
(撮影:新美勝)
「ほんのひとさじの重湯を差し上げるような、わずかな支援さえ満足にできないけれど、その人に寄り添いたい」。
2009年、浄土宗の僧侶たちによって設立された任意団体「社会慈業委員会 ひとさじの会」が今週のチャリティー先!
ひとさじの会の活動は、路上生活者の「葬送」からスタートしました。
「縁という縁を断ち切らざるをえなくて路上に出た人たち、社会から排除され、孤独の中で生きてきた人たちが、亡くなった路上の仲間を弔い、『死後も共にいられる』というつながりを感じることは、今を生きる力にもつながる」。
そう話すのは、ひとさじの会代表で静岡県富士市にある浄土宗法源寺副住職の髙瀨顕功(たかせ・けんこう)さん(43)、事務局長で、東京都台東区にある浄土宗光照院住職の吉水岳彦(よしみず・がくげん)さん(47)。
活動について、お話を聞きました。

お話をお伺いした髙瀨さん(写真左)、吉水さん(写真右)
社会慈業委員会 ひとさじの会
「ほんのひとさじ、困難を抱えた人たちと心の寄り添い」。
ホームレス状態にある人や身寄りのない人の葬送、浅草山谷・上野地域における炊き出し夜回り、施米などの活動を行っています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/08/10

新年1回目の夜回り。「まだ寒い時期なので、おむすびに加え、カイロと新年のお守りをお渡ししました」
──今日はよろしくお願いします。最初に団体の活動について教えてください。
髙瀨:
路上で生活している方の葬送、炊き出し・配食、施米の「支縁」を行っている団体です。「支援」というほど大それたことができるわけではないので、「支縁」というふうに表現しています。
──「支縁」に込めた思いを教えてください。
髙瀨:
路上で生活している方たちの多くが、人生の本当にさまざまな経験の中で、他者への信頼の揺らぎ、また自分自身への自信の喪失を経験しています。地縁や血縁から切り離された人も少なくありません。
「もうどうでもいい」「所詮、自分はこんな人間だ」などというふうに、自己肯定感が損なわれている人も多く、我々の活動が、そのような人が「もう一度、がんばってみるか」と寄って立つところ、その人をささえる縁(よすが)になれたらという思いで「支縁」というふうに表現しています。

夜回りの様子。路上に横たわる方に寄り添うボランティアさんたち
吉水:
そうですね。私たちの活動は、「援助」というよりは「ご縁結び」なのかなと思っていて。
援助というほどの大きなこともできないし、不完全な活動ですが、でも私たちが良い縁でつながることができれば、きっと他の人たちとも、良い縁がつながっていくのではないか。
社会から孤立し、「もう死ぬしかない」というような絶望的な状況でも、暗闇の中を月の光がどこまでも照らすように、仏様の光がその方に届きますように。そう願いつつ関わっていくところがあります。
仏縁がつながり、絶望の中に小さくても光を感じてもらえたら、それはやがて、互いを支え合うご縁にもつながっていきます。

夜回り前に行っている「いのりの時間」。「ひとさじの会では、おにぎりを配って歩く夜回りに出発する前に、ボランティアみんなで手を合わせる『いのりの時間』を大切にしています。路上で亡くなった方や生活困窮の末にお部屋で亡くなった方、自死、事件、事故、病没、はたまた戦争で亡くなった方に至るまで…、あらゆる苦難のうちに亡くなった方々のいのちを思って手を合わせるのです。毎回おにぎりを手渡していた方にお会いできなくなる時、『もしかしたら、お亡くなりになられたかもしれない』と思うことがあります。最期のお見送りを直接することができなくても、その方の後世安寧を祈らずにはいられません」

