪失)」と呼ばれる状態に陥り、高熱になっていた核燃料を水で冷やすことができなくなってしまいました。

原子力発電は、核燃料で水を熱し、発生させた蒸気でタービンを回して発電します。福島第一原発事故では、電源が失われた後、原子炉内を冷却できなくなり、核燃料がどんどん過熱していったのです。

(原発事故の概念図)

──なるほど。

明石:
その結果、核燃料はどろどろに溶けてしまいました。これが「炉心溶融(ろしんようゆう)」です。そのため、放射性物質を封じ込めておくことができなくなり、空や海に向け、甚大な量の放射性物質が漏れ出しました。

──専門的なのでちょっと難しいですね。

明石:
やかんをイメージしてもらったらわかりやすいと思います。やかんを火にかけた時、水が入っていればやかんは壊れませんよね。
しかし水が入っていなければどうでしょうか。空焚きになって、穴が開いてしまいます。事故発生時、福島第一原発の原子炉ではまさにそのようなことが起きていました。

──なるほど。穴が開いて、人や環境に大きな被害を及ぼす放射性物質が漏れ出たということですね…。

(津波によって破壊された福島第一原発(2011年4月11日。出典:東京電力ホールディングス))

「東京にも放射能がやってくる」。
明石さんだけが報じた事実

(2011年5月15日、福島県飯舘村長泥で撮影。「10マイクロシーベルトまで測れる線量計が振り切れ、「9.99」を表示しています。つまり、何マイクロシーベルトあるのかわからなかった。近くでは、人々が普段着のまま歩き回っていました」(明石さん))

──この事故に関する報道や対応はどうだったのでしょうか。

明石:
地震当日、「原発で異常が起きている」という報道はほとんどされませんでした。でも、その日のうちに異常事態は発生していました。

数日もすると、炉心溶融していなければ検出されないはずの放射性物質が東京都内の大気中から検出されたという情報が、知人の専門家から飛び込んできました。「これは確実に炉心溶融が起きている」と判断していたのですが、その一方で東電や政府は「炉心溶融は起きていない」と言い続けていました。

「とんでもないことが福島で起きている」ということだけは、すぐ理解できました。現地取材を旨とするルポライターとしてはすぐに福島に取材へ向かうことを考えましたが、ライフラインが寸断されており、現地に向かえば私自身遭難してしまう恐れがあると判断しました。現地取材は一旦諦め、東京にある事務所にこもって情報収集に専念しました。

私は30年ほど、原発の問題をライフワークとして追いかけていましたので、専門家や各地の市民運動家たちから深刻な汚染情報を受ける一方で、メディアの記者さんたちからは「何が起きているのか解説してほしい」といった問い合わせを受けるようになりました。

──そうだったんですね。

(事故後、福島県内に設置されたモニタリングポスト(2014年4月撮影))

明石:
原発がある地域には、大気中の放射線量を測定する「モニタリングポスト」という装置があるのですが、その数値はネットを通じ、リアルタイムで公開されています。地震や津波によって福島県の原発周辺にあるモニタリングポストは軒並みダウンしてしまったため、次善の策として福島第一原発の北、宮城県にある女川(おながわ)原発の周辺と、福島原発の南、茨城県東海村などにあるモニタリングポストの数値を四六時中チェックしていました。

すると、かなりの量の放射能が漏れ出し始めていることがわかりました。そして震災から4日後の3月15日早朝のことですが、数時間後には北からの風に乗り、東京をはじめとした首都圏にも高線量の放射能雲がやってくることが予測されたのです。
悩んだ末に「首都圏に放射能が襲来する」という情報をネットに公表しました。

他のメディアは「原発から放射能が漏れ出し始めている」という報道こそありましたが、事前に「放射能雲、首都圏襲来」を報道したマスメディアは一つもありませんでした。前代未聞の事態ですから、躊躇してしまった部分もあるとは思います。

私自身もこの情報を発信するか非常に悩みました。でも、後で後悔するくらいなら、批判を受けることも覚悟の上で、広く皆に知らせるべきだと決断しました。

(事故後の2011年5月6日、明石さんが訪れた福島県南相馬市原町にて。「大津波に襲われた集落は玄関の門柱と土台だけを残し、消えていました」(明石さん))

事故による二次被害、三次災害を防ぐために

(文部科学省が公表した、東京都の航空機モニタリング測定結果図(2011年9月の値)。「標高の高い奥多摩の山々が、高い汚染に晒されていることがわかります。また、千葉県と接する足立、葛飾、江戸川の各区にも、高い汚染が残っている『ホットスポット』が生まれていたこともわかります」(明石さん))

明石:
関東では今でも「ホットスポット」と呼ばれる高い汚染が残っている地域が点在しています。

──福島第一原発の周辺地域に高い汚染が残っているのは理解できるのですが、点在とはどういうことなのでしょうか?

