CHARITY FOR

「忘れずにつながり続けることが、パレスチナの人たちの力になる」。40年に渡りパレスチナ難民を支援〜NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン

現在に至るまで爆撃が続き、多くの犠牲者が出ているパレスチナ自治区・ガザ。
市民をはじめ現地入りしているメディア関係者や国連・NGO団体のスタッフ、病院関係者なども標的となっており、戦闘は激しさを増しています。

1986年の設立以降、40年に渡りパレスチナ難民への支援を行ってきたNPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」が今週のチャリティー先。
パレスチナの子どもたちのための教育・保健を主な分野として、戦闘による危機的な状況が続く昨今では、緊急人道支援を中心に活動してきました。

「ガザは2023年10月以降、未曾有の人道危機とも言えるほどの軍事豪撃を受けています。一部とか局所的な戦闘状態ではなく、民間の建物、医療施設や学校、インフラ…その他全て、破壊し尽くされたと言っても過言ではありません」。

そう話すのは、パレスチナ子どものキャンペーンエルサレム事務所代表の手島正之(てしま・まさゆき)さん(52)。
活動について、またパレスチナ難民の現状について、お話をお伺いしました。

お話をお伺いした手島さん

今週のチャリティー

NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン

パレスチナの人口の半数が18歳以下の子どもです。パレスチナの子どもたちが無事に大きくなり、未来への希望が平和につながるように活動をしています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/08/03

続く戦闘により
7万5,000人以上が命を落としている

爆撃により、多くの建物が破壊された街並み(ガザ市)

──今日はよろしくお願いします。団体のご活動についてお伺いする前に、パレスチナ難民の方々が暮らすガザとレバノンの現状を教えてください。

手島:
ガザもレバノンも、未だ激しい戦闘が続いており、人々は苦しい暮らしを強いられています。
ガザは、外から遮断された365平方キロメートルの敷地に220万人近くが暮らすパレスチナ自治区ですが、2023年10月から始まったガザの戦闘により、7万3,000人以上が命を落としています。ウクライナ戦争と比較しても圧倒的に多い犠牲者の数です。

特に2025年10月の停戦後も、1,100人以上が命を落としています。またはレバノンでは、2023年10月以降、空爆で4,000人以上の人々が命を落としています。

「当団体スタッフのワリードさんと、空爆に遭ったバーラーくん。バーラーくんは、アズくん(後述)と危険な地域に食べ物を取りに行った帰りに、空爆に遭いました。バーラーくんは負傷し、アズくんは亡くなりました。このことを知ったワリードさんの子どもたちはショックで話さなくなり、『ガザが嫌い。早く出たい』と訴えました。何も言葉が出ませんでした」

手島:
レバノンについても、日本でも毎日のように報道されているイラン危機(イラン、アメリカ、イスラエル間の対立と、それに伴う中東地域の緊張状態)と呼応するように戦闘が激化しており、ここ数ヶ月、多くの難民が別の場所への避難を強いられている状況です。

「閉鎖されたガザよりは、まだ逃げる場所があるのではないか」と思われるかもしれません。でも、逃げると言っても、自家用車を持っていれば別ですが、日本のように電車やバスが整備されているわけではなく、9人も10人もの家族で、マットレスや布団を抱えて20キロも30キロも徒歩で移動し、ようやく安全な場所に辿りつけるような状況です。

──逃げた先がずっと安全かというと、そうではないですよね。

手島:
はい。逃げた先が次の戦闘地になれば、また逃げなければいけません。「戦闘から逃げられてよかった」と言いますが「逃げられたからと言って、無事であるという人は一人もいない」という声も、現地からは聞こえてきます。

──そうなんですね…。

老朽化したレバノンのパレスチナ難民キャンプ。電気や水道のコードが複雑に絡まり、バイクや車が行きかう狭い道を通学する子どもたち

避難した先でも、苦しみが待っている

子どものストレス緩和のための支援。「ガザの人口の半数は、18歳以下の子どもです。100万人の子どもたちが厳しい避難生活で心理サポートを必要としています」

手島:
ガザの場合、事前に軍がガザの住民に対して、テキストメッセージを送り、また空からビラを撒いたりして「ここが軍事標的になるから、避難するように」と、市民に対して勧告があります。そうやって逃げて、逃げた先でもまた逃げて…。いろんな人に聞いても、「最低でも10回以上避難した」「もう何回避難したか覚えていない」という方がほとんどです。

