
年始、今年もたくさんの感動をくれた箱根駅伝。
選手やチームメイトが一丸となって襷(たすき)をつなぐ姿に、胸を打たれた方も少なくないのではないでしょうか。
今週JAMMINがコラボするのは、「日本の伝統である駅伝を、世界に広めたい」と活動するNPO法人「襷(たすき)」。
かつて、箱根駅伝出場を目指して駅伝に打ち込んだ代表の高村敦史(たかむら・あつし)さん(28)が、人と人、魂と魂をつなぐ駅伝を通じて、世界平和を実現したいと立ち上げました。
「襷を手渡す瞬間、そこには個人、文化、国、どんな壁もありません。ただ魂と魂とがつながる瞬間で、世界中の人たちと、同じゴールを目指して襷をつなぐことができたら…、そこには戦争も差別もなく、皆が笑顔になれると思っています」
そう話す高村さん。活動について、お話を聞きました。

お話をお伺いした高村さん。2026年1月9日に、ケニアにて初の駅伝大会を開催。地元メディアの取材を受けているところ
NPO法人襷(たすき)
日本発祥の「駅伝」の魅力を世界に広め、人の「魂と魂」をつなぎ、世界をつなぐために活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/01/19

2026年1月に、ケニア・ニャフルルで、ケニア初の駅伝が開催された。参加した人たちに、駅伝について説明する高村さん
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
高村:
日本発祥の「駅伝」を世界に広めるために活動しています。
人と人、国と国、文化と文化をつないでくれる駅伝が、いつかオリンピック競技になることを目指して、2025年に立ち上げました。
──昨年4月から、本格的な活動をスタートされたそうですね。
高村:
はい。私が昨年3月31日で体育教員を退職し、4月から日本を離れ、海外に拠点を移して活動してきました。
フィリピンのバギオという都市で語学を学んだ後、ランニング王国ケニアに行く予定でしたが、3ヶ月間のフィリピンでの語学留学中にランニング業界の方たちと親しくなり、予定を変更して、昨年はフィリピンで駅伝普及活動を行いました。

「当初、活動を予定していなかったフィリピン。偶然、道端で走っていたランニングチームに『I want to join!』と声をかけて、そのまま一緒に走らせてもらいました。そこから自然と交流が生まれ、そのランニングコミュニティと仲良くなり、ついには駅伝のコミュニティイベントを一緒に開催することができました」
高村:
ランニング大会を主催している企業にアプローチし、10月にランニング5キロ・10キロ部門に加え、駅伝部門を設けていただき、フィリピン初の駅伝を開催しました。5チーム・20名の参加があり、「襷をつなぐ」という経験をしました。
──手応えはいかがでしたか。
高村:
駅伝走者として走った方、沿道で応援してくださった方たちからも「また開催してほしい」という声を多くいただきました。「襷をつなぐ瞬間」は、どのチーム、どの区間も、皆笑顔で「駅伝という文化は、日本を超えて、世界でも受ける」と感じた瞬間でもありました。

フィリピンで開催された駅伝にて。「EKIDENという看板を現地で作ってもらいました!我々NPO法人襷が、大会の公式スポンサーとして正式に名を連ねた瞬間でもありました」

ケニア初の駅伝にて、襷がつながれる瞬間。「襷は走者だけでなく、そこに関わる全ての人の想いが詰まったものです」
──駅伝は、ただ走ることとは違うのですか。
高村:
「自分のためだけでなく、仲間のために走る」のが、駅伝の大きな特徴です。
駅伝の象徴とも言える襷には、前走者の血や涙、汗、魂のこもった思いが詰まっています。その襷を次の走者が受け取って、ゴールへと運んでいく。走者だけでなく、応援者の魂ものせて走ります。
いちばんは「襷をつなぐ」その瞬間に、価値があると思っています。襷がつながる瞬間、人と人、魂と魂とが、まさにつながるのです。
私は、日本発祥の駅伝が世界に広がることが世界平和にもつながると思っています。
襷を手渡す瞬間、そこには個人、文化、国、どんな壁もありません。ただ魂と魂とがつながる瞬間で、世界中の人たちと、同じゴールを目指して襷をつなぐことができたら…、そこには戦争も差別もなく、皆が笑顔になれると思っています。