2009年、NPO法人もやいの当時の事務所「こもれび荘」におけるお盆の供養の様子。「ひとさじの会を立ち上げるきっかけとなった身寄りのない当事者の方々も、一心に手を合わせてくださいました」
──葬送のご支援を始められたきっかけを教えてください。
髙瀨:
路上生活者支援をしている「新宿連絡会(新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)」が毎年、新宿中央公園で夏祭りを開催しています。
お盆の行事として、当事者の方たちが「路上で亡くなった仲間たちの供養のために、お坊さんにお経をあげてもらいたい」と望まれたのが最初のきっかけでした。
世間からは「お坊さんがお経を読んで、一体どんな意味があるの」と言われることもありますから…、そのような希望を聞いた時はとても驚いたし、ありがたく感じました。
──当事者の方たちはなぜ、お坊さんにお経をあげてもらいたかったのでしょうか。
吉水:
路上で生活する多くの方は、地方から出てきています。
死者を弔うとなった時に、子どもの頃の心象風景として「供養のためにお坊さんが来て、念仏を称えてくれるものだ」という記憶が背景としてあったということもあると思いますが、社会から弾き出されて路上に出た彼らにとって、「死後、弔ってもらう」という、人として当たり前のことをしてもらうことが、「本人たちの尊厳」にも結びつくことだったのだと思います。
お話を聴くと、皆さん、自分のことはさておき「先に亡くなった仲間のことを、ちゃんと弔ってほしい」という気持ちを持っておられたんです。
──そうだったんですね。

山谷地域にて、路上生活者や生活困窮者を対象に支援活動を行うNPO法人「山友会」のお墓の前で、手を合わせる元当事者。(写真提供:NPO法人山友会)
吉水:
亡くなった方を供養して極楽にお見送りし、次は生きている皆さんを見守る側になってもらう。それはつまり、「つながりを持ち続ける」ということを意味します。
「亡くなった仲間と、つながり続けたい」。そんな思いを持って、私たちに供養をお願いしてくださったのだと思います。
「亡くなった大切な人が、今の自分を見ていたらどうだろう」という視点があることで、遺された人が、その後も自暴自棄に陥らず「あいつが見ているかもしれないから、背筋をしゃんとして生きないとな」って、生きる力にしてもらえるところがあります。
「死んで終わり」ではなく、「あいつが生きてたら、何て言うかな」などと思いながら、死してなお、「共に歩み続ける」ことができるのです。
──そのために「供養」が必要だったのですね。
吉水:
「どうせ自分なんて、野垂れ死ぬだけ」「生きても死んでもホームレス。俺を弔う人なんていない」と思っていた人が、仲間の葬送を経験することで、「仲間が、あるいは自分が死んだ後も、ずっとつながっていることができるんだ」ということを、見出していくということでもありました。
僧侶として葬送に携わってきた立場としても、「弔い」には、送る側・送られる側、両者の縁を、強くつなぎ直すような感覚があります。「弔う」は「訪(とぶら)う」ともいいますが、「死者が我々の元を訪れる」という意味もあるし、「我々が死者を思い、共にある」という意味もあります。
「弔い」が、「共にあり続ける」関係性を紡いでいくのです。

「亡くなるまで活動にお越しになっていた元当事者のAさん(写真中央)です。Aさんには、大病を患った折に、看病のために全てを投げ捨てて寄り添ってくださった奥様がいらっしゃいました。Aさんのことを力強く見守っていた奥様ですが、さみしいことに彼よりも先にこの世を旅立ってゆきました。Aさんは奥様のお見送りを終えた後、彼女の眠るお寺に手を合わせにお越しになるだけでなく、ひとさじの会のボランティアに尽力してくださるようになりました。ご自身のいのちが終わるまで、奥様に会いにお寺に通うとともに、過去のご自身のように困っている方々の力になりたいと励まれました。人にはいろんな側面があります。大きな愛情を受けて変化してゆく、そのお姿に触れさせてもらうことは、ひとさじの会メンバーの大きな心の糧になっています」

