「薬物依存症」に対して、皆さんはどんなイメージを持っていますか?
「薬物=違法なもの」というイメージが強いかもしれませんが、薬物依存は決して違法薬物に限った話ではなく、向精神薬(精神安定剤・睡眠薬など)や市販薬(風邪薬・鎮痛剤)なども含まれます。
様々な偏見と闘いながら、回復を目指し、1日1日を必死に生きる人たちがいます。
今週、JAMMINがコラボするのはNPO法人「京都DARC(ダルク、以下『京都ダルク』)」。「薬物によって居場所をなくした人たちが安心して生活できる居場所を作り、ベストを尽くしながら今日1日、薬物を使わずに生きていく手助けをしたい」。そう話すのは、京都ダルク施設長の出原和宏(ではら・かずひろ)さん(50)。
実は出原さんも回復途上の薬物依存症者。薬物を止められず、自己嫌悪に陥った空白の8年間があったといいます。
「ただ断薬するならば、刑務所へ入れば物理的には薬は止められる。しかし物理的なアプローチだけではだめで、自分の欠点や悪いところを認め、薬を使う理由を突き止めなければ、薬は止められない。自分自身の弱さを認めるところからがスタート」。
自身の体験をふまえながら、薬物依存からの回復の難しさをそう語ります。
京都ダルクのスタッフは、その多くが当事者たち。
「当事者たちにとって、回復した仲間の姿が「人は変わることができるんだ」という希望になれば」と出原さん。
今回は京都ダルクにお邪魔し、京都ダルクが薬物依存症からの回復プログラムの中で最も大切にしているという当事者によるミーティングを見学させていただき、その後、出原さんにお話をお伺いしました。
(お話をお伺いした出原さん)
NPO法人京都DARC(ダルク)
違法薬物や向精神薬、市販薬、アルコール等から解放されるための民間の薬物依存症回復支援施設。
Drug(薬物)Addiction(嗜好・依存) Rehabilitation(回復) Center(施設)の頭文字を組み合わせて「DARC(ダルク)と読む。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(施設利用者によるミーティング。月曜日から土曜日、1日2回、午前と午後に1時間のミーティングが行われる)
「ぜひ、施設で実際に当事者たちのミーティングを見てほしい」。京都ダルクで働くスタッフの石原雅子(いしはら・まさこ)さんからそうお伺いし、京都市内にある施設を訪問したのは、昨年12月のある日。
京都ダルクでは月曜日から土曜日まで、午前と午後の2回に分けて当事者によるグループミーティングを実施しています。「このミーティングは、回復プログラムの要として重視されている」と石原さん。
私がお邪魔したのは午後からのミーティング。少し緊張しながら、施設のドアを叩きました。ちょうどランチの後で、施設の中はおかずの良い匂いが漂っています。利用者の皆さんが和気あいあいとされていました。
14時からのミーティングに合わせ、薬物依存を断ち切るための回復プログラムを受講中の利用者さんが一人、また一人と席につきます。この日は8名の方が参加。進行も全て当事者で行われ、堅苦しい雰囲気は一切なく、皆さんマグカップなどを片手にリラックスした様子です。
ミーティングでは、プログラムに沿うかたちで一人ひとりが思いを発言します。当事者の方たちのプライバシーを守るため、撮影やメモは一切NGとのこと。場違いな場所にお邪魔してしまったのではないかと一瞬不安がよぎったのですが、利用者さんがあれこれと気遣ってくださり、その不安もすぐになくなりました。
(ミーティングで利用するハンドブック。最初に参加者が順番にハンドブックを読み、ミーティングを進めていく)
当事者Aさん:
