今年も3月21日、「世界ダウン症の日」が近づいてきました。
今年で4度目となる公益財団法人日本ダウン症協会さんとのコラボ。
昨年までのコラボデザインをご存知の皆さまにはお馴染みの、ダウン症の21トリソミーを表現した「一つだけ3つあるシリーズ」。
初めてのコラボ時は葉っぱ、2回目は自転車(の中に一つだけ三輪車)、3回目は家(窓が二つある家の中に一つだけドアもついている)に続いて、今年のモチーフは「時計」に決定!
23ある時計の中に、ひとつだけ3時21分、そして秒針まで描かれた時計があります。ぜひ、探してみてくださいね。
今年の「世界ダウン症の日」のテーマは”Leave no one behind 〜誰も、一人にしない〜”。
障害のある人もない人も、誰もが取り残されず、学んだり、働いたり、好きなことをしたりしながら、誰一人残らず、自分らしく安心して暮らしていける社会を目指し、世界に向けてメッセージを発信します。
地域で、ダウン症のある人たちが受け入れられ、活躍できるように。
兵庫県淡路市でダウン症の娘の來紀(らき)ちゃん(6)と共に、地域の小中高を訪れ「命の授業」を実施する片岡加奈子(かたおか・かなこ)さん(47)にお話をお伺いしました。
(片岡さんと、娘の來紀ちゃん)
(先日開催されたキックオフイベントにて。モデルとして、ウォーキングを披露した來紀ちゃん(右))
公益財団法人日本ダウン症協会
ダウン症のある人たちとその家族、支援者でつくられた会員組織。相談活動と会報発行等を軸に、ダウン症に関わる様々な活動を行っている。
2月11日には、6回目となる世界ダウン症の日キックオフイベントを新宿区立四谷区民ホールで開催。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
──今日はよろしくお願いします。片岡さんはお住まいの淡路島で、娘さんと一緒に「命の授業」というプログラムを実施されているとお伺いしました。これはどのようなものなのですか?
片岡:
「命の授業」は、地元のお母さんと小さな子どもたちと一緒に小学校や中学・高校を訪れ、支え合う幸せ・学び合う心をテーマとして生徒たちに命の大切さを感じてもらう授業です。
第1部と第2部に分かれていて、第1部では親子一組に対して生徒が4〜5人ついて、赤ちゃんと実際に触れ合ったり、お母さんに持参してもらったへその緒とそれぞれの物語を通じて「一人ひとりの命、そしてあなたの命は、尊いものなんだよ」ということを感じてもらいます。
(「ラッキーアイテムお届け隊」の皆さん。へその緒にまつわる話を生徒に届ける。メンバーは地元のお母さんたちに声をかけ、ボランティアで集まっている)
片岡:
第2部では、娘の來紀ちゃんの話をしています。「障害のあるなしに関わらず命は等しく尊く、皆大事にされる存在なんだ」ということを感じてもらえたらと思っています。
授業の最後では、「ラッキーアイテム」を一人ひとりにお届けしていて、この授業をする私たちのことを「ラッキーアイテムお届け隊」と呼んでいるんです。
──「ラッキーアイテム」とはどのようなものですか?
片岡:
ダウン症は、ご存知のように23ある染色体のうち21番目が1本多い3本あることからなります。この1本から着想を得て、1本の毛糸を進化させていろんなアイテムを作っているんです。
世間から見たら、「かわいそう」とか「不幸」と言われる1本かもしれません。でも、捉え方次第で、この1本は幸せの1本にもなるんです。
(こちらが1本の毛糸を結んで生まれた「ラッキーアイテム」。いちごや四つ葉のクローバー、桃など、それぞれのモチーフに片岡さんの思いが込められている)
來紀ちゃんが生まれた時、中学校に上がったばかりの長女は「1本多くてラッキーの來紀ちゃんやで」と励ましてくれました。柔道をしていた高校生の長男は「來紀ちゃんの1本は“一本勝ち”の1本や!」と声をかけてくれました。
この1本を前向きに受け入れたことで、「なぜ1本多いのか」と悩むのではなく、もしかしたら私が1本少ないのかもしれないと思うようになったんです。物事は捉え方次第でつらくもなるし、幸せにもなる。「命の授業」を受ける生徒さん一人ひとりが、この先の人生で困難にぶつかった時、自らを信じ、自分の力で道を切り拓いてほしい。そんな思いを込めて、ラッキーアイテムを手渡しています。
──心強いお守りですね。授業を受けた生徒さんから、どんな声がありますか?
