CHARITY FOR

難病の子どもとその家族を支援して30年。難病のある子どももそうでない子どもも、ともに生き、輝ける社会を目指して〜NPO法人難病のこども支援全国ネットワーク

日本には原因が不明、または治療法のない子どもの難病が、国から指定されているものだけでも760以上あることをご存知でしょうか。そして、難病とともに暮らす子どもの数は25万人を超えるといいます。

医療技術が進歩し、難病があっても長く生きられる命が増えている一方で、制度が十分に追いついていない現実があります。また、難病によっては国からの指定がなく、家族の経済的な負担が大きくなったり、20歳を境に、支援が受けられる「小児慢性特定疾病」の対象から外れてしまうといった課題もあります。

ピアサポート(同じ立場の人による支援)の傍ら、難病のある子どもとその家族をつなぎ、一人ひとりが輝ける社会を目指して活動するNPO法人「難病のこども支援全国ネットワーク」が、今週JAMMINが一週間限定でコラボする団体です。

子どもの難病が抱える課題やご活動について、団体専務理事の福島慎吾(ふくしま・しんご)さん(53)と、主任の本田睦子(ほんだ・むつこ)さん(47)にお話を聞きました。

(難病のこども支援全国ネットワークの福島さん(写真右から二人目)、本田さん(写真左から二人目)を囲んで)

今週のチャリティー

NPO法人難病のこども支援全国ネットワーク(難病ネット)

難病や慢性疾病、障害のある子どもとその家族、これらを支援する人々を対象に、民間活動らしく、ときのニーズに柔軟に応じながら、子どもたちと家族を支え、QOL(クオリティ・オブ・ライフ=いのちの輝き)を高めるために、相談活動、交流活動、啓発活動、地域活動を行っている。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO

難病の子どもとその家族を支援して30年

(いろいろな立場の人たちが集う「こどもの難病シンポジウム」にて。医療や福祉の専門家に混ざり、人工呼吸器をつけて生きる人、その人たちと共に生きる人たちの会「バクバクの会」から、当事者の平本歩さんも登壇。医療的ケアの必要な子どもと災害について議論を交わした)

──今日はよろしくお願いします。まずは、貴団体のご活動について教えてください。

本田:
私たちは、難病の子どもとその家族を支援するための活動を行っています。30年ほど前に、難病の子どもを持つ親と心ある医療者が中心になって活動が始まりました。

──今でこそ社会的な支援や認知も広がっていますが、30年前となると、ずいぶん状況も異なったのではないですか?

福島:
そうですね。「ピアサポート」という言葉さえ知られていなかったので、かなり先駆的な取り組みだったと思います。活動は難病の子どもを持つご家族の電話相談からスタートしたのですが、当時はこういった方たちがほかに相談できる場所がなく、電話が殺到したと聞いています。

(1988年8月22日から行われている電話相談室。医療だけでなく福祉や教育分野の相談についても、専門の知識を持つ相談員が応じている)

福島:
電話相談は、団体立ち上げ当時からずっと続いている事業です。
現在は月〜金曜日、朝11時から午後3時まで、医師や看護師、社会福祉士や精神保健福祉士など専門の知識を持つ相談員が相談に応じており、医療に関する相談だけでなく福祉や教育などの相談もお受けしています。また、同じ疾病のお友だち探しのお手伝いも行っています。

本田:
相談事業としてもう一つあるのが、病院に拠点を設けてのピアサポートです。難病のある子どもを育てるご家族が気軽に相談や話ができる場所として、現在は東京都内の3つの病院と神奈川県と埼玉県の2つの病院に拠点を設けています。

特に、子どもの病名を告知されてすぐは、親御さんは悩みや不安を一人で抱え、孤独を感じています。病院での相談は予約不要で、病院に来た時に日頃の悩みや不安を吐露できる場。親御さんが「悩みを聞いてくれる人がいる。相談できる人がいる。一人ではないんだ」と感じてもらいたいというコンセプトで運営している場所でもあります。

(病院の中で一室を借りて行っている「ピアサポート」。こちらは国立成育医療研究センターでの様子)