「フィリピンでホームステイしていた家族と一緒に駅伝に出場した時の写真です。ランニングをほとんどしたことのない家族と一緒に練習を積み重ね、駅伝に参加。襷をつないだ後、私たちの絆はさらに深くなりました。現在、この家族はランニングが趣味になり、毎日のように走っています!」
──確かに。世界中の人を一本の襷をつないで、またそれを世界中の人たちと一緒に応援できたら…すごく楽しそうですね。
高村:
駅伝は、走る・つながるという、人の本能を満たしてくれるスポーツでもあります。
走ることは、人間が本来持つ本能です。人は昔、狩りのために走ったし、小さな子どもを見ていると人種限らず、ずっと走っていますよね。
そして人は、電気がない時代から火をおこし、それを囲んで集っていました。「人とつながりたい・つながっていたい」という本能も持っているんです。
これらの本能を満たしてくれるのが、駅伝なのです。
──なるほど!

2025年、襷の理事メンバーで、シンガポール駅伝に出場。「116チームの参加があり、結果はなんと1位!2位とは、42.195km走ってたった1秒差。改めて駅伝の持つ力(仲間のために走る)を実感した瞬間でした」
高村:
近年、インターネットが発展し、直接会わなくても会話ができるし、わざわざ体を動かして何かをするということも減っているように感じます。
私は教員として6年間、子どもたちと関わっていましたが、SNSやAIの発展に伴い、人同士の顔を合わせたつながりが減り、人が本来持つ本能とはどこかかけ離れたようなあり方が蔓延していると感じていました。
世の中はどんどん便利になっていくけれど、私たち人間が持っている本能は変わりません。
便利になっていくからこそ、本能で感じさせてくれるものがより必要になってくるとも思っているし、毎年正月に開催される駅伝に多くの人が惹かれるのも、きっとそんな本能があるからだと思うんです。
日本には、こんなにも素晴らしい駅伝がある。日本だけでなく、世界の人にも知ってほしいと思って活動しています。

「フィリピンの首都・マニラで行われたランニングイベントに招待していただき、1000人以上の参加者の方たちに向けて駅伝について説明した時の一枚です」

「2023年、夏休みを活用してインドを訪れた時の一枚です。バラナシという街で、たくさんの死体がガンジス川のほとりに運ばれ、焼かれ、川に流される光景を目の当たりにしました。命とは何か、生きるとは何か、人生とは何かについて、改めて深く考えさせられました」
──なぜ、教員をやめてこの活動を始められたのですか。
高村:
教員時代、生徒たちに「夢を持とう」や「視野を広げよう」と言うのは簡単だけど、そこに経験と覚悟があるかないかで、響き方が全く変わってくるということを感じました。
経験と覚悟があれば、「口だけではない」ということが、子どもにもちゃんと伝わる。私は、そういう人になりたいと思っています。
ただ、教員として目の前の仕事に追われ、夢を追いかけたり、視野を広げたりすることが難しく、そのジレンマも感じていました。まだ20代、私自身もいろんな挑戦や経験をして、それを子どもたちにも伝えることができたらという思いがあり、私自身が夢に向かって走り続けるという選択をしました。
──高村さんも今、人生を走っておられるんですね。
高村:
「海外に挑戦する」という意味では、退職をせず、青年海外協力隊や日本人学校で教員をするなど、他にも選択肢はありました。
だけど何か自分にしかできないこと、今まで誰も挑戦したことがないようなことで挑みたいと思って、それは一体なんだろう、自分らしさとはなんだろうと考えた時に、「駅伝だ!」と閃きました。見通しがつかないという点では不安もありますが、「自分がやりたいことが、100%やれる!」ってワクワクしたんです。
──そうだったんですね。

「フィリピンの方たちは、本当に家族のように私を受け入れてくれます」
高村:
ちょうど今年もお正月に箱根駅伝が開催されましたよね。箱根駅伝は、視聴率40%ほどあって、日本人なら誰もが注目する大イベントです。
駅伝は、私たちにDNAとして染み込んでいる素晴らしい文化でありながら、一歩国の外に出ると、誰も駅伝という言葉を知りません。「駅伝を広めている人が誰もいない。これはやるしかない」と思いました。
実は最初、NPOではなく、個人で活動をしようと思っていました。
しかし2024年夏、縁あって司会をさせてもらったインドフェスティバルで現在の奥さんに公開プロポーズをした際、「世界に駅伝を広めたい」という夢を語ったところ、現事務局長の太田さんが「駅伝を広めるために継続的な活動を目指すなら、NPOを立ち上げた方がいいんじゃないか」とアドバイスをくださって。半年ほどの準備期間を経て、立ち上げに至りました。