片岡:
「人より多い染色体の本数を前向きに考えていることがすごいと思った。自分も前向きになれた」「生きている限り何かが多くて何かが少なくても、命が存在していることには違いないんだと改めて思った」といった声をもらいます。
授業の後に手書きの感想を読ませていただくんですが、いつも感動で泣いてしまいます。生徒さんから学ばせてもらうことがたくさんあります。
(「命の授業」の様子。後ろにあるのは「笑」の文字。「この日は、來紀が書いた『一』の書と 私が書いた『笑』の書で演出してみました」(片岡さん))
(インタビューの間、いろんな表情を見せてくれた來紀ちゃん)
──なぜ、このご活動を始めようと思われたのですか?
片岡:
きっかけは、來紀ちゃんが通うことになる学校だったんです。入学予定の学校で学級崩壊があり「このままいくと來紀ちゃんは不登校になってしまう」と思ったことが始まりでした。
保護者が学校の先生を信じられないという状態では生徒の伸びしろが失われてしまうと感じましたし、生徒が不安定になることが、ダウン症がある娘へのいじめに繋がってしまうのではないかと思ったんです。
障害や人と違うということを理由に仲間外れにされたり、いじめられたりするのではなく、障害のある人もない人も、自分らしいありのままの姿が受け入れられる地域をつくっていかなければならないと感じたし、学校の先生方が一生懸命、いい学校になるよう取り組まれている姿に素敵な先生がいることも伝えたいと思いました。
──そうだったんですね。
片岡:
最初は地元の学校に行って「子どもたちに授業をさせてもらえないか」と打診しました。先生たちから返ってきた言葉は「子どもを見世物にしているのか」「あなたは障害者を生んだだけ」「前例がない」「そんな話は支援学級で聞いてもらってください」という心ないものでした。
「いきなり生徒たちに障害があるといわないで」とも言われました。とても耐えられるものではなかったし、傷つき、情けなくてつらくて、その場を離れてから涙が止まりませんでした。
と同時に、大人である先生たちがこのような意識でいるのだとしたら、生徒たちの意識はこの先変わっていかないという危機感も持ちました。
「來紀ちゃんは住む地域はえらいこっちゃ。大変なところに住んでいるな」と感じました。行動することで、地域が見えてきたんです。そこから少しずつ行動を始めて、ある時、淡路市長さんと会ってお話をする機会を得ました。
「子どもたち一人ひとりが命の大切さを知り、様々な特性がある人が受け入れられる社会をつくるためにこんな活動をしています」という話と、一方で周囲からこんな風に言われてしまったという話をしたら、市長さんは目を閉じ、黙って聞いていました。
「興味がないのかな?私の話が長くて眠ってしまったんやろか」と思ったのですが、違いました。市長さんは泣いていたんです。母子家庭で育った市長は困難を乗り越えて一生懸命育ててくれた母親を思い出したのだと…。
そこから教育委員会に話をしてもらい、市内の学校で授業をさせてもらうようになりました。
(家庭科でのラッキーアイテムお届け隊の取り組みが全国教育研究で発表された。その時の1枚)
(「素敵なご縁で、アメリカの学生さんたちにラッキーアイテムのお話をお伝えしました。その時に撮った一枚です」(片岡さん))
──直談判されて、それが実ったんですね…!
お話をお伺いしていると、すごい行動力だなあと感じます。片岡さんをご活動へと駆り立てるモチベーションは何ですか?
片岡:
家族や兄姉弟、親戚、友達、仲間…支えてくれるあたたかな人の心や…やはり、來紀ちゃんへの愛ですね。このままだときっと、來紀ちゃんは地域に受け入れてもらえず、楽しい学校生活を送れず、不登校になってしまう。成人式にも行けないかもしれない。そうではなくて、彼女も楽しく学校へ通い、楽しい人生を送ってほしい。そう思うからです。
支援学校に通ったら、学校へ通っている間は守られて、親も子どもも傷つくことは少ないかもしれません。相模原の障害者施設殺傷事件であったように迷惑な存在だと言われてしまうのであれば、今つらい思いをしてでも、社会に揉まれながら、課題に立ち向かっていきたいという思いがあります。
(生徒の皆さんに「ラッキーアイテム」を手渡す來紀ちゃん)
片岡:
同じ保育園に通うお友達のお母さんが、「來紀ちゃんは、周りのお友達のやさしさを育てているよ」と教えてくれたことがあります。理解ある人の力も成長に大きく関係してくるからこそ、地域の学校へ通わせたいと思いますね。
ダウン症はハンデかもしれません。できないことが多い命かもしれません。
でも、できることもたくさんあります。來紀ちゃんは、よくアシスタントとして「命の授業」をお手伝いしてくれるのですが、彼女は本当に周囲をよく見ています。共感力があって、誰ともすぐお友達になれます。