サマーキャンプや宿泊施設運営等、
交流活動にも力を入れている

(2019年のサマーキャンプ“がんばれ共和国”あしがらキャンプ。「人工呼吸器をつけている子どもたちもみんなと一緒に楽しみ、夏の思い出を作ります」(本田さん))

本田:
難病のある子どもとそのご家族を対象に、交流活動にも力を入れています。

一つが、サマーキャンプ“がんばれ共和国”の開催です。難病や慢性疾病、障害のある子どもだけでなく、親御さんやきょうだいさんへのケアや交流も目的としており、地域の専門病院から派遣される医療班の「安心と安全」の環境のもと「友だちをつくろう」を合言葉に、毎年北は岩手、南は沖縄まで、現在全国7箇所で開催しています。

──7箇所とはすごいですね。一つの開催地でどのぐらいの方が参加されるのですか?

本田:
1箇所につき、参加されるご家族は30家族ほどです。ボランティアの方も合わせると一回のキャンプ参加者は150人ほどにもなります。

(サマーキャンプ“がんばれ共和国”あしがらキャンプにて、参加者の皆さんで集合写真!)

──すごい人数ですね!

福島:
難病のある子どもがいるご家庭は、普段の生活がどうしても家にこもりがちとなります。しかし、年に一度のこのキャンプがあることで「一歩外に出てみよう」とか「キャンプまでまた一年がんばろう」といったふうに、モチベーションにしてくださって楽しみに参加してくださるご家族が多いですね。

本田:
もう一つが、山梨県北杜市にある“あおぞら共和国”という難病のある子どもとそのご家族、支援者が無料で利用できる宿泊施設の運営です。4年前にオープンし、これまででのべ6,000人以上のご家族にご利用いただきました。

(“あおぞら共和国”完成予想図)

──無料で宿泊できるのですか?

本田:
はい。事前に事務局へ予約いただいて、無料でご利用いただけます。行楽シーズンはあっという間に埋まってしまう、人気の施設です。気兼ねなく家族の時間を過ごせると好評をいただいています。

福島:
宿泊ロッジが4棟あり最大55名が宿泊可能です。大自然と触れ合い、家族や仲間たちで過ごせるみんなの別荘、といったイメージです。将来的には診療所をつくり、何かあった時のためにドクターが常駐できたらいいなという夢もあります。ここで宿泊したご家族同士一緒にバーベキューをしたりして仲良くなり、その後も交流が続いているというお声も聞きます。

本田:
交流活動としてはもう一つ、「親の会連絡会」を年に4回、定期的に開催しています。関東では今年で29年目、関西では4年目になります。それぞれ家族会を運営されている団体同士が集まり、ゆるくつながりながら活動報告や情報交換、勉強会をしています。

(2019年のサマーキャンプ“がんばれ共和国”あしがらキャンプでの一コマ。美容師さんにヘアカットしてもらってうれしそうな表情を浮かべる子ども)

いろんな疾病の人がいるからこそのネットワーク

(約60の団体が参加している「親の会連絡会」)

──病名を限定せず、様々な疾病の子どもとそのご家族を支援されていますね。

福島:
そこが、私たちの一つの強みでもあります。

制度の話になりますが、現在日本で指定難病に指定されている疾病は333あります。この指定を受けていれば、医療費負担の軽減などの支援を受けることができます。子ども特有の疾病もありますから、別の制度で「小児慢性特定疾病(略して「小慢」)」というものがあるのですが、こちらに関しては、指定されている疾病の数は762に上ります。

(難病があっても、地域で他の子どもたちとともに遊び、ともに学び、ともに育ってほしいというのが私たちの願いです」とお二人)

──そんなにたくさんあるんですね。

福島:
皆さん、たくさんあるねと驚かれるのですが、指定されていない本当に希少な疾病も含めるともっとたくさん、それこそ何千何万という病名があるといわれており、25万人以上の患者がいるとされています。また最近では、これまでの医療で「同じ病名」であったものでも遺伝子レベルで調べることができるようになり、厳密には違う疾病であるということもわかってきました。

