MEGUMI YAMAMOTO

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1984年京都府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、書籍編集プロダクションを経てWEBコンテンツ企画・制作会社に勤務したのち渡印、ヨガを学んだ後、カナダへ。帰国後、WEB制作会社を経てJAMMINに加わる。

「生きる」と向き合った日々

地元がここ京田辺で、西田とは同じ小学校に通っていました。後でわかったことですが(笑)。小学校3年生の時に引越して、高校卒業までを四国・徳島で過ごしました。

               

大学入学と同時に上京し、そのまま就職。最初に就いた仕事では会社で寝泊まりしたり、深夜2時3時にシャワーだけ浴びに帰ってまた出勤、みたいな生活をしばらく送っていました。「絶対編集者になる」と思っていたので、ただただ毎日必死でしたが、心身がついていかなくなり、1年半で辞めることに。

               

転職後は時間的にも気持ち的にもわりと余裕ができて、好きなことをしていました。音楽が大好きで、仕事の後は飲みに行くか、クラブへGO!鼻血が出るほど踊ってました(笑)。仕事もプライベートも充実した毎日は楽しく、特に大きな不満もありませんでしたが、編集プロダクション時代のような大きな目標もなく、どこかその場しのぎの楽しさで、生きる目的や情熱を失いつつあるように感じていました。

そんな時にヨガに出会い「これだ!」と感じ、どうせならきちんと学びたいと、仕事しながらインストラクター養成学校に通いました。ヨガを知ったことで、人生観がガラリと変わりました。ここについて話し出すと宇宙とか愛とかワンダラーとか壮大な話になるので、割愛しますが(笑)…。

かといって、生活自体が何かすぐに変わった訳ではありません。しかしちょうどそんな時、会社の健康診断でガンの陽性結果が出たんです。再検査をして結果が出るまでの3、4ヶ月間、まさに恐怖と向き合う日々でした。と同時に、生きる意味は何か、本当に大切なことは何か、そんなことをそれまで以上に考えるようになりました。

               

「もし命が続いていくのであれば、与えられた一瞬一瞬を、自分が本気でやりたいと思うこと、心の底から楽しいと思うことに費やそう。とにかく『本気』で生きていこう」。それが生きることへの責任だと思いました。

再検査の結果は「異常なし」。当時のことはあまり覚えていないのですが、再検査の結果が出た時には、「本気で生きる」ために仕事を辞め、10年近く住んだ東京を離れることを決めていたのを覚えています。

インド、そしてカナダへ

この出来事は、自分の生き方を見直すきっかけになりました。経験や今起きていることには、すべて必ず意味がある。そんな思いでいろんな本を読み漁っていて、自然とインドへと気持ちが向いていきました(笑)。2013年のまさに元日、仕事を辞めた私は、インド行きの飛行機に乗っていました。

(インド・バラナシにて。)

南インドにあるシヴァナンダヨガのアシュラムでティーチャー・トレーニング・コース(全米ヨガアライアンス認定)を修了。その後、ガンジス川のほとりでヨガしたりぶらぶらしたりして帰国しました。帰国後、地元・京都に戻り、関西で仕事を探していると、求人情報でやたら「英語ができる方」っていうのが目に入るんです(笑)。

「そういえばインドにいた時、英語が流暢じゃないせいでコミュニケーションが十分にとれなかった。仲良くなった人と、あんなことも、こんなことも話したかった…もっと英語がしゃべれるようになりたい!」という次なる「本気」に、気づいてしまったんですね(笑)。

そしたら「ん?やるなら今やん?」ってなって(笑)。仕事してないやん?家も気にせんでええやん?…と、迷いなくカナダのバンクーバーへ。語学学校に通ったのち、ワーホリビザを使って1年、ノースバングーバーにあったベーカリーで働きました。

