私たち日本人は高度な医療を受けることができ、「セカンド・オピニオン」という言葉もあるように一つ以上の病院を受診することも珍しくありません。しかし一方で、同じアジアの地域の中には、近くに病院も、病気への知識もなく、病気になっても適切な治療が受けられない人たちがいます。
今週、JAMMINが1週間限定でコラボするのは、ラオスとカンボジアを中心にアジアの子どもたちへ小児医療支援を行うNPO法人「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN(以下「フレンズJAPAN」)」。
1999年、カンボジアのシェムリアップに「アンコール小児病院」を設立し、子どもたちに医療を提供するだけでなく、現地の医療者教育にも力を入れ、現在はカンボジア人が主導となってこの病院を運営しています。
2015年には新たなプロジェクトとしてラオスのルアンパバーンに「ラオ・フレンズ小児病院」を設立。現地の医療の発展のために力を注いでいます。
「建物だけ建てて『はい、さよなら』では、根本的な問題解決にはならない。医療従事者として医療支援をするのはもちろんだが、多角的な面から状況を捉え、教育や予防に力を入れることも私たちのミッションだと考えている」。
そう話すのは、フレンズJAPAN代表理事の赤尾和美(あかお・かずみ)さん(56)。看護師として1999年にフレンズの活動に参加して以来、第一線で小児医療の現場に携わっていらっしゃいます。団体の活動について、ラオスにいる赤尾さんとテレビ会議でつなぎ、お話を聞きました。
(お話をお伺いした赤尾さん。ラオスのご自宅での1枚)
NPO法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN
ラオスやカンボジア、ミャンマーを中心にアジアの子どもたちへ小児医療支援を行う。「医療・教育・予防」をプロジェクトの柱に、持続可能な小児医療を目指して活動している。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(「アンコール小児病院」外来のトリアージデスクと、取り囲んで順番を待つ患者さんたち。1日600名ほどが診察に訪れる)
──今日はよろしくお願いします。まずは、貴団体のご活動について教えてください。
赤尾:
1999年にカンボジアに「アンコール小児病院」を設立し、以来この病院を運営しながらスタッフの教育にも力を入れてきました。2013年にこの病院が「カンボジア人によるカンボジア人のための病院」として自立し、運営面では私たちの手から離れました。
(「ラオ・フレンズ小児病院」の全景。この病院は「ルアンパバーン県立病院」の敷地内にある)
赤尾:
新たなプロジェクトとして2015年、ラオスに「ラオ・フレンズ小児病院」を設立し、現在はこの病院の運営が一番大きなプロジェクトです。ミャンマーでも活動していて、現地のNGOと協力し、農村部の子どもたちの健康を守るために衛生教育や健康診断、家族に向けた栄養教育などを行っています。
──現地の人たちの健康への意識や医療機関へのアクセスの良さというのは、どんな状況ですか?
赤尾:
医療が遠いと感じています。それは病院が近くにないという距離的な意味だけでなくいろんな意味で、です。
(訪れた村で、病院スタッフと村のヘルスセンタースタッフとが村民を対象に健康教育を行っている様子)
(赤尾さんがいつも訪れる市場。活気に溢れた人々の生活がある。「日本では見たことがないような食材がいっぱいです」(赤尾さん))
──どういうことでしょうか?
