
4月2日は「世界自閉症啓発デー」。
この日に合わせ、今年も日本自閉症協会さんとコラボします!
自閉症(自閉スペクトラム症)の人たちが、周囲の理解を得て、安心して生活できるように。
自閉症のこと、その特性や日々の暮らしのこと、楽しいことも知ってほしい。
「自閉症の人は、ちょっとだけチャンネルが違っているだけ。その違いを個性として受け止めてもらえたら、自閉症の人も、もっと暮らしやすい社会になるのでは」。
今回は、長男が自閉症の兵庫県自閉症協会事務局長の小川栄次郎さん、長男・次男が自閉症の山口県自閉症協会会長の椎木弥寿子さんのお二方に、お話を聞きました。

「世界自閉症啓発デー」には、癒しや希望を表す「青」をシンボルカラーに、各地でライトアップやイベントが開催される。写真は福岡タワー(福岡市)のブルーライトアップ(福岡県自閉症協会)
一般社団法人日本自閉症協会
自閉スペクトラム症の人たちに対する福祉の増進および社会参加の促進、広く社会に貢献することを目的に、自閉スペクトラム症のある人たちのより良い未来を目指し活動する団体です。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/03/09
兵庫県自閉症協会事務局長の小川栄次郎(おがわ・えいじろう)さん(72)。
息子の雄也(ゆうや)さん(31)とは、小さい時から電車に乗り、あちこちに出かけたそうです。

小川さんと雄也さん。2026年2月、雄也さんが生活支援を受けている通所施設「明倫の郷」玄関にて。「職員の方に撮影していただきました」
小川さん:
家の中に閉じこもったままではあかんと思って、仕事が休みの週末は、一緒に出て行くようにしていました。
思春期ぐらいからかな、雄也は自分の思い通りにならへんことがあると、あっちこっちで小便を漏らしまくるようになりました。本人の発語はないので、「嫌や」っていう意思を、小便で表現してるんやなと思いました。

2025年9月、自宅にて。「パソコンでアンパンマンや童謡の動画を観ながら寝てしまいました」
小川さん:
どこで漏らすかわからへんから、雄也と私とで、それぞれ2セットぐらいずつ、替えのズボンやら下着やらをリュックに詰めて、背負って出かけてましたね。
…小便の数が、それを超えたら終わりですわ…!!さあ、どうしよう!
後になって考えたら、本人は自分がやりたいことと違うことを無理やりさせられるのが嫌で、漏らしてたんかなと思います。
──たとえばどんなことでしょうか。
小川さん:
移動の時は多かったですね。自分はまだそこにいたいのに、親が時間を気にしたりして、無理やり連れて行こうとする。そうすると、動かずに固まるんです。「じっとしてるな」って思ったら、やっぱりズボンから靴下まで、全部びしょびしょ…ということが何回かありました。

2013年10月、兵庫県自閉症協会研修旅行で信楽へ。写真は、宿泊先の長島温泉のホテルにて。「夕食の宴会で、雄也とステージに上がり『アンパンマンのマーチ』を歌っているところです。自閉症協会の皆でいろんなところへ行きましたが、キャンプに行った時は、雄也のお漏らしで用意してきた着替えが足りなくなり、夜中に何度も洗濯して、乾燥機を回しました。『小川さん、あの時は洗濯ばっかりしてたもんな』と言われます。『なんでできへんのや。なんでお漏らしするんや』って思ったら、イライラする。私がイライラしたら、雄也もイライラする。『そんなもんや。しゃあないもんな』と思っていましたし、洗濯も、苦に感じることはありませんでした」
──あちこちで漏らしても、外出をやめることはされなかったんですね。
小川さん:
周りからあんまり良い目で見られないのもわかってたけど、外に出ないと、本人のためにならへんと思いました。
小便を漏らして、本人が「これはまずい」って気づかなあかん。親だけが「あかん」「ダメやで」って注意したところで、本人が自覚せえへんことには、にっちもさっちも行きません。
そりゃ本人かて、ズボンが濡れたら嫌やもん。
「もうズボンの替えはないで」って伝えたら、やっぱり我慢するようになる。自分で「嫌やな」って感じたら、考えて行動するようになるんです。正直なもんです。