「︎笑顔になれれば結果オーライ」を学んだバンクーバーでの生活

働いていたベーカリーは、日本人は私だけ。同僚はみんないろんな国から移民してきた人たちでした。イラン、フィリピン、韓国、フランス、スウェーデン…。みんな生まれ育ってきた背景とか文化が違うから、価値観がまったく別なんですよね。でも、みんなすごく仲が良くて、うまくいっていた。

(ベーカリーのスタッフと。)

何かあっても、最後にいつも「Are you happy?」って確認する。Happyならオーライ、Not happyならみんながHappyになれる方法をまた考える。お客さんにしてもそう。みんなのカルチャーが違いすぎて、日々奇想天外なことがたくさん起きるんですが(笑)、何があっても最終的にはほとんど、みんな笑顔になるんです。

「これは決まりだから」とか「こういうものだから」っていう机上のルールではなく、今そこで生まれていることを大切にする。そんな雰囲気がありました。もともと「なんでこれが必要なん?」「これをやる意味は何なん?」と、黙って形やルールに従えるタイプではなく(笑)、そのせいで学生時代、親はしょっちゅう学校から呼び出されてましたが…、カナダで体験したこのやり方というか、このフランクさは、結構インパクトがありました。

予期せぬ帰国

               

バンクーバーでの生活がすごく肌に合ったのと、ベーカリーのオーナーが「ビザ取得のスポンサーになるから、ぜひ残らないか」と言ってくれたのも後押しして、ワーホリのビザが切れるタイミングで、カナダに残るための別のビザ申請の準備を進めていました。カナダに移住する気満々で。それが「あと1週間で書類を申請だ!」という段階になって、急にビザの制度が変わり、申請ができなくなってしまったんです。

移民だらけの周囲の人たちからも「こんなケースは初めて見た」と(笑)。ショックはショックでしたが、ガン疑の経験から、この出来事にも必ず意味があると思いました。「おお。カナダじゃなくて、日本でやるべきことがあるねんや」と受け入れて帰国。…まあ、受け入れる以外何もできない状況でしたけど(笑)。

その後JAMMINと出会い、今日に至っています。

(「いつでも帰って来れるように」と、働いていたベーカリーの鍵はそのまま私の手元に。大切な宝物であり、お守りです。)

NGO/NPOとJAMMIN、それぞれの「本気」を伝えたい

こういうのも何ですが、正直、社会問題について他の人よりも知っていたり、人一倍興味があったりするというわけではないです。ただ、いつもNGO/NPOの方と話していて毎回感じるのは、皆さん「本気」だということ。本気で、世の中を変えるために戦っているんです。それが、すごく伝わってくる。

私の仕事は、コンテンツを通じてその「本気」を伝え、つなげていくことだと思っています。

               

それは、JAMMINのメンバーに対しても同じ。仕事を辞め、何もないところからJAMMINを立ち上げた西田。「Tシャツを通じて社会を変える」「チャリティーをもっと身近にする」という西田の「本気」も、「『かっこ良くて、実はチャリティー』っていうアイテムを増やしたい」というDLOPの「本気」も、やっぱり伝えていきたい。

何事も、最後は「本気」でしかきっと通じていかないし、人は「本気」でしか動かない。

発信する側と受け取る側と、両者の「本気」がピキーン!って合致した時に、何か変わっていくことがあると思うんです。「これは決まりだから」とか「みんなそうしてるから」なんて、そんなの関係ない!

──自分は、相手はそれでHappyか?

バンクーバーにいた時に体験したような「みんながHappy」な空間を増やしていくために「本気と本気がほとばしる空間」を作っていけたらと思っています。

(NGO/NPOさんとの打ち合わせは、テレビ会議で行うことがほとんど。慣れるまではペースがつかめず大変でしたが、この頃慣れてきました…会えれば一番良いのですが!)



MEMBER

JAMMINのメンバーを詳しくご紹介しています。各メンバーページをご覧ください。

TAICHI NISHIDA

CO-FOUNDER

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AKIHIRO HIDAKA

DESIGNER

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MEGUMI YAMAMOTO

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MUGI

MORALE BOOSTER

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