(撮影:東真子)
「レット症候群」という病気を知っていますか。
1966年に初めて報告されたこの病気は、1万人〜1.5万人に一人の確率で、生後6ヶ月から1年半の間に、女の子のみに発症する進行性の神経疾患です。
それまですくすくと元気に育っていた子に、徐々に知能や言語、運動に遅れなどの症状が現れる病気。その発症率は非常に低く、厚生労働省の調査によると、現在日本でこの病気を抱えている20歳までの若者は推定で1,020人。1万人の女児に0.9人の有病率(平成27年の報告より)といわれています。
今週、JAMMINがコラボするのは「レット症候群支援機構」。2014年のコラボ以来、2度目のコラボです。当時はまだ難病指定されていませんでしたが、平成27年7月に難病指定を受けました。
代表を務める谷岡哲次(たにおか・てつじ)さん(41)の愛娘の紗帆(さほ)ちゃん(10)は、2歳を目前にレット症候群と診断されました。
「これまでできていたことができなくなっていく娘を見ながら、親として辛かったけれど、一番つらいのは本人ではないかと感じた。もし彼女が言葉を発することができたら、『パパ助けて』と言うのではないか。だから、レット症候群を治る病気にすることを目指して活動している」。谷岡さんは、そう語ります。
活動について、お話をお伺いしました。
(お話をお伺いした谷岡さん。勤務先にお伺いし、お話を聞きました)
NPO法人レット症候群支援機構
女の子だけに起こる不治の難疾患「レット症候群」を支援する団体。活動を通じレット症候群の認知を進めると同時に、根本的な治療法の開発を目指している。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
(谷岡さんの娘の紗帆ちゃん。常同行動で自分の意思とは関係なく手が口にいってしまう。気持ちが高ぶると、症状が強く出る傾向がある。(撮影:東真子))
──2度目のコラボですが、今回もどうぞよろしくお願いします。まず「レット症候群」について教えてください。
谷岡:
レット症候群は、生後半年ほどは普通に成長するのですが、その後徐々にできたことができなくなっていく進行性の神経疾患です。女の子のみに発症する病気で、その原因は明らかになっておらず、治療法も確立されていません。症状や進行度合いには個人差がありますが、娘の紗帆は、ハイハイができるようになった頃から、体が思い通りに動かなくなりました。
レット症候群の大きな特徴は、女の子のみに発症するということ。近年の報告で正確にいえば男の子にも起こるのですが、男性と女性の染色体の違いも関係し、世界的にみても症例はとても少ないようです。
(体全体が緊張して力が入ってしまうので、マッサージで体をほぐすのも日課のひとつ。足首から順番にほぐしていく(撮影:東真子))
──原因は何なのでしょうか?
谷岡:
遺伝子の突然変異によるもので、典型例では主にMECP2という遺伝子が関っており、手足の筋力が弱るということではなく、脳からの神経伝達がうまくいかず、その結果手足等の運動のコントロールがスムーズにできなくなることに原因があるようです。
また、てんかんや脊柱が曲がる側弯症(そくわんしょう)、本人の意思と関係なく息をとめてしまう息こらえなどの障害を併発することが多いです。
ほかにも自分の意思とは関係なく常に両手を合わせたり、口元に手を持っていくといった行動を繰り返したり、息をこらえてしまうような症状がレット症候群の特徴です。
紗帆にも側弯とてんかんの症状があります。また、レット症候群の人は手足がつねに緊張状態にある子が多いので、手や足首が内向きにねじれるジストニアも多く見受けられます。
(背骨が湾曲してしまう側弯症。はっきりとした原因は不明だが、多くのレット症候群の子が発症する。進行を止めるのは難しく、側弯の角度がひどくなれば内臓や日常生活にも重篤な影響を及ぼすことになる)
(1歳頃の紗帆ちゃん。「この頃はまだ一人でお座りが出来ていたし、手でおもちゃを使って遊ぶ事もしていた」と谷岡さん)
──症状は徐々に表れるのですか?