明石:
放射能は風に乗って運ばれます。空を飛んでいる途中で雨や雪が降ると、放射能は地面に落ちてきてしまうのです。特に雪が降っていると、その場に残り続けてしまう可能性が高まります。汚染された地域から、川の流れに乗って下流に運ばれ、放射能が溜まってしまっている地域もあります。

──様々な影響が出てくるのではないですか。

明石:
放射能がどういう影響を及ぼすのか、未だ明確にわかっていないところがあります。しかし水や食品が汚染されてしまったのは事実です。

事故の後、自治体も生産者も努力して、放射能が高い濃度で検出された食品を流通させないようにしてきました。野生のきのこなどは今でも高い数値が検出されるものがあります。事故から1年くらいの間は、市場に出回っている食品を測ってみると、高い放射能が検出されることもありました。なにせ前代未聞の事態が発生したわけですから、致し方ないところもあったかと思います。

とはいえ、消費者の立場からすると、お金を払って購入するわけですから、食品の産地を選ぶことができる。スーパーや八百屋さん、魚屋さんに陳列される前の段階で、福島県産の商品が買い叩かれてしまうことも起きています。今でも福島県産の野菜などは安いままで、価格が戻っていないですね。

──健康被害も気になります。

明石:
全国のがん罹患状況を検証したところ、統計的に見て、福島県民は胃がんや甲状腺がん、胆のう・胆管がんなどが多発状態にあることがわかりました。罹患率が全国平均をかなり上回っているのです。

原発事故によって環境中にまかれた発がん性物質は、放射能だけではないはずです。しかし、この事故によって何が環境中にばらまかれたのか、きちんと把握されていないのです。

もし、健康被害が発生しているのであれば、隠さずに伝えるべきだし、事故処理がどれだけ困難であったとしても、二次災害、三次災害が起きないように収束作業を進めるべきです。福島の人たちの暮らしを激変させてしまった東京電力の責任は重いし、罪も重いと思います。

──本当ですね。

明石:
事故直後、福島県内の各地では、避難してきた住民が放射能に汚染されていないかどうか計測し、汚染されていた人には、シャワーで洗い流すなどの除染を行っているんですね。

でも、どのくらい被ばくしていたかという証拠になる計測データを、その本人には渡していないんです。今からそれを調べることも難しくなっています。

時間が経ってから病気になり、体調を崩す方もかなりいることでしょう。でも、その発症と被ばくとの因果関係を検証するためのデータが隠されてしまった。調べたはずの計測データが「なかった」ことにされているのです。そのうえで国や東電は「被ばくとは関係ない」と言い張っています。

「放射能汚染による健康被害はない」というのであれば、被ばくし、避難を強いられた人々に、計測した個人データをきちんと知らせておくべきでした。国や東電にとっても、それが「健康被害はない」ことを証明する証拠になったはずです。

こうした話は、証拠を隠してうやむやにするのではなく、科学的根拠や具体的な証拠をベースに議論する必要があります。

(2014年12月15日、東京地検に対し、東電経営陣らの刑事責任を問うよう訴える、福島県民からなる「福島原発告訴団」のメンバーたち。「東京地検は不起訴処分にしましたが、この翌年の2015年7月、東京第五検察審査会は事故当時の会長だった勝俣恒久氏ら3人を強制起訴しました。この刑事裁判で勝俣恒久元会長ら3名は禁錮5年を求刑されたが、2019年9月、東京地裁は勝俣氏ら3人に無罪判決。検察官役の指定弁護士は控訴し、現在も刑事裁判は続いています」(明石さん))

「事故は、終わっていない」

(牛のいなくなった牛舎(2011年6月、福島県飯舘村)。「搾った乳から放射能が検出され、出荷できなくなりました。乳牛はすべて処分され、中には屠場送りになった牛もいました。事故による被害を受けたのは、ヒトばかりではありません」(明石さん))

明石:
「除染」といっていますが、放射能汚染は片付けきれるものではありません。

放射能によって汚染された水をタンクに詰め、福島第一原発の敷地内にいっぱいタンクが並べられています。国や東電は、タンクの置き場所が限界に近づいているとして、タンク内の汚染水を海に放出しようとしています。