「母校・帝京大学の中野監督に、教員を退職し、NPO法人を立ち上げることを伝えた時の写真です。『お前は絶対、立派な教員になれる』と卒業式の時に言っていただき、3年間かけて教員採用試験に合格しました。その合格を報告した時には、とても喜んでくださいました。退職を伝えた時も『マイナスな理由で退職するなら止めるけど、目標や夢があるなら俺は応援する』と背中を押してくださいました。中野監督は現在、NPO法人襷のアドバイザーも務めてくださっており、さまざまなアドバイスをもらいながら活動を進めています」

高校3年生、高校最後の駅伝でアンカーを走る高村さん(当時の新聞記事より抜粋)。「全国大会出場を目指して全力を尽くしましたが、1歩及ばず県内3位。この悔しさから、大学で競技を続けることを決意しました」
──自分らしさを考えた時に、駅伝が出てきたとのことですが、高村さんは中学の時から、駅伝と関わってこられたそうですね。
高村:
はい。駅伝を通じていろんな経験をさせてもらい、人として成長させてもらいました。
駅伝と出会ったのは、中学3年生の夏です。サッカー部を引退した後でした。
埼玉県の中でも陸上が強い中学校で、たまたま一学期の終業式に、陸上部の顧問の先生が担任するクラスで遊んでいるのが見つかって「明日から走るから、お前も来い」と言われて、夏休みに走り始めました。
──そんなきっかけだったんですね!
高村:
罰則的な意味もあったんだと思いますが、私の中に「走りたい」という気持ちがあったのかもしれません。嫌という感覚はなくて、毎日走りに行きました。
陸上を初めて3ヶ月後には駅伝のメンバーに選出され、そこで区間新記録を出すことができました。「たった3ヶ月でこれだけの結果を出せたということは、まだまだチャンスがある」と思っていたところ、県内の強豪校に声をかけていただき、高校でも陸上を続けました。埼玉で2位、関東でも10位という悪くない成績で、箱根駅伝出場を目指し、駅伝の強豪大学に進学しました。

フィリピン駅伝にて、夫婦間で襷がつながれる瞬間の一枚。「襷をつなぐ瞬間は、自然と笑顔になります」
──とんとん拍子で進まれたのですね。
高村:
…のはずでしたが、大学ではガラッと変わってしまうんです。
大学の部員は、箱根駅伝出場を目指して上京してきた各県トップレベルの人たちばかりで、皆はチームメイトでもあり、ライバルでもありました。
大学2年の10月のことです。
同級生の中に、私と同じぐらいの身長で、1年次から箱根駅伝のメンバーに入る実力者がいました。彼は怪我のため、半年ほど練習から外れていたのですが、怪我から復帰した時の練習(インターバル走)で、私は皆の走りについていけず集団から離れてしまったにも関わらず、彼は余裕そうに練習をこなしている姿を目の当たりにしました。「なんで練習を継続している私より速く走れるんだ」。大きな挫折を経験した瞬間でした。
それまでは「努力すればなんとかなる」と思っていました。だけど、努力だけではどうにもならない世界があって、才能も必要なのだと悟りました。
──これ以上ないほどの努力をされていたからこそ、そのように感じられたのではないですか。
高村:
そうですね…。練習はもちろん、普段から体のケアも怠りませんでした。そうであるにも関わらずそのような状況になったので「箱根駅伝を走るのは難しいな」と。夢が途絶えた瞬間でした。
──そこから、どうされたんですか。
高村:
そこで辞めてもおかしくはなかったんだと思います。だけどいろんな人に応援してもらって入部していますし、寮生活だったので「やめる」という選択肢はありませんでした。
ただチームに所属し、チームに迷惑がかからない範囲で、そこまで力をかけずに練習をこなすという感じで過ごしていました。当然、自己ベストも出ず、妥協してやっているような期間でした。

