「実は私ね…」「俺は…」、そんなカミングアウトをした経験、された経験が、これまでの人生の中で、皆さんにも一度はあるのではないでしょうか。
誰かに自分のことを打ち明けた時。打ち明けられた時。その時のことを、ふと思い出してみて欲しいでのです。一体、どんな気持ちでしたか?「これを言って、嫌われたらどうしよう」「聞いてもいいのかな…」、そんな不安が、心の中にあったのではないでしょうか。
今週、JAMMINが1週間限定でチャリティーコラボをするのは「NPO法人バブリング」。大切な人へのカミングアウトを応援しながら、ありのままの自分を表現でき、また、あるがままの他者を受け入れられる社会を目指す団体です。
代表の網谷勇気(あみや・ゆうき)さん(40)。自身が同性愛者であることに気づいたのは、10代の頃でした。
「友達に嘘をつきたくない。自分を偽りたくない」。そんな思いで、ゲイであることを告白した時。そこには変わらず受け止めてくれる人たちがいたと言います。
「カミングアウトしても離れない友達がいるということを通じて、『自分は居ても良いんだ』という自己肯定の作業を繰り返していた」と当時を振り返ります。
「世界を『打ち明けられる』でつくりたい」。そう話す網谷さんに、活動について、お話を聞きました。
(お話をお伺いした、網谷勇気さん)
特定非営利活動法人バブリング
「ありのままの自分を表現することができ、あるがままの他者を受け入れることのできる強く寛容な社会を作る」というビジョンのもと、自身と向き合い、自分らしく生きたいと願った先に「カミングアウトをしたい」と思った人を応援したい、と活動するNPO法人。
新宿ゴールデン街で週に1度「バブリングバー」を運営したり、ワークショップやイベント運営等を通じ、「誰もが生きやすい社会」を目指している。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(2015年5月に開催したNPO法人設立記念のオープニングパーティーの様子)
──今日はよろしくお願いします。
「バブリング」さんは「ありのままの自分を表現できる社会」を目指して活動されていますが、「カミングアウトを応援するよ!」というスタンスなのでしょうか?
網谷:
「カミングアウトを応援する」というよりは「カミングアウトするかしないかも含め、生き方は自分で選択できるんだよ」ということを伝えたいというスタンスです。
カミングアウトするかしないかを決めるのは本人だし、どういったから成功とか、どういったら失敗とか、そういうのもあるわけなくて。カミングアウトを後押しするのではなくて、自分が自分らしく、あるがままに生きられるように、そういったことを伝えたいと思っています。
──なるほど。具体的にはどんなことをされているのですか?
網谷:
障害のある方やLGBTの方、難病の方、身内が失踪した方…、いろんなマイノリティ要素がある方の「カミングアウトストーリー」をホームページに掲載したり、週に1度、「バブリングバー」を運営したり、また「ダイバーシティ体感ワークショップ」というワークショップも行っています。
(「ダイバーシティ体感ワークショップ」での一コマ。ワークショップ中の『ONEマイノリティ』パートで、自身の気づきを数名でシェアする)
──どのようなワークショップですか?
網谷:
なんらかのマイノリティ要素のある方になりきって、どんな言葉をかけられたら傷つくのか、どんな言葉だったら相手に心を開こうと思えるのか…、コミュニケーションを想像しながら体験できるワークショップです。主に学校の先生のような子どもと接する職業の方を対象に行っています。
参加者からは「当事者にとって、どんな言葉がしんどいか理解できた」といった声をいただいていて、「コミュニケーション次第でカミングアウトしやすくもなるし、しにくくもなる」という気づきを得てもらえるのは良いなと思っています。
──先生をメインに行っているのはなぜですか?