レバノンの場合は、他宗教・多民族国家であるということもあり、避難した先の住人たちと、避難民の方たちとの軋轢も生まれています。
命からがら逃げてきて、やっと避難所があったと思ったら「この宗派の人以外、ここは利用できない」と入ることを断られるということも起きていて、宗教や宗派によって避難できる・できない、支援物資にアクセスできる・できないということが起きている現状があります。

多くの親子が訪れるクリニック。栄養失調の子どもも多い。薬や医薬品も足りていない

手島:
現状は平時ではなく、複雑な人道危機に直面しています。人々が必死に日々の生活を確保しようとする中で、略奪や強奪、盗みも横行しています。
ガザでは、少数派の武装勢力が一般市民からものを奪い取るようなことが起きており、治安の悪さから、日没後に外を出歩くことができません。

たださえ、空からの爆撃によって一瞬で命を落とすような状況に直面している方たちが、避難している先でもまた、別の苦しみに直面しなければならないのです。

そのような中での人々の心理的負担というのは、私たちの想像をはるかに超えるものではないでしょうか。「生き残れてよかった」「今があるのが奇跡だよ」って言ったとしても、それで「よかった」というふうには終わらないんです。

長引く避難生活でぼろぼろになったテントを、工夫をしながら暮らす。雨期の冬は浸水、乾期の夏はサウナのような暑さに苦しむ

「今日を生きる」ための
さまざまな支援を行う

食料配布をとりにきたアズ君(12歳)。「アズくんは、避難を何度もくりかえす中でお父さんを失くしました。ひとつ前の避難先に食料を残してきたことを思い出して取りに行ったところ、帰りに空爆に遭って亡くなりました。一緒に行ったバーラー君は負傷しましたが、生き残りました。危ない場所に黙って食料を取りに行った理由は『お母さんを喜ばせたかったから』でした」

手島:
情勢を受けてガザ、レバノンいずれも日本政府から退去勧告が出され、現地の日本人スタッフは皆、現地を離れました。現在はヨルダンで滞在し、リモートで現地スタッフの活動を支える形で活動を続けていますが、あるガザの現地スタッフから、こんな話を聞きました。

支援活動をしていると時々、聞かれるそうなんです。「この戦争は、いつ終わるのか」「状況は、いつか良くなるのか」と。
…何の見込みもないし、今後どうなるかなんて全くわからないけど、相手やその家族を勇気づけるために「いつかよくなるから、がんばっていきましょう」と嘘をつかなければならない…、それが、一番心が苦しいと。

食料などの物資配布に喜び、笑顔を見せる子どもたち

──お伺いしたような状況の中で、どのようなご支援をされているのですか。

手島:
ニュースでは、ガザもレバノンも停戦合意がなされたと報道されましたが、今の今に至るまで、攻撃は終わっていません。
未だ戦闘下にある中で、日々の食糧や水、子どもたちが寝る場所の確保ができなかったり、十分な医療が受けられない状況です。

食料支援では、野菜や日持ちする食料などを配布

手島:
ガザでは、主に食糧や生活物資の支援、給水活動をしています。
食料や生活用品をパッケージにして配布していますが、食糧はあってもそれを煮炊きできる環境(燃料や道具、場所など)もないので、毎日炊き出しも行っています。

給水支援は、燃料を国連機関から買い、給水車を稼働させて、飲料水を配っています。

その他では、団体として長年、子どもの支援や母子保健事業を行ってきました。
現在も子どもたちは、幼い中で肉親が亡くなっていくのを目の当たりにし、過酷な避難生活を強いられています。その心の負担を少しでも和らげるように、さまざまなリクリエーション活動をしています。

また毎日、新しい命が誕生しているので、産前産後の女性支援や子どもの栄養健診、栄養指導も続けています。

ガザ南部の炊き出しに来たガザルちゃん。「ガザルちゃんの家族は、3か月でガザ市から点々と9回も避難を繰り返し、40キロ南へ逃れてきました。投薬が必要な病気のお兄さんは、避難先で満足な治療を受けられずに亡くなりました。家族は、6畳程度のひとつのテントを布で2つに区切って、12人で暮らしていました」

「努力をしないと、明日が来ない」

炊き出しのパスタを食べる子ども。1日1食しか食べれない家族も多い

──炊き出しはどんなふうにされているんですか。

手島:
提携団体の方たちが、まずは煮炊きできる場所や道具を確保します。
食材については、ガザに流通しているものを買っています。お金さえあればお米、ときには新鮮な野菜や冷凍の鶏肉は買えますが、ほとんどの人たちは十分な収入がないので、この炊き出しは命をつなぐために、もっとも重要です。

