CHARITY FOR

4月10日は「きょうだいの日」。いろんな「きょうだい」がいることを知ってほしい〜一般社団法人日本きょうだい福祉協会


4月10日は「きょうだいの日(シブリングデー)」。
この日を記念し、きょうだいがいつでも、どこでも安心して暮らせる社会の実現を目指し、さまざまな特別な事情のある方のきょうだい当事者、支援関係者、医療関係者、教育関係者、研究者等の有志で集まって結成した一般社団法人「日本きょうだい福祉協会」とコラボします。

「病気や障害のある方のきょうだいのことは少しずつ知られてきましたが、ほかにもたとえば、引きこもりのきょうだい、いじめに遭っている方のきょうだい、自死を経験したきょうだい、LGBTQで性別を変更した方のきょうだい、複雑な家庭環境にあるきょうだい…、いろんなきょうだいがいるよということを伝えたくて発足した協会です。

いろんな背景や事情のある家族がいて、きょうだいがいる。その時に、きょうだいが普通に誰かに悩みを相談できて、気持ちが軽くなれたらいいなと思っています」

そう話すのは、代表理事の有馬靖子さん。

きょうだいについて、今回は障害のある妹を持つきょうだいである有馬さんと、弟を交通事故で亡くしたきょうだいである赤田ちづるさんに、お話を聞きました。

2025年8月、第34回日本外来小児科学会年次集会(於香川)にて、出展に参加した運営メンバーの皆さん

今週のチャリティー

一般社団法人日本きょうだい福祉協会

「きょうだい」が、いつでもどこでも、安心して暮らせる社会の実現を目指し、きょうだい支援やきょうだいに関する調査・研究、啓発活動などを行っています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/04/06

弟を突然の交通事故で失い、母娘の立場が逆転。
「悲しい」と思えたのは13年後だった

27歳の時に、4つ下の弟を突然の交通事故で亡くした赤田(あかた)ちづるさん。現在は、関西学院大学「悲嘆と死別の研究センター」客員研究員としてグリーフケアやその支援者の養成に取り組む傍ら、事件や事故、病気などできょうだいを亡くした当事者の集まり「栞(しおり)の会」を運営されています。

お話をお伺いした赤田さん

──弟さんが、交通事故で亡くなられたそうですね。

赤田:
はい。2003年11月、弟の隆陸(たかみち)を、飲酒運転による轢き逃げ事故で亡くしました。「死別を経験したきょうだい」ということになります。

事故後、弟はすぐに病院に搬送されましたが、1週間後に帰らぬ人となりました。
当時、私は結婚して大分の実家を離れ、兵庫で子育てをしていました。弟は仕事の関係で奄美大島にいて、そこで起きた突然の事故でした。
兄からの一報を受けて奄美の病院に向かうと、意識のない弟と、見たことがないぐらい取り乱した母がいました。その時から私は、「きょうだい」としての役割を、フルで背負ったのだと思います。

幼い頃の赤田さん(写真左)。お兄さんに肩車されているのが、弟の隆陸さん。「幼いころの兄と私と弟。いつもニコニコしていた弟は、家族のムードメーカーでした」

──どのような役割ですか。

赤田:
その日から、私と母の親子関係が逆転しました。
ショックから、自力で食べたり歩いたりすることが一切できなくなってしまった母。代わりに弟の葬式の準備をし、葬儀の日の朝も、体力が落ちた母を連れ、点滴を打つために病院へ連れていきました。

葬式では、周りから「お母さんをお願いね」「弟の分まで生きて」という言葉をたくさんかけられて、得体の知れないものをどんどん背負わされているように感じました。
…今となってはそれらが、かけるべき言葉ではなかったとわかるのですが…。

生きる気力を失った母と、周囲からの言葉。この二つに、「私ががんばらないと」と、がんじがらめになっていたと思います。

──そうだったんですね。

赤田:
「死にたい」「早く息子のところへ行きたい」と言う母が心配で心配で、毎日、「死んでるんじゃないか」と気が気でなくて。とにかく母に生き続けてもらうことに必死でした。
ちなみに、父は多くを語ることはありませんでしたが、弟が亡くなって以降、お酒を飲む時間が増え、事故から2年半後に亡くなりました。