2025年、駅伝を通じたスポーツ・文化交流の取り組みが認められ、フィリピン・バギオ市より表彰された高村さん
高村:
しかし大学4年生になり、最上級生になったことで意識が変わって、自分が箱根を走れないことはわかっていたけど、チームのために何ができるかを考えるようになりました。その時、私は選抜Bチームの選手でしたが、Bチームの選手なりに、後輩たちに一生懸命取り組む姿勢を見せたいと思いました。
──そうだったんですね。
高村:
陸上の世界は、タイムがものをいいます。後輩は、タイムが遅い先輩より速い先輩の言葉を聞きます。
後輩たちは、自分よりもタイムが早い人がほとんどでした。でも寮生活や食事時中、練習前後にも積極的に後輩たちに声をかけ、上級生と下級生をつなぐ役割をしました。
タイムが速い・遅い、箱根に出る・出ないに関わらず、皆がやる気を失わず、モチベーションを上げていくような声がけを意識して、箱根駅伝に向け、チームの雰囲気をよくするように心がけていた中で、後輩たちが少しずつ慕ってくれて、監督からも信頼を置いてもらえるようになりました。
私の大学では、駅伝の選抜メンバーのみで行われる合宿と、部員皆で行われる合宿がありました。大学4年の夏、選抜合宿に参加できる走力はもちろん私にはありませんでしたが、「後輩の面倒を見るために、ぜひ来てくれないか」と監督から声をかけていただきました。教員採用試験と日程が重なったために参加はできませんでしたが、「陸上はタイムが重要だけど、全てではない。人として重要なこともある」ということを学ばせてもらいました。

「大学4年次は『少しでも後輩のために』と、先頭を引っ張る機会を増やしました。箱根駅伝の裏側には、毎日の泥臭い練習があります。仲間との4年間、切磋琢磨して競技に打ち込んだ4年間は、本当にかけがいのない時間でした。今振り返ると、そう思えます」
高村:
箱根駅伝を直前に控えた2018年末、我々4年生にとっては最後の記録会(タイムトライアル)がありました。
箱根のメンバーも発表され、特に4年生にとっては、箱根の後には引退が待ち構えているだけの、目標も、練習への意欲もなくなるタイミングです。
この時私は、この記録会で高校ぶりに自己ベストを更新しました。
箱根に選出されたメンバーたちから、レース後に「本当に刺激をもらった」「箱根で絶対結果を残す」など、本当にたくさんの嬉しい言葉をもらいました。他にも自己ベストを更新する4年生がたくさんいて、箱根に選ばれなかったメンバーも含めて、「箱根に向けて、チーム全員が全力で挑んでいる」という雰囲気の中、箱根駅伝当日を迎えることができました。
2019年の第95回箱根駅伝では、帝京大学は5位という好成績を残しました。本当に嬉しかったです。
──よかったですね。

大学4年、現役生活最後の記録会の様子。「4年ぶりの自己ベスト。家族、高校時代のチームメイト、いろんな方が応援に来てくれました」
高村:
箱根駅伝ではドラマがありました。
例年、私の大学では、次年度に走者になりそうな後輩が給水係を担当するのが伝統でしたが、この年に関しては、監督や主務の方の計らいで、引退する私たち4年生に給水を任せようということになりました。
私は第10区・15キロ地点の給水を任されました。10区は最終区間となっており、その中でも15キロ地点は最後の給水地点、すなわち、箱根駅伝最後の給水ポイントです。
給水所を通過した時点で、帝京大学は7位でした。給水中に前とのタイム差を伝え、選手を全力で励ましました。この後、選手は二人を抜いて順位を5位に上げ、区間賞を取りました。
夢だった箱根駅伝の舞台。私が給水係として走ったのはたった数十メートルでしたが、給水が終わった時、監督からスピーカーで「高村、ありがとう」と声をかけてもらったんです。この時に「ああ、すべてが報われた」と感じました。

2019年、第95回箱根駅伝第10区の給水ポイントにて、給水する高村さん。「選手に正しい情報(前とのタイム差)を伝え、そして少しでも力を与えられるようにと、とにかく必死でした。私の家族も、この給水を見るためだけに現地に駆けつけ、私の最後の有志を見守ってくれました。両親から『4年間お疲れ様』と言葉をかけてもらった時、自然と涙があふれました」
──何が報われたと感じられたのでしょうか。
高村:
箱根駅伝に出るという夢をかなえるために上京し、でも夢破れ、自分は何がしたいんだろうと悩んだ時もありました。
大学4年次の教員採用試験は不合格だったので、部内で私だけが唯一、就職先も決まっておらず、心のどこかで「夢もかなえられず、就職も決まらず、学生時代、自分は一体何をしてきたんだろう」という思いがあって、応援してくれていた家族や友達に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
だけど最後まで諦めなかったこと、皆のために動いた姿を、見てもらえていたんだと。
給水をした選手からも「最後のところで励ましてもらい、力をもらえた」と言ってもらえて「自分がやってきたことは間違っていなかった」と思えました。

