
「自立援助ホーム」をご存知ですか。
家庭での虐待などの事情を背景に、親元から離れて暮らすことを余儀なくされた若者が、少人数で共同生活を送りながら自立を目指す場所です。
児童養護施設が原則として乳児から18歳まで(状況により20歳まで延長が可能)であるのに対し、自立援助ホームは原則として15歳から20歳まで(状況により延長が可能)、入所する子どもたちは経済面や精神面の自立を目指して生活しています。
「当たり前の温かい食事や寝床、団らん、皆でどこかに出かけるような楽しい時間を積み重ねることと、主体性を育むやりとりを大切に、ホームを出た後も何かあった時は実家のように頼れる関係性を築くことを大切にしています」
そう話すのは、今週JAMMINがコラボするNPO法人「光と風と夢」代表の「おぐらっち」こと小倉淳(おぐら・あつし)さん(44)。
制度の改定などもあり、小倉さんが自立援助ホーム「みんなのいえ」(千葉県市原市)立ち上げた10年前は130ホーム程だった自立援助ホームは今、全国に450以上(2026年9月1日現在)あるといいます。
「『ただ人が寝て、何か食べられるハコモノを作ればいい』という話では、当然ありません。一人ひとりと向き合う覚悟が必要で、子どもを搾取するようなホームが乱立することは避けなければなりません」と小倉さん。
小倉さんと、スタッフの「なっちゃん」こと土井奈津子(どい・なつこ)さん(45)にもお話を聞きました。

お話をお伺いした「おぐらっち」こと小倉さん(写真右から二人め)、「なっちゃん」こと土井さん(写真左から二人め)。スタッフの「そうくん」(写真右)、「やまさん」(写真左)と
NPO法人光と風と夢
千葉県市原市を拠点に、虐待や様々な事情で親元を離れて暮らす若者や子どもを支援しています。自立援助ホーム「みんなのいえ」の運営のほか、虐待を未然に防ぐための地域とのつながりづくり、困りごとへの支援などを行っています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/10/19

自立援助ホーム「みんなのいえ」での一枚。「みんなでハイチーズならぬ、ハイ変顔(笑)。一つ屋根の下で暮らし、喜怒哀楽を共にするからこそ、恥ずかしさを捨てて、みんなで最高の一枚」
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
小倉:
2016年に立ち上げたNPO法人で、同年に自立援助ホーム「みんなのいえ」を立ち上げました。定員は6名、義務教育を終えた15歳から20歳までの男子を受け入れています。
JAMMINさんとは2018年にコラボしていただきましたが、その時から大きく異なるのが、2024年の児童福祉法の改正により、年齢制限が撤廃され、個人の状況に応じて、20歳を過ぎても自立援助ホームにいることができるようになりました。背景には、施設を巣立った若者の社会的な孤立という課題があります。
「20歳になったから、どんな状況だろうと退所してね」というのではなく、助走期間を設けながら、一人ひとりの自立を支援するかたちになりました。
自立援助ホーム「みんなのいえ」は、以前と変わらず20歳をひとつの区切りに、21歳までには巣立ちをしようねと伝えています。
──そうなんですね。

(写真左)「悲願の高校卒業を果たし20歳を迎えた若者。15歳から共に暮らし、本当に手がかかった…。君は大人を信じられるようになったのかな?『おぐらっち(小倉さん)が成長できたのは、オレのお陰でしょ?』と言われたことは、今でも心に刻みこまれています(笑)」。(写真右)「春に正社員として就職を果たし、毎朝、満員電車に揺られ都内まで通う19歳の若者。頼もしく成長した背中に、今日も『いってらっしゃい』と声をかけて送り出します」
小倉:
ホームを退所したら終わってしまう関係性ではなく、社会に出てから何かあった時、いつでも帰って来られる実家のような場所でありたい。そう願っていて、「みんなのいえ」設立の当初より、子どもたちとはそのような関係性を築くことも大切にしてきました。
10年間でここを巣立った子どもたちは22名(うち3名は一時保護)、それぞれに就職や結婚、子育て、転職、引っ越し…さまざまな転機が訪れながらも、力になれることがあれば一緒に考えるというスタンスは、今も変わりません。

