少子高齢化に伴う人口の減少、そしてまた地方の人たちは都市部に流れ込み、地方の衰退は、今そして今後、日本が直面する大きな課題となります。
そんな危機感をよそに、岩手県陸前高田市に、毎年1,000人の若者が訪れる小さな町があります。「広田町」は、人口約3,200人の漁師町。かつては他の地方の町と変わらない、過疎や高齢化の進む小さな町でした。
…何が、この町を盛り上げたのか。衰退しつつある地域と、都会に住む若者のモヤモヤをつなげ、魅力あるまちづくりに取り組んでいるのが、今週、JAMMINが1週間限定でコラボキャンペーンを行うNPO法人SET(セット)です。
代表を務める三井俊介(みつい・しゅんすけ)さん(29)は、筑波で生まれ育ち、東京の大学を卒業後、東日本大震災の復興支援で関わった以外は縁もゆかりもなかった広田町への移住を決めました。
「僕たちがやりたいのは、人づくりとまちづくり。人口が減少していくからこそ、豊かになる社会をつくりたい」。そう話す三井さんに、活動についてお話をお伺いしました。
(お話をお伺いした、NPO法人SET代表の三井俊介さん)
NPO法人SET
陸前高田市広田町で、「やりたい!」を「できた!」に変えられる町を目指して活動するNPO法人。将来地域を担い活躍できる人を育み、地元の方々と共に”まちづくり”に挑んでいます。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(2013年から続いているチェンジメーカースタディープログラム。大学生が一週間中に町の課題を見つけ、やりたい!を通してアクションまで実行するプログラムだ)
──今日はよろしくお願いします。まずは、SETさんのご活動について教えてください。
三井:
僕たちは、人口減少が進む陸前高田市広田町という人口3,200人ほどの町で、若い人を定期的に呼び込み、まちづくりにチャレンジしている団体です。
具体的には、民泊事業や都会の大学生向けのプログラムなどを行っています。
NPOを設立して今年で7年になりますが、2年前からは1年間で1,000人もの若者が、この地を訪れるようになりました。2019年には1年間で2,000人の若者の訪問が予想されます。
──すごい数ですね。
三井:
そうですね。
少子高齢化がさけばれる中で、ここ広田町は、少子といわれる若者たちと、高齢のおじいちゃんおばあちゃんが、一番出会い、交流している町でないかと思います。
──すごいですね…。何がそれを可能にしたのでしょうか?
三井:
町を訪れる若者たちの中には、東北と全く縁のない若者も多いです。でも、この町を訪れて、自分がやりたいことで、町の人を笑顔にする実感や、満足感があるのではないかと思います。
(広田町で大学生が踊りと劇を練習し、町の人に披露した時の1枚)
(チェンジメーカースタディープログラムの最終日、町の人へ一週間の報告をする会。自分たちが実践したアクションの紹介は勿論、自分自身が得た学びや成長も発表する。毎回、涙をする学生、町の人が多く見られるという)
──具体的には、どんな活動をされているのですか?
三井:
SETの活動のメインの部分を担っているのは、2013年から開始した学生向けの「チェンジメーカースタディープログラム」、そして昨年から開始した「チェンジメーカーズカレッジ」という若手社会人向けのプログラムです。これらは、学生たちが広田町を訪れ、「やりたいこと」を立ち止まって考えられる場を提供するプログラムです。
「チェンジメーカースタディープログラム」は、全国から集まった大学生が、1週間広田町に滞在し、「やってみたいこと」を考え実行まで行う町おこし実践プログラムです。事前・事後学習含め、期間中の心構えやマインドセットなどを、すべてSETのスタッフがサポートしながら、1週間の間にたくさんの地域の人と出会い、経験を積み、地域の課題を話し合いながら、実践までを経験します。
(スタッフと参加者による、チェンジメーカースタディープログラムの事前説明会の様子。ひとりひとりとじっくり時間をかけて対話する)
これまでに550名以上の学生、600名以上の町民の方たちが参加してくださってきました。
学生たちが自分の思いをかたちにする術を学ぶことができる一方で、地域を活性化するプレーヤーを育てられるというメリットがあります。
──なるほど。
三井:
僕が最初にこの町に来た時、教育や漁業、人口流出やコミュニティーの崩壊など、取り組むべき課題はたくさんありました。どこから手をつけたらいいのかと感じた時に、「それぞれの課題解決のために動くプレーヤーを育てられないか」と思ったことが、このプログラムに力を入れている一つの理由でもあります。
(チェンジメイカーズカレッジの1枚。「チャレンジデー」というアクションをする日に、ピザ釜でピザを作っているところ。写真に写っているのは、このプログラムの2期生たち)
(2017年夏に活動したアートで広田町を彩る「アトリエizm」の様子。草木染めを町の人といっしょに作った)
──「地域活性化」というキーワードが出ていますが、若者たちが「やりたいことをかたちにする」というのは、地方ではなくてもできるのではないでしょうか?
