子どもを産んだばかりの女性心身の負担は、決して少なくありません。
産後、出産前の身体に戻るには、6〜8週間が必要とされています。妊娠・出産を経て授乳と、ホルモンバランスも大きく変化する中で、初めての子育ては手探り。
地域とのつながりが希薄になり、また出産が高齢化している中で、昔日本にあった「周りの人が妊産婦を支える」という習慣が減っている現在、身体的・精神的に不安やストレスを抱える女性は少なくなく、産後支援の必要性が浮き彫りになっています。
今週、JAMMINが1週間限定でコラボするのは、一般社団法人ドゥーラ協会。
「ドゥーラ」という言葉の語源はギリシャ語で、「他の女性を支援する経験豊かな女性」を意味します。出産前後の母親に寄り添い、優しさと愛情を持って家事や育児のサポートを行う存在。その必要性を訴え、ドゥーラ協会は産後ドゥーラ育成のための養成講座を開催していています。
活動について、助産師であり、ドゥーラ協会代表の宗祥子(そう・しょうこ)さん(66)と、事務局の有山美代子(ありやま・みよこ)さん(43)にお話をお伺いしました。
(お話をお伺いした、ドゥーラ協会代表の宗さん(左)と、事務局の有山さん(右))
一般社団法人ドゥーラ協会
「母親も、すくすく育つ世の中に」をミッションに、すべての女性が産前産後を心身ともに健やかに家族や地域社会とのつながりを持ちながら、生き生きと過ごせるよう、「産後ドゥーラ」のプログラム開発・養成事業を行うほか、妊娠・出産・産後・育児に関わる情報提供を行っている。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(養成講座の授業にて。二人一組でパートナーになり、産後に使える手当て法の実習をしているところ。「子育ての経験を活かすことと、自分の子育て経験や価値観を押し付けることは異なります。現代の妊産婦さんと、そのご家庭を支えるために必要なことを、各分野の専門家の方々から最新情報と知識をご教示頂き、3~4か月間をかけて産後ドゥーラの養成を行っていきます」(有山さん))
──今日はよろしくお願いします。まずは、ドゥーラ協会さんのご活動について教えてください。
有山:
私たちは、主に「産後ドゥーラ」の養成事業を行っています。
──「産後ドゥーラ」とは何ですか?
有山:
妊娠中から出産前後の女性に寄り添い、家事や育児を手伝う人のことです。
赤ちゃんが生まれてすぐは、女性は心身ともに不安定な時期。「女性の傍にいる」ということが、すごく重要なのですよ。
赤ちゃんや上のお子さんの面倒を見たり、ご飯を作ったり、お母さんの悩み相談を聞いたり…家庭のあらゆることを“お母さんを中心に”トータルでサポートするのが、産後ドゥーラの役割です。
ご家庭によって生活のリズムは異なります。台所のどこに何が置いてあるかだったり、お子様やご家族のアレルギーなどについても、あらかじめお母さんにお伺いして、まさにお母さんのサポート役として、家庭の様々なことに対応できるようにしています。
経験豊かな女性が、その経験を生かして新たにお母さんになる人たちをサポートしていく。そんな循環を作っていきたいと考えています。
──なるほど。心強いですね。
(産後ドゥーラは、家庭にある食材を使い、お出汁をたっぷりと使ったお野菜中心の献立で、産後の体の回復によい料理を用意する。養成講座では、料理についてもしっかり学ぶ)
(産後ドゥーラ養成講座・実習編の「赤ちゃんのお世話実習」では、訪問活動30年のベテラン助産師・渡辺寛子先生と、産後ドゥーラ&助産師の先輩ドゥーラをアシスタントに迎えて、赤ちゃんの沐浴実習を行う)
──産後ドゥーラの養成は、具体的にどのような内容なのですか?
