CHARITY FOR

難病「ドラベ症候群」のデータベースを制作。ある母親の、我が子に向けた「希望の終活」〜ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)

今年25歳を迎えた青年の名前は「キヨくん」。
「ドラべ症候群」という難病を持つ彼は、発症当時「4歳までしか生きられない」と告げられました。

「ドラベ症候群」は、様々な種類の発作を持ち、一度発作を起こすと発作が何時間も続いたり、短い発作を何度も繰り返したりする「けいれん重積」が特徴です。発作を誘発する原因として、体温変化や興奮などだけでなく水玉模様や縞模様や木漏れ日が視覚に入ることで引き起こされることもあり、日常生活の中で発作を防ぐことは非常に難しいといいます。

いつどこで発作が起きるかわからないため、お母さんの林優子(はやし・ゆうこ)さん(60)はキヨくんが幼い頃、家の中に閉じこもり、ただ1日がすぎるのを待つ日々を過ごしました。4歳でキヨくんが生死をさまよった時、「子どもらしく、もっと楽しいことを経験させるべきだった」と思い、そこからは周りの同級生たちとできるだけ同じ生活をさせたい、地域で生きてほしいと、様々な活動をしてきました。

今週、私たちが一週間限定でコラボする「ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)」は、林さんが2004年4月に立ち上げた団体です。

25歳になったキヨくんを前に、林さんは言います。

「医療の進歩に伴い、ひと昔前は早くに亡くなると言われていた病気でも長く生きられるようになった今、親亡き後の不安は尽きません。
息子の方が先に亡くなると言われてきたし、私もそうだと思っていました。でも今、ここまで生きてくれたのだから、うんと長生きして私を見送ってほしい。そして私が亡き後も、彼が自分らしく生きていくために何ができるかを考えた時、この病気のデータベースを作ることが助けになると思いました。これは、私の『終活』です」

キヨくんと歩んできたこれまで、そして現在取り組んでいるデータベース制作について、お話をお伺いしました。

(林さんとは一度お会いしてお話を聞かせていただき、後日、キヨくんも交えてご自宅からテレビ会議でインタビューさせていただきました。こちらはその時の一枚。画面右側、オレンジのパーカーを着ているのがキヨくん、そしてその後ろが林さん)

今週のチャリティー

ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)

難病「ドラベ症候群」の研究治療を進めるために「きよくん基金助成」を行うことから活動をスタート。啓発グッズ販売や出版した本の印税、チャリティーコンサート開催など、10年間の活動で得た資金を元に、年に1度研究助成を行ってきました。現在は、ドラベ症候群の生活の質(QOL)向上のためのデータベース制作に力を入れています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO

4万人に一人の難病「ドラべ症候群」の息子と共に

(2歳9ヶ月のキヨくん。「生後5ヶ月に初めての発作を起こして以来、入退院を繰り返していました。長期入院も多く、年の内の半分以上を病院で過ごしていました」)

──今日はよろしくお願いします。林さんは息子のキヨくんが「ドラべ症候群」ということですが、どのような病気なのでしょうか。

林:
「ドラベ症候群」は乳児期に発症する難治てんかんです。「乳児重症ミオクロニーてんかん(SME)」という病名でしたが、成人を迎える方が増えてきたので、現在は「ドラベ症候群」という病名に変わりました。

発作には「部分発作」と「全般発作」があるのですが、この両方を併せ持つのが特徴で、一度発作が起きると5〜6時間発作がおさまらない、あるいは3分~5分くらいの発作を1時間の間に何度も繰り返す「けいれん重積」という症状があります。4万人に一人とされる難病で、生まれて1歳になる前に初めて発作を経験する人が多いです。

次男の聖憲(きよのり、「キヨくん」)は、生後5ヶ月の時に初めてけいれんを起こしました。7ヶ月の頃には大きな発作を繰り返すようになり、3歳になるころには乳児重症ミオクロニーてんかんと診断されました。

(ご自宅にて、笑顔を見せる現在のキヨくん。「4歳までしか生きられない」と言われていたが、今年キヨくんは25歳になった)

──何が原因で発作が起こるのですか?

