「18トリソミー」という病気をご存知ですか。
ヒトにある23の染色体のうち、18番目が3本あることで様々な合併症状を併発させる障害です。先天性の疾患を併発することが多く、胎児の段階で流産や死産になることが多いとされており、生まれた後も数年前までは出生児の1年生存率は10%程度といわれていました。
今週、JAMMINが1週間限定でコラボするのは「Team(チーム)18」。18トリソミー児の親御さん、その家族を支援する団体です。
代表の岸本太一(きしもと・たいち)さん(34)の長女の心咲(みさき)ちゃんは、18トリソミーで生まれてきました。生まれた時に、お医者さんからは「長く生きられない」と告げられたといいます。
心咲ちゃんは今、7歳。お父さん、お母さん、そして3人の妹さんと、元気に生活しています。
(岸本さんと娘の心咲ちゃん)
Team(チーム)18
「18トリソミーのことをたくさんの人に知ってもらいたい。短命といわれても、こんなにがんばっている子どもたちがいることや、家族にとってかけがえのない存在であることを知ってほしい」、そんな思いから2008年より活動を開始した任意団体。
これまでに30カ所以上で写真展を開催しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(2014年7月に千葉・舞浜で行われた日本周産期・新生児医学会学術集会内での写真展の様子。「たくさんの18トリソミー児の家族が集まって、準備・運営を行いました」)
──今日はよろしくお願いします。まずは、貴団体のご活動について教えてください。
岸本:
私たちは、全国各地で18トリソミーの子どもたちの写真展を開催しています。写真展示を希望する家族から写真を募った後、各開催地在住の家族が中心となって写真展を運営しています。
──写真展はどんな場所で開催されているのですか?
岸本:
どういう場所で、どういった人たちに見てもらいたいかを考えながら展示場所を決定しています。地域の市民ホールや福祉センター、かかりつけの病院の他、医療系のシンポジウムや学術集会でも開催しています。また、ドキュメンタリー映画とセットで開催することもあります。
2008年10月に初めて開催し、これまで30カ所以上で開催してきました。東京や大阪などの都市部は何回か開催しており、今後は開催したことのない地域での開催を目指しています。
ただ写真展を開催するだけではなく、懇親会も行っています。18っ子家族同士だからこそ安心して話せることや、共通の話題など、活発な意見交換の場にもなります。Team18や写真展の存在が、心の癒しや安らぎを提供できるような役割を果たせればと思っています。みんなが集まれる場所になっているからこそ、うまく続けられていると思いますね。
(2017年2月に大阪で開催した写真展での1枚。「関西在住の方を中心に準備・運営を行いました」)
(「18トリソミーで生まれた赤ちゃんは、そのほとんどが自発呼吸が弱いために人工呼吸器を使ったり、経管栄養(鼻や口から胃までチューブを入れる)をしたりしています。また、心臓の合併症も多いことから、酸素飽和度(SpO2)や心拍数(HR)を常時チェックしています」)
──18トリソミーとはどんな障害なのですか。
岸本:
18トリソミーは、18番染色体の異常により様々な合併症を併発させる重い障害です。ダウン症は、23ある染色体のうち21番目の染色体が通常の2本より1本多い3本あるということがよく知られていますよね。18トリソミーも同じように、18番目の染色体が通常より1本多い3本あることでその名前がついており、エドワーズ症候群ともいわれています。
ほとんどの子に心臓の合併症があり、他にも呼吸器系の障害や口唇口蓋裂、手や足の奇形、内臓のヘルニアなど、重い合併症を持って生まれてくることがほとんどです。特に多いのは心臓の合併症で、それが原因で生後予後も悪くなり、1歳になることができるのは10〜30%といわれています。
──合併症によって命を落としてしまうことがあるのですか?