網谷:
子どもたちが小さいうちから、「自分は自分で、相手は相手。世の中にはいろんな人がいるんだよ」だということを認識できれば、社会も少しずつ変わっていくのではないかと思っています。
そういう意味で、子どもと接する立場にある教育者の方に、マイノリティの感情を体感してもらうこと、そしてその経験を、実践の場で生かしてもらうことは、すごく大きな意味があると思っています。
──身近にいる大人が、「みんなこうしてるんだから、あなたもこうしなさい」とか「普通にしなさい」といった「合わせる」意識でなく、違いを認めてくれたら、子どもたちもきっと、それがスタンダードなんだ、って認識して、その感覚を持って成長できますね。
(団体ホームページでは、様々なマイノリティ要素を持つ人たちの「カミングアウトストーリー」を掲載。NPO法人バブリングホームページ「カミングアウトストーリー」より→http://npobr.net/category/comingout_story)
(バブリングでは、毎年10月11日の「カミングアウトデー」にあわせて、イベントを実施している。2016年10月のカミングアウトデーイベント『イチゼロイチイチ ─カミングアウトと家族─』での展示コンテンツ。家族をテーマにした3組のトークセッションと複数の展示物を用意した体験型のイベントを実施した)
──話は変わりますが、そもそもカミングアウトって何でしょうか?
網谷:
カミングアウトという言葉自体は、何か重大なことを打ち明けたりすることを指す言葉ですよね。
カミングアウトを通じて、友達の知らない一面に出会ったり、自分の気づかなかった一面に出会ったり。カミングアウトは「言えなかったことを打ちあけて新たな関係を築くことで自分らしく生きていくための手段」だと私たちは定義していますが、それは「自分の知らない世界」に出会うことでもあると思います。
僕たちは毎週日曜日に、新宿ゴールデン街で「バブリングバー」というバーをやっているのですが、毎回いろんなお客さんがやって来ます。
(「バブリングバー」の様子。毎週日曜日の19時〜23時、新宿ゴールデン街にあるギャラリーカフェバー「からーず。」にて開催)
網谷:
小さなバーの中で、隣の知らない人同士、きっかけがあって少しの自己開示があった時に、ふと「あ、自分はこういう風に考えてたんだな」とか「隣のお客さんにはこんな事情があるんだな」とか、何か特別なことをするわけではなく、結果として知ることができる。それはカミングアウトの効果だと思いますね。
──ナチュラルに、フラットに。ごく自然に相手を受け入れる。そんなイメージですね。
網谷:
カミングアウトという言葉自体は大げさに聞こえますが、相手に伝えたいこと、打ち明けたいことは、大小関係なく、誰にもあるものだと思うんです。
私たちはつい「あの人はこう、この人はこう」とラベリングをしたがりますよね。そしてマイノリティがいなかったことにされるような風潮があります。でも、場合によっては、マジョリティに属していたはずの自分が、マイノリティになり得る。マイノリティとマジョリティは、切り口で反転します。
たとえば、「セクシュアリティ」という切り口では、LGBTの人たちはマイノリティに属します。じゃあ「利き手」という切り口だとどうでしょうか?左利きの人たちがマイノリティになりますよね。
そういう意味では、誰しもが何かの当事者。だから、自身の当事者性を感じながら人と接することのできる社会になればと思っています。
(2017年10月に開催したカミングアウトデーイベント『イチゼロイチイチ ─私立バブリング学園マイノリティ科─』に向けて、準備するスタッフ)
(2017年10月のカミングアウトデーイベント『イチゼロイチイチ ─私立バブリング学園マイノリティ科─』のトークセッション中の様子)
──なるほど…たしかにそうですね。しかし一方で「普通(マジョリティであること)」が良しとされる風潮がまだまだあると感じます。
網谷:
そこですよね。「普通」って一体何だろう?ということです。
日本に住んでいる人の多くは、目の前の友達や恋人が、健康で、異性愛者で、両親が揃っていて、犯罪加害者にも被害者にもなったことがなく、ルーツは日本人で…ということを、どこか先入観や思い込みで、決め込んでコミュニケーションをとっているところがあると思います。
例えば「ご両親はどんな仕事しているの?」と聞かれると、ひとり親の人は答えづらいです。セクシュアリティや国籍、病気も然りです。
「両親がいる」「異性愛者である」「日本人である」「健康である」と一方的に決めつけるのは、配慮が足りないですよね。
そうではなく、「いろんな人がいる」ことが、皆の意識の前提になっていくと良いなと思っています。
(2017年4月、神奈川県にある大学にて、学生向けにセクシュアルマイノリティとカミングアウトに関する講演を行った時の様子)
──網谷さんがこの活動を始められた背景には、自身のカミングアウトというものがあるのでしょうか?