調理は、安全な場所で大きな鍋10個近くで1度に調理します。その鍋をそのまま各避難所に持込み、指定された場所に人々が取りにくることもあれば、障がい者や高齢者など受け取りに来れない人々に対して、食事をパッケージにして各テントに配布することもあります。

ただ、ガザで暮らす220万人のほぼ全員が毎日の食の支援が必要とされていますが、そのすべてには応えられていません。国連や世界食糧機構、他のNGO団体も支援に入っていますが、全く足りていない状況です。

炊き出しの様子。「大きな鍋で、その時に入手できる食材を調理し、毎日800人以上に配布しています」

──給水活動はいかがですか。

手島:
ガザはもともと地下水が豊富な場所でしたが、しっかりした計画がないままあちこちを掘って地下水を汲み上げてしまい、戦争の影響もあって帯水層に海水が混じり込んでしまうようになりました。

塩分濃度が高く、生活用水にはかろうじて使えても、飲料水としては使えません。あまり塩化していない水を組み上げ、浄水する施設が稀にあり、そこで汲んだ水を大きな給水車に積んで各避難所へ運び、市民の方たちに水を汲んでもらえるようにしています。

毎日、10万リットル(100トン)の給水支援を行う。「これまでに、のべ400万人に水を届けました」

手島:
ガザについては、人口の80~90パーセントは、安全で清潔な水にアクセスできていないと言われています。
水にアクセスできない方たちがどうしているかというと、街中でプラスチックの袋に入った水は売っているので、お金があればそれを買えるし、あるいは海に行って海水を飲んだり、雨水を貯めて活用したりしている方もいます。

ただやはり、きれいな水がないと基本的な衛生面を整えることができず、医薬品も十分に手に入らない状況の中で、感染症や内臓疾患にかかる方は少なくありません。

水道もない避難所では、給水車が命綱。子どもたちも、重い水を運ぶのを手伝う

──水といえば、排水(トイレ)に関してはどのようになっているのですか。

手島:
ガザは20年近く軍事封鎖下にあり、もともと排水網などのインフラが発達していません。今回の戦闘でその排水網や施設もほぼすべて破壊されました。

トイレに関しては、テントがせめぎ合い何千世帯と密集して暮らしている環境で、テントのすぐ隣で穴を掘って汚物を埋めるか、あるいはバケツなどの容器に用をたしてゴミの山に捨てるしか方法がありません。現地のガザスタッフによると、活動中は車で移動するのですが、窓も開けられないほどの悪臭が立ち込めているそうです。

ごみや汚物が溜まることでだんだん水捌けが悪くもなるし、毎年11月から2月にかけて大雨が降る時期があるのですが、雨水で汚物が掘り返され、そこら中に流されてしまったりして、衛生環境はかなり悪いです。

──そうなんですね…。

冬は雨季のため、テントが強風によって破壊されたり、浸水したりする被害も多い

手島:
子どもたちへの支援に関して、心のケアが最重要ですが、教育も大事です。緊急ではないようで実は緊急を要するものだと思っています。

戦闘の激化に伴い、ガザの子どもたちは2年以上、学校にいくことができていません。
学校に1年通わなかったとして、その遅れを取り戻すにはそれ以上の時間がかかると言われています。爆撃が続く現時点では、子どもたちのために授業をするというのは難しいですが、生きていく上での十分な学力や社会性、知識が身につくような健全な発達のサポートができたらと思っています。

レバノンでもガザと同様、物資の配布をしています。また、こちらも長く続けてきた事業ですが、子どもたちの歯科支援、学校の補習支援、ソーシャルワーカーを通じた子どもたちの心理面でのサポートも継続しています。

現地の方たちは、生きるか死ぬかの中でものすごい努力をして、ようやく今日、明日の食糧を確保できる。「努力をしないと、明日が来ない」と言われているんです。

学校は破壊され、あるいは避難所になり、ほとんどの子どもたちが、教育を受けられていない

活動40周年。
現地の仲間たちとの「つながり」が力に

「子どもたちが安心して学び成長できるように、支援活動を続けています」

──今この瞬間に、そういったことが起きているということさえ、ともすると信じがたいと感じる自分がいます。手島さんは、どのような思いでこの活動に向き合っておられるのでしょうか。