谷岡:
この疾患自体は先天的なものだと言われています。生後半年ぐらいから少しずつ症状が現れます。
──それまで健康に育っている分、ショックは大きかったのではないですか。
谷岡:
紗帆はハイハイはしていたのですが、つかまり立ちをなかなかしないと感じていました。それでも、訓練をすれば大丈夫だろうと考えていたのですが…、本人が動きたくないような素振りを見せるようになりました。気がつくと、ハイハイもしなくなり、一人で座っていてもゴロンとこけるようになっていました。
なんだろうと思って病院へ行ったのですが、検査の結果は異常なし。小脳の働きがわるいのではないかいうことで、リハビリや訓練次第では、発達の過程で徐々によくなるよと言われていたんです。ところが、どれだけ訓練しても、逆にできなくなっていきました。手を口元に持って行ったり、ギリギリと歯ぎしりをしたりすることが増え、インターネットで調べるうちにレット症候群に行き着いたんです。書いてある症状と娘の症状がまったく同じだったころから「紗帆はレット症候群ではないか」と思うようになりました。
(言葉こそ発することはできないが、レット症候群の子どもたちは表情がとても豊かだという。紗帆ちゃんの泣き顔(撮影:東真子))
谷岡:
それで、再度病院へ行って、レット症候群ではないかと先生に尋ねてみたのですが、まだ診断するにははやいといわれ、もし気になるならと遺伝子検査を受けたんです。紗帆が1歳半の時です。
半年ほどまってやっと結果が出たんですが、異常なしでした。それでも、彼女の症状が良くなることはありませんでした。調べれば調べるほど「レット症候群に間違いない」と思うようになり、レット症候群を専門的に研究している先生を九州に見つけ、連絡をとって大阪から出向き診察を受けたのが、2歳の時です。
診察開始早々に「可愛いね。レット症候群の子どもは、可愛い子が多いんだよ」と先生がおっしゃったので、ああ、やっぱりそうだったんだ、と。
そこにたどり着くまでは「なんとかして娘の症状を治してやりたい」と鍼治療を受けたり、あやしげな療法にも手を出したり、大阪から東京にも半年ほど治療のために通ったりとできる限りのことをしてきましたが、一向に変わりませんでした。
病名がわからず苦しい時期を過ごしましたが、やっと病名が判明したことで、気持ちとしては少し楽になったのと、「治療法はないのか」という問いに対して「世界中で研究しているが、今はない。今の医療では治せる術はない」とハッキリ言われたことで、逆にすっきりして、前向きになれたところもありました。
──そうだったんですね。
(西田、DLOP、私の3人でお邪魔してインタビューさせていただきました!)
(笑顔や豊かな表情からは想像されにくいが、レット症候群は常に色々なリスクと隣り合わせだという。「レットの子に限らずですが、痰を自分で出す事も難しく嚥下の機能も低下してしまう子が多いので、肺炎になってしまう子が多い。風邪から肺炎、そして入院というケースはよく聞く」と谷岡さん。写真は昨年、紗帆ちゃんが肺炎で入院した時の様子)
谷岡:
現代の医療で治せる術がないなら、自分たちでその道をつくることはできないか。患者が中心になって世界中のレット症候群の研究者をつなげて、いろんな点を結びつけて、治療法の確立に尽力できるのではないか。そう思ったんです。
──前向きになるより、ショックが大きかったのではないですか。
谷岡:
今はもっと多くの情報がありますが、その当時、レット症候群について調べると「不治の病」という暗い情報しかありませんでした。なんで自分の娘がそんな風になってしまったんだろうと思ったし、「自分の日頃の行いが悪かったのか」とも思いました。
僕以上につらかったのは妻だと思います。女の子ができて、将来は一緒に買い物にいったり、女性の付き合いができることをとても楽しみにしていました。それができないというショックは大きかったと思います。落ち込みがひどく、ご飯も喉を通らなくなり、みるみる痩せていきました。僕も落ち込んで共倒れになってしまうのはまずいと感じ、「治療法があるはずやで」と励まし続けました。
(紗帆ちゃんが2歳の頃。「当時は、これから先もっとお兄ちゃんの後を追いかけて、いつまでも仲良く遊んでくれる事をただただ願っていました」と谷岡さん)
谷岡:
レット症候群とわかるまでは原因もわからず、治療のために各地へ足を運びました。気持ちがついて行かず、喧嘩になったこともあります。それでも妻は、あちこちへ治療に出かけたり、九州の先生に会いに行ったり、挙げ句の果てには僕がNPOを立ち上げるという話にも、受け入れてついてきてくれました。
娘がレット症候群と診断された九州からの帰り道、新幹線の中でNPOを立ち上げるという構想はすでにありました。と同時に「今やらずにこれを半年先に延ばしたら、ずっとやらないだろうな」と思ったので、帰ってきた次の日には、お世話になっている行政書士の方に「NPOをやりたい」と伝えたんです。
「もう少し落ち着いてから考えよう」と思っていたら、やっていなかったと思います。勢いでした。
──そこまで谷岡さんを駆り立てたものはなんだったのですか?