患者数が多ければ親の会があることも多く、当事者家族同士がつながることはそう難しくありません。しかし、希少な疾病の場合は同じ病名の方とつながるのは非常に難しいのが実情です。しかし親御さんとしては「我が子と同じ病名のご家族とつながりたい」という思いがあります。
同じ病名の子どもを持つご家族同士をつなぐことができるのも、さまざまな難病の子どもたちとそのご家族が携わっている私たちの団体だからこそお手伝いできる部分だと思います。

(ダウン症の双子の男の子。「大変なこともありますが、本人たちの楽しそうな姿に癒やされます」(本田さん))

──なるほど。

福島:
ただ、難病の治療研究、医療費の助成などを含む福祉サービスなどは「疾病単位」になりますが、学校や仕事のことなど生活面については、ライフステージによって抱える問題こそ変わるものの、当事者家族の方たちにとっては「実はそこに病名はあまり関係ない」ことも多くあります。

困ったことがあった時に近くに相談できる場所があって、気持ちを吐き出せたり理解し合えたり、支え合える人や仲間がいることが大きな力になる。
病名を超えて、このネットワークがあることで出会いが生まれ、子どもや親御さん、ご家族の価値観や生き方が変わっていく。それが我々の強みだと思っています。

(宿泊施設”あおぞら共和国”での1枚。家族やきょうだい、みんな仲良し)

難病の子どもたちやその家族が抱える課題

(全国各地のキャンプスタッフの交流の場にて、難病のある子どもやそのご家族、ボランティアさんも一緒にみんなでのんびり)

──皆さん共通して、どのような課題を抱えていらっしゃいますか。

福島:
医療技術の進歩によって、難病のある子どもは以前と比べてずっと長生きできるようになりました。それはとても幸せなことですが、ご家族にとって、一生涯続く医療費の負担は決して軽くありません。

「難病」の医学的な定義はありませんが、難病の子どもたちは現在全国で25万人いると私たちは説明しています。「指定難病」や「小慢」とされていない、何千何万もあるとされる難病もあわせた時、支援の網の目から漏れてしまい、公的な支援が行き届かず負担を抱えているご家族があるということが、課題としてあります。

──投薬や通院、補助器具など継続的なケアも必要となってくると、負担は大きいものになりますね。

福島:
そうですね。何かの制度にうまく該当すればよいですが、疾病によっては制度の谷間に落ち込んでしまい、高い医療費を負担し続けるというケースもあります。

もう一つの課題が、小慢の「トランジション」と呼ばれているものです。子どもの難病だからこその課題で、20歳の誕生日を迎えると、それまで受けていた医療費の助成が受けられなくなってしまうという問題です。

「小慢」に指定されていて、なおかつ「指定難病」でもある疾病は、762のうち約半分の48%だけです。つまり、残りの52%の疾病については20歳になった時点でそれまで受けていた支援が継続して受けられなくなってしまうということなのです。

(JAMMINのオフィスに足を運んでくださり、色々と話を聞かせてくださったお二人)

本田:
そうすると家族の医療費負担が大きくなり、それまでと同じ薬を飲み続けることができなくなって治まっていた症状が再発したり悪化したりといったことが起きてきます。

当事者やその家族の日々の生活を考えた時、病名があまり関係ないのと同じように年齢もまた同じです。当事者の声を伝え、20歳を過ぎても引き続きそれまで通りの公的な支援や医療を受けられるように働きかけていくことも私たちの課題の一つだと思っています。

福島:
私がこの団体に携わるようになった15年ほど前と比べて、少しずつ時代も変わってきました。行政や医療職などの専門職・研究者なども少しずつ我々の声に耳を傾けてくださるようになりましたし、国や自治体、病院や研究機関の会議にも当事者側の委員として入るようにもなりました。

また、希少な疾病の親の会・患者会も増えています。それぞれは小さくても、つながることでそれがやがて大きな力になり、課題の解決に向けて加速していくのではないでしょうか。

(2019年、日本小児神経学会に活動の展示PRブースを出展。親の会の仲間たちと)

親たちの声

10月末、大阪市内で開かれた「親の会連絡会」に参加させていただきました。

(2019年10月に大阪で開催された「親の会連絡会」の様子。第一部では、病児の学習支援を行うNPO「ポケットサポート」代表の三好さんの講演が行われた)