林:
ドラべ症候群の発作を誘発する原因として、入浴や発熱、鬱熱(うつねつ、体温の放散がうまくいかず、体温が上昇すること)などによる体温の変化、水玉模様や縞模様、木漏れ日などが挙げられます。

──体温変化はなんとなく想像できるのですが、水玉模様などが発作の原因になるというのはどういうことでしょうか?

林:
ドラベ症候群の患者のうち、水玉模様や縞模様を見て発作を引き起こす「図形過敏」や光や木漏れ日が原因で発作を引き起こす「光過敏」を持つ患者は約半数いるとされています。聖憲の場合は両方を持っていたので、日常生活を送るのがとても難しい状態でした。外で遊ぶこともできないし、チカチカと光るテレビも見せられません。病院でエスカレーターの縞模様に反応して発作を起こしたこともあります。

(「睡眠時にも発作が起きるようになり、先生に見てもらうために、ビデオに撮りました。学校の先生や支援員さんに、見ていただくようにしています。両手を堅く伸ばし、この後四肢をガクガクとけいれんさせます」(林さん))

些細なことが発作の原因に。
日常生活を送るのが難しかった幼少期

(夜の公園で遊ぶキヨくんと兄の将基さん。「家に引きこもるのを止めたものの、発作は怖く、日が暮れてから公園に連れていくことから始めました」(林さん))

──普段の生活にも大きな支障があるのではないですか。

林:
はい。とても生活しづらく、親はどうしても神経質になりがちです。私もそうでした。どこかに連れて行くこともできず、刺激を避けるために一日中カーテンを締め切った部屋で、ただただその日が無事に終わることを願いながら何もせずに二人で過ごしていると、涙が溢れて止まりませんでした。

一回でも発作が起きないように、あれもダメ、これもダメといろんな原因となる可能性がありそうなものを排除して、ピリピリ、カリカリしながら生活していました。上のお兄ちゃんと遊んでいて、興奮して発作を起こした時にはお兄ちゃんを叱ってしまったこともあります。家に引きこもり何も考えられず、本当にしんどい時期でした。

──そうだったんですね。

(発作はいつどこで起こるかわからない。発作が起こると体の力がガクッと抜けてその場に倒れ、体のあちこちをぶつけてしまう。小さい頃のキヨくんは生傷が絶えず、ヘッドギアを装着していた。「発作で何度も顔面を打つので、鼻を守るためにおでこの部分を高くしたり、顎当てを付けたりしてもらったりしました」(林さん))

林:
どれだけ可能性を排除しても、起きる時には発作は起きます。そうやって割り切れるようになったのは、もっと後になってからですが…。

こんな生活を続けているうちに、聖憲はどんどん顔つきが変わり、いつしか笑わない子になっていました。

現在は医療の進歩によってドラベ症候群の死亡率は25%まで下がりましたが、当時は「4歳まで生きられない」と言われていました。けいれん重積は、一旦発作が始まると、そこから酸素を吸わせたり発作を抑える注射を打ったりしても、そこからがとても長いです。けいれん中に呼吸や心臓が停止し、そのまま亡くなることが非常に多かったんです。聖憲が1歳半の時に親の会ができたのですが、年4回の会報には一人、二人はお友達が亡くなったとお知らせが掲載されていました。

──つらいですね。

林:
さらに、発作を繰り返すうちに「脳症」を引き起こすということもドラべ症候群の特徴です。

聖憲は3歳の頃に「ケトン食療法」という、炭水化物の代わりに脂質をとることで症状を和らげる食事療法をスタートしたのですが、これがすごく合ったようで、服薬していた5剤の薬を2剤にまで減らすことができました。一時はオムツも取れ、短い歌なら歌えるようになるまで改善したんです。しかし4歳で脳症を発症し、障がいが重くなってしまいました。

