CHARITY FOR

ザンビアで心臓外科医を育成、貧困による医療格差をなくすために活動〜NPO法人TICO

世界屈指の医療技術を誇る日本。日常生活や検査で異常が見つかれば、すぐに医療機関を受診し、最新の治療を受けることができます。しかし一方で、同じ地球の上にある発展途上国の中には、医療水準が低く、適切な治療を受けられないまま、助からずに亡くなっていく命があります。

今週、JAMMINが1週間限定でコラボするのは、徳島を拠点に活動する国際協力のNPO法人「TICO」。

代表であり医師の吉田修(よしだ・おさむ)先生(61)は、医師として途上国の医療援助に携わる一方で、故郷である徳島県吉野川市で地域に根ざした診療所を開設し、日本で働く医師たちが仕事を続けながら国際協力に携わることができるよう、長期休暇が取れるような仕組みをつくってきました。

現在は4人の医師がこの診療所に関わりながら、交代で支援のために海外へ出向いているといいます。今回は、心臓外科医でありTICOのプロジェクトリーダーである松村武史(まつむら・たけし)先生(48)と、TICO事務局の福士庸二(ふくし・ようじ)さん(58)にお話を聞きました。


(お話をお伺いした福士さん(左)と松村先生(右))

今週のチャリティー

NPO法人TICO(ティコ)

戦争、貧困、飢餓などに苦しむ人たちへの自立支援のために、アフリカのザンビアを中心に、医療・農村開発などの国際協力活動を行うNPO法人。日本では徳島に事務所を置き活動している。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2020/1/27

ザンビアで心臓外科医の育成を行う

(活動拠点であるザンビア大学附属教育病院にて、現地の医師と手術器具を準備する松村先生。一回の手術で使う器具の種類はなんと50種類以上。一つひとつの用途や特徴を正しく伝える)

──今日はよろしくお願いします。貴団体のご活動について教えてください。

福士:
1993年に団体が立ち上がって今年で27年になります。各地で様々な活動してきましたが、現在のメインの活動は、ザンビア共和国での心臓外科医の育成です。

団体を立ち上げた代表の吉田と私は、1989年に青年海外協力隊で同じマラウイという国へ派遣されました。吉田は医師として、私は自動車整備士としてでしたが、今のようにインターネットが発達しておらず各国の情報を得ることが難しかった時代に初めて開発途上国の現状を目の当たりにし、「この課題は一生をかけて取り組んでいくべきものだ」と感じました。青年海外協力隊での活動を終了した後、互いにバラバラに活動していましたが、吉田がTICOを立ち上げて6年後の1999年に私もTICOに加わり、現在に至っています。

(31年前、青年海外協力隊時代の福士さん。配属先のマラウイ共和国のNgabu Agricultural Development Divisionにて、一緒に働いていた現地の仲間たちと)

──TICOとして当初からザンビアで活動されていたのですか?

福士:
いいえ、設立当時はザンビアと直接関わりはなく、モザンビークで地域保健支援を行なう吉田個人を支援していました。しかしご縁があり、ザンビアで活動するに至りました。

現在は「さくら診療所」(徳島県吉野川市)を拠点に、普段はここに勤務する医療従事者などが国際協力のために長期にわたって海外で活動できるしくみを用意しています。

(1993年、内戦後のモザンビークにて、巡回診療するTICO代表で医師の吉田さん(写真中央))

日本で働きながら、国際協力できる診療所

(「さくら診療所」の玄関前にて。タイから地域医療を学びに来た研修生と記念撮影)

──日本でこれまで通り働きながら国際協力に携われるというしくみが素晴らしいですね。

福士:
国際協力したいという夢があっても、そのためには通常は国内の仕事を辞めざるを得ません。でも、仕事を辞めてしまえば国際協力を続けることも難しくなってしまいます。海外から帰ってきてからもまた戻って働けるのが、この場所の特徴です。

松村:
現在、4人の医師がこの診療所に関わっており、それぞれ国際協力になんらかのかたちで携わっています。一人が海外にいる時は残りのメンバーがその分をカバーして、皆でローテーションを組みながら働いています。診療所として地域の方たちの健康を預かりながら、国際協力をするための診療所でもあります。そういう意味では、すごく変わった診療所だと思いますね。

──他にそのような診療所はないのでしょうか。

福士:
ないと思いますね。逆に医師などのスタッフを囲い込んで離さないと思います(笑)。
ここは、「海外へ行ってもいいから、みんなでカバーしようね」というスタンス。そんな意志を持ったスタッフが集まっています。