「正月に雄也と二人で、近鉄『新春おでかけ 京阪奈1dayパス』を使って、生駒山寳山寺と橿原神宮へ初詣に行くようになって10年ほどになります。行き始めた時は、何度も止まりながらでしたが、だんだんと慣れてきたのか、さっさと歩くようになりました。今年は、私が新しい靴を履いて行ったばっかりに靴擦れができてしまい、痛くて雄也よりも私の方が止まりながら歩いていました」
──確かに。
小川さん:
着替えがあっても、状況によっては様子を見ることもありました。ズボンが濡れて冷たくなって「気持ち悪いな」って本人が感じたら、また一つ、学べることもあるんです。
生きていくためには、本人も学ばなあかん。
親として、よほど危険だったりする時は引っ張ってあげないとだめやけど、それ以外はできるだけ、自分で考えて行動できるようにと思っていました。
雄也は3人兄弟の長男ですが、他の姉弟に対しても、親として同じように接しました。
子どもは子どもなりに、何か理由があって行動をしているわけやから、頭ごなしに怒ったり否定したりするんは違う。大人が怒ったところで、子どもがその理由を理解できなかったら、また同じことをやると思うんです。

1999年11月、七五三の1枚。「姉、雄也、弟、それぞれちょうど7歳、5歳、3歳になり、祖母と一緒にお参りに行きました」
小川さん:
本人なりの理由があることを踏まえた上で、「こういうことで注意してるねんで」って、本人がわかるように説明したり、危なかったり周りに迷惑をかけたりしない限りは、あえて本人が気づくまで、放っておくということもありました。
雄也が自宅で3歳の時自分でトイレに行けるようになった時は、家族全員で万歳しましたよ(笑)。
──現在は、お漏らしはもうされませんか。
小川さん:
今はもう大丈夫です。着替えを持って行くとしても、1セットだけ。むしろ今は、年取った私の方がやばいかも…!って違うか(笑)。

特別支援学校高等部を卒業後、雄也さんがずっと通っている障害福祉サービス事業所「明倫の郷」にて。「(写真左)通い始めた頃に、健康診断か何か、部屋で嫌なことがあったのか、雄也は施設のロビー以外の場所には行きません」。(写真右)明倫の郷での昼食の様子

「1995年2月、母方の実家にて、祖母の誕生日に撮った1枚です。阪神・淡路大震災でマンションの水が出なくなり、雄也のミルクを作ることができないので、3月いっぱいまで、母方の実家に身を寄せていました。私は鉄道会社に勤務しており、朝の8時から24時まで、鉄道の復旧に従事していました。写真は、たまたま休みが取れた時に撮影した1枚です。2歳上の姉は、弟ができたのがよほどうれしかったのか、いつも雄也と一緒にいました」
──お漏らしのエピソードから、小川さんが雄也さんと、面と向き合って子育てしてこられたことが伝わります。そういうことをずっと意識しておられたのですか。
小川さん:
小さい時から、そういう友達がいてたんです。
私が通っていた小学校にはいろんな人がいて、皆が一緒に、机を並べて勉強してました。しゃべられへん子も何人かいてたけど、それがどうやという感覚は私自身、全然なかった。
小さい時から「障害があろうがなかろうが、みんな一緒や」という感覚が強く、差別に対しては「なんでやねん」っていう気持ちを持っていました。だからか、息子が自閉症と診断された時もあんまりびっくりせえへんかったし、「そうなんやな」と、わりとすぐに受容できました。
もし、この感覚を持っていなかったら、また違ったのかもしれません。…嫁さんの方が、受け入れるのに時間がかかったみたいです。

1995年10月、雄也さんの満1歳の誕生日会。「自宅にて、祖母、父、母、姉と撮った1枚です」
小川さん:
私が子どもの頃、いつだったか、大きなお屋敷に行ったことがあるんです。そしたら奥の建物に隔離されている人がいました。いわゆる座敷牢です。
当時は、周りと同じようにしゃべられへんかったり、あるいはちょっとおかしいって思われたら、隔離されて隠されるということが、まだあった時代やったんです。
何を喋ってるのかはよくわからへんかったけど、その人と塀越しに話をしながら「なんで一人なんやろう」って思いました。お屋敷の人に「なんであの人は一人でいてるん?」と尋ねたら、「あっちに行ったらあかん!」と怒られました。
「同じ家族やのに、なんでやねん」っていう感覚は、この頃から、私の中にずっとあったと思います。
──そうやったんですね。