──そうだったんですね。

(林さんは、ドラべ症候群の治療・研究を進めてほしいと、10年間の活動で貯めた300万円を1年ごとに50万円、ドラべ症候群を研究する研究者に助成する「きよくん基金」を立ち上げた。「2019年に6回目を開催して終了しましたが、毎年贈呈式と記念講演、患者家族交流会を開催していました。キヨくんの左隣は、遺伝子変異マウスを用いた遺伝性てんかんの発症機序解明と治療研究研究をされている日本医科大学の荻原郁夫准教授です。私たちの助成金で「電位依存性ナトリウムチャンネルα1と複合体を形成するたんぱく質から探るドラベ症候群の新規治療」の研究をしてくださいました」(林さん))

脳症を発症した時、「亡くなるとしても、
それまでは楽しい人生を送らせたい」と思った

(「聖憲が12才になって、初めて私を『母さん』と言ってくれるようになりました。その頃の写真です」(林さん))

林:
脳症になる前にも、発作で呼吸が止まり、死を意識したことは何度かありました。でも脳症を発症した時、「もし発作で亡くなるのだとしても、それまでは楽しい人生を送らせてあげたい」と強く思いました。

療育センターに通っていたのですが、そうすると聖憲が知っているのは大人の方ばかりなんですね。「どうしても同世代の子どもたちと接させたい」と思い、打診して地元の幼稚園に入ることができたんです。幼稚園に通いだした頃、聖憲が朝、「バイバイ」と手を振るのですが、手のひらを内向きにしていました。本人の気持ちが内に向いていたんですね。でも、通ううちに次第に手のひらを外に向けてバイバイするようになって、とても嬉しかったのを覚えています。

(幼稚園の遠足で初めての芋掘りをするキヨくん。「幼稚園では介助の先生が付き添ってくださり、聖憲にも友達が出来ました」(林さん))

林:
ただ、慣れるまでは大変でした。一日中掃除箱の中にいたり、校庭のうさぎに餌だけやって帰ったりするような日もありました。体温変化で発作が起きるので、普段から氷を持ち歩いて冷やしたりかじったりするのですが、一人だけ特別なので、周りからの理解もなかなか得られずにいました。

そこで、紙芝居を作って生徒さんたちの前で先生に読んでもらったんです。「みんなと同じようにおしゃべりもできないけど、仲良くしてね」と書いたら、そこからみんな話しかけてくれるようになって、いつの間にか、手をつないで一緒に元気に走り回っていました。

──よかったですね。

林:
それまで、上のお兄ちゃんにも我慢ばかりさせていましたが、少しずつ家族で旅行に出かけるようにもなりました。
外出先で何かあった時のために、しっかりと対策や準備をした上で、普通の子どもが経験する楽しいことを、聖憲にも当たり前のこととして経験させてあげたいと思うようになっていました。

(懸命に生きるキヨくんやこの難病のことを一人でも多くの人に知って欲しいと、林さんはキヨくんと愛犬「天(てん)」との生活を描いた児童書『こころの介助犬 天ちゃん 難病のキヨくんの「妹」はレトリバー』(ハート出版、2004年)や、キヨくんをモデルにした絵本『特別仕掛けのきよくん』(牧歌舎、2009年)を執筆した)

「地域で育てたい」と思うきっかけになった
キヨくんの脱走事件

(「第1回きよくん基金助成は、福岡大学小児科の廣瀬伸一教授に使っていただきました。てんかんという脳の機能的疾患において、iPS細胞を用いて培養皿上でてんかん脳の病態を再現することに世界に先駆けて成功されました。キヨくんもiPS細胞の研究のために皮膚提供しました。基金の贈呈式は関西テレビでも放映され、新聞にも掲載されました」(林さん))