「結の墓」は2008年、身寄りのない方々のための墓として建立された
──路上生活を送っている方、身寄りがない方たちのためのお墓も建立されています。
髙瀨:
2008年、山谷にある浄土宗光照院に、路上生活者や生活困窮者の共同墓「結の墓」を建立しました。
「自分が生きた証を、誰かが覚えていてくれる」というのは、私たちにとってすごく大事なことです。仲間を思える場所、自分を思い出してもらえる場所があるのはすごく大切で、墓じまいが増えているこの時代に、彼らは「お墓がほしい」と望みました。
日本の先祖供養は、家制度に基づいたものです。つまり家からこぼれ落ちた人は、お墓に入ることができません。
でも「死後にちゃんと弔われ、入れるお墓がある」ということが、路上で生きてきた彼らにとって、「社会から排除されていない」という、安心感につながるところもあったのではないかと思います。

2008年11月、結の墓の開眼供養には、新宿連絡会、NPOもやい、NPO新宿など諸団体の関係者が集まった
吉水:
路上で生活していた80代のおじいさんがいました。彼は貧しい村で生まれ育ち、早くに親を亡くしてからは小学校にもろくに通わせてもらえず、大人の仕事を手伝い、15歳で東京に出てきたそうです。
友人に騙されて一文なしになり、縁という縁を失い、すべてをなくして路上に出たということでした。
おじいさんは支援によって生活保護を受け、アパートに入り、そこで初めて、気の合うお友達ができました。そしておっしゃったのが「ここでできた仲間と死後も一緒にいられると思ったら、残りの人生をもっと一生懸命に生きられる」という言葉でした。
信頼していた人から裏切られたり、捨てられたり、どん底のつらさや孤独を経験した彼らだからこそ、「死後、安らかに共にあり続けられる」ことは大きな希望になり、救いにもなるのです。
そしてその時に「自分たちが離ればなれにならない象徴」として「お墓」があるということが、生きる大きな力になるのだと思います。

「山谷の地域連携を進める会」主催の夏祭り慰霊法要。「祭壇の上には阿弥陀さまとイエスさまが共に安置されています」

ボランティアの方々と共に、夜回りに向け、握ったおにぎりをパッキングする様子
──お墓を建立した翌年から、炊き出しの活動も始められたんですね。
吉水:
葬送から始まった我々の活動ですが、路上生活をしている方たちが普段、どういったことにお困りなのか、どんな思いをもって路上で生活されているのかを学ばせてもらう中で、もっと学ばせてもらいたい、お坊さん仲間にも大切な学びを共有したいと思い、2009年4月に「ひとさじの会」を発足し、同年の10月からは、炊き出しと配食の活動も始めました。
最初は本当に右も左もわかりませんから、炊き出しはどうやるんだ、夜回りのルートはどうしようかと、一つひとつ考えて決めることに時間を費やしながら、おにぎりを持って夜回りを始めました。コロナ禍にはお弁当になりましたが、今はまたおにぎりに戻しています。
──路上生活者とお坊さん、一見、接点がなさそうにも感じるのですが、どのような学びを得られたのですか。
吉水:
お墓がほしいと求められた時に、私、「路上で生活する方が、いきなり墓が必要なのか」と思ったんです。そして気づきました。「私の中に差別感情があった」と。そのような学びも一つです。
路上で暮らすのはどんな方たちで、どんな思いでお墓を必要としているのかを知りたくて、ひとさじの会を始める前は新宿の炊き出しなどに参加して、そこでいろいろな方たちと出会いました。

上野コースの夜回り。「出会った路上生活されている方に、山谷地域での医療相談について説明しています」(撮影:新美勝)
吉水:
「無常」という仏教の言葉があります。儚さや有限、移り変わり、老いなど、ものごとは絶えず変化するという意味が込められた言葉ですが、思うようにならない苦しみを生きてきた方たちに触れることが、仏教者として育てられる上で非常に大切だと感じ、「彼らと学びを共にしていきたい」と思いました。
髙瀨:
僧侶として、教室では「仏教とはこういう教義です。至らない人間だと自覚しないと、救いを求められません」というふうに学びますが、「自分は至らない人間だ」と自覚する場面って、日常の中で、あまりなかったりします。
しかし活動で路上生活している方たちと関わっていると、「何もできない自分」をまざまざと感じます。その中で信仰が深まっていくということがあります。