三井:
広田町のように小さな町で新しいことに取り組むことの良いところは、皆の顔が見えるということと、競合他者がいないということです。
東京などの都会では、既にいろいろなものがあふれています。何かビジネスとして新しいことをやろうと思った時には、既存のものとの差別化や競争が必要になります。
一方で、地方には周りに競合他者がない。そうすると純粋に町のためになること、自分がやりたいことに注力しながら運営することができます。これが、地方でやれる面白さだと思っています。学生たちにとっては、「やりたい」を「できる」に変える原体験がつかみやすい場所なのではないかと思います。
(2018年8月、「気球をあげるのは難しい」と言われていた半島の広田町で、写真右の保科君が「広田初の気球をあげたい!」という「やりたい」を「できた」に変えた瞬間。二日間多くの人が気球に乗り、素晴らしい景色を楽しんだ)
──なるほど…!もうひとつは、「皆の顔が見える」という点ですね。
三井:
小さな町なので、本当にみんなが知り合いのような雰囲気なんです。若者たちが町を訪れると、おじいちゃんおばあちゃんが「遠いところまで来てくれてありがとうね」と無償の愛で迎えてくれます。
この地域には、昔から続く「お茶っこ」という文化があります。午前10時と午後3時に隣近所とお茶をするんですが、学生たちもここに迎えられて、一緒にコタツに入って「最近どう?」なんていう話から始まって、そのままご飯を食べさせてもらったり、人生相談に乗ってもらったり…。これは都会では味わえないことですよね。
──「迎え入れられる」のは、嬉しいことですよね。
(大学生が地元の方のお宅を訪問し、畑のお手伝いをしている様子。畑仕事は大学生にとって新鮮で、お宅訪問をすると時々お手伝いすることがあるという)
(チェンジメーカースタディープログラムで、大学生が町の方におもてなしをしたときの様子)
三井:
最近は、自己肯定感が低い若者も少なくありません。そんな中で、お年寄りの方たちが遊びに行くたびに笑顔で迎えてくれる。訪れることを楽しみに待っていてくれる。「自分の存在が、誰かのためになれた」という感動が若者たちの間で生まれ、それが彼らの成長にもつながっていくんです。
お年寄りの方たちも、孫が帰ってくるような感覚で、「次は何を食べさせてやろうか」「何をさせてやろうか」と楽しんでくれて、「家族が明るくなった」「話題が増えた」といった声もあるんです。
──双方に良い刺激になっているんですね!
三井:
行政が決めて、それに地域の人たちが従うというトップダウンのやり方ではなく、一つ先の未来を描き、それを皆で積み上げていくのが、僕らの思うまちづくりです。
人口増加を前提に作られた価値観、そこから生まれた人づくり・まちづくりを変えていく必要があると思っています。
目の前にいる地域の方たちが喜んでくれることと自分がやりたいことをシンプルに掛け合わせた時に、それがどんな些細なことであっても、一つ先の未来を作っていくと思っています。
「人口減少にあるからこそ、豊かになるまちづくり」を目指していきたいと思います。
(2017年秋に行われた民泊修学旅行の様子。受け入れ家庭と学生との解散式「ほんでまんず会」は、民泊事業の恒例となっている。毎回たくさんの笑顔と別れを惜しむ涙が見られる
(2018年8月のチェンジメーカースタディープログラムで、夜に自分たちのやりたいことを話し合っているところ。町についても、自分たちについても本気で向き合う)
──素晴らしいご活動ですね。
三井さんが「やっててよかった」と思うのはどんな時ですか?
