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この度北海道で発生した地震により、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
今週のコラボ先団体である「シマフクロウ・エイド」の菅野直子さんと「いよいよ来週からコラボですね」とスカイプで打ち合わせをした翌日、今回の地震が発生しました。
活動拠点である北海道厚岸郡浜中町は停電になり、9月7日には「シマフクロウの活魚を守るために発電機を回し続けていられる限りはネットがつながるが、明日以降ガソリンの入手制限が始まると数日でネット環境へのアクセス不能になる見込み」と連絡がありました。
その後、町内の一部の地域で解除されたとご連絡をいただきましたが、日常を取り戻すのはまだ先になる見通しのようです。
そのような中、今回のチャリティーを決行させていただきました。
これ以上被害が拡大しないこと、そして一刻もはやい復旧を願っております。
2018年9月10日
JAMMIN合同会社
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↓以下、団体紹介コンテンツ
「シマフクロウ」をご存知ですか?世界でも北海道のみに生息するフクロウの一種です。
山奥ではなく、人間が生活する場所の近くに住むことから、アイヌ民族からは「コタン・コル・カムイ(森の守り神)」として崇められてきたといいます。
しかし、自然界に人間の手が入り、多くの森が破壊された1970年代の高度経済成長期、その数は70羽まで減少し、絶滅危惧種となってしまいました。
「シマフクロウを、幻にしてはいけない」。シマフクロウに魅せられた一人の青年が、東京で職を辞め、単身、北海道に移り住みます。彼は現在に至るまで以後26年間、シマフクロウ保護に携わってきました。
今週、JAMMINが1週間限定でコラボする「NPO法人シマフクロウ・エイド」代表の菅野正巳(すがの・まさみ)さん(57)です。活動について、菅野さんと、公私ともにパートナーである事務局長の菅野直子(すがの・なおこ)さん(50)に、お話を聞きました。
(お話をお伺いした菅野正巳さん(右)と、直子さん(左))
特定非営利活動法人シマフクロウ・エイド
個人、企業、行政、団体等の協力や支援のもと、シマフクロウと共生する未来に向けて、シマフクロウの保護・保全や調査のほか、シマフクロウが暮らすことができる自然や生態系の保全、そのための啓発活動に取り組むNPO法人。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(シマフクロウは生態系ピラミッドの頂点の生きもの。地域の自然環境を知る指標になる)
──今日はよろしくお願いします。まずは「シマフクロウ」という鳥について教えてください。
菅野(正):
シマフクロウは、世界的に見ても北海道のみに生息するフクロウの一種です。
羽を広げると全長は180cm、1畳分ぐらいの大きさです。体重は3~4kgあります。
──180cmもあるともっと体重がありそうですが、意外と軽いのですね。
菅野(正):
そうですね。羽がふわっとしている分大きく見えますが、大きさの割には軽いかもしれません。
ワシのように空高く飛ぶわけではなく、森林の樹間を障害物ギリギリに飛ぶ鳥なので、筋肉もそれほど発達しているわけではないんです。
夜行性で、魚が主食のため、英語の名称は「Fish Owl」。30年ほど生きるんですよ。
(テリトリーでくつろぐシマフクロウ)
──30年も!知らなかったです。
シマフクロウは、一生にどれくらい子どもを産むのですか?
