「漁師」と聞くと、皆さんどんなイメージを思い浮かべますか?
荒波にもまれながら自然を相手に生きる姿に、魅力を感じる人も少なくないのではないかと思います。その一方で、日本の漁業界を取り巻く環境は、ひと昔前と比べてずっと厳しい状況にあります。
農林水産省が発表している「漁業・養殖業の生産統計年報」によると、生産量は1984年の1,282万トンをピークに、10年前の2008年には、ピーク時の半数を下回る559万トン。生産額は、1982年の2兆9,772億円をピークに、2008年には1兆6,275億円まで落ち込んでいます。
今週、JAMMINが1週間限定でコラボするのは、一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン。
このデータを裏付けるように、漁業従事者はここ20年で半分に減っていると話すのは、フィッシャーマン・ジャパンの松本裕也(まつもと・ゆうや)さん(32)。その原因のひとつとして考えられるのは、漁業が昔のように稼げる職業でなくなったことや、海外からの輸入、そして日本人の魚食離れがあるといいます。
「漁業の魅力を伝え、漁業に携わる人を増やしたい」。フィッシャーマン・ジャパンの取り組みについて話を聞きました。
(お話をお伺いした、フィッシャーマン・ジャパンの松本裕也さん)
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン
2024年までに、三陸に多様な能力を持つ新しい職種「フィッシャーマン」を1,000人増やすことを目標に、地域や業種の枠を超え、次世代へと続く未来の水産業のかたちを提案する一般社団法人。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(ワカメ収穫の様子)
──今日はよろしくお願いします。
漁業を盛り上げるために活動されていますが、日本の漁業の現状について教えてください。
松本:
日本の漁業は今、高齢化や後継者不足、また地域の過疎化により、深刻な人出不足に悩んでいます。
漁業に限ったことではありませんが、一次産業は「3K=きつい、汚い、危険」といったイメージが定着していて、後を継ぐ若い世代の漁師も少なく、衰退の傾向にあります。
漁業界の人手不足の原因の一つは、稼げなくなったこと。
昔は、漁師といえば一攫千金を狙える世界でした。EEZ(排他的経済水域…沿岸国が水産資源や海底の天然資源について権利や管轄が及ぶ水域)が1982年に制定されたことや、魚食(魚を食べること)が減っていること、海外からの安い水産物の輸入で価格競争に負けてしまうことなどの背景から、稼げなくなってしまった現状があるんです。
──「3K=きつい、汚い、危険」なイメージ、さらに稼げないとなると、あえてその世界を選ばないですね…
松本:
そうですよね。漁師をしている親も、子どもの世代には「漁師なんて継ぐんじゃねえ、勉強して公務員にでもなれ」と。「漁師になりたい!」とか「漁業に携わりたい!」という若者が減ってきています。
(団体設立前、2013年の忘年会の写真。当時は漁業に課題意識を持っていた若手漁師5~6人が中心となった集まりとしてスタートした)
──漁業に携わっている人ですら、その仕事に就くことをおすすめしない現実があるということですね。
松本:
そうなんです。けれど、本当にきつくて、稼げない仕事なのか──。若い世代に、漁業の魅力が十分に伝わっていないと思うんです。ここを変え、「新3K=カッコ良くて、稼げて、革新的」をもたらすために、漁師だけでなくいろんな職種の人が集まって、漁業界を盛り上げるために活動しているのが、僕たちの団体です。
──活動のきっかけを教えてください。
松本:
僕はヤフー株式会社の社員です。東日本大震災の後、復興支援のために現地に入り、三陸で採れた水産品をネットで売るなど、現地の漁師の方たちの販売支援をしていました。
復興支援の中で見えてきたのが、漁業を取り巻く現状でした。漁具が津波で流されてしまった漁師さんたちの中には「再開にもお金がかかるし、もうこれが潮時だ」と引退する方たちが多くいたんです。
「このままでは、三陸の漁業がなくなってしまうのではないか」という危機感を抱いた地元の若い漁師とヤフーの人間が復興支援を通じて出会い、2年の構想を経て、2014年にフィッシャーマン・ジャパンを立ち上げました。
(フィッシャーマン・ジャパン代表理事のワカメ漁師・阿部勝太(あべ・しょうた)さん(左)と、フィッシャーマン・ジャパン事務局長の長谷川琢也(はせがわ・たくや)さん(右))
(今回のコラボデザインのモチーフにもなっている「銀鮭」の水揚げの様子)
松本:
「漁業界を変えたい、盛り上げたい」という気持ちは、地元の漁師たちも、外部の人間である僕たちも同じでした。けれど、漁業はもともと「ルール」が多い産業なんです。
──「ルール」ですか?