「弟が亡くなったんだ。私も悲しい」。
…初めてそう思えたのは、事故から13年経ってからでした。

──そんなに後になってからだったんですね。

「忘れられた遺族」

死別を経験したきょうだいたちと。写真左端が赤田さん

赤田:
私の場合、弟が亡くなった時にはすでに成人していて自分の生活があり、その意味では、逃げ場もありました。しかしこういった経験を、小学校や中学、高校でするきょうだいもいます。

私はよく「(事故により)昨日までのお父さん・お母さんも失った」と表現するのですが、死別によって、きょうだいを失うだけでなく、父や母が突然、別人のようになって、それまで当たり前だった家族や生活を失います。

家庭や生活の環境が全く変わってしまっても、そこにいるより他に選択肢がなく、「自分が我慢しないと」と、頑張り続けるきょうだいがいるのです。

──確かに…。

赤田:
きょうだいの死も、それによって生活が全く変わってしまうことも、人生を変えるほどものすごく大きな出来事なのに、社会には、親を亡くした子の支援はあって、子を亡くした親の支援もあるのに、「きょうだいへの支援」や、そこに対する意識が一切ないと感じました。

なぜ、きょうだいへの支援はないのか。
疑問に感じていた時に、死別を経験したきょうだいのことを「忘れられた遺族」と表現している海外の文献に出会い、「これだ」と思いました。

「話せることで、楽になることがある」

「弟が大好きだった、奄美大島の海。弟に会いたくなると、奄美大島を訪ねることにしています」

赤田:
私自身は、自分の気持ちに気づくまでの13年間、何の支援にもたどりつけなかったし、そもそも「自分が支援の対象になりうる」ということすら、考えてみたことがありませんでした。

でもそれは、ただ社会から忘れられていただけであって、私も「悲しい」って言っていいんだと気づき、少しずつ自分の気持ちを認められるようになりました。

──そうだったんですね。

赤田:
弟との死別によって、私はきっと、無意識のうちに諦めたことがたくさんあるんです。
今、同じ立場の遺族支援に関わっていますが、彼らには、自分の人生を諦めないで生きてほしい。「自分の人生を歩んでいいんだよ」ということ、また「悲しいことは悲しいと言っていいよ」ということを伝えたいと思って活動しています。

講演で自らの経験を語る赤田さん。「遺されたきょうだいの存在を社会に認めてもらうこと、そして何の支援にもたどり着けずにいるきょうだいに『あなたは一人じゃないよ』と届けることを目的に、講演活動をしています」

赤田:
相談してくださるきょうだいの中には、何十年もずっと心に傷を抱え続けて生きてきた方もいます。
ある方は、中学生の時に兄が自死し、しかし親から「周りには話してはいけない」と言われ、30年間、誰にも相談できず、ずっと一人で苦しみを抱えてきたと話してくれました。

──誰にも話せなかったんですね。

赤田:
きょうだいが亡くなる経験は、その後の人生に、非常に大きな影響を与えます。
「きょうだいは死んでしまったのに、自分だけが幸せになっていいのか」という自責の念もそうだし、自死の場合は「自分の大切な人がまた、自死するのではないか」という不安や、病死の場合は「病気は自分のせいじゃないか」「遺伝するんじゃないか」といった気持ちを抱えることもあります。

私の場合は、弟が亡くなった時に二人目の子どもを出産したばかりだったのですが、「我が子が交通事故に遭うのでは」という恐怖と不安から、子どもだけで道路を歩かせることができませんでした。
当時は、それが弟の事故と関連していると私自身も認識しておらず、周りから「甘やかしすぎだ」と言われたりしたのですが、だけどそうしないと、育てられなかった。

…もしあの時、親身になって話を聞き、「大丈夫だよ」といってくれる人が一人でもいれば、また違ったのかなとも思います。

「最近の母と私。弟の事故はつらい経験でしたが、それでも母が今も何とか生きてくれていること、そしてまたこうして一緒に笑うことができるようになったことが、私が一番嬉しいことです」

「きょうだい一人ひとりが大事なものが
大事にされる社会が広がれば」

「弟に会うことはできなくなりましたが、私には今、全国にたくさんのきょうだいの仲間、弟と妹がいます。私が支えていると思われていますが、実は私が支えてもらっているのだとも思っています。大切なきょうだいたちが自分らしく幸せに生きていってくれるように、これからも見守っていきたいと思います」