菅野(正):
1回の出産で、条件が良くて2羽生まれます。繁殖の頻度は個体差があり、毎年繁殖する個体もいれば、3、4年に一度繁殖する個体もいます。
メスのシマフクロウは4歳〜26歳まで繁殖機能があるので、仮に毎年2羽ずつ産んだとしても、だいたい40羽がマックスですね。ただ、この環境変化に伴い、まず親鳥がそこまで生きるのが厳しいという現実があります。
(巣立ちした幼鳥と見守る親鳥)
(シマフクロウが暮らす盛夏の針広混交林)
──そこまで生きるのが厳しいとは、具体的にどんな状況なのですか。
菅野(直):
シマフクロウは森のはるか上空を飛んで移動する鳥ではなく森の中で樹間を移動して生活する鳥です。そのため、道路を横断する時など人間の生活範囲とバッティングすることがしばしばあり、交通事故死や感電死といったリスクと隣り合わせなんです。
現在、シマフクロウは日本に170羽ほどしか存在しません。1つの個体が死ぬということは、ものすごく大きなインパクトです。
また、残念ながら人間による繁殖妨害によって、親鳥が子どもを育てるのをやめてしまうというケースもあります。
──深刻な問題ですね。
170羽しかいないということですが、シマフクロウを取り巻く環境自体はどうなのですか。
菅野(正):
シマフクロウの住む森は、人間が手をつけやすい場所にありました。
開発により木が伐採され、河川環境が悪くなり、それによって主食である魚が減り、1970年代にその数は70羽まで落ち込んだんです。
(農地改革により一斉伐採される時、伐採作業者がシマフクロウの鳴き声を聞いたという河川。現在は河畔林の持つ諸機能を果たす最低限の林の幅が無いため生物が宿らないばかりか、洪水など防災機能も損なわれている)
──70羽…。数えらえる数ですね。
菅野(正):
日本に古くからある自然は、すべてがつながっていて、森や川、土、海、互いの恵みがぎゅっと詰まって循環していました。
広葉樹から落ちる虫を魚が食べ、その魚をシマフクロウのような鳥が食べる。大雨が降っても澄んで濁らず、干ばつでも枯れない川は、自然の蓄積の賜物です。リンやカリウムなど森が蓄えた栄養は地下水として川に流れ出て、里を伝い、やがて海に流れていきます。
この自然の循環がないと、地域の生態系の向上はないですし、シマフクロウが生きられる環境もあり得ません。循環がどこかで途絶えると、少しずつ生態系が破壊されてしまうんです。
(樹齢300年以上の楡の木にとまるシマフクロウ。写真中央の上)
(森づくりは地域づくり。豊かな自然を作るために、植林も大切な活動の一つ)
菅野(正):
そしてシマフクロウは、こういった自然の恵みがある森で命を育んできた生き物です。しかし、主食を採る川は汚れ、魚は消えました。新たな命を育むための自然の大木は、切り落とされてしまいました。10年単位の長い年月をかけながら、元来そこにあった森が消えていくのと一緒に、シマフクロウも消えていったんです。
──自然破壊へと向かう一方だったベクトルの中で、どんな活動をされてきたのですか。
菅野(正):
毎日の日課に、シマフクロウの給餌があります。以前のように自然に河川から魚を捕るということはできないので、人工池に活魚を放して、毎日餌に困らないようにしています。
シマフクロウは夜行性の生き物ですが、子育て期間中は昼間でも捕食にやってくるので、いつでも食べられるようにしながら、他の捕食動物に餌が取られてしまわないよう、モニタリングして柵を設けたり、シマフクロウが来るタイミングを狙って池を開けたりと、手間のかかる作業です。
(給餌を行う菅野さん。定期的に活魚をおさかな寄付で購入し、放流している。貴重な活魚を他のワシ類から守るため、子育て期以外のシーズンは毎日、防御ネットの開け閉めが必要)
菅野(正):
ただ、これはあくまで緊急避難的な作業です。近くの河川に魚がいれば、こんなことをする必要はありません。シマフクロウの生息地の近くに、一刻でもはやく自然河川の環境が戻ってくることを願って、地元の方たちと協力しながら、シマフクロウが暮らせる森と川、など生態系のバランスのとれた環境を取り戻す努力が何より必要だと痛感しています。
菅野(直):
他にも、植林して森を回復する活動をはじめていますが、生息地を守るための環境保全は、あまりにも広範囲にわたるため、我々だけではどうがんばってもやりきれません。環境を原資としている地域の農業従事者や漁業従事者、行政や企業と協力する必要があるし、何よりも、地域に暮らす住民一人ひとりの意識が変わらないと、自然は変わっていきませんし、持続可能になりません。
「このままでいいんだろうか」「本当はこうした方がいいんじゃないだろうか」という意識は、実は皆さん、少しずつ心の中にあると感じています。そんな声を少しずつ集め、横のつながりを作りながら、ここにあった自然を取り戻していくために、啓発活動にも力を入れています