「みんなのいえを巣立ち、それぞれの居場所で奮闘している若者(20歳、21歳)を対象に、2025年1月、成人のお祝い会を開催。凛々しく映る表情をみて、一人ひとりの成長を実感します」

「10代後半の男子たちは、脱毛に興味津々です。みんなでレーザーを照射して本当に毛がなくなるのか!?『目がまぶしい』と言いながら、美容男子を目指しています(笑)」
小倉:
もう一つ、自立援助ホームを取り巻く制度のところで、大きく変わった点があります。
以前は、入居する子どもたちは、働いて自分で寮費を支払うことが原則でした。というのは、自立援助ホームは「進学」ではなく「就労」を軸にした子どもたちを受け入れていたかからです。生活にかかる費用を子どもたち自身が負担しながら、自立を支援するかたちでしたが、行政が生活全般にかかる費用を負担してくれるようになったのです。
──前回のコラボの際には、「児童養護施設の入所は、高校進学が条件。高校進学を希望しない(就職を希望する)若者が、自立援助ホームにやってくる」とゆうようなお話を伺いましたが、そこも変わったということなのでしょうか。
小倉:
子どもが生活費の工面をする必要がなくなったからと言って、必ずしも皆が就労しているわけではありません。今、自立援助ホームにいる子どもの多くが高校に通っています。多くの子が進学を目指していて、以前のように就労を軸にしている方が少ないかもしれません。学業と就労を両立している子もいます。
──なるほど。自立援助ホームのあり方が大きく変わったのですね。

「2023年の春、みんなのいえでワンチームになってタスキをつなげる市民リレーマラソンに挑戦をしました。しかも、子どもたちからの『大人と子どもで別々にチームをつくって勝負しよう』いう提案に、タジタジの大人たち。1本のタスキをつなぎ、21キロを見事に完走することが出来ました。無事にゴール出来た瞬間は、どの子もスタッフも達成感と高揚感で満ちていました。みんなのいえとして初めての試みだったマラソン。いつかまた挑戦したいという子どもが現れてくれることを期待します」
小倉:
そうですね。ただ一方で、虐待を背景とする精神不安、愛着未形成からくる精神疾患や発達障害を抱えている子どもが増えていると感じます。自己形成や他者とのつながり、人間関係がうまくいかず、障害者手帳を取得したり、ホーム退所後にグループホームに入所する若者や、入院する若者も増えていると感じています。
自立援助ホームを運営する立場として、子どもたちと日々、生活を共にして食事や会話のやりとりをするだけでなく、巣立った後を考えて、たとえば障害福祉法のこと、生活保護のこと、自己破産の手続きについて…、私たちもさまざまなことを知って、マルチにサポートができるよう、対応していく必要があります。

手書きのメッセージ付きのおにぎり。「忙しい朝こそ、ごはんは食べた方がいい!忙しい朝、メッセージを添えておにぎりを握り手渡すと、子どもたちは嬉しそうに食べて出発します。このおにぎりに、想いを込めてメッセージと絵を書いています。今日1日、素敵な人とのつながりやご縁を結べるよう、おにぎりにパワーを込めて元気に『いってらっしゃい』と声をかけ、送り出します。右の写真は、19歳の若者の就職面接という大切な朝の一枚です。緊張で表情は強張っていましたが、おにぎりを渡して『がんばっておいで!』と送り出しました」
──就労を軸としていなくても入所できるようになったこと、また寮費も自分で納めるのではなく行政が負担してくれるようになってきたというところで、「自立援助ホームと児童養護施設との違い」が、改めて問われてくるようなところがあるのではないですか。
小倉:
自立援助ホームのあり方として、「1、子どもたちにとって安心安全の生活の場であること」「2、子どもたちの主体性を保証する場であること」「3、退去者支援をすること」の3つが大切だと思っていて、僕らもブレないよう強く意識しているところです。