赤尾:
日本のように至るところに病院があるわけではありません。診療所や病院まで距離があるし、インフラも整っていないので、道も悪路です。こういった物理的な原因がまずひとつあります。
もう一つが、知識が足りていないということです。治療をしなければいけないということを知らなかったり、いつ行かなければならないかわからなかったりすると、病気はどんどん悪化してしまいます。
さらに、信仰などの文化的な背景もあります。特にラオスは、民族によって信じているものが強くある地域です。病気になったときに祈祷師に祈ってもらったり、治療のために薬草を煎じたお茶を試したりといったことが第一選択肢であったりもするんです。
ようやく病院までたどり着いたとしても、信じているものが強いと治療を受けずに帰ってしまうということもありますし、「12時間おきに飲んでください」と薬を処方しても、時計を使わないで生活している人たちにとっては、まず時計の概念から勉強することになります。
──医療と彼らがベースにしている概念とがそもそも異なるのですね。
赤尾:
一方で、現地の医療倫理や技術がまだまだ足りていないという課題もあります。何とか診療所や病院に来てくれたとしても、適切な医療を提供できない場合があるのです。
(活動の拠点であるラオスに居住する「モン族」の子どもたち。民族衣装を着て)
(病院から半日かけて訪問した山の上にある村。「夜間に着いたので、電気も無い真っ暗な中での診療。ご家族が暖を取るために火を焚いてくれました」(赤尾さん))
赤尾:
もう一つあるのが、お金の問題です。
多くの人たちが農業で生計を立てているので、病気になって働けなくなることは、彼らの収入に関わることなんですね。体調がわるくても、「まだ大丈夫かな、まだ大丈夫かな」で後回しになってしまう。
これまで診察した患者さんの中には、骨折をそのまま放置して炎症が骨の中にまで及んでいたり、悪性の腫瘍を放置してものすごく大きくなっていたり、最初は軽い風邪だったものが肺炎を引き起こすまでになっていたこともあります。
「もう少し早く来てくれたら」と感じることは多々あるのですが、病院へ行くということは、その日の仕事の手を休めなければならず、稲刈りの時期などは特に“1日”がとても重要になります。体調がどうであれ仕事の方が優先されるような状況があります。
──よっぽど状態が悪くならない限りは、どうしても、目に見える方を優先してしまいますね。
赤尾:
借金をしたり家畜を売ったり、たくさんの方が命がけで病院に来ているのですが、一方で、慢性疾患の場合は定期的な通院が必要となってきますので、毎回治療のためにお金がかかるのは、家族にとっても大きな負担になります。それが原因で治療を途中で断念するケースもあります。
(多くの場所でインフラが整備されておらず、患者さんが病院を訪れるのも、医療者が病院から村を訪れるのも一苦労。「村への訪問看護へ行く途中の山道で、村からのトラックが立ち往生。この車が動けないと私たちも前進できないので、一緒にレスキュー隊に参加。雨季ではよくみられる光景です」(赤尾さん))
赤尾:
カンボジアで活動していた2001年より、病院運営の傍ら、私たちは訪問看護も開始しました。最初は院内だけの活動を予定していましたが、やはり診察に来られた方たちのアフターフォローを考えると、訪問看護が必要になってきたのです。その活動が現在のラオスの病院でもニーズがあり、継続することになったのです。
ある時、訪問看護で訪れた村で「サラセミア」という遺伝性の血液疾患の子どもを見つけました。話を聞こうとしたら、お母さんの顔が一瞬曇ったんですね。彼女は自分の子どもの病気を知っていたんです。サラセミアの治療には1パック10ドルほどの輸血が必要になるのですが、以前治療した際に、輸血代と交通費が家計の大きな負担になって治療をやめてしまっていたのでした。
たとえば1ヵ月の収入が100ドルの家庭に、輸血代1パック10ドル、それを長期的に負担せよというのは、無理があります。全額は難しいですが、経済状況もヒアリングしながら、状況に応じて対応するようにしています。
(ラオス人スタッフと共に村へ訪問看護へ。右端が赤尾さん。腕の周囲を図って栄養状態をチェック)
(入院病棟にて、ラオス人のドクター2名が患者さんを診察中。「だいぶ頼もしくなってきました!」(赤尾さん))
──一人ひとりに合わせた支援をされているのですね。
赤尾:
病院で診るのは、主に「身体」です。身体を調べ、様々なデータや数値が重要となります。しかし、同じことが原因でまた病院に戻ってくることがないようにするためには、身体だけを診るのではなく、影響因子となる、環境や信じているもの、経済、家族、村の状況などその人を取り巻く全体を診る必要があります。