──周りの人たちは、どんなサポートができるでしょうか。

赤田:
「死別をタブーとしない」というのはひとつ、あると思います。
「きょうだいが亡くなった」という話を聞いた時に、「触れてはいけないことに触れてしまった」ではなく、「つらかったね。何かあれば、いつでも話を聞くよ」というふうな雰囲気があるといいなと思います。

──「聞かない方が良い」という気遣いのつもりが、もしかしたら逆に距離感を生んでしまうことがあるのですね。

赤田:
私だったら、「どんな弟やったん?」って聞いてもらったら嬉しい。弟の存在を、なかったことにしたくないんです。

今、幸せだと思うこともたくさんあって、その時にふと「隆陸にも、もしかしたらこんな幸せがあったのかな」と寂しく感じることもあるけれど、きょうだいは決して「かわいそうな人」でも「特別な人」ではありません。
そんな気持ちで接してもらえたら嬉しいなと、個人的には思います。

もうひとつ、きょうだいもみんなそれぞれで、だから「きょうだいを亡くした人はみんな悲しんでいる」「みんな支援が必要」って決めつけるのも、また違うと思うんです。

一人ひとりと向き合って、それぞれのきょうだいが大切にしているものが大切にされること。支援が必要なきょうだいには、支援があること。そんな社会が広がっていくといいなと思っています。

2025年9月、第43回日本小児心身医学会学術集会にて、教育講演を行った赤田さん(写真右から4人め)。学会に展示ブースを出展していた「日本きょうだい福祉協会」の皆さんと

「自分の人生と、障害のあるきょうだいのケア。
バランスの取り方がわからなかった」

次に、有馬靖子(ありま・やすこ)さん(63)にお話をお伺いしました。
有馬さんは、障害のある妹のきょうだいとして長く葛藤を抱いてきた経験を経て、2004年に「きょうだい支援を広める会」を立ち上げて活動してこられた、きょうだい支援の第一人者です。

お話をお伺いした有馬さん。「2019年3月、アメリカのきょうだい支援プロジェクトのドナルド・マイヤーさんとともに、台湾に講師として招かれました。滞在の最終日、台北市にある大安森林公園(Daan Forest Park)をマイヤーさんと散歩して、マイヤーさんに撮ってもらった一枚です。このピンクのクマさんの他にもオレンジのクマさんなどがいて、その全部の横でクマさんと同じポーズを取り、写真を撮ってもらいました(笑)」

──有馬さんご自身、長く当事者支援の会を運営してこられました。

有馬:
1998年に、おとなのきょうだいのための「きょうだい支援の会」という自助グループを立ち上げました。実はその前に、別の会に入っていたのですが、そこには、私がほしい支援はありませんでした。
というのは、当事者同士ではなく、集まりに予告なしに親や研究者が来たり、「きょうだいなんだから、障害のあるきょうだいを支援するのは当たり前」というような雰囲気が、あまりにも強かったからです。

当事者であるきょうだいは、自分の人生と、障害のあるきょうだいのケアと、どうバランスを取って良いのかわからず、きょうだいをおいて自分のことを考えることにさえ罪悪感を持ったりしているのに、「支援して当たり前」と言われてしまうと、フリーズしてしまう。
「何か違うんだけどな…」と思っている時に、アメリカのきょうだい支援プロジェクトのサイトにたどりつき、「これが私のほしかった支援だ」と思いました。1997年のことでした。

翌年の1998年には、そのプロジェクトを発信していたドナルド・マイヤーさんに会いにアメリカへ行き、「やはり、当事者同士が集まることに意味がある」と確信を持つことができて、「きょうだい支援の会」の立ち上げに至りました。

2001年9月、アメリカのきょうだい支援の第一人者・ドナルド・マイヤーさんを招いてのトレーニングの様子。「マイヤーさんは、学齢期のきょうだいのためのワークショップ『シブショップ』のファシリテーターを養成するトレーニング(2日間トレーニング)を長年実施されてきました。この2日間トレーニングを、きょうだい支援の会主催で、東京で開催。通常のトレーニングは、1日目が講義(きょうだいの悩みと人間的成長の可能性、シブショップの始め方)、2日目がデモンストレーション・シブショップですが、この時は他にアン・ガスリーさん(当時、カンザス大学医療センター看護学部『きょうだい』支援プロジェクト研究助手)に『アメリカのきょうだいに関する研究と支援』と題し、研究の状況についてもお話をしていただきました。写真は2日目のデモンストレーション・シブショップで、話し合い活動のひとつ『言いたいこと(Sound off)、もしわたしが【親、友だち、先生、世界中に】しょうがいのあるきょうだいをもって【いいこと、いやなこと、など】を ひとつだけ言うとしたら』を行っているところです」