覚せい剤をやって捕まるなんて、世間からしたら本当にクソみたいな人生。だけど、そこに手を出してしまった。やっているときは楽しくても、その後には虚しさと後悔しか残らない。今は本当に止めたいと思っているけれど、テレビの警察ドキュメンタリーで白いパケを見たりすると、やりたいという衝動が出てくる。でも、やったって、また後悔することはわかっている。それでもどこかでやりたいと思う自分がいる。毎日が闘い。
当事者Bさん:
ここのところ薬物に対して以前のような強い衝動は少なくなり、以前に比べてなんとなく日々が過ぎている。薬物には手を出していないが、今一度自分の目標や、モチベーションを確認したい。「自分にはできるんだ」と信じて1日1日をやっていきたい。
当事者Cさん:
引きこもりになり、精神薬が手放せなくなった。こんな自分でいてはいけない。少しずつ社会に出て、社会と関わる方法を見つけていきたい。
一人ひとりが話している間、他の方たちは黙って話を聞きます。
「それぞれが思ったことを話すグループミーティングは、反論も異論もなし、言いっぱなし、聞きっぱなしが基本。薬物は一人では止められない。安心して自分のことをさらけ出すことができる場を作り、それを重ねることで、生き方への考えが変わっていく」と石原さん。「病院や刑務所では、根本的な回復はできない。施設の中で、仲間と一緒にやっていくことが大切」と仲間の存在の大切さを語ります。
グループミーティングに参加させてもらい、一人ひとり当事者の方の発言を聞きながら感じたことは、自分の弱さを受け入れ、それをまた他人の前で発言する強さ。そこにたどり着くまでに、大きな葛藤や痛みが伴うと思うのです。
「今日1日は薬物に手を出さない」。自分と向き合い、真剣に生きる当事者の方の姿がありました。
(自由時間には、それぞれが思い思いに過ごす。高校受験を予定している利用者さんと数学の問題を解くスタッフの石原さん)
ミーティングの後、京都ダルク施設長の出原さんにお話をお伺いしました。
──京都ダルクはどんな場所ですか?
出原:
京都ダルクは、薬物依存症の方たちの回復支援施設です。
薬物依存症は病気です。なんらかの治療をしないと、生きていくことはできません。薬物依存症により生活がにっちもさっちもいかなくなったり、行き場を失ってしまったりした方たちの最後の砦のような場所です。
「止められるものなら止めたい」と本人も思っているのですが、自分の人生から薬を抜いてしまうとやることがなくなったように感じてしまう。日常に薬がないと、楽しいことも何もないように感じてしまう。僕自身もそうでした。
体から薬が抜け切った後も、「何かあれば使おう」という気持ちがどこかにあるんですね。「余命宣告されたら使おう」とか「家族から一人残されたら使おう」みたいな気持ちがある。どこまでいっても、心のどこかで「使いたい」という気持ちは消えない。薬物依存症の人は、そこと一生をかけて向き合っていく必要があります。
──どうやって回復を目指すのですか?
出原:
回復プログラムを通じて自分自身を見つめながら「本人の意志」で回復を目指していく。外部の人間が何を言っても、そこに本人の意志がなければ何も変わりません。一人ひとりの意志を尊重しています。
意識が変わるタイミングは一人ひとり異なります。
前に進まない人を見て、時に歯がゆく思うこともあります。でも、その人にとって本当の意味での回復はどこから始まるかわからない。適度な距離を保ちながら見守っています。
(毎晩19時から20時は自助グループのミーティングに参加。夜の観たかったテレビ番組は、録画して後日見るのだそう)
(お昼ご飯は毎日その日にメニューをみんなで決定し、買い物から調理、後片付けまでを分担する。「ダルク卒業後の自立生活に向けてのプログラムの一つです」(出原さん))
──どのようなサポートを行っているのですか?