墨田公園で、長らくねこと一緒に生活していた女性。「お会いするたびにいろいろな話を聴かせていただきました。自分よりねこのことを心配されるなど、優しさあふれる人柄が忘れられません」(写真:河野利彦)

路上生活者と目線を合わせて話すボランティアさんたち(撮影:新美勝)
髙瀨:
「子どもの貧困」については大きく取り上げられることが多いですが、一方、「大人の貧困」に関しては、「本人が悪い」という自己責任論になりがちです。
しかし路上で暮らす方たちに幼少期の話を聞くと、その多くが「子どもの貧困」を経験しています。過去の「子どもの貧困」を放ったらかしにして、大人になってから「自己責任だ」と批判するのは、どこかアンフェアに感じます。
──確かに…。
髙瀨:
過去に私たちも参加した聞き取り調査では、4割ほどの路上生活者が「子ども・若者による襲撃を受けたことがある」と答えています。
ものを投げられたり、暴言や脅迫、身体的な暴力を受けるといった被害に遭ったおじさんが一体何をいうのかと思ったら、襲撃をした相手に対して「あいつらも大変なんだ」と。
「襲われた側が、何をかばってるの」と思うのですが、それはどういうことかというと、襲撃は人の目がない時間帯、日中ではなく夜中に行われることがほとんどですが、夜中に家を出られる子ども・若者というのはつまり「その時間、家でその子のケアをする大人がいない」ということを意味します。
僕の深読みかもしれませんが、そんな若者たちに、昔の自分の姿を重ね合わせて「家で居場所がなくて、外で度胸試しをしている。あいつらも大変なんだよ」という言葉が出てきたのかなと…。いずれにせよ、「子どもの貧困」の地続き、その延長線上に路上生活はあると感じます。

「おにぎりの他に下着や、冬の寒い時期は寝袋、夏の暑い時期は銭湯入浴券などもお配りしています」。写真は銭湯入浴券
──そのような方たちと、普段の活動ではどのように関わっておられるのですか。
吉水:
「このような状況なら安心して暮らせるのではないか」などと、私たちが思い浮かべる安心や幸せのイメージが、そのまま当事者の安心や幸せのイメージと重なるわけではありません。
相手の方の背景にある思いや機微を聴き取っていかなければ、その人が次の一歩を踏み出すお手伝いをすることすら難しい。「頑張ればいい」と容易く言いますが、「頑張れる土台がない」ということもあるのです。
頑張れるのは、足元に土台があるから。
教育を受けていなかったり、衣食住が安定していなかったり、子どもの頃、虐待に遭って常に怯えていたり、自分で何かを選択したり決定したりしてきた経験がなかったりすると、「頑張ってね」って言われても、どう頑張ったらいいのかわかならい。そういうことは、彼らと関わらなければ知ることができなかったことでした。
夜回りでは、お寺で握ったおにぎりを手に、路上の方々一人ひとりにお声がけをしますが、「おにぎりをお持ちしましたけど、どうですか」「最近はいかがですか」と、こちらも腰を落とし、できるだけ同じ目線で、友人や家族と接するように、相手に敬意を持って接するよう心がけています。