「生まれも育ちも違う者同士だけど、一つ屋根の下で一緒に暮らせば、共通の話題や興味は生まれます。『たまにはスマホは横に置いて、人生ゲームでもしようぜ!』。みんなで集まりアナログなボードゲームに熱中しているところです」
小倉:
特に2つめの「子どもたちの主体性を保証する場であること」に関しては、自立援助ホームは少人数である分、大人たちが子どもたち一人ひとりの必要なことに対して丁寧なやりとりができるし、見守ることができて、彼らが「失敗ができる」環境ではあると思います。
ホームで出会う子どもたちは、安心を感じられず、自信がない中で生きてきた子がほとんどです。当たり前の温かい食事や寝床、団らん、皆でどこかに出かけるような楽しい時間を積み重ねることと、主体性を育むやりとりを大切にしています。
子ども自身が決めたことに対し、たとえ「失敗するだろうな」と思っても、危険などがない限りは見守って、失敗も一緒に振り返りながら、学びをサポートすること。その中で関係性が育まれ、巣立った後もつながり続けられる信頼関係が生まれます。

「2024年の秋、みんなのいえを巣立った20歳以上の若者を対象に、飲み会を実施しました。久し振りの顔ぶれにみんな時間を忘れて思い出や近況を語り合いました」

「誕生日は、1年に1度のスペシャルな日。みんなのいえでは誕生日を迎えた子どもを中心に夕食時、男子たちが集い、バースディバースデーソングを歌います。とても低い声で(笑)。祝われる主役の子は少し恥ずかしく、でも生まれてきたことへの喜びを噛み締める素敵な時間です」
小倉:
2016年に「みんなのいえ」を始めた時、自立援助ホームは全国に130程でした。しかし今、2026年9月1日時点の数字では、全国に450ものホームがあります。
──3倍にも増えたんですね!
小倉:
少し専門的な話になりますが、児童養護施設や乳児院は、高い公共性を求められる「第一種社会福祉事業」にカテゴライズされ、経営母体が社会福祉法人でなければ、まず運営の許可が下りません。かなりハードルが高いです。
一方で自立援助ホームは、「第二種社会福祉事業」にカテゴライズされ、もちろん管理者や現場の資格、開所にあたっての部屋の最低面積など、諸条件をクリアしている必要はありますが、そこさえクリアできれば、民間企業やNPO法人なども、そこまで難しくなく参入し、開所ができます。
──そうなんですね。

(写真左)「梨が大好物なのに梨を剥いた経験がない子のために、ナイフで梨の皮を剥き方を教えているスタッフのそうくん。手つきはまだ危うく指が切れそうだけど『するは失敗、何もせぬは大失敗』。たくさんの経験と失敗を子どもたちに経験してもらいたいと願う、そうくんです」。(写真右)「部屋の片づけが不得意で、お風呂も嫌い。部屋から異臭騒動で、『さすがに部屋の片付けしなよ』とスタッフが声をかけ、重い腰を上げた子ども。活力不足だと『部屋の汚れは心の乱れ』が、分かりやすく出てきます」
小倉:
その時に、児童福祉の分野に限らず、障害や介護などの福祉全般にも言える話ですが「ただ人が寝て、何か食べられるハコモノを作ればいい」という話では、当然ありません。
行政から頂ける金額が増えたからと言って、子どもを搾取するような自立援助ホームが乱立するということは避けなければならず、そこは頭を悩ませるところです。
──法によって、乱立は防げませんか。
小倉:
そこもまた、難しいところです。
というのは、法やガイドラインに縛られることを拒み、「管理されるのではなく、柔軟に子どもたちとやりとりをしたい」と望んだ先人たちのおかげで、今の自立援助ホームが生まれた歴史があるからです。