(シマフクロウのことをよりたくさんの人に知ってもらい、興味を持ってもらうことが、地域の環境改善にもつながると菅野さん。シマフクロウの日常を動画で紹介し、ルール・マナーの向上を目指すスライドトークを毎年町内外で開催している)
(シマフクロウが安定して暮らす未来は、その地域の安定した未来そのもの)
──森に入り、美しい自然やそのサイクルを日々目の当たりにされるわけで、そうすると、その美しい自然を破壊した人間に対して憤りとか、やり切れなさとか、そういうことを感じたりはしませんか。
菅野(正):
憤りというより、悲しみですね。これだけの状況になっても、未だ自然は破壊され続けている。悲しみでしかありません。
人口は減少の一途をたどり、これから離農者も、放棄地も増えてくるでしょう。しかし一方で「牧草地を増やすため」とさらに木を切る人たちがいます。500年かけて育った木を、瞬時に切り倒すことは容易かもしれません。目の前の利益だけを求め失った森林を復活させるには50年100年かかることを、たった1日で壊してしまう。
「自然に抗おう」という考えは、間違っていると思います。人間ができないことには、手をつけるべきではない。そして、面倒くさいかもしれないけれど元にあった自然を残していく、ということを、地域の人たちと協働してやっていきたいと思っています。
20年前には魚がいなかった川にも、最近ぽつぽつと魚が戻ってきたんです。やがてはシマフクロウもそうなってくれたらいいなと思っています。
(「どんなに科学が進んでも私たちは木の葉一枚作れない存在。豊かな森は、野生生物たちが作っています」(菅野さん))
(洞のある大木の代わりに、人工の巣箱を設置する)
──自然に対しては、どのような気持ちを持っていらっしゃいますか。
菅野(正):
敬意ですね。「ここまでしているのはすごいな」という思いです。
最近、シマフクロウの天然木の繁殖もあったんですよ。
シマフクロウはもともと、樹齢3、400年の大きな大木の洞に巣を作ります。
フクロウ類は、カラスやツバメのように自分たちで巣を作るわけではなくて、木を利用した二次的な巣で子育てをするんですが、大木が伐採されてしまったことから、現在は人工の巣箱による繁殖がほとんどです。
天然木の中に巣を見つけた時も驚いたのですが、ここにいたつがいの足環から戸籍情報を調べてみたら、どちらも人工の巣箱で育ったシマフクロウでした。
──そうだったんですね!
(シマフクロウの足環。幼鳥のうちに足環をつける。足環の番号によって事故等で収容された時、移動ルートの情報収集など生態解明に役立てられている)
菅野(正):
人工の巣箱で育っても自然の中で繁殖することができるんだと知って、本当に嬉しかった。
正直、保護や給餌をしながら、それがたとえシマフクロウを守るためだとしても、どこかに後ろめたさがあったんです。「これを自分がやめてしまったら、途端にシマフクロウは減ってしまうのではないか」と…。
それでも、天然木での繁殖を見た時、補助的なことをするだけで、シマフクロウたちは十分自立できるんだということ、野生の力を信じるべきなんだということを、強く感じさせられました。
現在は人工の巣箱も給餌もまだ必要な状態ですが、やがて自然が戻ってきた時、彼らはまたその自然へと還っていける力がある。必要最低限のところだけサポートしながら、その間に、彼らが暮らすことができる森を育てていきたいと思っています。
──すごい。シマフクロウからの伝言だったかもしれませんね!
(現在はほとんど見ることが少なくなった洞のある大木。かつては伐採により激減し、近年は勢力を伴った低気圧の北上により倒れてしまうという)
(移住翌年の1994年、根室市で行われたオオワシ調査に参加した際の一枚)
──ところで、菅野さんはご出身が北海道なわけではなく、東京生まれ東京育ちだそうですね。なぜ、そこまでシマフクロウが好きなのですか。
菅野(正):
30歳の時、たまたま手にした『ビキン川にシマフクロウを追って-アムールの自然誌-』(ユーリー B. プキンスキー著/千村裕子訳/平凡社/1989年、現在は絶版)という紀行文が、面白かったんです。それで「野生のシマフクロウを見てみたい」と思っていたら、翻訳者のあとがきに「北海道にいます」と書いてあったんですね。それで北海道に興味を持ったのがきっかけでした。
当時、私はアメリカの放送局の東京支局で働いていました。夏に1ヶ月のバケーションをとって北海道へ来たのですが、2年間かけて、1度もシマフクロウの姿を見ることはできなかった。北海道から帰ってきても、頭の中からシマフクロウが消えることはなく、仕事も手につきませんでした。それでとうとう職を辞めて、移住したんです(笑)。
こちらに移り住んだ後、ある日たまたま森を歩いていた時、ついに野生のシマフクロウと遭遇しました。
──どんな瞬間でしたか?