有山:
「産後ドゥーラ養成講座」は、妊娠・出産・産後(産褥期)・子育てを支えるための知識を体系的に学習できるプログラムです。基礎・実習の両講座を終了した後、認定試験(筆記・調理)と面談を経てはじめて、一人前の産後ドゥーラとして活躍できるようになります。
講座の中で、妊産婦の心身の変化や乳幼児の発達・保育、産後の食事やケアについての知識、育児実習や調理などの家事実習、救命救急実習なども行うほか、妊産婦特有の状況を理解して適切な対応やコミュニケーションを繰り返しロールプレイでしっかり学びます。産前産後のお母さんのセンシティブな気持ちを理解し、認めて支え、家事や子育てもサポートする、まさに専門家といえます。
──心強いですね。
有山:
産後ドゥーラとして認定を受けた後、それぞれ独立し、個人事業主として各地でお母さんをサポートしています。
2012年の3月から養成事業をスタートし、現在までに367名が養成講座を終了、全国で200名以上が産後ドゥーラとして活躍しています。
(認定式にて。宗さんから直接「修了証」とそれぞれの顔写真入りの「認定証」、そして「ドゥーラエプロン&キャップ」「チラシ(広報グッズ)」が手渡しされる)
(ドゥーラのサポートの様子。「産後ドゥーラは、主にご家庭での育児の導入期(妊娠中~産褥期)に自宅へお伺いして、生活環境の中に入り込んで母親と一緒に“赤ちゃんのいる暮らし”を支えます」(宗さん))
──たくさんのドゥーラさんが活躍しているんですね!「ドゥーラ」という言葉を聞いたのも初めてなのですが、産後ドゥーラさんがいなかった時代、お母さんたちはどうしていたのでしょうか?
宗:
昔から、日本は女性が出産にあたって里帰りしたり、自分の親が手伝いに来てくれたりといったことが慣習としてあったんです。しかし、こういったサポートをうけられるお母さんが減っているという現実があります。
──なぜでしょうか?
宗:
家庭のあり方が多様化していることや、お産の高齢化、実母世代の就労や介護が大きな要因です。
(「お母さんが笑顔でいることが、子どもの安心にもつながる」と宗さん。ドゥーラは家事や育児、きょうだいの面倒などをサポートし、母親を支える)
──どういうことでしょうか?
宗:
赤ちゃんを産む女性が高齢だと、そのお母さん(赤ちゃんのおばあちゃん)もご高齢であることがほとんどです。
そうすると、たとえばおばあちゃんが70過ぎだった場合、その方自身も健康面から、全面的にサポートすることが難しくなります。
あるいは、たとえばおばあちゃんが55歳ぐらいだった場合、今度は上の方の介護をしているということもあるし、50代だと、まだバリバリ働いているということもあります。そうすると、1ヶ月介護や仕事を休んで、子どもを産んだばかりのお母さんをサポートすることは難しいですね。
──なるほど…。
宗:
また、昭和30(1955)年代ごろまでは地域に産婆さんがいて、主に自宅で出産することが多くその産婆さんが子どもを産んだ母親を訪問してサポートしていました。日本は家族や地域の人たち皆がサポートするような風習があり、今でも里帰り出産を望む方が結構いらっしゃるのはその風習が残っているからですね。しかし、こういった姿も、時代とともに姿を消しつつあります。
地域のサポートに関しては、女性の働き方が変わったということが一つ要因として挙げられるのではないかと思います。
今子どもを産む人たちは、バリバリ働いている人が多いです。そうすると子どもを産むために産休に入るまで、地域の人や近隣のお母さんたちと接触がないんですね。マンション住まいで赤ちゃんが生まれたからといって、お隣さんがご飯を作ってくれるかといったら、そういうことはほとんどないですよね。それよりも残念ながら「子どもの泣き声がうるさい」といわれてしまうような時代なんです。
(産後ドゥーラ養成講座の調理実習の模様。産後の体の回復に良い、優しい味に仕上げる)
(沐浴や洗濯、家事を代行することで、お母さんは安心して産後の養生ができる)
宗:
昔は、地域だったり家族や親戚だったり、もっと子育てが生活の身近にありました。近所のおばさんやいとこ、兄弟、みんなで母親と赤ちゃんをサポートしていたんです。でも、現在はそうではない。そうすると、お母さん自体が子どもと接してきた経験がなくて、子どもに慣れていないんですね。
お父さんは夜8時9時まであるいは深夜まで仕事で家を空けて、実母にも頼れず、地域にも頼ることができない。孤独な子育てを強いられてしまうんです。
赤ちゃんが生まれる瞬間、その瞬間はお母さんにとっても母親になる瞬間です。お母さん自身も、毎日いろんな経験を繰り返しながら、周りから、そして子どもから教えられながら、徐々にお母さんとして成長していくんです。誰かの子育てを見たり、教えてもらったりしてできるようになることもたくさんあります。ですが、日本の教育ではそれを教えることをしません。