岸本:
生まれつき心臓に疾患があると、心臓にかかる負担が大きく、生きることに精一杯の力を使います。一般的には手術をするという選択肢もあるかもしれませんが、低体重で生まれる子どもが多く、また他の合併症があることによって、手術のタイミングを決めることは簡単ではありません。長時間の手術に耐えることができないのです。
心臓手術を乗り越えることができれば…と願っているご家族もたくさんいて、できるかできないかが、その後の人生を大きく左右するともいえます。
ただ、中には心臓手術をしなくてもうまくバランスを取りながら元気に過ごしている子どももいます。症状は個人によって様々で、こうだと言い切るのが難しい病気でもあります。
──そうなんですね。
岸本:
18トリソミーは体の発達だけでなく、知能にも遅れをもたらします。
中には知能的に遅れがない人もいますが、9割以上の子どもが、自分で立ったりしゃべったりすることが難しく、酸素や人工呼吸器を必要とする子がほとんどです。視覚や聴覚に障害を持っている子も少なくありません。
(「心咲は人工呼吸器(BiPAP)の力を借りています。入眠時は十分な呼吸ができず、息苦しい状態になってしまいます。人工呼吸器があることで、毎日安心して寝ることができます。BiPAPは長い付き合いなので、心咲の一部といってもいいです」)
(「心咲は1,789gで生まれました。できるだけ一緒にいる時間を増やしたかったため、保育器ではなく最初からコット(触れたり抱っこできたりする)で過ごしました」)
──長女の心咲ちゃんは、18トリソミーだとお伺いしました。なぜ、写真展を開催しようと思われたのですか?
岸本:
写真展は私が最初に始めたわけではなく、最初の代表の方から引き継いだかたちです。
18トリソミーは生きることが難しい病気です。活動を始めた頃は「これだけ頑張って生きている子がいるということを知ってほしい」ということや、「たとえ短い命でも家族との幸せな時間があるんだということを当事者の家族同士共有したい」ということ、「18トリソミーで生まれてくることは決して不幸じゃないということを広く世間一般に知ってほしいという思いが根底にありました。
18トリソミーの子どもを持つ親御さんたちの多くが共通した思いを抱いていたので、それをかたちにしたのが18トリソミーの子どもたち写真展だったんです。いうならば、親たちの「うちの子自慢」ですね(笑)。
(2018年-2019年の写真展で飾っている岸本家の写真。「明るい性格の心咲に対して、3人の妹たちが一層楽しさを与えてくれる日々です。心咲が家族の中心にいることがよく分かる写真です」)
岸本:
最近になって、社会一般にこの病気のことを知ってもらいたいという思いがより強くなってきたと感じています。
SNSを利用する人が増え、以前よりも家族同士が簡単につながることができるようになりました。しかし一方で、18トリソミーを知らない方たちには、こちらから発信することなしには見てもらう機会もありません。
特にここ6〜7年は出生前検査が広く知られてきたので、積極的に伝えていかなければならないとも感じています。
──というのは?
岸本:
出生前検査を受けた人が、子どもに障害があると診断を受けた後の選択として、例えば私たちが「こんな家族もあるよ」「自分たちはこんな家族だよ」ということを発信することができれば、迷っていたり、困っていたりする人に、何かポジティブなメッセージを届けられるのではないかと思っています。
私のところにもよく妊婦さんから相談がありますが、傾向としては「相談する=産みたい」と思っている人たちがほとんどではないかと思います。もう心の中では方向性が決まっているけれど、その一歩を踏み出す勇気が持てない部分もあるのではないかと感じるので、その気持ちを察して、少しでも手助けができればと思っています。
診断を受けた人がどんな選択するのか、そしてその後の心構えや準備を進めるときに、何らかのヒントを届けることができればと思っています。