三井:
やっぱり、「ありがとう」という言葉をもらった時はうれしいですね。
地域に根付き、一人ひとりの幸せに何か貢献できたと感じた時は、本当にうれしいです。
一人ひとり、「何を幸せに感じるか」は異なります。
特に僕たちのようなミレニアル世代(※1980年〜2000年生まれで、2000年代に成人や社会人になる世代)の若者は、高度経済成長期を知りません。「お金を稼ぐこと=豊か・幸せ」だとは思っていないし、不景気だと言われている中でも、特にそれを感じることなく、物質的な豊かさの中で生きてきた世代です。
多様性が身近にあり、「一人ひとり皆違うよね」という感覚があるから、一方的に「これが正しい」とか「こうしなさい」という価値観を押し付けられることには抵抗があって、自分自身で幸せを定義したい、そんな世代だと思っています。
「誰かにためになりたい」という思いは大前提としてあって、その中で、一人ひとりが定義した幸せを、かなえていくことができたらと思っています。互いの幸せを応援し合えるような関係性を築いていきたいと思っています。
(2018年9月、都内で行われたチェンジメーカースタディープログラムの事後ミーティング前、スタッフ全員で円陣を組む。「背中を感じて頑張ってきたメンバーだからこそ、最後の時間もお互いを応援し合う」(三井さん))
(町の人へ活動を報告する会へ一緒に手を繋ぎながら歩いて向かう)
──年1,000人もの若者が町を訪れているということですが、一人ひとりがビジョンを持ち、それをかなえていく場を提供する側として、皆さんのモチベーションを保つ工夫などはあるのでしょうか?
三井:
…なんでしょうね。やっぱり「押しつけない」ということだと思います。皆がそれぞれ「こうしたい」「こうなりたい」と思う姿に対してやっているから、強制はまったくないし、そのパワーがどんどん拡大していると思いますね。受け入れやすい雰囲気を意識しています。
(2018年8月、広田町で行われた運動会。地元の中高生とSETの学生メンバーで企画から運営まで行い、大いに盛り上がった)
三井:
プロジェクトに参加した後、広田町に移住する若者も出てきています。すでに15人の若者が、この町に移住しました。
──すごいですね!
三井:
僕も移住者の一人ですが、彼らが感じる豊かさや幸せに、この町がハマったんだと思います。人口3,000人の町で、800人もの町民の方が、僕たちのプロジェクトに何らかのかたちで携わってくれています。やはりこの町の人たちが受け入れてくれていることが、移住のハードルを下げていると感じますね。
──移住した方はどのように生活されているんですか?
三井:
移住の受け入れ体制も整えていて、団体が所有するシェアハウスで共同生活をしています。移住後、広田町にはほとんどなかったカフェを始めたり、空き家バンクをやったりと、地域を盛り上げるために活躍しています。
それぞれのプロジェクトの中で、そして移住後もそうですが、やはり「自立共生」を大切にしています。依存はしない。それぞれ生きるんだけれども、それぞれの夢を実現するために、助け合って生きる。それをこの町で実現していきたいと思いますね。
(SETがきっかけで広田町に移住した皆さん。今年から再開した海水浴場での一コマ。夏は朝にビーチスポーツをしたり、お昼休みに飛び込みに行ったりと広田での暮らしを満喫している)
(広田町は海に囲まれた半島なため、町のいたるところで海を眺めることができる)
──広田町という場所と人に愛着と可能性を感じていらっしゃるんですね。
三井さんも移住者ということですが、どうしてこの町だったのでしょうか?