松本:
魚を採るために「漁業権」が必要だったり、魚を売るために卸を通したり…取得しなければならない権利や、販売方法についてのルールが多い産業なんです。けれど、今までのままでは漁業の担い手がどんどん減ってしまう。僕たちは、この既存の「ルール」にとらわれない考え方で、漁業界にイノベーションをもたらすべく、そのトップランナーとして走っていきたいと思っています。
──地域に根付いた産業ですし、閉鎖的な部分もあるというか…最初はなかなか新参者をすんなり受け入れてくれる雰囲気ではなかったのではないですか?
松本:
漁師は、50代でも若手といわれるような世界。30代で自分で販路を作って水産物を売ろうとなると「何をやってるんだ」というような雰囲気は、慣習的にあると思います。けれど三陸では、東日本大震災が起きて、地域の漁業もこれまで通りのやり方で進めることは難しくなってしまった。地元の人たちだけでは再建するのが難しい状況だったんです。
別の言い方をすれば、東日本大震災によって日本の漁業界がこれまで潜在的に抱えてきた課題が顕在化されたと同時に、外部の人たちの力を借りて、その課題を改善していくきっかけが訪れたということなんです。
(「TRITON PROJECT」の中で行われている漁師学校の様子)
──「漁業界に新3Kを」ということですが、具体的にどんな活動をされているのですか?
松本:
いくつかのプロジェクトを運営しています。
ひとつは、次世代の漁師を増やしていくための「TRITON PROJECT(トリトン・プロジェクト)」。未来の漁業を担う若者たちと、漁師をつなぐプロジェクトです。
これまで、例えば県外の若者がせっかく漁業に興味を持っても、「受け入れてくれる先がない」「住むところがない」といった課題がありました。ここを解消するために、TRITON PROJECTでは、漁師になりたい人が、私たちが用意した漁師専用のシェアハウスで生活しながら、毎日漁場へ行って漁業を学び一人前の漁師を目指します。このプロジェクトを利用して、これまでに16人の新たな漁師が生まれました。
──すごいですね。
松本:
このプロジェクトでは、漁業の求人情報を発信するだけでなく、浜のコミュニティーに溶け込むという、地域での暮らしで重要な部分も含めてトータルでサポートしながら、次世代の漁師の卵たちを育てています。
(担い手の受け入れをしている石巻市雄勝のホタテ漁師さん(右)と、熱心に話を聞く若者たち)
(ホヤの聖地とも呼ばれる谷川浜の漁師・渥美貴幸(あつみ・たかゆき)さん。東日本大震災以降、「新しい漁業のありかた」を地元の若手漁師たちと模索し続けている)
──貴団体のサイトでは、オンラインショッピングで水産品の販売もされていますね。
松本:
そうですね。ヤフーのノウハウを駆使しながら、全国の消費者に三陸の魚の魅力を知ってもらいたいと思っています。あとは、東京・中野で、生産者の思いをダイレクトに伝える漁師酒場「魚谷屋」を運営しています。
(東京・中野の漁師酒場「魚谷屋」の様子。客席から覗けるライブ感あるオープンキッチンが特徴だ)
松本:
漁師って、獲った魚の価格を自分で決めることもできなければ、消費者の声が直接聞けるわけでもなかったんです。オンラインショッピングや「魚谷屋」は卸を通さないので、漁師の言い値で魚を仕入れています。
それによって通常よりも高い値段になってしまうこともありますが、売れる売れないという事も含めて、漁師が直接お客様の反応を見ることができます。漁師直送の新鮮で旬な魚をお客さんに楽しんでもらうと同時に、漁師たちもやりがいや手応えを感じられる場所を作りたいと思っています。
一緒に動く漁師さんたちは、僕たちと仕事をすることで販売や稼ぐノウハウを身につけて、あとは自分たちで販路を開拓したりもしていますね。「自分たちで稼げる仕組みを考えて、自分たちで動く」ということが当たり前になってきていて、少しずつ環境が変化していると感じます。
(地元量販店にて、直販イベントの様子)
──あとは、サイトもスタイリッシュですし、大手アパレルブランドとコラボしたグッズを販売したり、「見た目のオシャレさ」にも力を入れられていますね。
松本:
「カッコ良さ」は意識しています。専属のアートディレクターを置き、「ダサいクリエイティブは世に出さないぞ」という意気込みでやっています。
──そういったところからも、若い世代で興味を持つ人が増えてきそうですね。
(アパレルブランド・URBAN RESEARCHとコラボして作った船上でも街でも着れる「カッコいい」漁師ウェア。積極的に異業種と連携して漁業の新たなイメージを作っている)
(ホタテ漁の体験の様子。船の上でいただく海の幸は格別!)