2003年3月、家族旅行でアンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの故郷・高知へ。「土佐山田駅(高知県香美市)にて、アンパンマンミュージアム行きのJRアンパンマンバス乗車前に撮った写真です。雄也はアンパンマンが大好きで、車内がアンパンマンであふれているアンパンマン列車に乗った時は、目を丸くしてキョロキョロしていました」
小川さん:
雄也が小学5年生ぐらいの時から、そこらじゅうの壁を叩きまくったり小便を漏らしたり、暴れるようになって、周りの方たちにも迷惑をかけたと思います。
でも必要やと思った時は、できる限り外に連れていきました。
「うちの子は自閉症や。でも、それがどうしたっていうんや」っていう気持ちがあったし、社会の人たちに、自閉症のことを知っていただきたいという気持ちもあったんです。
自閉症の人と実際に会って、見たり触れ合ったりしてみんと、わからんこともあると思うんです。だから、外に出ていくようにしていました。
泣きたくなるような時もありましたよ。せやけど「誰も面倒みてくれへんがな。自分の大切な子や。なんとかなる」って言い聞かせてやってきました。

2003年3月、高知に向かう際、新大阪駅のホームにて「ひかりレールスター」をバックに。「この旅行では、新幹線からアンパンマン列車、アンパンマンバスに乗ってアンパンマンミュージアムへ行き、アンパンマンホテルに宿泊。翌朝はアンパンマンバスからアンパンマン列車、路面電車からフェリーに乗って船中泊と、旅行中にいろいろな乗り物に乗りました。とても良い思い出です」

2016年7月、山陽網干駅(兵庫県姫路市)にて。「夏の暑い中、一日乗車券で三宮から姫路・網干へと電車を乗り歩きました」
──雄也さんはどんな存在ですか。
小川さん:
親亡き後のことを考えて、少しずつショートステイ(短期間入所できる介護サービス)を利用しています。
初めて雄也がショートステイに行った時ね、私、ポッカーン!としたんです。
家でいつも雄也が寝ている場所に、雄也がいてない。それまで、雄也が家にいないってことは滅多になかったんです。その日は一日中、なんかそわそわと変な感じがして、「わしの方が子離れしてないんかな」って思いました。
「そろそろお迎えの時間やな」とか「雄也はこうした方がいいかな」とか、気がついたらね、いつも雄也のことを考えてるんです。それぐらい、雄也が中心の生活を送ってきたんやと思います。

1994年12月、生後2ヶ月の雄也さんとお風呂
小川さん:
もし雄也がグループホームに行ったら…、わし、何をするんかな。「その時はまた、好きなことが見つかるやろう」って、奥さんと二人で話しています。
──メッセージをお願いします。
小川さん:
自閉症の人、障害のある人、いろんな人が、同じ社会で暮らしています。排除するのではなく、皆で一緒に仲良くできたらええやん!と思います。
自閉症とかそうじゃないとかに関係なく、一人ひとり、皆それぞれが安心安全に暮らせるっていうのが、何より幸せなこととちがうかな。それがいちばんやと思います。

2020年11月、兵庫県自閉症協会研修旅行で淡路島へ。「お香づくりに挑戦しましたが、雄也は部屋の隅っこの椅子に座って何もしなかったので、父が2人分作りました(笑)」
山口県自閉症協会会長の椎木弥寿子(しいのき・やすこ)さん(62)にお話をお伺いしました。
長男の翼(つばさ)さん(34)、次男の輝(ひかる)さん(29)が自閉症です。

お話をお伺いした椎木さん。長男の翼さん(写真右)、次男の輝さん(写真左)と。「3人で仲良く、通所施設の送迎バスを待っているところです」
椎木さん:
長男の翼は、発音は不明瞭なものの「トイレ行ってきます」「牛乳ください」「時間なりました」など、そこそこの発語があります。次男の輝は、話しても「茶」と「とと(トイレ)」ぐらいで、ほぼ発語はありません。
翼は小さい時から、抱っこをされたり手をつないだりするのが大嫌いでした。抱っこをするとのけぞるし、手をつなごうとすると振り解くし、自閉症とわかるまでは「なんでこんなに嫌がるんだろう」と疑問でした。
翼は小さい時からガラスに包まれているような子で、本人がどこか、人を寄せ付けない雰囲気があって、母親ながら距離を感じていました。「ママ」とは呼ぶけれど、本人は別にお母さんと思っているわけではなくて、ただ名前としてそう呼んでいるだけ、のような…。
違和感を抱きつつ「こういう子なんだ」と思い込もうとしていました。