網谷:
大学生の頃くらいから、自分のセクシュアリティをカミングアウトすると、相手から「実は俺も」「私も」という「カミングアウト返し」があって。相手からの「打ち明けられ体験」をずっとしてきていて、「自分がカミングアウトすること」より「相手にカミングアウトされたこと」が、僕の中ではキーワードとして残っていたんです。
僕が最初にカミングアウトした16、7歳の頃は、自分のセクシュアリティを受け入れることで精一杯で、本当にただ「助けて」という感じでした。
自分のことが落ち着いた後、「打ち明けられ体験」をたくさんしたことで、世の中にはいろんな人がいるんだと改めて思ったし、それぞれの人が、それぞれの背景で、生きづらさや言いづらさを感じているんだと感じました。
だんだん、自分のセクシュアリティよりもそこに関心が強くなり、「ここをなんとかできないか」と思うようになったんです。
──そうだったんですね。
網谷:
学生時代にカミングアウトした友人たちは、皆ストレート(異性愛者)です。かけがえのない存在である彼らと一緒に生きていきたい。だから、セクシュアリティに限らない「共通の何か」をテーマにしたいと思いました。
「見えない生きづらさ」は、先天的にも、後天的にも発生します。今はなくても、3年後や5年後に、出てくるかもしれない。
その時に「打ち明けやすい社会」ができていれば、それはセクシュアリティに関係なく、僕が大事にしたい人たちにとっても、生きやすい社会であることに違いない。
自分を押し殺さなくても良い、誰もが自分らしく生きられる社会を作るために、活動しようと思ったんです。
(もともとは、友人との小さな飲み会が口コミでどんどん広がり、いろんな人が参加するようになったのがバブリングの活動のスタートだという。団体設立後NPO法人化前の2014年12月に実施した最初のスタッフ合宿中の様子)
(2017年10月のカミングアウトデーイベント『イチゼロイチイチ ─私立バブリング学園マイノリティ科─』の体験型コンテンツ『バブバブの木』には、参加者によって宣言の書かれたリーフがたくさん飾られた)
──…「生きづらさ」を作っているものが何かを考えてみると、先ほどの「普通とは何か」の話にも関係してきますが、「こうあるべき」「これが当然」といった意識なのかなと思いますね。
網谷:
小さい頃から人と同じであることが良しとされる空気感で育ち、「出る杭は打たれる」という民族性もあると思います。個性よりも「目立たないこと」が優先されてしまう雰囲気があります。
自分は自分で、他者は他者。なのに、「みんな普通」「同じ」という発想で、人との違いに踏み込もうとしない。「人との違い」に対する認識も、関心も低い。結果、差別や偏見というものにまで、意識が届かないことがほとんどだと感じています。
相手のこと、誰か一人の個人のことを深く知ろうとした先に、その人が抱える課題や背景がある。それを知っていくと、社会の構造が見えてくるし、差別の現実も見えてくるのですが…。
ただ最近は、LGBTや発達障害などはひとつ分かりやすい例だと思いますが、「みんな個別の人間で、それぞれ違う」ということ、いろんなデコボコのかたちが、見えやすくなってきています。「みんな一緒なわけがない」「違って良い」という感覚が、時代の流れの中で、増えてきていると思いますね。
(「生きづらさを抱えている人が、相手の先入観をわざわざ乗り越えて話すということをしなくていいように、その壁を低くしたい」と網谷さん)
──網谷さんご自身にとって、カミングアウトとは?
