CHARITY FOR

世界の貧困、飢餓問題の解決に取り組み「こころとからだの飢餓」をなくすために。3月に巨大サイクロンが襲ったモザンビーク緊急支援〜ハンガーゼロ(一般財団法人日本国際飢餓対策機構)

「飢餓」という言葉を聞くと、皆さんはどんなイメージを浮かべるでしょうか?
遠い国、やせ細った子ども、経済的に豊かな日本に居る自分とは無縁の話…。どこかイメージのわかない出来事のように感じられる方が少なからずいらっしゃるのではないかと思います。

2019年3月14日、アフリカ大陸をサイクロンが襲いました。「南半球で過去最大級の自然災害」と国連による声明も発表されましたが、日本ではほぼ報道されることのなかったこの災害。アフリカ南部のモザンビーク、ジンバブエ、マラウイを襲い、300万人に影響が出ているといわれています。

アフリカ大陸の中でも経済的に特に貧しいモザンビークの港町・ベイラでは、サイクロンの上陸により400人の死者が出ています。58,000を超える家が嵐によって破壊され、現在、90ある避難所に12万人を超える人々が避難しています。浸水による被害で町の機能は崩壊し、衛生状態の悪化によりマラリアやコレラといった感染症も出てきているといいます。
サイクロンが襲った後、いち早くモザンビーク緊急支援を始めた国際協力NGO「ハンガーゼロ(一般財団法人日本国際飢餓対策機構)」が今週のチャリティー先。

「日本人の私たちにとっては、ピンと来ないかもしれない。しかし、地球のどこかが痛んだ時、それは私たちの痛みでもある。私たちが彼らとつながることができれば、たとえ小さなものであっても、それは必ず人々の心の中に残っていく」。そう話すのは、代表理事の清家弘久(せいけ・ひろひさ)さん。大阪の事務所にお伺いし、清家さんと総主事の近藤高史(こんどう・たかし)さん、マーケティング担当の碓井賀津子(うすい・かづこ)さんにお話を聞きました。

(大阪・八尾の本部事務所にて、ハンガーゼロのパネルを持って。左からマーケティング担当の碓井さん、代表理事の清家さん、総主事の近藤さん)

今週のチャリティー

ハンガーゼロ(一般財団法人日本国際飢餓対策機構)

世界で貧困・飢餓と闘いながら懸命に生きようとする人々のために「ハンガーゼロ」(飢餓のない世界)運動を推進し、1980年代から世界の貧困、飢餓問題の解決に向けた取り組みを、アジア、アフリカ、中南米の開発途上国で行う一般財団法人。2018年より団体名を新たに「ハンガーゼロ」とし、「こころとからだの飢餓のない世界」の実現を目指して活動している。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO

世界中から飢餓をなくすために活動

(2017年、コンゴ民主共和国 収穫を喜ぶプゥエトの人々。2014年から国内避難民の人々による農業プロジェクトが始まった)

──今日はありがとうございます。ハンガーゼロさんのご活動について教えてください。

清家:
私たちは、最終的には世界から飢餓をなくすために活動しています。
「飢餓」というと多くの方が「食料がなく、飢えていること」を想像されるのではないかと思います。確かに、世界では1分間に17人もの人が飢餓で亡くなっているという事実があります。しかし、私たちはこの物理的・肉体的な飢餓だけでなく「こころの飢餓」にも向き合い、日本から支援を行なっています。

──「こころの飢餓」とは?