(上のきょうだいにとっても、赤ちゃんの誕生はとても大きなインパクト。産後ドゥーラは、じっくりときょうだいの気持ちにも寄り添う)
宗:
教育の中でもっと家族の有り方や子どもを育てる事の大切さ、子育ては母親だけでなく夫婦や地域で関わっていくということを伝えていくことができればと思います。同時に、孤独に陥っているお母さんを、周囲の人たちが助けられる世の中であってほしいと願っています。
産後は、周りの人たちに支えてもらうのが当たり前。日々学びながら、支えられながら母になるんだということ。そして家族のあり方や女性の働き方が変わってきている今、産後のお母さんを支えるのは、国や社会の仕事だという意識が広まって欲しいと思っています。
(理事会(2016年5月)にて記念撮影。右から渡邉寛子さん(訪問専門の開業助産師、養成講座講師)、理事の河合さん(医師)、理事の福島さん(助産師・東邦大学看護学部長・教授)、代表理事の宗さん(松が丘助産院院長)、監事の石村さん(助産師)、理事の宮川さん(鍼灸師)、理事であり共同設立者の丑田さん)
(2009年、ミシガン州アナーバー市を訪れ、宗さんが代表を務める松が丘助産院(東京都中野区)で推奨している「ナチュラルバース」の講演会を行った)
宗:
助産師としてたくさんのお産に携わってきた中で、「この人はおうちに帰ってからどうするんだろう。誰が彼女をサポートしてくれるのだろう」と思うお母さんが何人もいました。
かといって、こういったお母さんたちすべてのところへ私たちが行って、サポートをすることは、助産院で働く助産師には現実的には不可能です。
ベビーシッターに依頼すると、上の子だけ、下の子だけの面倒を見るというふうになります。片方の子をあやしながら上の子の相手をするということができないし、家事もお願いできません。お母さんがしんどい時、大変な時に洗濯や料理をお願いしたくても、臨機応変に対応してもらうことはできません。
お母さんを中心にしたサービスが、私たちが団体を立ち上げるまではありませんでした。子どもの面倒を見たり、ご飯を作ったり…、マルチでお世話できる人が必要だと思っていた時、講演先のアメリカでドゥーラに出会ったんです。
日本の場合は助産師がお産に寄り添い、サポートする歴史がありますが、アメリカには助産師という存在そのものがありませんでした。近年国家資格として出来ましたが、数が非常に少ないというのが現実です。お産の時にだれも付き添わないために、不安を感じるお母さんはドゥーラにサポートを依頼します。
アメリカで出会ったドゥーラは産前からお母さんを支え、出産に付き添い、子どもを産んだ後も、しばらく家に通い、お母さんとしての一人立ちをサポートしていました。これこそ日本のお母さんたちにも必要なサービスだと感じました。しかし日本は病院で出産したとしても助産師は出産に付き添います。そのため日本では、出産ドゥーラではなく産後ドゥーラが必要だと感じました。
産前・産後、ドゥーラが必要な局面はたくさんありますが、日本での社会的な受け入れを考えた時に、産後ドゥーラは特に需要があると感じました。そして、日本にも取り入れたいと思って活動を始めました。
──そうだったんですね。
(宗さんが日本で産後ドゥーラ養成のために動き出した矢先、東日本大震災が発生した。東京都助産師会が母体となり、震災の直後から被災地の母子を東京に迎え入れ、助産院などに滞在してゆっくりと産後の養生ができる環境を提供するプロジェクト「東京里帰りプロジェクト」を1年間実施した)
(助産師として国際協力活動にも力を入れている宗さん。マダガスカルに赴き、助産師としての技術提供と助産師同士の交流を行った時の1枚)
宗:
お母さんにとっては、出産がスタート。産後はどのお母さんも大変ですが、中にはもっと状況が大変なケースもあります。
たとえば、切迫早産などで入院した場合。お父さんもお仕事が休めないし、きょうだいがいて、おじいちゃんやおばあちゃんに預けることも難しいとなってしまったら、究極は、乳児院に預けられてしまうんですね。
──そんな…つらいですね。
うれしいことのはずなのに、どこかに預けられてしまうなんて…。
(2018年8月、宗さんはケニアを訪れ、現地の助産施設視察や保健相の方々と意見交換を行った。「これから日本の助産師との交流も企画してゆきたい」(宗さん))
宗:
そこをドゥーラがサポートできたら、そんなことをせずに済みます。
年の近い上の子がいるお母さんやシングルマザー、障がいのある子どもを育てるお母さんなど、困っているお母さんのところにドゥーラのサポートが届けられたら、状況はもっと改善するのではないかと思っています。