菅野(正):
胸がドキドキしました。初めて見る野生のシマフクロウは、神々しくて、緊張で直視することができなかった。カメラも持っていましたが、写真を撮ることはしませんでした。その時は挨拶だけしたんです。後から通うようになって、証拠写真を撮りましたが(笑)。
(シマフクロウに遭遇した時に、菅野さんが撮った一枚。「手が震えピントが合っていないが、気に入っている写真」(菅野さん))
──そこから現在までずっと26年間、菅野さんを魅了し続ける魅力とはなんでしょうか。
菅野(正):
最初にシマフクロウを見た時、誰かと一緒に見つけたのではなく、自分一人の力で見つけたということが、一つ今でも続けられている理由というのはあるかもしれません。
そして、野生のシマフクロウを実際に見たら「いなくなったら困る」と強く感じました。「この鳥を、幻にしてはならない」と。
菅野(直):
一つひとつの自然の絶妙なバランスや季節の変化…、シマフクロウが暮らせるだけの森の魅力も、すごいです。
菅野(正):
当て字ですが、フクロウを「不苦労」とも書きますよね。大変なこともあるし、お金にもならないんだけど、その姿を見ると、大変なこともすべて飛んでしまう。そんな魅力がありますね。
(春先、残雪がある頃に毎年実施しているシマフクロウの繁殖確認調査)
(給餌池に放流しているヤマメやギンザケ)
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
菅野(直):
私たちは、「おさかな募金」というかたちで、シマフクロウの餌となる活魚購入の募金を募っています。
シマフクロウは生きた魚しか食べないため、餌代は決して安くありません。1羽あたり、1日の食費は700円。チャリティーアイテムを1枚購入いただくごとに、シマフクロウ1羽に1日分の食事を提供することができます!
今回のチャリティーで、3ヶ月分(約210食分)の食費・約15万円を集められたらと思っています。
菅野(正):
先ほども言ったように、給餌は彼らの命を守る緊急避難的な対策だと考えています。それでも今すぐこれを辞めてしまうと、シマフクロウの数が減ってしまう恐れがあります。
今の環境を向上させていくと、10年後20年後、必ず大きな財産になります。豊かな自然が戻るその日まで、彼らの命をつないでいくために、ぜひチャリティーにご協力いただけたらうれしいです。
──貴重なお話、ありがとうございました!
(2016年、団体のウェブサイトリニューアルにあたって協力してくれたプロボノの皆さんと。関係者へのヒアリングを行うため、プロボノの皆さんがシマフクロウ・エイドの活動拠点である浜中町を訪れ、2泊3日の合宿を行ったという。「現在のウェブサイトが完成しただけでなく、その後ヒアリングを行った現地の人たちの関心が向上するなど、複合的な成果が得られた。第三者を交えた団体の活動PRは、今後も大切な目線として活用していきたい」と直子さん))
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
シマフクロウは稀少な鳥のため、バードウォッチャーの間でも人気が高いそうです。しかし、生態系をきちんと理解していない人が森に入り、繁殖がダメになってしまったケースがあると菅野さん。
「シマフクロウを見たいのであれば、どういう鳥かということや自然のことを、少しでも勉強してほしい。彼らにストレスをかけ、脅かしてまで見ることが、果たして生態系を壊す以外のどんな目的があるのか。今我慢すれば、いつか人間の傍にシマフクロウが来てくれるようになるかもしれないのに、目先のことだけ考えて、小さな命の芽を摘み取ってしまう。そういうことをしてはいけないという認識がもっと広がっていくべき」(菅野さん)
皆さんに、心に留めておいていただきたいと思います。
描かれているのは、愛らしいシマフクロウと、シマフクロウを支える自然の森や川、そして生き物たち。何一つ欠けてはならない自然の循環の尊厳と、その中で生きる、小さくも尊い命の輝きを表現しました。
“Exploring the connection between nature and humanity”、「自然と人とのつながりの可能性を旅する」、そんなメッセージを添えています。
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