清家:
食べ物さえあれば飢餓がなくなるのかというと、そうではありません。私たちがいくら食料を現地に持っていっても、現地の人たちが自立できなければ、食料が底をつきた時点でまた飢餓に陥ります。ずっと飢餓から抜け出せないままになってしまいます。「こころの飢餓」は孤立です。つながりがないことです。現地の人々が他者とつながりながら、外からの援助に頼らず自立できるように助けること、「共に生きる世界」をつくることも私たちの使命です。

──なるほど。

(10月16日の国連世界食料デーに賛同して、毎年全国25カ所以上で「世界食料デー大会」を開催。写真は2018年度の「世界食料デー京都大会」講演の様子。啓発事業部の田村治郎さんが世界の飢餓の現状を訴えた)

近藤:
「飢餓」と聞くと自分とは関係がないと思う日本人の方も多くいらっしゃるかもしれません。しかし、この国には肉体的な飢餓はないかもしれませんが「こころの飢餓」は増えているのではないでしょうか。そう考えていただくと、飢餓が実は身近なものであると感じてもらえると思います。

(ボリビアで活動中の駐在スタッフ・小西小百合さん(写真右から二人目)。2017年5月、教育支援を受けている子どもの家が火災で焼失した際、家族のもとに駆けつけて必要な物資を届け、エールを送った)

今年3月、「南半球で過去最大級の自然災害」が南アフリカを襲来

──具体的にはどのような活動をされているのですか。

清家:
私たちは世界中にある「Food for the Hungry(フード・フォー・ザ・ハングリー、以下『FH』)」という団体やその他の国際支援団体と連携・協力しながら、現地の活動のための資金面での援助のほか、スタッフが現地へ赴いて支援活動を行なっています。FHが支援している地区は3000以上、支援している人は56,000人にも上ります。現在、ハンガーゼロからは3組のスタッフが、ボリビア・フィリピン・コンゴでそれぞれ駐在員として教育支援や農業支援、自立開発支援などに取り組んでいます。
また、自然災害などの緊急支援活動も行なっています。

先日、3月14日にアフリカ南部を巨大サイクロンが襲い、甚大な被害が出ています。
現地では甚大な被害が出ています。国連は「南半球で過去最大級の自然災害」として、被災者は170万人にも達するとの緊急声明を発表しました。

(サイクロンが上陸した第2の港湾都市「ベイラ」の被災直後の様子。屋上に人々が避難している)

清家:
4月に元駐在員スタッフのローレンス綾子が現地入りしました。サイクロンが上陸したモザンビークの港町・ベイラでは、死者は400人にもなり、58,000を超える家が嵐によって破壊されたと報告されています。

現地の情報によると、3千を超える学校が破壊され、18万人もの子どもたちに影響が出ています。

──大きな被害ですね。

清家:
そうですね。現地に入ったスタッフから、日々情報が届いています。ここへの支援が急務だと考えています。

(サイクロンにより家が破壊されたベイラの家族)

巨大サイクロン被害、
何故日本では報道が少なかった?

(風速40メートルで街路樹がなぎ倒されたメインストリート)

──そんな大きなサイクロンが襲ったことを知りませんでした。モザンビークという国にもあまり馴染みがないですが、どのような国ですか?

清家:
1990年代まで、レナンドとフレリモという対立する二つの勢力によって内戦が続いていた国です。ソ連とアメリカがそれぞれのバックにつき、代理戦争のようなかたちで大きな被害がでました。

内戦は収束しましたが、国としては近代化を阻む様々な背景が重なり、とても貧しい国です。モザンビークの隣国・南アフリカは経済的にも非常に発展し、日本企業の進出も著しいのですが、南アフリカの一人当たりの名目GDP(GDP ・1年間の国内総生産額を国の人口で割った数字)が6,377.29USドル(89位)であるのに対し、モザンビークのGDPはたった475.56USドル(世界184位)です。アフリカで最も貧しい国と言われていたエチオピアは、米軍の主要基地を置いたために生活が向上し、GDPは852.77USドル(世界171位)まで上がりました(※GDPは「IMF World Economic OUTLOOK DATABASES」より)。

(サイクロンに襲われケガをした子どもを診る現地スタッフ)

──なぜ隣国とそんなに差があるのですか?