林:
当時はてんかんへの差別がまだ強くあったので、聖憲の病気のことはご近所さんには話していませんでした。彼がいじめられると思ったからです。

発作が起きて救急車を呼ぶと、呼ぶたびに人だかりができました。精神的にもつらい時期だったので「放っておいてほしい」と思いましたし、ある時、救急車の曇りガラスからジャンプしてでも中を見ようとしている人を見て、本当に参ってしまって。聖憲を抱え、家の前ではなく家を出て道を下った大きな通りで救急車を呼ぶようになっていました。

──つらいですね。

(「聖憲が小学6年生の時に、フジテレビのドキュメントに出演しました。1年にわたって取材してくださり、その時の一コマです」(林さん)。聖憲が転んだ時に心配して駆けつけるのは、愛犬の天ちゃん。「こころの介助犬」としてキヨくんとご家族を支えた)

林:
しかし、そんな思いを一変させる出来事が起きたんです。ドアの鍵とチェーンを開けることを覚えた聖憲が、目を離した隙に、家から脱走していなくなってしまったんです。

事故に遭ったらどうしよう、何かあったらどうしようと青ざめて外に飛び出しましたが、本当に偶然に、病気のことを伝えていたたった2軒のご近所さんのうちの1軒の方が、パンツ一丁で外をうろうろしている聖憲を発見して「何か変だ」と察知して、手を引いて連れて帰ってくださったんです。

(「家族で海水浴に行った際の一枚です。天ちゃんが聖憲の浮き輪を引っ張ってくれました」(林さん))

林:
もし聖憲の病気のことを知らない方が彼を見ても、「パンツ一丁でうろうろして、変な子だな」で終わったでしょう。交通事故に遭っていたかもしれません。この脱走事件をきっかけに、家族で見られることには限界があり、何かあった時のために、地域の方たちにも聖憲のことを知っておいてもらわないといけないと強く感じました。そして、地域で彼の病気を隠すことをやめました。
「もしこの子が一人でいるところを見かけたら保護してください。うちに連絡をください」と言うようになりました。

(「小学6年の時の組み体操の写真です。特別支援学級担任の先生と介助の先生が、ひとつひとつ聖憲が参加出来る形を考えてくださいました。キヨの真剣なドヤ顔が嬉しかったです」(林さん))

──反応はどうでしたか?

林:
皆さん理解を示してくださり「どうしたらいいの?」「私に何かできることはある?」と協力的でした。ありがたかったです。
この件もあって「地域で子どもを育てたい」と強く思うようになり、念願かなって地元の小中学校へ通いました。今でも同級生に会うと、「キヨくん、大きなったな!」と声をかけてもらいます。うれしいですね。

(てんかんを啓発するオリジナルチャリティーコンサート「ぽっかぽかコンサート」。「発作は医師でも目の前で見る事はあまりありません。もし、どこかで発作してくる方がおられた時に、正しく介助出来るように発作と対処法を演じてもらっています。このミュージカルは聖憲の小学校生活を舞台にしました。熊のきよくんに友達ができるという内容です。組み体操で、聖憲に特別支援学級担任の先生がひとつひとつ工夫してくださった形を再現しました」(林さん))

成人になり、発作の数も減少。
「親亡き後」を考えるように

(「成人を迎える頃から車いす生活になると言われていましたが、マラソンと足こぎ車いすに出会い、また走ったり、ジャンプしたり出来るようになりました」(林さん))

──今は、キヨくんの症状はいかがですか?