「箱根駅伝直後に行われる慰労会での写真。約10年間の競技生活の最終日であり、4年間苦楽を共にした、同期の仲間達とのお別れの日。本気で共に闘った仲間だからこそ、今でも同期の仲間たちとは強いつながりがあります」

フィリピン国内には、駅伝文化が少しずつ少しずつですが根付いてきています。現在は、フィリピン各地のレースに招待していただくことが増えました」
高村:
襷をつなぐために走る。待っている仲間や応援してくれる仲間のために走る。そうすることで、自分が持っている以上の力が発揮できる。それが駅伝の良さです。
駅伝はどこか、人生にも似ていると思っています。
人は生まれてきた以上、一人で生きていくことはできないし、お互いの本気をリスペクトして応援し合うことで、もっと高め合っていくことができる。駅伝を広めることで、そんな温かさ、強さややさしさも世界に広げていきたいと思っています。
──メッセージをお願いします。
高村:
今の社会、夢を話すとどこかバカにされるような風潮があったりして、夢を持ちにくいと感じることがあります。
でも夢を発信して活動していると、同じように夢を持つ人、覚悟を持ってやっている人と出会えます。こうやってJAMMINさんとも出会えました。

埼玉県の小学校で講演会をした時の写真です。これまで、中学校に向けてのオンライン英語授業(ホームステイ先の方と英語で話す)や、帰国時には講演活動をしてきました。私がこの駅伝普及活動を始めたのは、多くの経験をして『魅力的な教育者』になりたいから。これからも、私が感じた世界のリアルを、少しでも多く、日本の子どもたちに伝えていきたいと思っています」
高村:
夢を持つこと、夢に向かってアクションを起こすことがすごく大切で、そこに熱量が加われば、必ず人はついてくると私は信じています。
小さなことでも、見てくれている人が必ずいるし、思いは必ず響きます。バカにされてもいいから、自分の描く夢に向かって一緒に走っていきましょう!私にとっては、それが「世界に駅伝を広めること」です。
──お互いを尊重しながら「自分らしく生きる」こと、それが世界平和という「襷」なのかもしれませんね。
高村:
襷をつなぐ瞬間、人が内に秘めたものもつながっていくと思っています。国と国、文化と文化をつなぎ、平和をつくっていけたらいいなと思っています。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
高村:
チャリティーは、世界各地で駅伝を広めるために活用させていただく予定です!各地で駅伝を知ってもらい、駅伝大会を開催したいと思っていますが、団体として、なかなか資金が足りていません。
ぜひ、チャリティーアイテムで、活動を応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!

シンガポール駅伝にて、理事の皆さんと。「各々この大会に向けて練習に取り組み、シンガポール現地集合、現地解散をしました。NPO法人襷に関わる全ての皆さんで掴んだ優勝。これからも日本発祥の駅伝を世界へ!応援してくれる方々、仲間達と共に夢に向かい突き進みます!」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
自分の、誰かの、何かの思いを継いで、信念や使命を持って生きること。
それはまさに、目に見えない「襷」をかけて走る、人生という名の駅伝なのかもしれません。
高村さんのお話をお伺いしながら、私自身のワクワクや、人生という駅伝を走り続ける道中で出会った人たち、襷を手渡してくれた人、走ることを応援してくれた人、思いを寄せてくれた人、いろんな人が、確かに私に襷をつないでくれていたんだということを感じました。
良い未来を信じる世界の人たちと、皆でひとつの襷をつなぐ駅伝に、私も参加したいです!

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駅伝の由来といわれる「伝馬制」をヒントに、駆ける馬とリボン(襷)を描いたデザインです。襷をかけた馬とがいきいきと走る姿は、誰かから手渡された襷を胸に、その人の力がより発揮される様子をイメージしました。
“Pass the passion(情熱をつないで)”というメッセージを添えています。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!