清家:
モザンビークは旧宗主国家がポルトガルのため、公用語がポルトガル語であるということが一つです。南アフリカは世界共通の言語である英語が公用語のため他国の企業が入りやすく、それにより経済が発展した部分がありますが、モザンビークは言語のハンデがあるということです。地理的にいえば、アフリカ南地区の貿易の拠点になるような場所に位置するのですが、やはり言葉の壁がここを阻んでいます。
もう一つは、土地の問題です。首都のマプトは砂地の上にあり、インフラ整備がすごく悪い状態です。こういった様々な事情から、国際社会から置いてきぼりになっている国なんです。

──サイクロンの報道は日本では大きくされていませんね。

清家:
日本とモザンビークは、国交や取引がほとんどありません。サイクロンが南アフリカを襲っていたら、関わりのある日本企業も多いですし、少しは報道されたのかもしれません。でも、たくさんの人が被害に遭っていても関わりもほとんどないしあまり意味がないと捉えられたのか、今回の被害はほとんど報道されることはありませんでした。隣国の南アフリカには、日本から鉱物資源を乗せたタンカーが日々行き来しているのですが…。

(サイクロンによって壊れた家の前。日常の生活が破壊され、奪われた)

モザンビーク支援に至った経緯

(モザンビークのムササ地区では、かつてハンガーゼロ(日本国際飢餓対策機構)の教育支援を受けていた子どもたちが大人になって児童教育に携わっている)

──どういう経緯で、今回の緊急支援に至ったのですか?

清家:
FHとしては、1990年代からモザンビークで支援活動を開始しています。私たちの団体も1998年から駐在スタッフを送り、学校教育支援や自立支援を続けていました。1999年に私も現地を訪れましたが、インフラが整備されておらず、相当大変な場所だと感じたことを覚えています。
道もないし、夜の電気もまったく使えないし、ザンベジ川という川から蚊が発生し、マラリアの原因になっていました。駐在スタッフが脳性マラリアにかかり、一命をとりとめた場所でもあります。

2007年に私たちは一旦活動を終了しましたが、その後もFH自体は支援に入っていました。また、元FHのスタッフが小さなNGOを作って独立しており、私たちはそちらのローカルな支援も行なっていました。
今回、サイクロンの襲来によって3344の学校が潰れたという事実を耳にして、マラリアで一命を取り止めた元駐在スタッフが「被害は大きすぎるが、3344分の1から立て直しをしたい」と現地入りを決めました。言葉のハンデがあり、インフラも整っていない、国際社会からは取り残され大きな支援もない状況で、とにかく日本からどんな支援ができるのか教えて欲しいと状況を見守っている段階です。

(2015年、モザンビークで行われた医療支援に携わった現地スタッフと当時の駐在スタッフ・ローレンス綾子さん)

サイクロン被害の現状について

(サイクロンで家を失った家族は学校に避難して生活を送っている)

──実は、今回サイクロンが上陸したという町をgoogleのストリートビューで調べてみたのですが、カメラが現地まで入っていないのか、何も見ることはできませんでした。町であれば世界中どこでもgoogleのストリートビューで見られると思い込んでいたので、googleという世界共通(と思っていた)サービスが通じない場所なのだと感じました。
もともと孤立していた脆弱な国をさらにサイクロンが襲ったというのは、ダブルパンチを食らったような状況なのではないですか。

清家:
ベイラでは、風速40メートルの爆風だけでなく、近隣諸国から水が流れ込んだために河川が氾濫し多くの人が家を失い、また道路の寸断や電気や水道、市場などもすべて崩壊してしまったために都市機能も麻痺してしまっています。

清家:
それだけではありません。保健所などの衛生施設も被害を受けたためにコレラなどの感染症も報告されていて、ますます被害が大きくなることが予想されます。

さらには、河川の氾濫によって耕作地も甚大な被害を受け、農家への経済的な打撃と、地域の食料不足も免れないでしょう。

(徐々に被害の状況が明らかになってきている。屋根が飛ばされた学校)