──有馬さんのごきょうだいのことを教えてください。

有馬:
私は三人姉妹の真ん中です。7歳下の妹は脳性麻痺で、知的障害と身体障害、てんかんがあります。
妹は歩けません。妹が行けないところに私は自由に行けること、まずそれが罪悪感でした。子どもの頃から、私はバードウォッチングが好きだったんですが、どう考えたって、妹を一緒に連れていくことはできません。生活の中でやりたいことをやりはするのですが、「妹を置いてけぼりにして、私だけ楽しんでいいのかな」という罪悪感が、いつも後ろをついて回りました。

「きょうだいには、きょうだいの人生があっていいんじゃないか」。そう思う一方で、でもそれを選んだ時に感じる罪悪感を、どう対処すれば良いかわからない。自分のやりたいことと妹のケアが常に対立していて、ずっと悩みがありました。

──そうだったんですね。

幼い頃の有馬さん。妹と。「妹が1歳か2歳、私が8歳か9歳の時の写真です。この時、妹の障害は軽くて、首もすわっていてこんな姿勢もとることができました。このころの私の気持ちは『妹ができてうれしい』です。この後に妹は重積発作を起こし、肺炎で1週間意識不明となり、重度重複障害を負うことになりました」

有馬:
妹のことはかわいいし、面倒を見ること自体が嫌だったわけではありません。
ただ、妹を家に一人でおいておくわけにはいかないので、母が外出する時は、私が妹の側にいたり、妹についている母の代わりに買い物に行ったり、今思えばですが、ヤングケアラー的な側面もあったと思います。妹より11歳年上の姉は、妹が生まれた時点ですでに自分の世界ができつつあって、妹のケアという面では、親は姉にはあまり期待していなかったようです。

──きょうだいとしての子ども時代を振り返って、つらかったことはありますか。

有馬:
小学校高学年が中学に入ったぐらいの時だったかな、友達の病院受診につきあう約束をして帰ったのに、母から「(妹のケアのために)留守番をしてもらわないと困る」と言われて、約束を守れず、友達を怒らせてしまったことがありました。

…たった1回の出来事だけど、かなりダメージを受けました。

──どんな気持ちでしたか。

有馬:
もう何十年も前だから、どんな気持ちというのはあまり覚えていないけど…、妹への怒りはなかったけど、親に対しては怒りが湧いたかもしれません。

「3月生まれの妹が20歳になった時のお祝いです。私は26歳。両親の体調不良を主要因として、妹は18歳の時に施設に入所しましたが、自宅でお祝いをしました。妹の着ている服は、母がデザインした特注の洋服です。妹が小さい時、母は医者から『(症状が)重い子は10歳まで生きられない』と言われたそうです。まだきょうだい支援に出会っていないこの頃の私は、妹を施設にお願いすることになった状況に対する罪悪感に苦しんでいました」

進学や就職でも
「きょうだいであること」が常にあった

有馬:
私は三人姉妹の真ん中なのですが、親からは「妹に障害があるから、お前たちは結婚できないだろう」と言われていました。

子どもの頃の親の言葉って、絶大です。私自身も結婚は考えなかったし、ずっと働くつもりでした。
親が「医学部に行くなら、地方の大学に行っても良い」というので、最初はそのレールに乗っかって、医学部を目指して頑張っていましたが、何がきっかけだったかは忘れましたが心が折れて、家から通える大学に進学しました。幸い、近くに自分の興味があることが学べる学科があったんです。

就職でも悩みました。ぼんやりと「妹のケアがあるから、家から通えた方がいいし、転勤はない方がいいな」と考えているわけですよね。でも家から通えて、転勤がなくて、かつ自分が興味のある仕事となると、どんどん選択肢が狭まっていくんです。

──確かに。

有馬:
男女雇用機会均等法施行一年目の年に就職するのですが、今思えば当時はまだ「女性の就職は腰掛けだよね」っていう意識が強く、親の「自立して生きろ」という言葉と、世間の認識にあまりにギャップがあって、ノイローゼみたいになりました。
「私はずっと働くつもりなのに、世の中の意識はなんなんだ」って。