手島:
パレスチナ子どものキャンペーンは「子どもたちに未来を」というテーマで、将来的に大人になっていく彼らに対して、生きるための展望や居場所を作っていきたいと活動してきました。

今、政治的、社会的な情勢はますます難しくなってきていますが、それでも40年間の活動の成果というのは確実に感じています。

昔、支援を通じて高等教育を受けた子が、大人になって心理士の資格を取り、今は子どもたちのサポートに回っていたり、支援した子どもたちが、同じようにまた誰かを支援する姿が見られるのは、長く活動を続けてこられたからこその成果だと感じます。

ガザで初めてのろう学校を、創立から支援をしている。「近年、聴覚障がいのある子どもが増加傾向にあります」

──良くならない状況に、ストレスやジレンマを感じたりしませんか。

手島:
もちろん私も、他のスタッフたちも、それぞれにストレスを感じることはあると思います。
ただ私たちの団体の場合は特に、現地とのつながりがとても強くて、現地の人たちと一緒に頑張るチームができているという感覚があります。

どんな状況にあっても、「仲間や友人たちが苦しんでいるのだから、私たちが支えていこう」というのが、ひとつの大きなモチベーションになっていると思います。

過酷な環境の中でもテントの中のリクリエーション活動に参加し、笑顔を見せる子どもたち

手島:
生命を脅かされないこと、夢を持つこと、安心できる場所があること、やりたいことを選択できること…、日本に生まれ育った私たちにとってごく当たり前のことが、彼らにとっては当たり前ではありません。
「なぜ生まれた場所が違うだけで、こんなにも大きな差が生まれるのだ」というのは、答えの見つからない問いのように感じます。

ただ、そのような中でもご縁があって出会い、同じ方向を見て、一緒に活動する仲間がいるということに対して、「自分には何ができるのだろう」という問いはずっと持っていますし、それが、自分のモチベーションにもつながっています。

「自らもテントに住みながら、支援事業を実施している現地ガザのスタッフです。『俺たちはうまくやっているから!』と、スナップ写真を送ってくれました」

──やっていてよかったと感じる時はどんな時ですか。

手島:
以前支援で関わった子どもたちと、だいぶ後になって再会した時に、「あの時のこと、覚えてるよ」や「嬉しかった」といった言葉をもらうと、ほっこりしますね。「写真ばっかり撮ってたよね」って、変なことを覚えていたりするんです(笑)。

「もし、あの時の支援がなければ死んでいた」というふうに言われることもあって、そこまで追い詰められ、苦しんでいる人たちの、何かひとつ力になれたということもそうですが、子どもたちが立派に成長し、彼らの喜びや笑顔に触れた時は、本当にやっていてよかったと感じます。

そしてまた、現地で活動するスタッフから「日本で応援してくださる方たちがいるから、僕らも頑張れる。ありがとう」という声を多くもらいます。「この支援で、何人が助かったかわからない」といったことを聞くと嬉しいです。

「2014年の戦闘に巻き込まれ、左腕の神経を損傷した女の子のリハビリ(指の筋力と可動域増幅)を手伝いました。楽しみながら積極的に取り組んでいる子どもたちの笑顔は、何にも代えがたいものです」

──これまでに出会ったお子さんで、印象に残っている方を教えてください。

手島:
ガザで出会った「マハさん」です。
活発で成績も良く、学校の人気者だったマハさんは、2014年、7歳の時に爆撃の爆片が首から下の体中を貫通し、奇跡的に一命は取り留めたものの、首から下が動かなくなりました。

突然自分の体が動かなくなり、寝たきりになったので、当然マハさんは精神的にも不安定になっていた中で、医師の診断で「神経はまだ生きている可能性があるから、なんとか体を動かそう」とリハビリや生活動作回復の支援を行いました。マハさんは一生懸命がんばって、奇跡的に両手で絵がかけるまでに回復しました。

ベッドから自力で出ることはできませんでしたが、さまざまなリハビリを経て、ようやく車椅子に座ることができるようになり、少しずつ笑顔を取り戻して行きました。
マハさんの生活に必要な補助装具や車椅子も支援しました。

…そのマハさんは今、どうしているんだろうと思います。
戦闘前ですが、ガザに1箇所だけ、肢体不自由の方のための補助装具を作っているNGOがありました。おそらくその施設も今は破壊されていますので、補助装具はすべてガザの外から搬入する以外はありません。