なぜ、支援するのか

(教育の機会を得たことで自分の将来の夢をもつ子ども。「大統領になりたい」(ルワンダ・ピース国際学校にて))

──危険も伴うお仕事だと思うのですが、それぞれ皆さん、なぜこのご活動をされているのですか。

清家:
「こういう現実が実際に同じ地球の上で起きているんだ」ということ、そして「なんとかしたい」ということですね。
僕の原体験は、高校生の時に障害のある子どもたちの施設へボランティアに行ったことです。行ったら子どもたちと遊べると思っていたら、上履きをひたすら洗わせられたんですね(笑)。
休憩室に行くと子どもたちがたくさんいて、わーっと子どもが寄ってきて「そう、僕がしたかったのはこれだ」と思っていたら、一人の子が自分の口の中に手を突っ込んで、唾を僕に塗りたくってくれるんです。施設の人に聞いたら、「話すことができないから、彼なりの表現であなたのことを歓迎しているんですよ」と言われて、言葉を使ってコミュニケーションをとるのが当たり前と思っていたけれど、違う世界があるんだと気付かされたんです。

(インタビューに応じる清家さん。飢餓の現状や社会情勢、ご活動について、私たちの質問に一つひとつ丁寧に答えてくださいました)

清家:
大学に入ってからもホームレスの方の支援をしたりしていましたが、社会人になってから一度海外に出てみたいと思うようになり、1988年、89年と2年続けてタイ、バングラデシュへ、1990年にはインド・コルカタにあるマザーテレサが設立した「死を待つ人の家」へも行きました。

私たちの団体はキリスト教を母体とする団体です。信仰者として、神様が作った人が環境によってこんなに違う生活をしているということを、神様は喜ばれていないと思うんです。子どもたちが教育を受けられない、働くことができない、食事さえできない、そんな状況を絶対なんとかしたいという思いがあります。

少し前に病気を患い、現場へ行く機会は減りました。だけど、僕はやっぱり現場が好きです。朝日が昇り、夜になると真っ暗で何もすることがない。人間の生活の原点が、ここにあるのではないかと思います。

──近藤さんはいかがですか。

近藤:
私は3.11の東日本大震災がきっかけです。ずっと難民や途上国支援の活動に関わりたいと思いつつ、子育てや仕事を理由に後回しにしてきました。震災をきっかけに「祈るだけではなく、行動に移さなければ」と経営していた印刷会社を親族に委ね、今はハンガーゼロの活動に専念しています。視察や会議で現地に行くことが多いですが、コミュニティづくりや現地の支援に直接携わることができ、とてもやりがいを感じています。

(2015年、コンゴ民主共和国を初めて訪問した近藤さん。農業プロジェクトで人々を助けている元国内避難民のパメラさんと)

──碓井さんはいかがでしょうか。

碓井:
私はもともとサポーターの立場として団体の活動を支援しており、団体の活動について聞く機会も多くありました。8年前からここで働いています。支援者様の対応など、国内における様々な働きをさせていただいています。

私は、清家や近藤のように現地経験が豊富というわけではありませんが、私たちの活動を支えてくださる方たちとのつながりによって現地の開発や人々の自立が進むことが、大きな励みになっています。多くの人々と出会い、そして「ハンガーゼロ」を目指して共に働けることの喜びを感謝しています。

(2018年11月10日「世界食料デー奈良南大会」終了後、ハンガーゼロ親善大使「ナイトdeライト」のメンバー(前列中央4名)、実行委員のメンバーと)

「地球のどこかが痛んだ時、それは私たちの痛みでもある」

(フィリピンで「持続可能なコミュニティ開発」に取り組むフィリピン駐在スタッフの酒井保さん)

──最後に、大きな質問になってしまうのですが…、日本にいるとどうしても遠く感じられてしまう飢餓というテーマですが、遠い国の人たちを、なぜ支援するのですか。

清家:
僕たちは、同じ地球市民です。体でいうと、たとえ小指の小さな小さな先っぽであっても、そこが痛むと痛いですよね。その痛みは、無視はできないですよね。それと同じことです。地球のどこかが痛んでも、同じように痛いはずなんです。