じゃあ、他のきょうだいたちは、一体どうしているんだろう。「同じような立場の人に出会いたい」と思ったのが、きょうだいの会に足を運んだきっかけでした。

「2024年6月、妹が入所している施設の『大遠足』に参加した際に、職員さんに撮っていただいた一枚です。『大遠足』と言っても、利用者の高齢化に伴い、近年は外出しての遠足は行わず、施設内でイベントを行います。入所施設はまだコロナ対策から解放されておらず、今も職員さん、家族はマスク必須です。コロナ禍の間は、面会禁止→オンライン面会→駐車場での面会→会議室での面会→病棟での面会再開と、面会方法が変遷しました。駐車場での面会が許されるまでの間、『高齢でどんどん弱っていく母が、このまま妹に会えずに逝ってしまうかもしれない』と、私は憂鬱な日々を過ごしました」

ドナルド・マイヤーさんの
きょうだい支援プロジェクトに出会って

「1998年8月5日から8月12日まで、マイヤーさんに会うためにワシントン州シアトルを訪ねました。2日目の6日、マイヤーさんの事務所も見学させてもらいました。当時、きょうだい支援プロジェクトはシアトルの子ども病院(Seattle Children’s Hospital & Regional Medical Center)を拠点にしていました。その入り口で、マイヤーさんとのツーショットです」

有馬:
その会に英語の得意な若手の方がいて、マイヤーさんのきょうだい支援プロジェクトのサイトを見つけてくれました。そして初めて見た時に「これよ、これ!」と感動したんです。

──どんなことが書かれていたんですか。

有馬:
「きょうだい特有の悩みがあるよ。こんな気持ち、あんな気持ちがあるよ。それは文献や研究にも記されているよ」というようなことです。いくつか、「私にあてはまるじゃん」っていうことが書いてあって、きょうだいとして抱いてきたいろんな思いは、あって良かったんだと思ったし、さらに「苦労によって成長することもあって、結果として良いこともあるんだよ」というようなことも書かれていました。

きょうだいとして生きてきて、それまで「自分に長所がある」なんて考えてみたことがなかったので、すごく感動しました。
サイトには、「周りの人たちが、きょうだいをどんなふうにサポートできるか」ということもわかりやすくまとめてあって、「これこそ、私がほしかったものだ」と思いました。

「この概念を、日本にも定着させたい!」と思い、翌年にはマイヤーさんに会いにいきました。当時、アメリカに留学していた姉も同行してくれました。

「2005年10月、マイヤーさんを再び日本に招待し、2回目の2日間トレーニングを東京で開催しました。この時は、通常のトレーニングに加えて、国内実践報告会も合わせて行いました。1日目の午前がマイヤー氏による講演(写真)、午後が国内きょうだい支援実践報告、2日目がデモンストレーション・シブショップでした。国内での実践報告をしてくださったのは、横浜きょうだいの会、しぶたね、兵庫教育大学井上研究室にじいろかい(井上先生は現在は鳥取大所属)などでした。『きょうだい支援を広める会』は、井上先生のおかげで発足しました」

有馬:
マイヤーさんとの出会いは、私と姉が、妹の話題について話すきっかけにもなりました。
きょうだい同士であっても、お互いに何を思っているかを話したりすることって、実はきっかけがなければ、滅多にないんですよね。

それ以降、姉の妹への関わり方も変わりました。

──そうだったんですね。

有馬:
マイヤーさんとの出会いは、私たち姉妹にとってものすごく大きなことでしたし、このプロジェクトと出会わなければ、今のようなきょうだい支援の形はなかったかもしれません。

2001年9月、マイヤーさん初来日の際のトレーニングでの一枚。「シブショップは、導入アクティビティ(アイスブレイク)、話し合いアクティビティ、レクリエーションアクティビティ、食べ物アクティビティを組み合わせて行います。写真は、レクリエーションアクティビティのひとつ「三角鬼ごっこ(Triangle Tag)」というゲームをしているところです。左端に有馬、右端に受講生の一人だった、しぶたね発足前の清田さんも写っています」。しぶたねさんとは、JAMMINでも過去に3度、コラボしていただいています!→2023年10月にコラボしていただいた時の記事はこちらから