授業の最後に手話歌を歌うのですが、先日、教えたわけではないのに來紀ちゃんが手話を覚えていて、生徒さんの前で披露してくれたんです。彼女も彼女なりに、社会の中で成長している。無駄な命は一つもありません。
一人ひとりがそれぞれ認められ、必要とされる社会になればと思っています。
(來紀ちゃんは元気いっぱいで愛嬌たっぷり。取材の間、ニコニコと元気に遊びながら、道行く人をも笑顔にしていました)
(片岡さんとさをり織り体験に挑戦する來紀ちゃん)
來紀ちゃんが生まれた時のことを教えてください。
片岡:
陣痛が3日間あって、「これ以上陣痛が長引くと私自身が危ない」というギリギリの時にやっと、自然分娩で生まれてきてくれました。
3人目の子で、生まれてからの流れはなんとなく把握していたのですが、普通は生まれてすぐおっぱいを吸わせるところが、彼女が生まれてから看護士さんたちが急にバタバタし始めました。普通は病室へ戻るのですが、出産は終わったにもかかわらず陣痛室に戻されたので何故だろうと感じました。
NICU(新生児集中治療室)に呼ばれ、先生から「お子さんが心臓に疾患があって…」と告げられたのですが、先生の目が泳いでいるというか、こちらを見てくださらないので「本当に心臓だけですか?」と尋ねたんです。彼女の顔を見て「ダウン症ですか?」と聞いたら、「詳しい検査をしてみないことにははっきりとはわからない」とは言われたのですが、そうなんだなと感じました。
(生まれてからずっと繋がれていた管がはじめて外れた日。おいしそうにミルクを飲む)
3357グラムで生まれてきた來紀ちゃんは、入れられている保育器がすごく窮屈そうで。体にたくさん管が繋がれ、おっぱいをあげることはおろか、抱かせてもらうことさえできませんでした。「一度抱かせてほしい」と懇願して、保育器に覆いかぶさるようにして離れられないでいたら、精神安定剤を処方されてしまいました。
先生から「自力でおっぱいを飲むことはできない」とも言われたのですが「ほんまに飲まれへんのやろうか」とそれも納得できなくて…。
しばらく経ってから、ずっと保育器の側を離れない私を見て、看護士さんが「抱いてみますか」と言ってくださって。管につながれた來紀ちゃんを抱いて、恐る恐るおっぱいを飲ませてみたんです。そうしたら、力は弱かったけれど、自分の力でおっぱいを吸い始めました。「もしかしたら、お母さんの手から飲めるかもしれない」。そう言って看護士さんたちがわぁっと喜んでくださって、その言葉に希望を感じて哺乳瓶から飲ませてみると、ちゃんと飲んでくれたんです。
この時、抱っこだって哺乳瓶から飲ませることも決して当たり前でなく、感謝なのだと思いました。
最初は耳も聴こえていないと言われたのですが、お腹の中にいた時に聴かせていた歌を聴かせたら、彼女は反応しました。「耳も聴こえているかもしれない。私が諦めずにがんばれば、この子は自分の力で生きられるのではないか」。そう思いました。「だから、私ががんばってこの子のために道を切り開いていかないと」と思ったんです。
(「同じ場所で撮影した二枚を見比べては、彼女の成長を感じています」(片岡さん))
(誰とでもすぐに仲良くなれる來紀ちゃんは、生徒さんの間でも人気者!)
──生まれてそう時間が経たないうちに「この子を守っていく」という気持ちになられたんですね。
片岡:
NICUで管につながれた状態の彼女を見た時はつらくて、健康に産んであげられなかった自分を責めました。でも、納得できるまで私が頑張れば、彼女は自分の道を歩んでいけるという思いの方が強くなりましたね。
それよりも、病院から退院してからが大変でした。
「ダウン症?つらいね」「残念やね」という周りの反応や、当時、出生前検査の話題が世間をにぎわせていたのもあって「どうして検査しなかったの?」「なんで産んだの?」という反応。徐々に周囲の人たちと意識のズレが生じ、しばらく家に引きこもるようになってしまいました。
──そこから「このままではいけない」と外に出て活動をされるようになったんですね。
(お母さんの隣で一緒に取材を受ける來紀ちゃん。この日は当初の予定よりも長い時間お話をお伺いさせていただいたのですが、その間自分で楽しいことを見つけて、同行した西田と一緒にたくさん遊んでいました)
(嬉しい、楽しい、疲れた…、くるくると表情を変えて、感情を表現する來紀ちゃん。同じ笑顔でも、本当にたくさん表現があるんだなあ〜と感心!)
──來紀ちゃんの名前の由来を教えてください。
片岡:
來紀ちゃんがお腹の中にいた時は、別の名前を考えていたんです。でも、彼女が生まれてきて、いろんなことに立ち向かっていく強い名前にしたいと思ったのと、「ラッキーがたくさん舞い込んでくるように」という願いを込めて、「來紀(らき)」と名付けました。もうひとつは”Like it”、ダウン症があっても、「それもいいね!」と思える生き方をしてほしいという思いもあります。
──片岡さんにとって、來紀ちゃんはどんな存在ですか?