林:
幼い頃に比べ、発作の数は減りました。寝入りと起きる前とが発作が起きやすいため要注意ですが、小さい発作が週に2回ほど、大きいものだと月に1回ほどの頻度になってきました。現在は生活介護を受けながら、もし私たち親に何かあった時のことを考えて、ショートステイを体験したり、一人でご飯を食べる練習や関わってくださる支援員さんを増やしたりと、少しずつ親亡き後に向けて動いています。

(キヨくんが17才の時に、成人のドラベ症候群の患者が車いす生活を送っていると知った林さん。「あと数年で歩行困難になると言われています。走れるうちにと思い出作りにマラソン大会に出場したところ、障がい者の参加が少なかったので、あらゆる障がい者ランナーに伴走ランナーをマッチングして、マラソン大会への参加をサポートする『ぽっかぽかランナーズ』を設立しました」(林さん)。2020年2月24日には、誰もが楽しめるユニバーサルなマラソン大会「第1回ぽっかぽか共生マラソン」を宝塚市末広中央公園横武庫川河川敷で開催予定。エントリー受付中!詳細は→https://marathon.pokarun.com

医学的な面や生活面から患者をとらえた
「データベース」制作の意図とは

(毎年クリスマス会を開催。こちらは2019/12/1に開催された今年のクリスマス会。一足お先に皆さんでコラボアイテムを着てくださいました!「宝ジェンヌ御用達のサンドイッチと宝塚ドーナツを食し、ダンスやコンサートを楽しんでいます。写真は宝塚ドーナツに生クリームやチョコチップなどをトッピングしているところ。ピンクのTシャツを着ているのは、ドラベ症候群と闘っている頑張り屋さんのお姉ちゃんです」)

──ドラべ症候群の生活の質の向上のためにデータベースを作成されています。ここにはどんな目的があるのですか。

林:
データベースは2017年に着手しました。

私が知っているドラベ症候群の方で、最高齢の方は36歳です。医療の進歩に伴い、ひと昔前は早くに亡くなると言われていた病気でも長く生きられるようになった今、親亡き後の不安は尽きません。ドラべ症候群の方たちの生活の様子をデータとして集計・更新していくことで、患者や患者家族の生活が見えてくると同時に、データを様々な方法で生かしていくことができると考えています。

(患者交流会の中で、データーベースの意見交換を行う林さん。「発症した頃は早く発作を止めたいという医療面で、発作が少し落ち着き、発作後の対処が落ち着いて出来るようになってくると発達や進学・学校とのやりとりの面で、思春期になると身体面で、、そして卒業後は居場所や親の高齢化に伴う親亡き後の事…、心配事は尽きることがありません。交流会では入れてほしい項目などの希望を聞くことができました」(林さん))

──どのようなデータベースですか。

林:
抗てんかん薬の有効率や副作用、受けた予防接種と接種後の異常といった医学的な分野のものから、身体能力や精神面での症状、必要な介助など、患者家族だからこその日常生活の実態に関する項目も豊富に用意しています。

──なるほど。

林:
医学的な項目は、投薬や予防接種の際、注意を促したり副作用を軽減したりする参考になると思います。日常生活に関する項目は、学校や福祉の場で、ドラベ症候群の当事者やその周囲の人たちに向けて、より良い環境を提供するためのヒントにもつながります。

そしてまた、このデータベースは、ドラベ症候群を研究する医療関係者の方に向けて、患者の貴重なデータとして将来的に新薬や治療法の開発につながる可能性もあります。豊富なデータがあることで、研究してくださる方が増えることも期待できると考えています。

(静岡で「きよくん基金助成贈呈式」を開催した際に、同行した関西のメンバーと、静岡おでんで打ち上げ!)

「一人取り残されても、生きていけるように。
データベース制作は私の『終活』」

(「ぽっかぽかランナーズ」のメンバーと、3キロを足こぎ車いすで完走。「応援には私たちの2代目のこころの介助犬・クレアとぽっかぽかコンサートで活躍した当会のゆるキャラ『ヘッドギアマン』も駆けつけました」(林さん))

──なぜ、データベースを作ろうと思われたのですか?