空爆の中、瓦礫だらけの道を車椅子や補助装具なしでは逃げるのは、簡単なことではありません。今、どうしているのか…。彼女に限らず、その後の行方が気になっている方はたくさんいます。

2014年の夏の爆撃で、お母さんと妹2人を失ったマハさん(写真左)。「本人も脊髄損傷により下肢に麻痺が残りましたが、パレスチナ子どものキャンペーン支援の医療チームと家族の支えと懸命なリハビリによって文字や絵が描けるようになり、笑顔を見せてくれるようになりました。今もどこかで、無事に避難していることを祈るばかりです」

「忘れないこと、つながり続けることが、
前向きな力になる」

代々木公園で開催されるアースデイ。レバノンとガザから刺しゅう製品を仕入れていましたが、現在は、ガザからの輸入が不可能のため、ガザ応援グッズと中心に販売しています。

──私たちに、何ができるのでしょうか。

手島:
日本の方々に現地の状況をお伝えした時に、「聞いていてつらい」「彼らの暮らしを考えると、何不自由なく生活している自分が申し訳ない」というふうに感じられる方が多いと聞きました。

彼らにとっていちばん恐ろしいことは、「忘れられること」です。自分たちが人間として最低限の生活ができないのにもかかわらず、国際社会は何も解決してくれないどころか、ガザのことを忘れ去っていると感じることや、いないかのように扱われることが何よりつらいのです。

だから「申し訳ない」「つらい」と目を背けるのではなく、多くの皆様に彼らと長くつながっていただきたいと願っています。

今の状況で、現地に「明るさ」や「希望」があるかというと、それは正直、難しいです。
ただパレスチナの人たちにとって、苦しい日々の中で「遠く離れた日本の人たちが、自分たちのことを忘れずに心に覚えてくれている」という事実が、とても力になるのだといいます。

今日の山本さんのインタビューもですが、私はできるだけ「こういうことを聞かれたよ」とか「こういうふうに伝えたよ」って、現地の人たちに伝えるようにしています。そうすると、彼らはすごく喜んでくれるんです。そして必ず言うのは、「日本の皆さん、ありがとうございます」と。

ニットを通じて、ガザへエールと支援を届けるための「KNIT4GAZA(ニットフォーガザ)」プロジェクト。「エールを送るための横断幕パーツをつくる編み会で、10月には大本山増上寺(東京都港区)にて、お披露目とチャリティーバザーの開催を予定しています」

手島:
終わりを迎えるどころか状況はますますひどくなり、すべてを失われたような日々の暮らしの中で、自分たちのことを忘れず、心に覚えている人たちが日本にいるということ、そのつながりを感じられることが、彼らの尊厳につながり、大きな力になっていると思います。

だから私たちとしても、活動を継続させ、彼らとつながり続けたい。
「お互いに、思いを持ってつながり合っている」ということを、これまでも、そしてこれからも、続けていくということなんだと思います。

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

手島:
チャリティーは、先の見えない過酷な避難生活の中、懸命に生きる人々の命をつなぐため、主に食料支援や給水支援のための資金として活用させていただく予定です。ぜひ、応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

事務所のあるJR山手線・目白駅前で、スタッフの皆さんと(2023年9月)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

最近、私の中で「日々の暮らしの尊厳を守る」というのが密かなブームでした。こうありたい、こうしてみたい、そのためにちょっとしたことを意識したり努力したりして、できた時には小さな喜びを噛み締めていたところで、手島さんからパレスチナの状況を伺い、ショックで言葉が出ませんでしたし、暮らしの中であれこれと試行錯誤できたり、「自分の尊厳」を考えられたりすることが、どれだけありがたく恵まれたことなのかと思いました。

尊厳とは程遠い、今日を生きるのに必死の毎日が、同じ地球で、同じ空の下で、今、展開されているということ。その中で何を守り、何を糧に生きてゆくのか。手島さんがおっしゃった「つながり」の重みを、ひしひしと感じます。私たちにできることを、考えてみませんか。

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【2026/8/3-9の1週間限定販売】
マウンテンガゼル、オリーブの木(実)、ポピー、国の花でもあるアイリスを、針と糸でつながりを紡ぐように、パレスチナ伝統の刺繍模様を組み合わせて描いたデザインです。厳しい暮らしの中にも受け継がれるパレスチナの文化、歴史、誇りを表現しました。

“Planting seeds of hope(希望の種を植える)”というメッセージを添えました。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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