谷岡:
「紗帆の立場だったら、どうだろう?」と思ったことですね。
それまで当たり前のようにできていたことができなくなってしまった時、もし彼女がしゃべることができたら「パパ、助けて」「ママ、助けて」と言ったのではないか、と。彼女に代わってあげられないのだとしたら、じゃあ一体自分になにができるのか。治療法を見つけるお手伝いくらいはできるのではないかと。
そして同じようにレット症候群で悩んでいる人たちに、未来は真っ暗ではないということ、可能性があるんだということを、発信したいと思ったんです。
(紗帆ちゃん、満面の笑顔。「仕事から帰って「紗帆ちゃ~ん」と声を掛けた時の、彼女の癒しのスマイルには疲れも吹っ飛びます」と谷岡さん(撮影:東真子))
(同じ姿勢だと体が固まってしまうので、自宅では時々うつ伏せの訓練をしたり、大好きなアンパンマンを見たりして過ごす。愛犬も一緒になって見守る)
──紗帆ちゃんは現在10歳ということですが、普段はどんな生活をしているのですか。
谷岡:
普段は支援学級に通っています。家に帰ってきてからは、リビングのソファにいることが多いですね。お兄ちゃんが「俺にも座らせて」と場所を取り合っています(笑)。
手を使うことができず、固いものが噛めないので、食事はペースト状の離乳食のようなものを食べさせる必要がありますが、普通に固いものが食べられる子もいます。逆に、口からの食事ができなくなり、胃ろう(栄養を直接カテーテルで胃に送る)を受けている子もいます。
(食事は介助なしでは取る事は出来ず、上手く噛んだり飲み込んだり出来ないので、なるべく柔らかくしたり、少しとろみをつけたりして食べやすくしているという。それでも、疲れて食事の途中で寝てしまうことも(撮影:東真子))
──どんな風に日々過ごしているのでしょうか。
レット症候群の子どもの多くは、言葉を話すことができません。その代わりに、目でコミュニケーションをとっています。レット症候群の子どもは、表情がとても豊か。感受性も豊かで、喜怒哀楽をしっかり表現してくれる。
紗帆はアンパンマンを見たり、アンパンマンの音楽を聴いたりすると、100パーセント笑ってくれます(笑)。通っている幼稚園や支援学校でも、レット症候群の子どもはニコニコしている子が多く、皆の人気者になるという話をよく聞きます。僕たち家族にとっては、彼女の存在が大きな癒しです。
この素晴らしい笑顔だけは、絶やさないように、なくさないようにしてあげたい。そしてできたら、ちゃんと歩けるようにしてあげたい。声を聞いてみたい。父親として、そう思います。
(立つためのリハビリの最中の1枚。「足に補装具をつけ、2人掛かりのサポートでようやく立ってる風ですが、未来を信じて日々訓練頑張っています」と谷岡さん(撮影:東真子))
──団体の代表としては、今後についてどんな思いを持っていらっしゃいますか。
谷岡:
完治を目指して、引き続き活動していきたいと思っています。海外では、症状を緩和させる治療の研究や治験が進んでいます。これらを日本に持ってきたいですし、製薬企業等ともタイアップしながら、完治を目指していきたいですね。
最近では遺伝子治療も進んでおり、海外では治験の許可も降りています。年内〜来年には治験を開始すると発表されました。リスクがないわけではありませんし、完治を確約するものではありませんが、日本でも治験をすすめることはできないか、動いているところです。
(2018年にレット症候群支援機構が主催した【写真家「東真子」によるレット症候群写真展】の1枚。この写真展のために、東さんは谷岡さん家族に密着し、紗帆ちゃんの写真を撮り続けた。他のレット症候群の子どもたちと一緒にパチリ(撮影:東真子))
──遺伝子治療とは、どういったものなのですか?