網谷:
僕は、小・中・高・大と学歴が同じ先輩がいて、中学の頃からその先輩にすごく憧れていたんです。「先輩みたいになりたい」とずっと思っていました。
大人になってから、地元の噂で彼がゲイ嫌いだと聞きました。友人から「どうするの?あの人にカミングアウトするの?」と聞かれましたが、憧れていたからこそ向き合いたいと思って、彼にも直接伝えたんです。
その時、先輩の口から出たのは「ゲイに偏見を持っていたけど、今までの関係を踏まえたら、お前がゲイなんて大したことのない話だな」という言葉だったんです。
この頃は既にカミングアウトに慣れていましたが、慣れていて冷静だったからこそ緊張と不安の強いカミングアウトでした。でも、その言葉を聞いた時、ちゃんと人間関係を築いていけば、何かを打ち明けても、乗り越えられることもあるんだ、って思えたんです。自信になりました。
カミングアウトは「関係性の再構築」だと僕は思っています。
見えていなかった・見せていなかった自分の側面を開示して、その状態でもう一度「よろしくお願いします」と相手に伝える。最初は受け入れるのが難しいこともあるかもしれません。でも、互いに質問し合いながら、一緒に関係を作り直していけたら良いなと思うんです。
──カミングアウトに至るまでの自分の中での葛藤も、カミングアウトすることも、網谷さんにとって「より自分らしくある」ための選択肢だったんですね。
(2015年11月、長野県のゲストハウスで行ったスタッフ合宿にて。付近の野尻湖にて記念撮影!)
(今年のカミングアウトデーイベントは、2018年10月8日『イチゼロイチイチ ─ホッとしてグッとくるチームのつくりかた─』を「3331 Arts Chiyoda(アーツ千代田)」(東京都千代田区)にて開催。詳細はこちらから→http://npobr.net/1011/)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
網谷:
昨今、「多様性」という言葉をいろんなところで目にするようになりました。多様性の見える社会をかなえていくためには、自分は他者とは違う個体であること、世の中にはいろんな人がいるということを認識する必要があります。
「自分はありのままで良いんだ」「いろんな人がいるんだ」ということを、若いうちから知り、感じてほしい。子どもや若者を支える教育者に改めて気づきを得ていただくために、「ダイバーシティ体感ワークショップ」を全国各地で開催したいと思っています。
チャリティーは、まずはたくさんの方にこのワークショップを知ってもらうため、その営業資金に充てたいと思っています。
ぜひ、チャリティーにご協力いただけたら嬉しいです!
──貴重なお話をありがとうございました!
(一人ひとりがありのままの自分で、そしてありのままの他者を受け入れる社会を目指して!)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
世間体を気にしながら生きることで、何か得ることはあるのだろうか。
本当はもっと自分らしく、ありのままに生きて良いのではないだろうか。きっと本当はそんなこと、皆心のどこかでわかっていて、世間体のつき合いでなく、心と心のつき合いを求めているのではないかなと思うことが、最近あります。
大切なのは「ラベリング」ではなく「相手との関係」。
網谷さんのお話をお伺いしながら思ったのは、「カミングアウト」は目的やゴールではなく、自分らしく生きるための一つの選択肢だということ。
私たち一人ひとりが疲弊しながら「普通」にしがみつくのではなく、そんなもの手放して、自らの「生きやすさ」を求めた先に、社会全体としての「生きやすさ」も生まれていくのではないでしょうか。
胸に刺さるようにして描かれた鍵。
鍵には、”It’s your choice to open your heart”、「心を開くかどうかは、あなた次第」というメッセージが書かれています。
自分らしく、ありのままに生きるための心の鍵は誰でもない、あなた自身が持っているから…。
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