小学中学年の頃の翼さん。「当時から炭酸飲料は飲めなかったのですが、コーヒー飲料は大好きです」
椎木さん:
でも、翼の1歳半検診の時、初めて同じ月齢のお子さんを見て驚きました。
他の子たちは、大人が読む絵本をちゃんと聞いているし、「こっちにおいで」と言うとこちらに来ます。翼だけが、その辺を走り回ってテレビによじ登っていました。
その時は「耳が聞こえていないのではないか」ということで、聴覚の検査をしましたが、特に問題はありませんでした。
──そうだったんですね。
椎木さん:
1歳を過ぎて自分で歩けるようになってからは、とにかく落ち着くことがなく、いろんなところに登るし触るし、ずっと歩いていました。年子で妹が生まれたのですが、だんだん、彼女の発達が、翼に追いついてくるんです。
「やっぱりおかしい」と思っていた3歳の頃、「一度、詳しく検査を受けてみないか」と勧められ、自閉症と診断されました。

「翼は、絵を描くというか塗ることが大好きです。写真は、2025年秋のものです」
──診断された時は、どう思われましたか。
椎木さん:
奈落の底に落とされた気がしました。「何を言ってるの」という反発心の方が強かった。
翼の発達の遅れを感じながら、いろんな本を読んでいました。「自閉症」「精神遅滞」のページには「もしかしたらこれかもしれない」と、付箋を貼っていたんです。
でも「いや、この症状は当てはまるけど、この症状は当てはまらないからきっと違う。いつかは普通になるんだ」って、やっぱり否定したかったし、そう思いたくない自分がいました。
診断されたと同時に、療育手帳(知的障害がある人に交付される障害者手帳)の取得を打診されましたが、当時はどうしても認められなくて、頑なに取ろうとしませんでした。
後に次男も自閉症と分かり、幼稚園に通う際に「療育手帳がないと補助が降りない」と言われ、「だったらもう、二人ともまとめて手帳を取ろう」と決めました。翼が小学校5年生の時でした。

「きょうだい3人で撮った1枚です。輝も上の二人の真似をして、なんとかピースをしています」
──次男の輝さんは、どういう経緯で自閉症と診断されたのですか。
椎木さん:
次男の輝は、翼とはまた違って、よく寝てよく飲み、とても育てやすい子でした。
抱っこをすると腕の中にぴたっと寄り添うような子で、その分、「自閉症かもしれない」と感じるのが遅かったかもしれません。
輝は、2歳になっても3歳になっても、一言も言葉を話しませんでした。
「抱っこも嫌がらないし、何もないはず。大丈夫だ」と、この時も必死に違和感や不安を打ち消していましたが、3歳の検診の時に、自閉症と診断されました。
その時のことは、よく思い出せません。つらかったけれど、診断がついたことで、やるべきことや向かう方向性が見えてきたという気持ちもあったと思います。

幼稚園の頃の輝さん。「ボールや指人形を持ち歩く子でしたが、この時はなぜか招き猫がブームでした」

「翼に塗り絵を渡すと、線の間や周りを好きな形に区切っていき、それを1マスずつクーピーで塗ります」
──お二人の自閉症のお子さんを育てる中で、大変だったことはありますか。
椎木さん:
二人一緒に療育を受けられないので、午前と午後だったり、日にちをまたいだり、二人を連れて療育に通うのが大変でした。
あとは、二人の体が大きくなってきた時に、とはいえやっていることは2歳児3歳児のようなので、周りの子どもから「この子はバカなの?」とか「バカだってうちのお母さんも言ってるよ」などと、ストレートな意見を投げられるのがつらかったです。
「バカじゃないよ」と言うのが精一杯でした。
ただ二人とも、通った小学校や幼稚園の同級生の皆さんはよく理解してくれて、そんなふうに言う人はいませんでした。