「気分がのらず、部屋に籠って人と関わりたくない時もあるよね。そんな時だからこそ、みんなのいえでは、子どもたちに声をかけ、あえて近所の公園で、外ランチをすることがあります。『大丈夫、あしたは気分も晴れるよ』」
小倉:
「法に縛られない=さまざまなスタンスが取れる」。それが自立援助ホームの良さでもあり、悪さにもなり得てしまう。ここに難しさがあります。
「(子どもたち一人ひとりの)個を尊重するために、さまざまなホームがあっていいよね」というのは、自立援助ホームの大前提にある想いです。ただ「何をもって自立をしたか」「どう成長したか」ということは、たとえば目に見えて数字で測れるようなものではありません。
そのような中で行政としても、なかなかメスをいれづらいというところはあるのだと思います。

「NPO法人光と風と夢を立ち上げた10年前に出会った、町のガス屋の早園さん。みんなのいえにガスじゃなくて、甘くて美味しいスイカを届けてくれます(笑)。早園さんは私たちの活動を何かと手伝ってくれる、みんなのいえの頼もしいサブスタッフです」

「なっちゃんの愛情たっぷり料理に感化されて、若手スタッフのやまさん、そうくんの2人も、料理に想いを込めてレベルアップ。『…あれっ!?一番、料理が出来ないのって、おぐらっちなんじゃないの?』」
──自立援助ホーム運営にとどまらず、精力的にさまざまな活動をしておられます。
小倉:
おかげさまで外部からの相談が増えてきて、自主的に相談事業を始めました。
地域のスクールソーシャルワーカーと連携し、小学校・中学校のお子さんや親御さんの相談に乗ったり、連携している団体が手掛けている千葉市内の夜間高校の居場所カフェにも顔を出し、生徒たちの相談に乗ったりしています。
イメージとしては、家庭の状況をヒアリングし、学校だけでは介入がしづらい部分に、僕らが切り込んでいくようなかたちです。問題解決のために児童相談所との橋渡しをしたり、親御さんと話し合ったりする役割を担っています。

「NPO法人光と風と夢の活動の一つに、地域の子育て相談や、子ども、若者の相談を受ける自主活動『明日へのマーチ』があります。生きることにしんどさを抱き悩んでいる若者や、貧困家庭、子どもを育てるのがつらいと感じている片親の方。他人ごとではないという想いから、一緒に課題解決の方法を考えながら寄り添うことを大切にしています」
──相談事業は、自治体からの依頼でされているのですか?
小倉:
いいえ、完全に自主事業です。
僕は社会福祉士として、「ソーシャルワーク」も非常に大切だと捉えています。
目の前にいる一人ひとりの話を聞いていると、もちろんそれぞれに内容も状況も異なりますが、それらに共通する「社会の課題」が見えてきます。その課題解決のために、動きたい。
すでにある制度の中で動くのではなく、地域や社会の課題に対し、解決策を考えて動くこと。結果としてそれが制度につながればいいなと思っているし、その方が僕もワクワクするんですよね。
──そうなんですね。
小倉:
「移動式の相談支援事業」を最終的な目標に掲げ、2024年の秋からはキッチンカー「みんなのカフェ」もはじめました。

キッチンカーでアウトリーチ。「”I am only doing what I can do”というスローガンを掲げて始めた自主活動の『みんなのカフェ』。今年2年目を迎えました。写真は2026年6月、市内の五井臨海祭りへ出店をした際、スタッフ揃っての一枚です」
──キッチンカー!新しいですね。
小倉:
家庭で子どもが危機的な状況に陥った場合、児童相談所が介入します。
それを事前に防ぐために、制度的にいえば、各都道府県に虐待防止の業務を担う「児童家庭支援センター」があるし、市にも「子育て支援課」があります。
でも、そういった場所に足を運んでみよう、相談してみようという親御さんは、一体どれだけいるでしょうか。
──確かに…課題として認識しているかということもあるし、行きたくても行けない状況とか、そもそも家庭の話をそんなところでしてもいいのかとか、なんとなくハードルが高いイメージがあります。
小倉:
面と向かって改まってとか、自宅を訪問してというかたちだけでは、虐待は防げません。もっと気軽に、たとえばカフェのように食べながら、飲みながら話せる場があるといいなと思いました。
僕らの強みを活かしながら、気軽に相談ができたり、何かあった時に「助けて」と言える関係性作りが地域でできないかと考えて、それで「自分たちが外に出て行こう」と、キッチンカーを思いついたんです。