「2025年のクリスマスには、長年共にひとさじの会で活動してきたベトナム人仏教徒たちが、路上生活者へお渡しする防寒着を準備し、共に夜回りで配布しました」

隅田川沿いの夜回り活動の様子
髙瀨:
夜回りで食事を配っていたら「腹は膨れるかもしれないけど、金がないと明日の仕事に行けないだろ!」とおじさんが怒ってきたことがありました。山谷の「いろは会商店街」の端から端まで、ずっとその方のお話を聴いていると、しまいには「俺だって、人と話したいんだよ!」と。ひとしきり話してスッキリされて、お互い「さようなら」って別れたことがあります(笑)。
路上で暮らす方たちの、さまざまな思いを受け止め切ることはできないし、何か「こうしよう」って答えを出すわけでもありません。でも話しかけてきてくださったら、時間をとってその方の話を聴かせていただくことを優先していて、その時に「大切にしてもらえた」「耳を傾けてもらえた」という、安心や信頼の回復があるのかもしれません。
夜回りは、ものを届けながらも、そういった「つながり」を作る意味も、非常に大きいのです。
──そうなんですね。

ひとさじの会の九州支部が携わっている「大分米一升運動」で集まったお米。「檀信徒の皆さんからお寺にお供えいただいたお米、各地域のお寺で集めたお米をご寄付いただき、食を必要とする方々に届けています」
髙瀨:
以前、台風が来たために炊き出しができず、お配りする食事はなしで、タオルだけを持って夜回りをしたことがありました。
「食べ物はないんか」と言われるかと思ったのですが、「こんな台風の日に悪いね。ありがとう」と感謝してもらったんです。「天候の悪い時に、自分のことを気にかけてくれる人がいる」ということで、大変安心されたのかなと思います。…そのような関係を、時間をかけて作っていきたいと思います。
吉水:
尊重や敬意がない限り、信頼や信用、信仰は生まれません。
「この人は、自分をどう見ているのか」「この人は、話を聴く気があるか」というのは、態度ですぐに伝わります。仏教の言葉で「恭敬(くぎょう)」といいますが、その心と姿勢が大切だと思っています。

「どのような場所にいらしても、お声がけします」
吉水:
私たちの目の前で血を吐き、亡くなったおじさんがいます。
路上で鮮血を吐いて、仲間たちが駆けつけて救急車を呼びました。おじさんは「乗りたくない」と言いましたが、「このままだと死んじゃうから、お願いだから」と皆でなんとか頼み込んで、救急車が到着する頃には、本人も納得して乗るつもりでいたのです。
救急車が到着し、中から出てきた救急隊員の方がおじさんを見て一言、「えっ、この人ですか?」と言いました。その一言、その眼差しだったのでしょう。おじさんは急に態度を変え、「誰が救急車なんて呼べって言ったんだ!絶対に乗らない!」と興奮して叫びました。
それを見て、私も驚いたのですが、救急隊員の方は「ご本人もこう言っていることですし、気が変わったらまた呼んでください」と帰っていってしまったのです。

上野公園内での夜回りの様子
吉水:
おじさんはその後も、「近づくな、あっちいけ!」と血を吐きながら怒鳴り続けました。
私たちが近くにいると、興奮をもっと強くさせてしまう。当時、私たちはまだまだ未熟で、本当にどうして良いかわからなくて…。深夜だったこともあり、「少し時間を置いて、落ち着いてまた来よう」と3、4時間離れた間、おじさんはたった一人で亡くなりました。
明け方、おじさんのところに行くと、遺体は運ばれてすでになく、吐いた血の跡とおじさんの靴だけが残されていました。
…最後の瞬間、おじさんはもしかしたら「やっぱり助けて。苦しい」と言ったかもしれません。
たとえ本人が拒んだとしても、最期の瞬間を見守ることはできたのではないか。最期の瞬間にいられなかったことは、悔いでしかありません。せめて関わった人たちだけでも、もう2度と手を離すまいと心に誓いました。
…私が一生、背負っていかなければならない後悔です。