小学6年生の時の翼さん。「お正月遊びで福笑いをしました」
──中学、高校時代はいかがですか。
椎木さん:
翼は中3、輝は小5から、てんかん発作が出るようになりました。翼は2回だけですが、輝は頻繁に発作が起こるようになり、今は2人とも薬を飲んでいます。
年齢が上がるにつれて、翼の方は感覚がどんどん過敏になっていきました。
たとえば歩いている時、足にチラシか何かが当たったら、立ち止まって戻り、そのチラシを「これが当たったんだな」と確かめて、また歩き始めるという感じでした。
過敏さがもっと強くなるようであれば、薬を服用した方が良いと言われていたのですが、ちょうどそんな時に夏休みになって、1ヶ月ぐらいゆったり過ごすと持ち直しました。
ただ、今でも過敏なところがあって、ちょっと触れるだけで「痛いです」と言うので、極力触らないようにしています。

「昨年、通所している園の旅行で柳川へ行き、川下りをしました。(写真左)マスクで顔が隠れていますが、翼はかなり緊張していたと思います。(写真右)輝も、兄と同じく川下り。正直無理だろうと思っていたのですが、乗っている姿を見て母が一番驚きました」
──翼さんは感覚が過敏だから、小さい時から抱っこや手をつなぐのが苦手だったのかもしれませんね。洋服や靴など、身につけるものは問題ないのですか。
椎木さん:
小さい時は、お気に入りの服や靴下しか着ませんでした。
通っていた小学校には校服があって、着られるだろうかと心配していましたが、切り替えがうまくいき、校服も体操服も、ちゃんと着られたのは驚きでした。一度本人が納得すれば、そのあとはうまくいくのかなと思います。
輝の方は、中学に入って最初の1ヶ月ほど、帰宅後泣きながらごはんを食べていました。

支援学校の中学部1年の頃の輝さん。「書初めで『お正月』を書きました。途中まで『お弁当』と書いたのかなと思います(笑)」
──どうしてですか。
椎木さん:
言葉を発さないのでわからないですが、特別支援学校の中学部に入り、環境変化によるストレスや不安、悩みが、本人なりにあったのだと思います。
ごはんを食べながらワーワー泣いて、ちょっとしたらほっと落ち着いた様子を見せていました。
──そんな時、弥寿子さんはどんなふうに接しておられたのですか。
椎木さん:
本人にとって、それが感情の消化方法だったのだと思います。だから、無理に止めてもだめだなと思って、本人が泣き止んで落ち着いた時に「よしよし」と慰めていました。

「あまりまじめには取り組んではいなかったのですが、輝がなかなか選べない子なので、欲しいおやつを選んでもらうためにカードを作りました。電子レンジを新しく買い替えた時も、翼が使い方がわからないと騒いでいたので、手順をカードにして教えました」

最近の輝さん。「大好きなiPadを持って、大好きな父のところで、大好きなYouTubeを見るために移動しているところです」
──今、翼さんと輝さんは、二人で同じ生活介護施設に通っておられるそうですね。
椎木さん:
はい。施設では部屋は別で翼が時々、輝がどこにいるか確かめるぐらいで、ほとんど関わることはないようです。
家では、翼はテレビやYouTubeを見たり、絵を描いたりして過ごしています。
名画や写真をプリントアウトしておくと、それを見ながら、ネームペンで形を書き、クーピーで色付けして、完全にオリジナルの絵を描き上げます。

翼さんの絵。「フェルメール【真珠の首飾りの少女】をコピーして渡すと、用紙にフェルトペンで形を書いて、その中を好きなクービーの色で力を込めて隙間のないように塗り、完成した作品がこちらです」
椎木さん:
輝はもっぱら、YouTubeで昔の「お母さんといっしょ」や、お菓子作りの動画などをずっと見ています。テレビとは違い、いつでもさっと止められて、戻ってまた同じシーンを何度も見られるのが良いみたいです。
流れてくる音も楽しんでいるようで、ザクザクと何かをずっと永遠に切り続ける動画などは、好きでよく見ています。
──今は日々の生活ではこだわりなどはありますか。
椎木さん:
翼も輝も、小さい頃は広い範囲でこだわりが強かったのですが、今は、一つのものに対してこだわっているという感じです。そのこだわりを守ってあげることで、日々が穏やかに過ごせるのかなと思っています。
──どんなこだわりでしょうか。
椎木さん:
翼の場合は、本人の日々のルーティンを崩さないことです。
毎朝、施設に水筒を持って出て行くのですが、水筒が要らない日に「今日は要らないよ」と言うと、罵倒の言葉は知らないので、「セブンイレブン」「ガソリンスタンド」など、知っている言葉を並べて、30分は文句を言っています(笑)。
輝の方は、カーテンのかたちに強いこだわりがあるようです。毎晩、カーテンを開けたり閉めたりを30分ぐらいやっています。