「キッチンカーの看板メニューを、まさかの『もつ煮』に掲げた大胆な発想は、みんなのいえで当時暮らしていた子どもたちのアイディアからです。その美味しさは口コミで地域に広がり、お客さんの中には、鍋を家から持参してやって来られる方もいます」
──わざわざ相談に出向くほどではないかもしれない。だけどもっと手前のところで、悩みや不安を聞いてもらえる場というのは、確かになかなかないですね。
小倉:
そうなんですよね。「虐待」や「子育て不安」というテーマだけだとスティグマというのかな、なんとなく良くない印象もあって、相談に出向きづらいということもあると思うんです。
でも、キッチンカーだったら誰でも立ち寄れます。
あちこちに出向いて僕たちのことを知ってもらいながら「虐待は誰にでも起こりうる可能性がある」「どんなことでも、何かあったら相談してもいいよ」「一人で抱え込まなくていいよ」ということを、時間をかけて発信していきたいと思っています。
──そうなんですね。

「なっちゃんのもつ煮は、みんなのいえの子どもたちからも大人気のメニューでした。お袋の味を求めて、みんなのいえを巣立った若者たちも、出店先にやってきてくれます。仕事のこと、恋バナ(恋愛話)…、とりとめのない報告などもありながら、誰かに会いたい、もつ煮を食べたいと思って足を運んでくれる人が、これから先も増えていってくれると嬉しいです」
小倉:
「みんなのカフェ」の看板メニューはもつ煮です。
長く一緒に活動しているスタッフの「なっちゃん」こと土井さんは、栄養士の資格を持っていて、彼女が作る食事は、以前からホームの子どもたちに大好評でした。
なっちゃんは飲食店で働いていた経験もあるので、キッチンカーを始めるにあたり、彼女が中心となってメニューやオペレーションを考えました。
ホームの子どもたちに、仕事としてキッチンカーを手伝ってもらっています。その時は「仕事をお願いする、一人のアルバイト」。もちろんお給料を払いますし、衛生面や時間を厳守すること、お客様への声がけなど、社会人として働く上で大切なことを守ってもらいます。

「みんなのカフェの活動は、地域の方との新しい出会いはもちろんですが、みんなのいえに暮らす子どもたちの就労の機会としても活かされています。『いらっしゃいませ』が恥ずかしくて最初は言えない子も、出店が終わるころには主体的に声を出したり、先読みの行動をして助けてくれます」
──子どもたちにとっては社会経験の場にもなりますね。
小倉:
買ってくれたおばちゃんが、少ししてから、家から大きな鍋を持って現れて「まだ余ってる?夜ご飯のおかずにするから、残りをちょうだい」って、もう一度買いにきてくれたりします(笑)。
そんな小さなやりとりを地域で一つずつ、地道に積み重ねていく先に、社会課題を持っている家庭やお子さんとの出会いがあると思っています。

「キッチンカー出店の際、私たちがいつも大切にしていることは、支援をする側のスタンスではなく、来た人に喜んでもらえるような食事とまた来たいと思われるような雰囲気を作ること。写真は、キッチンカーにやってきた地域の子どもたちと談笑しているなっちゃんです」