治療の視点だけでいえば、たとえば診察をして「3日後にまた来てね」と安易に伝えがちなのですが、置かれている状況によっては「3日後にまた来る」ことがまず不可能なんですね。全体を知っていないと、一概にこちらの思い通りにしてもらうことはできないのです。
その人はどこから、誰と来ているのか。負担はないのか。そういったことまで知った上で、患者さんにとってのベストを考えたいと思っていますし、そこまで考えて行動できる現地のスタッフを育てることに力を入れています。
(ラオ・フレンズ小児病院の専門外来である「障がい児クリニック」での一場面。障がい児クリニックには医師や看護師のみだけではなく、栄養士、理学療法士、作業療法士、チャイルドセラピスト、訪問看護スタッフなど多業種のスタッフが関わり、ケアを提供している)
(病院から半日以上かかる村での訪問看護風景。病気だった子どもも無事に回復し、今では元気に学校に通っている)
赤尾:
病院で身体だけを診ている方が効率的だと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、支援やお金を有効に使うためには、同じ人を何度も診るよりも、防げるところは防ぎながら、患者さんやその家族にとって負担にならない方法を一緒に考えていくことが大切なのではないでしょうか。
疾患が誘発されてしまうような家庭環境や地域環境はないか。家族構成や衛生状態は良好か。こういったことを踏まえて患者さん一人ひとりと向き合う必要があるのです。
(毎週金曜日の朝に行われているスタッフミーティング。「1週間を振り返り、翌週の準備をします」(赤尾さん))
──なるほど。
赤尾:
栄養失調の患者さんが多くいるのですが、栄養失調と聞くと多くの方は「食べ物がない」と考えがちなのではないかと思います。それも一つありますが「知識がない」ということもあるんです。
「お腹がいっぱいになればいい」という発想でお米ばかりを食べるとか、「栄養」という知識がなければ、そういったことが起きてきます。
また、民族によっては食事に関するタブーがあり、しきたりを守ることが優先されてしまうということもあります。
また、食べ物があっても家族構成によっては作る人がいない場合もあるし、食べ物と栄養の知識があっても、衛生環境が悪ければ嘔吐や下痢によって栄養がすべて出てしまうこともあります。こういったことは、来院した家族と院内で話していても見えてこないし、わからないことです。
病院である程度の話を聞いて、大体の予測はしていくのですが、それでも実際に現地を訪れてみると「ここも原因だね」「あそこも原因だね」ということが多々あります。
(訪問看護に訪れた先の家庭で、住居環境や周辺の状況、コミュニティからのサポートなどをアセスメント。「院内では分かり得ない情報がたくさんあります」(赤尾さん))
(「ラオスでは、忙しい大人の代わりに子供が兄弟姉妹の面倒を見ることが普通です。生活は大変かもしれないですが、とてもいい習慣だと思います」(赤尾さん))
──治療だけではなく、原因も一緒に解決していくということなんですね。
赤尾:
ある時、訪問看護で訪れた患者さんに「近くに住んでいる人を診てほしい」といわれて別の方を診察したことがあります。お母さんは8回出産していて、そのうち7人は亡くなったということでした。一人残った8番目の子は当時4ヵ月でしたが、見るからに具合が悪そうでした。
詳しい話を聞くと、赤ちゃんは皆、生後4ヵ月ぐらいまでに亡くなっていたんです。お母さんは母乳が出ず、仕方なく砂糖を入れた重湯を飲ませていたということでした。
赤ちゃんが母乳をしっかり飲まないと(または、母乳に十分な栄養がないと)ビタミンB1欠乏症を引き起こし、それが、命をも奪うことになってしまうのですが、それが亡くなった原因かと予測できました。
8番目の赤ちゃんをすぐに病院に搬送して治療すると本人はとても元気になったのですが、ここからが問題で、じゃあ退院に向けてどうするのかということです。このまま帰ったら、また同じことを繰り返してしまう。お父さんもお母さんも仕事がなく、収入はゼロ。近所の人から塩とお米を分けてもらったりしながら生活をしている状態でした。
そこで、二人と話し合い、「何ならできる?」と尋ねると「鶏なら飼える」と。ここで私たちが鶏を手に入れて手渡すのでは、それは自立ではありません。村長さんとも話し合い、まずは村長さんの仕事を手伝うかたちでお金を貯めながら、鶏は村の人から分けてもらい、6〜8羽ほどの鶏を飼えるようになったんです。卵が食べられるようになって栄養が採れるようにもなったし、卵を売ってわずかですが収入を得られるようにもなりました。