きょうだい支援の新たな課題

2008年7月、マイヤーさんを招いての3回目の2日間トレーニング。「主催者は日本自閉症協会で、大会実行委員長は岡田稔久さんでした。『日本自閉症協会 第20回全国大会inくまもと』の中で、きょうだい支援をメインに取り上げてくださったのです。『きょうだい支援の会』はマイヤーさんの資料の翻訳冊子の提供、『きょうだい支援を広める会』はマイヤーさんとのやり取りなどで協力しました。写真は、岡田さん、マイヤーさん、マイヤーさんの奥さんのテリーさん、マイヤーさんの双子のお子さんのトニー君、ロージーさん、熊本在住の田中さんとの食事会です。この前年の2007年、岡田さんが私に講演を依頼してくださり、そこから私のきょうだい支援に関する講演活動が始まりました」(有馬さんは写真左端)

──長らくきょうだい支援に関わってこられた中で、今、感じておられる課題はありますか。

有馬:
アメリカには「シブショップ」というきょうだい支援のワークショップを実施する場所が、全国に300以上あります。というのは、小児病院や日本でいう社会福祉法人のようなしっかりした組織が、このワークショップを実施しているんですね。

一方で日本は、中には自治体さんが積極的に取り組んでくださっているようなところもありますが、全国的には、まだまだきょうだい支援の場が圧倒的に少なくて、かつ、その運営もボランティア頼みです。
安定したきょうだい支援を、もっともっと広げていきたいと思っています。

そのためにはきょうだい支援を理解し、実施する人を増やしていく必要があって、「しぶたね」さんの研修ワークショップにより、裾野は大きく広がったと思います。

2025年9月6日、「きょうだい支援の会シニアミーティング」と「きょうだい支援を広める会」共催で「家族が関われなくなった時~親亡きあと、きょうだい亡きあとは?」と題し、講演会を開催。「特定行政書士の方を講師として招き、ハイブリッド形式で開催しました。第1部:遺言・相続・家族信託、第2部:成年後見人、法定後見、任意後見、死後事務委任契約という構成で、準備しておくべきことや成年後見制度の課題などを学びました。シニアミーティングは、親の年齢が概ね70歳以上の方を対象としています。基本のテーマは、自分自身が超高齢化社会をどう生き抜くか、親の介護にどう対処していくかなど、シニア層が直面する課題です」

──もっともっと広がっていくといいですね。

有馬:
きょうだい支援を長く続けてきた中で、私個人としては「少子高齢化」という新たな課題に直面しています。

シニア世代に入ってきた時に、たとえば障害のあるきょうだいが入れるグループホームがなかなか見つからなかったり、あるいはグループホームが身体障害を前提としておらず、高齢になって身体介護が必要になったら出ていってくださいと言われたりするようなことも起きています。
親は80歳、90歳という中で、そういったことに対応して動けるきょうだいもいますが、中には自分の生活があるきょうだい、離れて暮らすことを選んだきょうだいもいて、そこまでフォローができません。
まだまだ向き合わないといけない課題はたくさんあって、きょうだい支援はやめられないと思っています。

「2019年3月、マイヤーさんとともに台湾を5日間訪問しました。財團法人育成社會福利基金會(Yu-Cheng Social Welfare Foundation)が、講演会の講師としてマイヤーさんとともに私を呼んでくださったのです。私が話したテーマは『日本でのきょうだいムーブメントに私はどう関わってきたか(How I’ve Been Involved in the Sibling Movement in Japan)』でした。この講演が実現したのは、台灣障礙者手足資訊網(台湾障害者のきょうだい情報ネットワーク)のCaya Chiuさんのおかげでした。マイヤーさんは引退してしまうけれど、もう一回日本に来てもらうのだとCayaさんに伝えたところ、日本の後に台湾にも来てもらいたいとなったのです」

「きょうだい支援に出会ったことで、
きょうだいとしての人生は楽になった」

「1996年3月5日、アメリカのきょうだい支援プロジェクトが大人のきょうだいのための英語のメーリングリスト『SibNet』を開設。今年の3月5日で30周年を迎えました。最初は文字だけのメーリングリスト、SNS時代になってからはFacebookに移行しました。私は1997年11月18日に参加しました。英語のメーリングリストなので発言はたまにしかしませんが、ここで多くのきょうだいのさまざまな体験を読み、孤独感が薄れていきました。しぶたねの清田さんとは、このSibNetで出会いました。また、自分の妹と同じ障害をもつ人のきょうだいとも出会うことができました」