──様々な分野の人が集まることで、これまでになかったアイディアが生まれたり、地元の漁師さんたちだけでは気付かなかった魅力を再発見したりする。それを発信することで、「漁業の本当の魅力」がたくさんの方に伝わっていくんですね。
松本:
僕たちは、「フィッシャーマン」を、「=漁師」とは定義していません。「フィッシャーマン」とは「=漁業をよくするために活動する人」のこと。団体立ち上げから10年の2024年までに、このフィッシャーマンを1,000人に増やすことを目的に、これからも様々な活動で漁業界を盛り上げていきたいと思っています。
(小学生向けの漁業体験。自ら「とって、さばいて、食べる」を体験し、魚が食卓に届くまでの一連の流れ体験してもらった)
松本:
それは何も漁業に携わらなくても、各家庭で魚を食べる消費者さんもそう。「感謝して魚を食べよう」という意識や、「値段は高いけど、良い魚を食べよう」と思ってくれる消費者を増やしていくことも、僕たちのミッションだと思っています。
北九州特産の魚のブランディングをしたりと、最近では三陸以外の地域にも認知と活動の領域が広がっています。三陸だけが変わっても、日本の漁業は変わらない。日本中の漁業にイノベーションを巻き起こしたいと思っています。
(フィッシャーマン・ジャパンメンバーが他県に赴き、ノウハウを展開するなどの動きも出てきている)
(漁師になりたい人だけでなく、「漁業のことを知りたい」「魚が大好き」という人も気軽に参加できるプログラムを用意して、漁業との接点を作っている)
──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。
松本:
若い世代から漁業に興味を持ってもらえるように、就労希望者や子どもを対象に、さまざまな漁業体験イベントを開催しています。
船を一艘貸し切って沖へ出て魚を獲ったり、獲れたての新鮮な魚を食べたりと、漁業を間近に体験できるイベントですが、1回の開催には船の燃料代や食事、備品購入など入れて20万円ほどかかります。
今回のチャリティーで、次世代の担い手である若者と漁業をつなぐこのイベント開催のための資金を集めたいと思います!ぜひ協力いただけたらうれしいです。
──貴重なお話、ありがとうございました!
(フィッシャーマン・ジャパン事務局メンバーの皆さん。右から3番目が事務局長の長谷川さん、左から3番目が、今回お話をお伺いした松本さん)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
30代になって、改めて魚の持つ素朴で繊細な味わいに感動させられます。
魚は、日本人の食卓には欠かせない食べ物。それでも、魚がどんな風に獲れるのか、スーパーの魚売り場や食卓に並ぶ一匹一匹の魚にも、漁師さんのドラマやストーリーがあるんだということを、これまであまり深く考えてみたことがなかったなあと感じました。…考えてみると、実にたくさんの工程を経て、たくさんの人の手にかかって、目の前にいるわけです。そのことを考えただけでも、ありがたくて、貴重な食べ物ですよね。
「この魚は、どうやってここにやってきたんだろう」、そんなことをちょっと想像するだけで、魚や漁業に対する意識が少し変わるかもしれません。
日本の漁業界を元気にするために、今回のチャリティーアイテムを着て応援してください!
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堂々たる銀鮭の姿を描きました。
フィッシャーマン・ジャパンの活動拠点である宮城県が圧倒的なシェアを誇る魚です。
“Fisherman, be ambitious. Sail across the ocean”、
日本の漁業の明るい未来を目指して、大海を自由に泳ぐ魚のように、力強く、逞しく歩んでいこう!というメッセージが込められています。