「輝のカーテンシャッシャは、2年ぐらいこだわりになっています。何が正解なのかこちらは全くわからないのですが、すぐ納得するときもあるし、1時間は繰り返すときもあります。カーテンは、3か所を回ります」
──かたちとは?
椎木さん:
ドレープの幅やまっすぐ具合が気になるのだと思います。これは高校生の頃からで、毎晩、寝る前の儀式のようになっています。本人の中で、きっと何か細かいこだわりがあるんだと思います。
翼はきっちりした性格で、いつも眉間に皺を寄せて生きているような子なので、もう少し肩の力を抜いてくれたらと思っています。
一方で輝は甘え上手で、ついつい甘やかしてしまいます。もう良い年なので、少しずつ子離れしないと、と思っています。

(写真左)「翼のお買い物メモです。上からジョージア缶・コーヒージュース・ソフールパン。パンなど、無くなったものも教えてくるので助かりますが、買ってこないと静かに怒っています」。(写真右)「輝は最近、園の書道教室で書いた作品をとてもうれしそうに見せてきます。ほめるとものすごく図に乗ります」
──読者の方へ、メッセージをお願いします。
椎木さん:
山口県自閉症協会で昨年、年に1度の交流会の時に写経を体験したんです。
「自閉症の人には写経なんて無理なんじゃないか」って話していたんですが、やってみるとそんなことはなく、厳かな空間で無心で字を書くのが、意外と好きなようなんです。
親たちであってもまだまだ知らない一面があって、「できないだろう」とか「無理」って、勝手に決めつけちゃダメだなと思いました。
自閉症の人は、ちょっとだけチャンネルが違っているだけだと思います。その違いを個性として受け止めてもらえたら、自閉症の人ももっと暮らしやすい社会になるのではないかと思います。
ただ、「個性」とは言いつつも、自閉症は生まれ持った特性であり、決してしつけや教育の間違いではありません。そのことも、知っていただけたらと思います。

山口県自閉症協会の皆さんと、写経体験の様子。「2回目の開催で、昨年はみかん狩りも一緒にしました。坐禅も写経もほぼ初めての体験でしたが、意外と楽しんでいました。今後も続けていきたいと思っています」

2025年4月、JR宇都宮駅構内にて、県職員の皆さんと自閉症啓発のテイッシュやリーフレットを配布。宇都宮コミュニティFM「ミヤラジ」協力の元、世界自閉症啓発デーのミュージックビデオ放映、ラジオ出演なども行った(栃木県自閉症協会)
今回のコラボアイテムをご購入いただくと、1アイテムにつき700円が日本自閉症協会さんへとチャリティーされ、自閉症の人たちが周囲の理解を得て、安心して生活できるよう、社会全体での正しい理解・啓発のため、世界自閉症啓発デー・発達障害啓発週間の認知を高めるための啓発グッズ作成費、また、社会における自閉スペクトラム症の正しい理解を促進するための動画作成やパンフレットの作成のために活用されます。
「世界自閉症啓発デー」に向けて、今年もぜひ、チャリティーアイテムで応援していただけたら嬉しいです!
・日本自閉症協会 ホームページ
・世界自閉症啓発デー2026 日本実行委員会公式サイト

日本自閉症協会のスタッフの皆さん。今回のコラボデザインTシャツを着て。「今年も応援、よろしくお願いします!」

【2026/3/9-15の1週間限定販売】
葉っぱやお花の中に、生活の中でほっと穏やかなひと時をもたらしてくれるようなモチーフを加えて、やさしいリースを描きました。
ぐるっと一周するリースのかたちは、自閉症の方とその家族の穏やかで幸せな日々が、ずっと続いていくことを表現しています。リースの中にさりげなく”AUTISM(自閉症)”の文字を散りばめたのもポイントです。ぜひ探してみてくださいね!
“Be happy with what you have (持っているもので、幸せになろう)”という言葉を添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!