(「さくら診療所」のデイケア室にて、院内勉強会の様子)

ザンビアという国について

(飛行機から見た、ザンビアの首都ルサカの夜景)

──ご活動されているザンビアという国について教えてください。

松村:
都心部はとても発達しています。道路が整備されていて、交通渋滞もひどいです。南アフリカ資本のショッピングモールや、ケンタッキーフライドチキンなどのファーストフード店もありますが、大きな道から一本外れると、「コンバウンド」と呼ばれる貧しい人たちが暮らす掘っ建て小屋が並びます。貧富の差が激しいですね。

──水道や電気などのインフラはどうでしょうか。

松村:
電気も水も来ていない場所があります。水については、水道設備が整っていても、干ばつのために水自体がないという状況ですね。病院でも水は出ますが、診療時間の半分ぐらいは断水しています。

電気は水力発電に頼っているので、干ばつになると電気もありません。今現在、1日のうち16〜18時間に及ぶ計画停電が行われています。

(農村の風景。土でできた「マッシュルームハウス」と呼ばれる家で暮らす家族)

──ええっ、ほぼほぼ丸一日ですね?!

松村:
電気が使えるのは夜の12時から朝6〜8時ぐらいまでですね。
商業施設などはガソリンで自家発電していますが、ガソリン代も高騰しており、なかなか日本のように電気を使いたい時に使えるような環境はありません。

──国の産業はどのようなものなのでしょうか?

松村:
農業と鉱業がメインですが、輸出できる資源としては銅ぐらいしかなく、財政的に厳しく貧しい国です。

(ザンビアの主食は「シマ」と呼ばれる、白トウモロコシの粉をお湯で練ってつくったもの。こちらは現地の家庭に招かれた際の1枚)

ザンビアの医療の現状

(「ヘルスポスト」にて、TICOから派遣された医師が医療ボランティアの研修を行う)

──ザンビアの医療の現状はいかがですか?

松村:
国公立の組織でいうと、ピラミッド型で五つの施設に分かれます。
一番下にあるのが、「ヘルスポスト」と呼ばれる小さな診療所のような施設です。
ここには医師はいるかいないかという状況ですが、看護師や准医師と呼ばれる人が診察や薬の処方を行います。マラリアや分娩などの応対もします。数が多く、住民の方たちの最も身近にある医療施設です。

「ヘルスポスト」で対応できないような複雑な症状の場合は一段階上がった「ヘルスセンター」へ紹介され、さらに難しい症例は「レベル1病院」「レベル2病院」を経由して、国に一つしかない「レベル3病院」であるザンビア大学附属教育病院で診療を行うことになります。

(TICOが活動するザンビア大学附属教育病院の正面玄関)

──なるほど。

松村:
ひとつ上の施設で診療を受けるためには紹介状が必要で時間がかかってしまう上に、患者さんの経済的な負担も少なくありません。
住民の方たちにとって医療が遠く、医療よりも身近な「ウィッチドクター(Witch Doctor、直訳すると「魔女の医師」)」と呼ばれる祈祷師に頼り、根拠のない毒草を食べてしまったりすることもあります。

──国民の医療費負担はどうなっているのですか?

松村:
診療費そのものは無料です。ただ、診察は無料なのですが、検査や薬代は有料です。
たとえば診察の際に「X線検査を行った方がいい」ということになったとします。そうすると病院にある窓口で、自分で検査のための券や造影剤を買ってX線検査を受けなければなりません。

(ザンビア大学附属教育病院の入院室)

──日本とはまったく異なるのですね。そうなると診察は受けても治療ができない、という人も出てくるのではないですか。

松村:
そうですね。お金がなくて検査をしたくてもできない患者さんが多いです。
「CTを撮るための造影剤がない」と現地のザンビア人医師が言うのでよくよく話を聞いてみたら、造影剤はあるけれど患者さんが買えない、ということがありました。日本では保険によって患者の負担は軽減されますが、ザンビアではそれがありません。

診療を受けて「大丈夫」といわれたら無料で済みますが、そうでなければお金がかかってしまうのです。

──診察は受けられても、診断や治療を受けるのは難しいということなのですね。

現地の通貨である1ザンビア・クワチャは日本円で7.6円ほどですが、現地の方の1食の食事代が10クワチャ(76円)ほど。造影剤は450クワチャ(3,420円)程度するので、かなり高額であることがわかります。

(ザンビアの心臓外科を目指す医師たちと。ザンビア人医師にとっても日本と同様に心臓外科医は医師の中でも花形で、憧れの職業なのだそう)