「法人の活動や、みんなのいえを介して出会った子どもたちのことを思い出すと、この10年で私自身が彼らに助けられ、成長させてもらったことばかりです。過去は変えられないけれど、ここから変われたこと、成長できたことがたくさんあったはずです。巣立って行った彼らが、私たちとの暮らしの答えを、きっとみせてくれる。嬉しいこと、悲しいこと、つらいこと…、人生には色々あるけれど、最後は自分のことを信じられる人になってくれたらと願っています。『いつでも、ここで待っているから何かあれば帰っておいで!いってらっしゃい』と思い、彼らを応援しています」(おぐらっちより)
──ここからは、自立援助ホーム「みんなのいえ」について、土井さんにも聞かせてください。ホームで出会った方の中で、特に印象に残っている方はいますか。
小倉:
「みんなのいえ」を出た後、就職し、家庭を持ち、守るものができたことで、見違えるように変わった子もいます。奥さんや子どもと一緒にホームに遊びに来てくれたりして、嬉しいですね。
土井:
どの子も本当に印象深いですが、その中でも特に、精神疾患を持ってホームに来たAくんが印象に残っています。ここに来る多くの子どもたちがそうであるように、家庭で大切にされてこなかった背景があり、Aくんも自分自身を大切にできない状態でした。
壮絶な家庭環境で育った彼は、マンションから飛び降りて自殺未遂をしようとした過去があります。両親は彼がいなくなっても捜索願も出さず、放浪していたところを保護されて「みんなのいえ」にやってきました。
Aくんは、みんなのいえでは穏やかでおとなしい性格でしたが、うまくいかないことがあると突然豹変し、自分の部屋で大暴れすることがありました。
幼い頃、Aくんの両親はいつも喧嘩をしていて、暴力は彼にも及んでいたそうです。ずっと居場所がない中を生きてきて、失敗やつらいこと、思い通りにいかないことがあった時に「どうせ俺なんて、この世にいなくていいんだ」と踏ん張ることが難しく、暴れることがありました。

「10年を振り返ると、たくさんの思い出があります。その年、その時、その瞬間に子ども一人ひとりとの思い出がたくさん…。お腹を抱えて笑った出来事も、真剣に話を伝え合った場面も、心が傷ついてどうしようもなくなった時のことも、それら全てが、素敵な思い出です。そんな思い出の中でも特に、みんなのいえを立上げてから必ず年末に実施している臼と杵を使っての『餅つき』は、私にとって特別な日となっています。巣立っていった若者、近所の方、みんなのいえを介して出会った方々が賑やかに過ごすこの時間はとても好きです。みんなで1年の終わりを笑顔で迎えらえること。『まだまだ、私はここで頑張れる』と思える瞬間です」(なっちゃんより)
小倉:
入居して1年ほど経ち、僕たちとの関係性も少しずつできていた頃だったでしょうか。これからアルバイトに行くというAくんが、キッチンに立ち寄って、包丁を持ち出す瞬間を目にしたのです。
──ええっ。
小倉:
偶然、僕がキッチンの方を向いて座っていて、カバンに包丁を入れようとする瞬間を目撃しました。「何やってるんだ!」。咄嗟に駆けつけ、包丁を持った彼と取っ組み合いになりました。
…結果としては警察が介入する事態となり、その日を境に、彼と会うことはなくなりました。後に彼は、この時のことを「誰かを刺して、その後に自分の人生も終わらせようと思った」と供述したそうです。Aくんはその後2年、入院しました。
土井:
事件は、いろんなことが重なったタイミングで起こりました。
親に会えると思っていたのに、大人の都合でその日を延期され続けたこと。アルバイト先で、上司に怒られたこと。事件の前日、「命の次に大切」というスマートフォンを、海へ落として水没し壊してしまったこと…。
いろんな要因が重なって、「もう、人生を諦めよう」と思った瞬間だったんじゃないかと思います。

「『みんなのいえ』という名前は、誰にとっても『いえ』であって欲しい、虐待を理由に生活が始まる子も、近所の方にとっても、そうではない人にとっても、いろいろな生き方をしている人が交差していく場、居場所になってくれたらと願いを込めて付けました。この先の未来でも、みんなのいえは変わらずそうあって欲しいと願っています。みんなにとっての居場所、それがみんなのいえです」