それぞれの親の会を代表し、報告会が行われました。参加されていた親御さんに、難病ネットさんについて聞いてみました。

Aさん:
人工呼吸器をつけて生きる人やそのご家族を支える活動をしています。個人で国に訴えを出すことは難しいですが、この会があることで当事者の声を国に届けることができるので、助かっています。

Bさん:
全国に50〜100人しかいない小児交互性片麻痺の会を運営しています。6家族で活動がスタートし、今は30家族にまで増えました。
運営にあたり、相談にのってもらったりアドバイスをもらったりしています。
また、この病気は小慢に指定されていなかったため、厚生労働省に指定してほしいと要望を出しに行った際、難病ネットのスタッフの方が一緒についてきてくださり、心強かったです。

(時には真剣な表情で、時には笑いも交えながら、日々の生活の悩みや最近の課題などを共有する参加者の方たち)

Cさん:
二分脊椎症の親の会をしています。排尿障害などがあり、二分脊椎症の親同士「うちの子どもらだけやわ」と思っていたようなケアが、こういう集まりに参加して情報交換してほかの病気の親御さんも苦労されているんだと知りました。同じ病気の子どもを持つ親同士、何でも話せるのもありがたいですね。

Dさん:
腎性尿崩症の会を運営しています。この難病には、家族会がありませんでした。難病ネットさんに電話して「会ってどうやって作るの?」と問い合わせ、近くで同じように家族会を立ち上げた方を紹介していただき、そこを参考に私たちの会ができました。

希少難病ですが、会ができたことによって学会等でもブース出展させていただくようになり、そこでまた新たな横のつながりが生まれたりもしています。

(会の終了後、立ち話に話が咲きます。皆さん和気あいあいと仲良くされている姿が印象的でした!)

「難病の子どもを持ったことで、
ここでしか生まれないつながりができた」

さて、ここからは、福島さんと本田さんに、団体の活動に携わるようになったきっかけをお伺いしました。

──お二人が団体に携わられるようになったきっかけを教えてください。

福島:
現在24歳になる娘は、脊髄性筋萎縮症(せきずいせいきんいしゅくしょう、SMA)という難病でした。日本全国に1,000人ほどいるとされている神経難病です。
今のようにインターネットも発達していなかった当時、SMAに関する情報は少なく、医学書を見ると「SMAの子は二歳ぐらいで死んでしまう」と書かれていました。SMAのこどもの予後はどうなのか、本当に二歳で死んでしまうのか、どのように暮らしているのか、同じ病名の人と知り合いたいと思ったんです。

(後に親の会の設立につながった、福島さんが作成したホームページ)

福島:
パソコンやインターネットが少しずつ普及してきた頃だったので、ホームページを作成して自ら情報を発信しました。そうすると同じ病名の親御さんが見てくれて、メールでやりとりしたり会ったりするようになったんです。そんな時に「親の会を作ろう」という話になり、この団体の創設者である小林信秋を紹介してもらいました。

私たちは飲兵衛なので、何度か一緒に飲みに行って、親の会の立ち上げにあたってのいろんなアドバイスをもらいました。そのうち親の会連絡会の定例会や研修旅行に参加するようになりましたが、当時はまだ年に数回の関わりでした。しかしあるタイミングで「手伝わないか」と小林から声をかけてもらって専属で働くようになり、16年ほどになります。

──本田さんはいかがですか?

本田:
私は、二人の子どもが「ペナ・ショッカー症候群」という難病で、上の子が生後4ヶ月、下の子が1歳1ヶ月で亡くなりました。
本当に希少な難病で、全国に100人もいないのではないかと思います。インターネットで調べてもヒットしたのは医学書だけ。あるページに書き込みをして、初めて、同じ病名の子どもを持つ方と知り合うことができました。

(本田さんと娘さん。「娘のはじめての誕生日での写真です。病棟の看護師さんたちがタオルでケーキを作ってお祝いしてくれました」(本田さん))