ザンビア人医師による心臓手術は過去にゼロ。
「心臓病は治らない」という偏見も

(ザンビア大学附属教育病院の中庭。診察を待つ患者と付き添いの家族で溢れかえっている)

福士:
ザンビアには心臓手術を受けられる医療設備もないし、執刀できる医師もいません。私たちが活動している唯一の大学病院でも、ザンビア人による心臓手術の例は一例もありませんでした。ごく稀に、限られた人が海外から専門の医師を呼び寄せて手術をすることはありますが、海外からの医師たちは手術だけしてすぐ自国に帰ってしまうので、いつまでたってもザンビア人医師に技術が身につかず、自分たちで手術をすることができませんでした。

松村:
我々が行って手術し続けられたらいいですが、そういうわけにもいきません。海外から医師を呼ぶのは回数も限られるし、手術によってその患者さんは助かっても後に残るものが何もありません。だから、私たちが技術をザンビア人医師に伝えていくことができればと思っています。

(手術の前日、スタッフ全員と手術の手順と器具の確認を行う松村先生)

福士:
ザンビアでは、大統領が二人続けて血管の病気で亡くなったこともあり、国としても、高度な技術を持った医師を育てたいという思いがあります。インフラも整いつつあるので、正しい技術を伝えていくことで、ザンビアでの心臓手術が可能になっていくと思います。

松村:
ザンビアでは心臓病への偏見も強いです。心臓病と診断された時点で「治らない」と思っている人が多いので、「心臓病は治る病気だ」ということをまずきちんとわかってもらうことも大切です。

福士:
5年ほど前までは、大学病院にCTすらありませんでした。レントゲンでさえ数台しかないような状況でした。国の経済力は、国の医療格差に影響します。豊かな先進国の暮らしの裏で、そのしわ寄せに遭っている貧しい国々と人々がいます。この差を埋めるためには、困っている人を助けるのは当然なのではないでしょうか。

(退院前に、患者さんと笑顔で記念撮影)

実践と講義・練習を通じて
必要な技術を身につける

(豚の心臓を使った手技練習。手術に向けて、ひたすら練習とイメージトレーニングを行う)

──具体的にどのような支援になるのですか?

松村:
現地の医師に心臓手術の技術指導をしています。一回の渡航は3週間で、日本からは医師と看護師がそれぞれ1〜2名、臨床工学技士とコーディネーターが同行します。

1週目は診察と検査で滞在期間中に手術する方を決め、エントリーしていきます。症状がわかれば手術の内容も大体は決まってくるので、診療の合間で検査や病気に関する講義、講義をもとに豚の心臓を使った手技練習を行います。

私が指導的助手としてサポートしながら、手術自体はザンビア人医師が行うので、初歩的かつ状態が良く、合併症などのリスクが少ない患者さんがベストですが、心臓を一旦止めることになるので、リスクが全くないわけではありません。また、状態が悪い患者さんは手術しないわけにはいかないので、常にリスクの少ない患者さんを選べるわけでもないのです。

──なるほど。

(人工心肺と、それを操作する臨床工学技士。臨床工学技士は心臓を止めている間、医師に代わって患者の全身管理を行い、手術のとても重要な役割を担っている)

松村:
2週目は手術の週です。一人ずつ順番に手術しますが、手術して終わりというわけではなく、ICU(集中治療室)に入っている患者さんの術後管理をしながら、1週目と同じように合間で講義と、豚の心臓を使って手技練習をします。

──一回の滞在で何人ぐらいの患者さんを手術されるのですか。

松村:
平均3名です。
3週目は引き続き患者さんの術後管理を行いながら、手術の反省点を踏まえた講義と、豚の心臓を使ってまたひたすら手技練習をします。滞在中現地の医師たちは、毎日最低一度は豚の心臓を使って練習します。

(滞在1週目の1枚。患者の呼吸のリハビリを開始、術後の排痰の練習を行う)

──実践かつ練習を繰り返すのですね。

福士:
こんな活動をしているNGOは日本に他にないと思います。医療支援の中でも比較的高度なことなので、なかなか一般の方には理解してもらいにくいところがあります。

──松村先生が日本に帰国されてから、現地の医師たちだけで心臓手術をするということもあったのですか?