片岡:
「命の授業」を始めて4年になりますが、たくさんの方に協力してもらって、今では少しずつ理解も広まり、耳を傾けてくださる方が増えてきたと感じています。時間がかかるだろうとは思っていましたが、少しずつ、着実に前進していると感じます。遠回りかもしれませんが、だからこそ出会えた人たちがたくさんいます。來紀ちゃんがいてくれたからこそ出会えた素晴らしい出会いもたくさんあります。
私は、彼女のことを天使だと思っているんです。
結果が重視され、人と人とのつながりが希薄なこの時代に、世の中が忘れかけている大事なことを伝えるためにやってきたのではないか。そう思えてなりません。
(片岡さんは、ダウン症をテーマにした絵本の制作も手がけている。「ストーリーを考え、自分で人形を作って撮影します。それぞれ少ししか印刷しませんが、大切な人にお渡しすることもあります」(片岡さん))
──どんなことでしょうか?
片岡:
長男と長女は学生時代、スポーツでインターハイ目指したり、ジュニアオリンピックに出場する選手だったのですが、勝つことだけが目的になり、他を犠牲にする理不尽な鍛え方や関係がありました。結果だけが重視され、本当に大切にすべきことが大切にされない現実がありました。
結果だけではなく、そこに向かってがんばることや挫折を経てどう立ち上がるかが注目される世の中になるといいなと思っています。
(取材の最後には、この日取材に訪れた西田と私に來紀ちゃんが「ラッキーアイテム」を手渡してくれました)
──最後に、目指す社会・理想の社会を教えてください。
片岡:
現代は人の心が荒んでいると感じることがあり、「障害のある人は不幸だ」と思いたい人が多いのではないだろうかと思います。
障害は大変に見えがちですが、不幸ではないと思っています。西田さんや山本さんのように、障害のある人の魅力を知って、それを引き出そうとしてくれる人が増えると良いなと思いますし、一緒に遊んだり、励まし合ったり、刺激し合ったり…同じ目線で接してくれる人が増えてくれたら良いなと思います。
そのためには、まずはダウン症のことを知ってもらわなければならないと思っています。時に良い反応もわるい反応もありますが、傷ついても、勇気を持って違う世界に飛び込んでいくことで社会が変わっていくと思っています。
──貴重なお話をありがとうございました!
(取材の最後に、來紀ちゃんを囲んで記念撮影!)
片岡さんのお話から、片岡さんが経験してきたこれまでの葛藤と、活動を続ける中で確実に掴んでこられた未来への希望を感じました。
私がインタビューをしている間、來紀ちゃんはずっと笑顔、元気いっぱいで遊んでいました。くるくると豊かに表情を変える來紀ちゃんは本当にかわいくて、別れ際は名残惜しいぐらいでした(笑)。「ダウン症は不幸ではなく、ダウン症があることが不幸とされてしまう社会が不幸なのではないか」。片岡さんと來紀ちゃんにお会いして、改めて強くそう思いました。
4回目となる今回のコラボのチャリティーは、11月に開催の第2回日本ダウン症会議のための資金となります。
(2017年に初開催された日本ダウン症会議の様子)
「過去90年の間に平均寿命は6倍となったというダウン症。取り巻く状況が大きく変化する中で、2度目の開催となる2019年は『私たちはここにいます、当たりまえに市民として生きることを目指して』というテーマで、ダウン症のある方やその家族、支援に携わる人たち、ダウン症に携わるすべての人たちがこれからのダウン症について考えていきます。
2019年11月16日(土)と17日(日)の2日間にわたり、東京学芸大学教授の菅野敦先生を大会長に迎え、生涯発達支援と地域生活支援の4つの領域、ライフステージを縦断するかたちで『まなぶ』『くらす』『楽しむ』『かかわる』などの分科会を開催します。また、ご本人が参加できるワークショップ形式のプログラムも予定しており、ダウン症のある人たちの学びの可能性も改めて確認し、将来を展望する会議にしたいと思います」(日本ダウン症協会理事・水戸川真由美さん)
ダウン症にかかわらず、誰しもが自分らしく、生き生きとのびのびと生きられる社会を目指して、ぜひチャリティーにご協力いただけたら幸いです!
(今年のキックオフイベントにて、出演者・関係者の皆さんで記念撮影!)
長針と短針が描かれた23の時計の中に、ひとつだけ”3時21分”を指し、秒針まで描かれた時計があります。
「今この瞬間こそ、かけがえのないもの。
一瞬一瞬を見過ごさず、ダウン症のある人と共に充実した時間を共有したい」。
そんな思いが込められています。
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