三井:
SETは、僕が大学3年生の時に立ち上げた団体です。2011年3月11日、東日本大震災が発生した2日後に、有志が集まってSETを立ち上げました。最初は、被災地へ物資の搬入・搬出をする活動をしていたんです。その後、知り合いのつてをたどって現地入りし、避難所にいる子どもたちに勉強を教えたり、スポーツを一緒にやったり、防災本部の手伝いや地区の清掃をしながら、地域の人たちからその都度困り事を聞いて、そこの解決のために動くということをしていました。
大学卒業後、2012年4月には広田町に移住し、そこで復興支援ではなく、持続可能なビジネスをやりたい、と思うようになったんです。
──やることが決まっていない段階で移住されたんですね。
三井:
何も決めてなかったですね(笑)。自分たちにどんな強みがあって、どんなことをすればこの地域に貢献できるのか。手探りの時期もありました。地域の人たちに受け入れてもらうことも簡単ではありませんでした。
初期の取り組みの一つに、地域のおばちゃんたちと野菜を販売するということがありました。そしたらうまくいって、地域の方たちがその後すごくやる気を持って取り組んでくださったんです。その時に「地域を良く知っている地元の人たち×外部からやってきた自分たち」で、新しい何かを生み出しながら、町のためになるアクションをしていこうと思いました。
2013年の3月には、活動のコアとなる「チェンジメーカースタディープログラム」の第1回を開催。同年6月にはNPO法人化し、今日に至っています。
(移住当初の様子。現地の被災状況を、訪れた知人に説明しているところ)
(移住した仲間と、いつも支えてくれる地元の方との記念撮影。多世代で活動するSETが表現されている)
──三井さんご自身のこれまでの歩み自体が、なんというか決められたレールではなく、自分で決められたワクワクのある道を歩まれている感じがしますね。
三井:
今の社会には、「やるべきもの」や「やらされるもの」がありすぎると思っています。そんな中で自分が何をやりたいのか、見失っている若者もいます。でも「変わりたい」と思っている若者もたくさんいる。僕も「大企業に就職しろ」と言われる中で、「何故他人が俺の幸せを決めるんだ」と思ったし、一方的に価値観を押し付けられるのは抵抗がありました。
東京で学生生活を送っていた頃の、学生のモヤモヤ感を僕も理解できるし、だからこそSETの活動がモヤモヤを解消し、はけ口になれる部分もあると思っています。
「ありのままの自分」で「やりたい!」という思いをかなえていくことが、誰かの幸せにつながっていくんだということ。都会の若者と地域の高齢者、絶対出会わない両者が出会って、今までになかった新たな価値を生んでいく。そんな実験をしている感じではありますね。何が出るかわからないからこその面白さがあります。
「世界を舞台に、今はまだない本質的に求められているものを、泥臭く、クリエイティブにプロデュースする『ヒト』になる」ことが、僕の幸せであり、豊かさです。今後も、ここを目指して活動していきたいと思っています。
(漁師の方の家庭で夕飯をいただいた時の1枚。広田町の海の幸と楽しい食卓を囲み、幸せな時間を過ごした)
(昨年のクリスマスプロジェクトの様子。地元の大人サンタと中高生サンタ、SETメンバーの大学生サンタで協力し、広田町全世帯にプレゼントの茶筒を配った)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
三井:
毎年、クリスマスに広田町の全世帯にクリスマスプレゼントを配る「クリスマスプロジェクト」を行っています。陸前高田の中高生とタッグを組んで地域の将来を考えアクションを起こすことで、中高生が自分たちの町の魅力を再発見したり、地域の課題を考えたりすることにつながる「高田と僕らの未来開発プロジェクト」というプロジェクトの一環で、今年で5年目の開催です。
地元の中高生が主体となり、プレゼントの内容から資金調達まで、すべて自分たちで決めて動いています。昨年は茶筒を、その前は手作りのクリスマスオーナメントをプレゼントしました。
──プレゼント内容を考えたり、手渡しに一軒一軒お宅を訪問することで、プレゼントを渡すだけではない、たくさんの価値や収穫を得られるイベントですね。
三井:
まさにそうなんです。
今回のチャリティーで、このクリスマスプロジェクトで広田町の世帯に配るクリスマスプレゼントの資金を集めたいと思っています。ぜひ応援いただだけたらうれしいです!
──貴重なお話、ありがとうございました!
(3ヶ月に1度、SETの学生と社会人メンバーが集う「SETDAY」にて。「あたたかく、居心地の良いSETらしい雰囲気が出ている1枚」(三井さん))
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「自分のやりたいことが明確にあること」。これって簡単に聞こえて、実は難しいことだと思うんです。
一方で、自分のやりたいことや、なりたい姿が明確な人は常に価値基準がそこにあるから、何があっても打たれない、しなやかな強さを感じます。三井さんのお話を聞きながら、私自身何をしたいのか、何のために今の仕事をしているのか、そんなことを改めて考えさせられる、刺激のあるインタビューでした。
こうやって伝染するエネルギーが、SETさんの強みなのかもしれないなと感じました。三井さん、ありがとうございました!
積み重なったスーツケースの上に、一つの町が乗っかっています。スーツケースは遠くの町から来る若者を表すと同時に、若者と地域住民の方たちのケースいっぱいに詰まった様々な思いの上に、素晴らしい町が成り立っていることを意味します。
“You are somebody’s reason to smile”、「君の存在が、誰かを笑顔にする」というメッセージを添えました。
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