子どもを亡くしてこれからどうしようかと思っていた時、子どもが大変だった時に私自身がたくさんの方から支えてもらったので、今度は自分が同じようなお子さんやご家族を支えるお手伝いがしたいと思いました。病児の支援をしようと「おもちゃコンサルタント」の資格を取って支援活動をしている中で難病ネットの活動を知り、関わるようになりました。

──そうだったんですね。

本田:
二人の子どもを亡くした後、友人や知り合いに子どものことを話す機会はほとんどありませんでした。今、難病の子どもやご家族の方と接する中で、我が子の話を気兼ねなくできるし、ありのままの自分でいることができます。

(クリスマスには全国の子ども病院を訪問、入院中の子どもや家族にひと時の楽しみと思い出を届けている。「青い目のサンタクロースがプレゼントを持って病棟を訪れます」(本田さん))

障害のある人もない人も、
誰もが生きやすい社会を目指して

(日本のハロウィン発祥の地ともいえるYokohama Country & Athletic Club(YC&AC)で開催しているハロウィン・パーティーの様子)

──今後、目指しているものはありますか。

福島:
難病や障害があっても、その子どもが同年代の子どもたちと地域でともに育ち、ともに遊び、ともに学ぶ共生社会をつくっていきたいと思います。
そのためには、限られたことを限られた人たちとやるのではなく、すべての人たちにに開かれた活動としてやっていく必要があると思っていて、そこで重要になってくるのが「学校教育」だと捉えています。
30年後ぐらいになるかもしれませんが、合理的な配慮を受けつつ、年齢の小さい頃から難病や障害のある人もない人も一緒に暮らしていく環境が普通になれば、社会そのものが大きく変わると思います。

本田:
地域の中で暮らしていく時に、お互いに「いろんな人がいるんだよ」ということを知ることができたら、難病や障害のある人だけでなく、誰もが生きやすくなると思っています。そこを目指していくお手伝いが今後もできればと思います。

福島:
団体としては、盛りだくさんのことをしていますが、関係している方々お一人お一人に丁寧に向き合いつつ、支援の隙間から漏れてしまう方たちを親身にサポートしていけたらなと思っています。

(2019年3月、“がんばれ共和国”のシンボルである熱気球のお披露目を、“あおぞら共和国”で行った)

チャリティーは、宿泊施設「あおぞら共和国」運営のための資金となります!

(自宅や病棟を訪れ、子どもに遊びを届けるボランティア「プレイリーダー」の養成も行っている。「あそボラの愛称で親しまれています」(本田さん))

最後に、チャリティーの使途をお伺いしました。

本田:
難病の子どもとそのご家族が無料で利用できる宿泊施設“あおぞら共和国”の運営資金として使わせていただきたいと考えています。

宿泊は無料ですが、施設利用には、お一人一泊あたり約2,800円がかかります。今回のチャリティーで、1家族4人と仮定して、10家族分の宿泊費・112,000円を集めたいと思います。ぜひチャリティーアイテムで応援いただけたら幸いです。

(事務局のスタッフの皆さん。「どうぞよろしくお願いいたします!」)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

「難病」と聞いても、ぱっと具体的には想像できないかもしれません。今回福島さんと本田さんのお二人からいろいろとお話を伺い、また親の会連絡会に参加させていただいて親御さんたちから様々なお話をお伺いする中で、生活の中でのいろいろな課題やご苦労を知ったと同時に、それでいながら、皆さん本当に明るく、前を向いていらっしゃる姿が印象的でした。親の会連絡会の場のように当事者やその家族の間だけでなく、社会の中で悩みごとや不安が相談できたり共感し合えたりしたら、社会はもっともっと素敵な場所になるのではないかと感じました。

・NPO法人難病のこども支援全国ネットワーク ホームページはこちらから

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同じ一つのバスに乗って、嬉しそうな表情を浮かべる動物たち。病気や障害の有無に関わらず、誰しもに楽しみやワクワクする空間があることを表現しました。”がんばれ共和国”、”あおぞら共和国”のシンボルである気球もさりげなく描かれています。

“Happiness is a journely, not a destination”、「幸せは目的地ではなく、旅である」というメッセージを添えています。

Design by DLOP

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