大半の汚染物質は放出する前に濾し取り、水に残っているのは「トリチウム」という弱い放射性物質だけだから問題ないし、海流でも希釈される、と説明しています。しかし、タンク内の水には「トリチウム」以外の放射性物質も残っていることを隠していたことがバレて、海への放出に「待った」がかかりました。

「トリチウム」はお金と手間さえかければ取り除くことができるのですが、国や東電にそのつもりはありません。さらに「トリチウム」には、国や東電が言わないさまざまな毒性があることが、専門家によって指摘されています。このトリチウムを大量に発生させてしまうカナダの原発周辺では、住民の間で「ダウン症や白血病などが増えている」として、社会問題化しています。

(2020年2月、飯舘村前田にて、飯舘村の元酪農家・長谷川健一さん・花子さん夫妻。「持っている写真は、村の畑に植えた蕎麦の花が一面に咲いたところ。原発事故に伴う飯舘村の避難指示が、一部の帰還困難区域を除いて解除されたのは2017年3月のこと。長谷川さん一家は翌2018年5月に自宅に戻り、現在は妻と父の3人で暮らしています。収穫した蕎麦からはセシウム137が1キログラム当たり6ベクレル検出され、「飯舘は寒暖の差が大きいから、香りと風味がいい。でも売れない」とのことでした」(明石さん))

明石:
事故直後からしばらくは、福島沖で獲れる魚が汚染され、出荷できない状態が続いていました。数年前から試験操業を行い、魚によっては放射能が検出されなくなったものもあります。やっと市場で扱ってもらえるようになった矢先に、この「トリチウム水」が放出されれば風評被害が起きてしまうと、漁民たちは大反対しています。しかし、被害は「風評」だけにとどまらない恐れがあるのです。

廃炉の話も出ていますが、福島第一原発の廃炉には40年以上の歳月が必要と言われています。でも、「40年」くらいで終わるという保証はどこにもありません。きっと、もっとかかることでしょう。
事故の影響は、これからもずっと続いていくのです。

(2020年2月、現在の飯舘村前田地区周辺。「除染して出た放射能ゴミを入れたフレコンバッグ(フレキシブルコンテナバッグ)は山積みされ、村の至るところに残っています」(明石さん))

事故に関する資料をデータ化し、誰もが閲覧できるようにするためのチャリティーキャンペーン

明石:
来年の春で、事故から10年を迎えます。
うやむやにされている話がたくさんあり、課題は山積みです。原発事故による被害に遭い、途方に暮れている人たちもたくさんいます。その中には、被ばくで体調を崩したのではないかと疑っている人もいます。

それが原発事故による健康被害であり、その原因が突き止められるのであれば、他の公害事件と同じように保障や手当を受け、救済されるべきです。今後も「level7」では、被害救済に役立つ情報を発信していきたいと思っています。カッコつけるわけではありませんが、事実を元に、少しでも「世直し」のお役に立てたらと思っています。

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

明石:
今回のチャリティーは、「level7」の主要執筆者が収集・保持している事故に関する一次資料を文字データに変換し、検索可能な形にしてサイト上にてデジタルアーカイブ化するための経費などに使わせていただきたいと思っています。
ぜひ応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました。

(「level7」執筆陣の皆さん。後列は左から白石草さん(OurPlanet-TV代表理事)、木野龍逸さん(フリーランス・ジャーナリスト)、吉田千亜さん(フリーランス・ジャーナリスト)、前列は左から今回インタビューにご協力くださった明石さん(フリーランス・ルポライター)、添田孝史さん(サイエンスライター))

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

2020年、今年は東日本大震災から9年、そして56年ぶりに東京でオリンピックが開催される年でもあります。オリンピックに向けて国全体が盛り上がりを見せる一方で、果たして皆が同じように感じているのだろうか、被災地はどうなんだろうか、そんな疑問と違和感がありました。

そんな思いから今回、311に向けて「Level7」さんにコラボをお願いさせていただきました。「過去の出来事」ではなく「今、現に起きている事実」として今一度、この事故と向き合ってみませんか。

・東電原発事故の事実を伝えるサイト Level 7 はこちらから

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レコードとそれを持つ手を描きました。レコードにはうっすらと放射線マークを投影してあり、それが隠しメッセージにもなっています。
レコードというモチーフを通じて、事実を検証し記録することで情報を広く発信し、人々と共有する「Level7」の活動を表現しました。

“The truth beyond facts”、「事実を超えた真実」という言葉を添えています。

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