松村:
過去に1度か2度経験しています。「動脈管開存(どうみゃくかんかいぞん)」の手術は、やっても良いと許可を出しました。というのは、手術にあたって心臓を止める必要がないからです。ただ、やはりほとんどのケースは心臓を止めることになるのですが、その際必要になる人工心肺の機械を扱える人がおらず、現状は毎回臨床工学技士を同行していますし、ザンビアのスタッフだけでの心臓手術はまだ難しいです。

(手術後の経過観察では、血圧や心拍数に変化がないか経過を見守る)

国際協力を目指したきっかけ

(2000年、青年海外協力隊としてモンゴルに赴任した頃の松村先生。医師の職種は募集がなく、バレーボールコーチとしての赴任だった。2年間指導した高校生チームと)

──松村先生は、都内の大学病院に勤務されていたそうですね。エリートの道からなぜ国際協力の道を目指されたのですか?

松村:
高校3年の時に、アフリカで医療に取り組む医師のドキュメンタリーをテレビで観たのがきっかけです。実家が商売をしていたので自分もそっちに進むのかなと漠然と思っていましたが、その番組を見て医師になりたいと思いました。つまり、国際協力に携わるために医師になろうと思ったのです。

医学生の時も医師になってからも、とにかく「国際協力に携わるために自分に必要なものは何か」を考えていました。青年海外協力隊にも参加しましたが、そこで感じたのは「実力がないうちに海外に行っても、現地では役に立たない」ということでした。求められていると感じなかったのです。

(研修の合間の一休み。ドリンクとおやつで何気ない会話を楽しむのは日本人もザンビア人も同じ)

松村:
30代でHIVや熱帯医学を学ぶためにタイの大学へ留学して、その時にアフリカ人医師もいたのですが、すごく優秀で知識も豊富なのでかなわないと思い、「自分は手に職をつけた方がいい」と感じました。オールラウンダーになるより、限られた分野でも得意なことを身につけたほうが、海外へ行って役に立てるのではないかと思ったのです。

──そうだったのですね。

(2004年、松村先生はタイのマヒドン大学に留学。マラリアなどを専門的に学んだ。フィールドワークにて)

松村:
「医師になるなら、しっかりと患者さんを手術で治せるようにならないと」という思いがあったので、25歳から65歳まで40年間働くとして、ちょうど中間地点である45歳までは一心不乱に仕事をしました。その後、東京の大学病院を退職し、本来の目的であった国際協力に携わるために「さくら診療所」に勤務しながらTICOで活動するようになりました。

──これまでのご活動で印象に残っていることはありますか。

松村:
どれもこれも強烈な経験ばかりですが、強く印象に残るようなものにはまだ遭遇していないですね。ザンビア人医師たちが自分たちで心臓手術してくれるのが一番嬉しいですが、まだ全然何かできたとは思っていないですし、まだ嬉しいとも思いません。今はしんどいですが、将来の印象に残る瞬間のためにがんばっているという感じです。

(昨年手術した女児と女性の患者たちが元気になり、病院で再会。その時の笑顔の記念写真)

チャリティーは、心臓手術に必要な管を購入するための資金となります!

(心臓手術で心臓を止める際に必要となる人工心配装置)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

松村:
心臓手術を行う際に、止めた心臓の代わりに人工心肺(ポンプ)を使って頭や臓器に血液を送ります。そのポンプに通すための回路(チューブセット)は一回あたり8万円ほどかかるのですが、衛生管理上使い回せない消耗品です。

経済的に苦しい国に代わって、毎回、この人工心肺の回路(チューブセット)は私たちが購入してザンビアに持ち込んでいます。今回のチャリティーで、この人工心肺の回路(チューブセット)を購入するための資金を集めたいと思います。

福士:
患者さんの命を救うだけでなく、未来の心臓外科医を育てるために、チャリティーアイテムで応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(手術が無事終了!オペ室にて、スタッフの皆さんと)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

高校までを徳島で過ごした私にとって、「徳島のNPOさんとコラボしたい!」というのは長年の望みでもありました。今回、徳島を拠点に活動するTICOさんとのコラボをとても楽しみにしていたのですが、インタビュー終わりに雑談をしていたら、松村先生のご実家がなんと!JAMMINの最寄り駅からたった3駅の場所であることを知ってびっくり!不思議なご縁を感じました。

淡々と、でもとても楽しそうに活動について語ってくださった松村先生。日本に住んでいると想像もつかないような世界で、確かな技術と強い意志で挑まれている姿がとても印象的でした。ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけたらうれしいです!

・NPO法人TICO ホームページはこちら

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聴診器の先から咲いたアラセイトウの花を描きました。
花言葉は「思いやり」で、TICOの医療支援を通じ、ザンビアの人たちの心(心臓)の未来に、より大きな可能性が広がっていくというストーリーを表現しています。

“Always follow your heart”、「いつも、あなたの心に従って」というメッセージを添えました。

Design by DLOP

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