出原:
京都ダルクのスタッフは、その大半が薬物依存症からの回復者です。先ほど見学していただいたグループミーティングと、当事者たちの居場所・時間・回復モデルを提供することで、同じ悩みを持つ仲間との関わりやつながりの中で回復のサポートをしています。
利用にあたっては、通所か入所を選択することができます。利用者は毎日施設を訪れ、一緒に昼食を調理して食べたり、農作業や就労体験をしたり、ボランティア活動やレクリエーションなどを通じて生活訓練を行います。
──通所と入所があるんですね。
出原:
そうですね。ただ、感覚としては夜寝るところが違うだけ、という感じですね。京都ダルク自体は17時までですが、その後、利用者は19時からは別の自助グループのミーティングに参加します。その後、寮に入所しているメンバーは寮に戻って晩御飯を食べ、お風呂に入ったりテレビを見たりして就寝します。
(入寮施設「ネクサス3」。閑静な住宅街の中にある。現在、3か所に分かれている入寮施設を統合した新施設の建設を予定しているが、地元住民の反対により難航。「薬物依存症には、強い偏見や差別が残っている。当事者たちが普通に生活している様子を見てもらえたら」(出原さん))
──割と自由な感じなのでしょうか?
出原:
完全に自由ということではありません。
施設に来たばかりの頃は単独行動は止めてもらっていますし、携帯電話を持つことも控えてもらっています。一人になった時にコンビニに入ってお酒を見て飲んでしまったり、街で昔の仲間と出くわして声をかけられたり、昔の仲間から電話がかかってきて再び薬物に手を染める危険があるためです。初めのうちはお金の管理も私たちが行います。
ただ、ダルクはずっといるところではありません。一人ひとりやがてここを出て、地域で暮らしていかなければならないということを念頭に置いています。ある程度回復が進んでくると一人暮らしやアルバイトを始め、最終的に完全な自立を目指します。
携帯電話もお金や恋愛も、人生には必要なもの。だけど、まずは回復の基盤を作ってから。その時まで置いておこう、というスタンスです。
(施設内は毎日笑いが絶えず、アットホームな雰囲気。「今日一日ベストを尽くし、今の自分に出来ることに取り組んでいます」(出原さん))
(スタッフや利用者の皆さんと嵐山に出かけた時の1枚。「夏の青葉も秋の紅葉も楽しめる場所です」(出原さん))
──日々のミーティングの他に、どんなことをされているのですか?
出原:
イベントやレクリエーションを大事にしています。それまで薬のある生活を送っていた人が薬を止めると、「薬を止めて何があるねん」というふうに思ってしまう。楽しめる体験をしてもらうことで、「薬を止めても楽しめるんや」と思えるようになります。
今は、利用者の方たちと一緒に野菜作りをしたり、地元の祭の手伝いに参加したりして、地域の方たちとの関わりを大切にしています。
周囲から「薬に手を出す自分が悪いんや」と言われることもありますが、本人たちも薬物依存症になりたくてなっているわけではないんです。自己肯定感が低く、体や心の痛みから逃れるために薬に依存してきた人も多いです。薬を使って「使ってしまった」とさらに自己肯定感が下がり、負のスパイラルに陥る人も少なくありません。
薬物依存症の人は、真面目で考え込んでしまうタイプの方が多いのではないかと思います。ダルクは日本に61箇所ありますが、関わった利用者の方が年に何人かは命を落としています。オーバードーズ(薬の過剰摂取)で亡くなる人もいますが、自分自身が変われないことが咎となって自ら命を絶つ人も多いんです。
(日常の一コマ。「利用者さんもスタッフも、一緒に回復を目指す仲間です」(出原さん))
(2018年11月に開催した京都DARC15周年記念フォーラムにて。施設長として挨拶した出原さん)
──どのようにして回復を目指していくのですか?