──有馬さんご自身にとって、またこれまでを振り返って、「きょうだいである」とはどういうことでしょうか。

有馬:
きょうだいとしての体験を語らせていただく時、「きょうだいとして良かったことはありますか」という質問をいただくことが時々あります。
私の答えは、きょうだいとして良かったことは、特にないかな。でも、きょうだい支援に出会えたことで、その後は良かったことがありました。

たまにそうではないきょうだいもいるけど、多かれ少なかれ、多くのきょうだいが「自分のきょうだいが普通だったら良かったのに」って思う一瞬や、「もし変えられるものなら、魔法を使って、きょうだいを普通の子に戻しちゃうもんね」って思う瞬間が、きっとあると思うんです。

「きょうだいで良かった」と断言はできないけれど、きょうだい支援に出会い、「ひとりじゃない」と感じられて、いろんな人の支えを感じられた時に、きょうだいとしての人生は楽になります。私の人生を振り返った時に、本当にそうだったなあと思います。

「きょうだい支援を広める会」では、2005年のマイヤーさん招聘時の実践報告会を引き継ぐ形で、きょうだい支援実践報告会を行ってきた。「写真は2014年4月に行った実践報告会の様子です。NPO法人こどものちからの井上るみ子さんが、国立がんセンター中央病院の小児待合室での活動について、報告しているところです。コロナ禍で待合室活動は休止となり、2026年3月末現在も再開許可が出ていません。早く再開できるとよいなと祈っています」

──読者の方に、メッセージをお願いします。

有馬:
「きょうだいといっても、さまざまなんだよ」ということは、講演をする際には伝えても、これまで広く発信できてこなかったところなので、日本きょうだい福祉協会の活動を通じて、「いろんなきょうだいがいるよ」ということを発信していけたらと思っています。

私自身はどちらかというと「妹と関わりたいきょうだい」だけど、中には、暴力や虐待など問題行動のターゲットになるきょうだいもいて、そうすると、「きょうだいと関わりたくない」というきょうだいもいるわけですよね。そういうことも、心に留めてもらえたらと思っています。

当事者であるきょうだいに対しては、何かひとつのきょうだいの会や場に参加して、もし「ちょっと違うな」と思ったとしても、そこで諦めないでほしいと伝えたいです。
コロナを経て、オンラインでの集まりも盛んになりました。きっとどこかに、自分と同じような境遇や気持ちの人が必ずいるから、いろんな場に顔を出して、自分に合う場や人と出会ってほしいです。

2023年3月、厚生労働省にて「日本きょうだい福祉協会」設立記念会見の様子

4月10日は「シブリングデー」。きょうだいのことを広く知ってもらう活動を、ぜひ応援してください!

2025年9月、記念すべき日本小児在宅医学会(於東京)の第1回学術集会にて、きょうだい・家族セッションのシンポジウムに、「日本きょうだい福祉協会」から、荒川明里さん、清田悠代さん、シブレッドが登壇

お二人のきょうだいさんにお話を聞かせていただきました。
皆さん、どのようなことを感じられたでしょうか。

アイテム購入ごとのチャリティーは、きょうだいを普及啓発するためのステッカー作成のために活用されます。
「いろんな気持ちがあっていい」「いろいろなきょうだいがいるよ」ということを、一人でも多くの方に届けられるように。
ぜひ、この機会に応援いただけたら嬉しいです!

・日本きょうだい福祉協会 ホームページはこちらから

「日本きょうだい福祉協会」のメンバーの皆さん。「2025年5月、来日中のパメラ・ブロックさんをお招きして、きょうだい支援に関する研究についての意見交換会を行った時の一枚です。皆さん、応援よろしくお願いします!」」

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【2026/4/6-12の1週間限定販売】
“SIBLINGS(きょうだい)”という文字の周りに、いろんなキャラクターを描きました。
きょうだい一人ひとりにストーリーがあり、思いがあり、好きなことや嫌いなこと、進みたい方向ややりたいことも、それぞれにみんな違う。「君はそのままでいいんだよ、君には君の人生があるよ」という思いを込めて”You are special(君は特別)”というメッセージを添えました。「きょうだいの日」の”410″の数字も探してみてくださいね!

【ワンポイントデザイン】
Siblings(きょうだい)のS、Special(特別)のS、Super(すごい)のS…。
Sにいろんな思いを込めて、「きょうだいの日」のシンボルであるいちごときょうだいが仲良く、手をつないで歩く様子を描きました。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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