「笑うことを知らなかった子どもが、笑顔いっぱいで彼に関わった人たちと笑えるようになりました。人として扱ってもらえずつらかった幼少期、学童期の壮絶な過去を抱えたまま、みんなのいえに辿り着いたその時から毎日、この子には、自分を大切にすることを伝え続けました。人と関わった経験に乏しかった彼は、かつて冗談を言い合える相手もいませんでしたが、私たちとの暮らしを通してスポンジのようにさまざまなことを吸収し、成長してくれました。人と関わったことがない10代後半の彼にどう言葉を伝え、どう関わるか?この子との出会いが私自身の価値観を変え、支援とは何か?尊重するとは何か?を考えさせられる機会となりました。こうして彼との関係性をつくった仲間たちに囲まれ笑顔で写真の中心にいる姿をみて、『この子らに世の光を』と願わずにはいられません」
小倉:
この話には続きがあて、事件の1年後、彼から突然、電話がかかってきました。「あの時はすみませんでした」という謝罪と、「ホームに遊びに行ってもいいですか」と。
思うところがなかったわけではありません。だけど「来てもいいよ」と返事をしました。
──覚悟が要ったのではないですか。
小倉:
僕の中では「罪は憎んでも人は憎まず」という気持ちです。Aくんと一緒に食卓を囲んだ日々も、笑い合った日々もあるし、幸い、事件は大事には至らず済みました。
…彼はきっと、たくさんの大人に裏切られて生きてきたんです。裏切り体験を増やしたくなかったし、彼にとって何か、着地点を作ってあげたいと思いました。

「みんなのいえに暮らす子どもたちのために毎年、南伊豆から甘くて美味しいみかんを送ってくださる通称『みかんさん』。直接お礼を伝えにいこうじゃないか!と2025年の夏、想いを紡ぐ旅プロジェクトを企画。日常の仕事や学校も大切だけど、非日常の時間で過ごす出会いや体験も同じくらい大切なんです。写真は、みかんさんを囲んで、みんなで撮影をした一枚です」
──久しぶりにホームに来て、どんな話をされたんですか。
小倉:
事件のことは触れず、今どうしてるの、今後どうするのといった他愛もない話をしました。
…彼はきっと、ふと寂しくなった時、帰って来られる場所として「みんなのいえ」を思い出してくれたのだと思う。ここで何気ない話をすることで自分の気持ちを整えて、また現実に戻っていくということをしているのかなと思います。
なかなかうまくいかないけれど、生い立ちを受け入れ、失敗を糧にして、自分なりに生きていくより他にありません。大したことはできないけど、彼らが求めた時に、そばで話を聞いたり、相談に乗ったりすることはできます。
土井:
一人の人生に介入するということは、非常に尊い仕事です。だけどそのためには、こちらも覚悟を持ってそこに向き合わなければならない。そのことを、改めて感じさせられた出来事でもありました。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
小倉:
チャリティーは、親の後ろ盾なく自立を目指すみんなのいえの子どもたちに、彼らの日常の活力を底上げするような、お腹いっぱいご飯を食べたり、旅行に出かけるといった普段はなかなかできない経験を届けるための資金、また各地をキッチンカーで訪問した際に、子育て中のお母さんやお父さん、子どもたちに食べ物を無償提供する資金として活用させていただけたらと思います。ぜひ応援よろしくお願いします!
──貴重なお話をありがとうございました!

みんなのいえで暮らす子どもたち、スタッフたち、皆で元気いっぱいの笑顔でハイチーズ。2025年夏、みんなのいえの中庭にて
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
目の前の子ども・若者たちに向き合うだけでなく、しんどい思いをしている人たちのために、虐待を事前に防ぐためにと、地域に飛び出して相談やキッチンカー事業を始められた小倉さんたち。「光と風と夢」さんらしい、オリジナルでとても素敵な活動だと思いました。
居場所や後ろ盾がないまま、社会に出ていく若者たち。どれだけ不安で、心細い時があるだろうと思います。「一人じゃない」「相談してもいいんだ」と感じられる場所があることが、大きな力になるのではないでしょうか。

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