出生前検査を受けた後の指導や助言は、医療関係者にとっても容易なことではありません。最終的には自分たちの意志で未来を決めることになりますが、いざ陽性という結果を受けた時、一体誰に頼るのか?Team18はその頼る先として、寄り添っていける団体でありたいです。
(広島県の宮島包ヶ浦海水浴場に訪れた際の1枚。「やることがめちゃくちゃすぎる…といわれることもありますが、力強く育っている心咲です」)
(1年前、2018年3月18日に水曜社から出版した『18トリソミーの子どもたち』(Team18編/水曜社/2018年)。「出版費用はクラウドファンディングで集め、1,060人以上の支援者から872万円のご支援をいただきました」)
岸本:
最近は「お腹の子が18トリソミーと診断された」と写真展を見に来てくださる方がいたり、私たちの活動を知って直接相談をしてくれたりする方もいます。
──そうなんですね。
岸本:
新しい命が誕生しようとしているわけなので、まずなによりも「おめでとうございます」という気持ちを伝えるようにしています。
あとは、状況を聞きながら同じ地域に暮らす家族とつないだり、出産後の事例を紹介したりと、自分にできる範囲での支援をしながら「一人じゃないよ、私たちがいますよ」というメッセージを送っています。
私たち患者家族の中にも、障害のある子どもの出産を前向きに迎えた家族もいれば、そうではない家族もいます。また、生まれてから障害が分かった家族もいます。みんなが同じ気持ちで出産を迎えたわけではないんですね。だからこそ、「こんな家族があっていいんだ」「こうやって変化することもあるんだ」ということを感じてもらえたらと思っています。
(2015年に福島県郡山市で開催された写真展では、たくさんの家族が同じ宿に宿泊。「一緒に旅行をする楽しみや、家族同士の貴重な交流の場となりました」)
(「次女に後ろから支えてもらっているときの写真です。なんか嬉しそう、そんな表情を見せてくれました」)
──心咲ちゃんのことを教えてください。
岸本:
心咲は、妊娠36週、生まれるまであと1ヶ月という時に18トリソミーだと告げられました。出産に向けていろいろと準備をしている中で、「胎児が小さい」という理由から詳しく検査をして発覚したことでした。「生まれてきても、生きることが難しい。お腹の中で亡くなるのを待ちましょう」とお医者さんから告げられた時は、絶句して言葉が出ませんでした。
「あと1ヶ月で生まれると周囲の人たちにもいっているのに、どうしたらいいんだろう」「出産の報告をする時に、亡くなることも報告するのかな」と、いろんな思いが頭をよぎりました。自己中心的ですごくネガティブな時期でした。
でも、お腹の中にいる胎児が動く音を聞いたりもしていたし、私たち夫婦は、授かった命に対して、短命だからとか、障害があるからとか、そういう理由で命の見方を変える判断はどうしてもできませんでした。奥さんとも話し合い、どんなことがあっても我が子と一緒に歩みたいという気持ちは変わりませんでした。
長く生きられないと告げられ、「一緒にいられるだけでいい」と思いました。それもあって、生まれてからは、保育器にはなるべくいれず、抱っこをする時間を長くしてもらったり、できるだけ彼女のそばにいられるようにしてもらったり、病院側にも柔軟に対応してもらったように思います。
──そうだったんですね。
岸本:
私たちは18トリソミーの診断を受けてから他の病院を紹介してもらい、出産しました。生まれる前に18トリソミーであることがわかった分、担当の先生が生まれてからの道筋を立ててくれて、その指標に沿って歩んでくることができました。とても恵まれていたと思います。
貴重な1日を積み重ね、奇跡的に退院して、家で過ごせるようになったんです。
──病院選びも大きいんですね。
(「2012年8月10日、待ちに待った退院日。初めて家に帰ってきて、早速私の胸の上で寝てしまいました。なんとも気持ち良さそうな寝顔です」)
(小さい頃からピーナッツバルーンで身体を伸ばしたり揺らしたりしていた心咲ちゃん。身体を動かしてとても楽しそう)
岸本:
長く生きられるか分からないということもあって、心咲のことを公にすることはなかったのですが、心咲が退院して家族での生活が始まってから、SNSで他の人が「子どもとどこそこに行ってきました」とか「楽しんでいます」という情報を目にすることが増えました。
「心咲は大変だけど、彼女も楽しいことを経験している。自分も発信してもいいんじゃないか」と思うようになりました。心咲が1歳半の頃です。それで、「うちの子どもはこんな子です」ということを初めて公表したんです。
毎日の繰り返しの中で思いが溜まって「ああ、もう言いたいな」と感じていたんでしょうね。いざ声を出してみたら、みんなが応援してくれたし、気持ちが楽になりました。「がんばって」という言葉が、素直に励みになりましたね。
──勇気が要ったのではないですか。
岸本:
1歳を超えるまでは、いつまで生きられるかという悩みも大きくあったのですが、2歳になる前に心臓の手術を受け、将来への希望が出てきていたというのも一つあったと思います。
公表するまでは、子どもがどうこうというより、周囲の目ばかり気にしていました。公表した後で友人との関係は大丈夫だろうかとか、「かわいそう」「大変なんや」というイメージを与えてしまうのではないかとか、自分の心配ばかりしていたんです。
「でも、それは違うんじゃないか」とも感じていました。僕自身、心咲と一緒に過ごす中でどんどんポジティブになったんです。
ネガティブなこともありますが、新しいこと、他の人がやっていないことをやりたいという気持ちが強くて、心咲と僕たちの挑戦を、いろんな人に見てほしいという思いが強くなっていったんです。
(Upseeという歩行補助具を着けて、公園で一緒に歩く)
(「私も心咲のように口からチューブを入れてみました。すごい違和感…毎日笑顔でいてくれる心咲に、一層愛おしさを感じ、なんとかしてあげたいという気持ちが強くなりました」)
岸本:
心咲は今年8歳になります。立ったり、食べたり、一人では難しくても、彼女の目線になって必要なサポートをしてあげられたらいいなと思っています。
18トリソミーの中にはてんかんなどの発作を持っている子も多いです。心咲は夜中と朝方に発作が起きることがあって、私は見守りで夜遅くまで起きるようにしています。妻と役割分担しながら、今は時間をうまく使えるようになりました。
心咲は4人姉妹の長女で、僕たち夫婦にとっては初めての子育てだったので、彼女がスタンダードなんですね。むしろ、下に3人の子どもたちが生まれてきて、そちらの方が新しい子育てと感じたぐらいです(笑)。
──岸本さんにとって、心咲ちゃんはどんな存在ですか。
岸本:
人生のすべてといえる存在です。生まれてきてくれたことで人生も拓けたし、想像もしていなかったことですが、彼女が生まれてきてくれたことで、この7年は大きく変わりました。
妻と子どもたちのおかげで僕自身はやりたいことをやらせてもらってるし、楽しく生きたいので、我慢していることもそんなにないんです。心咲がいてくれるからこそ、目指すものが明確になって、そこに対してチャレンジできています。特に、自分の生き方を認めてくれる妻の理解がなければ、今の僕も、家族のかたちもなかったと思います。
(「プロの水中カメラマン・西川隼矢氏に撮影してもらう機会があり、思い切って水中に潜ってみました。心咲は口を閉じて目を見開き、遠くを見つめていました」)
(心咲ちゃんと二人で訪れたアメリカでの1枚。「ウォルト・ディズニー・ワールドの1つ、EPCOTに行きました。キャラグリエリアで記念撮影。ミッキーが片膝ついて心咲の目線に合わせてくれました!感激です」)
岸本:
僕ね、この間心咲と二人でアメリカへ行ってきたんですよ。
──えっ、アメリカですか?!
岸本:
はい。心咲と二人で観光に行ってきました。妻に「ちょっと心咲とアメリカ行きたいんやけど」というと「行ってくれば?」という快諾を得て(笑)。
現地まではシカゴ経由、3時間のトランジットを入れて16時間、この間も二人でぴったりと息のあった移動でした(笑)。
──医療機器などを持っていくのが大変だったのではないですか?