谷岡:
例えば無害な特別に開発されたウイルスを脊髄から注射器で注入し、そのウイルスに治療用の遺伝子を目的部位まで運ばせるという方法や他にも様々な手法が開発されています。レット症候群に限らず、いろんな難病で、今年〜来年あたりから遺伝子治療が顕著に出てくるようになると思います。
遺伝子治療が確立されれば、完治の可能性も十分にあると考えています。
(レット症候群支援機構では、治療法確立に向けて、毎年1回、研究成果報告と医学の基礎を学ぶ勉強会を開催している。2017には世界各国から研究者を招き国際シンポジウムも開催した)
(8歳の誕生日、家族のバースデーソングに、笑顔を見せる紗帆ちゃん(撮影:東真子))
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
谷岡:
僕たちレット症候群支援機構は、レット症候群の治療法確立に何よりも力を注いでいます。
団体から、レット症候群に関する研究を行っている研究者の方2名に、毎年100万円の研究助成金を出しています。
──助成金の対象は、どのように選定されるのですか?
谷岡:
研究を募集し、その中で可能性があると感じた研究を選んでいます。
今回のチャリティーで、一つの研究の助成金100万円のうちの1割、10万円を集めたいと思っています。チャリティーTシャツで、ぜひ応援いただけたらうれしいです。
──貴重なお話、ありがとうございました!
(インタビューの後、谷岡さんを囲んで。左から西田、谷岡さん、DLOP。デザイナーのDLOPにとっては、2014年、レット症候群支援機構さんとコラボした際にに担当したデザインが、初めて手掛けたJAMMINのデザインでした!あれから4年、当時まだ学生だったDLOPは、今ではJAMMINのメンバーとして毎週のコラボデザインを担当しています)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
2014年6月、JAMMINがスタートして間もない頃にコラボしていただいたレット症候群支援機構さん。今でこそ毎週のデザインを担当しているデザイナーのDLOPですが、実はレット症候群支援機構さんとの前回のコラボデザインが、記念すべき最初のデザインでした。実際に当事者の方に話を聞き、デザインを仕上げる。DLOPにとってもたいへん思い入れの深いコラボで、「一番印象に残っているコラボ団体さんは?」という話題になった際、レット症候群支援機構さんは毎回名前が出てくる団体でもありました。
今回、私は谷岡さんと初めてお会いし、いろいろとお話を伺う中で、我が子の幸せ、健やかな人生を願う強い気持ちを感じました。「当事者が声をあげていくことが必要」と谷岡さんはおっしゃっていましたが、たとえ小さいことであっても、私たちにもできることはあるように思いました。レット症候群の治療法が、1日でもはやく見つかることを願って。
大きなバッグから、風船やカメラ、本や花…、ワクワクするいろんなものが飛び出しています。
決してつらいだけではない、いろんな思いや喜びも詰め込んで、明るい未来を目指して、これからも笑顔で共に旅をしていく。
そんな思いを込めたデザインです。
“care today, cure tomorrow”「今日できるケアをしながら、希望を持って生きよう」というメッセージを添えました。
Design by DLOP