実際に、ドゥーラの必要性や有効性を知り、特定妊婦(出産後の養育について出産前に支援を行うことが特に必要だと認められる妊婦。精神疾患や不安定な収入、望まない妊娠などが挙げられる)のご家庭に取り入れてくださっている自治体さんもありますが、もっともっとこういったケースが増えて、本当に困ったお母さんのところに、サポートを届けたいと思っています。
──サポートを受けることで、楽になることができますね。
宗:
お母さんも人間です。産後は、身体の痛みやストレスもあります。自分の存在が脅かされた時、子どもを愛すことは難しくなります。自分が生きることが精一杯になってしまったら、子どもの虐待へとつながる可能性もあります。
お母さんがいたわられて、やさしくされて、存在をちゃんと周りから認められて、サポートされた時、子どものことをよりかわいい、大事にしていきたいと思うことができるのです。
(「母乳育児のリズムができるまで、お母さんの不安はつきません。上のお子さんに手をかけてあげられないことも産後の母親には気がかりなことの一つ。産後ドゥーラはそんな産後直後の母親の温かな手のかわりに上のお子さんを抱きしめ、沐浴を手伝い、そして一緒に赤ちゃんのお世話をすることで、上のお子さんとじっくりと向かい合える時間をつくるお手伝いもします」(宗さん))
(生まれて間も無い赤ちゃん。尊いいのち)
──宗さんは助産師としてこれまでたくさんのお産に携わられていると思いますが、お産とはどういうものだと感じていらっしゃいますか。
宗:
素晴らしいものです。お母さんが開かれて、世の中と繋がる瞬間、宇宙とつながる瞬間だと思います。
だからこそ、そこが辛いものであって欲しくないと思っています。
「自分の力で産む」というふうにお母さんが感じて、生命の誕生を喜ばしいものとして受け取ってほしい。だからできるだけ自分たちの力でお産できるように、サポートするのが助産師の役目です。感動的な誕生を経て、その日からお母さんもまた母親として、周囲の人に見守られながら、すくすくと育ってほしいと思っています。
(産後ドゥーラ養成講座には、年代もキャリアも全くことなる20代から60代の女性が日本全国から集まる。4か月間共に学ぶ中で、同期として、また認定後は同じ職業人のプロフェッショナルとして、人生の大きな力になり得る仲間になっていく)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
有山:
産後ドゥーラをご利用いただくご家庭は、様々です。
今回のチャリティーで、たとえばご家族のどなたかが障がいを抱えているなど、特に支援が必要とされるご家庭が、産前産後のドゥーラサポート(妊娠中~産後1年半)をご利用されるための補助金を集めたいと思っています。
具体的な部分はこれから詰めていきたいと思っていますが、一つのご家庭につき2万円の利用費の補助ができればと思っています。ぜひ、チャリティーにご協力いただき、ドゥーラの温かいサポートを届けるお手伝いをしていただけたらうれしいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
(年に1度、全国の産後ドゥーラが一同に会する「産後ドゥーラの集い」。認定者、理事・監事 そして事務局のスタッフの皆さんと!2018年3月、東京にて)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
人知れず様々な苦悩を抱え、子育てをしているお母さんたち。
お母さんだって一人の人間。自分の時間だってほしいし、母親だからと気を張っていても、手に負えないこともきっとたくさんある。それで全然良くて、ただ、そんな時に「少し手伝って」「ちょっとお願い」といえる存在がいたら、お母さんはどんなに楽でしょうか。ドゥーラさんが、今後もっと増え、そしてドゥーラさんのサポートを受けながら、子育てを楽しむお母さんが増えることを願っています…!
”The more we share, the more we have”、「周囲と分かち合えば分かち合うほど、もっと豊かになれる」というメッセージをタイポグラフィーに落とし込みました。
文字の周りに描かれたアサガオの花言葉は「愛情の絆」。
寄り添ってつながりを築いていく先に、大輪の花を咲かせる未来がある。そんな意味が込められています。
そして、アサガオの蔦をよくみると、隠し文字で「doula(ドゥーラ)」の文字が。
「今後、日本でドゥーラさんがもっともっと増えていってほしい」という願いが込められています。
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