──生活自体を改善できたんですね。
(Hちゃんの退院日。「出会った日のHちゃんとは思えないくらいに元気でご機嫌!目力があります。不安げだったお母さんにも素敵な笑顔が出てきました」(赤尾さん))
赤尾:
当時治療したHちゃんは、今年4歳を迎えます。お父さんお母さんは大喜びです。7人も赤ちゃんを失ってしまいましたが、私たちが介入し、彼らが知らなかった知識を伝え、そして村の人たちも巻き込みながら生活を改善することができました。
今では、自分たちで動物を猟ったりしながら、栄養価の高い健康的な食事を目指して彼らも努力しています。知らなかったから、できなかっただけなんです。
──すごいストーリーですね。すべて生活と紐づいているんですね。
赤尾:
医療、衛生、栄養、家族関係、医療アクセス、環境や信じているもの…、多角的な面から状況を見て、どこに問題があるのか、ないのかを一つひとつチェックしていくことが大切です。いろんなカテゴリに分けて見る目を持たなければ、どうしても医療だけに目を向けることになります。それでは、問題は解決しません。活動を通じて多角的な視点を持つ医療者を育てていくことも、私たちの使命です。
(授乳の手伝いをするスタッフ。とても良い表情!)
(外来にて、看護師のスタッフが患者の赤ちゃんをあやしながら体重測定。「自分の子供をケアするように…思いやりのあるケア(コンパッショネイト・ケア)が根付いてきているのを実感します」(赤尾さん))
──現地のスタッフへの指導について教えてください。
赤尾:
今年、団体設立23周年を迎えます。最初のプロジェクトであるカンボジアの病院では、20周年記念のイベントが開催され参加しました。そこで、表彰される勤続のスタッフの姿を20年前の彼らの姿と重ね合わせて、こんなにも立派になってくれたんだなと感じました。
知識や技術は、目に見えてわかりやすいものです。でも、相手を思いやるとか、相手のことを考えて行動するとか、そういったことは簡単に目に見えるわけではありません。
指導している時はきちんと伝わっているのか、理解されているのか、不安に思うことも正直ありました。しかし成長した彼らの姿を見て、確実に私たちが提唱している「Compassionate care(コンパッショネイト・ケア、思いやりのあるケア)」を成し遂げているんだな、と感じたんです。
(現地のラオス人スタッフが、創傷ケアのトレーニングを外国人のボランティアから受けている風景。みんな真剣!)
赤尾:
コンパッショネイト・ケアは、教えたらすぐできるようになるとか、1日で何かが変わるとか、そういうものではありません。はっきりとそれが目に見てとれるようになるのは、それこそ20年程の年月が必要かもしれません。けれど、ふとした際に発される患者さんへの声がけや、ミーティングの際のスタッフの言葉に、時々ハッと気づかされるんです。「彼らの中に確実にそれが根付いているんだ」って。その瞬間は本当にうれしいですし、その頻度がこれからもどんどん増えてくれたらと願っています。
(赤尾さんお気に入りの一枚。「カンボジアの病院で訪問看護をしたこの男の子。出会った時には、栄養状態が悪くて自分で座ることもできなかった子が、両足が宙に浮くくらい飛び跳ねて走れるようになった。“生きる力”を感じる大好きな写真です」(赤尾さん))
赤尾:
20年前、カンボジアで活動をスタートした時は、スタッフを教育する立場として「私が良いと思っていることが、彼らにとっても良いというわけではない」ということを私自身が認識する必要がありました。そして、どこがベストな着地点なのかを探す作業に入ったんです。当時はそんな風に思いませんでしたが、振り返ってみて、患者さんにとって、そしてまたスタッフにとっても、心地良く続けていける地点を一緒に見出していったんだなと思いますね。
現在運営している「ラオ・フレンズ小児病院」は、6年後の2025年までには現地のスタッフに運営を委ねることを目標に活動しています。うまくいっているのか、時に不安に感じることもあります。でも、確実に根付いているものがあると信じています。
(ラオ・フレンズ小児病院に来た患者の赤ちゃんとお母さん。「こんな素敵な笑顔を一つでも増やしたいとスタッフ全員が取り組んでいます」(赤尾さん))
(20年前、カンボジアで最初のミッションを終えて帰国する前日に撮影した1枚。中央にいるのが赤尾さん。「うーん、これが20年の始まりになるとは、微塵にも思わなかった…!」)
──医療の現場、過酷な状況も多々あるのではないかと思うのですが、赤尾さんはなぜこの道を目指されたのですか?モチベーションは何ですか?