岸本:
吸引器と呼吸器、何かあった時のために病院の紹介状を持っていきましたが、水とオムツは現地調達にして、荷物は大きめのリュックとスーツケース一個のみでした。ただ、手荷物検査がちょっと面倒で、医療機器がどうしてもひっかかってしまうんです。でも、事前に航空会社にも情報を伝えているし、グーグル翻訳で説明すればなんとかなります(笑)。
気は張り詰めていましたが、世界へは行けるんです。時差が16時間あったので、飛行機の中で水分量とか服薬の調整もして、無事にアメリカに到着しました。
(「1年に1回は大学時代の友人らとバーベキューをします。自分には昔も今も、変わらぬ大切な仲間がいます。親が大切にしているものを娘にも感じてもらいたい。遠慮のない心配りにいつも感謝しています」)
──すごいですね。
岸本:
「I can do it」、やればできる!という気持ちでやれば、大概のことはやれちゃんじゃないかなと思っています。外に出てわかることですが、世界は本当に、やさしさにあふれています。
「外」というのは、外出という意味でもあり、自分の殻を破るという意味でもあります。やってみてこそ、何か新しいことを知ったり、出会ったりして、また次にいろんなところに行くことができるんですよね。
海外でも日本国内でも、やさしさに触れることが本当に多くて、手を差し伸べてくれる社会にもなってきていると感じます。
(4組の夫婦のストーリーを通じて、生まれてきた意味や家族の絆、命の大切さや人との繋がりを考えるドキュメンタリー映画『うまれる』に出演した虎大(とらひろ)くんと。「心咲が目標とするお兄ちゃんです」)
(東京の特別支援学校で教師をされている岸本さん。先日、大阪・難波でお会いすることができました!JAMMINの西田とは同じ「太一」という名前、1984年生まれで年齢は私と同じ!お会いして一気に距離が縮まり、熱いたこ焼きも冷めきってしまうほど(笑)、熱く語り合った夜でした。3人で記念撮影!)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
岸本:
18トリソミーの子どもを持つご家族の中には、外出することが難しいご家族もいます。特に、医療的ケアを行っている子どもとその家族にとって、家の外に出ることはとても大きなチャレンジなのです。
子どもの体調が整っていても、行った先での環境面の心配や、何かあったら…という不安から、チャレンジするタイミングは難しいものです。看護師や医師が近くにいてくれたら…手伝ってくれる人がいたら…。安心できる要素がなければ、外出へのハードルは高いです。
そこで、外に出るための第一歩を躊躇しているご家族に対して、そのご家族にあったかたちで何らかのサポートをしたいと考えています。今回のチャリティーは、たとえば看護師さんに同行してほしい!や、必要な医療機器をレンタルしたい!旅先でのサポートをしてほしい!などといった、外出の一歩を応援するための資金として使わせていただければと思います。
──貴重なお話、ありがとうございました!
(心咲ちゃんを囲んで、ご家族の皆さんと)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「世界はやさしさにあふれている」。
岸本さんのその一言が、とても印象的でした。心咲ちゃんは、これまでに何度か大きな手術を乗り越え、生死をさまよう出来事もあったといいます。それでも、障害にとらわれるのではなく、常に前を向き、生きることを楽しむ岸本さんの姿に、障害のある人もない人も共に生きていく社会をつくっていくためのヒントを見せてもらった気がしました。
先日お会いした際には、歳も同じせいかまったく初めましての気がせず、本当にいろんなお話をさせてもらいました。岸本さん、ありがとうございます!また、近いうちにお会いできればうれしいです!
“The world is full of kindness”、「世界はやさしさにあふれている」。岸本さんのポジティブなメッセージをそのままデザインに落とし込みました。
テーブルに置かれたコーヒーとドーナツ。何気ない日常の風景ですが、よく見ると数字の「18」の文字になっています。さらにテーブルの上にはクランベリーの実が3つ。18番目の染色体が3つある18トリソミーを表現しました。
クランベリーの花言葉は「心を癒す」。家族と一緒にホッと一息をつく何気ない時間こそ、かけがえのない大切な時間。それが心の癒しとなってほしい、そんな思いも込められています。
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