出原:
「薬物依存からの回復=人とのつながり」です。孤独に追いやられれば追いやられるほど、薬が止められなくなっていきます。誰も信用できず、家族に嘘をついてまで薬物に手を染めてしまう。僕自身、自分が薬を使っていた時のことを思い出すとすごく寂しいんです。自分も誰も信じることができないし、薬仲間も誰も僕のことを信じていないし、「こんなことがいつまで続くんや」と心の底から寂しかった。
ダルクでは、一緒に回復を目指す人たちを「仲間」と呼んでいます。目標を同じくしているからこそ、「仲間」と呼んでいます。ここに来て、同じ薬物依存症の人と出会い、話を聞いて初めて「俺と同じこと思ってる」「自分と同じや」と共感できた瞬間、「自分だけじゃなかった」とほっとして、居場所を感じることができる。ある利用者さんは、刑務所を出てここに来て、初めて「気持ちわかるわ」といわれて、それで安堵したと話してくれました。
気持ちをわかってくれる仲間が周りにいること、そしてその仲間も共に回復を目指していることが大きな励みになります。
──心強い場所ですね。
(年末には毎年餅つきを行う。「京都ダルクを卒業していった方が、ご家族と一緒に来てくれたりします」(出原さん))
出原:
他に行くところがなくても、ダルクはいつでも回復を目指す人を受け入れています。うまくいかなくてここを出たとしても、いつでもここに戻ってきて、人生を立て直すきっかけをつかんでほしいと願っています。
──京都ダルクのスタッフは、その多くが薬物依存症から回復した方だとお伺いしました。
出原:
薬を使っている時は楽しくても、いずれ死ぬか捕まるか、そのどちらかしかない。「先がない」ことは、当事者たちも皆自覚しています。本人が回復できるかできないかは別として、薬物依存症から回復した人が社会復帰している姿を見ることで、少なくとも「先がある」ことを感じることができる。その場しのぎの人生から、未来を少しだけ見ることができます。それだけでも、大きな前進だと思うんです。
仲間と出会い、これまでの薬物に頼る生き方ではなく、自分自身を認め、信じ、両手をあげて降伏して、委ねるという決心をする。自分でコントロールしようとせず、一旦すべて回復プログラムに身を任せる。そうやって1日1日、「今日1日は薬を使わない」という選択を積み重ねていくことで、徐々に変化が生まれていきます。
(京都府南部にある井手町の畑で、玉ねぎとニンニクを育てている。畑作業の現場での1枚)
──出原さん自身、ダルクを通じて薬物依存症から回復されたんですよね。
出原:
はい。20年前、29歳の時に薬物使用で逮捕されて、その後大阪ダルクとつながりました。しかし回復はうまくいかず、ダルクを出たり入ったりしていました。
当時、上面では「薬をやめたい」と言いはするけれど、心のどこかで「薬がないとダメ」という発想がありました。ダルクで色んなレクレーションがあったのですが「薬がないのに何が楽しいんや」と思っていましたね。ダルクを出たり入ったりを繰り返すうちに、薬の使い方も酷くなっていきました。12年前に「このままではあかん。あまりにも繰り返してきたことを一度終わりにしたい」と決心し、それまでの通所をやめて京都ダルクに入寮しました。
「とにかく1年やってみよう。薬を使うか使わないかは、その後に考えよう」そんな思いでした。断薬し回復に努めましたが、エゴやプライドが邪魔をしてなかなか自分の弱さを受け入れることはできませんでした。本当にしんどい部分を、誰にも見せられずにいたんです。一時期自分が薬をやめたいかどうかもわからなくなったこともありました。
(20代の頃の出原さん。薬物を使用して一時は気が晴れても、心の中は孤独だったという)
断薬して2年ほど経ち、スタッフとして京都ダルクで働き出してから、初めて「俺の人生はうまくいっているんやろうか?」と考えてみたら、そんなに良くなっている実感がなかったんです。薬もお酒もやめているしスタッフとしてお給料ももらっているけれど、人生が良くなっているという実感がなかった。その時に初めて、「自分自身が変わらなあかんのちゃうか」と思うようになったんです。
──自分の弱さと向き合ったんですね。
出原:
そうですね。自分自身を守りたいがゆえに、40年間ずっと、見栄やエゴにがんじがらめになっていたことに気づきました。そして、それが薬物をやめられなかった理由だということにも気がついたんです。そこから、少しずつ弱さを含め、素の自分を出せるようになりました。