林:
これは私の「終活」だと思っています。
彼を連れて死のうと思ったこともあったし、彼が先に死んでしまうと思っていました。でも、ここまで生きてくれた。私が先にこの世を去った時、生活や薬のことなども含め、彼がこれまでと同じような生活を送るために支援してもらうのではなく、その時その時、時代に合ったやり方で支援してもらいたいと思っています。そしてその環境を整えるためには、データベースのように状況や環境を「見える化」する必要があると思いました。

患者家族は、家族会などで当事者の家族同士、情報交換して不安を解消したりすることもできますが、親亡き後、生活をサポートしてくれる支援員さんには、不安を相談できる場所がありません。彼がポツンと取り残された時に、支援員さんの助けになるもの、指針となるもの、少しでも支援員さんの不安を軽減できるものを何か残せないかと思い、それがこのデータベースの制作を始めたひとつのきっかけにもなっています。

(データベース冊子の表紙)

──この先もキヨくんが彼らしく生きていくための「希望の終活」なんですね。林さんにとって、キヨくんはどんな存在でしょうか。

林:
いないことが考えられない存在ですね。話したりすることはできないけれど、ジャンプしたり歩いたり、ここまで元気に生きてくれて、彼の存在が希望の光だと感じます。だから、これからもずっと光り続けてほしいし、そのために良い状態でいてほしいと思います。
言うことを聞かないので腹が立つこともいっぱいありますが(笑)、かわいくて仕方ないこともたくさんある。いつか研究が進んで、もし聖憲と話すことができたとしたら…、聖憲は私にいっぱい文句言うんちゃうかな(笑)

昔は「私が死ぬ時にはこの子も連れて行こう」と思っていました。でも今感じていることは、彼には彼の人生があるんですよね。この子にはこの子の世界があって、この子の友達がいるんです。家では食が細くてあまり食べないんですが、外にでると一生懸命ご飯を食べていたりするんですね。そんな頑張っている姿を見ても、彼が彼の人生を、彼らしく最期まで全うしてほしいと願っています。

(愛犬・クレアと散歩するキヨくん。「いつまで歩けるか分からないですが、患者さんや患者家族の皆さんの希望の光になれるように、頑張ってほしいと思います」(林さん))

チャリティーは、データベースを継続運営するための資金となります!

(啓発活動として、毎年「ぽっかぽか講習会」を開催。今年度は「ユニバーサル社会に向けて」という演題で、社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の竹中ナミ氏が登壇した)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

林:
データベース運営には、年間17万円のサーバー代がかかります。
また、スマートフォン対応のためにホームページのデザインの一部を改変したいと考えており、あわせて20万円が必要です。
ドラベ症候群の患者さん、また同じような症状を持つ難病患者さんやそのご家族、そして未来のために、チャリティーアイテムで是非応援いただけたら幸いです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(「ぽっかぽかランナーズ」のぽっかぽかなメンバーの皆さんと、今回のコラボデザインアイテムを着て記念撮影!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

パワフルな林さん。お話をお伺いしてると、次から次へと「あ、こんなこともしましたよ」「あんなこともありました」とエピソードが出てきます。楽しそうというと語弊があるかもしれませんが、すべてを受け入れ、そしてまた吹っ切れたような笑顔で話してくださる姿が印象的でした。今回のコラボにあたっていろいろとやりとりをさせていただく中でも、キヨくんを思う愛情の深さと強さを感じ「お母さんって本当に強いんだな」と心から思いました。

現実を見据えながら、一つひとつ行動に移し、活動してこられた林さん。このデータベース、またこのやり方が、次の世代のヒントになっていくのではないでしょうか。

・ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)ホームページはこちらから

09design

さんさんと輝く唯一無二の太陽と、太陽の光を浴びて強く育つ植物の姿を描きました。
互いに唯一無二の存在である親子が、愛情を注ぎ合いながら生き生きと生きる様子を表現すると同時に、同じ太陽の下、障がいの有無にかかわらず、誰もが自分らしく力強く生きる社会を表現しています。

“The future is bright and full of opportunity”、「未来は明るく、可能性に満ち溢れている」というメッセージを添えました。

Design by DLOP

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