毎年、ひとさじの会が参加している音楽イベント「りんりんふぇす」。「『りんりんふぇす』は、シンガーソングライターの寺尾紗穂さんが発起人となり、ビッグイシュー日本のサポートで始まった音楽イベントです。ひとさじの会は、このイベントの企画2年目から、つくろい東京ファンド代表でビッグイシュー日本共同代表でもある稲葉剛さんにお声をかけていただいて参入することになりました。『りんりんふぇす』という名前は、音楽を通じて出会う人たちが、過去の背景に関係なく、その『隣』の人と『輪』になってゆけるようにという願いが込められています」

2026年1月、国際交流基金「ASEAN 次世代専門家グループ招へい事業:宗教間対話」の一環として、ASEAN諸国の代表者が山谷地域を訪問して夜回りを行った際、ひとさじの会の活動を説明をする髙瀨さん
──お二人のモチベーションを教えてください。
髙瀨:
活動を通じての学びやつながりが、モチベーションになっています。
──「つながり」は、今日のインタビューのキーワードだと感じていますが、あえて言葉にするなら、どのようなものでしょうか。
髙瀨:
実際に言葉を交わすことはなかったとしても、相手の存在が心に灯っているというのかな。
明日は台風とか猛暑日とか、そういう予報を見た時に「あの方は大丈夫かな」「どうしてるかな」って気にかかり、次に会った時には「先日は大変でしたね」と声をかける。
その関わりは決して単発のものではなく、会っていない間もずっと続いているものです。「あなたは、私の意識の中にありますよ」というメッセージをお互いに持ち続けること、それが「つながり」なのかなと思います。

2024年11月、東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会で開催された「生活困窮者支援フェスタ」で講演する吉水さん
吉水:
髙瀨さんの仰った通りで、私もここでの学びと、共に活動する仲間や路上の方たちとのつながり、「思い合っていける」ということがモチベーションになっています。
お寺にいると、思いがけず「以前、お世話になった」「あの時は助かりました」などと言って、インスタントコーヒーを持ってきてくださるおじさんがいたりします。
そうやって「今、自分はもう大丈夫だよ」っていうことを、わざわざ言いに来てくださるお気持ちを受け止めた時、単純にとても嬉しいですし、モチベーションにもなります。…もしかしたら私が、そこに支えられているのかもしれません。
真っ暗な絶望の中、横のつながりができて「これで一歩、歩くことができる」という光を得た時、その方のその笑顔がまた、私たちを照らしてくれるものにもなります。…それが、「つながり合う」妙味なのかなと思ったりしますね。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
髙瀨:
チャリティーは、路上で暮らす方たちにあたたかい食事を届けるための資金として、またこの暑い夏の時期、路上生活者が汗を流せるよう、銭湯入浴券をお配りするための資金として、活用させていただく予定です。ぜひ、応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!

写真は2018年、ひとさじの会の倉庫前にて。「活動には親子で参加してくださるメンバーもいて、いつも楽しくおにぎりを作っていました」(撮影:河野利彦)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「(個としての)つながり」と「死」は、どんな人にもある意味、平等にもたらされるものです。お金をたくさん持っていたり地位や名声があれば長生きするわけではないし、仲間がたくさんいるわけでもありません。
私たちは普段、社会のさまざまなものを背負い、さまざまなものに優劣をつけて生きていますが、剥き出しの「生」とした時に、どこでどんなふうに生まれ、どんなふうに暮らしているかということに関係なく、「思ってくれる誰かがいる」「思える誰かがいる」というつながりがあるということが、いかに力になるかということを改めて考えさせられるインタビューでした。髙瀨さん、吉水さん、貴重なお話をありがとうございました!

【2026/8/10-16の1週間限定販売】
おにぎりやさじ、線香、蓮の花、月、合わせた手など、ひとさじの会さんの活動を象徴するモチーフを、つながりを象徴する円のかたちの中に抽象的に落とし込んだデザインです。
すべてのものがつながり、関わりながら編み出されていく「縁」を表現しました。
“Just being together(ただ、共に在る)“というメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!