それまで自分の人生に値打ちがあると思ったことはありませんでしたが、今は自分の人生に価値があり、幸せだと断言できます。「人は変われるんだ」ということを、経験者である自分が伝えていかなければならないと思っています。
──本当の意味で薬物依存から決別されたんですね。
(出原さんお気に入りの1枚。「仲間たちと訪れた、沖縄県国頭郡恩納村の万座毛です」)
(地元で開催されたお祭りに、利用者の皆さんとボランティアとして参加。ゴミ回収を担当した)
──京都ダルクでは、地域との関わりも大切にされていると聞きました。
出原:
社会の刷り込みもあり、薬物依存症は差別や偏見にさらされやすいです。テレビドラマなどでも薬物依存症の人が現実とはかけ離れた姿で描かれることがあり、心を痛めています。
「こわい人たちなのではないか」とか「意味のわからない言動をするのではないか」と思われている方も少なくないと思いますが、京都ダルクがこれまでおつき合いをしてもらった方たちからそういう風に言われたことは一度もありません。
実際に接し、触れ合ってもらうことでしかわかってもらえないことがあると思っています。そういった意味でも、地域の方たちと接点を持っていくことが差別や偏見を取り払う一助になると思っています。
──読者の方へ、メッセージをお願いできませんか。
出原:
身近なところで、僕たちを知って欲しいと思います。コーヒーを飲みにきてくださってもいいですし、ミーティングを見てもらったり、一緒にご飯を作ったりスポーツをしたりするのでも良い。時間を一緒に過ごしてもらえれば、僕たちのことをもっと知ってもらえるのではないかと思っています。
ここを出た仲間たちは、紛れもなく社会に出て、地域で暮らしていきます。ゆくゆくは「実は薬物依存症だったんだ」ということが、今よりもっと気軽にカミングアウトできるような社会になったら良いなと思いますね。
(毎週月曜日の朝は、施設の前の公園の清掃を行う)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
出原:
京都ダルクでは、病院に入院したり、拘置所や刑務所に収監されたり、更生保護施設に入寮している薬物依存症者の方に面会してダルクのプログラムを紹介し、回復のメッセージを届ける活動をしています。薬物依存症からの回復は簡単ではありません。一旦止めても、再び薬物に手を染めて再度捕まってしまう人も少なくありません。
でも、失敗や絶望の中で「変わりたい」と一歩を踏み出そうとする人を私たちはいつでも受け入れているということと、「回復はできる、未来はある」ということを伝えていきたいと思っています。
今回のチャリティーは、まだダルクにつながっていない人たちへ『薬物依存症は回復できる』という希望のメッセージを伝えていくための資金とさせていただきます。
具体的には、面会に訪れるための交通費や、手紙をやりとりする際の郵送料として使わせていただければと思います。
──貴重なお話をありがとうございました!
(月に1度開催される運営委員会にて、スタッフと支援者の運営委員の皆さんとで記念撮影!)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
薬物依存症というテーマは、今回が初めて。京都ダルクさんを訪問する際、正直少し緊張していました。しかし、施設のドアを開けるなり利用者の皆さんが気遣ってくださって、すぐに打ち解けることができました。スタッフの皆さんはじめ施設は本当に明るく和気あいあいとした雰囲気で、取材後も皆さん親しく話しかけてくださり、とても楽しい滞在でした。
「自分の弱さと向き合う」作業は、大人になればなるほど難しいことだと私自身痛感します。薬に手を出してしまったことは過ちだったかもしれません。しかし葛藤しながらも、1日1日、自分に打ち勝つ利用者さんの姿は、尊敬に値するものでした。
ツギハギの旗を描きました。たとえ破れたりほつれたりしても、また縫い合わせて、正々堂々とはためくことができる。
「人生はいつでもやり直せる」という思いをデザインに込めました。
“Each day comes with a possibility”、「毎日は可能性と共にやってくる」というメッセージを添えています。
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