世界では、アメリカファースト、イギリスファースト、民族主義や自国主義が台頭してきています。しかし、自分たちさえ良ければいいのでしょうか?本当にそうでしょうか?
本当は皆、助け合って生きているのではないでしょうか。たとえば、日本の食料は、米を除くと8割は外国から助けられています。そう思うと、自分一人では何もできないんですね。皆、助けられて生きているんです。助け合って生きる地球の上で、どこかが痛めば、それは私たちの痛みでもあるんです。

──私たちの問題でもある、ということですね。

(2017年のボリビアサマーキャンプにて。現地スタッフと駐在スタッフの小西さん(写真下段左から3人目))

清家:
僕がよく紹介するのは、インドで出会ったある子どもの話です。
インドで学校支援をしていた時、日本では終戦記念日の8月15日は、インドの独立記念日で、この日は特別な給食が出るんですね。普段は食べられないような、と言っても日本ではごく普通にあるようなものなのですが、美味しいパンが出るんです。先生は「学校で全部食べなさい」と言うんですが、隠して持ち帰ろうとする子どもがいるんですね。見つけて注意すると、その子が「妹が昨日から何も食べていない。自分だけが全部食べるのは嫌だ」というんです。
このような気持ちを持った子どもが、この世にはたくさんいます。誰かから受けた恵みを絶対に無駄にはしないと思っている子どもが、たくさんいるんです。僕たちが生きながら、生まれながらに受ける恵みを、僕たちも誰かに返していきたいと思っています。

(国内の災害被災者の支援活動も行う。写真は昨年の西日本豪雨被災者支援活動の様子。広島呉市にて)

チャリティーは、サイクロンで被害に遭ったモザンビークの人たちを支援するための資金になります!

(2019年4月19日に行われた「モザンビークサイクロン緊急支援コンサート」の様子。100名を超える人々が駆けつけた)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

碓井:
今回のチャリティーは、モザンビークのサイクロン被災者支援のために使わせていただきます。具体的には、サイクロンに破壊された1/3344の学校再建のための資金として使わせていただきたいと思っています。1つの学校を再建するには、100万円が必要です。現地の人たちを支えるために、ぜひチャリティーに協力いただけたら幸いです。

──貴重なお話、ありがとうございました!

(取材後、3人を囲んで記念撮影。左からJAMMIN西田、近藤さん、清家さん、碓井さん、山本。ありがとうございました!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

ハンガーゼロ・日本国際飢餓対策機構さんは、実はご縁のある団体さんでした。私の姉が、もう15年以上前、大学生の頃にこの団体のボランティアとしてアフガニスタンへ赴いていました。今回コラボが実現し、その話をお三方にすると、なんと清家さんは、この時のアフガニスタン訪問を引っ張っていた方でした…!こんな偶然があるのですね…!世界は巡り巡っていますね。

国も、人も「自分たちさえ良ければ」と思いがちな時代です。攻撃や批判が世に溢れています。誰かや何かを排除することで、人が結束する時代です。
「誰かの痛みは、自分の痛みでもある」。清家さんのこの言葉が、胸にグサリと突き刺さりました。私たち日本人は、多くの人が飢餓とは無縁かもしれません。しかし世界の中で同じタイムラインに、飢餓は存在するのです。日本人として私たちができることは何でしょうか。

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缶詰の中から新芽が出ています。
食糧を象徴する缶詰から出た芽には、飢餓に苦しむ人たちに食べ物だけを与えるのではなく、自ら食糧を生むノウハウを得て、それをさらに誰かに伝えていってほしいという団体の思いを込めました。
缶詰のラベルには、団体の活動を象徴する魚と麦の穂が描かれています。

“Change myself, change the world”、「わたしから始める、世界が変わる」というメッセージを添えました。

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