赤尾:
もともと看護師になりたかったわけではないんです(笑)。体育大学への進学が決まっていたのですが、高校3年の冬に父が倒れ、経済的に進学が難しくなりました。母に負担をかけたくなかったけれど、就職もピンと来ず…、高校を卒業する年の1月に、ふと「看護師になろう」と思ったのが最初です。
先日、母が亡くなりました。ラオスにいるので、母の死に目にも会えませんでした。急遽日本に帰国して、気分が落ちている時に「この仕事ってどうなんだろう」と思ったりもしたのですが、ラオスに戻ってきて、毎日患者さんと接する中で「やっぱりこの仕事が好きだ」と感じるんです。
(カンボジア時代、7歳でたった7キロしか体重がなく来院したRちゃん。「長期入院後退院する前日の夜、病院の待合所で伝統芸能の影絵が披露され、2人で見ている場面の写真です。入院中ずっと一緒にいました。…この10日後に突然死してしまうとは思いもよりませんでした」(赤尾さん))
赤尾:
1日として同じ日はなくて、患者さんに至っては皆違います。課題を見つけ、解決のために何ができるのかを考えて、行動して、いい方向に行った時の達成感は、何にも代えがたいものです。毎日、日に日にこの仕事が好きになります。
──すごい。カッコいいです。
赤尾:
あとはやはり、子どもや家族の笑顔を見る時でしょうか。子どもって具合が悪いと遊ばないし笑わないですが、それが笑うようになってくれたり遊ぶようになってくれたりした時は嬉しいですね。
(945グラムで産まれた赤ちゃんが半年の入院後に無事退院。村ではそのお祝いとこれからの成長を祈って、伝統の儀式が行われた。病院スタッフも招かれ、記念に撮影した1枚)
(毎年10月に開催される「ルアンパバーン・ハーフマラソン」。赤尾さんは入院中の患者さんと一緒にゴールを目指した)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
赤尾:
私たちは引き続き、医療・教育・予防の3つの柱で活動をしていきます。今回のチャリティーは、栄養失調の患者さんに投与するビタミンB1の注射代として使わせていただく予定です。1本あたり50円なので、Tシャツ1枚の700円のチャリティーで、14人分の支援に繋がります。ぜひ、チャリティーにご協力いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話、ありがとうございました!
(東京にあるオフィスにて、「ラオ・フレンズ小児病院」の対外担当部長であるアナベラさん(写真後列右から4人目)が来日した際、たくさんのサポーターさんと共に歓迎会を開催した時の1枚。前列中央は赤尾さん)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「日に日にこの仕事が好きになる」。赤尾さんのこの言葉がとても印象的でした。本当に心の底から好きなことをしていないと、発することができない言葉だからです。そしてまたこの言葉の裏に、これまでの労苦と、それを一つひとつ着実に乗り越えてこられた自信も感じました。教育にも力を入れられていますが、赤尾さんと一緒に働くスタッフの方たちは、医療だけでなく赤尾さんのこんなカッコいい生き様も間近で見られて羨ましい…!と思いました。
自分が取り組んでいることに対して、面と向かって「日に日に好きになる」といえるだろうか?誠意を尽くしているだろうか?そんなことを、改めて感じさせられたインタビューでした。赤尾さん、ありがとうございました!
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いろんな種類の木や枝葉が集まって輪になっています。団体の活動によってそれぞれの地域に根付いた種がやがて芽吹き、現地の人たちによって育てられ、やがてつながりとなって大きな輪になっていくというストーリーを描きました。
“We are one World family”、「私たちは、世界の上でひとつの家族」というメッセージには、活動の軸にある「コンパッショネイト・ケア」への思いが込められています。
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